2018年07月15日

決勝戦を前に

 決勝戦はフランス対クロアチア。
 ワールドカップを堪能し始めてから、12回目のロシア大会。決勝戦を直前に控え、過去の大会とは異なる思いを抱いている。それは、参加したと言う当事者意識、言い換えると悔しさと言うか心の重さが、過去の大会以上なのだ。言うまでもなく、今大会の我々は、従来以上純粋に列強の一角として戦うことに成功したからだ。

 10年南アフリカ大会も悪くはなかった。けれども、1次ラウンドで当たった(後に準優勝する)オランダには0対1の完敗、パラグアイの死闘は中々のものだったが、試合内容で他国の方々に決定的な印象を与えることはできなかった。 02年日韓大会では、地元大会ゆえ1次ラウンドの相手に恵まれた感があり(いま、思うとベルギーとロシアと同じグループだったのは、今大会を考えると感慨深いが)、敗退したトルコ戦も、何か消化不良感のある試合だった。
 けれども、今回は違う。戦闘能力差を見せつけられたのは事実だが、ベルギーに対しできる限りの抵抗を行い、日本独自のサッカーは、世界の人に大きな印象を与えたはずだ。だからこそ、準々決勝以降を観戦する際は、常に悔しさを感じながらのテレビ桟敷となった。もちろんね、もしあれ以上の幸運に恵まれ、アザール達に絶望感を味合わせることができたとしても、その後セレソン、レブルーと、新たな高い壁が次々に襲いかかってきたのだけれどもね。
 でも、こんな思いを持ちながら、堪能できる決勝戦は初めてだ。私は素直にその感情を楽しみたいと思っている。

 フランス。
 98年に地元大会で初優勝して以降、3回目の決勝進出。言うまでもないサッカー大国の1つだが、この国は70年代までは、サッカー界で大きな地位は占めていなかった。もっとも、58年大会でコパやフォンティーヌの活躍で準決勝で若きペレがいたブラジルに粉砕されるも、攻撃的なサッカーで3位となっていたと言うが、さすがに映像も何も見たことがないので。
 けれども、78年大会、若きプラティニ将軍を軸に久々に本大会出場(イタリアと地元アルゼンチンに惜敗し1次ラウンド敗退)すると、欧州屈指の強豪となる。そして、84年圧倒的な強さで欧州選手権を制覇、前後の82年、86年ワールドカップは、2回とも準決勝で西ドイツに踏みつぶされ、どうしても決勝に出ることができなかったが、特に86年の準々決勝ブラジル戦(PK戦でフランスが勝利)は、今なお史上最高の試合とも言われている。
 プラティニ以降も、90年代前半には、パパン、カントナとスーパースタアを輩出しながらも、代表はよい成績を収められない。プラティニ監督が率いた92年欧州選手権は大会前本命の一角と言われるも1次ラウンド敗退、94年USAワールドカップ予選は、最後の2試合で勝ち点1を奪えず、出場権獲得を失敗。当時の我々のドーハの悲劇が霞むような、大悲劇を演じる。余談ながら、94年のキリンカップはフランスを招待。世界25位決定戦(当時のワールドカップ出場国は24だった)と盛り上がったらが、パパンとカントナに1対4と粉砕されたのは懐かしい。
 そして98年地元大会では、カントナなどのベテランを外し、テュラム、デザイイ、ブラン、リザラスと言った歴史的な強力4DFの前に、闘将デシャン(現監督を並べる守備ラインが秀逸。その前に、若きジダンを配する布陣。サッカー的には地味で堅実なチームだったが、各種の幸運をしっかり手にして世界チャンピオンに。ただ、このチームは2年後の欧州選手権の方が強かった。98年には最前線でウロウロしているだけだったアンリが、大化けしたからだ。翌01年春先、親善試合で手合わせいただいたところ、重馬場に加え、開始早々の楢崎と松田直樹のミスで、0対5とボロボロにされてしまった。当時はアジアカップを圧倒的に制覇した直後だっただけに、試合前にユーラシア王者決定戦などとはしゃいでいたのが懐かしいな。もっとも、その前後のモロッコでのハッサン2世杯(2対2からPK負け)やコンフェデ決勝(0対1の負けでは、それなりの試合を演じたのだが。
 大会前は優勝候補筆頭とも騒がれた02年はジダンの負傷で早期敗退。、06年は大会当初不振を伝えられていたジダンが、大会途中から輝きを放ち、ブラジル、ポルトガルを撃破して決勝に。ジダン対カンナバーロと言う、サッカー史に残る矛盾対決を演じ、あの延長戦で…
 ジダン以降は若干低落傾向があったが、それは無理なきこと。12年10月にはパリの親善試合で、押されっぱなしながら粘り強く守り、終盤の逆襲から虎の子の1点を奪い勝ち切ったこともあったな。ザッケローニ氏采配が冴え渡っていた頃だ。その後、グリーズマンと言う新しいスタアを軸に、16年の地元開催欧州選手権では準優勝。そこに、エンバペが加わり、バランスのとれた強チームで優勝をねらえるところまできた。実際、ロリス、ヴァラン、ウムティティ、ボクバ、カンテで固める守備、グリースマンの才気に加えてエンバペの個人能力、そしてジルーの献身。00年に欧州を制覇したとき以来の強チームができあがりつつあるようにも思えてくる。
 フランスは強い。
 
 クロアチア。
 98年に我々が初出場した折に、1次ラウンドで同じグループになったとろで、「初出場同士」との少々残念な表現を目にすることがあった。もちろん、クロアチアと言う国で出るのは初めてだったが、この国(と言うか地域)の前身のユーゴスラビアは東欧のサッカー強国だったのは言うまでもない。ただ、いわゆる旧ユーゴスラビアと日本のチームはあまり交流はなかった。ただし、64年東京五輪の準々決勝敗退国同士の大会で対戦、1対6で完敗している。うち2失点を決めたのは、イビチャ・オシムと言う選手だった。
 70年代以降、ユーゴスラビアは常に東欧の強豪と言われ、74年、82年のワールドカップ、76年、84年の欧州選手権それぞれに出場、本大会前に上位進出が予想されながら勝ち切れない位置どころだった。その流れを打ち破ったのが、90年イタリアワールドカップ。イビチャ・オシム監督に率いられたユーゴスラビアは、準々決勝で退場者を出し10人になりながら、再三アルゼンチンゴールを脅かし、最後はPK戦で散る。攻撃の中心は若きピクシー、ストイコビッチ。そして、プロシネツキ、ヤルニ、シュケルと言った、後日クロアチア代表として活躍する選手もメンバに入っていた。そして、92年欧州選手権は優勝候補と言われながら、始まった内戦により出場停止処分。そして、ユーゴスラビアと言う国は、いくつかの小国に分離されていく。
 そして98年フランス。初出場の我々はアルゼンチンに0対1で敗れた後に、クロアチアと対戦する。灼熱のナントで行われた試合は、予想外にクロアチアが守備を固め速攻を狙ってきた。クロアチアは大エースのシュケルにいかに点を取らせるか、一方我々は全盛期を迎えていた井原正巳が最終ラインでいかに敵の攻撃を止めるかが、それぞれテーマのチームだった。この2人を軸にした両国の壮大な対決は、シュケルに軍配が上がる。77分、中盤で中田と山口の軽いプレイからボールを奪われ、その第一波を井原が防ぐもまた拾われ、さらにシュケルをマークしていた中西が敵にアプローチを妨害されたところで、シュケルに反転シュートを決められたのだ。当時レアル・マドリードで試合出場機会を減らしていたシュケルは、この一撃で調子を取り戻し得点王に、そしてクロアチアもベスト4に駆け上がっていく。前半日本は、相馬や中山が決定機をつかむなど、それなりの抵抗はできていたのだが、チームとしての戦闘能力には格段の差があったのも確かだった。
 06年ドイツでも、1次ラウンドで日本はクロアチアと同じグループとなる。両国とも初戦を落としての戦いとなったが、前半主将宮本がブルゾのドリブルに対応しきれずPKを提供するが、スルナのキックを川口が防ぐ。後半、加地の突破から柳沢が決定機をつかむものの決められず、0対0の同点に終わってしまう。その後クロアチアは最終戦で豪州に勝てば2次ラウンド進出だったが、2回リードを奪うも追いつかれ敗退する。最終戦ブラジルに完敗した日本と合わせ、両国とも不完全燃焼気味の敗退劇となった。
 その後世代交代で今一歩の成績だったクロアチアだが、モドリッチ、ラキティッチ、マンジュキッチらが台頭、16年の欧州選手権では上位進出も期待されたが、2次ラウンド1回戦、ポルトガル相手に圧倒的攻勢をとりながら、どうしても1点が奪えない。延長終了間際、勝負どころで猛攻をしかけたところで、クリスティアーノ・ロナウドを起点とする逆襲速攻を許し失点。またも上位進出はならなかった。
 そして、迎えた本大会。正に全盛期、世界最高のMFと言っても過言ではないモドリッチを軸に、戦闘能力では大会屈指であることは、誰もがわかっていたが、勝利の経験に欠ける点のみが不安視されていた。しかし、いきなり1次ラウンドはアルゼンチンへの完勝を含む3連勝。そして、2次ラウンドに入ってからは、毎試合のように前半序盤に失点しながら、モドリッチを軸に慌てずに両翼から攻め込み、驚異的な勝負強さを発揮し、とうとう決勝まで駆け上がってきた。
 クロアチアは粘る。

