2025年12月31日

2025年10大ニュース

1.ブラジルに勝った
 ブラジル代表に真っ向勝負を挑み、堂々と勝ち切った。
 1960年代、東京五輪に向け、日本は西ドイツのクラマー氏を招き、組織的な強化を行なった。以降も、多くの選手や指導者が西ドイツに渡り、多くを学んできた。言うまでもなく、メキシコ五輪銅メダルや、奥寺康彦や長谷部誠のブンデスリーガでの活躍は、それら一連の活動の典型的成功例である。そして、2022年W杯、さらに23年の親善試合でドイツに2連勝したのは記憶に新しい。
 一方で、1970年代より「ブラジルに学ぶ」と言う文化が日本サッカーには根付いていた。ネルソン吉村、セルジオ越後と言った日系ブラジル人の来日、JSLに登場した多くのブラジル人タレント。近江達氏、井田勝通氏などの先駆的指導者たち。まあ毀誉褒貶はありますが、納谷宣雄氏のような独特のブラジルコネクションと、ご子息の三浦カズ。来日したジーコが教えてくれたプロフェッショナリズムや勝利への執念。ドゥンガやジョルジーニョに代表される世界最高級選手のプレイや振る舞い。ラモスや闘莉王などのブラジル生まれの帰化選手の代表での献身。一方で、日本代表は、ブラジルに代表される中南米諸国を苦手としていた。いわゆる個人技で必ずしも優位に立つことができないため、強みを発揮しづらく、欧州やアフリカ勢と比較して相性が悪かったのだ。
 このブラジル線では、前半やはり個人能力差から0-2とリードされたが、後半序盤のハードなプレスから敵のミスを誘引し南野が先制。その後起用した伊東純也が、堂安との巧みなコンビネーションから抜け出し決定的なクロスを上げ、中村敬斗と上田綺世の連続弾で逆転。そのまま押し切った。堂安、純也が個人能力で上回り、ブラジルに勝つことができた。歴史的勝利だった。
 ホームの有利さ、先方は外国人監督を招聘してのチーム作り途上、控えメンバーが多いなど、幸運もあったのは間違いない。しかし、日本戦の直前にブラジルはソウルで韓国に5-0で完勝している。また、日本も冨安、板倉、遠藤航、守田、三苫など多くのスターを欠いていた。誇ってよい勝利だった。
 W杯本大会、2次ラウンド初戦でブラジルと当たる可能性もある。そうなったら、やはり相当難しい試合にはなるだろう。しかし、勝つ可能性が十二分にあることを、私たちは完全に理解している。

2.鹿島アントラーズ久々のJ制覇
 鹿島アントラーズの国内タイトル獲得が9年ぶりと言うのは少々驚きだった。毎シーズンリーグ戦でも上位につけていたし、2018年にはアジアチャンピオンズリーグも制していたからだろうか。
 今年のチームは、鈴木優磨、植田、三竿健斗、小川など欧州から復帰した選手、知念、レオセアラ、小池らJで実績あるタレント、そして荒木、松村ら他クラブへのレンタルで経験を積んだ生え抜きの人材を、フロンターレで実績を上げた鬼木監督がバランスよく配置。GK早川、植田を軸にした守備の安定と、鈴木を軸にした攻撃が機能、特に試合終盤に再三得点を決めるなどの、勝負強さが目立った。
 もう1つ、最近の国内のトップ高校生が直接欧州に移籍してしまう事案が増えていることに対し、ユース強化を実践。プレミア制覇を含めた3冠王を獲得したのも注目に値する。

3.町田ゼルビア天皇杯制覇
 昨シーズンJ1に昇格し、堂々と上位進出に成功した町田ゼルビア。今シーズン天皇杯を制覇、ついに初タイトルを獲得した。
 有力IT企業が積極的な出資を行い、ドラミ相馬や中山などの海外からの復帰選手、望月ヘンリーや林などの有力な若手をしっかり獲得、黒田監督の指導よく順調な強化が進んでいる。天皇杯決勝では、ドラミがヴィッセルのベテラン酒井高徳をズタズタにして快勝、時代の流れを感じさせるほどだった。
 ただ、このクラブは先日より議論されているロケーションが大変な競技場問題、パワハラ問題を抱えている。前者については以前も語ったので割愛。後者は先日のJ当局の発表に対する町田の対応を見ている限りでは、町田というクラブの当事者能力が疑われる事態にも思えてくる。最近の事案なので、どうこうは語らないが、非常に心配だ。

4.水戸ホーリーホックのJ1昇格
 四半世紀に渡りJ2で奮闘していた水戸ホーリーホックがJ1昇格を決めた。比較的経営規模の小さなクラブに大きな勇気を与えることとなった。
 組織的な守備も見事だったが、何よりすばらしかったのがベテラン渡邉新太と若きスター齋藤俊輔の2トップ。シーズン初めは「大分の渡邉が水戸に移ったのか」くらいの印象だったが、格段のボールキープとシャープなシュートで水戸の連勝を支えた。よいFWが格段のストライカーに化けた感があった。そして、齋藤は正に大化け、U20W杯でも活躍したが、いったんスピードが落ちてから急加速で相手を抜きされるのが強み。まあ齋藤については、仙台サポーターとしては、ユアテックで3人抜きの強烈な一撃にやられた印象が強いのですが。早く欧州に行ってください。
 とは言え、このクラブは、若手の育成では定評があり、最近は早期からの出場機会が得られるとの評価が定着、加入を希望する学生選手が多いと聞く。実際、古くは闘莉王、最近では前田大然など、優秀な若手の登竜門的なチーム作りが奏功したということか。
 J1での戦いは決して楽ではなく、何より競技場問題の解決など課題も多いが、まずはJ1での奮闘を期待したい。

5.浦和レッズ世界へ挑戦、川崎フロンターレアジア王者にあと一歩
 クラブW杯、アジアチャンピオンズリーグエリート、いずれも怪しげな大会フォーマットはさておき、主催側は真剣な金儲けの場としての充実を検討しており、この流れは変わらないだろう。日本のクラブにとって厳しいのは、リーグ戦とのバランスをとりながらの日程の厳しさだ。「日程が厳しいのは欧州トップリーグのクラブも同じ」と言う向きもいるかもしれないが、彼らと比較して経営規模の小さな日本のクラブは、欧州各クラブのように潤沢な予算から分厚い選手層を揃えるのが難しい。
 レッズは、リーベル、インテル、モンテレイに3連敗したわけだが、もう少し準備の期間があり各選手の体調が揃えられていたら結果は随分異なるものになっていたように思える。ただし、さすがレッズサポーター、その存在感は世界中から感嘆されたようだ。もっとも、サポーターの方々は自分たちが褒められても、勝敗が芳しくなかったのだから、嬉しくもないだろうが。
 フロンターレは、最近の中東特有の異常で不公平な日程にやられた。アルナスルに快勝した準決勝から、中2日での決勝アルアリ戦はどうしようもなかった。もちろん、相手も強かったのだが、決勝では明らかに体調が整っていない選手もいたし、さらに前半での三浦の負傷が痛かった。
 アジア、世界で日本のクラブが勝つためには、経営規模拡大以上に、日程を何とかしなければ、との思いを強くする2大会だった。

6.夏夏、年またぎ制のJリーグ開始
 いよいよ来年より、年またぎ制のJリーグが始まる。このシーズン制変更で、わずかながら日程的な余裕ができて、アジアや世界の戦いが楽になるようならばよいのだが、J1を20チームに増やしたため、あまり余裕が作れるようには思えない。特に日本海側の雪国のチームでなくても、冬期の夜は寒いので、ナイトゲームは難しそうで、結局消化できなかった試合を、強引に4〜6月に消化するしかなさそう。加えて、最近は夏期の暑さ、雷、豪雨などが激しくなってきており、試合の消化が厳しくなってきているので、リーグ終盤の6月に中止を余儀なくされることがなければよいのだが。
 不思議なのは、数年の準備期間があったにもかかわらず、Jリーグ当局が具体的な準備を何もしていないように見受けられること。意思決定が行われた際は、雪国のクラブに何がしかのサポートが行われるような報道があった記憶があるのだが。まあ、試してみて改善をはかっていくしかないのだろう。

7.ジェフユナイテッド千葉のJ1復活
 ジェフ千葉がJ1復活を決めた。ジェフというクラブは、前身の古河と合わせ、JSL、Jリーグを通して44年にわたり1部リーグの地位を維持してきた名門中の名門。そのジェフがとうとう降格した16年前2009年の衝撃は中々だった。しかし、古河電工、JR東日本としっかりした株主企業があり、降格が決まった際には、まさか16シーズンにわたり昇格できないなど、誰も予想しなかったのではないか。
 このクラブは、1986-87年シーズンに前身の古河電工が、岡田武史、宮内聡、永井良和らを軸にアジアクラブ選手権(今日のACLEの前身)を制覇している。これは日本サッカー界が初めて獲得した全アジアの大会でのタイトルだった。また、2000年代半ばに、イビチャ・オシム氏の指導の下、全選手がハードワークを行いながら、狭い領域で素早いパスを回し、前線に次々と選手が飛び出す攻撃的なチームを作ったが、これも印象的なチームだった。約40年前と20年前に、このクラブが披露したサッカーは、今日世界のいずれの国とも互角に戦うに至った日本サッカー界の発展に大きく貢献するものだった。
 果たして、この名門クラブは、首都圏屈指の球技専用競技場を舞台にどのようなサッカーを見せてくれるだろうか。

8.横浜マリノスのJ1残留
 J1序盤に最下位に沈み、ACLEでの疲労もあって不振を極めていた横浜マリノス。マリノス関係者を含め、多くの人がJ2降格を予想したのではないか。J2以下を経験していないJクラブは今のところ、マリノスとアントラーズのみ、とうとうその一角が崩れるのか、との印象が強かった。
 ところが、このクラブは夏以降、大胆に選手を入れ替え、大島監督の下に大逆襲。最終盤を待たずに残留を決めた。従来とは異なるボール回しを軸とするサッカーを切り替え、選手を集めるだけでなく、大胆に放出したあたりもさすがだった。とにかく、恐れ入りました。

9.競技場建設が各地で話題になる
 サンフレッチェ広島は今シーズン、ルヴァン杯を制覇した。サンフレッチェは、過去どちらかと言うと、経営規模は必ずしも大きくなく、育成の巧みさで上位を維持していた印象がある。ところが、最近は経営規模も相当大きくなっている。その一つの要因は、市街地中央部に作られた競技場が常に大入りになっていることが挙げられる。サンフレッチェをはじめ、ガンバ、サンガ、Vファーレンなどの比較的最近作られた競技場が刺激となり、多くのクラブが新たな球技専用競技場の構想をはじめている。
 今なお、多くのJクラブは、国体用などに作られた陸上競技場をホームグラウンドとしているケースが多い。贅沢を言ってはキリがないが、これらの競技場は、屋根がない、交通が不便(試合終了後駐車場が大渋滞する)、ゴール裏が低くて遠く試合がよく見えない、などの致命的な欠点を持っている。観客動員増はもちろん、
 山形では建設がはじまっている(ただし、出資を予定していた企業がモンテディオの経営から外れ、状況が流動化しているが)し、岡山や秋田では、議論が具体的になっているようだ。頭が痛いことに、この国は少子化や長年続いたデフレの影響もあり、サッカーのような娯楽投資に否定的な人も多い。また、昔からサッカー界は、野球界と異なり、公費を使う図々しさに欠けるところもある(笑)。もちろん、長崎のようにすべてが民間投資で競技場(長崎の場合はホテルやショッピングセンターもついているが)を建ててしまうケースもあるが、多くのケースでは、ある程度の税金の協力が必要だろう。
 そのためには、日本中のサッカー人は、サッカーを含めた娯楽、賑わいの楽しさを、しっかりと関係者に説明し続ける必要があるのは間違いない。

10.釜本邦茂逝去
 ブラジル線の上田綺世の決勝点を釜本さんに見せたかった。「ワシなら、その前のバーに当てたやつで決めていた」とおっしゃるかな。
posted by 武藤文雄 at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年ベスト11

 恒例のベスト11です。ブラジルに勝つなど、刺激的な1年でした。また、異常な日程に悩まされながら、レッズの世界挑戦、フロンターレのあと一歩のアジア王者などクラブチームの活躍もありました。そして、アントラーズが久々にJ1制覇、町田の初タイトル、ホーリーホックの初のJ1昇格、ジェフの17年ぶりのJ1復帰などの印象的な国内試合も多かったと思います。そんな中で、例年通り怪しげな選考基準で選んだベスト11です。

GK 早川友基
 アントラーズのJ1制覇への貢献はすばらしかった。また、東アジア選手権の中国戦、細谷の先制弾で1-0でリードしていた時間帯守備陣の乱れで許した1対1のピンチを防いだ場面が印象的。このポジションはつい最近まで、日本の弱みとも言われていたが、最近の充実は嬉しい。代表の定位置は、鈴木彩艶で決定の感があるが、彩艶の負傷はとても心配で、早川、大迫、小久保らの充実はとても重要だ。

DF 植田直通
 若い頃から大型CBと期待され、なるほど空中戦の強さは格段だった。しかし、俊敏な相手への対応に課題があり、代表でも定位置をつかみ切れず、欧州でも決定的な働きはできなかった。しかし、30歳を過ぎた今シーズンは豊富な経験を活かし、1対1の安定感やラインコントロールを見せ、優勝に大きく貢献した。ベテランとなったDFの成長と言う意味でも、欧州から帰還した選手の充実と言う意味でも、今シーズンを語るときは欠かせない存在。

DF 渡辺剛
 冨安、板倉、谷口、町田、伊藤洋、高井と、次々に負傷者が出た日本代表を支えてくれた。もし、渡辺がいなければ、若い頃はやや安定感に欠くところがあったが、ここ最近の充実はすばらしい。もし渡辺がいなければ、今シーズンの日本代表はどうなっていただろうか、と心配になるくらいだ。これだけすばらしいプレイを見せた渡辺だが、果たして来年のW杯のメンバに選ばれるかどうか微妙なところが、今の日本代表の選手層の厚さ。結構な時代になったものだ。

DF 鈴木淳之介
 今シーズン日本代表の最大の発見ではないか。ブラジル線で見せた1対1の強さ、セレソンの盟主たちの変幻自在なドリブルをことごとく止めてくれた。さらに、左右いずれの足でも高精度のロングボールを操れる。縦に前進する速さも持ているだけに、いわゆる左のウィングバックができれば、W杯代表入りはかなり現実的なものになる。

MF 佐野海舟
 つい最近まで日本の守備的MFは、遠藤航と守田英正で決定的、ただし2人の負傷や年齢的問題が心配、などと思っていた。しかし、佐野の充実はこの心配を払拭するもの。ここ最近の親善試合のプレイぶり、このポジションの第一候補に躍り出た。遠藤航とコンビを組めば協力なディフェンススクリーンで守備的に戦える、長いボールで組み立てる田中碧、短いパスを操りながら自ら前進する守田、上下動してゲームを組み立てる鎌田、後方から技巧を凝らす藤田チマ、いずれとも相性がよさそうなのが強み。

MF 喜田拓也
 マリノスの奇跡的J1残留は驚異だったが、その最大貢献者が喜田だったのを否定する人はいないだろう。正に精神的支柱。このクラブは、80年代は木村和司、90年代は井原正巳、00年代は中澤祐二、中村俊輔と、日本サッカー史のベスト11に選ばれるようなタレントを輩出してきた。喜田がこれら先輩の域に達するのは難しいだろうが、Jリーグ史に残るキャプテンシーを持つ選手として記憶されるのは間違いない。

MF 伊東純也
 ブラジルのどの選手よりも強力な攻撃タレントだった。

MF ドラミ相馬
 町田の天皇杯制覇の完全な中心選手。あの天皇杯決勝は、ドラミが対面のベテラン酒井高徳を完全に打ち破ったのが印象的だった。とにかく最終ラインで帳尻を合わせるのが格段の界が、あそこまでやられるとは、ちょっとした驚きだった。今シーズンはドリブル突破の後のプレイに余裕が見られ、シュートやクロスの精度が格段に向上した感がある。代表でも十分に活躍する能力はあるが、ライバルは三苫と中村敬斗。厳しい競争となる。

MF 堂安律
 あのブラジル線の技巧の数々をどう形容したらよいのか。ガンバ時代に格段の技巧の引き出しを誇った若者が、ここまで上下動を厭わず、ボール奪取やカバーリングも上達するとは誰が想像しただろうか。代表では、久保と組んだパスワーク、伊東純也を活かす気の利き方、カタールでのスペイン戦を典型とする強烈なシュート、様々な使われ方を苦もなくこなす。来年はどんな夢を見せてくれるのか。

FW 鈴木優磨
 アントラーズの優勝の最大貢献者であることは間違いない。なぜ、Jリーグが公式ベスト11に選ばなかったのか。と言うより選考のやり方がおかしいと言うことか(笑)。勝利への執念と冷静な判断の絶妙なバランス、勝負強さがすばらしい。ただ、この選手はチームの精神的な中核におかないと持ち味が発揮できない。そう考えると、代表での活躍は難しいかもしれない。極端な比較だが、大久保嘉人は自分のチームでは天上天下唯我独尊だったが、代表チームでは色々な汚れ仕事をキッチリやっていた(南アフリカ大会がその典型)。鈴木がそのようわ割り切りをしてくれれば、W杯でも彼のプレイを楽しめそうなのだが。

FW 上田綺世
 私たちが初めて手にした「釜本邦茂」と比較できる点取屋。あの右足の低い弾道のインステップキックに、釜本のメキシコ五輪3位決定戦の2点目を思い出すのは私だけだろうか。ブラジル戦の決勝点の伊東純也のCKへのヘディングの入り方もすばらしかったが、そのCKを呼んだヘディングもまたすばらしかった。日本代表が「どうやって点を取るか」でhなく、「いかに綺世に点を取らせるか」と言うテーマから入れることが、いかに幸せなことか。
posted by 武藤文雄 at 23:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年10月26日

40年前の10月26日を振り返って

 今から40年前のこの日、1985年10月26日は、私にとって生涯忘れられない日だ。この日、メキシコW杯最終予選、H&Aの韓国との決戦の初戦(於国立競技場)が行われた日だからだ。この試合、本当に久しぶりに満員となった国立競技場。無数に振られた日の丸の下、日本は本当によく戦った。しかし、前半40分過ぎまでに韓国に0-2とリードを許す。前半終了間際、伝説的に語り継がれている木村和司の直接フリーキックで追いすがり、後半猛攻をかけながら主将の加藤久のヘディングがバーを叩くなど、どうしても追いつけず1-2で敗れた。翌週、私はソウルに飛んだ。ソウルでは韓国に圧倒的にボールを支配され、0-1の完敗。夢は叶わなかった。改めて当時、韓国との戦闘能力差に大いなる衝撃を受けた。この韓国に勝ち切るのは簡単なことではないと痛感した。
 今思えば、このメキシコW杯予選は、日本サッカーが強くなる前ぶれだった。60年代にメキシコ五輪銅メダルをピークに好成績を収めた日本サッカーだが、70年代から80年代前半までは、アジアの強い代表チームには、ほとんど勝てなかった。しかし、少年サッカーの普及もあり、加藤久や木村和司など、個人能力の高い選手を少しずつ輩出できるようになった日本。この予選は、1次ラウンドで北朝鮮とシンガポールを振り切り、準決勝で香港にH&Aで完勝。韓国との一騎打ちまで持ち込むことができた。最後に最強韓国に完敗したものの、ようやく何とかアジアで勝てる実感をつかんだ大会でもあった。
 40年前、社会に出たばかりの私は、当時いわゆる独身貴族(今では死語かもしれないが、当時独身寮で暮らしていた私は金銭的余裕があった)、上記メキシコW杯予選の準決勝にあたるアウェイゲームの香港戦、そして上記のソウルの韓国戦に向かった。
 この2試合は素敵な経験だった。サッカーはアジア中に広がっており、香港も韓国も多くの人々がサッカーを愛している。香港戦の翌日、英字新聞は「Sayonara Mexico!」と言うタイトルで、苦杯を報道していた。そして、香港の街の人々は、私たちを見ると「Congratulations」と称えてくれた。ソウル韓国戦の余日、韓国の新聞は「この予選では韓国全土が韓国代表を応援していた。来年、メキシコではアジア中が韓国代表を応援するはず」と報道していた。そして、ソウルの人々は、私たちをみると皆が「カムサハムニダ」と語ってくれた。
 少々書生論、理想論めくが、25歳の私は心底感動した。「ああ、サッカーはすばらしい、世界中の人々がサッカーを楽しんでいるのだ」と。そして、一生に1回でよいから、W杯に出場できないだろうかと思ったものだった。
 ソウルから帰国した翌々週だったか。私はいつも通り、国立競技場に日本リーグ古河対三菱戦をを観に行った。しかし、国立競技場は閑散としていた。観客は下手をしたら1000人ちょっとくらいだったのではないか。3週間前の満員の大観衆の余韻すらなかった。当時サッカーは、まだ私たちのような好事家の玩具に過ぎなかったのだ。加藤久や木村和司や原博実が崔淳鍋や朴昌善や趙広来に負けたのではなく、国民の関心そのものがサッカーを支えていなかったのだ。

 しかし、当時何とかアジアで戦えるようになった日本代表は上下動を繰り返しながら、少しずつ強くなっていった。ソウル五輪予選は、守備的に過ぎる策をとったのが裏目に出て、2年後1987年同じ10月26日に国立競技場で中国に苦杯。イタリアW杯予選は、監督選考の誤りで1次ラウンド敗退。しかし、ハンスオフト監督を招聘し、1992年に地元アジア大会を制し、翌1993年のドーハの悲劇を経験することになる。前後してJリーグが開幕、当時は僅か10クラブ、首都圏、名古屋、近畿圏、広島にしかなかったクラブは次々と広がっていった。そして、私たちは1997年ジョホールバルの歓喜を体験する。
 その後、当たり前のように7回連続してW杯出場を遂げる。Jリーグもフリューゲルス消滅のような悲劇を経験しながらも、少しずつ拡大。日本中津々浦々で、サッカーを楽しむ環境が広がってきた。そして、カタールW杯、ドイツやスペインに本大会で勝っても、世界中の誰も驚かないところまで、私たちは到達した。
 先日のブラジル戦。序盤互角の展開に持ち込みながら、いかにもブラジルらしい鮮やかな中央突破にやられて0-2。しかし、後半からの猛攻で日本は難敵相手に、圧倒的攻勢をとり、伊東純也、堂安律、中村敬斗、上田綺世らの妙技で3-2の大逆転。とうとう、このサッカー大国にまで勝つことができた。
 あの木村和司のフリーキックから40年目の今日、私の愛する故郷のクラブ、ベガルタ仙台はサガン鳥栖と対戦。0-2の劣勢から、審判の個性的判定により退場者が出て10対11の戦いを余儀なくされた。けれども、14,000大観衆の熱狂的応援の下、3-2の大逆転勝利。滅多に見ることのできない逆転劇を演じてくれた。大事なことは、W杯予選の日韓戦直後の日本リーグの時代とは全く異なることだ。ユアテックスタジアムはベガルタ仙台の応援のために熱狂、いや日本中津々浦々の競技場で今日だけではなく毎週毎週、Jリーグが開催され、多くの人々が自分の愛するクラブに熱狂しているのだ。それが40年前と決定的に違うことだ。

 話は変わる。私は今月いっぱいで40年間奉職していた会社を退職する。40年前、初めて自分で稼いだカネで香港戦を観に行って以来、こうやって身を持ち崩しつつ、何とか40年間サラリーマン生活を勤め上げることができた。まずはこのいい加減なサッカー狂を支えてくれたすべての方々に感謝したい。
 そして、私たちは、ここまで、たったの40年で到達できたのだ。うまい日本語にならなくて、ごめんなさい。でも、ブラジル戦も鳥栖戦も、2-0からの大逆転敵を堪能できました。この2試合はただの偶然かもしれないが、東京スタジアム(味の素スタジアム)、ユアテックスタジアムそれぞれに、いや日本中津々浦々に、サッカーを共に歓喜する仲間が百万人、いや千万人の単位でいるのだ。そう考えて、信じられないほど友人の数が増えたこの40年間に、改めて感謝したくなる。楽しい40年間を支えてくれたすべての人々、友人たちに感謝。
posted by 武藤文雄 at 23:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月04日

ヴァンフォーレ甲府戦参戦に伴う諸事を楽しむ

 4月29日のヴァンフォーレ甲府対ベガルタ仙台、ベガルタサポータとして、甲府を訪問、参戦しました。試合の内容についてはこちらの連載を参照いただきたい(会員登録が必要ですが、無料で読めます)。また、この連載稿を書くにあたり事前に整理したこと、久々にこの街を旅して思ったことなど、いくつか記録したいことがあるので、本稿にまとめたものです。

 ヴァンフォーレ甲府は、前身の甲府クラブとして1965年に設立、日本屈指の歴史を誇る名門クラブ。
 1965年に発足した日本リーグ(以下JSL、当時は8チームでスタート)は、1972年に2部制を採用。全国社会人大会(今日でも、国内屈指の大事な大会となっている、いわゆる「全社」です)の上位チームなど10チームでのJSL2部が結成された。甲府クラブは、このJSL2部に結成時から参加している。また、1969年、70年(全社から進出)、73年(JSL2部で2位)の3回、1部の下位チームとの入替戦に出場しているが、1部入りは叶わなかった。後述するが、当時の国内強豪は、すべて東海道山陽新幹線沿いの企業チーム。その時代に、複数回に渡り、新幹線沿いではない地方都市の、それも潤沢な活動資金もないチームが、当時トップリーグにあと一歩まで迫ったことそのものが、快挙と言ってもよいだろう。
 余談ながら、JSL1部27年間の歴史において、所属したチームのうち、東海道・山陽新幹線沿いに本拠がなかったのは、藤和不動産(現湘南ベルマーレ、72年〜74年栃木県を本拠としていたが、75年以降は親会社のフジタ工業として東京に本拠を移す)と住友金属(現鹿島アントラーズ、当然ながら本拠地は茨城県鹿島市)のみ。強いサッカーチームの地域偏在は、高度成長期からバブルに至る1960年代から90年代の日本経済の状況を示唆している感がある。一方で、今日日本中ほとんどすべての県に、JクラブあるいはJを目指しているクラブがあること、それにより日本の多くの都道府県であまねく毎週末サッカーを楽しむことができる環境があること。これらは、Jリーグの地域密着政策の正しさと成功を明確に示している。
 クラブチームの先駆的存在としても、甲府クラブが重要なのも言うまでもない。当時、JSL1部はすべて企業チームで構成されていた。企業チームでは、全選手はその企業の社員で運動部に所属する方式だった。一方、当時の甲府クラブは、建設会社を経営していた実業家の川手良萬氏がオーナとして運営費を支える形態で、各選手はまったく独立した立場。JSLのトップチームとは異なり、企業からはまったく独立した形態でクラブ運営が行われていた。
 今日のJリーグ各クラブは、スタート時(要はJSL時代)の企業チームが発展したクラブも多い。しかし、これらのクラブのほとんどが、当初企業はあくまでも主要出資企業となり、他企業からの出資を仰ぎ、よい意味でのリスク分散を行なっている。当時の甲府クラブが川出氏に頼り、氏の没後様々な苦労があったことは確かだが、甲府クラブと言う存在が日本サッカー界において一つのモデルケースになったのは間違いない。
 ちなみに、JSL2部結成時のクラブチームは、甲府クラブの他に、読売クラブ(現東京ヴェルディ)、紫光クラブ(現京都サンガ)があった。読売クラブが、読売新聞の強力な出資の下、70年代後半以降、国内屈指の強豪となっていくのは、よく知られた話である。一方、紫光クラブは78年に入替戦でヤマハ(元ジュビロ磐田)に敗れ地域リーグ落ちしてしまった。当時のヤマハは企業チームの典型、潤沢な資金で優秀な選手を獲得し、80年代JSL屈指の強豪への道を歩むことになるのだが。一方で、紫光クラブは、その後も関西リーグで中位を保ち、1989-90シーズンJSL2部に復活、その後のサンガにつながっていく。
 そのような中、必ずしも資金面で恵まれていない甲府クラブ。それでも、20年に渡り粘り強く戦い、JSL2部の地位を確保し続けた。さらにJリーグ開幕後も、実質的な2部リーグのJFLでプレイ。これだけでも大変な実績と言えよう。
 そして、甲府クラブは、99年J2結成時に、ヴァンフォーレ甲府として改めて、Jリーグに参画することとなる。ところが、県内にいわゆる大手企業が少ないなどの事情もあり、J2昇格直後本格的プロフェッショナリズム導入時に、大幅な赤字を計上、経営危機に見舞われたことになる。しかし、社長に就任した海野一幸氏を中心に、地元の小スポンサーを徹底して集めるなど、丹念な活動で立て直しに成功。この草の根地元密着活動と言うべき諸活動は、多くのJクラブの参考となる活動となった。海野氏を中心とした甲府関係者が果たした功績は、単にこの歴史あるクラブを立て直したことにとどまらず、今日の全国的Jリーグ発展への寄与とも言うべきだろう。
 経営に安定に伴い競技力も向上。複数回J1にも昇格している。そして、生神様山本英臣のようなレジェンド、日本サッカー史屈指のFW伊東純也のようなスーパーな選手も輩出。さらには、2022年には天皇杯を制覇、続く23-24年のACLでは、堂々2次ラウンドまで進出したのは記憶に新しい。
 支えてくれる大企業があったわけでもなく、交通の便が格段によいわけでもない地方都市、人口が多いわけでもない。その山梨に、半世紀以上前から地域に根ざしたクラブチームが継続して活躍し、多くの成果を挙げてきたていたことにには、尊敬の念しか思い浮かばない。

 ここからは違う話。
 実は私は戦国時代の歴史ものの愛好者。と言っても歴史小説や新書本を読む程度だけれども。学生時代からの愛読書は新田次郎氏の「武田信玄」「武田勝頼」だった。と言うこともあり、若い頃から甲府クラブの試合観戦など含めて、幾度か甲府の街を訪れ、あちらこちらを観光してきた。ただ、4月下旬に訪問するのは初めて。
 甲府駅から歩いて30分ほどにある武田神社は、武田信玄公の居館の跡地に建てられている。その居館は躑躅ヶ崎館と言われていた。と言うことで、「この季節に訪ねれば、さぞやツツジの花が美しいだろう」と期待して武田神社に向かった。ところが、ツツジの花はあることはあるし、ちょうど満開のよい季節だったのだが、物量は大したことない。よくある、生垣の一部でツツジが咲いている程度なのだ。このくらいのツツジならば自宅近傍で堪能できる(笑)。武田神社自体は結構広いので、どこかにツツジツツジツツジ的な場所があるのかもしれない。土産物屋に入り「あのう、ここは躑躅ヶ崎と言うだけあって、さぞやツツジが多い場所があると思って来たのですが、どこいらに行けばそのような景色が見られるのでしょうか?」と尋ねる。すると土産物屋のお姉さん、怪訝な評定で「ツツジですか?いや、そんな場所はないと思いますねえ、確かに躑躅ヶ崎とは呼ばれていますけれど。あちらの方に行けばハスの花はきれいですけれど」と返してきた。加えて「そんなことを問われたことも初めて」とも付け加えてくれた(笑)。と言うことで、「そうだったのね。躑躅ヶ崎はそのような場所でなかったのね」とガッカリした次第(笑)。この愚痴をX(旧Twitter)で語ったら、甲府サポータの方が「大昔、館を建てた尾根にツツジが咲き誇っていた模様」との情報をくださり、裏がとれてしまったw。
 とは言え、前日の雨のおかげもあったのだろうか。春先には珍しいカラッとした気候で訪ねた武田神社の木々の緑は美しかった。武田信玄公には「あのー、大変申し訳ないのですが、今日はベガルタ仙台が勝たせていただきますね」と、100円の浄財と共にお参りさせていただいた。
 さらに美しかったのは街を取り囲む周囲の自然の景色。盆地独特の周囲を緑の山々が囲む大外に、雪化粧が残る高山が望める。西側に南アルプス、南側には富士山(8号目より上だけですけれど)。これが何とも美しい。市街地で建屋の合間合間から見えるこれらの山群も見事だった。また、広々とした土地に建てられた高さのある競技場からの景色がまた絶品だった。メインスタンドで観戦したのだが、試合中バックスタンドの背景に、常に緑の山々が視界に入る。メインスタンド最上段まで上がれば、後方にアルプスの雪景色が広がる。少々失礼な言い方になるが、1980年代に作られたJITリサイクルインクスタジアム、いささか古くなってしまったことは否めない。屋根がない、陸上トラック、遠くて低いゴール裏など、耳が痛い指摘も多かろう。しかし、晴れた日のこのすばらしい景観は何にも変え難い。

 もう一つ違う話。
 今回の甲府遠征では嬉しい出会いもあった。
 甲府駅から競技場までのシャトルバスの乗車口で、「バス小瀬新聞」と言う新聞が配布されている。同誌についてはこちらを読んでいただくのがよいと思う。試合前に縁あって同誌に「小出悠太との別れと再会」と言う文章を寄せさせていただいた。こちらにアクセス、ダウンロードすればお読みいただます。
 小出悠太は、シーズンオフになってからベガルタからの移籍が発表されたこともあり、サポーターは別れを惜しむことができなかった。また、このオフは中島元彦の移籍(いや、正確には所有権を持つセレッソ大阪への復帰ですけれども)が焦点となり、小出との別離はあまり語られなかったきらいもあった。しかし、小出は1年目は主将を務め、2シーズンに渡りチームの中核を担ってくれた。私たち仙台サポーターにとっては、とても大切な選手だった。何かしら、自分としては文章としてまとめたかったのだが、格好の場をいただけた形になった。
 不勉強で恥ずかしいことだが、今回同誌の存在を初めて知った次第。過去もシャトルバスを利用したことはあったのだが。驚くことに、同誌が20年以上に渡り発刊を継続されているとのこと。さらに、そのコンテンツの充実がすばらしい。甲府サポータはもちろん、アウェイチームを応援に来たサポータにも配慮した内容がビッシリ。両チームのサポータに対して、次のアウェイゲームの行き方指南まで掲載されているのだから恐れ入りました。
 Jリーグ、言い換えるとサッカーと言う人間が発明した最高級の玩具を通じて、信頼できる友人が増えてい。本当に幸せなことだと思う。
posted by 武藤文雄 at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月25日

ワールドカップ出場決定!サウジ戦を前に2025

 ワールドカップだ!

 予選を勝ち抜くと言うのは、本当に嬉しいことだ。

 少々寂しいことだが、一生分の嬉し涙を流したジョホーバルの感動は、もう味わうことはできない。こればかりは仕方がない。さすがに、このフランス大会以降、日本は8大会連続出場、さすがに予選突破が常態化してしまったのだから。しかし、繰り返すが出場権を獲得する瞬間の感動は、やはり堪えられない。ただ、こうなるとドイツ大会やブラジル大会など、予選が順調な本大会はロクなことがなかったことを思い出し心配にもなるのだが(笑)。まあ、それはそれ。


 また試合内容がすばらしかった。バーレーンが見事な組織的サッカーを演じ、日本は. それを上回る攻撃を強いられたからだ。そして、その難しい状況下で、見事な崩しからのビューティフルゴールが生まれた。しかも、その見事な攻撃を若きエース候補の久保建英が演出してくれたのだ。よく守備を固めた難敵を、若きリーダによるアイデアあふれる攻撃で打ち破り、本大会出場を決めた。誠に気持ちよい勝利だった。

 それにしても、バーレーンの守備は見事だった。裏を突かれるリスク覚悟で浅いラインを維持、日本のDFとMFにほどよいプレスをかけ、容易にロングボールを蹴らさない。堂安と三苫を軸にしたサイド攻撃も人数かけて押さえてきた。三苫を自由にさせないと言うのは、今の日本対策の常識だろうが、堂安側のサイドにも蓋をしたのが中々見事。久保がよくボールを引き出し、南野と守田と相互に距離を詰めて敵の位置取りのバランスを崩そうとするが、バーレーンの選手たちの自制心は中々でスペースが空かない。上田綺世は敵CBに当たられてもうまくスクリーンできていたので、もう少しボールを集めたいところだが、遠藤航や3DFに対するプレスも中々で縦パスが入らない。こう言う局面を打開できるとしたら堂安のサイドチェンジではないかと期待するのだが、意欲的な久保がサポートに寄ってくるものだから、2人で意地になって(?笑)コンビプレイで敵3人を突破しようとして行き詰まる。結果論だが、3DFの右に瀬古ではなくもっと縦にも行ける菅原あたりを起用していれば、もっと機動的な崩しができたかもしれない。

 後半守田に代えて田中碧。守田については、バーレーン戦前から体調がベストではないとの報道があり、試合後離脱が発表されたが、そのためだったのかもしれない。しかし、結果的にはこの交代が有効だった。この日の田中碧は代表で久々に輝いた印象があった。カタール予選では遠藤航(世界屈指の狩人)と守田(運動量豊富なオールラウンダ)との3ボランチで、配球の妙を見せ、よく攻撃に変化をつけていた。しかし、基本布陣が2ボランチになった以降の田中碧は、航と守田のバックアップ的存在となり、ボール奪取や頻繁な顔出しが要求されることとなる。その結果、得点を決めMVPにも選ばれたスペイン戦を含めて、本来の持ち味のパスワークをあまり見せられないでいた。しかし、この日の碧は、久保がよく動いていたことにも助けられ、長短のパスをすばやく回しチーム全体の中核となり、バーレーンの守備網に焦点を絞らせない。そして、次第にバーレーンのMF達にも疲労が出始める時間帯、森保氏は伊東純也と鎌田を起用。鎌田の上下動、伊東純也の縦への恐怖感に、碧のパスワークにより左右に振られたことが合わさり、いよいよバーレーンのDF陣は日本の5FWに貼り付く形となる。

 初め、伊藤洋輝が巧みな持ち出しで敵FWを出し抜いた時、私は「巧いものだなあ」とノンビリと感心していた。綺世に縦パスが入り「よし、前を向いている碧に落とせば好機となる、三笘も純也もよい位置取りだ」とやや前のめりになった。ところが、綺世の創造力は私の想像力を遥かに上回っていた(笑)。鮮やかなターンからの完璧なスルーパス。そして久保!鎌田!碧の一連の細工でバーレーンDF陣が後方に貼り付く形になっていたとは言え、コンパクトさは維持されていた。そこをCBの縦パスとCFのターンで崩し、2シャドーの妙技でゴールネットを揺らしたのだから痛快だった。日本代表史に残るビューティフルゴール。

 そして、この美しい先制点とは別な意味で、この試合は、日本代表史に記憶されるものになるかもしれない。久保が攻撃の全指揮をとった試合として。まだ23歳の久保だが、10代の頃からその攻撃の才能は高く評価されてきた。しかし、代表においては、絶対的エース純也、止めようのないドリブルを見せる三苫、カタール本大会で見事に得点を重ねた堂安らと比べると、もう一つハッキリした活躍がなかった。しかしこの日は序盤から精力的にボールを引き出し変化をつけるべく尽力を重ねていた。そして、とうとう先制弾で完璧なラストパスを鎌田に通してくれた。そして、終了間際の鮮やかなダメ押しゴール。もちろん、開始早々の決定機にシュートが遅れた事、凝りすぎたつなぎ、堂安との共存など課題もあるが、まずはこの日の久保デーを素直に喜びたい。


 さてサウジ戦。

 サウジにとって極めて難しい試合だ。ホームゲームから10時間近いフライトでの移動での疲労。埼玉で待ち構える相性の悪いアジア最強国。しかも残り試合はこの日本戦の後はアウェイバーレーン戦とホーム豪州戦。確実に勝ち点を計算できそうな試合は皆無。ここに来て豪州の日本との引き分けによる勝ち点1差は大きく、2位に入るのが段々厳しくなっている。いや、それだけではなく残り3連敗でもしようものならば、5位以下に落ちて完全敗退のリスクもある。必死の思いで、勝ち点1以上の獲得を目指してくるだろう。ただし、ベストとは思えない体調下でバーレーンのようにラインを上げてコンパクトに戦えるか。だからと言って、ゴール前に引きこもって、日本のサイドチェンジに耐えられるか。非常に難しい選択を強いられる。唯一の突破口は日本が既に出場を決めていて気が抜ける可能性があること。さらに守田、綺世、そして三苫の不出場が噂されていることくらいか。

 日本としては、本大会に向けた準備となる。考え方としては2種類あるのではないか。1つは、チームとして同じやり方で、新しい選手を試すこと。綺世の位置に町野を入れ、若い藤田チマと高井を起用する。特にこのパリ五輪の精鋭の抜擢は、やや平均年齢が上がりがちの今のチームにとってとても重要なはずだ。今1つは、今までとは異なるやり方を試すこと。トップに前田大然を起用し裏を突く、菅原と中山を両サイドDFに起用した4DF、航、碧、チマによる3MFなど。サウジは本大会出場すれば十分に2次ラウンド進出を狙える戦闘能力を持つし、個人能力が高い選手も多い。このような強豪を相手に、トライアルができる贅沢を楽しみつつ、見事に勝利する試合を期待したい。

posted by 武藤文雄 at 17:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年03月20日

ホームバーレーン戦を前に2025

 W杯予選、このバーレーン戦に勝てば、10試合中3試合を残して本大会出場権をつかむことができる。前代未聞の圧倒的な強さでの早期予選突破が現実的なものとなっている。
 4年前の予選序盤、森保監督の明らかな采配ミスなどもあり、大きくつまずいたことが信じられないほど、今の代表は強い。ここまで圧倒的な戦闘能力で、W杯予選で勝ち点を重ねた大会は初めてだ。
 大会前唯一不安感のあったGKも、ここ半年で鈴木彩艶が急成長。DFに至っては、大黒柱の冨安の長期離脱がありながら、板倉を軸に多士済々が揃い、この2試合は谷口と町田が負傷で招集外だが、伊藤洋輝の復帰もあり不安はない。唯一引き分けた豪州戦だが、極めて稀にしか起こらない自殺点と、時々起こる森保氏の采配ミス(敵地サウジ戦で疲労した選手の引っ張り、交代枠を使い切らなかったこと)によるものだっだが、そのようなことは滅多に起こることではない。もちろん、そのような交通事故の確率を少しでも減らすことが重要なのだが。
 強いて米加墨本大会に向けた不安を語るとすると、戦闘能力が充実し過ぎて、平均年齢が高くなることだ。藤田チマや高井など、昨年のパリ五輪で、世界中の同世代選手の中でも相当秀でたタレントであることを示した若手がいるが、選手層が厚いものだから、抜擢が非常に難しい。贅沢な話だ。

 2010年の南アフリカW杯のあたりから、「今観た日本代表が、自分の生涯で観ることのできる最強のチームだったのではないか、今が日本サッカーのピークなのではないか」と考えることが再三あった。サッカーを楽しんで半世紀以上、己の先見性の無さに呆れるこの頃である。そして、もしかして、もしかして、生きているうちに、と。

 バーレーンとのアウェイゲーム。バーレーンは丁寧にブロックを作り修正を重ねよく守り、前半を0-1でしのいでいた。しかし、後半キックオフ直後にズルズルと前に出てしまい追加点を許す。そして、60分過ぎから猛暑で動きも止まり、2.5列目からの進出をまったく止められなくなり、日本は0-5と大差をつけることができた。
 このグループの2位以下は前代未聞の大混戦。日本と引き分け貴重な勝ち点1を獲得した豪州のみが勝ち点7で2位。他4国は勝ち点6で並び、上記ホームで日本に大敗したバーレーンは得失点差マイナス5で5位となっている。他の5国とすれば、2位となれれば御の字だが、4位を確保して、とにかく次ラウンドに進むことを目指すのが肝要。そう考えると、バーレーンとしてはこの試合大量失点だけは避けたいはずだ。そのためには、不用意な少人数攻撃でボールを奪われ日本の逆襲を許さないこと、70分以降のスタミナ切れを起こさないこと、1、2点差で負けている状態になっても前がかりにならないことなどが、ポイントとなろう。

 対する日本としては、その逆を狙うこととなる。ブロックを固める相手をいかに引きずり出すか、出てこないならば逆に押し込む動きでスペースを作りミドルシュートをねらう、サイドチェンジを使い相手を走らせ疲労を倍加させるなど。
 そして、この試合で首尾よく出場権を獲得できれば、来週火曜のサウジ戦以降の予選を本大会強化のために使えるようになる。上記で数少ない課題として挙げた若手の抜擢を考慮しながら、真剣にW杯本大会を目指し必死の戦いを挑んでくる試合経験は、本大会に向けて非常に貴重なものとなる。
 ともあれ、このバーレーン戦、感動の少ないサラリとした本大会出場を期待したい。繰り返すが、贅沢な話だ。
posted by 武藤文雄 at 17:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月28日

敵地徳島戦、工藤蒼生の痛恨

 徳島ヴォルティス1-0ベガルタ仙台
 52分に逆襲速攻から失点、その後猛攻をしかけたが取り返せず悔しい敗戦。敵地とは言え勝ち点ゼロは痛く、課題も多い試合ではあった。一方で、リードを奪われた後の攻撃は中々見事、新戦力の台頭もあり今後に期待を抱くこともできた。
 失点は完全に工藤蒼生の判断ミスからだった。前半、圧倒的に劣勢だったのを何とか0-0でしのいだハーフタイム。森山監督は有田恵人に代えて荒木駿太を起用。荒木が前後左右によく動き、後方からの縦パスを受けるようになり事態は改善された。ところが、52分工藤が敵陣で中途半端な持ち出しから簡単にボールを奪われ速攻を許す、素早く戻った蒼生だが引いてきた徳島の渡大生に巧みにスクリーンされポストプレイを許す、そのボールを受けたジョアン・ヴィクトルと渡に見事な連係から崩され失点。渡の妙技には「恐れ入りました」と言うしかないのだが、失点の主因は不用意な持ち出しを奪われた蒼生にあった。
 
 前半開始早々、ベガルタは最前線のフォアチェックを外され、速攻を許す。右サイドを徳島のベテラン杉本太郎に突破され、逆サイドに振られた後決定機を許すも、林が好捕でかろうじてしのぐ。敵地戦の開始早々まだ様子を見るべき時間帯に、あそこまで見事に注文にはまり崩されてはいけない。この場面で、前線で止め切れなかったことで、以降フォアチェックに行き切れないことが増え、徳島に圧倒的にボール保持されることとなった。それでも、組織守備で我慢を継続、好機はほとんど許さず何とか0-0で前半終了。
 徳島のフォアチェックはよくベガルタの特徴を研究していた。真瀬拓海を押し込み、裏狙いで前に行こうとする有田恵人との間を分断する。逆サイドでは、右利きの左DF奥山政幸の縦を押さえて中に追い込む。森山氏の目論見は、俊足の有田へロングボールを入れて走らせ、徳島の3CBを押し下げることで、押し込まれの連続を防ぐことだったのだろう。しかし、強風下ロングボールは風で押し戻されてしまい、敵のラインは下がらない。さらに鎌田大夢も前への持ち出しに拘泥して、ハーフウェイライン近傍で複数の徳島MFにはさまれてボールを奪われることが再三。この鎌田の無理し過ぎは前節の鳥栖戦でも見受けられた傾向、押し込まれた場面で守備陣の押し上げが遅れている時には前進ではなくボール保持を狙うべきなのだが。あそこまで押し込まれてしまっては相応に失点のリスクは高まってしまう。
 一方で、これだけ圧倒された前半を無失点で終えることができたのは大したものだ。悪い展開なりに4-4-2のブロックを丹念に維持し好機をほとんど許さなかったことは長いシーズンが始まるにあたり結構なことだと思う。ただ、状況が改善された後半序盤に速攻を許し失点するのだから、サッカーは難しい。
 失点はしたが、荒木の投入で流れがよくなったこと、先制した徳島が後方を固めるやり方に切替えたこともあり、ベガルタは押し込むことができるようになる。さらに、中盤に武田英寿を起用、武田はよくボールに触り中盤を構成、鎌田と武田とタイプの異なるパサーを起点に複数回の好機を掴んだが、相良、郷家、鬼木らのシュートがどうにも決まらず、悔しい敗戦となった。
 
 悔しいが、極端に悲観する内容ではなかった。前半圧倒的攻勢を許したことは課題ではあるが、強風という誤算が痛かった。どうしても勝たなければならない試合だったならば、守山氏は前半で有田に代えて荒木なりエロンを起用したのではないか。しかし、長いシーズンを考えれば、信頼して起用したスタメンを維持したのは決して間違っていたとは思えない。そして押し込まれたなりに守備の充実も見られたのは確かだし。また上記の通り、武田が機能したことはこの試合の大きな収穫となった(デュエル負けでボールを奪われるところは改善の余地ありだが)。攻撃ラインも宮崎鴻、荒木、武田と言った新加入選手が多いだけに、連携の妙には至っていないのはしかたがない。焦らずにチームの熟成を待ちたいものだ。
 
 さて、いよいよホーム開幕となる大分戦。大分は開幕戦でいきなりJ1から降格してきた札幌に快勝、順調な出足を切っている。芝の張り替えもありユアテックが使えないため、キューアンドエースタジアムでの地元開催戦。遠いとか、不便とか、行くだけでカネがかかるとか、トラックが邪魔で見づらいとか、屋根が機能的でなく濡れやすいとか、23年前にトルコにやられたとか、文句を言うとキリがない。しかし、前回J1昇格を決めた2009年シーズンとの類似性も感じるではないか。前シーズンのあと一歩での昇格失敗、リーグ序盤のキューアンドエースタジアム利用。
 そのような雑事よりも何より、工藤蒼生は並々ならぬ気迫でこの試合に臨んでくれることだろう。痛恨のボール喪失、さらに渡に出し抜かれたこと。中盤後方のタレントとしては絶対に犯してはならないプレイを連発してしまった。だからこそ、あの悔しい失敗経験を活かし、蒼生がこのホーム開幕で見事なリベンジ劇を見せてくれることと期待していても構わないだろう。
posted by 武藤文雄 at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月22日

2025年開幕、郷家友太の一撃

 サガン鳥栖0-1ベガルタ仙台
 敵地での開幕戦で、強豪から勝点3を奪ったのだから、最高のリーグ開幕と言っても過言ではなかろう。しかも、その決勝点がすばらしかった。
 71分、守備ラインでボールを回し、CB菅田がフリーとなって前線のエロンを狙う性格なロングパス、エロンが敵DF2人とつぶれながらボール保持し、郷家がすばやく宮崎につなぐ。真瀬は格段の動きだしの早さを見せ(相対する相手を完全に置き去り)、右オープンに飛び出し、宮崎の展開を受ける、既にその時点でエロン、郷家、相良の3人がペナルティエリアに進出済み。真瀬がよく腰をいれて蹴ったクロスは、落ち着いた位置取りで敵DFから離れていた郷家にピタリ。郷家は柔らかなヘディングをサイドネットに向けて合わせるだけだった。
 腕章を巻いたチームリーダが崩し始めに絡み、献身的なチームメートが特長を出しながら作り上げた好機を、見事な位置取りと正確な技術で決めた得点だった。

  後半開始早々から、試合はすっかり鳥栖ペースで展開していた。鳥栖FW陣の前線からの厳しいチェックに追い込まれ、仙台各選手は落ち着かない状態で無理な縦パスにこだわる。また前線の選手も強引に縦抜けをねらう。しかし、DFの押し上げがまだなのに縦を急いでしまうものだから、すぐにボールを奪われ連続攻撃を許す悪循環。それでも、最終ラインの粘り強い守備でなんとかしのぎ続ける。森山氏としてはメンバ各位の個人判断で、この苦境を抜け出して欲しいと考えたのだろう、しばらく我慢する。しかし、劣勢の継続を見て、63分荒木に代えてエロンを投入。エロンは期待に応え身体を張ってまずボール保持をねらう。その結果、チーム全体も落ち着き始め、サガンの猛攻を食い止めることに成功した。そして、冒頭の先制点へと試合は流れていった。
 先制点後、サガンは猛攻の疲労が出たのか、後半序盤の猛攻を支えた前線守備が失われ、パワープレイに転じる。1度だけスリヴカに前を向かれポストを掠めるシュートを打たれたが、その直後、守山氏が割り切ってモラエスと石尾を投入。最終ラインを増強し跳ね返す体制をとってからはピンチとはならず、しっかりと守り切った。

 サガンは、セレッソで見事な采配を見せていた小菊氏を監督に招聘。かなり選手の出入りはあったものの、各選手の個人能力は高く、小菊氏が仕込んだフォアチェックの組織力も強度もなかなかだった。スリヴカと山田の2トップや西澤と新井の両翼など、各選手の個人能力も高く相当厄介な存在となりそう。まずは、その難敵に勝てたのだからめでたい話だ。
 先般も述べた通り、攻撃はおおむね期待通りと言ってよい内容だった。得点こそ1点に終わったが、前半狙い通りボール保持できた時間帯に遅攻から決定機を複数回作り、上記の通り後半の決勝点は見事なものだった。最前線に起用された宮崎は期待通りに機能し、荒木も前半よく好機にからみ、エロンは相変わらず献身的だった。
 しかし、守備はまだまだ。上記の通り、後半序盤の内容はとてもではないが褒められたものではなかった。期待のCB井上は押し込まれた後半序盤に身体を張った好守備を見せてくれたが、前半開始早々敵の縦パスを無理にカットしようとして触ることができず危ない場面を作られたのは反省材料。菅田がサガン山田に出し抜かれスリヴカに許した超決定機(林のファインセーブでかろうじて防ぐ)だが、鎌田がスリヴカの動き出しに対応できなかったのがは残念だった(気が抜けたプレイに見えたのは私だけか)。アウェイで迎える大事な開幕戦だったのだ、もう少し慎重さが欲しかった。今後の改善に期待したい。

 次節は徳島との敵地戦。
 昨シーズンは、柿本、エウシーニョ、岩尾、永木と言ったベテランの知的なボールさばきに苦戦させられた悪い印象が強い。さらに徳島は開幕戦で、敵地で藤枝に完勝している。難しい試合になることだろう。
 改めて守備を整備し、落ち着いた試合運びを期待したい。目標は2位に入りJ1復帰を実現すること。その目標に向けて逆算された試合を見せてくれること、それだけを期待したい。
posted by 武藤文雄 at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月14日

2025年シーズンが始まる

 新シーズンが近づいてきた。毎年のことだが、 それだけで気持ちが高揚してくる。「いよいよ開幕を迎えられる」と言う何とも言えないワクワク感を押さえることができない。そして、明日以降、週末ごとに試合がやってきて七転八倒、阿鼻叫喚の日々を送ることができるのだ。


 このシーズンオフ、ベガルタ仙台は順調な補強を行うことができた。昨シーズン活躍した中心選手のほとんどと再契約に成功。さらにレンタル所有していた松井蓮之、奥山政幸の所有権を獲得したのも地味ながら見事な補強と言える。


 一部に、攻撃の中核だった中島元彦のレンタル元への復帰を心配する向きがあるようだが、私はそれほど心配してはいない。

 前線でのボール保持力と言うでは、昨シーズン終盤に最前線で献身的な動きを見せたエロンが健在。さらに、栃木SCから獲得した宮崎鴻、昨シーズン中途から加入しながら能力を発揮しきれなかったが、潜在力は格段なのことを誰もが認める梅木翼らがいる。彼らが最前線で献身性を発揮すればボール保持力は相当なレベルが期待できるはずだ。

 また得点力については、我々は郷家友太と相良竜之介を所有している。この2人がいるのだ、不安を感じることそのものが、この2人に失礼と言うものだろう(笑)。

 そして、セットプレイの精度については、武田英寿の獲得が解決策になってくれることだろう。


 むしろ、開幕後の試合を見てみないとわからないのは、最終ラインの整備だと考えている。昨シーズン、ほぼ定位置を確保していたベテランのCBの小出悠太が、古巣のヴァンフォーレ甲府に移籍してしまった。

 もちろん、このポジションには副主将に就任した菅田真啓がいて、守備の中核を担ってくれるのは間違いないことだ。ただし、菅田のパートナが誰になるのか。井上詩音とマテウス・モラエスの潜在能力に疑いはないが、2人とも2024年シーズンは諸事情で出場機会が少なかったことが気にかかる。

 ここ最近獲得した新卒選手は、攻撃ポジションのタレントが多く、最後尾はやや不足感がある。このオフの補強は上々だったとは思うが、CBの層の薄さは少々心配なのだ。

 もっとも、1年前も似たような不安を抱いていたな。しかし森山氏は、左DFに新人の石尾陸登を、守備的MFに2年目の工藤蒼生を、それぞれ抜擢し、すべての不安を払拭してくれた。

 きっと、今シーズンも大丈夫なことだろう。


 さあ、J1復帰するシーズンが始まろうとしている。まずは明日。私も駅前不動産スタジアムに向かいます。まずは明日の歓喜から。

posted by 武藤文雄 at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月09日

高校選手権決勝2025

 前橋育英 1(9 PK戦 8)1 流通経済代柏
 どなたも賛同してくれるだろうが、今年の高校選手権決勝はおもしろかった。110分間、両軍の若者が死力を尽くして戦い、さらにPK戦でも登場したすべての選手が知性と技術の粋を尽くしていた。
 まずはすばらしい試合を見せてくれた両軍の関係者すべてに、感謝の言葉を捧げたい。ありがとうございました。

 高校選手権を日本テレビがショーアップを始めてから、半世紀が継続した。初期にそのショーアップの一環として行われた首都圏移転。移転前、最後の関西開催の1975-76年決勝は、前JFA会長の田島幸三の見事な2得点で浦和南が静岡工業を下して優勝。この試合は、後に日本代表になる選手が多数プレイしていた。浦和南には田島(一応後に古河)の他に菅又哲男(後に日立)、静岡工業には吉田弘(後に古河)、石神良訓(後にヤマハ)がいた。その翌年首都圏移転後、準決勝以降を国立で行うレギュレーションになった初年度1976-77年の決勝は、今でも語り草となっている浦和南対静岡学園の死闘、5対4で浦和南が連覇に成功した。この試合は、後に日本代表となる浦和南の水沼貴史(後に日産、マリノスでもプレイしたな、水沼宏太の親父殿ですね)や静岡学園森下申一(後にヤマハ、ジュビロ時代もプレイ)が、高校1年生で登場している。さらには、この大会に前橋育英の山田耕介監督が2年生で島原商業高の中心選手として活躍していた云々…と語り始めるとキリがないなw。
 ともあれ、半世紀に渡り、日本テレビはこの年明けの若年層サッカー大会を盛り上げるべく尽力してきてくれた。このお祭り騒ぎが、日本サッカーにどのような貢献をしてきたのかの歴史を振り返るのも中々楽しいことだが、それは別な機会に譲ろう。本稿では、私自身がテレビ桟敷で楽しんだ決勝戦について講釈を垂れて行きたい。

 繰り返しとなるが、野次馬にとっては手に汗握るすごい決勝戦だった。ただし、サッカーの質と言う視点からすると、不満はあった。さすがに70分を過ぎたあたりから、両軍ともにガス欠状態。守備ラインの押し上げが効かなくなり、前線の選手が強引に突破をねらう単調なサッカーになってしまったからだ。もう少しやりようがあったのではないかと思うが、それについては後述する。
 しかし、単調になろうが、質が低かろうが、敵のゴールネットを揺らすことを狙い、若者たちが強引に前進する姿は美しいものだ。そして、それを阻止すべく献身的に身体を張り、我慢を重ねて縦突破を許さない守備陣の若者たちの献身も、また尊いものだった。そして、その尊さは観る者の心を打つ。

 「サッカーの質に不満」とイヤミを述べたが、それは延長戦を含めた後半半ば以降のこと。前半はサッカーの質と言う視点からも、すばらしい試合だった。双方の組織的なフォアチェック、それを丁寧にかわすボール回しの妙。一度ボールを奪うや、素早く切り替え全選手が敵陣を目指す。奪われたチームは、同じく素早く切り替え守備体型を整え直す。
 流経の先制点の「早さ」の鮮やかだったこと。中盤で、飯浜空風が鮮やかなインタセプト、そのまま前橋陣に向けて持ち上がり、走り込む亀田歩夢が受けやすいポイントに正確なパス。亀田もトップスピードでそのパスを受け、正確なボール扱いで横に流れながら落ち着いてDFをかわし、落ち着いて狙い済ましたシュートを決めた。亀田はフットサル出身とのことだが、高速で敵陣に向いての技術精度の高さが見事だった。カターレ富山内定とのこと、J2での活躍を期待したい。もちろん、飯浜の知性の冴えは言うまでもない。
 しかし、前半のうちに前橋が追いつく。この同点劇の前橋の「個人能力」にも感嘆。左サイドに開いたオノノジュ慶吏がいかにも彼らしいデュエルの強さを活かし、しっかりとボール保持。そこから適切に視野を確保し、逆サイドのオープンに進出した黒沢佑晟へ高精度パスを通す。黒沢は右サイドで鋭い切り返しでDFを抜き去り、後方から進出していたフリーの柴野快仁に正確なクロスを入れ、前橋は同点に追いついた。柴野は失点時に飯浜にボールを奪われる致命的なミスを冒していただけに、見事な挽回とも言えた。そして、オノノジュのボール保持力と黒沢の切れ味の見事なこと。
 その後も全選手の忠実な守備、ボール奪取後の一気に敵陣に迫る攻撃、奪われた直後の忠実な戻りなど、サッカーの質視点でもレベルの高い試合が継続する。すばらしい前半だった。

 後半に入り、両軍とも想定外のトラブルに見舞われる。
 まず流経。63分に3人の選手の同時交代で勝負を賭ける、驚いたのは中盤の柚木創の交代。柚木は切り返しの巧さで敵DFに囲まれてもしっかりボール保持できる能力を基盤に、敵DFのタイミングを外すパスも出せる。20年前ならば「ファンタジスタ」と絶賛されていたタレントだ。もちろん、今の選手だ。献身性は言うまでもないし、自己満足のために位置取りを勝手に変えて守備に破綻をきたすこともない。流経榎本雅大監督は、その柚木を外すと言う勝負に出たわけだ。ところが、不運にも交代出場した和田哲平が直後に負傷、早々に安藤晃希との交代を余儀なくされる。安藤はスピードのある選手で再三左サイドの縦突破を狙っていたが、柚木も和田も不在の流経は、どうしても単調な攻撃に終始することになってしまった。
 そして、交代カードを1枚しか切らず流経の交代による攻勢を我慢を重ね凌ぎ切った前橋。84分に勝負に出る。上記した同点弾を演出したオノノジュと黒沢を交代、2人に代えて脚力のある選手を起用、ピッチに残した佐藤耕太のシュートの巧さを活かそうとしたのだろう。ところが、よりによって交代直後にその佐藤が負傷退場。前橋も当初狙った交代の意図が発揮できない状況に陥った。それでも牧野奨や大岡航未が、執拗に強引な裏狙い突破を試みたが、こちらも変化が不足し流経の守備陣を破ることができなかった。
 和田と佐藤が負傷せずにピッチに残っていたら、試合はどうなっていただろうか。榎本、山田両監督の意図は実現せぬまま試合は進行することになった。
 個人的には両監督の采配に疑問も残った。延長に入り両軍選手の疲弊が明らかだったのだから、お互い確保していた残り1枠の交代を使うべきではなかったのか。例えば、後方のタレントを投入し、中盤でボールを落ち着けることができて展開力に優れる石井陽(前橋)なり飯浜空風(流経)を1列前に上げるだけで、両軍とも攻撃に変化が生まれたと思うのだが。まあ、野次馬の戯言として。
 そんなこんなで偶然と必然が交錯、後半半ば以降は前述したように、両軍ともに押上げもないまま前線の選手が強引に縦をねらう攻撃に終始。それをまた両軍の守備陣がファウルをしないように身体を巧みにいれる守備で対抗。延長含めて、文字通り死闘が継続したが両軍ともにゴールネットを揺らすことはなかった。繰り返すがサッカー的な質はさておき、見ていて興奮させられる見事な戦いだった。
 
 かくして突入したPK戦がまた壮絶だった。
 全選手が低い弾道をサイドネットに決めるか、やや浮かしてゴール端に決めるか、GKを動かしてから逆側なり中央に決める。要は皆がしっかりとPKも練習し、自分のスタイルを持ち、自信満々蹴っているだ。それが、5人ずつ全員が決めてサドンデスになった以降も継続するのだから恐れ入る。最後勝負を決めた前橋の10人目柴野もフェイントでGKを動かしてから冷静に蹴り込んだ。フィールドプレイヤの最後のキッカーまで自分のスタイルのPKを準備しているのだから、感心させられた。すごいPK戦だった。
 前橋育英山田耕介先生は、故小嶺忠敏先生の最高の弟子と語っても、過言ではないだろう。
 半世紀前に選手としてインタハイを制し高校選手権でも活躍、山口素弘・故松田直樹・細貝萌ら幾多の名手を育て、監督として全国制覇も経験、ザスパの経営にも関わる。文字通り日本サッカー界の大巨人。その大巨人が、教え子達のPK戦を正視できない表情が美しかった。ちょっと故イビチャ・オシム氏を思い出したりして。おめでとうございます。

 世界最強国を目指すに至った我々。必ずや、この凄絶な決勝戦も、世界最強に向けての一助となることだろう。改めて、両軍関係者に乾杯。
posted by 武藤文雄 at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする