2025年05月04日
ヴァンフォーレ甲府戦参戦に伴う諸事を楽しむ
ヴァンフォーレ甲府は、前身の甲府クラブとして1965年に設立、日本屈指の歴史を誇る名門クラブ。
1965年に発足した日本リーグ(以下JSL、当時は8チームでスタート)は、1972年に2部制を採用。全国社会人大会(今日でも、国内屈指の大事な大会となっている、いわゆる「全社」です)の上位チームなど10チームでのJSL2部が結成された。甲府クラブは、このJSL2部に結成時から参加している。また、1969年、70年(全社から進出)、73年(JSL2部で2位)の3回、1部の下位チームとの入替戦に出場しているが、1部入りは叶わなかった。後述するが、当時の国内強豪は、すべて東海道山陽新幹線沿いの企業チーム。その時代に、複数回に渡り、新幹線沿いではない地方都市の、それも潤沢な活動資金もないチームが、当時トップリーグにあと一歩まで迫ったことそのものが、快挙と言ってもよいだろう。
余談ながら、JSL1部27年間の歴史において、所属したチームのうち、東海道・山陽新幹線沿いに本拠がなかったのは、藤和不動産(現湘南ベルマーレ、72年〜74年栃木県を本拠としていたが、75年以降は親会社のフジタ工業として東京に本拠を移す)と住友金属(現鹿島アントラーズ、当然ながら本拠地は茨城県鹿島市)のみ。強いサッカーチームの地域偏在は、高度成長期からバブルに至る1960年代から90年代の日本経済の状況を示唆している感がある。一方で、今日日本中ほとんどすべての県に、JクラブあるいはJを目指しているクラブがあること、それにより日本の多くの都道府県であまねく毎週末サッカーを楽しむことができる環境があること。これらは、Jリーグの地域密着政策の正しさと成功を明確に示している。
クラブチームの先駆的存在としても、甲府クラブが重要なのも言うまでもない。当時、JSL1部はすべて企業チームで構成されていた。企業チームでは、全選手はその企業の社員で運動部に所属する方式だった。一方、当時の甲府クラブは、建設会社を経営していた実業家の川手良萬氏がオーナとして運営費を支える形態で、各選手はまったく独立した立場。JSLのトップチームとは異なり、企業からはまったく独立した形態でクラブ運営が行われていた。
今日のJリーグ各クラブは、スタート時(要はJSL時代)の企業チームが発展したクラブも多い。しかし、これらのクラブのほとんどが、当初企業はあくまでも主要出資企業となり、他企業からの出資を仰ぎ、よい意味でのリスク分散を行なっている。当時の甲府クラブが川出氏に頼り、氏の没後様々な苦労があったことは確かだが、甲府クラブと言う存在が日本サッカー界において一つのモデルケースになったのは間違いない。
ちなみに、JSL2部結成時のクラブチームは、甲府クラブの他に、読売クラブ(現東京ヴェルディ)、紫光クラブ(現京都サンガ)があった。読売クラブが、読売新聞の強力な出資の下、70年代後半以降、国内屈指の強豪となっていくのは、よく知られた話である。一方、紫光クラブは78年に入替戦でヤマハ(元ジュビロ磐田)に敗れ地域リーグ落ちしてしまった。当時のヤマハは企業チームの典型、潤沢な資金で優秀な選手を獲得し、80年代JSL屈指の強豪への道を歩むことになるのだが。一方で、紫光クラブは、その後も関西リーグで中位を保ち、1989-90シーズンJSL2部に復活、その後のサンガにつながっていく。
そのような中、必ずしも資金面で恵まれていない甲府クラブ。それでも、20年に渡り粘り強く戦い、JSL2部の地位を確保し続けた。さらにJリーグ開幕後も、実質的な2部リーグのJFLでプレイ。これだけでも大変な実績と言えよう。
そして、甲府クラブは、99年J2結成時に、ヴァンフォーレ甲府として改めて、Jリーグに参画することとなる。ところが、県内にいわゆる大手企業が少ないなどの事情もあり、J2昇格直後本格的プロフェッショナリズム導入時に、大幅な赤字を計上、経営危機に見舞われたことになる。しかし、社長に就任した海野一幸氏を中心に、地元の小スポンサーを徹底して集めるなど、丹念な活動で立て直しに成功。この草の根地元密着活動と言うべき諸活動は、多くのJクラブの参考となる活動となった。海野氏を中心とした甲府関係者が果たした功績は、単にこの歴史あるクラブを立て直したことにとどまらず、今日の全国的Jリーグ発展への寄与とも言うべきだろう。
経営に安定に伴い競技力も向上。複数回J1にも昇格している。そして、生神様山本英臣のようなレジェンド、日本サッカー史屈指のFW伊東純也のようなスーパーな選手も輩出。さらには、2022年には天皇杯を制覇、続く23-24年のACLでは、堂々2次ラウンドまで進出したのは記憶に新しい。
支えてくれる大企業があったわけでもなく、交通の便が格段によいわけでもない地方都市、人口が多いわけでもない。その山梨に、半世紀以上前から地域に根ざしたクラブチームが継続して活躍し、多くの成果を挙げてきたていたことにには、尊敬の念しか思い浮かばない。
ここからは違う話。
実は私は戦国時代の歴史ものの愛好者。と言っても歴史小説や新書本を読む程度だけれども。学生時代からの愛読書は新田次郎氏の「武田信玄」「武田勝頼」だった。と言うこともあり、若い頃から甲府クラブの試合観戦など含めて、幾度か甲府の街を訪れ、あちらこちらを観光してきた。ただ、4月下旬に訪問するのは初めて。
甲府駅から歩いて30分ほどにある武田神社は、武田信玄公の居館の跡地に建てられている。その居館は躑躅ヶ崎館と言われていた。と言うことで、「この季節に訪ねれば、さぞやツツジの花が美しいだろう」と期待して武田神社に向かった。ところが、ツツジの花はあることはあるし、ちょうど満開のよい季節だったのだが、物量は大したことない。よくある、生垣の一部でツツジが咲いている程度なのだ。このくらいのツツジならば自宅近傍で堪能できる(笑)。武田神社自体は結構広いので、どこかにツツジツツジツツジ的な場所があるのかもしれない。土産物屋に入り「あのう、ここは躑躅ヶ崎と言うだけあって、さぞやツツジが多い場所があると思って来たのですが、どこいらに行けばそのような景色が見られるのでしょうか?」と尋ねる。すると土産物屋のお姉さん、怪訝な評定で「ツツジですか?いや、そんな場所はないと思いますねえ、確かに躑躅ヶ崎とは呼ばれていますけれど。あちらの方に行けばハスの花はきれいですけれど」と返してきた。加えて「そんなことを問われたことも初めて」とも付け加えてくれた(笑)。と言うことで、「そうだったのね。躑躅ヶ崎はそのような場所でなかったのね」とガッカリした次第(笑)。この愚痴をX(旧Twitter)で語ったら、甲府サポータの方が「大昔、館を建てた尾根にツツジが咲き誇っていた模様」との情報をくださり、裏がとれてしまったw。
とは言え、前日の雨のおかげもあったのだろうか。春先には珍しいカラッとした気候で訪ねた武田神社の木々の緑は美しかった。武田信玄公には「あのー、大変申し訳ないのですが、今日はベガルタ仙台が勝たせていただきますね」と、100円の浄財と共にお参りさせていただいた。
さらに美しかったのは街を取り囲む周囲の自然の景色。盆地独特の周囲を緑の山々が囲む大外に、雪化粧が残る高山が望める。西側に南アルプス、南側には富士山(8号目より上だけですけれど)。これが何とも美しい。市街地で建屋の合間合間から見えるこれらの山群も見事だった。また、広々とした土地に建てられた高さのある競技場からの景色がまた絶品だった。メインスタンドで観戦したのだが、試合中バックスタンドの背景に、常に緑の山々が視界に入る。メインスタンド最上段まで上がれば、後方にアルプスの雪景色が広がる。少々失礼な言い方になるが、1980年代に作られたJITリサイクルインクスタジアム、いささか古くなってしまったことは否めない。屋根がない、陸上トラック、遠くて低いゴール裏など、耳が痛い指摘も多かろう。しかし、晴れた日のこのすばらしい景観は何にも変え難い。
もう一つ違う話。
今回の甲府遠征では嬉しい出会いもあった。
甲府駅から競技場までのシャトルバスの乗車口で、「バス小瀬新聞」と言う新聞が配布されている。同誌についてはこちらを読んでいただくのがよいと思う。試合前に縁あって同誌に「小出悠太との別れと再会」と言う文章を寄せさせていただいた。こちらにアクセス、ダウンロードすればお読みいただます。
小出悠太は、シーズンオフになってからベガルタからの移籍が発表されたこともあり、サポーターは別れを惜しむことができなかった。また、このオフは中島元彦の移籍(いや、正確には所有権を持つセレッソ大阪への復帰ですけれども)が焦点となり、小出との別離はあまり語られなかったきらいもあった。しかし、小出は1年目は主将を務め、2シーズンに渡りチームの中核を担ってくれた。私たち仙台サポーターにとっては、とても大切な選手だった。何かしら、自分としては文章としてまとめたかったのだが、格好の場をいただけた形になった。
不勉強で恥ずかしいことだが、今回同誌の存在を初めて知った次第。過去もシャトルバスを利用したことはあったのだが。驚くことに、同誌が20年以上に渡り発刊を継続されているとのこと。さらに、そのコンテンツの充実がすばらしい。甲府サポータはもちろん、アウェイチームを応援に来たサポータにも配慮した内容がビッシリ。両チームのサポータに対して、次のアウェイゲームの行き方指南まで掲載されているのだから恐れ入りました。
Jリーグ、言い換えるとサッカーと言う人間が発明した最高級の玩具を通じて、信頼できる友人が増えてい。本当に幸せなことだと思う。
2025年03月25日
ワールドカップ出場決定!サウジ戦を前に2025
ワールドカップだ!