 この決勝戦。常識的に考えればフランスが優位だろう。フランスは2次ラウンドの3試合をすべて90分で終え、さらに準決勝から中4日。、クロアチアは3試合すべて延長120分を戦い、準決勝からは中3日。クロアチアはモスクワからの移動がなかったところだけは有利だが、コンデイション面ではフランスが有利としか思えない。
 ただし、フランスの最大の強みは、ボクバ、カンテの強力な中盤にあり、アルゼンチンもウルグアイも、そしてアザールを擁するベルギーも、そのプレッシャから円滑に抜け出し、攻撃を組み立てるのに苦労していた。しかし、クロアチアにはモドリッチがいる。モドリッチならば、ボクバやカンテが中盤で寄せてくる前に、左右に展開することが可能にも思える。もちろん両翼から崩されても、ヴァランを軸とする守備はそう簡単に崩れないだろう。しかし、クロアチアは両翼から執拗に攻め込んで最後崩し切って、ここまで来たチーム。グリーズマンを軸とする攻撃が、クロアチアの堅陣を崩せないまま時計が回ると、試合は相当もつれていくことだろう。
 デシャン氏は、そのことがわかっているだろうから、カンテのポジションを前に上げ、モドリッチを止めようとする選択肢もあり得る。けれども、ここまでうまく行ってきたチームのバランスを崩巣と言うリスクを冒そうとするだろうか。デシャン氏にとっては、試合前から優位を伝えられているだけに、難しい試合となりそうだ。
 おもしろい決勝戦を期待したい。

 私は、クロアチアを応援する。理由は簡単、ワールドカップを見始めたころのアイドルだったクライフに、ちょっと風貌が似ているモドリッチが大好きなので。
 冒頭述べた通り、44年間のワールドカップ体験で初めての、悔しい思いを抱きながら臨む決勝戦だ。どのような体験ができるだろうか。
posted by 武藤文雄 at 23:47| Comment(1) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月08日

でも、勝ちたかった

 私は、CKを蹴る本田圭祐のはるか後方2階席にいた。
 本田のキックがやや甘く、ベルギーGKクルトワが飛び出し、パンチングではなく、キャッチしようとする体勢なのがよく見えた。クルトワが捕球する直前、聞こえるわけがないが、私は絶叫した。
「切り替えろ!」
 日本の選手達も同じ考えなのはよくわかった。しかし、赤いユニフォームの切替が、青い我々の戦士よりも、コンマ5秒ほど早いのも、よく見えた。その約10秒後、反対側のゴールで、若い頃からの夢が完全に実現するのを目の当たりにすることになる。そして、このコンマ5秒差こそ、ここ25年間ずっと抱き続けてきた「近づけば近づくほど、具体化されてくる差」そのものだったのだ。

 私のワールドカップリアルタイム?経験(実際には1日半遅れの新聞報道をワクワクして待って行間を夢見る日々だったが)は、クライフとベッケンバウアの西ドイツ大会から。大会終了後、サッカーマガジンとイレブンを暗記するまで読み込んだ折に、「4年前の70年大会はもっとすごかった」との報道を目にした。そこで、図書館に行き、70年当時の各新聞の縮刷版を調べることとした。そこで、知ったのは準決勝のイタリア対西ドイツの死闘。子供心にも思いましたよ。「いつか、このワールドカップに出る日本代表を見たい、そしてこのような死闘を演じるのを見たい」と。
 それから20余年、マラヤ半島の先端ジョホールバルと言う都市で夢は叶った。ただし、日本が、イタリア対西ドイツを演じることは中々難しかった。8年前、南アフリカでのパラグアイ戦は、それに近い戦いだった。ただ、相手が世界のトップと言えるかと言うと少々微妙だった。けれども、今回のベルギーは正に世界のトップレベル、優勝経験こそないが、プレミアリーグのエースクラスがズラリと並び、80年代は欧州でも最強クラスの実績を誇っていた歴史もある。そして、このロストフ・ナ・デヌと言うアゾフ海そばの美しい都市で、私の子供の頃からの夢は叶ったのだ。ワールドカップ本大会で、大会屈指の強国と丁々発止をすると言う夢が。
 本稿では、あの絶望的な最後の10秒間を含めた約95分間の至福の時間を、40余年のサッカー狂人生と共に振り返りたい。なお、ハリルホジッチ氏だったならば論と、西野氏への土下座については、別に書く。本稿は、あくまでも、あの試合への感情を吐露するまで。

 あのコンマ5秒差。これが、戦闘能力差、実力差なのだ。
 試合後、結果を見て、本田はコーナキックをもっとゆっくり蹴って時間を稼ぐべきだったとか、トップスピードでドリブルしてくるデ・ブライネを止められなかった山口蛍を責めるなどの議論があるようだ。
 あの時間帯でゆっくりCKを蹴ろうとすれば、主審がタイムアップの笛を吹くケースは結構ある。大昔だが、78年ワールドカップ1次ラウンドのブラジル対スウェーデンでアディショナルタイムにネリーニョのCKをジーコがヘディングで決めたが、キックの前に主審が試合終了の笛を鳴らしノーゴールとなったことがあった。最近でも、09年の南アフリカ予選、敵地ブリスベンの豪州戦で、当の本田がゴール前の直接狙えるFKに時間をかけ過ぎて蹴らせてもらえなかったことは、どなたもご記憶だろう。
 直前の本田の直接FKはすばらしい弾道を描いたが、クルトワに防がれた(何か、本田の有効な直接FKは、南アフリカデンマーク戦以来8年ぶりではないかとの感慨もあったが)。その直後のCKである。残り時間僅かな中、ベルギーにイヤな印象を与えているこのCKで難敵ベルギーを崩そうと言う考えは実に真っ当なものだ。しかし、「崩そう」からの切り替える早さで、完全にベルギーにやられてしまった。これは上記した通り、戦闘能力差、実力差なのだ、駆け引きの差ではない。日本の選手も、それなりに反応していたのだ。でも、どうしようもない差だった。
 勝負はデ・ブライネが完全に加速した時についていたのだ。あの加速し、さらに3方向にパスコースを持つデ・ブライネを、どうやって蛍に止めろと言うのか。カゼミーロならば、あるいは往年のフォクツや、当時のルールのジェンチーレや、昔年のドゥンガや、全盛期のマスケラーノや、もしかしたら今日のカゼミーロならば対応可能だったかもしれないが。いや、カンナバーロならば確実に止めていたかな。さらに蛍がファウル覚悟で対しても、あの加速は止まらなかったかもしれない。さらに、あそこで蛍が退場になったら10人で残り30分をあのベルギーと戦わなければならない。そして、残念なことに、蛍はマスケラーノでもカゼミーロでもない。できる範囲で、ディレイを試みた蛍は、正しかったのだ。それにしても純正ストライカのルカクがあそこでスルーをするとは。
 今の日本選手は、過去になく多くが欧州五大リーグ、あるいはそれに順ずるリーグの各チームで、中心選手として活躍している。欧州で実績を挙げながら、今回23人に残れなかった選手も多い。過去、ここまで多くの選手が欧州で評価された時代はなかった。それが今大会の好成績につながったのは間違いないだろう。けれども、残念ながら、欧州チャンピオンズリーグの上位常連クラブ(いわゆるメガクラブ)で中心選手となった、いや定位置をつかんだ選手はまだいない。一方、ベルギー代表はプレミア選抜のようなものだから。その差が出たとしか言いようのない10余秒だったのだ。
 ついでに言うと、今の日本選手では、あのような長駆型速攻は難しいようにも思っている。日本では、5から10mのごく短い距離のダッシュが得意な選手は多いが、数10mの距離は必ずしも速くない選手が多いからだ。もちろん、例外はあり、かつての岡野や最近の永井謙祐のようなタレントもいることはいるのだが。
 まったくの余談。韓国には、朴智星、孫興慜と言った日本選手よりもランクの高いクラブで活躍した選手がいる、車範恨、奥寺時代を含め、ちょっと悔しい。もっとも今大会韓国がどうだったのか、もうドイツ人除けば世界中の誰も覚えていないだろうけれども。

 2点差を守れなかったことについて。日本固有の課題もあったし、当方の準備不足もあった。
 少なくとも今の日本代表には、上記した選手の活躍の場の相違と言う「格の差」とは、別な課題がある。それは体格、体幹の差、フィジカルフィットネスの差だ。たとえば、今大会、ロシア、スウェーデン、アイスランドと言った国が、見事な組織守備で強豪と戦った。ロシアがスペインをPKで粉砕する試合は生で観戦する機会を得たし、プレイオフでイタリアがスウェーデンに屈する試合はテレビ桟敷で堪能した。このようなサッカーで、欧州や南米の列強に対抗するのは、今の日本には不可能ではないか。選手のフィジカルが違い過ぎるのだ。前述したロシア対スペイン、7万大観衆のロシアコールの下、疲労困憊したロシアイレブンの奮闘は感動的だったが、私は一方で羨望も感じていた。どの選手も大柄で、プレイイングディスタンスが広いのだ。後方に引いてブロックで守備を固め、ゾーンで網を張るやり方は、失点しないためには有効なやり方だ。けれども、今の日本では、ワールドカップでああ言ったやり方では守り切る事は難しい。疲労してくると、プレイイングディスタンスの限界から、ゾーンの網がほころびてしまうと思うのだ。なので、2点差となった後に、後方に引きこもった守備を行うのは、得策には思えない。
 もちろん、一方で日本は、ごく短い距離の速さや、相手の意表をつくドリブルや短いパスの名手が多く、ロシアやスウェーデンからすれば、我々を羨望するところではあろうが。
 試合後、一部の方々が、「フェライニ投入後に、植田を投入するべきだった」と述べている。しかし、フェライニが投入されたのは、65分だったのだ。残り25分(実際はどの試合もアディショナルタイムがあるので30分)、CBを増やした布陣、つまり前を薄くした布陣で、守り切れるとは思えない。残り5分くらいまで、1点差で行って、ベルギーがえぐるのを諦めて放り込み始めたならば、そのような選択肢もあっただろうが。
 では、どうすればよかったのか。採るべき手段は、ラインをまじめに上げて、コンパクトにして粘り強く戦う、つまり戦い方を変えないことしかなかったと思う。実際、フェライニ(とシャドリ)投入後、ベルギーが無理攻めを開始後は、前半以上に日本にも逆襲のチャンスも出てきた。香川のスルーパスから酒井が抜け出した場面で、もう少し中央との連係がとれていればとも思うではないか。すべてはお互いの攻守のバランスなのだ。
 そこで、今回のチームの準備不足問題に突き当たる。今回の日本代表はすばらしかったけれども、守備面では課題が多かった。過去のワールドカップでの大会別の平均得点と失点を以下まとめた(小数点1位で四捨五入)。
98年 0.3 1.3
02年 1.3 0.8
06年 0.7 2.3
10年 1.0 0.7
14年 0.7 2.0
18年 1.5 1.8
 今大会の得点力が他大会をより優れていたこと、一方で守備については過去と比較して普通だったこと、それぞれがわかる。失点については、2次ラウンド進出に成功した02年、10年はおろか、98年よりも悪くなっているのだ。しかも98年は、戦闘能力では大会随一と言われたアルゼンチンと、最終的にベスト4にたどり着くクロアチアと同じグループ。また、当時の日本人選手の個人能力も、02年以降と比べるとまだまだで(10代の頃からプロフェッショナルになろうと決心した選手が揃うのは、02年以降)、攻撃力はそこそこあるが守備力は怪しい選手も多かったのを、井原正巳の圧倒的個人能力でまとめた守備ラインだった。そして、今大会はそれよりも失点が多かったのだ。
 2点目の失点は現場では、逆側のゴールだったこともあり、何がまずかったのかはよくわからなかった。試合後、しっかり画像分析している方が整理してくれているのを見たが、選手間でラインコントロールでのずれがあったようだ。ある意味、今大会の守備ラインを象徴していると言えるだろう。そう考えると、1点目直前の混乱にしても、ポーランド戦の失点、セネガル戦の1点目など、守備者間の意思疎通がもう少しあれば防げたものも多かった。要は、守備選手同士の連係が不足していた訳である。
 現実的に西野氏に与えられた準備期間の短さを考えると、これはしかたがないようにも思う。この準備期間の短さ問題(つまりハリルホジッチ氏解任問題)については、別にまとめる。ただ、2失点を守れなかったことは、今回の過程で作られたチームの必然だったのかとも思う。
 余談ながら、やり方を変えず、最終ラインの連係が時に崩れたとしても、守備力を強化する手段として、「人を換える」と言う手段があったとは思う。しかし、これまた時間不足で、山口蛍や遠藤航を使った守備強化をする余裕がなかったのだろう。私が思いつくのは、槙野を香川に代えて左DFに投入、長友を左サイドMFに、乾をトップ下に回すくらいだろうか。あとは、一層の切り合いを目指し、香川か原口に代えて武藤を投入し右サイドを走らせるか。いずれにしても、リスクを含む手段であり、メンバを替えずに我慢する方が選択肢としては安全だったように思う。そう考えると、同点にされても80分まで我慢して、原口→本田、柴崎→蛍、と言う交替は、相応に合理的だったと思う。この交替については後述する。
 ここで、まったく無意味なIFを3つ語りたい。サポータの戯言である。もしボール奪取とボール扱いに両立した井手口がクラブ選択を誤らず、昨シーズン同様のプレイを見せてくれていれば。もし西野氏が、中盤前方での守備がうまい倉田秋を選んでいれば。そして、2シーズン前に世界最高の守備的FWとしてプレミアを獲得した岡崎の体調がベストであれば。

 一方で、今大会の日本の攻撃はすばらしかった。
 コロンビア戦。大迫は個人能力で敵DFを打ち破り、香川の一撃と併せ、早々にPKを奪った。本田の正確なCKからの大迫の完璧なヘッド。セネガル戦。柴崎の美しいロングパスを受けた、長友と乾の連係。大迫の妙技によるクロスからの岡崎らしいつぶれ(とつぶし)、本田の冷静さ。
 いずれの得点も、各選手の特長が存分に発揮された美しいもので、それぞれの場面の歓喜を思い起こすだけで、今でも目が潤んでくる。いずれも、日本の強みである、素早い長短のパスによるショートカウンタからのもの。短い準備期間で作られたチームが、次第に完成していくのがよくわかった。しかも、このようなサッカーは、日本中の少年サッカーで、毎週のように行われているものだ。言わば、よい意味での日本サッカーの特長が発揮されつつあったのだ。
 そしてベルギー戦。前半を耐え忍んで迎えた後半序盤の2発。柴崎のパスで抜け出した原口の妙技。香川との連係からの乾の一撃。いずれも、最高レベルのものだった。追いつかれた後も、我慢を重ね速攻をしかける。80分の本田、蛍の投入も、本田の守備面のマイナスを蛍がカバーし、柴崎がいなくなった攻撃力を本田の技巧で補完しようという意図は奏功しかけた。実際、終盤本田と香川の連係を軸にいくつか好機をつかめたのだし。

 一部に02年に互角に近い戦闘能力だったベルギーと、大きな差をつけられたことを悲観する方がいるようだ。けれども、ベルギーは80年代から90年代前半にかけては、ヤン・クールマンス、エレック・ゲレツ、エンリケ・シーフォと言ったスーパースタアを擁し、欧州屈指の強豪だった。そのような古豪が、02年の日本大会以降出場権を得られなかったことを反省し、若年層育成に合理的に取り組み、優秀な選手を多数輩出してきたと言うことだろう。我々の歴史や努力を卑下する必要はないが、先方は先方で大変な歴史の厚みを持っての成果なのだ。焦る必要はない。
 一方で、近づけば近づくほど、具体的になる差。その差を埋めるのは容易ではないことも間違いない。しかし、差が具体的に可視化されれば、たとえその道は遠くても、課題解決に進むことはできる。考え方は2種類ある。長所を伸ばすか、短所を解消していくか。
 今の日本の長所をさらに伸ばし高みを目指す行き方。もっともっと選手の技巧と判断力を高め、敵がどのような布陣を引いてきても、一定時間以上ボールキープができれば対抗は可能になる。ブラジルやアルゼンチンが何が起こっても、どのような相手でも、毅然としたサッカーを演じられるのは、そのためだ。
 ベルギーとの戦いを通じて、長駆型の速攻と後方に引いた守備の難しさを論じた。けれども、原口のように長距離の疾走後にもう一仕事ができるタレントが多数いれば、タッチラインを一気に走る抜ける速攻が可能になれるのではないか。酒井宏樹のように技術と判断力に加え体格にも優れたタレントが揃えば、ブロックを固める守備を世界の列強に対してやれるようになれるのではないか。
 いずれのやり方も、容易な道ではない。いや、「これは無理なんじゃないですか」とも言いたくもなるような話だ。しかし、ベスト8を、さらにその上を目指すと言うのは、そう言うことだろう。まだ我々には学ばなければならないことが無数にあるが、ここまで来られたから、その差が具体的になったのだ。
 焦らず、野心的に、粛々と上を目指し続けることは、楽しいことだ。

 一方で。
 冒頭で述べたように夢は叶った。そして、その叶った夢は、あまりに悲しく絶望的なものだった。
 以前も述べたが、ベスト8に入るためには、ベスト16に残らなければならない。それがいかに難しいことなのかは、我々は十分に経験している。だからこそ、今回のような好機が次にいつ訪れるのか、絶望的になる思いもある。あの不運な1失点目がなければ、本田のFKがもっといやらしく変化していれば、などと、今でも考えずにはいられない。
 しかし、過去も幾度か述べてきたように思えるが、思うようにならないから、サッカーは楽しいのだ。ドーハの悲劇について述べたことがある。誰かが命を落としたわけでも、傷ついたわけでも、多額の資産を失ったわけでもない。それでも、あれだけ悲しい思いを味わうことができるのだ。そして、またも。
 我ながら幸せな人生だと思う。このような経験を積むことができたことに、ただ、ただ感謝したい。ありがとうございました。

 でも、でも、勝ちたかった。
posted by 武藤文雄 at 23:31| Comment(2) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月02日

ベルギー戦を前に

 6回連続出場、3回目の2次ラウンド進出成功。

3度の2次ラウンド進出は、アジア史上初めてのはずで、何とも誇らしい。サッカーに浸り切って40余年、私達はとうとうここまで来たのだ。

だからこそ、このベルギー戦は勝たなければならない。何としてもベスト8に進出すると言う、新たな成功体験を積むのだ。当たり前の話だが、ベスト8に進出するためには、ベスト16にまで到達するのが必要だ。そして、その必要条件を満たすまでが、いかに大変かと言うことを、我々は存分に経験している。そして、今回はその大変なことの実現に成功したのだ。この好機を活かさずしてどうするのだ。


確かにベルギーは強かろう。けれども、1次ラウンドを見た限りでは、各選手が圧倒的な個人能力の高さを誇るが、その連動性は十分にはしあがっていないように思えた。

いつものことだが、各選手が丁寧に位置取りを修正し続け、身体を張り、粘り強く対応することで、敵に提供する好機の数を減らすこと。柴崎に前を向かせる工夫を重ね、大迫が受けやすい状況を作り、乾と長友、原口と酒井宏樹を連動させること。これらをやり続ければ、活路は必ず開けるはずだ。

また、歴史的にベルギーとの相性はよいのだ。記憶頼りだが、敗れたのは昨年が初めてのはず。岡田氏の時はキリンカップで大差で、ザッケローニ氏の時には敵地で、それぞれ勝利している。もちろん、当時とはメンバが随分と異なるが、歴史的に見ても、我々の欧州国との相性は、南米よりは悪くないのだ。


ポーランド戦の終盤の戦い方が議論となっていると言う。これはこれで、けっこうなことだ。我々の論点はただ一つで、「セネガルが同点とするリスクをどう見たか」と言うことのみだ。私は現場にいて、セネガルの試合はスコア以外は何もわからず、西野氏の判断の是非をどうこう言える立場ではなかった。しかし、西野氏はしっかりと結果をつかんだ。現場の責任者が、己のリスクを掛け、その賭けに勝ったのだ。見事なものではないか。

ただ、我々サッカー狂とは異なる方々が、異なる視点でものを語るのは理解できなくはない。彼らは、我々と異なり、サッカー狂ではないのだから、「これでは面白くない」とか「このやり方が公正なのか」など、我々とは異なる視点からの意見もあるのだろう。多様な意見があるからこそ、世の中はおもしろいのだ。そして、ワールドカップと言う世界最高のお祭りは、このような多様なものの見方をする方をたくさん集めることができる。結構なことではないか。

彼らが、この機会にサッカーと言う底なし沼の魅力を持つ娯楽に触れてくれればそれでよい。そのうち何人かは、この底なし沼にはまってくれるかもしれないし。


また、大会直前の監督人事についても触れておこう。

私はあの更迭劇は、何ら合理性はなかったものと考えている。だからと言って、ここまでの西野氏の手腕を否定するのはおかしいだろう。確かに、ポーランド戦終盤、他力本願に追い込まれたのは、残念だった。けれども、いくつかの幸運をしっかりつかみ、不運を丹念にはね返し、西野氏はここまで我々を導いてくれた。これ以上、西野氏に何を望むのか。

以前よりしつこく述べて来たように、私は西野氏が大嫌いだ。だからこそ、この2次ラウンド進出と言う偉業を成し遂げてくれたことに対し、心より土下座し、感謝の念を捧げたいと思っている。この土下座行為については、大会後じっくりと作文したい。


ロストフ・ナ・ドヌと言う都市は、ドン川がアゾフ海に流れ込む河口近くの湿地帯。ロシアと言うよりは、地中海世界を思わす、キラキラした輝きにあふれる都市だ。

この美しい都市で、我々は偉業を達成する。そのスタジアムの片隅にいられることに、興奮を禁じ得ない。私は今から、長谷部とその仲間たちと共に戦い、歴史の一員となる。

posted by 武藤文雄 at 23:24| Comment(9) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月28日

ポーランド戦を前に

 ポーランド戦に向け、ボルゴグラードに向かうバスの中で。


 ポーランドと言えば、74年西ドイツワールドカップだ。

 私がサッカー狂になりかけていた中学2年生、言うまでもなく最大の憧れはヨハン・クライフであり、最大の尊敬はベルディ・フォクツだったわけだが、ポーランド代表も忘れられないチームだった。

 右ウィングのグジェゴシュ・ラトー(大会得点王)と左ウィングのロベルト・ガドハのスピードと突破がすばらしかった。ガドハの高精度CKを、飛び込んだ小柄なラトーがニアポストからヘディングシュートで決める美しさと言ったら。また、同大会で2本のPKを止めた長身GKのトマシェフスキも忘れ難い。

 82年のボニエクのチームもすばらしかったが、やはり私にとってのポーランドは、74年のチームだ。あれから44年、11ワールドカップが経ったのか。

 2002年の大会準備で、トルシェ氏が率いる日本が、高原と中田の得点で完勝したのは、記憶に新しい。当時は「あのポーランドに敵地で勝てるようになったのか」と感動したものだ。


 そして、きょうを迎える。

 先方がグループリーグ敗退が確定しての3戦目と言うのは、少々予想外だったが、レバンドフスキを抱えるチームが弱いわけがない。ここ20年来の日本代表の特長である、中盤での厳しく丁寧な組織守備で戦い切り、2次ラウンド出場権を獲得したいところだ。

 直前の監督交代劇と言う、合理的には説明しづらい人事もあった。

 一方で、元々今回のチームは、いずれのポジションも穴がない。02年はチーム全体の若さ、06年は左サイドと監督、10年は点取り屋、そして14年はCBと、チームとして弱みがあったが、今回はそれがほとんどない。多くの選手が複数年欧州のクラブで実績を積んでいるのも、それを裏付けている。これは、日本の津々浦々で、少年たちにサッカーを教えている我々の勝利とも言えるものだと、自惚れている。

またチーム全体のコンディショニングが上々なのも見事なものだ。特に負傷からの回復が心配されていた酒井宏樹、乾が間に合ったのみまらず、見事なプレイを見せてくれているのが、その典型となる。

今日の試合、ポーランドは、日本の攻撃の起点となっている柴崎をつぶすと共に、長友、酒井宏樹の両翼に人数をかけて押さえに来るだろう。そこを

どのように対処し、自分たちのペースの時間帯を増やすか。これまで、「秘密兵器」として隠していた?、武藤と大島をどのように使うのかも興味深い。特に、「武藤よ、頼むぞ」、私にワールドカップ本大会での、同姓の選手の得点と言う歓喜を味あわせてください。


 現地は猛暑とのこと。

 3試合目の選手たちには、相当厳しい条件となるだろう。けれども、彼らにすれば、今日の試合ほど、自らの誇りを発揮できる機会はないはずだ。我々も灼熱の中、でき得る限りの声援を送ります。

 がんばりましょう。 

posted by 武藤文雄 at 19:47| Comment(1) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月24日

エカテリンブルグに向かう道で

 いきなり初戦で勝ち点3獲得と、理想的に大会をスタートできた。

 相手が10人になってしまったのが幸運だったのは間違いないが、その退場劇を生んだのは大迫の見事な個人技と、香川の落ち着いたシュートの賜物である。日本が適切な攻撃で、コロンビア守備網を破ったから、この幸運が舞い降りたのだ。

 また、後半の戦い方はとてもよかった。10人で後方に引いたコロンビアに対し、素早く左右にボールを回しながら、大迫の格段の引き出しのうまさを活かし、両サイドで数的優位を作り、幾度も好機を生むことができていた。人数が減ったチームに守備を固められて攻めあぐむことがよくあるが(典型例が、ブラジル大会のギリシャ戦)、この日の日本はとてもよかった。各選手の相互理解と体調は上々、よい状態で大会に入れたと言うことを素直に喜びたい。

 前半、中途半端な攻撃を試みてコロンビアの速攻に悩まされたことを非難する向きがあるようだ。確かにあのような状況では、後方でじっくりボールを回し、コロンビアを前に引き出せばよかっただろう。けれども、晴れのワールドカップの初戦で、いきなりPK退場で先制してしまったのだ。我らが代表選手達は機械ではなく人間である。そこまでリアリズムに走れなかったことを、私は否定しようとは思わない。

 また体調不良のハメスを投入した、敵将の失策を指摘する方もいるようだが、私はそうは思わない。あれだけ日本が攻勢をとっていたのだ、あれを放置したら、いつか失点していた可能性は高い。ペケルマン氏が、ネームバリューがある(さらに、日本にとっては4年前のトラウマもある)タレントを前線に起用し、日本が後方により気を使う状況を作ろうとしたことは、1つの考え方だったろう。氏が何もしなければしないでも、あの日本の勢いある攻撃をコロンビアが止め切れたとは思えない。

