本件依頼を受けた時は本当に嬉しかった。愛するクラブの公式WEBサイトで、歴史を語らせていただけるのだから。
とは言え。
30年の歴史を短い文章、約5,000字でどうまとめたらよいのだろうか。
まず、編年体風にクラブの歴史を描写することを考えた。
「1980年代後半、ベガルタ仙台の前身の東北電力は…本格強化を始め…宮城県出身の大学生を中心に…」
「1993年にJリーグが開幕し、仙台にもプロサッカーチームをとの機運が高まり…ブランメル仙台と…」
「1994年の全国地域リーグ決勝大会で優勝し、JFL昇格を決め…」
上記のようなクラブ史の節目に、下記のような講釈を加えていけばよいか
「短期的なJリーグ昇格を目指したこともあり、Jリーグクラブから多くの優秀な選手を獲得し…」
「地下鉄終点駅近傍に球技用競技場を建築することも…」
「鈴木淳、リトバルスキ、オルデネビッツ、越後和男、ドゥバイッチ…」
「経営不振を考慮し、地元出身の高卒の優秀な選手を…千葉直樹や中島浩司がその典型…」
などと構成を考え始めた。しかし、私の文章の常だが、議論は必ず脱線方向に進む。
「当時のブランメルに限ったことではないが…即効的に強化を図ったクラブは、強引な選手加入で、チームそのものが混乱するのみならず…巨額の負債を抱えてしまい…」
「一方で東北新幹線開通に伴い、中央資本が大量に仙台界隈に流れてきた経緯から…知事と市長が逮捕されると言う前代未聞の…」
「考えてみれば、リトバルスキは1FCケルンで、オルデネビッツはブレーメンで、越後和男は古河電工で、日本人欧州プロ第1号の奥寺康彦とチームメートであり…」
そうなってしまうと、
「清水秀彦氏のチーム改革…マルコスの大奮闘もあり…感動のJ1昇格を決め…」
と書くあたりで、既定文字数を遥かに超えてしまいそうなことに気がついた。いや、脱線せずに重要なエピソードに触れていくだけでも、文字数越えが起こりそうだ。これでは30年史ではなく、10年史になってしまう(笑)。
と言ってですよ。
では文章を圧縮し、ただただ歴史的な流れを追えばよいのか。いや、私の責務は違うな(笑)。やはり、どうでもよいことを、ネチネチ・クドクドを語りながら、愛するクラブの歴史を語る必要がある。何がしかの講釈は必要だろう、脱線は身を律して防ぐようにする必要はあろうけれど。
そうなると、重要なことはクラブ史の節目を厳選し適切することだ。ところが、これは意外に難しい。例えば
「前の監督に1億円の違約金を払っても、呼びたかった元日本代表監督が、算数ができなくて入替戦出場を逃した」
と言うエピソードは、クラブ史に残る事件だとは思うが、講釈を垂れ始めると相当な情報量となる
「その元日本代表氏は若くして代表のレギュラーだったが、一時は自クラブでも定位置を失い、30過ぎてから代表の定位置を奪い返した、そして…」
と言った美しい褒め言葉はよいのだろうが、
「しかしその元日本代表氏が就任時に連れてきた新卒選手が…リーグ終盤に抜擢した20歳の若手選手が…そう考えると元日本代表氏には『感謝の言葉を…』、いや冗談じゃねえよ…」
と言った講釈を垂れないと文章としては完結しない(笑)。そうなると止まらないですよね。
「違約金監督氏は、日本でも相当な実績を持つ学究肌だったが…後年別クラブで相当な実績を挙げながら更迭されると言う不思議な…」
「後日、元日本代表氏は本事案についてのインタビューで、自分が算数ができないが故の失敗を理解できていないことが判明…」
と言った本格的脱線も起こしそうになってしまうし(笑)。
そう考えると、監督について言及して歴史を編むのも一案かと考えた。
「初代監督の鈴木武一氏は、塩竈一中、仙台二高を経て読売クラブで活躍した名手で…」
「チーム成績はもちろんクラブの経営が低調なタイミングで就任した清水秀彦氏は…各選手にプロとしての厳しさを叩き込むと共に…」
「あと一歩で入替戦出場に迫った前監督望月達也氏の下、コーチを務めていた手倉森誠氏は…取材陣に明るく東北弁で語りかけることで…遂には梁勇基を軸としたチームでACL出場を果たしてくれた…中でもユアテックでFCソウルに完勝した試合は…」
「2014年シーズン序盤前任の豪州人監督を引き継いだ渡邉晋氏は、まずは伝統の堅守を復活させた上…次第にチームのレベルアップを行い…チーム全体でボール保持を行う攻撃的サッカーを完成…2018年シーズンには天皇杯決勝まで…」
と言う基軸でまとめればよいかと考えたのだが。ここで、ついつい脱線したがる自分がいる(笑)。
「鈴木武一氏と中学、高校、読売クラブとチームメートだった加藤久氏は、1980年代半ば日本代表の主将を務めた、日本サッカー界のレジェンドオブレジェンド…加藤氏は日本協会協会委員長としても辣腕を振るったが代表監督選考問題で日本協会を追われ…」
「清水秀彦氏はまだ関西で行われていた1972-73年シーズンの高校選手権決勝、浦和市立高校のCFとして…法政大で活躍した後、新興チームの日産(現横浜マリノス)に加入後は…冷静な守備的MFとしてこの強豪を…」
「手倉森誠氏は双子の兄弟浩氏と共に…1985-86年シーズンの高校選手権の清水商業戦…故真田雅則氏、江尻篤彦氏らがいた…鮮やかな直接FKを決め、直後のアジアユース大会では井原正巳や中山雅史と共に…住友金属(現鹿島アントラーズ)では…」
「渡邉晋氏は、桐蔭学園出身。当時の桐蔭学園は李国秀氏の指導の下、知性を発揮する選手が多く…渡邉晋氏の他にも…例えば長谷部茂利氏は…」
「ベガルタでは何の実績も残せなかったアーノルド氏だが…プレイヤとしてサンフレッチェでは…日本サッカー史上最高の『ジョホールバルの歓喜』直後のイラン対豪州戦では…2022年W杯で豪州を率い、実に粘り強い戦いで2次ラウンド進出を…」
などと考えると、どうにもまとまらないのだよね(笑)。
清水氏にも、手倉森氏にも、渡邉晋氏にも、ただただ感謝の言葉を捧げたいのだが…
そうなると、やはり選手を讃えることが最適と思い立った。私たちに彼らが見せてくれたバトルこそ、私たちの30年の歴史なのだから。そのような迷走を経て決断しました。決断することは捨てること。自分の中で迷走を重ねて作り上げた結論が以下となった次第。そのような思いで文章をまとめたものです。
(1) 千葉直樹、菅井直樹、富田晋伍、そして梁勇基を讃える。
(2) 一方で「忘れられない場面」を語る(例えば、ウイルソンとイルマトフ氏の出会いの悲劇)
(3) 目立たないが、感謝の言葉を捧げたい選手を讃える(典型例は木谷とフォギーニョ)
(4) 黎明期に貢献してくれた大スター(鈴木淳と越後和男)には言及する
しかしながら、後悔の思いは多い。言及できなかったスターたちについて、もっともっと語りたかった。ドゥバイッチ、シルビーニョ、岩本テル、佐藤寿人、磯崎敬太、萬代宏樹、林卓人、鎌田次郎、角田誠、赤嶺慎吾、石川直樹、ハモンロペス、三田啓貴、渡部博文、島尾摩天、奥埜博亮、西村拓真、永戸勝也、椎橋慧也、石原直樹、そして何より平岡康裕。いや、もっと感謝の言葉を捧げるべきスターはいくらでも。このようなスター選手たちに、幾度感謝の言葉を捧げたことか。でも、彼らは職業人として自らの市場価値を最大限にするために、ベガルタに貢献し、そして去っていった。そう言うことなのだ。
今回、ベガルタ30周年と言うお祭りに参加させていただき、相応の文章は書きました。でも、もっともっと書くべきことは残っている、いやこれからも増えていく、改めて、そのような思いを強く感じた次第です。
昨日の山形戦の完勝についても、いくらでも語るべきことはあるのだしね。
これからも、愛する故郷のクラブについて、皆さんと語り合えること、それが最高なのですよ。
ベガルタ仙台。
ありがとうございます。