予選を勝ち抜くと言うのは、本当に嬉しいことだ。
少々寂しいことだが、一生分の嬉し涙を流したジョホーバルの感動は、もう味わうことはできない。こればかりは仕方がない。さすがに、このフランス大会以降、日本は8大会連続出場、さすがに予選突破が常態化してしまったのだから。しかし、繰り返すが出場権を獲得する瞬間の感動は、やはり堪えられない。ただ、こうなるとドイツ大会やブラジル大会など、予選が順調な本大会はロクなことがなかったことを思い出し心配にもなるのだが(笑)。まあ、それはそれ。
また試合内容がすばらしかった。バーレーンが見事な組織的サッカーを演じ、日本は. それを上回る攻撃を強いられたからだ。そして、その難しい状況下で、見事な崩しからのビューティフルゴールが生まれた。しかも、その見事な攻撃を若きエース候補の久保建英が演出してくれたのだ。よく守備を固めた難敵を、若きリーダによるアイデアあふれる攻撃で打ち破り、本大会出場を決めた。誠に気持ちよい勝利だった。
それにしても、バーレーンの守備は見事だった。裏を突かれるリスク覚悟で浅いラインを維持、日本のDFとMFにほどよいプレスをかけ、容易にロングボールを蹴らさない。堂安と三苫を軸にしたサイド攻撃も人数かけて押さえてきた。三苫を自由にさせないと言うのは、今の日本対策の常識だろうが、堂安側のサイドにも蓋をしたのが中々見事。久保がよくボールを引き出し、南野と守田と相互に距離を詰めて敵の位置取りのバランスを崩そうとするが、バーレーンの選手たちの自制心は中々でスペースが空かない。上田綺世は敵CBに当たられてもうまくスクリーンできていたので、もう少しボールを集めたいところだが、遠藤航や3DFに対するプレスも中々で縦パスが入らない。こう言う局面を打開できるとしたら堂安のサイドチェンジではないかと期待するのだが、意欲的な久保がサポートに寄ってくるものだから、2人で意地になって(?笑)コンビプレイで敵3人を突破しようとして行き詰まる。結果論だが、3DFの右に瀬古ではなくもっと縦にも行ける菅原あたりを起用していれば、もっと機動的な崩しができたかもしれない。
後半守田に代えて田中碧。守田については、バーレーン戦前から体調がベストではないとの報道があり、試合後離脱が発表されたが、そのためだったのかもしれない。しかし、結果的にはこの交代が有効だった。この日の田中碧は代表で久々に輝いた印象があった。カタール予選では遠藤航(世界屈指の狩人)と守田(運動量豊富なオールラウンダ)との3ボランチで、配球の妙を見せ、よく攻撃に変化をつけていた。しかし、基本布陣が2ボランチになった以降の田中碧は、航と守田のバックアップ的存在となり、ボール奪取や頻繁な顔出しが要求されることとなる。その結果、得点を決めMVPにも選ばれたスペイン戦を含めて、本来の持ち味のパスワークをあまり見せられないでいた。しかし、この日の碧は、久保がよく動いていたことにも助けられ、長短のパスをすばやく回しチーム全体の中核となり、バーレーンの守備網に焦点を絞らせない。そして、次第にバーレーンのMF達にも疲労が出始める時間帯、森保氏は伊東純也と鎌田を起用。鎌田の上下動、伊東純也の縦への恐怖感に、碧のパスワークにより左右に振られたことが合わさり、いよいよバーレーンのDF陣は日本の5FWに貼り付く形となる。
初め、伊藤洋輝が巧みな持ち出しで敵FWを出し抜いた時、私は「巧いものだなあ」とノンビリと感心していた。綺世に縦パスが入り「よし、前を向いている碧に落とせば好機となる、三笘も純也もよい位置取りだ」とやや前のめりになった。ところが、綺世の創造力は私の想像力を遥かに上回っていた(笑)。鮮やかなターンからの完璧なスルーパス。そして久保!鎌田!碧の一連の細工でバーレーンDF陣が後方に貼り付く形になっていたとは言え、コンパクトさは維持されていた。そこをCBの縦パスとCFのターンで崩し、2シャドーの妙技でゴールネットを揺らしたのだから痛快だった。日本代表史に残るビューティフルゴール。
そして、この美しい先制点とは別な意味で、この試合は、日本代表史に記憶されるものになるかもしれない。久保が攻撃の全指揮をとった試合として。まだ23歳の久保だが、10代の頃からその攻撃の才能は高く評価されてきた。しかし、代表においては、絶対的エース純也、止めようのないドリブルを見せる三苫、カタール本大会で見事に得点を重ねた堂安らと比べると、もう一つハッキリした活躍がなかった。しかしこの日は序盤から精力的にボールを引き出し変化をつけるべく尽力を重ねていた。そして、とうとう先制弾で完璧なラストパスを鎌田に通してくれた。そして、終了間際の鮮やかなダメ押しゴール。もちろん、開始早々の決定機にシュートが遅れた事、凝りすぎたつなぎ、堂安との共存など課題もあるが、まずはこの日の久保デーを素直に喜びたい。
さてサウジ戦。
サウジにとって極めて難しい試合だ。ホームゲームから10時間近いフライトでの移動での疲労。埼玉で待ち構える相性の悪いアジア最強国。しかも残り試合はこの日本戦の後はアウェイバーレーン戦とホーム豪州戦。確実に勝ち点を計算できそうな試合は皆無。ここに来て豪州の日本との引き分けによる勝ち点1差は大きく、2位に入るのが段々厳しくなっている。いや、それだけではなく残り3連敗でもしようものならば、5位以下に落ちて完全敗退のリスクもある。必死の思いで、勝ち点1以上の獲得を目指してくるだろう。ただし、ベストとは思えない体調下でバーレーンのようにラインを上げてコンパクトに戦えるか。だからと言って、ゴール前に引きこもって、日本のサイドチェンジに耐えられるか。非常に難しい選択を強いられる。唯一の突破口は日本が既に出場を決めていて気が抜ける可能性があること。さらに守田、綺世、そして三苫の不出場が噂されていることくらいか。
日本としては、本大会に向けた準備となる。考え方としては2種類あるのではないか。1つは、チームとして同じやり方で、新しい選手を試すこと。綺世の位置に町野を入れ、若い藤田チマと高井を起用する。特にこのパリ五輪の精鋭の抜擢は、やや平均年齢が上がりがちの今のチームにとってとても重要なはずだ。今1つは、今までとは異なるやり方を試すこと。トップに前田大然を起用し裏を突く、菅原と中山を両サイドDFに起用した4DF、航、碧、チマによる3MFなど。サウジは本大会出場すれば十分に2次ラウンド進出を狙える戦闘能力を持つし、個人能力が高い選手も多い。このような強豪を相手に、トライアルができる贅沢を楽しみつつ、見事に勝利する試合を期待したい。
2025年03月20日
ホームバーレーン戦を前に2025
4年前の予選序盤、森保監督の明らかな采配ミスなどもあり、大きくつまずいたことが信じられないほど、今の代表は強い。ここまで圧倒的な戦闘能力で、W杯予選で勝ち点を重ねた大会は初めてだ。
大会前唯一不安感のあったGKも、ここ半年で鈴木彩艶が急成長。DFに至っては、大黒柱の冨安の長期離脱がありながら、板倉を軸に多士済々が揃い、この2試合は谷口と町田が負傷で招集外だが、伊藤洋輝の復帰もあり不安はない。唯一引き分けた豪州戦だが、極めて稀にしか起こらない自殺点と、時々起こる森保氏の采配ミス(敵地サウジ戦で疲労した選手の引っ張り、交代枠を使い切らなかったこと)によるものだっだが、そのようなことは滅多に起こることではない。もちろん、そのような交通事故の確率を少しでも減らすことが重要なのだが。
強いて米加墨本大会に向けた不安を語るとすると、戦闘能力が充実し過ぎて、平均年齢が高くなることだ。藤田チマや高井など、昨年のパリ五輪で、世界中の同世代選手の中でも相当秀でたタレントであることを示した若手がいるが、選手層が厚いものだから、抜擢が非常に難しい。贅沢な話だ。
2010年の南アフリカW杯のあたりから、「今観た日本代表が、自分の生涯で観ることのできる最強のチームだったのではないか、今が日本サッカーのピークなのではないか」と考えることが再三あった。サッカーを楽しんで半世紀以上、己の先見性の無さに呆れるこの頃である。そして、もしかして、もしかして、生きているうちに、と。
バーレーンとのアウェイゲーム。バーレーンは丁寧にブロックを作り修正を重ねよく守り、前半を0-1でしのいでいた。しかし、後半キックオフ直後にズルズルと前に出てしまい追加点を許す。そして、60分過ぎから猛暑で動きも止まり、2.5列目からの進出をまったく止められなくなり、日本は0-5と大差をつけることができた。
このグループの2位以下は前代未聞の大混戦。日本と引き分け貴重な勝ち点1を獲得した豪州のみが勝ち点7で2位。他4国は勝ち点6で並び、上記ホームで日本に大敗したバーレーンは得失点差マイナス5で5位となっている。他の5国とすれば、2位となれれば御の字だが、4位を確保して、とにかく次ラウンドに進むことを目指すのが肝要。そう考えると、バーレーンとしてはこの試合大量失点だけは避けたいはずだ。そのためには、不用意な少人数攻撃でボールを奪われ日本の逆襲を許さないこと、70分以降のスタミナ切れを起こさないこと、1、2点差で負けている状態になっても前がかりにならないことなどが、ポイントとなろう。
対する日本としては、その逆を狙うこととなる。ブロックを固める相手をいかに引きずり出すか、出てこないならば逆に押し込む動きでスペースを作りミドルシュートをねらう、サイドチェンジを使い相手を走らせ疲労を倍加させるなど。
そして、この試合で首尾よく出場権を獲得できれば、来週火曜のサウジ戦以降の予選を本大会強化のために使えるようになる。上記で数少ない課題として挙げた若手の抜擢を考慮しながら、真剣にW杯本大会を目指し必死の戦いを挑んでくる試合経験は、本大会に向けて非常に貴重なものとなる。
ともあれ、このバーレーン戦、感動の少ないサラリとした本大会出場を期待したい。繰り返すが、贅沢な話だ。
2025年02月28日
敵地徳島戦、工藤蒼生の痛恨
52分に逆襲速攻から失点、その後猛攻をしかけたが取り返せず悔しい敗戦。敵地とは言え勝ち点ゼロは痛く、課題も多い試合ではあった。一方で、リードを奪われた後の攻撃は中々見事、新戦力の台頭もあり今後に期待を抱くこともできた。
失点は完全に工藤蒼生の判断ミスからだった。前半、圧倒的に劣勢だったのを何とか0-0でしのいだハーフタイム。森山監督は有田恵人に代えて荒木駿太を起用。荒木が前後左右によく動き、後方からの縦パスを受けるようになり事態は改善された。ところが、52分工藤が敵陣で中途半端な持ち出しから簡単にボールを奪われ速攻を許す、素早く戻った蒼生だが引いてきた徳島の渡大生に巧みにスクリーンされポストプレイを許す、そのボールを受けたジョアン・ヴィクトルと渡に見事な連係から崩され失点。渡の妙技には「恐れ入りました」と言うしかないのだが、失点の主因は不用意な持ち出しを奪われた蒼生にあった。
前半開始早々、ベガルタは最前線のフォアチェックを外され、速攻を許す。右サイドを徳島のベテラン杉本太郎に突破され、逆サイドに振られた後決定機を許すも、林が好捕でかろうじてしのぐ。敵地戦の開始早々まだ様子を見るべき時間帯に、あそこまで見事に注文にはまり崩されてはいけない。この場面で、前線で止め切れなかったことで、以降フォアチェックに行き切れないことが増え、徳島に圧倒的にボール保持されることとなった。それでも、組織守備で我慢を継続、好機はほとんど許さず何とか0-0で前半終了。
徳島のフォアチェックはよくベガルタの特徴を研究していた。真瀬拓海を押し込み、裏狙いで前に行こうとする有田恵人との間を分断する。逆サイドでは、右利きの左DF奥山政幸の縦を押さえて中に追い込む。森山氏の目論見は、俊足の有田へロングボールを入れて走らせ、徳島の3CBを押し下げることで、押し込まれの連続を防ぐことだったのだろう。しかし、強風下ロングボールは風で押し戻されてしまい、敵のラインは下がらない。さらに鎌田大夢も前への持ち出しに拘泥して、ハーフウェイライン近傍で複数の徳島MFにはさまれてボールを奪われることが再三。この鎌田の無理し過ぎは前節の鳥栖戦でも見受けられた傾向、押し込まれた場面で守備陣の押し上げが遅れている時には前進ではなくボール保持を狙うべきなのだが。あそこまで押し込まれてしまっては相応に失点のリスクは高まってしまう。
一方で、これだけ圧倒された前半を無失点で終えることができたのは大したものだ。悪い展開なりに4-4-2のブロックを丹念に維持し好機をほとんど許さなかったことは長いシーズンが始まるにあたり結構なことだと思う。ただ、状況が改善された後半序盤に速攻を許し失点するのだから、サッカーは難しい。
失点はしたが、荒木の投入で流れがよくなったこと、先制した徳島が後方を固めるやり方に切替えたこともあり、ベガルタは押し込むことができるようになる。さらに、中盤に武田英寿を起用、武田はよくボールに触り中盤を構成、鎌田と武田とタイプの異なるパサーを起点に複数回の好機を掴んだが、相良、郷家、鬼木らのシュートがどうにも決まらず、悔しい敗戦となった。
悔しいが、極端に悲観する内容ではなかった。前半圧倒的攻勢を許したことは課題ではあるが、強風という誤算が痛かった。どうしても勝たなければならない試合だったならば、守山氏は前半で有田に代えて荒木なりエロンを起用したのではないか。しかし、長いシーズンを考えれば、信頼して起用したスタメンを維持したのは決して間違っていたとは思えない。そして押し込まれたなりに守備の充実も見られたのは確かだし。また上記の通り、武田が機能したことはこの試合の大きな収穫となった(デュエル負けでボールを奪われるところは改善の余地ありだが)。攻撃ラインも宮崎鴻、荒木、武田と言った新加入選手が多いだけに、連携の妙には至っていないのはしかたがない。焦らずにチームの熟成を待ちたいものだ。
さて、いよいよホーム開幕となる大分戦。大分は開幕戦でいきなりJ1から降格してきた札幌に快勝、順調な出足を切っている。芝の張り替えもありユアテックが使えないため、キューアンドエースタジアムでの地元開催戦。遠いとか、不便とか、行くだけでカネがかかるとか、トラックが邪魔で見づらいとか、屋根が機能的でなく濡れやすいとか、23年前にトルコにやられたとか、文句を言うとキリがない。しかし、前回J1昇格を決めた2009年シーズンとの類似性も感じるではないか。前シーズンのあと一歩での昇格失敗、リーグ序盤のキューアンドエースタジアム利用。
そのような雑事よりも何より、工藤蒼生は並々ならぬ気迫でこの試合に臨んでくれることだろう。痛恨のボール喪失、さらに渡に出し抜かれたこと。中盤後方のタレントとしては絶対に犯してはならないプレイを連発してしまった。だからこそ、あの悔しい失敗経験を活かし、蒼生がこのホーム開幕で見事なリベンジ劇を見せてくれることと期待していても構わないだろう。
2025年02月22日
2025年開幕、郷家友太の一撃
敵地での開幕戦で、強豪から勝点3を奪ったのだから、最高のリーグ開幕と言っても過言ではなかろう。しかも、その決勝点がすばらしかった。
71分、守備ラインでボールを回し、CB菅田がフリーとなって前線のエロンを狙う性格なロングパス、エロンが敵DF2人とつぶれながらボール保持し、郷家がすばやく宮崎につなぐ。真瀬は格段の動きだしの早さを見せ(相対する相手を完全に置き去り)、右オープンに飛び出し、宮崎の展開を受ける、既にその時点でエロン、郷家、相良の3人がペナルティエリアに進出済み。真瀬がよく腰をいれて蹴ったクロスは、落ち着いた位置取りで敵DFから離れていた郷家にピタリ。郷家は柔らかなヘディングをサイドネットに向けて合わせるだけだった。
腕章を巻いたチームリーダが崩し始めに絡み、献身的なチームメートが特長を出しながら作り上げた好機を、見事な位置取りと正確な技術で決めた得点だった。
後半開始早々から、試合はすっかり鳥栖ペースで展開していた。鳥栖FW陣の前線からの厳しいチェックに追い込まれ、仙台各選手は落ち着かない状態で無理な縦パスにこだわる。また前線の選手も強引に縦抜けをねらう。しかし、DFの押し上げがまだなのに縦を急いでしまうものだから、すぐにボールを奪われ連続攻撃を許す悪循環。それでも、最終ラインの粘り強い守備でなんとかしのぎ続ける。森山氏としてはメンバ各位の個人判断で、この苦境を抜け出して欲しいと考えたのだろう、しばらく我慢する。しかし、劣勢の継続を見て、63分荒木に代えてエロンを投入。エロンは期待に応え身体を張ってまずボール保持をねらう。その結果、チーム全体も落ち着き始め、サガンの猛攻を食い止めることに成功した。そして、冒頭の先制点へと試合は流れていった。
先制点後、サガンは猛攻の疲労が出たのか、後半序盤の猛攻を支えた前線守備が失われ、パワープレイに転じる。1度だけスリヴカに前を向かれポストを掠めるシュートを打たれたが、その直後、守山氏が割り切ってモラエスと石尾を投入。最終ラインを増強し跳ね返す体制をとってからはピンチとはならず、しっかりと守り切った。
サガンは、セレッソで見事な采配を見せていた小菊氏を監督に招聘。かなり選手の出入りはあったものの、各選手の個人能力は高く、小菊氏が仕込んだフォアチェックの組織力も強度もなかなかだった。スリヴカと山田の2トップや西澤と新井の両翼など、各選手の個人能力も高く相当厄介な存在となりそう。まずは、その難敵に勝てたのだからめでたい話だ。
先般も述べた通り、攻撃はおおむね期待通りと言ってよい内容だった。得点こそ1点に終わったが、前半狙い通りボール保持できた時間帯に遅攻から決定機を複数回作り、上記の通り後半の決勝点は見事なものだった。最前線に起用された宮崎は期待通りに機能し、荒木も前半よく好機にからみ、エロンは相変わらず献身的だった。
しかし、守備はまだまだ。上記の通り、後半序盤の内容はとてもではないが褒められたものではなかった。期待のCB井上は押し込まれた後半序盤に身体を張った好守備を見せてくれたが、前半開始早々敵の縦パスを無理にカットしようとして触ることができず危ない場面を作られたのは反省材料。菅田がサガン山田に出し抜かれスリヴカに許した超決定機(林のファインセーブでかろうじて防ぐ)だが、鎌田がスリヴカの動き出しに対応できなかったのがは残念だった(気が抜けたプレイに見えたのは私だけか)。アウェイで迎える大事な開幕戦だったのだ、もう少し慎重さが欲しかった。今後の改善に期待したい。
次節は徳島との敵地戦。
昨シーズンは、柿本、エウシーニョ、岩尾、永木と言ったベテランの知的なボールさばきに苦戦させられた悪い印象が強い。さらに徳島は開幕戦で、敵地で藤枝に完勝している。難しい試合になることだろう。
改めて守備を整備し、落ち着いた試合運びを期待したい。目標は2位に入りJ1復帰を実現すること。その目標に向けて逆算された試合を見せてくれること、それだけを期待したい。
2025年02月14日
2025年シーズンが始まる
新シーズンが近づいてきた。毎年のことだが、 それだけで気持ちが高揚してくる。「いよいよ開幕を迎えられる」と言う何とも言えないワクワク感を押さえることができない。そして、明日以降、週末ごとに試合がやってきて七転八倒、阿鼻叫喚の日々を送ることができるのだ。
このシーズンオフ、ベガルタ仙台は順調な補強を行うことができた。昨シーズン活躍した中心選手のほとんどと再契約に成功。さらにレンタル所有していた松井蓮之、奥山政幸の所有権を獲得したのも地味ながら見事な補強と言える。
一部に、攻撃の中核だった中島元彦のレンタル元への復帰を心配する向きがあるようだが、私はそれほど心配してはいない。
前線でのボール保持力と言うでは、昨シーズン終盤に最前線で献身的な動きを見せたエロンが健在。さらに、栃木SCから獲得した宮崎鴻、昨シーズン中途から加入しながら能力を発揮しきれなかったが、潜在力は格段なのことを誰もが認める梅木翼らがいる。彼らが最前線で献身性を発揮すればボール保持力は相当なレベルが期待できるはずだ。
また得点力については、我々は郷家友太と相良竜之介を所有している。この2人がいるのだ、不安を感じることそのものが、この2人に失礼と言うものだろう(笑)。
そして、セットプレイの精度については、武田英寿の獲得が解決策になってくれることだろう。
むしろ、開幕後の試合を見てみないとわからないのは、最終ラインの整備だと考えている。昨シーズン、ほぼ定位置を確保していたベテランのCBの小出悠太が、古巣のヴァンフォーレ甲府に移籍してしまった。
もちろん、このポジションには副主将に就任した菅田真啓がいて、守備の中核を担ってくれるのは間違いないことだ。ただし、菅田のパートナが誰になるのか。井上詩音とマテウス・モラエスの潜在能力に疑いはないが、2人とも2024年シーズンは諸事情で出場機会が少なかったことが気にかかる。
ここ最近獲得した新卒選手は、攻撃ポジションのタレントが多く、最後尾はやや不足感がある。このオフの補強は上々だったとは思うが、CBの層の薄さは少々心配なのだ。
もっとも、1年前も似たような不安を抱いていたな。しかし森山氏は、左DFに新人の石尾陸登を、守備的MFに2年目の工藤蒼生を、それぞれ抜擢し、すべての不安を払拭してくれた。
きっと、今シーズンも大丈夫なことだろう。
さあ、J1復帰するシーズンが始まろうとしている。まずは明日。私も駅前不動産スタジアムに向かいます。まずは明日の歓喜から。
2025年02月09日
高校選手権決勝2025
どなたも賛同してくれるだろうが、今年の高校選手権決勝はおもしろかった。110分間、両軍の若者が死力を尽くして戦い、さらにPK戦でも登場したすべての選手が知性と技術の粋を尽くしていた。
まずはすばらしい試合を見せてくれた両軍の関係者すべてに、感謝の言葉を捧げたい。ありがとうございました。
高校選手権を日本テレビがショーアップを始めてから、半世紀が継続した。初期にそのショーアップの一環として行われた首都圏移転。移転前、最後の関西開催の1975-76年決勝は、前JFA会長の田島幸三の見事な2得点で浦和南が静岡工業を下して優勝。この試合は、後に日本代表になる選手が多数プレイしていた。浦和南には田島(一応後に古河)の他に菅又哲男(後に日立)、静岡工業には吉田弘(後に古河)、石神良訓(後にヤマハ)がいた。その翌年首都圏移転後、準決勝以降を国立で行うレギュレーションになった初年度1976-77年の決勝は、今でも語り草となっている浦和南対静岡学園の死闘、5対4で浦和南が連覇に成功した。この試合は、後に日本代表となる浦和南の水沼貴史(後に日産、マリノスでもプレイしたな、水沼宏太の親父殿ですね)や静岡学園森下申一(後にヤマハ、ジュビロ時代もプレイ)が、高校1年生で登場している。さらには、この大会に前橋育英の山田耕介監督が2年生で島原商業高の中心選手として活躍していた云々…と語り始めるとキリがないなw。
ともあれ、半世紀に渡り、日本テレビはこの年明けの若年層サッカー大会を盛り上げるべく尽力してきてくれた。このお祭り騒ぎが、日本サッカーにどのような貢献をしてきたのかの歴史を振り返るのも中々楽しいことだが、それは別な機会に譲ろう。本稿では、私自身がテレビ桟敷で楽しんだ決勝戦について講釈を垂れて行きたい。
繰り返しとなるが、野次馬にとっては手に汗握るすごい決勝戦だった。ただし、サッカーの質と言う視点からすると、不満はあった。さすがに70分を過ぎたあたりから、両軍ともにガス欠状態。守備ラインの押し上げが効かなくなり、前線の選手が強引に突破をねらう単調なサッカーになってしまったからだ。もう少しやりようがあったのではないかと思うが、それについては後述する。
しかし、単調になろうが、質が低かろうが、敵のゴールネットを揺らすことを狙い、若者たちが強引に前進する姿は美しいものだ。そして、それを阻止すべく献身的に身体を張り、我慢を重ねて縦突破を許さない守備陣の若者たちの献身も、また尊いものだった。そして、その尊さは観る者の心を打つ。
「サッカーの質に不満」とイヤミを述べたが、それは延長戦を含めた後半半ば以降のこと。前半はサッカーの質と言う視点からも、すばらしい試合だった。双方の組織的なフォアチェック、それを丁寧にかわすボール回しの妙。一度ボールを奪うや、素早く切り替え全選手が敵陣を目指す。奪われたチームは、同じく素早く切り替え守備体型を整え直す。
流経の先制点の「早さ」の鮮やかだったこと。中盤で、飯浜空風が鮮やかなインタセプト、そのまま前橋陣に向けて持ち上がり、走り込む亀田歩夢が受けやすいポイントに正確なパス。亀田もトップスピードでそのパスを受け、正確なボール扱いで横に流れながら落ち着いてDFをかわし、落ち着いて狙い済ましたシュートを決めた。亀田はフットサル出身とのことだが、高速で敵陣に向いての技術精度の高さが見事だった。カターレ富山内定とのこと、J2での活躍を期待したい。もちろん、飯浜の知性の冴えは言うまでもない。
しかし、前半のうちに前橋が追いつく。この同点劇の前橋の「個人能力」にも感嘆。左サイドに開いたオノノジュ慶吏がいかにも彼らしいデュエルの強さを活かし、しっかりとボール保持。そこから適切に視野を確保し、逆サイドのオープンに進出した黒沢佑晟へ高精度パスを通す。黒沢は右サイドで鋭い切り返しでDFを抜き去り、後方から進出していたフリーの柴野快仁に正確なクロスを入れ、前橋は同点に追いついた。柴野は失点時に飯浜にボールを奪われる致命的なミスを冒していただけに、見事な挽回とも言えた。そして、オノノジュのボール保持力と黒沢の切れ味の見事なこと。
その後も全選手の忠実な守備、ボール奪取後の一気に敵陣に迫る攻撃、奪われた直後の忠実な戻りなど、サッカーの質視点でもレベルの高い試合が継続する。すばらしい前半だった。
後半に入り、両軍とも想定外のトラブルに見舞われる。
まず流経。63分に3人の選手の同時交代で勝負を賭ける、驚いたのは中盤の柚木創の交代。柚木は切り返しの巧さで敵DFに囲まれてもしっかりボール保持できる能力を基盤に、敵DFのタイミングを外すパスも出せる。20年前ならば「ファンタジスタ」と絶賛されていたタレントだ。もちろん、今の選手だ。献身性は言うまでもないし、自己満足のために位置取りを勝手に変えて守備に破綻をきたすこともない。流経榎本雅大監督は、その柚木を外すと言う勝負に出たわけだ。ところが、不運にも交代出場した和田哲平が直後に負傷、早々に安藤晃希との交代を余儀なくされる。安藤はスピードのある選手で再三左サイドの縦突破を狙っていたが、柚木も和田も不在の流経は、どうしても単調な攻撃に終始することになってしまった。
そして、交代カードを1枚しか切らず流経の交代による攻勢を我慢を重ね凌ぎ切った前橋。84分に勝負に出る。上記した同点弾を演出したオノノジュと黒沢を交代、2人に代えて脚力のある選手を起用、ピッチに残した佐藤耕太のシュートの巧さを活かそうとしたのだろう。ところが、よりによって交代直後にその佐藤が負傷退場。前橋も当初狙った交代の意図が発揮できない状況に陥った。それでも牧野奨や大岡航未が、執拗に強引な裏狙い突破を試みたが、こちらも変化が不足し流経の守備陣を破ることができなかった。
和田と佐藤が負傷せずにピッチに残っていたら、試合はどうなっていただろうか。榎本、山田両監督の意図は実現せぬまま試合は進行することになった。
個人的には両監督の采配に疑問も残った。延長に入り両軍選手の疲弊が明らかだったのだから、お互い確保していた残り1枠の交代を使うべきではなかったのか。例えば、後方のタレントを投入し、中盤でボールを落ち着けることができて展開力に優れる石井陽(前橋)なり飯浜空風(流経)を1列前に上げるだけで、両軍とも攻撃に変化が生まれたと思うのだが。まあ、野次馬の戯言として。
そんなこんなで偶然と必然が交錯、後半半ば以降は前述したように、両軍ともに押上げもないまま前線の選手が強引に縦をねらう攻撃に終始。それをまた両軍の守備陣がファウルをしないように身体を巧みにいれる守備で対抗。延長含めて、文字通り死闘が継続したが両軍ともにゴールネットを揺らすことはなかった。繰り返すがサッカー的な質はさておき、見ていて興奮させられる見事な戦いだった。
かくして突入したPK戦がまた壮絶だった。
全選手が低い弾道をサイドネットに決めるか、やや浮かしてゴール端に決めるか、GKを動かしてから逆側なり中央に決める。要は皆がしっかりとPKも練習し、自分のスタイルを持ち、自信満々蹴っているだ。それが、5人ずつ全員が決めてサドンデスになった以降も継続するのだから恐れ入る。最後勝負を決めた前橋の10人目柴野もフェイントでGKを動かしてから冷静に蹴り込んだ。フィールドプレイヤの最後のキッカーまで自分のスタイルのPKを準備しているのだから、感心させられた。すごいPK戦だった。
前橋育英山田耕介先生は、故小嶺忠敏先生の最高の弟子と語っても、過言ではないだろう。
半世紀前に選手としてインタハイを制し高校選手権でも活躍、山口素弘・故松田直樹・細貝萌ら幾多の名手を育て、監督として全国制覇も経験、ザスパの経営にも関わる。文字通り日本サッカー界の大巨人。その大巨人が、教え子達のPK戦を正視できない表情が美しかった。ちょっと故イビチャ・オシム氏を思い出したりして。おめでとうございます。
世界最強国を目指すに至った我々。必ずや、この凄絶な決勝戦も、世界最強に向けての一助となることだろう。改めて、両軍関係者に乾杯。
2025年01月11日
静岡学園対東福岡を楽しむ
1976-77年首都圏最初の大会決勝の静学対浦和南との死闘から、早いもので半世紀近くが経った。当時いずれかの組の若頭かと思わせる風貌で、徹底した技巧を軸に旋風を巻き起こした名将井田勝通氏。既に後継者として確固たる指導実績を誇る川口修氏が指揮をとっているわけだが、井田氏があいかわらず元気そうな姿でベンチに鎮座しているのをTV桟敷で見ることができたのも嬉しかった。あたかも、引退した先代大親分風の雰囲気をたたえながらw。
一方で、この試合を記者席でじっと見ていた東福岡の名将志波芳則総監督も、既に70代とのこと。この方も井田氏同様幾多の名手を育て上げてきた。少々脇の甘さがあったことは確かだけれども…志波氏の後任として、見事な采配を見せてくれた森重潤也氏(80年代から90年代にかけて、全日空(後のフリューゲルス)や中央防犯(後のアビスパ)で活躍した名選手)。今シーズン、その森重氏からバトンを受けた平岡道浩氏(東福岡時代は、山下芳輝や小島宏美のチームメートだったとのこと)が、後述するような見事な采配を見せてくれた。このような歴史の積み重ねは、我々野次馬にとっては堪えられない楽しみだ。
試合前から、静学が攻勢をとり、東福岡が守備を固め速攻を狙うのは予想できていた。
しかし、東福岡の守備戦法は、そう言った予想を遥かに超えて徹底したものだった。頻度は少ないが静学陣内でプレスをかけボールを奪う場面は幾度かあった。当然前線の 選手はそこから手数をかけずに静学ゴールを目指す。そして後方の選手はコンパクトを維持するために押し上げる。しかし、押し上げるだけで守備ラインの選手はハーフウェイライン近傍より前には前進しようとしないし、中盤の選手も前線への飛び出しを行わない。そのため、東福岡の攻撃は単発で終わる。
結果、静学が圧倒的にボール保持することになり、伝統の(?!)技巧的なボール扱いから次々と東福岡ゴールを襲うことになる。しかし、東福岡DFは、献身的なカバーやゴールライン直前でのクリアなどで、静学の変幻自在の攻撃を何とかしのぎ前半終了。
後半に入り、東福岡の守備作戦はさらに徹底された。静学陣でのチェックをほとんど行わなくなり、FW含めてハーフウェイラインをほとんど越えようとしない。しっかりと守備ブロックを固め、静学の前線の人数に合わせ守備選手の位置取りを丁寧に微修正しながら、守備を徹底する。前半、僅かな回数ではあったがフォアチェックを外され(対静学の場合「外され」と言うよりは「抜き去られ」が適切な日本語のような気もするが)、静学の速攻に肝を冷やす場面があったことを反省しての修正かもしれない。
静学もさすがで、ハーフウェイライン近傍でDF陣が左右に揺さぶっておいて、サイドにすばやく展開。そこで数的優位を作り、トリッキーな崩しを狙う。結果、サイドに両軍が3人あるいは4人を配する形となり、双方の鋭い個人能力での崩し合いとなる。もちろん静学各選手のボール扱いや身体の使い方は格段なのだが、一方で東福岡各選手の技巧やスクリーンのレベルも相当なもの。サイドの局地戦の攻防を見ているだけでおもしろかった。ここで静学にとって重要だったのは不用意な攻め急ぎを行わないこと。ブロックを固め待ち構えている東福岡守備陣に雑な縦パスを入れて奪われれば、逆襲速攻されるリスクがあるが、そのような軽率な場面は一切なかった。静学各選手の知性の高さがよく理解できた。
もちろん東福岡の前線の選手は、フィジカルが相当強い。すると、上記サイドの局地戦攻防で僅かでも東福岡が優位に立ち、いずれかの選手が前向きにプレイできれば、そこから少人数速攻が可能になる。幾度か1人から3人程度の少人数速攻で、守備人数が少ない静学陣を襲う。しかし、静学の守備選手の攻撃から守備への切替の早さもさすがで、ギリギリでシュートまでは持ち込ませない。それでも、東福岡はCK崩れから、たった1度だが決定機を掴んだのだから大したものだった。各選手の意思統一と集中力の賜物だろう。
後半30分以降。静学は猛攻をかける。これまで、徹底してサイドを突いていたのは一種の撒き餌だった。最後の勝負どころで、DFやMFが次々と中央突破の鋭い縦パスを入れる。疲労しきった東福岡DF陣は修正や反応が遅れ、静学は再三決定機を掴む。が、シュートがどうしても枠に飛ばなかった。もちろん、東福岡各選手の修正能力のすばらしかった。川口氏からすれば「試合が80分でなく90分だったら」と思ったことだろうし、平岡氏は「80分なのだから」と割り切ったのだろう。
ただ、ここで私は「割り切った」と簡単に書いたが、その決断は相当重いものだったと思う。上記したサイドの攻防を見ても、東福岡の各選手の個人能力は相当なもの。静学各選手の技巧に何ら負けるものではなかった。それでも、これだけ能力高い各選手に守備作戦を徹底させた平岡氏の指導力は相当なものだ。
その徹底した守備作戦を把握し、80分間逆襲速攻をされるような奪われ方を許さず、執拗に攻撃サッカーを継続。幾度も決定機を作る静学を指導した川口氏の手腕も言うまでもないが。
さらにPK戦もおもしろかった。両軍各選手が、PK戦を想定し相当鍛錬してきたことがよく理解できた。ほとんどの選手が、サイドネット寄りの上方を狙いすまして蹴るのだから恐れ入る。しかし、あまりの過緊張状況。静学は2回、東福岡は1回、キッカーの軸足が甘くボールはバーを超えてしまった。
もはや、ただの「運」としか言いようがない。
この両軍の攻防を堪能し、日本サッカー界のここまでの充実と、将来の発展像も色々考えたのだが、それはまた別な機会に書きたい。
まずは、ここまですばらしい試合を堪能できたこと、すべての両軍関係者に感謝したい。
2024年12月31日
2024年10大ニュース
1. アジアカップと史上最高の日本代表
米加墨W杯予選開始後の日本代表の強さは際立っている。考えてみれば、当たり前の話のように思えてくる。
全ポジションに欧州の高いレベルのクラブで常時出場している選手が揃う。そして、カタールW杯後、森保氏がしつこく選手たちに要求しているボールを奪われてからの守備。交通事故を許さない板倉滉や町田浩樹の守備個人能力の高さと谷口彰悟の経験(しかも、日本サッカー史上最高の守備者の冨安健洋が負傷離脱中!)。世界のどこに出しても自慢できる遠藤航の中盤守備と守田英正の運動量と手数の多さ。これまた世界最高の両翼と言いたくなる伊東純也と三笘薫の両翼。しっかりと守備をしながら、好機を量産する鎌田大地、久保建英、南野拓実、中村敬斗そして堂安律の妙技の数々。さらにトップに上田綺世と小川航基の成長。アジアカップ時は少々不安定だった鈴木彩艶の成長。欧州で地位を確立ている旗手怜央、古橋亨梧、菅原由勢、橋岡大樹、瀬古樹らに、ほとんど出場機会がないのだから恐れ入る。
森保氏は、多くの選手を試し、分厚い選手層を誇るチームを作ってきた。上記の通り、いずれの選手にもボールを奪われてからの守備を徹底し、ラージグループを見事に作り上げてきた。その結果、上記した技巧と判断に優れた攻撃的タレントも、常に献身的努力で守備を行うのだからすばらしい。
それでも、アジアカップでは苦杯を喫した。タイトルマッチの勝負は、様々な運不運によるものがある。しかし、イラン戦の敗戦は、単に体調不良の板倉を引っ張り交代しなかったことにあった。もちろんイランは強いチームだったが、当方が最前を尽くし損ね苦杯を喫したのだから、間抜け極まりない敗戦だった。全責任は森保氏にあった。悔しいな、今思い出しても。
また、氏の采配を見ていると、チームとして機能するメンバが一度固まると、采配が硬直化する悪癖がある。カタール予選での柴崎、カタール本大会での浅野、そして同じくカタールで行われたアジアカップでの板倉。10月埼玉の豪州戦で直前の敵地サウジ戦で疲弊した選手を引っ張り勝ち切れなかったのも類似の悪癖が要因と見るべきだろう。
加えて、2026年に年齢的にどのようにピークを迎えるバランスが取れた選手層に持ち込むのかも難しいところ。高井幸大、藤田譲瑠チマ、細谷真大らパリ五輪世代の選手を加えたいところだが、20代半ば以降の選手層が厚過ぎて、中々試す機会が作れないと言う贅沢な悩みも厄介だ。
いずれにしても、2024年のアジアカップを制覇できなかったことは、長い日本サッカー史においての痛恨事として記録されるべき残念な事件と明言しておきたい。
2.改めて最強国であることを示した女子代表
パリ五輪。女子代表はすばらしいサッカーを見せ、USA戦でもほぼ完璧な守備と変化あふれる攻撃で、あと一歩まで追い込みながら、何とも言えない不運で敗退した。2023年の豪州NZW杯に続く、痛恨の敗戦だった。
大会を通じて不運だったのは負傷者の連続。大会前に左サイドDFの遠藤純が重傷で選考外、初戦で右サイドDF清水梨沙が負傷で離脱。同ポジションの北川ひかると守屋都弥が負傷で中々体調が整わず、CBの古賀塔子やFWの宮澤ひなたや清家貴子を起用する苦しい布陣が続いた。北川と守屋が両翼を支えたナイジェリア戦とUSA戦は、すばらしいサッカーを見せてくれた。ただ2人のバックアップ不在ゆえ、USAとの延長で疲労困憊した北川が、オフサイドラインギリギリから抜け出されたロッドマンご息女に一撃を決められてしまったのだから、もうどうしようもなかった。加えて、林穂之香も大会序盤には間に合わず将軍長谷川唯を常時中盤後方で使わざる得なくなったこと。そして、澤穂希感を漂わせている藤野あおばも体調不良でフル出場できなかったのみならず、あのブラジル戦の終盤、PK奪取と鮮やかなダイレクトミドルシュートを決めた谷川萌々子もその後使えなかった。
これらのコンディショニングを含めての勝負ゆえ、敗戦は受け入れなければならないが、ベストメンバが組めれば十分世界一を再現できそうなチームだっただけに残念。それがサッカーなのかもしれないが。13年前に世界一となった以降、欧州各国の強化が進んだこともあり、世界一の奪還は容易なことではない。しかし、これだけのタレントが揃っているだけに、近い将来への期待は大きい。初めての外国人監督の下、短期的成果を期待したい。
もっとも、観客動員が思うように進まないWEリーグや、中学高校の受皿不足などの、女子サッカーの本質強化については、少しずつの改善は見られるが、決定的な解決策が見出せない悩みも大きいのだが。
3.ヴィッセル神戸の2冠と2連覇
J1は終盤、ヴィッセル神戸、サンフレッチェ広島、町田ゼルビアの3強が覇を競ったが、終盤戦での安定感でヴィッセルが逃げ切った。前川薫也、マテウス・トゥーレル、山川哲史、酒井高徳、扇原貴宏、井手口陽介による安定した守備(山口蛍や齋藤未月の負傷離脱がダメージとならなかった選手層の厚さとも言い換えられる)、大迫勇也、武藤嘉紀、宮代大聖、佐々木大樹らが並ぶ強力攻撃陣。潤沢な資金で集めた元日本代表選手や比較的無名だったタレントを厳しく鍛え抜いた吉田孝行監督の手腕もすばらしい。
天皇杯でも、丹念に勝ち抜いた神戸が、決勝でガンバ大阪を下し2冠を達成。決勝は重苦しいタイトルマッチ決勝らしい試合となったが、すばらしい守備を見せていたガンバの大黒柱中谷進之介が、90分間でたったの1回神戸佐々木に出し抜かれた場面で、大迫が美しいターンからのラストパスを通して勝負を決めた。今シーズン鮮やかなプレイを見せていた宇佐美貴史が負傷で決勝に出場できなかったガンバは非常に不運ではあったけれど。
2004年に神戸出身の三木谷浩史氏が個人オーナとしてチームを支え、2014年から楽天の子会社となったヴィッセル。まあ、過去は色々野次馬にとっては楽しいチーム作りが行われたこともあったが、ここに来て安定した資金力と適切な強化が両立した見事なチーム作りを見せてくれるようになったと言うことか。
元々、神戸は歴史的なサッカーどころ。潤沢な資金力と併せ、日本いやアジアのサッカー界を牽引する期待は大きい。
4.スペインと互角に中盤戦を演じた五輪
パリ五輪の男子の敗戦も、また悔しいものだった。そして、ものすごく悔しい中でほんの少し嬉しかったのは、0-3での苦杯ではあったが、スペインとほぼ同等のボール保持戦を演じ、決定機数もほぼ同じ。西欧の強豪国と世界大会で互角の試合内容だったと言う意味では、歴史的な試合だったとも言える。カタールW杯や東京五輪では、ボール保持に拘泥せず最終ライン勝負に持ち込んで勝ち切ったのだから。
この五輪チームは、アジア予選で幾多の危機をしのぎ(1次ラウンドの中国戦はDF西尾の軽率な退場、早期韓国戦でセットプレイ対応ミスで敗戦など)、粘り強く予選を勝ち抜いた。さらに本大会1次ラウンドでも、失点リスクを少なくしながら慎重に戦う、いわゆる「タイトルマッチ向き」の戦いを実演。堅実に勝ち進んでくれたのだが。すばらしいチームだったことを忘れないようにしたい。
また、この五輪は予選を含めて印象的な事案が多かった。
まず韓国の本大会出場失敗。この隣国は、1986年メキシコW杯予選で我々を破った以降、W杯は10回、五輪は9回、それぞれ連続出場していたのが途切れたけだ。しかも、連続出場を阻止したのは、韓国人監督申台龍が率いた進境著しい東南アジアの雄インドネシア。一つの事件だった。
1次ラウンド最終戦でイスラエルに完勝したのも、我々年寄りには感慨深かった。1970年代イスラエルはアジア連盟に加盟しており、世界大会予選で幾度も完敗を喫していた。当時、イスラエルは韓国よりも高い壁だったのだ。そのイスラエルに対し、既に2連勝で準々決勝進出を決めていた日本は、勝たなければならないイスラエルを冷静にいなし、終盤決勝点を奪う完勝。正に半世紀における日本サッカー界の向上を示す試合となった。
スペイン戦での細谷の幻の同点弾も忘れ難い。画像処理技術によるオフサイド判定は、最新技術適用の一つの成果だが、あの場面は「オフサイドの趣旨:敵陣での待ち伏せ攻撃」でも何でもないものだっただけに、理不尽さは格段だった。現状のルール下では、オフサイドとなったのはしかたがないこと。しかし、あの細谷のオフサイドは、今後のサッカールールの変更のきっかけとなるのではないか。
5.広島と長崎の新スタジアム
広島、長崎に、新しい発想の球技専用スタジアムが作られた。トラックがなく屋根も備えられているので、サッカーを見やすいのは当然のこと、さらにいずれも市の中心部に位置し交通の利便性も格段。しかし、この両競技場の特質はそれだけではない。
広島は自治体が、長崎は民間企業が、それぞれ設立主体だが、両競技場とも試合のない日も様々な娯楽が楽しめる施設を具備している。そのため、観客動員増はもちろん、サッカー以外でも多くの人々が楽しむ場となっていると言う。私も先日のJ1昇格プレイオフで長崎スタジアムシティを訪ねたが、試合観戦とは別に買物や宿泊を楽しむ人々も受け入れ可能な環境に感心した。さらに、試合がない日はスタンドが開放され、競技場そのものが遊戯場となる発想も見事なものだ。
まだ、一部のJクラブの本拠地は、市の中心街から遠く、駐車場からの脱出に時間がかかり、屋根がなく、陸上トラックの湾曲部の外側では真っ当に試合展開が見えない。そう言った悲しいスタジアムからの脱却を改めて考える必要があるだろう。この2都市の成功事例を、多くのJクラブも学びたいものだ。
また、競技場とスポーツの連携というと、やはりプロ野球のファイターズやイーグルスが参考となる。両チームとも地域自治体に相当な負担をしてもらいながら、野球という娯楽と関連の集客で地域に大きな還元を行っている成功例だ。もっともファイターズについては、その前に使っていた競技場との関係が微妙で、それはJリーグにも絡む話なのだが。我々サッカー界も、この野球の両球団のように、少々図々しく(笑)地域の税金を活用させていただく発想も学ぶ必要があるかもしれない。このあたりは、地域に根ざすスポーツクラブが集まって欧州や南米で自然発生的に育ってきたサッカーの世界と、独占ビジネス権を各都市に販売することで発達してきた野球に代表される北米のスポーツの考え方の違いもあるのだが、まあそれはそれ。
残念ながら2024年は世界平和と言う視点では芳しい年ではなかった。しかし、奇しくも80年前に第二次世界大戦で極端な被害に遭った両都市が、平和の象徴とも言うべきスポーツの世界で、新しい成功事例を積み上げたことを記憶しておきたい。
6.町田ゼルビア黒田監督の舌禍
観戦しやすく便利な競技場の話題となったところで、残念ながらそれとは対照的な競技場に悩む町田ゼルビア。J1へ初昇格し、潤沢な資金力を活かし、堂々と優勝争いにからみ、見事な成績を収めた。改めて拍手を送りたい。
ところが、このクラブについては、他クラブ関係者から色々非難される事態となってしまった。曰く、ロングスローがけしからん、時間稼ぎが目に余る、どうしたこうした…まず、ロングスローも時間稼ぎもルール上認められていることで、それで非難されるのはおかしなことだ。また、話題になった敵にPK時にボールに水をかける行為だが、これもルール上は問題ないこと。ただ、PKはサッカーの中でも非常に特殊な状況ゆえ、キッカーとGK双方がプレイしやすい環境準備は、広義の主審の仕事の一つなので、状況によっては主審の何がしかの干渉はあってもよいだろう。これら一連の活動はそれだけのことだと思っている。
しかし、事態を混乱させたのは、やはり黒田監督の舌禍だろう。これは黒田氏の経歴、高校サッカーの名将だったことの影響だったと思う。高校サッカーと言うのは少々特殊な社会でプロサッカーチームとは異なる環境におかれている。取材者も相手を慮り、監督の発言にも適切なフィルタリングを行う伝統がある。黒田氏は、そこを勘違いし言葉の選択や発言趣旨が不適切となり、プロサッカーの取材者におもしろおかしく切り取られてしまったと言うことに尽きるのではないか。
ともあれ、町田の戦績、黒田氏の手腕がすばらしかったことは間違いない。ただし、あの競技場の不便さと見づらさはどうしようないけれど。
7.J3からの降格
2014年にJ3が結成され、全校リーグがJFLと合わせて4部制になって初めて、J3からJFLに降格するクラブが登場することになった。従来は、スタジアムなどの昇格要件を満たしJFLで好成績を残したクラブがJ3に昇格できるレギュレーションだったが、とうとうJ3のクラブ数が増え、降格クラブが登場することとなった。プロフェッショナルを志向するサッカークラブが順調に増えていると、素直に喜びたい(降格の当事者の方々は大変だろうけれど)。日本中津々浦々にプロフェッショナリズムを導入したクラブがあり、各地域のサッカーをリードしていくことが、W杯制覇のためには必須事項だと思うからだ。
一方で、前々項でも述べたが、もう少し競技場への要件は厳しくしてもよいような気もしてくる。ただそれを厳しくすることは普及の妨げになりかねない。難しいものだ。
8.首都圏クラブの充実とファジアーノ岡山のJ1初昇格
上記した町田ゼルビアのみならず、12年ぶりにJ1に復帰した東京ヴェルディもJ1で6位と上々の成績を収めた。来シーズンのJ1陣容は、首都圏9、関西圏4、名古屋圏1、その他6と言う配分となった。即断は禁物だが、ここ数シーズンの傾向として首都圏のクラブ数が少しずつ増えている。これは当該クラブの努力が最大要因だが、首都圏(言い換えると大東京圏)と言うベネフィットを活かし、大規模なスポンサー獲得が容易と言う外的要因もある。ゼルビアの大躍進は、その顕れと言っても過言ではかなろう。
特に24年シーズンは、Jリーグ当局が首都圏クラブを中心に、国立競技場開催などのキャンペーンを行ったのも影響したかもしれない。
一方で首都圏クラブは、地方都市クラブと比較して、地方TV局や地域新聞などの露出が少ないと言うハンディキャップも抱える。また、2025年にはファジアーノ岡山が20余年の歴史でとうとうJ1昇格にこぎつけた。これは、地方のクラブでも健全な経営を行い、適切な強化を継続すれば成功すると言う格好の事例だろう。前項のJ3からの降格と合わせ、日本サッカー界の充実は着実に進んでいる。
9.中東サッカー界とのかかわり
過去5回のアジアカップ開催地は、東南アジア4国:1、豪州:1、UAE:1、カタール:2。そして次回はサウジアラビア。W杯も2022年カタールに続き、2034年のサウジアラビア開催が決定した。ほとんどのタイトルマッチが、いわゆるアラビア半島の産油国で行われている。これだけ広いアジアなのだ。もっとバランスよく各国で行われることが健全と考えるのは私だけではないだろう。
加えて、サウジアラビアはオイルマネーを駆使した公的基金で世界中のトッププレイヤを同国リーグにかき集めている。結果的にサウジアラビア代表の弱体化が言われているが、元々大して強い国ではないので(笑)それは問題ないが、残念ながら観客動員も知れたものとのことだ。世界中のトッププレイヤが盛り上がらない競技場で戦うことが、果たしてよいことなのだろうか。
またカタールが帰化選手や、少数選手を今風の指導で鍛えて、W杯で惨敗したのも記憶に新しい。このカタール惨敗は、我々日本代表がアジアカップでちゃんとカタールを叩きのめして、「サッカーとはこう言うものだ」としっかり指導すべきだったのだから、当方の責任なのかもしれないが。
何を言いたいかと言うと、これらの中東オイルマネーが世界のサッカー界の生態系を崩していることが健全とは思えないと言うことだ。アジアのサッカー界のバランスは完全に崩れてしまっている。別に彼らと対立する必要はないが、このままでよいのかは考え続ける必要があるのではないか。「いやあ、あの強烈なキャッシュ攻勢ですからね、どうしようもありません」と、言ってしまえばそれまでなのですが。
10.賀川浩氏逝去
尊敬してやまない恩師が亡くなりました。齢99歳。ご冥福を祈ります。
若い頃、暗記するまで読み込んだサッカーマガジンのコラム。ボール扱いとそれをどのように使うべきかと言う判断。W杯本大会のクライフやベッケンバウアの妙技や、日本リーグでの釜本邦茂や彼を止めようとする守備者との駆け引き、それらを中学生、高校生だった私たちにわかりやすく解説し、明日の練習への目標を提示してくださいました。
自分のプレイ、子供への指導、そしてサッカー観戦すべてに参考となる言葉の一つ一つが、どれほど自分の血となり肉となったことでしょうか。
長じてから直接お会いした折の薫陶の数々。釜本のボール扱いやキックにインパクトを例にとり、今の選手たちの長所短所を、澱みなく語っていただきました。森島寛晃のゴール前への飛び込みについて「トップスピードでゴール前に入り、一泊置いて、さらに再加速するじゃないですか」と私が語った際に、「そりゃ、いいところに目を付けはったな」と褒められたのは一生の宝物です。「なぜカズの前だけにボールがこぼれるのか」を語り合ったのも最高でした。最後は「まあ、運やな」ともおっしゃっていましたが。
人類が産んだ最高の玩具であるサッカーの楽しみ方と文章化を具体的に教授下さった大先輩でした。
恩返しのために、もっともっと一生を費やしてサッカーを楽んでいきます。ありがとうございました。
2024年ベストイレブン
GK 小久保ブライアン
あの五輪予選決勝のウズベキスタン戦のPKストップに。
DF 酒井高徳
ヴィッセルの試合を見ていると、右DFの酒井は敵左サイドの選手に幾度か突破されかけピンチを招く。しかし失点しない。90分過ぎると、結局右サイドは崩されていない。若い頃は、能力は高いが肝心のところで今一歩感があったのだが。ヴィッセルの2連覇、2冠を文字通り支えたのは酒井だった。
DF 中谷進之介
Jリーグ日本人最高のDFだと思っている。天皇杯決勝でもすばらしい守備を見せていたが、たった1回だけヴィッセル佐々木の巧みなスクリーンを止められなかった場面で、大迫にしてやられたのは、悔しかったろうな。代表でもプレイしてもらいたいと思うのは私だけだろうか。
DF町田浩樹
この1年間の成長を讃えたい。W杯予選での1対1対応の強さには恐れ入った。加えて、左足の精度と不器用そうな持ち上がりもすばらしい。アジアカップ時には上記プレイそれぞれが結構怪しかったのだが、格段に成長してくれた。
DF 佐々木翔
プレイを見ていると、本当に35歳なのか不思議になる。落ち着いた守備対応(これは年齢相応か)、丁寧なフィード(これも経験のなせる技か)、走るべき時に走り切れる脚力(これが驚異なのだ)。少なくとも今シーズンのJリーグを見ていた限りでは、この人を選ばないわけにはいかない。
DF大畑歩夢
ある意味で予選を含めたパリ五輪で最も輝いたタレント。持ち上がった時の攻撃の有効性は言うまでもないが、特筆したいのは守備の安定感。同サイドからの敵突破を粘り強く止めるのも見事だが、170cmに満たない小柄にもかかわらず逆サイドからのクロスへの対応がすばらしい。
MF 扇原貴宏
ロンドン五輪世代で、最も才能あふれるタレントとも期待されたMFが、多くのクラブで経験を積み何とも有効な選手となった。若い頃から期待されていたパスの精度とタイミングに加え、敵速攻を読み切る位置取りの巧みさからのボール奪取がすばらしい。
MF 守田英正
日本代表の大黒柱。
MF 鎌田大地
三笘も久保も堂安も南野も、皆自分のペースでプレイしている(それはそれで否定しないけれど)。鎌田だけが他の選手を活かそうとしている。
FW 伊東純也
日本サッカー史上最高のFW。3DFのウィングバックではなく、4DFの純粋なウィングとして使って欲しい。
FW 上田綺世
トップに位置しての動き直しの頻度。敵DFの隙を突いてのターン。前を向いた瞬間の低い弾道のシュート。もっともっと独善的プレイをしてください。