 ともあれ、日本は幸運をよく活かし(怪しげな判定のFKによる失点と言う不運もあったが)、初戦勝ち点3獲得と言うベストに近い結果を残すことができた。しかも、ほぼ90分間に渡り10人の相手と戦ったため、次戦の相手セネガルは、日本がどのように戦ってくるかの予想が非常に厄介な状況となっている。これらを含め、まずはめでたいことだな。


 昨晩は、エカテリンブルク近郊のチャリビンスクと言う町に泊まり、競技場に向かうバスの中。一本道の左右は、白樺の森か草原が果てしなく広がる。このあたりの白樺は、ロシアでも最も白く美しいことで有名とのこと。


ちょっと豆知識。

セネガル戦が行われるエカテリンブルグは、大昔は流刑地で、ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世一家が惨殺された都市とのこと。と言う事で、モスクワ行きのアエロフロート内で「最後のロシア皇帝(植田樹著)」と言う本を読んだ。絵に描いたような付け焼き刃w

エカテリンブルクはウラル山脈の東で、当時のロシア人からすればシベリアの一角。

 ソビエト革命政府が逮捕していた皇帝一家をエカテリンブルク近傍の地に送る決定をしたとのこと。その背景がすさまじい。帝政ロシア時代、歴代の皇帝により、多くの革命家や進歩的知識人が同地近郊に送られた。ニコライ2世もレーニンを含む多くの革命家をシベリア送りにしていたそうだ。

そして、ロシア革命の成功で、多くの革命家がシベリアから解放され、首都のペテログラードに帰ってきている。逆に、そこにニコライ2世一家を送り込むことそのものが、革命家たちの圧政者への報復だったとのこと。

 ロマノフ朝が滅びた要因の一つに、日露戦争があったことはよく知られている。その最後のツァーリ(皇帝)一家が流され惨殺された都市で、私達がアフリカの強豪とあいまみえる。このような地に、ニコニコと皆が集まり、サッカーと言う究極の娯楽を楽しもうとしている。

 歴史の雄大さと平和の尊さを感じずにはいられない。


 などと考えると、今晩の歓喜が一層のものになるのではないかと。

 いま私にできることは、長谷部とその仲間たちが全力を発揮してくれるべく、声を枯らすのみ。

 がんばりましょう。


posted by 武藤文雄 at 17:17| 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月29日

元日本代表監督石井義信氏逝去

 元日本代表監督石井義信氏が亡くなった。ご冥福をお祈りいたします。。
 石井氏は、86年からから87年にかけて代表監督を務め、当時の目標のソウル五輪出場にあと一歩のところで、中国に破れ、退任した。

 70年代後半に釜本が去った後の日本代表は、とてもではないがワールドカップ予選はおろか、五輪予選を突破できる戦闘能力はなかった。しかし、80年代前半から、日本全国に普及した少年サッカーのおかげで、しっかりとボールを扱える選手が増え、それなりにアジアで勝てるようになっていた。そして、85年のメキシコワールドカップ予選では、森孝慈監督が、加藤久と宮内聡を軸とする堅固な守備から、木村和司の好技を活かす見事なチームを作り、本大会まで後一歩まで迫ったのは、皆様ご存知の通り。そして、敗退後、森氏は自らのプロ契約を日本協会に要望するが、当時の日本協会首脳に拒絶され野に下る。
 その後任として、石井氏が代表監督に就任する。石井氏はフジタ(ベルマーレの前身)の監督として、見事なチームを作った実績があった。特に77-78年シーズンは、平均得点3.6、平均失点0.9とJSL史に残るすばらしいチームだった。今井敬三の守備力、最終ラインから攻め上がる脇裕司、中盤の将軍古前田充の展開、マリーニョ(後に日産で活躍)とカルバリオの得点力、魅力的なチームだった。
 当時の日本代表は、メキシコまであと一歩に迫ったチームだったが、どの選手もまだ20代半ばでこれから全盛期を迎えようとしていた。そして、欧州から奥寺が帰国、さらにはユース年代時代から期待された堀池巧、越後和男、武田修宏などのタレントも登場していた。しかも、ソウル予選には最大の難敵である韓国が不在。久々の五輪出場権獲得に向け、石井氏の手腕への期待は大いに高まっていた。

 しかし、石井氏は予想外の采配を振るう。
 極端な守備的サッカーを目指したのだ。これは、就任後数ヶ月で迎えたアジア大会で、イラン、クウェートに完敗したことも要因だったろう。また、木村和司が体調を崩し、日産で往時ほどの切れ味を見せられなくなったことも、要因だったのかもしれない。
 迎えたソウル予選。1次ラウンドのシンガポール、インドネシアとのH&A総当りは、苦労もあったが全勝で突破。中国、タイ、ネパールのとH&A総当りの最終予選を迎えた。最終予選の基本メンバは、いわゆる5-2-3.GKは経験豊富な森下申一。加藤久、勝矢寿延、中本邦治の3CB。堀池巧、奥寺康彦を両サイドに配し、守備的MFが都並敏史(本来サイドバックなのですが)と西村昭宏、水沼貴史が引き気味で右サイドに開き、原博実と手塚聡の2トップ。加藤を余らせて、後方の6人が厳しいマンマークで後方深く守りを固め、攻撃は水沼を基点として手塚を走らせるか、原にクロスを入れるかと言うやり方だった。石井氏は、戦闘能力的に互角と思われる中国に対してだけでなく、優位に立てそうなタイにも同じ やり方を貫徹した。
 守備力を主体とする選手を多く起用し、失点を最小限に止めようとするのは1つの考え方。しかし、後方の選手が前線に出すボールが、単調で精度を欠くものだったこともあり、その守備的な姿勢は少々極端なものとなった。

 けれども、チームは順調に勝ち点を重ねた。
 国立で行われたタイ戦は、水沼の鮮やかな得点で先制。以降、丁寧に守り、タイの大エースピアポンの強烈なシュートを森下がファインプレイで防ぐ。加藤を軸にした守備の組織力と安定感は、相当な完成度を見せていた。
 そして迎えた敵地広州での中国戦。数十人の好事家と参戦したこの試合は一生忘れられないものとなった。大柄な選手を並べ縦に強引に攻め込んでくる中国に対し、丁寧に守っていた日本は、前半半ばに敵陣右サイド深くゴールライン近くでFKを獲得。水沼が上げたボールに、原が完璧なヘディングシュートを決めた。原は、中国の名DF高升(ガンバの高宇洋のお父上)の厳しいマークを、見事な駆け引きで打ち破ったのだ。その後、中国は強引に攻め込むが攻撃は単調。特に中国自慢の右サイドの朱波を奥寺が完璧に押さえたのが大きかった。しだいに、広州のサポータは、自国の変化に乏しい攻撃に不快感を隠さなくなる。終盤の5分間、数万人の大観衆が沈黙し、我々数十人の「ニッポン、チャ、チャ、チャ」が 、大競技場を制覇したのは、忘れ難い思い出だ。

 後は国立で、引き分ければよかった。
 0対2で敗れた我々はソウルに行かれなかった。

 石井氏に言いたいことはたくさんあった。
 運命の国立中国戦。もう少し、柔軟な采配はできなかったものか。中国は朱波では奥寺を敗れないと見て、逆サイドから攻め込んできた。結果、堀池が引きだされ、水沼が守備に追われ、と日本にとって悪循環が続き、とうとう先制されてしまった。あの悪循環の時間帯、いくらでも対応策はあると思ったのだが、石井氏はその状況を我慢し続けた。たとえば、堀池と水沼の2人はゾーンで守ることを明確化する手段もあった。守備ラインならばどこでもプレイできる西村を、いったん右サイドに置く手段もあったはず。
 もう少し攻撃に変化をつけることも考えてもよかったはず。中国は、あそこまで守備的に戦うべき相手だっただろうか。
 石井氏が、木村和司を招聘しなかったのは、木村の守備力の欠如からだったのだろう(木村が85年当時より調子を落としていたこともあったけれど)。けれども、やはり木村は木村であり、使い方を工夫すれば、間違いなく敵に脅威を与えることはできたはずだ。
 FWの控えとして起用していた松浦敏夫は、2年連続JSLの得点王を獲得したストライカで、190cmの長身だったが、自分のチームNKKでは裏抜けの巧みさで得点を量産していた。それなのに、松浦を起用した際にクロスボールを多用したのは理解できなかった。
 もっと、攻撃面で実効力のあるタレントを選考する手段もあったはずだ。たとえば、JSLで実績を挙げていた、吉田弘(古河)、高橋真一郎(マツダ)、藤代伸也(NKK)、そして戸塚哲也(読売)など。
 かように、あれから30年の月日が経っても、そしてこの30年間当時は夢にすら見なかったすばらしいサッカー経験を積むことができても、敗戦を思い起こし悔しい思いができるのも、サッカーのすばらしいところだ。

 ともあれ、石井氏は、「ソウルへの道」の獲得のために、自ら創意工夫した道筋を明確に作り、その実行を試みた。そして、狙い通りのチームを作り上げ、目標まで、あと一歩、本当にあと一歩までこぎつけてくれたのだ。我々の夢をかなえかけてくれたのだ。
 歴史的には、85年メキシコ予選(木村和司のFK、メキシコの青い空)があまりに光彩を放っており、その直後の石井氏の冒険は、やや忘れられた感がある。しかし、上記つらつら述べてきた通り、その戦いぶりは、しっかりと日本サッカー史の記録されるべきものだ。
 上記の通り、私は石井氏のやり方にいくつか不満を感じていた。しかし、石井氏には明確な意図があり、それを丹念に具現化していく姿を一歩一歩見ることができた。監督の意図を理解しながら、自分の思いとの違いを飲み込み、切歯扼腕、眼光紙背を重ねながら、ともに戦う。この感覚こそ、サポータ冥利。石井監督は、それを2年間、じっくりと味合わせてくれたのだ。

 あれから30余年、7.5ワールドカップが経った。大観衆を圧倒した広州の夜の歓喜。豪雨の国立の敗退劇。水沼と森下に感涙したタイ戦。他にも、たくさんの試合で絶叫、失望、歓喜を味わった。
 石井さん、ありがとうございました。私は忘れません。
posted by 武藤文雄 at 23:27| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月16日

田嶋さん、あなたは何のためにリスクを背負ったのか

 四十余年、サッカーと言う玩具を堪能してきたが、今回のハリルホジッチ氏更迭騒動ほど、理解できない事態は初めてだ。本当に驚いている。

 ここで私が「理解できない」と言うのは、この更迭が「サッカー的に不適切だ」と言う意味にとどまらない。つまり、ワールドカップで勝つために最適なのか、あるいは、将来日本がワールドカップを制覇するステップとして適切なのか、と言う「サッカー的に」重要な視点から、「理解できない」のではない。
 非サッカー的、つまり政治的な思惑とか、スポンサなどサッカー外からの圧力などを考慮しても、田嶋会長の今回の意思決定の理屈、根拠、判断基準が、まったく「理解できない」のだ。サッカー的な妥当性にも理解できないのはのみならず、それ以外の事情を考慮しても理解できず、ただただ愚かしい意思決定に思えてならないのだ。世の中には、色々な事情と言うものが存在し、サッカー的是非だけからは物事は判断できないとか、記者会見では正直にすべてを語れない、と言うことを考慮しても。
 冒頭に明言しておくが、私はハリルホジッチ氏のチーム作りを評価しており、ここまでの日本代表での成果も上々で、氏が率いる日本代表がロシアで相応に好成績を挙げてくれるのではないかと期待していた(詳細は別途まとめたいと思っている)。だから、今回の更迭劇には失望している。けれども、それはそれだ。田嶋会長のの意思決定の背景を理解できない話は別である。

 過去も日本サッカー界には、サッカー的に不適切な意思決定はいくつかあった。ただ、それぞれにおいて、サッカー的に納得はいかず非常に不愉快な思いは相当だったものの、それ以外の事情は推定可能だった。そしてその推定要因が、非常に残念だったからこそ、不愉快だったのだが。
 たとえば、加茂氏留任時の「腐ったミカン」事件、今回と類似の代表監督選択劇だった。これは、当時の意思決定者とネルシーニョ氏の在籍クラブの権益争いを考えると、それなりに背景は想像できた。でも、ネルシーニョ氏が率いる日本代表でフランスを目指したかった事は間違いなかったけれど。
 たとえば、フリューゲルス消滅。これは、当時の意思決定者が、出資企業の暴論との交渉に屈したことによる。いま考えても、あのすばらしいクラブが消滅したことは、ただただ悲しいだけだけれど。
 たとえば、我那覇選手の冤罪事件。これは、当初の誤った判断を、Jリーグ当局がその誤りが明確になったにもかかわらず認めなかったことによる。認めなかった理由は、面子のためなのか、かばいだてのためなのかは不明だが、そのような不公正な判断をする意思決定者が存在することは現実だったのだろう。繰り返すが、とてもとても残念なことであり、今回の代表監督人事以上にひどい話ではあったが。
 このように、過去サッカー的にはとても残念な意思決定はあったが、非サッカー的な基準で意思決定されたと考えると、その背景を理解できないこともなった。しつこく繰り返すが、とても残念だったけれども。
 
 けれども、繰り返すが、今回の代表監督人事については、意思決定者である田嶋会長の判断の背景が理解できないのだ。

 まず、サッカー的見地から考えてみる。上記の通り私はハリルホジッチ氏の手腕は高く評価している。しかし、異なる意見もあるだろう。

 まず、氏と選手たちの溝が大きく修復不能と言う、田嶋会長が記者会見で述べた説明通りのトラブルが発生しており、これにより会長が更迭を決断したと考えてみよう。ところが、落ち着いて整理してみると、この説明は、あまりに説得力が乏しいのだ。
 まず誰か中心選手が、ハリルホジッチ氏と意見が合わず、この人の下では勝てないと主張したとしよう。まあ80年代くらいまでは、クライフ御大を筆頭に「俺はこの監督の下ではプレイしない」と言う方々もいらしたが、ここ最近世界のトップ選手も、金満クラブへの集約が進み、ベンチで待機することにも慣れているから、この手の騒動は、ほとんど聞かなくなったが。
 そして残念ながら、いまの日本にはメッシやネイマール(いやレバンドフスキとかマネでもよいですが)のように、その選手がいるといないとではチームの戦闘能力がまったく違う水準になるようなタレントが、そもそもいない。したがって、もしハリルホジッチ氏と修復不能の関係の選手がいたのならば、その選手を外せば済むことだ。もし、いまの日本代表の誰かがそんなことを発言し、その選手の言い分を聞いて、監督を切ったとしたら、これほど愚かなことはない。
 では集団で選手が「この監督ではやれない」と、考えているとしたらどうか。現実的にはそのような事態が起こったとしたら、マスコミ関係者が必ず前兆を報道するだろうから、現実的には考えづらい。また、そこまで情けない代表チームたちだとも思っていないけれども。とは言え、万が一そのような事態になり修復不能の事態になったと言うならば、、最も責任が重いのは技術委員長だった西野氏と、日本人コーチとして入閣していた手倉森氏である。そして、そこまで事態が混乱していれば、たとえハリルホジッチ氏を更迭したとしても、すべての選手たちがこの2人を信頼していくとは思えない。したがって、西野氏を後任とする人事は、極めて愚かしい選択となる。

 それでは、協会がハリルホジッチ氏の監督としての能力を疑問視し、上記した選手との溝とは別に、「氏では本大会に勝つのは難しい」と判断し、田嶋会長が更迭を決断したとしよう。私は意見が異なるが、現実的に韓国に大敗したり、準備試合で思うような成績を挙げられていないのだから、そう考える人がいても、おかしくはないだろう。
 ただし、そうなると、問題はタイミングだ、
 後任の監督が準備する時間を作るために、更迭は早い方がよいに決まっている。ところが、ここまで引っ張った。そうなると、考えられる一つ目のケースは、ずっと前から、更迭したいと考え、後任を探したが見つからず、ここまで引っ張ってしまい、頼めるのが西野氏だけだったと言うことになる。後任を見つけられない協会会長の責任は限りなく重い。西野氏に任せるならばもっと早く決断できたはずだ。
 次に考えられるケースは、本当にマリ戦、ウクライナ戦で決断し、他の監督を探す時間がなかったと言う状況だ。一部の評論家は「ハリルホジッチ氏でなければ誰でもよい」と語っているようだが、協会としてそのような判断を下すのはないとは言えないのかもしれない。相当珍しい状況とは思うけれど。しかし、それを記者会見で「氏と選手たちの溝」と言う、偽りでしかも後から一層物議をかもすような理由を説明したのだから、これはこれで愚かとしか言いようがなくなる。

 以上、サッカー的な見地から、田嶋会長の決断、発言に合理性は見られないことを整理してきた。
 では、非サッカー的見地から、今回の決断を理解できるだろうか。

 たとえば、最近日本代表のテレビ視聴率が下がっているから視聴率が稼げる監督が必要だと、広告代理店が圧力をかけたとの説がある。しかし、西野氏で視聴率が上がるとはとても思えない。もし、カズなり中田英寿氏、あるいは大技で松木安太郎氏を監督に抜擢すれば、状況は好転するかもしれないが(もちろん、「そうした方がよい」と言っているわけではないので、誤解しないでくださいねw)。

 たとえば、adidas殿が自社と契約している香川を代表に選ばないから圧力をかけたとの説がある。しかし、同社と契約しているのは香川だけではない。必要ならば、ハリルホジッチ氏が選考した選手をプロモートすればすむことだ。現実的にこのような噂が広がることが、香川にとって気の毒な事態であり、西野氏の選択の幅をせばめかねない。何より、多額のキャッシュを提供してくれているスポンサに失礼だよね。余談ながら、私は、ハリルホジッチ氏は香川への期待は相当大きかったと見ている。香川があまりよいプレイを見せなくとも、しつこく香川の起用を継続していた時があったからだ。香川が選考されなくなった以降代表の状態があまりよくないこともあり、ハリルホジッチ氏が留任した方が、香川が選考される可能性は高かったようにすら思っている。

 結局のところ、広告代理店の意図がどうしたとか、スポンサの意図がどうしたとか、皆が色々言うけれど、皆の意向は日本代表が勝つことに尽きるのだ。

 たとえば、田嶋会長が政敵の成果をなくしてしまいたかったとの説がある。具体的には、ハリルホジッチ氏を日本に連れてきたのは、田嶋氏と会長の座を争った原氏、あるいは原氏と近い霜田氏であり、田嶋会長としては、彼らの功績となることを、とにかく消し去りたかったという説だ。しかし、落ち着いて考えれば、ハリルホジッチ氏がワールドカップで好成績を収めれば、田嶋会長は横でニコニコして「本当によくやってくれた」と言ってさえいれば、皆に尊敬されたことだろう。一方、西野氏が不成績に終われば、帰国後重苦しい記者会見でハリルホジッチ氏を更迭した責任を問われる。いや、残りの人生の間、常にロシアワールドカップを滅茶苦茶にした男と呼ばれ続けるのだ。今の田嶋会長がそこまでやる理由にはならない。

 以上、非サッカー的な見地からも、今回の田嶋会長の意思決定の背景が理解できないと述べてきた。さらに言えば、今回の決断で、田嶋氏がトクをすることなど何もないように思うのだ。唯一、西野氏がロシアで見事な成績を収めても、称賛されるのは西野氏だ。「見事な決断」と田嶋会長を評価する向きはあろうが、必ず「ハリルホジッチ氏を留任させても、よかったのではないか」との意見が付随する。
 そう考えると、田嶋会長が、心底サッカー的発想で日本サッカーのために行動する男だと考えても、酸いも甘いも嚙み分けた剛腕の男だと考えても、周りに気を使いながら調整する小心な男だと考えても、合理的な理解ができないのだ。いったい、田嶋さんは何を考えて、ハリルホジッチ氏をこのタイミングで更迭し、西野氏に日本代表を託したのだろうか。

 もちろん、陰謀論を深めれば、いくらでも邪説は考えられる。誰かが田嶋会長を追い落とそうとしているのでないかなどと。
 たとえば、田嶋氏の以前の上司が、最近自分の言うことを聞かなくなったから切ろうとして不適切な助言を行い、田嶋会長はそれと知らず言うことを聞いてしまったとか。たとえば、田嶋会長には、西野氏とは別な意中の人物がいたが、その人は田嶋会長と心中する気はなく、会長がハリルホジッチ氏に更迭を伝達後に代表監督就任を拒絶したとか。たとえば、最近大きな成果を挙げ田嶋会長の次をねらえる人に、会長が乗せられてしまったとか。
 まあ、考え過ぎでしょうが。

 私が選手田嶋幸三を認識したのは、今でも忘れもしない75-76年の高校選手権の決勝戦だ。浦和南の主将田嶋は、静岡工業の石神良訓の執拗なマークをかいくぐり、ビューティフルゴールを2発決めた。久々に登場した技巧も優れた大型ストライカ、近い将来日本代表の中軸になるのではないかと、期待は大きかった。筑波大時代に代表にも選ばれ、名門古河に加入。ところが早々に「自分は指導者を目指す」と引退してしまった。
 その後、指導者として明確な成果を挙げることはできなかったが、日本協会では中枢の立場をとり続け、着々と地位を上げ、満を持して会長に就任した田嶋氏。おそらく、我々には理解しがたい判断基準があるのだろう。
 今となっては、その意思決定が、ロシアと将来の我々の歓喜につながることを、祈るのみである。
posted by 武藤文雄 at 00:45| Comment(8) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月04日

ベガルタ開幕2連勝

 ベガルタは、開幕から2連勝。まことにめでたい。
 
 昨日のFC東京戦にせよ、先週のレイソル戦にせよ、似た流れのウノゼロの勝利だった。
 いずれの試合でも、前半は内容が悪く、危ない場面も多かった。しかし、GK関の完璧な位置どりと、大岩の献身的なカバーリングで、何とか無失点でしのぐ。そうこうしているうちに、前半半ば過ぎから、次第に狙い通りボールが回るようになり、ベガルタペースに。そして後半に先制、その後はチームとしてボールキープが機能し、守り切った

 まずレイソル戦。
 前半は非常に難しい試合となった。左サイドの永戸が前進するスペースを、レイソルの右バックの小池に埋められてしまい、思うように左サイドに展開できなかったからだ。にもかかわらず、多くの選手が右サイドでのプレイを選択し、いよいよ永戸が孤立。結果として、チームのバランスが崩れ、幾度かクリスティアーノや伊東に、よい体勢でボールを受ける形を作られ、幾度か決定機を許すことになった。レイソルの中盤後方の金甫Qと大谷が厳しい寄せで、ベガルタの中盤にサイドチェンジを許さなかったも大きかった。
 後半に入り、板倉が積極的に押し上げるようになると共に、阿部が左サイドに寄り永戸をサポートするようになり、状況は改善された。そして、後半序盤に、CK崩れのスローインからの古林のクロスに、前線に残っていた板倉が打点の高いヘッドで決めて先制。レイソル守備陣の集中がわずかに切れた幸運と、後方に戻らなかった板倉の強気の判断が重なったことによる得点だった。
 レイソルも、ACLの疲労もあるだろうし、新加入選手の使いどころが固まっていないチーム事情もあるのだろう。以降はベガルタはバランスよくボールを回せるようになり、ペースを渡さない。終盤に入り、奥埜の疲労が目立ち始めたところで、攻勢を許すことになったが、レイソルCBの中山が、石原の老獪なドリブルを引っかけ、2度目の警告で退場となったところで勝負あり。
 試合終了後の記者会見で、渡邉監督が自画自賛していた、3-1-4-2で敵ボランチをつぶしに行くやり方が、十分に機能したかどうかは微妙だったが、後半のバランス修正で、この強敵を押し切れたのだから、結構なことである。

 そしてFC東京戦。
 FC東京は、中盤をダイヤモンドに組み、序盤から昨シーズンとは見違えるような、前線から厳しいチェックを仕掛けてきた。結果として、ベガルタは大森、米本、東の3枚の中盤を抜け出せず、再三低い位置でボールを奪われ、トップ下の高萩に自在に細工され、ディエゴオリベイラと前田の2トップに好機を作られた。
 ただ、東京の厳しい前線守備が、段々とゆるくなった前半半ばからは、それなりに中盤を抜け出せるようになる。しかし、CBの張賢秀の的確な読みと鋭い出足が見事で、好機を作るにはいたらず前半終了。
 後半、さらに両翼からの圧力を強めたベガルタはとうとう先制に成功する。右サイドでボールキープした小林を、阿部が追い越しフリーでボールを受け、体幹の強さを活かしたドリブルで中に切り込み強いクロスをいれる。東京DFがヘッドでクリアしたボールを逆サイドから進出した永戸が拾い丁寧にプルバック。石原が合わせたボールはGK林を抜き、両側のポストに当たりゴールラインを越えた。石原のボレーキックはアウトサイドにかかったもので、飛んだコースも上記の通り最高。他の選手ならば「偶然ではないか」と思うけれど、石原だと「いかにも彼らしい相違工夫に富んだ妙技」と言う気がしてくる。
 ここで東京は、久保を投入してくる。さすがに驚いた。久保のドリブルは正しく脅威、ベガルタの守備者たちがボールをまったく奪えない。奪えないのみならず、コース取りが絶品。大岩は一度身体を入れたと思ったら、再度入れ替わられゴールラインをえぐられる。石原が抜かれた後方から自信をもってアプローチした富田は、スッとボールを動かされてファウルをとられる。奥埜と古林で囲んだと思ったら、ヒールキックで中央のフリーの選手にパスを通される。
 投入直後の約10分は幾度も危ない場面を作られたが、ベガルタ各選手とも次第に対応ができてくる。一つは久保へのパスの出所を厳しく押さえること。今一つは、ワンタッチ目でゴールを向かせないこと。久保自身がいわゆる一軍に合流したのも、長谷川監督が就任したのも、比較的最近であり、チームとして、まだ久保の使い方も、久保による使われ方も、十分に確立していないことが幸いした。この早熟の若者が、一層の、いや過去にない光彩を放ってくれることを期待したい。ベガルタ戦以外で。
 久保への対応が落ち着いた以降は、再びベガルタペースになる。前節見られた選手のガス切れもなく、そのまま押し切り、開幕2連勝。いや、えがった。

 この2試合、相手が新戦力を十分に消化しきれておらず、チームとしての成熟度で、当方が明らかに上回ったのが幸いした。また、いずれの試合も序盤ペースをつかめない時間帯に先制された可能性もあり、安定感と言う意味ではまだまだ。さらに、後半先制した以降ベガルタの意図通りにボールを回している時間帯は長かったものの追加点を奪えなかった。
 まあ贅沢は禁物だし、ここは開幕2連勝を喜ぶことにしよう。と考えると、「いや去年も2連勝した後は…」などと、どんどん悪いことを考えるのも、サポータ冥利と言うものか。
 一つ言えるのは、上記した通り、チームとしての成熟度は相当高まっていること。攻撃用タレントとして控えに入っている茂木、ラファルエソン、ジャーメインはまだ活躍の機会を得られていない。コンディションが整えば、椎橋、庄司、中野も登場してくることだろう。私は素直に今シーズンの飛躍を期待している。
posted by 武藤文雄 at 22:45| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月25日

Jリーグ2018年開幕

 さあ、Jリーグだ。

 我がベガルタの開幕戦が日曜日と言うこともあり、この土曜日は居住地近辺の平塚BMWスタジアム。ベルマーレ対Vファーレンを、ベルマーレを必死に応援するコーチ仲間の横で、似非サポータとして堪能した。
 ベルマーレは、持ち前のチーム全体の、豊富な運動量と前に出る勇気がしっかりと継続。それに加え、松田天馬の鋭いドリブルと、新韓国人ストライカ李廷記の受けのうまさと、強力な前線の武器が加わった感がある。一方のVファーレンは、高杉を軸にした守備に徳永が加わり一層の堅牢さを増し、ファンマを軸にした速攻は効果的。終盤セットプレイから得点したベルマーレが2対1で振り切ったが、おもしろい試合だった。
 やはり、生観戦は堪えらえない。

 と言うことで、26年目の開幕。いまは、明日のベガルタ対レイソルのDAZN観戦に思いをはせているわけだ。
 今シーズンのベガルタへの期待はおいおい語っていくこととして、26年目のJリーグへの思いを語りたい。

 いつもいつも語っているが、もう最近の日本サッカー界は、いま57歳の私にとって、20代の頃まで夢にすら思わなかった世界だ。毎週末、日本の主要都市で、多くのサポータが応援する中で、リーグ戦が行われる。それも、多くのクラブが、日本人好みの中盤を大事にしたサッカーを狙っている。そして、日本代表は、当たり前のようにワールドカップに連続出場している。
 夢にも思わなかった世界が実現してはいるが、まだまだ私にも欲はある。今以上に、日本代表がもっと強くなって欲しいし、一層充実したリーグ戦を楽しみたい。
 ところが、欧州のトップリーグの各クラブには、(制度上にも道義面にも幾多の疑問にも幾多の疑問はあるものの)ばかばかしいくらいのキャッシュが集まり、Jリーグ各クラブの予算規模との差は開くばかりだ。そのような現状で、我々はどこを目指せばよいのか。

 私にとって、その答えは明確だ。
 ブラジルやアルゼンチンを目指せばよいのだ。
 どんなに、よい選手が欧州に買われて行っても、ブラジルやアルゼンチンのように、それを上回る勢いで、よい選手が供給されればよいのだ。そうなれば、両国の国内リーグのように、常に充実した試合を毎週楽しむことができる。そして、ワールドカップで、もっともっとよい成績も収められるはずだ。
 ブラジルやアルゼンチンを目指すことそのものが、大変な努力を必要とするのは言うまでもないけれど。

 で。グランパスの、ガブリエル・シャビエルを見ていると、その大変な努力が、具体的に可視化されると思うのだ。
 オスカール、もちろんジーコ、レオナルド、ジョルジーニョ、ジーニョ、セサル・サンパイオ、そしてドゥンガ。このようなセレソンの名手ならば、すごいプレイを見せてくれるのは、理解の範疇内だ。また、セレソンまで行かずとも、多数のブラジル人の名手が、これまでのJをいかに実り豊かにしてくれたことか。
 しかし、ガブリエルの魅力は超越している。昨シーズンJ2でガブリエルが見せてくれた様々な好プレイ、技巧と判断の妙、「こんなことができるのか!」と言う魅力の数々。「恐れ入りました」としか言いようがなかった。ちょっと似た記憶として、90年代半ばに、サンフレッチェでプレイした中盤選手のサントスも、そのような魅力があったかなと。
 「どうやったら日本から、このような素敵な選手を輩出できるだろうか」と、ガブリエルの魅力あふれるプレイを見る度に考えてしまうのだ。正に、ガブリエルは、ブラジルと日本のサッカー力を分けている典型的存在なのだ。

 などと考えてながら、今シーズンのJに思いをはせる。
 久保建英(開幕戦でもプレイしたと聞いたが、)は、どのレベルまで行くことができるのか。一方で、久保のようなまだ若いタレントに過大な期待をすることに否定的な考えも少なくない。ただ、ペレとディエゴ・マラドーナはもちろん、ミシェル・プラティニやネイマールのようなタレントは、10代後半から、ほかの選手とはまったく異なる個性の冴えを見せていたのだが。
 そして、このシーズンオフに、我がベガルタに岐阜から移籍したMF,庄司悦大。エスパルスジュニアユース、清水商業と言った若年層育成組織の名門出身のこのタレントは、専修大学、町田、山口、岐阜と、J2、J3のクラブで着実に実力を蓄え、とうとう28歳となった今シーズン、J1に挑戦の機会を得た。
 この2人は、早熟、晩熟、それぞれの典型的なタレントだ。そして、このような、育成の多様性の実現こそ、ブラジルやアルゼンチンに追いつく道だと思うのだ。そして、このような丹念な強化を継続すれば、いつか我々は、ガブリエル・シャビエルを生み出すことができるのではないか。
 それが我々が目指すべき道だと思うのは、私だけだろうか。
posted by 武藤文雄 at 02:05| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月29日

平山相太引退

 平山相太の引退が発表された。オフに契約更新をしていたにもかかわらず、キャンプ中の発表、さすがに驚いた。度重なる負傷に悩まされた選手人生を象徴する引退発表となった。

 昨シーズン開幕戦、ユアテックでコンサドーレと対したlベガルタは押し気味に試合を進めるが崩しきれず、試合終盤を迎えた。渡邉監督は、この場面でベンチにいた平山を石原と交代させることを決意した。ところが、平山がピッチに入ろうとタッチライン沿いで待機していたところで、ベガルタは三田の強シュートのこぼれを石原が押し込み先制に成功。渡邉氏は、交代選手をストライカの平山から、DFの増島に切り替え、守備固めを選択した。
 そして、その翌日のサテライトの試合、平山は重傷を負い、チームからの離脱を余儀なくされた。
 今回の引退発表。その負傷の回復が順調でなかったと言うことだろう。残念極まりない。

 平山が格段の素質に恵まれていたことに異論を唱える人は、ほとんどいないだろう。ただ、残念なのは、その格段の素質の内容を見誤った指導者が、当時の若年層日本代表を率いていたことだったと思っている。そして、その監督がその後FC東京でも、平山の上司となった。
 もちろん、平山の魅力の1つに、190cmの上背があったことは確かだ。しかし、彼の格段の能力は、その上背ではなく、正確なボール扱いと、足でのシュートのうまさにあった。国見高校時代の幾多の得点が、落ち着いたインステップキックのグラウンダのシュートだったことは重要だ。また、その技巧を活かしたターンのうまさも相当だった。
 長身を活かした空中戦も悪くはなかったが、細身なこともあり、後方からの高いボールを受けるのは、あまりうまくなかった(一方で低い足下へのボールを収める上手だったが)。しかし、横に動いてマーカを振り切ってからのヘディングシュートの威力は中々だった。
 だから、そのような使い方をしてほしかったのだ。ああ、それなのに

 もちろん、負傷が多かったと言う不運も大きかった。また、オランダでのホームシックに代表される、精神面の課題もあったのかもしれない。けれども、あれだけの大柄な身体でありながら、あれだけ柔らかなボール扱いの上、あれだけ弾道の低いシュートを打てる技術を身に着けた男が、努力を惜しむ性格だったとは思えない。
 だからこそ、その格段の素質を活かしたチームでプレイすればとの思いは消えなかった。そして、ようやく、ようやくのこと、その機会は、やって来たのに。渡邉氏の指導の下、丁寧にボールを回し、両翼に人数をかけ、時に前線に速いパスを入れるベガルタ。ザ・リアル・ストライカの平山が、その格段の能力を発揮できるチームに、ようやく、ようやく出会えたのに。
 度重なった負傷を呪うしかないのか。

 それはそれとして。
 幾多の素敵な場面を見せてくれた平山に、改めて感謝したい。中でも、インタネットのカクカク画像で堪能したこの試合は、忘れられない。また、似非FC東京サポータとしてゴール裏に侵入し平山の消える動きを堪能したこの試合も。

 結びに戯言を。よく、「平山相太に、岡崎慎司のハートがあれば」と言う人がいる。でも、私の意見は違う。「平山相太が、岡崎慎司の上背しかなければ」と思うのだ。そうだとすれば、平山は、優雅で技巧的なストライカとして、誤った使われ方をせずに、もっともっと、その個性を活かせたのではないか。

 幾多の美しい得点に多謝。
posted by 武藤文雄 at 00:13| Comment(1) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする