2020年10月24日

悲しい事件

 あまりに悲しい事件だ。

 本稿では、この悲しい事件について、会社としてのベガルタ仙台の活動が妥当だったかどうかを、サポータの立場から論評したい。
 第一報を聞いた時(20日昼頃)、正直何が何だか、まったく理解できなかった。関連の文章、クラブの公式発表を読み、自分の知見と組み合わせても整合がとれなかった。その後(20日夜)、少しずつ信頼できる情報源を調べ、うっすら状況がつかめてきた。そして、昨日(21日)、ベガルタが公表した記者会見議事録を読み、自分なりに全貌が理解できた。
 まず結論から申し上げる。ベガルタは、この事案について何も間違ったことはしていない、と、私は判断している。

 加えて語っておく。
 ベガルタの渡辺取締役(当該記者会見にも、事実上の主役として登場)は、高校大学のサッカー部の先輩だ。ただただ楽しかった大学サッカー部時代、苦楽を共にし、心底お世話になった。渡辺さんはセンタバック。出足の鋭さを活かし、知性の限りを尽くして敵エースに喰らいつくプレイは忘れられない。大事な試合にサイドバックとして抜擢され、渡辺さんに怒鳴られながら90分間守備の位置取りを修正し続けし、勝利に貢献したのは飛び切り甘美な記憶だ。渡辺さんが今の立場になられた後、じっくり話をする機会もあった。かなり勝手なことを語らせていただいた。過去の私の文章についてもご存じだ。先週14日、本当に久しぶりにユアテック詣でをした際、寄付金募集を行っていた渡辺さんに挨拶することもできた。しかし、この事件発覚後渡辺さんとはコンタクトをとっていない。
 当該記者会見にも出席しているサッカーライターの板垣晴朗氏は親しい友人だ。そして、私が最も信頼するライターの1人だ。当該記者会見については、いくつか板垣さんから詳細情報をいただいた。そのような意味では、私は一般の方々よりは多くの情報を持っている。
 また、(Jリーグ開幕より前からの)30年来のサッカー狂でもある弁護士の友人(もちろん今回の事案にはまったく関係していない)に、本件についてはいくつか助言をもらった。
 以上をクドクド説明するのは、一般に公開されている情報以外に私が持っている情報を明示しておいた方がよいと考えたからだ。

 愛するクラブのスタア選手が極めて残念な行為をしたことが、何より悲しい。とにかく悲しい。表現しようもないが悲しい。
 生業にはしていないが、それなりにサッカーの世界で生きてきた。現場がきれい事だけでないことは熟知しているつもりだ。不器用な選手が起こしたトラブルは枚挙に暇ない。ただ、今回はその中でも最悪に近いものだ。
 上記記者会見議事録を読んだ上で私が理解した状況は単純なものだ。残念な行為をした選手がトラブルについてベガルタに虚偽報告をした。一方で、被害者の方は示談に納得していなかった。
 トラブルの対応は当該選手の弁護士(ほぼ間違いなく代理人会社の弁護士だろう)と、被害者(報道によると芸能事務所に所属されていたとのこと、したがい示談は当該事務所の弁護士が対応したと推測される、ただし信頼できる情報源がないので断定は危険かもしれない、もしそのような背景がない個人の方だった大変失礼なことを語っていることになる)間で行われた。ベガルタは、当該選手の弁護士から「示談成立」と伝えられた。このやり方においては、ベガルタは、被害者の方が納得していないことを知りようがない。

 とは言え。100%状況を理解したわけではないが、ベガルタの本件への対応の疑問を列記してみる。ただ、読んでいただければわかると思うが、私は本件についてベガルタがとってきた施策に対し細かに文句を言っているものの、総論としては正しいと思っている。


(1)被害者の方との関係
 本件で一番重要なことは被害者の方の回復に尽きる。今からでもベガルタやJリーグ当局がそのお手伝いができるならば、できる限りのことをしてほしい。

 とは言え、当該記者会見を読んで一番気になったのが、被害者の方と当該選手の示談について、明快な説明がないことだ。
 上記した通り、報道によると被害者の方は芸能事務所に所属していた模様。だとしたら、示談は本人たちではなく、代理人(それぞれの弁護士)同士で行われたことになる。けれども、ベガルタの発表からはその旨が読み取れない。
 そのため、代理人会社の弁護士と被害者の方が直接対峙して、示談交渉を行ったようにも読めてしまうのだ。もし、そうだとしたら被害者の方は大変お気の毒なことになる。ベガルタは、そのあたりを正確に説明する必要があるのではないか。
 もちろん、示談の条件にそのあたりの不提示があるとしたらどうしようもない。もし、そうだとしても、可能な限り正確で具体的な情報提示は必要だと思うのだが。

(2) 議事録提示の遅さ
 10/20(火)朝に当該選手の処分を含めたリリースを流し、同日午後に記者会見実施。その後、議事録公開は10/22(木)午後。これはあまりに遅い。その丸2日間に、あいまいな情報を基礎に根拠ない報道が出回ることになった。危機管理としては、結果的に「お粗末」と言うことになってしまった。
 事態発覚後、当該議事録で語られたような情報を速やかに提示できていれば、ここまで状況はこじれなかっただろう。もっと早く、情報開示はできなかったものか。
 しかし、現状のベガルタの事務処理能力を考えれば精一杯だったのだろう。文句を言うのは簡単だ。けれども、ベガルタは、小さな会社なのだ。むしろ、事態発覚後に、ここまでスピーディにリリース→記者会見→議事録、と進めてきたのは大したものだと思う。
 しかし、非常事態だったのだ、このスピード感では遅かったのだ。例えば、思い付きだが、ベガルタには仙台を本社とする多数の出資団体がある。この非常事態、それらの協力を求めることはできなかったのだろうか。

(3) 弁護士の使い方 
 当該議事録を読んで気になるのは、記者会見にベガルタの顧問弁護士が同席していないことだ。 
 話がややこしいが、本事案には3者の弁護士が登場するはずだ。ベガルタの顧問弁護士、当該選手の弁護士(おそらく当該選手の代理人の所属会社)、被害者の方の弁護士(上記した通り、おそらく存在してたのだと推測している)だ。議事録を読んでいても、いずれの弁護士の発言なのか、わかりづらいところが多々ある。
 それだけではない。本件については、任意同行、逮捕、釈放など、法律用語が並ぶことになったが、それについて法律面で専門とは思えない記者の方々とベガルタの経営陣が語り合うのは、あまり生産性が高いものとはとても思えない。補足する弁護士が同席していれば、用語解釈の混乱を的確にさばいてくれたと思うのだが。

 まあ現実を語ると見も蓋もないのだろう。
 (2)で述べた議事録整備にせよ、(3)で述べた顧問弁護士の同席にせよ、少ないスタッフでやりくりするから、そこまで対応できないと言うこと、要は今のベガルタにはカネが足りないと言うことだろう。

(4)Jリーグ当局との関連
 もう一つ気になるのはJリーグ当局との関連だ。
 当該記者会見を読んでいると、「ベガルタは適切なタイミングでJ当局に連絡した」と言う事項が、一種の免罪符になってしまっている印象を受けた。しかし、本当にそれだけでよかったのだろうか。
 なぜ、このようなことを語るかと言うと、本件に限らずJ当局の役割とは何なのか、私にはわからなくなっているのだ。今回のケースで言えば、上記してきた通り、ベガルタは適切なタイミングでJ当局に本件を連絡している。10月20日の時点で一部報道があった時点で、一部のメディアが「ベガルタの隠蔽」的な(今思えば)誤った情報をかなりの勢いで流すことになった。けれども、22日の時点では当該議事録の公表もあり、そのような情報は間違いだったと確認されたはずだ。また8月の時点でベガルタはJ当局に本件を連絡していた。
 だったら、それらの誤情報の是正を、J当局も語ってはくれないのか。「本件についてベガルタの対応に落ち度はなかった」とリリースしてくれるだけもよい。いや、議事録を公表するのに四苦八苦しているベガルタに対し、スタッフを一時貸してくれるだけでも随分助かったと思うのだが。
 J当局に、そのような期待を持つことそのものが間違っているのだろうか。もし間違っているならば、このような不運な事案時の「J当局の役割」について、誰か教えてください。何か最近のJ当局には「仲間としての全体発展」ではなく「上位権威者としての君臨」、「不適切な行為の場合の罰則提示者」を感じるのは私だけだろうか。


 ちょっと余談。
 今回の一連の話を聞いていると、個人事業主としての選手の権利がかなり強いもので、選手とクラブが相対した際に、決してクラブの意向ばかりが重視されないことが確認できた。これはよいことだと思う。私たちに歓喜を与えてくれる選手たちが。クラブのエゴに左右されない状態になっているのだから。
 言い換えれば、所属クラブと独立した形態で、選手の権利がかなり高いレベルで守られていると言うことなのだろう。Jが開幕して、今年で28年。これまでの蓄積で代理人制度が機能し、よい意味で選手がクラブと対等に渡り合えている現状、これは素直に喜びたい。たとえ、それが今回の事案では仇になってしまったとしても。

 以上、ちまちまとベガルタに対して文句を言ってきた。粗探しである。しかし、これら粗探しを含めても、今回の不運な事案について、ベガルタは適切な活動をしてきてくれたと思う。
 安心した。

 そして、今回の議事録で嬉しかったことがある。それは、「当該選手が過去にもDV事案でトラブルを起こしていたがが今回の判断にそれを加味しなかったのか」との問いに対する、渡辺取締役が語った以下の意見だ。
2度目という事を私たちが常に念頭に置かなければならないのか。「この人は犯罪者であったから、また犯罪を犯すのか」というように見ながら暮らす社会がよろしいのかという事です。2 度目という事で、通常より重い処罰を下すということは選択しませんでした。

 まったくその通りだと思う。私はそのようではない社会で生きていきたい。そして、そのようではない社会を作っていきたい。
 今回ベガルタは正しかったのだ。

 悲しい事件ではあった。しかし、繰り返すがベガルタは正しかった。私の愛するクラブは正しい判断を行ってくれたのだ。

 今私ができることは1つだけだ。
 今日のグランパス戦、勝ち点3を目指す私たちの選手たちを必死に応援する事。生観戦は叶わない以上、DAZN経由で必死に念を送ることだ。
 必ずグランパスに勝つのだ。

 最後に。
 道渕諒平さん。
 過ちは誰にでもあります。それが複数回となると残念ですが、それでも人生は長いのです。挽回の機会は訪れます。あなたは、天分に恵まれ、果てしない努力を重ねることでたどりつける場所に到達することができた稀有の人なのです。その地位を失ってしまったのは残念ですが、あなたはそこまでの努力を積むことができた人なのです。
 お願いです。立ち直ってください。あれだけの努力ができるあなたです、必ずや立ち直れるはずです。
 あの颯爽とした突破、献身的な守備、美しい弾道のミドルシュート。思い出はいくつもあります。それらの思い出、私は小さな胸の痛みと共に忘れません。
 ありがとう、さようなら。
posted by 武藤文雄 at 02:09| Comment(6) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月04日

声を出さずにサッカーを愉しめるか

 まあ60歳となり、改めてこれまでの人生を実り豊かにしてくれたサッカーに感謝し、これまで以上にサッカーを愉しみたいと考えた次第。

 とは言え、最近真剣に悩んでいるのです。Covid-19下の世界で、どのようにしてサッカーを愉しんだらよいのかと。さらにその悩みを具体的に説明すれば「いつになったら、絶叫してサッカー観戦できるのだろうか」と言うことになる。

 7月にJリーグが再開して以降、私は1試合も生観戦していない。正確に言えば、生観戦は辞退してきた。理由は簡単だ。「Jリーグ 新型コロナウイルス感染症対応ガイドライン_9月24日更新版」を守る自信がまったくないからだ。ガイドライン曰く
禁止される行為は以下の通りです
 声を出す応援(禁止理由:飛沫感染につながるため)
 例:指笛・チャント・ブーイング
 例:トラメガ・メガホン・トランペットなど道具・楽器を使うことも当面不可

 そう、私は声を出さずにサッカーを観戦する自信がないのだ。 上記禁止事項には「指笛・チャント・ブーイング」と記載されており、「野次」はない。だが世論を伺うに、Covid-19下の世界下でのJリーグは野次を飛ばすのは歓迎されない模様だ。
 まあね、Covid-19云々とは別問題だが、野次と言うのは今日のサッカー界ではあまり有効ではない。数千人以上入っている競技場で、いくら辛辣な野次を飛ばしても、ピッチ上の選手や監督や審判に聞こえる可能性は低いのだから。でも、サッカーを見ていると、何かを吠えたくなるではないですか。卑怯なプレイをした相手選手、納得できない笛や旗を操った審判、ただの八つ当たりだが納得いかない協会やJリーグ当局への批判。サッカー観戦と言う究極の至福を味わいながら、これらの野次を飛ばすのはとても幸せなことなのだ。たとえ、先方には聞こえなくとも。
 もっともそうは言っても、相手選手や審判や当局批判、これらは我慢できる。けれども、絶対自分で我慢する自信がないことがある。それは、味方への賛辞だ。もし眼前で、ベガルタの選手や日本代表選手が、知性や妙技で素晴らしいプレイを見せてくれた時。私は絶叫し称えたい。そして、その絶叫を我慢する自信はない。
 なので、関東在住の私は、7月復活後のJリーグ敵地でのベガルタ観戦を控えてきた。ベガルタが敵地で戦う際に、ベガルタの好プレイに快哉を叫ぶわけにはいかないから。

 で。
 10月14日のユアテックでの横浜FC戦、諸事案を片付けるため、当日の晩私は仙台にいる。久しぶりの生観戦の絶好機だ。チケット購入手段など、複雑怪奇でよくわからないが、何とかユアテックにたどりつきたいと思っている。たとえ、ベガルタ選手への絶賛にせよ、できる限り絶叫は自粛したいとは思っている。できる限り。
posted by 武藤文雄 at 22:12| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

60歳になりました

 私事ですが。60歳になった。これまでの好きなサッカーを楽しめる人生、それを支えてくださった方々に、改めて感謝の言葉を捧げたい。

 思えば中学生になった折に何気なく始めたサッカーにはまり切って、50年近い月日を重ねたことになる。
 74年西ドイツ大会、中学2年。断片的な映像で見たヨハン・クライフ。その天才に対抗するフランツ・ベッケンバウアーと言う異才と、ベルディ・フォクツと言う究極の労働者。サッカーマガジンとイレブンを暗記するまで読んだ後のダイヤモンドサッカーでの映像確認、ある意味この経験が「サッカーを見る」と言う基本を身に着けるものとなったように思える。
 78年アルゼンチン大会、高校3年。多くの試合を深夜の生中継で堪能できました。マリオ・ケンペスの前進と、ダニエル・パサレラの闘志と、あの紙吹雪。数年後、日本サッカー狂会に入会した折に、あの紙吹雪を実体験した諸先輩の話を聞いた時の興奮と羨望。大会後の総評で、賀川浩氏の「要は中央突破するアルゼンチンと強烈なシュートのオランダが勝ち残ったわけや、サッカーは突破とシュートや」と言うコメントは、サッカーの本質を伝えていると思っている。大会中に襲われた宮城県沖地震の恐怖と併せての記憶として。
 82年スペイン大会、大学4年。西ドイツとオーストリアの下手くそな八百長。4年前の優勝チームにディエゴを加えたアルゼンチンの惨敗。黄金の4人のセレソンを打ち砕くパオロ・ロッシ(黄金の4人のうち2人が日本代表の、1人がトップクラブの監督を務めるなんて誰が想像しただろうか)。シューマッハの大ファウルを含めた西ドイツのつまらないサッカーにPK戦で散るプラティニ。そして、冷静に勝ち切るアズーリ。このイタリア代表の優勝により、サッカーに何より重要なのは知性なのだと、改めて理解することができた。
 86年メキシコ大会。社会人1年生。ある意味で日本が初めて参加した大会。自分で稼げるようになったのは重要だった。香港とソウルに行った。香港のアウェイゲーム、木村和司と原博美の得点での快勝。激怒した香港サポータに囲まれ、警官隊に保護されて1時間以上スタジアムに待機を余儀なくされた。ダイヤモンドサッカーで見たリアルなサッカーの戦いを実感でき、もう私はサッカーから離れられなくなった。10.26の木村和司のFK、そして翌週のソウルでの絶望。だから、本大会はずっと身近になった。水沼貴史を完封した金平錫が、ディエゴ・マラドーナをまったく止められなかった。そうか、ディエゴはやはり上手なのだとw。もっとも、都並敏史が対等に戦った辺柄柱が、結構アントニオ・カブリニを悩ませていたけれどね。
 90年イタリア大会。日本代表史に残る暗黒時代を形成したクズ監督。全盛期の加藤久を使わず、調子を崩していたとは言え木村和司も呼ばず。単調な試合を重ねて1次予選で北朝鮮の後塵を拝した。それにしても、ここで登場した井原正巳と加藤久でCBを組んでさえいれば、ほとんどの問題は解決したと思うのだが。この2人の連動を楽しむ機会を奪っただけでも、このクズ監督を私は許さない。ちなみに日本が出ないイタリア本大会、妻と私は3週間半休みをもらって堪能した。まだ子供がいなかったこともあるのですが。日本と世界トップレベルのサッカーの差は、ピッチ上の選手の能力差ではなく、周辺で選手たちを支える環境の差であることを痛感できた。
 94年USA大会。ドーハであんな経験できるなど、誰が想像しただろう。オムラムのシュートがネットを揺らした衝撃、ゴール裏では韓国やサウジの結果がわからないいらだち。でも、ドーハの前の信じられない歓喜を忘れてはいけないな。オフト氏就任から始まった快進撃、映像も何もなかったダイナスティカップの歓喜、あの広島アジアカップ。イラン戦、井原のパスから抜け出したカズの「魂込めた」一撃。中国戦、前川退場後の苦闘からのゴン中山の決勝点。攻守ともに完全にサウジを圧倒した決勝戦。日本がいない本大会が、あれくらい色褪せたものとは思わなかった。でも、井原や堀池が子ども扱いしていたサウジのオワイランがそれなりに活躍できたのだから日本のレベルが上々なのは確認できた、と負け犬の遠吠え。ブラジルとイタリアの重苦しい決勝戦。点が入らないサッカーがいかにおもしろいかを、改めて理解できたな、うん。
 98年フランス大会。あの幾度も幾度も絶望感に襲われた最終予選。それでも、井原とその仲間たちは諦めなかった。そしてジョホールバル、改めて思いますよ。幸せな人生だったと。だって、最も幸せな瞬間があの時だったと言えるのだから。本大会、トゥールーズのアルゼンチン戦前夜、現地で友人と一杯やりながらの「ああ明日ワールドカップで日本の試合を見ることができるのだ」と思ったときの高揚感、本大会での君が代、バティストゥータにやられた一撃、80分以降の反抗、こんな夢のような体験を味わってよいものかと。何人かの友人がチケット騒動の悲劇に見舞われたことはさておき。クロアチア戦での中山の逸機と、シューケルが川口を巧妙に破ったシュートもね。
 02年日韓大会。鬼才フィリップ・トルシェとの楽しい4年間。アジアカップの完全制覇。あの横浜国際のニッポン!チャ!チャ!チャ!勝ち。そして、森島スタジアムでの森島の先制弾。我が故郷宮城での凡庸な敗戦。敗戦後、学生時代のなじみの飲み屋、実家で父と飲んだやけ酒。故郷で絶望感を味わえるのだから、改めて堪能できた自分のためのワールドカップだった。それにしても、「ワールドカップで勝つ」と言う経験を味わうことができたのだから最高だった。
 06年ドイツ大会。まあジーコさんね。あのブラジル戦、玉田の得点に歓喜した10分後のアディショナルタイム、CK崩れからロナウドの巧緻な位置取りにやられた中澤佑二の「しまった!」と言う表情が忘れられない。ロナウドと言う世界サッカー史上最高級のCFと、中澤佑二と言う日本サッカー史上最高級のCB。私たちはここまで来ることができたのだ。もちろん、ジーコさんが率いた、中澤佑二や中村俊輔や川口能活が演じたあのアジアカップ制覇は忘れてはいいけないけれど。
 10年南アフリカ大会。病魔に倒れたオシム爺さん、でもアジアカップはもう少し何とかしてほしかったのですが。後任の岡田氏への大会前の自称サッカーライター達の誹謗中傷は、今思えば味わい深いな。カメルーン戦勝利後のオランダ戦。ほとんど完璧な組織守備を見せながら、スナイデルにやられてしまった。ある意味で、日本代表と世界のトップの差が見える化された瞬間だったかもしれない。しかし、デンマークには完勝、本田圭佑と遠藤保仁の美しい直接FKは、あの85年日韓戦の木村和司の一撃に感動した日本中のサッカー人の集大成と言えるようにも思えた。そして、パラグアイ戦。ある意味で私が若い頃から夢見ていた試合だった。ワールドカップ本大会で強豪と、相手のよさをつぶしまくる試合を行う。敗戦直後の選手たちの絶望的表情は感動的だった。
 14年ブラジル大会。当時の技術委員長原博美氏が契約したザッケローニ氏は、トレーニングマッチでメッシもいたアルゼンチンに快勝するなど景気よいスタート、続いて堂々アジアカップを制覇。その後も順調にチームを強化する。最終予選のホームオマーン戦は3-0の快勝だったが、精緻な崩し、まったくピンチを作らない守備、日本サッカー史に残る完璧な試合だった。順調に予選を勝ち抜いたのちの準備試合の敵地ベルギー戦、当方のミスからの失点はあったが、柿谷、本田、岡崎のビューティフルゴールで完勝。「とうとう欧州の強豪に敵地で完勝するレベルまで来た」感を味わうことができた。でも、本大会ダメだったのだよね。スポンサとの兼ね合いを含めたコンディショニング、本田や香川の過ぎた自己顕示欲など、色々要因があったが、難しいものだと、改めて思わされた。
 18年ロシア大会。86年地元メキシコ大会の英雄アギーレ氏は、メンバ選考の失敗などもあり、不運なアジアカップの準々決勝敗退。その後、曖昧な訴訟問題で退任となり、ハリルホジッチ氏が就任。ハリルホジッチ氏はよい監督だったし、本大会出場を決めた豪州戦は、長谷部、井手口、蛍のトレスボランチで完璧な試合を見せてくれた。しかし、大会直前謎の田嶋幸三判断で更迭後、西野氏が監督就任。酒井宏樹と長友と言う世界屈指の両サイドバック、長谷部と柴崎の知性あふれる中盤、乾、原口の強力な両翼、大迫と香川の独特のキープ、とそれぞれの一番得意なプレイを全面に押し出した美しいサッカーで、ベスト8直前まで行ったのだが。

 こう振り返ると、やはり楽しい人生だったなと思える。多くの友人が還暦誕生日の祝辞をくれたのだが、嬉しかったのは「これで人生ゼロ年からのリターンだね」との励ましだった。たしかにその通り、ヨハン・クライフとベルディ・フォクツの丁々発止から、まだ50年足らずしか経っていないのだ。サッカーには汲めども尽きぬ魅力がある。これからも、じっくりと味わっていきたいものだ。
 そう、まずは我がベガルタ仙台の七転八倒、サポータ冥利に尽きる苦闘など最高の快楽である。
posted by 武藤文雄 at 00:09| Comment(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月07日

再開戦の快勝

 Jリーグが再開した。
 ベガルタは開始3分の幸運な得点を守り切り、ベルマーレに敵地で1-0での勝利。結果もよかったが、内容も上々だった。木山新監督に変わった今シーズン、中断前は、ルヴァンの敵地レッズ戦、リーグ初戦のホームグランパス戦、いずれも芳しい試合内容ではなかっただけに、まずはめでたしめでたしである。
 
 勝負を分けたのは開始3分間に代表される右サイドの攻防だった(以降、左右はすべてベガルタから見て)。
 開始早々、ベルマーレは、左足のクロスが魅力的な売り出し中のサイドバック鈴木冬一がかなり高い位置取り。落ち着いたボールキープからの崩しから右サイドのCKを奪われる。そこからショートコーナ絡みで強シュートを打たれるが、ユース出身で抜擢された18歳のGK小畑裕馬が冷静にさばく。
 その直後、ベルマーレGK富井大樹の甘いフィードを関口訓充がカットし、右オープンに展開。ジャーメイン良が、前掛かりの鈴木と(昨シーズンまでベガルタに所属していた)大岩一貴の間隙を付いて突破。余裕をもって上げたクロスが、よい方向に飛び逆サイドのゴールネットを揺らした。強風が幸いしたのだろうか。ベガルタにとって幸運と言ってしまえばそれまでだが。

 とは言え、敵地で先制したベガルタは、余裕をもって試合を進めることができた。3DFをとるベルマーレに対して、右のジャーメイン、左の欧州帰りの西村拓真の両翼が大外に開いてボールを受けることで、幾度も好機を作る。一方で、ベルマーレとした自慢の両サイドMFの鈴木と主将を務める岡本拓也を前に進出させてペースをつかみたいところ。しかし、早々に先制して余裕が出たこともあり、ベガルタはボールを奪われるや否や、アンカーの椎橋慧也が的確に位置取りを修正し、ベルマーレにペースを渡さない。それでも、20分過ぎに鈴木が左サイドから好クロスを上げ、タリクにヘディングに合わされるが、幸運にもボールは枠に飛ばなかった。タリクはノルウェー代表主将経験もあると言うストライカ、ベガルタDFの間に飛び込む感覚は中々のものがあった。
 その後もベガルタは、ジャーメインが鈴木の後方を再三突いて好機を演出。ジャーメインは、ボールを受ける位置取りとトラップの方向が格段に上達した感がある。従来は敵DFに密着されると収めきれない欠点があったが、いわゆるアウトサイドFWに起用されれば、相当やれそう。もちろん、この日は対面の鈴木が攻撃ばかり考えて、後方への備えが甘かったことは割り引かなければならないだろうし、4DFのチームに対してどこまでやれるか、まだまだこれからなのだが。ちなみにジャーメインがサッカーを始めたのは、この日の会場BMWスタジアム近隣の厚木市の小さな少年団。少年時の指導者達がジャーメインの晴れ姿を生で見ることができなかったのは、何とも残念だったが。
 一方でベルマーレ監督浮嶋氏は、55分ついに鈴木をあきらめ交代。冒頭に述べたように、この右サイドの攻防が勝敗を分けたと言うことになる。
 その後の時間帯も、椎橋の安定した中盤守備が奏功、吉野恭平と平岡康裕のCBがベルマーレの単調な攻撃をしっかりとはね返しシマオ・マテの負傷離脱の不安を払拭。さらにユース出身で抜擢されたGK小畑祐馬が安定した守備と球出しを披露。最少得点差の1-0ではあったが、ベガルタとしては快勝と言ってよい内容だった。

 何より、椎橋がアンカーで、完璧に近いプレイを見せたのが嬉しい。椎橋は、一昨シーズン定位置を確保し天皇杯決勝進出貢献。昨シーズンは完全な中心選手と期待されながら、序盤の負傷やシーズン半ばの軽率な退場劇などがあり、シーズンのほとんどを控えとして過ごした。開幕戦もスタメンから外れ心配していたのだが、この日はすばらしかった。五輪代表のライバルとも言うべきベルマーレの斉藤未月を圧倒できたのも重要。元々五輪代表は中盤後方の有力選手の多くが伸び悩んでおり、椎橋がこのレベルのプレイを継続できれば、大いに期待できる。
 いわゆるCFタイプと言われていた新外国人アレクサンドレ・ゲデス。後半から起用され、いわゆるトップ下で起用され、守備のタスクをキッチリとこなしながら、上々の球さばきを見せてくれた。この新外国人選手を含め、すべての選手が90分間組織的な守備を演じ切ったのはすばらしかった。
 唯一の不安は、中盤で見事なパス展開を見せ主将を務めた松下佳貴が、後半半ば過ぎに複数回自陣でミスパスからショートカウンタのピンチを招いたことか。このあたりは、いわゆる試合勘もあろうし、やむを得ないこともあるだろう。ゲデスやこの日ベンチ入りしなかった道渕諒平、佐々木匠の2人、さらに長期離脱中のイサック・クエンカを含め、今後どのような併用がなされるのか期待したい。
 また、シーズン当初から期待されていた新外国人パラの体調が整わず、急遽柳貴博を補強した左DF。ここには、いわゆる攻撃的アウトサイドのドリブラ石原崇兆が抜擢され上々のプレイを見せてくれた。終盤守備固めに起用された飯尾竜太郎を含め、4人による定位置争いも楽しみとなる。

 考えてみれば、4か月の長きにわたる中断期間だった。
 トレーニングもままならない中、木山新監督のやり方が各選手に徹底され、渡邉前監督時代とは異なるやり方がほぼ定着した快勝は、本当に嬉しい。豊富な攻撃陣がそれぞれの特長を活かしながら、忠実な組織守備を見せてくれた。新監督の手腕への期待も、ますます高まろうと言うもの。
 COVID-19禍の中、クラブの経営状態は相当厳しいものがあろうが、再開戦で、現場がこれだけすばらしい質のサッカーで結果を出してくれたことを、まずは素直に喜びたい。
posted by 武藤文雄 at 00:05| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月24日

スピルバーグ氏の「激突!」の原題が「DUEL」だった

 希代の名映画監督スティーブン・スピルバーグ氏の事実上のデビュー作品と言われている映画、「激突!」の原題が,なんと「DUEL」だと、今日たまたま知る機会を得た。
 この映画は、約50年前の作品だが、本当におもしろい。米国のフリーウェイ、明らかな殺意を持って超大型タンクローリーが、1台のセダン車を襲ってくる。ただ、それだけの1時間半なのだが、まったく飽きさせず興奮させられる小品だ。中学生のとき、仙台のいわゆる2番館でこれを見た興奮は忘れらられない。
 後日、「ジョーズ」や「未知との遭遇」を見て、「スピルバーグさんって、すごい映画監督だな」と感心していたら、その出世作が「激突!」と聞き、「なるほど!」と思ったのは懐かしい思い出だ。さらに余談ながら、「激突!」の主役は、デニス・ウィーバー。後日NHKで放映されたバカ刑事ドラマの「警部マクロード」シリーズの主役だ、

 ともあれ。
 大事なことは、この若きスピルバーグ氏が演出した、自家用車と超大型タンクローリーの1時間半にわたるバトルの題名が「DUEL」と言うことだ。
 ハリルホジッチ氏が日本代表監督時代、記者会見でよほど「DUEL!、DUEL!」と叫び続けたためだろうか。いつのまにか、日本サッカー界に「DUEL」と言う単語が定着した感がある。
 ちなみに、「duel」と言う単語を英英辞典で調べると下記の意味が出てくる。
a fight with weapons between two people, used in the past to settle a quarrel
a situation in which two people or groups are involved in an angry disagreement
二者が戦う状況を示す単語だが、深刻ないきさつが前提となるようだ。正直言いますが、ハリルホジッチ氏が、「DUEL!、DUEL!」を叫び始めたときは、まだこの単語を知りませんでいた。慌てて英英辞典で調べて上記を確認し、日本語に訳すと「一騎討ち」が妥当な翻訳かな、と思ったりした。
 ただ、ハリルホジッチ氏が、「日本選手のDUELが物足りない」と、ワーワー叫ぶのを聞きながら、もう一つ氏が何を不満に思っているのか、具体的なイメージがつかめずにいた。氏の「DUEL不足」を、多くの取材者が「日本選手はフィジカルが弱い」と理解して伝聞していたが、過去の国際試合を見れば自明な通り、日本選手が欧州南米の強豪にフィジカル差でやられたことは少ない。フィジカルの鍛錬不足は論外として、我々の敗因のほとんどは、知性や技術で、相手に上回れたことだったからだ。
 欧州やアフリカで、幾多の実績を積み上げてきたハリルホジッチ氏が、単に日本選手のフィジカルに文句を言うとは思えなかった。と言うより、元々の対格差を議論するならば、そりゃアジアの選手は欧州やアフリカの選手に比べれば、劣勢となるのはしかたがない。東アジアの平均身長や体重は、欧州やアフリカのそれと比べれば低いのだから。
 一方で、氏が代表合宿で、選手のフィジカルの数値面に文句を言ったのは別な議論だ。氏は代表監督であり、個々の選手を鍛えるのは各クラブに託すしかない。期待した数字が得られなければ、文句を言いたくもなるだろう。
 今更語ってもしかたがないが、ハリルホジッチ氏がロシアワールドカップ直前に更迭された。結果的に、氏が最終的に何を目指していたのかは、永遠に闇の中である。

 今日、50年前にスピルバーグ氏が作った「激突!」の原題が「DUEL」だと知った。外国語を理解するのは難しい。しかし、英語を母国語にするスピルバーグ氏のこの名作の題名が「DUEL」と知り、何かつかめたような気がする。この映画「DUEL」からは、とにかく何があっても、この1対1の戦いに勝たなければならない切実さを感じることができたからだ。欧米人にとって「DUEL」とは、そのような意味だったのだ。 

 ハリルホジッチ氏が代表監督在任中に、それを知っていればもっと氏の発言を楽しめたのにと、ちょっと残念。彼が「DUEL!」と叫ぶ度に、このスピルバーグ氏の名作をイメージすればよかったのだ。私たちの代表選手に対し、ハリルホジッチ氏は1対1において、「何があっても相手に負けない」執着心を期待していたのではないか。
posted by 武藤文雄 at 01:01| Comment(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年04月26日

サガン鳥栖の経営危機問題

 サガン鳥栖の昨年度の経営情報が公開されたが、衝撃的な赤字額だ。このままでは、サガン鳥栖がなくなってしまうのではないか。covid-19で試合が行えず、未曾有の危機にあるJリーグにとっては、さらなる頭痛が加わったことになる。極めて深刻な事態だ。

 公開されている「経営情報」は、おおよそ昨シーズンの損益計算書と推定した。26億円の売上に対して、支出が46億円で約20億円の赤字と言うことになる。この報道によると、今シーズンは人件費を約24.3億円から約11.6億円に圧縮したと言うが、大幅な赤字を垂れ流しているのには変わりない。また、同じ報道によると、債務超過には至っていないとのことだが、純資産は約0.2億円で単年赤字総額の約1/100であり、これは極めて債務超過に近いと言うことだ。そもそも、負債総額はいったいいかほどのなのだろうか。
 貸借対照表も資金繰表も公開されていないので、即断はできないが、経営継続は相当厳しいとしか言いようがない。そうなると、最も重要なのは、短期的な資金投入と言うことになるが、この赤字体質に加え、再開の目途が中々立たないJリーグなのだ。赤字の見通しの上に計画通りの売り上げも立たないリスク下で、快く融資をする金融機関があるとは思えない。
 そうなると、Jリーグ当局からの支援が必要と言うことになる。けれども、Jリーグ当局は、既にcovid-19で各クラブがダメージを受けており、それらのクラブの経営を支えること手一杯のはずだ。Jリーグを合理的に再開させ、経営規模の小さなクラブの経営破綻(特にキャッシュ不足)を防ぎ、関係者(選手や職員)の収入を維持するのだけでも、未曾有の難題なのだ。健全な経営のクラブだって危機的状況なのだ、まずは彼らの救済が優先されるのが常識と言うものだろう。
 さらに言えばこの未曾有の難題の被害を最小限にすることに、J当局の事務方のエネルギーは相当費やされているはずだ。それに加えて、サガン鳥栖の経営破綻を防ぐ手だてを検討する余裕があるのだろうか。

 サガン鳥栖の経営陣も、何か腹案はあったのかもしれない。順調にJの試合が行われれば、新規のスポンサがつき赤字幅を圧縮できる目鼻があったのかもしれない。しかし、残念ながらその道は絶たれてしまったのだろう。
 サッカークラブが赤字を減らす最も有効な手段は、選手の売却である。そうすれば、支出の最大費目である人件費を減らすことができる。しかし、リーグ戦が中断している今、たとえJ当局が移籍を手伝う手立てを講じても、今から短期的な人件費を上げる意思決定をするクラブは少ないだろう。
 キャッシュが足りなくなれば、以前とは同じ条件で企業は活動を継続できない。成り行きで行けば、我々は大切な仲間を失うギリギリのところにいるのだ。何とかしたい、何とかしたいのだが。

 打ち手が限定される中、まずやるべきことは貸借対照表と資金繰りの明確化だろう。その上で、J当局でも関係者でもよいから、より小規模なクラブも納得可能なサガン鳥栖に対する救済案を作れるか。
 今さらの愚痴であるが、ここまでの赤字幅であれば昨シーズン終了時には、ある程度明らかだったはずだ。せめて、この危機の公開がもっと早ければ、より穏当な打ち手があったように思えてならない。
 まずは、一層の情報開示、それに尽きる。
 フリューゲルスの消滅から20年以上の月日が経った。あの時の友の涙など、もう2度と見たくないのだ。
posted by 武藤文雄 at 17:41| Comment(4) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月18日

キャプテン翼を読んだ

 先週の14日の土曜日は、せっかくの休日だったのだが、Jリーグは休止中だし、雨のために少年団の練習はお休み。何をしようかと考えていた折に「キャプテン翼」無料公開と言うのを見つけた。
 と言うことで通読させていただきました。3月20日まで無料公開とのことなので、興味のある方は是非。

 考えてみれば、この名作を、まともに読破したことがなかった。少年ジャンプに連載されていたのは、私が大学生から社会に出て働き始めた時期。さすがに、少年用マンガ雑誌はあまり読まなくなっていた。とは言え、日本屈指の人気雑誌における、日本屈指の人気マンガが、サッカーネタだっただけに、それなりにはフォローしていた。だから、主要登場人物や、よみうりランドでの全日本少年サッカー大会や大宮での全国中学校サッカー大会で七転八倒する流れは、ある程度理解していた。
 ただ、まとまって全編を通しで読むのは、齢59歳で初めての経験。

 いや、おもしろかった。
 中盤で組み立てるとか、サイドで手数をかけるとか、強引に縦に持ち出すとか、オフサイドトラップとか、しっかりしたカバーリングとか、ちゃんとしたサッカーの描写が続く。
 そこで油断しているとw、突然登場する3次元空間、いんや時間差もあるから4次元か、を駆使した1対1のバトル。さらにはゴール前の最終攻防に必ずからむ、すさまじい運動量と読みのよさを発揮する両軍の大エース。加えて、人知を超えた巧緻性による軽業で強力なシュートが発せられ、それに対し神業のような瞬発力を駆使したGKの反応。
 ここにサッカー狂のリアリティを持ち出すのは野暮と言うものだろう。とにかく、おもしろいのだもの。正に、マンガ界の正攻法。単純なバトルに男の子は興奮するのじゃ、たとえ60歳近くなっていても。

 さらに彩りを添えるのは、常に翼君が負傷を抱えベストコンディションでないこと。前途有為な若者が、負傷を抱えている場合、何があっても休ませる必要があるのは言うまでもない。そして、そのように出場を制御しようとするドクターも登場するのだが、そのような長期育成プランは常に否定される。全中決勝で負傷して医務室に下がったドクターと翼君の会話が秀逸だ。
「おまえがブラジルにいってプロのサッカー選手になること、そして日本のワールドカップ優勝、それにくらべたらこんな日本だけのそれも中学生の段階での大会の決勝戦なんてほんのちっぽけなものじゃないか(中略)無理をしてこのひと試合にでたばかりにこの先2度とサッカーができないからだになったとしても本当に後悔しないのか」
とドクターに説教されたのに対し、翼は反論する。
「夢…夢なんです、たとえちっぽけに見えてもこれがおれの夢なんだ。南葛のみんなでこの大会V3をなしたげようとちかった…これはおれたちの夢なんだ!!」
 いや、これがリアルの世界で展開されたら、さすがにいかがかと思うけれど、30数年前の少年マンガ雑誌で展開された物語に文句を言う筋合いはない。
 自らの身体がどうなっても、己の名誉のための勝利を目指す。そして、翼君は最後は明るくチームメートとも相手エースとも肩を抱き合い歓喜するフィニッシュとなるのが、また安心して楽しむことができるものだ。
 余談ながら、翼君よりもよほど身を危険にさらす顔面ブロックを得意技とする石崎君が、いつも上々のコンディションで試合に臨んでいるのは、さすがだ。

 フランスで行われたジュニアユース大会。これはこれで大会そのものの設定がおもしろい。ワールドカップ(ジュール・リメ)、欧州選手権(アンリ・ドロネー)、五輪(ピエール・クーベルタン)のような世界的運動会がいずれも、フランス人の提案によるものであることは、よく知られている。この大会もその系譜に位置するのか、と考えるのは深読みか。
 そう言えば、連載時に大会の組み合わせを見て、イタリア→アルゼンチン→フランス→西ドイツの順番に戦うことになるのを見て、私を含めた西ドイツ嫌いの友人たちと「日本協会の西ドイツ好きの弊害が出た」、「ブラジルが大会に出場していたら、決勝でブラジルに負けるだろうが、西ドイツならば勝てるのだろう」などと語り合ったのを、思い出した。
 ともあれ、西ドイツとの決勝戦。大きなポイントとなるロベルトノートの52ページのくだりが大好きだ。
なぜサッカーは、こんなにも楽しいのだろう
世界中でもっとも愛され親しまれているスポーツ、サッカー
おれが思うに、それはもっとも単純でもっとも自由なスポーツだからじゃなだろうか
グラウンドにたてば監督からのサインなどなにもない
自分で考え自分でプレイする、なににもしばられることなくほかの10人の仲間たちとただひとつのボールをめざし戦うスポーツ、サッカー
 高橋陽一氏のこのメッセージは、サッカー狂には堪えられない。ね、そうでしょ。
 この堪えられないサッカーの魅力、これを翼君たちを通じて描写してくれるのだから、最高ですよね。

 ただ、ジュニアユースで世界制覇した後のワールドユース編やバルセロナ編では、段々と読むのつらくなってきた。
 この手の物語は進めば進むほど新しいより強力な敵が出てくるのは、もうしかたがない。ただ、小学生や中学生が空を飛んだり、ゴールネットを突き破るシュートを打っている分には、夢物語で楽しめるが、後から後から新しい強敵が登場してくると、どうしても飽きが出てくる。バルセロナとかハンブルガーSVとかワールドユース日本代表とか、現実的な世界で行われると、次第に夢の実現の要素が薄れ、軽業の披露合戦としか読めず、感情移入ができなくなってくる。たとえば、若島津健やイタリアの名ゴールキーパが、西ドイツの山奥から出てきた選手と比較して、格段に劣っているかの描写は、いかがと思ってしまうのですよ。
 加えて、物語に強弱をつけるためだろうが、日向の母上が大会中倒れ重体とか、岬君が大会直前に交通事故に会うとか、松山君の恋人が大会中に交通事故で危篤になるとか、立花兄弟が再起不能とか、さすがつらい。
 キャプテン翼をさかのぼる十数年前、左腕が一生使い物にならなくなるまで投げ続ける読売巨人軍の投手とか、燃え尽きてまっ白な灰となってしまうまで戦い続ける世界チャンピオンを目指す 拳闘家とか…まあ、ありましたよ確かに。でも、あれは最終回の主人公だから許される荒技だと思うのだが。
 まあ続編と言うものは、そういうものなのだろう。

 どうしても、飲み込めない描写が2点ある。
 上記した日向小次郎の母上の重体時。日向の境遇とこれまでの心意気を考えれば、重体の報を受けた後、1試合プレイしてからの帰国は考えられず、即帰国のはずだ。小学6年生時代から、約7年間、我々は日向と時を共にしてきた。日向は、不器用な性格で言葉は少ない気立てかもしれないが、人一倍自分を育ててくれた母上には感謝しているし、何より周囲の人々に気をつかい、やさしい人柄だ。その日向が、その母上が重体に至って、「あと1試合したら、帰国する」などと意思決定するわけがないではないか。いや、それ以前に、母上を少しでも楽にするために、高給を提供してくれるJクラブに進んで加入していたはずだ。

 もう1つ。実は、登場人物の中で、一番共感を持ったのは、東邦学園の女性スカウトだ。彼女は私と同じ人種だ。全小の各試合を見ながら、各選手の将来性について、ネチネチと垂れる講釈振りが、我が身を見る思いだった。その内容はさておき、その態度に。
 ただ、納得できないのは、彼女の後の仕事だ。ワールドユース時に日本協会の広報担当、さらに日向がユベントスに移籍した際には日向の代理人なり個人マネージャとなっていた。広報担当や個人マネージャの職務は、それぞれが担当する選手に寄り添い、その選手のプレイをいかに現金化するが責務だ。極めて主観的業務だ。
 一方、チームのスカウトは違う。必要なのは、ひたすら客観的に、その選手を評価し、自部の雇用主に対し、その選手が役に立つかどうかを評価する立場だ。
 サッカー狂の皆さんには、私のイライラ感が理解していただけると思う。サッカーが好きであればあるほど、クラブのスカウトと、広報担当は、まったく異なる「サッカー好き要素」、対称的な位置づけになるはずなのだ。あれだけ、小学生の日向と翼君を冷静に見ていた彼女が、そのような転身ができるはずがないのではないか。

 野暮は言わないと語りながら、野暮ばかりですみません。
 翼君を筆頭に各選手が、時空を舞いながら人間離れした技巧を操り、時に自らの肉体を犠牲にしても、名誉を目指す。その基盤には、サッカーと言う、世界で最も多くの人々が楽しむ玩具がある。おもしろくないわけがない、なるほどこれは名作ですよ。いや、本当におもしろかった。
 80年代、当時の子供達、たとえばこいつ、を熱狂のとりこにしたのも、よく理解できた。そして、翼君にあこがれた多くの少年が、この泥沼のような魅力を誇るサッカーにはまってくれたおかげで、気がついてみたら我が国は世界でも類を見ない右肩上がりの急勾配でサッカー強国に近づくことができたということなのだろう。
 飛躍的に広がったサッカーの底辺を活かして発明されたJリーグは、我が国の文化を変えた。日本中津々浦々にプロフェッショナルのサッカークラブが登場した。それにより、日本中の週末の生活は、格段に彩豊かなものとなったのだ。
 いや、サッカーだけではない。地域に根ざしたクラブの魅力は、プロ野球を再生させ、バスケットボールを実り豊かなものとした。多くの競技で、企業がスポンサとして、各選手を支援する仕組みも、Jの成功があったことが大きい。

 高橋陽一氏は、翼君たちを通じ、当時の子供達に幾多の夢を提供してくれた。その結果として、私たちはJリーグを起点として、日本中でスポーツ観戦と言う娯楽を楽しむことができるようになったのだ。
 高橋さん、本当にありがとうございました。そして、あなたが築き上げてくれた、このステキな日本のスポーツ界を、一緒に楽しんでいきましょう。
posted by 武藤文雄 at 23:27| Comment(1) | サッカー一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月08日

大野忍引退。


 もう先月の話となるが、大野忍の引退が報道された。
 女子選手では、一番好きな選手だった。男女含めて、日本サッカー界が育んだ最高の知性派選手と呼んでも過言ではないと思っている。

 元々、大野は格段の得点力を誇る純正のストライカだった。技巧も確かだが、何よりすばらしいのは、その狡猾な位置取りと駆け引きの巧みさだった。
 ところが、当時の代表監督佐々木則夫氏は、大野を中盤に起用することが多かった。中盤に起用された大野は、一番肝心な敵ゴール前で息切れし、再三決定機を外すことが多かった。あの2011年初戦でニュージーランドを振り切った試合後に、私は佐々木氏の大野の中盤起用に疑問を呈した。
そう言う意味で鍵を握るのは、大野だと思う。大野は、開始早々敵陣でボールを奪うや、美しいロブのパスで永里の得点をアシストしたのは見事だった。けれども、その後幾度も好機をつかみながら、ことごとくシュートを枠に飛ばすの失敗。これは、小柄で必ずしもフィジカルに恵まれているとは言えない(本来最前線でプレイする)大野が、相当後方から疾走する事で最後のフィニッシュまで体力が残っていないと言う事だと思う。
 しかし、私の視点はあまりに狭く、佐々木氏は正しかった。あの決勝戦の前半、アメリカ合衆国が澤穂希と阪口夢穂のボランチ2人に強烈なブレスをかけてきたことで、日本は完全に押し込まれる。しかし、大野が強引かつコース取りが絶妙なドリブルで、幾度も単身攻め込むことで、日本は苦境を脱した。
ここで苦境を救ったのは大野だった。他の中盤の3人が、合衆国のプレスに押し込まれる中、忠実に守備をこなしつつ、幾度も前進し好機を演出した。判断のよい素早い前進と、正確なファーストタッチと、加速のよいドリブルを駆使して。安藤に通したスルーパスが、もう数10センチ内側に通っていたら、日本は前半に先制できるところだった。もちろん、合衆国の守備陣の網が、その数10センチを許してくれなかったのだが。この大野の奮闘があったからこそ、合衆国の序盤の猛攻は、30分過ぎにとだえた。最も得点が期待できる大野の中盤起用には再三疑問を述べてきたが、佐々木監督の慧眼に脱帽。これはワールドカップの決勝戦、大野のプレイに78年のアルディレス、94年のジーニョを思い出した。
 サッカーの常識では、点をとれる選手に「いかに点をとらせるか」がメインの課題となる。しかも、中盤には澤穂希と宮間あやと言う飛び切りのタレントがいたのだ。しかし、佐々木氏はこの2人を抱えながらも、格段のストライカだった大野の知性と言う格段の能力を、得点以外の機能に活用し、世界一を我々に提供してくれた。それにしても、あの大野の単身ドリブル。今でも目をつぶれば思い出がよみがえってくる。
 こうなってくると、大野の知性を楽しむのは最高だ。例えば、世界制覇直後の皇后杯決勝。この試合の後半、大野が几帳面に味方守備ラインの後方を埋めるのを見ているのだけで、最高だった。

 世界一を獲得したのだ。そして、大野のプレイは見るのは、本当に楽しかったのだ。澤穂希と言う完璧なサッカー選手、宮間あやと言う究極の技巧派、この2人と同時代に、ここまで知性に優れたタレントが出た幸運に、感謝すべきなのだろう。
 冒頭にも述べたが、男子選手を含め、ここまで知性を感じさせてくれる選手は、そうはいない。いや、男子選手の場合は、肉体的な強さ、格段の技巧、屈しない精神力など、別な要素を知性でまとめることとなる。大野のように、その知性が圧倒的に前面に出るタレントが登場することそのものが、女子サッカーの特徴なのかもしれないな。
 でも、ほんのちょっと思うよね。世界のトップレベルとなった日本代表で、ストライカとしての大野忍が丁々発止するのを見たかったかなと。そう言う叶わなかった思いを考えるのがまた楽しい。

 大野は指導者の道を志し、INACの首都圏の育成世代の指導者からキャリアを積んでいくとのことだ。あれだけの知性的なプレイを見せてくれた選手だ。格段の指導者になってくれることを期待したい。それもトップレベルの選手を、さらに高めることのできる指導者になってほしい。たとえば、堂安律や相馬勇紀の域に達した選手を、さらにもう一段、いや二段、三段さらに高めるような指導者に。
 あの知性あふれるプレイを思い起こせば、ついついそのような期待を抱いてしまうのは、私だけだろうか。
posted by 武藤文雄 at 00:30| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月18日

野村克也氏逝去

 野村克也氏が逝去したと言う。ご冥福をお祈りいたします。
 プレイヤとしての実績は数限りない。また、監督としての成果も格段だ。もちろん、気の利いた毒舌の解説者として、我々を楽しませてくれたのも間違いない。また、氏の指導薫陶を直接受けた相当数の選手が、プロ野球の監督を務めている。選手としても、指導者としても、TVでの情報発信と言う意味でも、超一流、いや超々一流の野球人だったのは言うまでもない。
 ただ、私にとっては、野球と言うスポーツについて、我々にわかりやすく言語化してくれたライターとしての印象があまりに強い。81年から数年間、週刊朝日に連載された「野村克也の目」は、日本スポーツ界を大きく変えた著述だと思っている。そして、不肖講釈師が一つの目標として考え続けていたのが、野村氏の文章だった。「ただの、酔っ払いサポータが、何をおこがましいことを語っているのだ」とお叱りを受けるのはわかっているが。
 野村さん、ありがとうございました。

 私が氏を尊敬するのは、野球と言うスポーツを表現する言語化能力の高さと、信じ難い将来予見能力だ。言語化能力については、紹介するまでもないだろう。将来予見能力については、清原和博と言う選手の将来を予測した、以下の一連の文章を読んでいただきたい。清原は、PL学園を卒業し、1986年シーズン、西武ライオンズに加入した。その86年に、清原が鍛錬しているキャンプの視察後と、新人ながら20本以上のホームランを打ち大騒ぎになった頃。それぞれにおける、野村氏の清原評の抜粋である。
 まずキャンプ時の86年4月、開幕直前。
「すばらしいなあ、君は。くらべると、僕の18歳のときなどは、クズみたいなものだったな」(中略)西武キャンプで、私は清原にこういったが、ほんとうにそう思ったからで、お世辞でもなんでもない。
(中略)気にかかかることをもうひとつ。彼の器用さである。守備はそつがないし、バッティングも器用だ。(中略)器用さに流れてしまうことは弱点に通じるといっていい。(中略)思いつくのは、素質と才能のちがい、ということになる。はたの目に見えるのが素質。才能はかくされていて見えない。辞書に、才能とは「訓練によって発揮される能力」とあるが、まさにそのとおりだろう(中略)「清原は一流打者になれるか?」と、よく聞かれる。堪えは「?」である。聞きたいのは人情だろうが、答えることができたらおかしい。才能は見えないからだ。
それから、約5ヶ月後の9月。上記の通り、清原がボカスカとホームランを量産していたころ。
(前略)清原の成績を支えているのは「修正」の能力だ。シーズン前半は手も足も出なかった内閣の厳しい球を、脇をしめたおっつけでこなし、最近はいい当たりのファウルにする。まだフェアにする力は乏しいが、投手をおどかすには十分だ。ホームランを打てる甘い外角を投げてもらえるのは、このためだ。
(中略)だが、私のほんとうの気分は、ここまでみてきた彼の”進歩”がおもしろくない。長い目でみれば、逆にわざわいになる不安すら感じる。かって強打者と呼ばれた選手たちはデビュー時、いずれも内閣に強く、下半身がうまく使え、腕の操作がたくみだった。必然的に「引っぱる」選手だった。清原は流すことで成績をあげている。(中略)流し打ちはしょせん労力が少なくてすむ打法である。
(中略)報道陣やテレビカメラを意識している最近の姿も気になる。プロ1年生なのに門限破りをする(この点はかつての強打者と共通する)ようなクソ度胸のかげに、自己本位の計算高さがチラチラしているような気もする。
 繰り返すが、これは清原の新人時代(結局31本のホームランを打ち、多くの新人記録を塗り替えたシーズン中の文章である。あれから、34年の歳月が経った今、我々は「その後」を知っている。清原は、525本の本塁打を打ち、まぎれもなく日本野球史を彩る存在ではあったが、本塁打王も首位打者も打点王も一度もとることはできなず、時代を代表する野球選手にはなれなかった。野村氏は、それをデビュー当初、マスコミが大騒ぎしている際に、冷静に予測していたのだ。

 ここらへんからは、サッカー狂の戯言です。
 野球界のVIPと言えば、長嶋茂雄と王貞治にとどめをさすと思う。ただ、このONについては、我々サッカー界は、カズと澤穂希と言った、それなりに近づきつつある人材を輩出できているように思う。50過ぎてもプロフェッショナルである現人神と、本人自身も代表チームも世界一を獲得したスーパーヒロイン。
 けれども、野村氏に匹敵するような、いや、たとえられるような人材は、サッカー界では中々思いつかない。

 日本サッカー界の名将と言えば、岡田武史氏、西野朗氏、小林伸二氏、佐々木則夫氏らが挙げられる。みな現役時代に相応の実績を残しているが、野球における三冠王のような実績ではない。 
 故岡野俊一郎氏を筆頭に加茂周氏、最近では戸田和幸のように、テレビ解説を軸にサッカーの言語化にすぐれた解説者はいることはいるが、現役時代の野村氏のような格段の実績を持った方は思い浮かばない。
 サッカー文壇では、そもそもトッププレイヤだった人は、とても少ない。
 いや、セルジオ越後氏はすごい選手だったし、在野でサッカーの拡大への貢献は最高だし、解説は野村氏ばりの毒舌で聞いていておもしろい。しかし、氏は眼前で行われているサッカーの言語化は、致命的なほどつたない。と言うか、ちゃんと試合を見てないw(ちゃんと試合を見てないサッカー解説者やサッカーライターは枚挙にいとまないし、そこがサッカーの楽しさだと思うけれど)。あ、誤解しないで欲しいけど、私はセルジオ越後氏は大好きだし尊敬してますよ。
 もちろん松木安太郎氏の、眼前の試合の言語化能力は格段なことは言うまでもない。選手としても、野村氏ほどの実績はないが、天分の素質を知性と工夫と謀略で最高に伸ばしたことは間違いない。あと、まあ一応Jリーグ初代チャンピオン監督だ。しかし、しかしだが、野村氏の言語化能力と、松木氏のそれは、軸が異なる。どちらも絶対値は大きいが、実数と虚数とでも呼べばよいか(もちろん松木さんが虚数ねw)。
 小見幸隆氏は、選手としての実績が格段だし、本来のポジションでないプレイを望まれたことで代表チームを辞退したと言う「月見草感」がある。さらに気の利いた毒舌含めたサッカー論評は絶妙。レイソルでのフロント実績も中々だ。しかし、監督としての実績に決定的に欠ける。ともあれ、あれだけおもしろい文章を書くことができるのだから、もっとサッカー文壇に登場して欲しいのだが。
 反町康治氏は、すばらしい選手だったし、監督として比較的戦闘能力に乏しいチームをそれなりに勝たせると言う実績が複数回。解説での言語能力も高く、「サッカー界の野村克也」に1番近い存在かもしれない。ただ、選手としては、あれだけ周りが見えて、技巧も優れていたのだから、代表の中核まで行って欲しかった。もっともっと、すばらしい実績を挙げられたのではないか、と思えてならないのだ。まあ時の代表監督もひどかったのだけれと。今から選手生活をやり直していただく訳にはいかないがw、反町氏がもう少し戦闘能力高いチーム率いるのは見てみたい。例えば、氏の監督生活で唯一の汚点とも言えるチームが、現在監督の監督の不首尾で苦労している。反町氏に12年前の復讐戦の機会を提供できればステキなのだけど。まあ、叶わぬ望みかな。

 上記のようなことをTwitterで述べたところ、海外の偉大なサッカー人と喩えてくださった方が何人かいた。
 マリオ・ザガロ、ヨハン・クライフ、ジョゼップ・グアルディオラと言った大巨人達は、選手としても監督としても、圧倒的な成果を誇る。けれども、監督として、彼らが率いたのは、最高の選手が集まり、世界最先端の戦術を採用することが許されるチームだった。そして、彼らは、その対価として圧倒的なサッカーでタイトルをしっかり獲得することを要求され、それを実現した。ただし、この3人が特別偉大なのは、その実現を格段の「美」を伴い実現したことだ。
 しかし、野村氏の監督としての偉大さはまったく異なる。氏が率いたのは、必ずしも経済的に潤沢とは言えない、あるいは過去からの積み上げがうまく機能してない、比較的戦闘能力が乏しいチームだった。そして、そのようなチームを強化するのが、野村氏の妙味だった。まあ、そう考えてみると、氏が強いチームを率いるのを見てみたかった思いも出てくるのだが。野村氏率いる野球の日本代表とか。

 そう言う意味で野村氏への類似性を感じさせるのが、イビチャ・オシム氏だ、と言う指摘はもっともだとは思う。でも、私はこの2人には決定的な相違があると思うのだ。
 確かに。オシム氏はジェフの指揮をとり、ナビスコ(現ルヴァンカップ)を制し、再三J1の優勝争いに参画した。少々表現は微妙になるが、当時のジェフの戦闘能力は格段に高いものではなかったし。また、オシム氏の執拗なサッカー好きと言うか、サッカーオタクと言うか、とにかくサッカーさえあればそれでよし、と言う姿勢。それは、野村氏の野球に対するそれと類似性もある。
 また、奥様に頭が上がらないこと。同じ業界で働くご子息に対し、少々いやかなり脇が甘い態度が見え隠れするところも、似ている。うん、似ている。
 では、私が前述した、この2人の決定的な違いとは何か。それは指導のやり方、考え方だ。
 野村氏は、弱者の方法を執拗に具体的に語り、それを指導で実践した。執拗なボトムアップの継続で、各選手に判断力をつけさせようとするやり方。局面ごとに判断を誤った選手への評価は極めて辛辣だった(人はそれをボヤキと呼んだが)。一つ一つのプレイの目的を語った上での誤りなので、選手はその反省を活かしやすかったことだろう。
 一方、オシム氏は、目指す姿を抽象的にあるいは概念的に語り続けた。ジェフの選手たちも、代表の選手たちも、その目指す姿が中々理解できず、戸惑いの日々もあったと聞く。もっとも、代表においては、氏が監督に就任した時点で、ジェフでの水際立った指導は各選手に浸透していた。なので、「とにかく、このオッサンの言うことは聞くしかない」的な雰囲気があったとも聞くが。しかし、氏の厳しい鍛錬と要求を受け入れ、継続しているうちに、多くの選手のプレイ選択の質が次第次第に高くなる。そして、気が付いてみれば、チーム全体で鋭いサッカーを演じられるようになっていった。結果が出て、かつプレイ中の判断力が高まったことを自覚することで、各選手は氏の指導の的確さを理解し、一層氏の指導が効果的になる。正にポジティブフィードバックを生む包括的なトップダウンとでも言おうか。
 オシム氏の日本代表への挑戦は、氏が病魔におそわれ、中途で終わってしまった。もちろん、ジェフにおいても、強奪事件が起こったので最終形を見ることはできなかった。
 オシム氏最後の采配は、この試合だった。大久保嘉人と言う偉才が、初めて日本代表で輝いた試合だった。すばらしい試合だったが、そこから氏がチームをどのように発展させ、何を目指していたのかは、永遠に氏の頭の中にしかない。そして、氏は退任後もそれを語ってはくれない。それが氏の美意識によるものなのかどうかはわからない。果たして、氏のトップダウン指導の対象の究極であるこの男には、オシム氏の最終到達点見えていたのだろうか。
 ともあれ。野村氏とオシム氏のスタイルの違いを解題するのは、とても楽しいことだ。2人の性格や考え方の違いによるものだったのか。それとも、停止とリセットを繰り返す野球と、常に流動的なサッカー、スポーツの性格の違いだったのか。あるいは、12球団の争いと言うドメスティックな戦いと、地球上のほとんどの国同士で行われる広範な戦い、と言った違いによるものだったのか。
 いま思えば、いずれかの媒体がこの2人の対談を企画すればおもしろかったような気がするが、実際に行ったとしても、あまり噛み合った議論になったとも思えないな。なにせ2人とも、あまりに自分の競技が好きすぎてしまっていたのだから。

 私が野球に興味を持った60年代後半、故郷の仙台で見ることのできる野球中継はジャイアンツがらみのみ。パシフィックリーグとは謎のリーグだった。そのパリーグの最強チームは南海ホークス、そこにはONと並び称される恐ろしい打者がいる。その幻のような噂が、私の最初の野村体験だった。
 その後、ホークスでの選手兼監督としての鮮やかな活躍。公私混同問題での解任。生涯一保守宣言でのプレイ、そして引退。この頃には、いずれの試合も毎日のように「プロ野球ニュース」で紹介されており、老獪な名手を楽しむことはできた。
 引退翌年から「野村克也の目」の連載が開始。上記の通り、私は「スポーツの言語化がここまでおもしろいとは」と、正直感動いたしました。
 改めて感謝いたします。
 野村さん、ありがとうございました。
posted by 武藤文雄 at 22:58| Comment(1) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月10日

32/32@2020

 11年ぶりの少年団県大会。我が少年団は、奮戦むなしく1回戦で砕け散った。相手は昨夏の県大会で準優勝、中盤の真ん中にはナショナルトレセンU12選手がいる強豪。非常に難しい試合となったが、我らが勇士たちは敢然と立ち向かってくれた。完敗は残念だが、本当によくやってくれた。
 選手個々については、こちらを参照ください。

 立ち上がり2分に失点。左サイドから攻めかけてきた相手に対し、当方もしっかり対応するも、ボールは取り切れず。逆サイドに展開されるが、右MFのセパタクローの守備範囲。普段の彼ならばグッと相手に寄せられる距離だが、寄せを躊躇してしまった。結果、相手選手は余裕をもってコントロール、ウェイティングしようとするセパタクローに対しワンフェイントかけて縦突破、強シュートを打たれる。元気GKがすばらしい反応で防ぐが止めきれず、こぼれ球を押し込まれた。「強豪」と言う意識が、安全策の選択を呼び、その選択が裏目に出てしまったのか。
 それでも、子供達は顔をあげて、丁寧につなぎ、素早く押上げ、幾度か好機を作る。特に右サイドのポケットティッシュとセパタクローが深めにロングボールを入れて、不運大柄がからみ畳屋孫息子の突破力を活かす攻めは存分に通用した。また、中盤の選手へのプレッシャはきついが、最終ラインの出足とハイエナには若干余裕があるから、この2人から速いグラウンダのフィードを入れると、不運大柄が何とかキープするからネッツアと畳屋孫息子が飛び出せる。幾度か敵陣に攻め込み、獲得したCK。ネッツアが相手GKの取れない絶妙な地域を狙い、バーに当たったのは惜しかった。もうほんの少し、ピッチ内側に入っていれば。
 そうこうして迎えた14分、ペナルティエリアに分厚く攻め込んだことで、相手DFがかろうじてクリア。ルーズボールとなり、ポケットティッシュがルックアップしながら寄せる。ところが、相手ナショナルトレセンの出足の速さとファーストタッチの精度が格段だった。ナショナルトレセンは、見事な加速で前進し一気に抜け出し、当方出足の追走を振り切り2点目を決める。相手を褒めるしかない失点。
 さらに直後、相手が右オープンに展開してくるも、当方最終ラインの押上がよく、元気GKがタッチ沿いで的確にカバー、タッチ沿いにロングボールを蹴り返す。ところが、それを拾われ、ハーフラインあたりから無人のゴールに蹴り込まれてしまい、0-3に。事実上勝負はついてしまった。さすがに気落ちしたか、プレスがちょっと甘くなったところで、ナショナルトレセンの個人技からもう1点奪われ前半終了。

 後半を迎えるにあたり、監督の畳屋倅は、やり方を変えた。
 ネッツアを最終ラインに下げ、4-2-1のような形にして、中央を固め、出足のボールを取る強さを活かし、速攻に活路を見出そうとしたのだ。かなり変則的なやり方だが、選手達は新しい要求を丹念にこなし、崩される場面はほとんどなくなった。ただ、この配置では押し上げが遅くなると、どうしても中盤に空きが出てしまう。32分、ちょっと押し上げが遅れたところで、フリーのMFに精度高いロングボールを入れられて裏を突かれ0-5にされてしまった。
それでも、選手達は崩れない。散発ながら、不運大柄に収めて、畳屋孫息子と(セパタクローに代わって入った)箱根駅伝がシャドーのように絡み、幾度か敵DFを破りかける。少人数の攻撃ながら、能力高い相手DFに臆せず、幾度か少人数速攻を成功しかけたのだが、どうしてもネットを揺らすことはできなかった。

 0-5の完敗。試合終了後、監督はサポータ席の我々コーチ仲間に「最後の公式戦、前半で事実上敗戦が決まっていたので、無理に1点取りに行くことも考えた。しかし、やり方を変えて、この強敵と互角に戦えた経験を積ませたかった」と語っていた。完敗は残念だったけれども、後半は監督の狙い通り、彼らは「やれた」と言う実感はつかみ、最後の試合を終えた。
 3点目までの各失点、直前の場面の「ほんのちょっと」の判断が的確に行えていれば防げていたかもしれない。そうすれば、もう少し試合をもつれさせることはできたはずだ。けれども、その「ほんのちょっと」が実力なのだ。そして、その「ほんのちょっと」と言った試合を、県大会と言う場で、この強敵相手にできたこと。その「ほんのちょっと」を実感できたこと。それらを誇りに思ってほしい。努力を積み上げても、上には上がいると言う経験は、人生にとってとても貴重なものになるはずだ。

 彼らとの6年間の冒険が終わった。
 私は、月曜から金曜まで、それなりにストレスのある本業をこなし、それで食わせてもらっている。私にとっての土曜と日曜は、身体と精神を休ませる貴重な時間だ。そして、私はサッカーが何より好きだ。そして、子供に遊んでもらうのも好きだ。土日に、バカガキどもに遊んでもらう時間は何より貴重なものなのだ。
 毎年のことなのだが。何というのだろうか、6年生を送り出すときは「みな立派になったなあ」と思うのが常だ。そりゃそうだ。まだ人間と言うよりは猿に近いのではないかと感じるw幼稚園を出たばかりのバカガキが、段々育ってきて、3、4年生くらいからちゃんと会話が成立するようになり、6年目にはちゃんとしたサッカー選手見習いくらいにはなってくれるのだ。
 そして、今年の6年生は、みな本当にサッカーが好きで、よくがんばってくれた。目標とする県大会出場を果たし、その歓喜のお相伴をあずかることができた。何回でも繰り返します。
 君たちとの6年間を満喫させてもらいました。みな、本当にありがとう。
posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(0) | 底辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする