2019年10月20日

ラグビー南アフリカ戦前夜2019年

 オールブラックスとイングランドの強さを目の当たりにした準々決勝初日。いよいよ、スプリングボックス戦が近づいてきた。あまり書いたことがなかったが、結構本業では、南アフリカと縁があり、知己も少なくない。たまたまだが、先週同国から親しい同僚が来日しており、「スコットランドに勝ったら、いよいよだね」とお互いに盛り上がった後に、「4年前のようにはいきませんよ」、「いやいや、アイルランド戦見たらわかるけど、我々の戦闘能力は4年前をはるかに超えているよ」、「ええ、本当にアイルランド戦すこかったですよね」などと、盛り上がったものだ。
 確かに、4年前とはまったく違う。明日のスプリングボックスは、何ら油断することなく、ホームグラウンドで圧倒的な我々の声援を受けるチェリーブロッサムズと戦う準備をしている。さらに先方は、10/8にカナダに完勝した後、中11日をかけて調整してきている。
 一方、ジャパンは先週のスコットランド戦の死闘から、中6日。具智元をはじめとした負傷者、疲労の色が顕著だったリーチマイケルらが、どこまで回復してくれているか。ただ、私は必ずしも、この試合間隔は、そう不利にはたらかないとも思っている。いわゆるティア1国とのテストマッチの機会が少ないジャパンにとって、この本大会のアイルランド戦、スコットランド戦の経験は、そのままチームの強化につながったと思っているから。コンディションコーチが適格な負荷を、ドクターが適切な医療を提供してくれれば、タフな試合感覚を維持して、この難敵と戦えると思うのだ。

 幾度か語っているが、私の息子は高校に入った折に、サッカーからラグビーに転向した。そして、つい最近まで現役ラガーだったこともあり、いわゆる選手枠で今大会のチケットをしっかりと押さえてくれた(カネは私が払ったw)。4年前に南アフリカに勝った時の坊主のふるまいも中々だったが、今大会の狂乱ぶりは、親バカとしては実に嬉しい。また、アイルランド戦、サモア戦を共に観戦し、応援をリードする楽しさを、それなりに指南できたw。そして、ジャパンの残り3試合も、坊主と応援できるのは大いなる楽しみだ。

 と、強気で語ってはいるが、スプリングボックスは強い。正直、当方が勝つ確率は40%くらいだろうか。
 続く準決勝、ウェールズが来る確率は80%、これに勝つのが50%。フランスが来たら70%は勝てるのではないか。
そして、エディーのオッサンが何か仕掛けてくるから、アイルランドに完勝したオールブラックスもそう簡単に勝てないだろう。オールブラックスが来る確率が60%で、こちらに勝つ確率は10%、くらいかな。一方でイングランドだったら、20%くらい。以上より、日本の優勝確率を計算すると
0.4×(0.8×0.5+0.2×0.7)×(0.6×0.1+0.4×0.2)=約0.03、つまり約3%と言う予測となった。
 で、いま25歳の坊主に説教しているわけですよ。坊主があと60年くらい生きるとしたら、あと15回ラグビーワールドカップを体験できる。果たして、ジャパンがあと3試合残して、世界一になる確率が3%あるなんてことが、もう1度あり得るだろうか。そう考えると、坊主の人生で最大のチャンスが眼前にあるのではないか、そして、この3%と言う驚異的な高確率を少しでも高めるために、我々は全知全霊を傾けて応援しなければならない、と。

 と言うことで、明日は親子仲よく、「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」。いや、明日だけじゃない、あと3つ。
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2019年09月29日

アイルランド戦の歓喜とニッポン!チャ!チャ!チャ!

 ラグビーワールドカップ、日本代表はアイルランドとの死闘を制して、19対12で見事に勝ち切った。試合内容もすばらしいものだった。
 4年前の南アフリカ戦の歓喜は、10回に1回起こせるかどうかの勝利を引き寄せた番狂わせ感があった。しかし、今回の勝利は違う。強いチーム同士が、がっぷり四つで戦い、瞬間瞬間の判断に上回った方のチームが、戦闘能力で勝利した試合だった。ジャパンは戦闘能力でも、先日まで世界ランク1位だったアイルランドと遜色なかったのだ。
 私としてはこの大会観戦2試合目。最初はオールブラックス対スプリングボックス戦。少なくとも、観戦した4か国の戦闘能力には、あまり差がないように思えたのだが。
 もちろん、ジェイミー・ジョセフ氏も、リーチマイケルとその仲間たちも、勝負はこれからなのは、わかっている。スコットランド戦はもちろん、サモア戦も、簡単な試合ではないだろう。でも、彼らはきっとやってくれることだろう。

 簡単に試合を振り返っておこう。
 20分までに2トライを奪われ、3-12、相当難しい試合になってしまう雰囲気があった。しかし、30分過ぎだったか、自陣での相手ボールスクラムでペナルティを奪い、流れは完全に変わった。敵陣でのプレイが増え、田村がペナルティキックを2本決めて3点差で前半終了。
 後半も攻勢をとる。幾度も幾度も攻め込むが、アイルランドの守備も固く、どうしても最後の5mが破れない。それでも、手変え品変え攻め込む。決勝トライは敵陣深いところで得たマイボールスクラムから、よい球出し、幾度も押し込んで、最後は両センタの妙技から、福岡が抜け出した。これは、どんなチームでも防げないだろうと思える、何とも見事な変化だった。
 その後、幾度から自陣に攻め込まれるが、強烈なタックルで22mライン近傍で幾度求める。アイルランドもさすがで、ジャパンの激しいタックルを食らっても、とにかくボールを落とさない。そのような攻防が続いたが、後半ジャパン守備陣は崩れず、とうとう押し切った。

 ともあれ、この試合、唯一残念だったのは、80分過ぎ、負けているアイルランドがキックで試合を切り、試合終了を選択した事。絶叫で応援していた我々は「アレ?」と、すぐに歓喜を味わえなかった。これは試合終了後に当のキックをしたカーベリが、7点差以内の勝ち点1の確実な確保を目指した、と発言しているらしい。やはり、ここはジャパンがマイボールを外に蹴りだして、明確な歓喜を味わいたかったところだが、贅沢は禁物だろう。まあ、アイルランドも、これ以上執拗に当たってくるジャパンと戦いたくなかったのかもしれないけれどw。

 それにしても、会場のエコパの雰囲気はすばらしかった。特に逆転以降、アイルランドが力を振り絞って攻め込んで来て、ジャパンが必死に我慢を重ねた時間帯。地鳴りのように巻き起こった「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」は、間違いなくジャパンの選手たちを奮い立たせたはずだ。そして、選手たちの奮戦がフィードバックとなり、我々をさらに奮い立たせる。22年前のジョホールバル、17年前の横浜国際を思い出した。コールリーダを軸に、試合の流れと変化を考えながら、ありとあらゆる歌とコールとチャントを駆使するユアテックもいいが、このようなシンプルな声援も悪くない。
 ほんの少しだけど、自分も勝利に貢献できたかなと思っている。一緒に絶叫していた息子曰く、ロシア戦のスタジアムの声援と拍手はすばらしかったが、いわゆるコールは今一歩だったとのこと。なので、前半から、節目節目で「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」を始め、回りを巻き込んで行くようにした。そして、前半半ばあたりから、「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」は前後左右広範なブロックに広がり、試合終盤には大きな声援のうねりとなった。上記したリードした後、アイルランドに攻め込まれた時間帯は、立ち上がってスタンド後方まで煽ったりもした。何か、30数年前、サッカーの代表を応援するために、周囲を巻き込んだ時代を思い起こして懐かしかった。眼前に行われている競技の質も、周囲の観客の量も、当時とは全く違っていたけれど。

 「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」は、日本サッカー狂会創始者の故池原謙一郎先生が、発明されたのは、よく知られたことだと思う。
 池原先生からは、直接幾多の薫陶を受けることができた。中でも、忘れられないのは、87年ソウル五輪予選時の議論。当時、中国戦のアウェイゲームを応援に行ったのは、我々好事家数十人程度だった。一方、クウェートで行われた男子バレーの予選は100名を超えるファンが現地で応援したと言う。サッカーは出場できず、男子バレーは出場できたのは結果論だが、その年の忘年会で、あれこれそれについて議論していた時のこと。私が「我々はバレーに負けている」と語った。すると、いつもは我々の議論をニコニコとおだやかに聞いている先生にたしなめられた。「そもそも、勝ち負けは韓国なり西ドイツやブラジルと争うものですよね。また、競技の人気度の比較をするにしても、海外の試合を応戦に行った人数で語るのはいかがなものですか。本質的には、競技人口なり、合理的な組織が作られているかで、語られるべきではありませんか」と。

 私も歳をとった。当時、そのような教えをくださった先生と、ほとんど同じ年齢となっている。
 そして、このアイルランド戦。天国の池原先生に、ちょっと嬉しい報告ができると思っている。先生が発明された「ニッポン!チャ!チャ!チャ!」は、ラグビーと言う異なるフットボールに広がり、世界最強国を戦闘能力で粉砕することに成功しました、と。
posted by 武藤文雄 at 23:59| Comment(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月17日

ベガルタの現在位置2019年8月

 前節ベガルタは敵地でFC東京に0対1で苦杯を喫した。
 現地の蒸し暑さは相当だったこともあろうが、東京の長谷川健太監督は極端な守備的布陣を敷いてきた。
 元々、今期の東京の強さは林彰洋、森重真人、橋本拳人の後方縦のラインの強さを軸に、ディエゴ・オリベイラと永井謙佑の強力2トップを活かすことにあった。ただし、久保建英の離脱でこの2トップに有効なラストパス(あるいはその一つ前の決定的パス)が出なくなったところが、最近の課題。実際、ベガルタは、16節のユアテックでのホームゲームでは、(久保不在の)東京の起点をうまく押さえることに成功。速攻から鮮やかな2得点で快勝することができた。
 さて、この試合、上記した通り東京の超守備的布陣は、私にとっては相当な驚きだった。東京は首位独走中なのに対し、我がベガルタは何とか下位から中位に駆け上がろうと言う状況。両軍の経済力差もあり、個々の選手の格も、どう考えても先方が上。その我々に対して、ここまで慎重な戦いをするとは。
 実際、長谷川氏の策は奏功した。橋本を軸にした中盤は、三田啓貴、高萩洋次郎、東慶悟の3人の攻撃から守備への切り替えの早さが格段で、ベガルタは速攻を完全に封印された。それでも、ベガルタはサイドチェンジと両翼に人数をかけるやり方でそれなりに攻勢をとるが、変化が乏しく、森重の格段の位置取りを、どうしても破れなかった。
 もちろん、ベガルタが無失点に押さえられれば、それはそれで勝ち点1を確保できたのだが、サッカーだからあのようなPKもあり得るし、ディエゴ・オリベイラとの駆け引きに完勝したスウォビィクに対する判定もしかたがない。負けは負けである。
 ベガルタに対し、ホームであのようなやり方を選択し、「勝ち点1でもよし」と割り切る作戦を採用し、上記の名手たちに己の作戦を徹底した長谷川氏に土下座するしかない。個人能力に優れた選手たちが、守備を徹底したサッカーを演じたときの強さを思い知った(余談ながら、アジアの国際試合で、多くの国々が、最近の日本に対しても同じ印象を感じているのだろうが)。
 ダメなのは、森重を破るような変化を作り出せなかった我が軍である。悔しくて悔しくてしかたがない敗戦だったが、このような悔しさを味わえるから、サッカー観戦はやめられない。究極の快感である。

 一方で。3節前に、ベガルタはホームでアントラーズに0対4で完敗した。
 この試合、ベガルタは攻撃の起点となる松下が徹底してつぶされる。さらに、左サイドバック永戸が、アントラーズの右MFレアンドロに引き出され、そのスペースを土居聖真に突かれ、次々に崩された。アントラーズが変則な仕掛けをしてきたこともあり、幾度か速攻で好機をつかむこともできたが、逆にそれが少人数での無理攻めの頻度を増やし、状況を悪化させ、前半で2失点。ホームと言うこともあり、後半さらに強引に前進した裏を突かれ、大量失点につながった。守備の要として格段の存在になってきたシマオが負傷で出場できないのも痛かった。
 アントラーズ大岩監督の注文相撲にうまうまとはまってしまった訳だが、対応策はあったはず。具体的には、前半無理な速攻をねらわずに我慢するべきだった。ただし、残念ながら、そこまで気の利いた判断をチームとしてできなかったと言うことだ。

 今シーズンは、序盤に新規獲得選手が機能しなかったこともあり、苦しい展開が続いた。特に、敵地のベルマーレ戦やマリノス戦などは、形容しようのない完敗。終わってみればスコアこそ、1点差だったが、それこそ5点差くらいつけられてもおかしくない内容だった。実際、5月までは最下位争いを演じていた。
 それでも、渡邉監督は丹念に強化を継続、シマオ、松下、道渕、石原兆らを完全に戦力化し、6月に攻勢をとり、中位いや上位をうかがえるかな、と言うところまで勝ち点を積み上げることに成功した。
 しかし、アントラーズにせよ、東京にせよ、徹底したスカウティングで、見事なベガルタ対策を講じてきている。これらのやり方を当然、他のチームもしっかり観察しているわけで、今後も難しい戦いが続くことになる。
 もちろん、悪いことばかりではない。ジャーメイン、阿部ら、負傷離脱していた選手も、天皇杯カターレ戦で復帰するなど好材料もある。そのような正負両面の状況下で、ベガルタがどう戦っていくのか。現在リーグの1、2位を走る両クラブの監督に明示された課題への対応策が問われているわけだ。
 過去、幾度も語ってきたが、私は渡邉晋と言う監督を、サッカー狂としては高く評価し、ベガルタサポータとしても深く信頼している。渡邉氏が今後どのような施策をとってくるのか。正に、サポータ冥利に尽きる戦いを楽しむことができるのだから、ありがたいことだ。
 まずは、中村憲剛が率いるリーグチャンピオンをユアテックに迎える一番での、氏の采配に期待したい。
posted by 武藤文雄 at 00:16| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月15日

シュミット・ダニエルとの惜別

 シュミット・ダニエルが、ベルギー、シントロイデンへ移籍、ベガルタを去ることとなった。シュミットは生まれ育ちが仙台と言う意味でも、ベガルタにとって特別なタレントだ。その惜別の試合が、何とも言えないホームでの0対4での惨敗だったのだから、何とも我が軍らしいか。

 シュミットは、森保氏が代表監督に就任して以降、常時代表に選好されるようになり、ここまで5試合に出場。アジアカップこそ定位置を権田修一に譲ったものの、先日のキリンチャレンジではトリニダード・トバゴ戦、エルサルバドル戦とゴールを守り、少しずつ定位置確保に近づいている感もある。
 ベガルタにとって、過去A代表に出場したのは、2003年韓国戦の山下芳輝、2010年アルゼンチン戦の関口訓充以来のこと。ただし、2人ともそれぞれフル出場ではなく、その後出場機会も得られなかった。改めてそう考えると、シュミットが代表に定着しかけていることそのものは、まだ四半世紀と言う歴史の浅い私のクラブにとって、着実な積み上げの成果と言っても過言ではないだろう。
 簡単にベガルタのゴールキーパの歴史を振り返ってみる。14年シーズンに林卓人が移籍した後、関憲太郎が定位置を確保するが、必ずしもよいプレイを見せられなかった。翌15年シーズンは移籍加入した六反勇治が定位置を奪い、日本代表合宿にも呼ばれるなど活躍した(出場はなかったが)。しかし、翌16年シーズンは関が定位置を奪い返し、ここからは激烈な競争が行われる。一方、14年にベガルタに加入したシュミットは、定位置争いには参画できず、14、5年にはロアッソ、16年には山雅にレンタル移籍し経験を積む。そして、17年にベガルタに復帰したシュミットは、以降関と激しい定位置争いを演じる。シュミットがほぼ定位置を確保したのは、昨18年半ばのこと。そこから、シュミットは一気に代表の定位置争いまで駆け上がったことになる。ここで重要なことは、関と言い、17年にエスパルスに移籍した六反と言い、ここ数年ベガルタのGKの定位置争いが非常にレベルの高い強化が行われていたことだ。

 本人が移籍時のコメントとして述べたように、27歳と言う年齢を考えると、欧州で活躍するにはギリギリの年齢と言うことでの、決断なのだろう。日本のトッププレイヤあるいはトッププレイヤを目指そうとするタレントが、欧州でのプレイを望むのは、ここ最近のサッカー界を考えれば、当然のこととなっている。短い現役時代の収入を最大限にすると言う意味でも、己の能力をより厳しい環境で限界まで伸ばし日本代表で中核として活躍すると言う名誉を考慮しても。
 ただし、そのためには欧州のクラブに移籍するだけではなく、そこで活躍しステップアップしていく必要があるのだが。そして、シュミットが移籍するクラブはベルギーのシントロイデン。日本企業が出資し、積極的な経営をしつつ、遠藤航、冨安健洋、鎌田大地らの日本代表選手も活躍経験があり(さらに冨安のステップアップもあり)、何か日本人選手の移籍先として安心感のあるクラブではある。
 しかし、だからと言って、シュミットの活躍が担保されているわけではないのは言うまでもない。シュミットは197cmのサイズが話題になるが、そのプレイの最大の特長は左右両足のボール扱いのよさと、正確なキックにある。また大柄にもかかわらず、低いボールへの対応がうまく、敵のシュートに対しギリギリまで我慢できるのも見事なものだ。ただ、一方でその大柄な体躯にもかかわらず、時折クロスへの判断を誤ることがあったのは、ご愛敬か。ともあれ、昨シーズン最終盤からはそのようなミスも減ってきて、代表でも出場機会を得ることができてきたわけだ。ここまで、丹念に能力を向上させてきたシュミットの努力と、そのための知性は、すばらしいものがある。
 その長所、短所が、欧州でどのように評価されるか。欧州でプレイした日本人ゴールキーパと言えば、川口能活と川島永嗣と言うことになるが、シュミットは川島と異なり語学にも課題があるようで、どうなるだろうか。
 楽観も悲観もしていない。しかし、シュミットが努力を重ね、正確なボール扱いとフィード、広い守備範囲、シュートへの的確な対応を誇る、Jでも屈指のGKとなったのは間違いない。そして、この個人能力が、まずはベルギーの中堅クラブでどこまで評価されるのか、期待を持って送り出したい。
 もちろん、違約金もそれなりに入るはずだし、ベガルタにとって、決して悪いことばかりではない。昨シーズンの西村拓真に続き、生え抜きのタレントが欧州に旅立ったことそのものが、単純にうれしい。加えて、西村にせよ、シュミットにせよ、ベガルタ加入前に同世代の中で格段に飛び抜けた評価を受けていたタレントではない。彼らは、ベガルタと言うクラブを選んだからこそ、ここまで来られたのだ。
 これは、若い逸材にとって、ベガルタと言うクラブが、己の能力を高めるいかによい環境であるかの証左となるだろう。

 ベガルタフロントは、シュミットの移籍と前後して、ジュビロのカミンスキーをも上回るとの噂もあり、ポーランド代表経験もある、ヤクブ・スウォビィクを獲得した。これはこれで大いに期待できるタレントだ。もちろん、シュミットと激しい定位置争いを演じていた関憲太郎もいる。また、ここ最近関は負傷離脱していたわけだが、常に安定した第3キーパとして機能していた川浪吾郎にとっては、シュミットの移籍は、定位置確保の大きな好機なのは言うまでもない。
 選手の移籍放出は寂しいことだし、戦闘能力的なマイナスも起こる。しかし、サッカークラブは生き物であり、選手の出入りは常なるものだ。愛するクラブのために尽くしてくれた選手のステップアップは何よりもうれしいものだし、それにより新しい選手の活躍機会の拡大もまた楽しみなものだ。

 2022年ワールドカップ、世界屈指のゴールキーパとなったシュミットと共に、ベスト8、いやそれ以上を戦えることを祈念してやまない。
posted by 武藤文雄 at 23:47| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月30日

あまりに幸せだった平成の日本サッカー

 平成の世が終わろうとしている。

 私はサッカーでも本業でも、西暦を使っているし、人生の区切りを毎回のワールドカップで認識しているような人間だから、元号でのカウントはピンと来ない。ともあれ、人生2度目の元号切替と思うと、感慨深い。
 平成元年の初日(1989年1月7日)のことは、よく覚えている。年休をとって、高校サッカー選手権の準決勝を観に、駒沢競技場に向かったのだ。そして、競技場で見たのは、「昭和天皇崩御のため、準決勝延期します」とのメッセージだった。
 先日からマスコミを中心にお祭り騒ぎだが、国民が元号の切替を楽しむことができるのは、今上陛下の退位の決断の賜物。そもそも80歳を超えた両陛下に今なお活躍いただいたことに感謝。そして、同年代の皇太子殿下が、50代後半のこれから重責を担うことに、何とも複雑な思いを持つ。
 日本と言う国のこの約30年間を振り返ると、産業構造転換の不首尾で残念な期間だったとか、少子化が決定的になったとか、自然災害に悩まされた期間だったとか、ネガティブな評価は少なくない。一方で、いわゆる近代以降(明治以降)で、初めて対外戦争がなく平和な時代だったと、ポジティブにとらえる方もいらっしゃる。
 ともあれ、日本サッカー界にとって、この平成の30年が、本当に幸せな時代、それも昭和からは、まったく信じられないすてきな時代だったことに、異議を唱える人はいないだろう。 
 とにかく、昭和と平成の日本サッカー界は、まったく異なるものになった。昭和には、強い日本代表チームも、実り豊かなJリーグも存在しなかったのだから。

 私は昭和時代から、日本代表が大好きだった。
 そもそも、昭和時代は、ワールドカップ及びその予選に向けて、強いチームを作るための、長期強化をしたことは、実質的にはなかった。これは、1980年代半ば過ぎ(いわば昭和末期)までプロフェッショナリズムの導入が遅れたこともあり、強化の主眼はオリンピック及びその予選が強化の主眼だったためだ。そのような考え方もあり、アジアカップに至っては、予選に出場を見送ったり、B代表を派遣したりしたこともあった。主眼を置いていたオリンピックにしても、1936年(昭和11年)のベルリン五輪、1968年(昭和43年)のメキシコ五輪で、そこそこの成績を収めたことはあったが、出場はその他には1956年(昭和31年)のメルボリン五輪のみ。
 もちろんメキシコ五輪の銅メダルは誇らしいものだったが、そこに向けての東京五輪からの集中強化の貯金が途切れたところで、アジア内で勝つのも難しくなっていた。韓国、北朝鮮、中国、イスラエル(当時はアジア協会所属)、中東勢に勝つことはもちろん、フィジカルでやや優位に立てるビルマ(当時、現ミャンマー)、マレーシア、タイと言った東南アジア諸国に対して劣勢の成績しか収められなかった。単純に、70年ごろから80年代前半(昭和40年代半ばから50年代後半あたり)まで、日本代表は弱かったのだ。
 いや、勝ち負けだけではなかった。そもそも、定期的な代表試合を他国との間で行う機会も少なかった。これは、経済的な課題と観客動員の乏しさの両面からから来るもの。そう言うものだったのだ。…なのでね、平成に入ってから、あれこれ広告代理店がサッカービジネスで金儲けばかり考えて、成績不首尾を招き、結果的に商売面でも下手を打つのを見ると、複雑な気持ちになるのよ…彼らがいたからこそ、日本サッカー界はここまで大きくなれたのだし。
 それでも、私が見た昭和の日本代表は、各選手は、皆が己の限界まで戦ってくれた。今の時代から思えば、コンディション調整も、敵へのスカウティングも、稚拙だったかもしれない。けれども、彼らが堂々と各国と戦ってくれた歴史は色あせるものではない。

 私は、昭和時代から、日本リーグが大好きだった。
 日本リーグは、1965年(昭和40年)に開幕した。これまで、国内のトップクラスの試合が、勝ち抜き戦で行われているのを見て、デッドマール・クラマー氏の提言で始められたものだ。黎明期こそ、東京、メキシコ両五輪の勢いなどもあり、一定の人気を得ていたが、観客動員は伸び悩んだ。日本リーグは、多くのサッカーファンの興味を集めることができず、20余年間運営されたのだ。サッカーの日本リーグ創設は、バレーボール、バスケットボールなどの他球技への、国内リーグ創設にも、大きな貢献を果たしたのだが。
 それでも、毎シーズン、私たちは当時最高レベルのサッカーを、日本リーグを通して楽しませてもらったのだ。東洋工業(現サンフレッチェ)の4連覇、三菱(現レッズ)、ヤンマー(現セレッソ)、日立(現レイソル)の3強時代。古河(現ジェフ)の復権、フジタ(現ベルマーレ)の台頭。そして、読売(現ヴェルディ)、日産(現マリノス)の先駆的プロフェッショナル導入。ヤマハ(現ジュビロ)の強化、全日空(消滅させられたフリューゲルス)の参画。
 実際、80年代半ば以降(昭和60年代)、日本リーグの各チームの攻防は本当におもしろかった。読売、日産に、古河、ヤマハ、全日空などが絡む上位争い。もちろん、ラモス・ルイ、ジョージ・与那城、戸塚哲也、木村和司、水沼貴史、マリーニョと言った攻撃のスタアたちのプレイは色鮮やかだった。一方で、加藤久を筆頭に、小見幸隆、岸野靖之、清水秀彦、岡田武史、宮内聡、柳下正明、石神良訓と言った、最終ラインあるいは中盤後方で知性を発揮するタレントが次々に登場し、毎週末を彩ってくれた。
 そして、古河、読売が2年続いてアジアチャンピオンズカップを制覇、「もしかしたら、俺たち、結構強いんじゃないの?!」と、思いながら時代は平成を迎えた。

 けれども、平成に入った序盤は、正に日本代表の暗黒時代だった。
 1989年は、翌90年のイタリアワールドカップ予選の年だった。1次ラウンド、日本は、香港、インドネシア、北朝鮮と同じグループに入り、H&Aの総当たり戦で1位が2次ラウンドに抜けるレギュレーションだった。結果は北朝鮮に1勝1敗、インドネシアに1勝1分、香港に2分で、北朝鮮の後塵を拝し2次ラウンド進出に失敗した。一番痛かったのは、ホームゲームの香港戦、単調な攻撃を繰り返し、有効な交替策もとられないままに0対0で引き分け。翌週、平壌での北朝鮮戦を0対2で落とし、敗退が決まった。
 当時、日本リーグで活躍していた、加藤久、木村和司らのベテランスタアを起用しなかったこと、当時欧州ではやっていた3-5-2のフォーメーションを採用したのはよいが両サイドに足は速いが判断力に乏しい選手を起用し、事実上3-3-2で戦ってしまった失態など、残念なことが多々あった。
 けれども、このような事態は勝負ごとだから、仕方がない。勝敗は時の運だし、準備が不適切で負けることもある。何がガッカリしたかと言うと、このワールドカップ予選敗退から2週間後に、日本代表が目的不明の南米遠征に向かったことだった。現地ではエスティアンデス、ボカ、インデペンディエンテ、コリチーバと言ったトップレベルのクラブチームに加え、ブラジル代表とも対戦。セレソンは、ハーフタイムで選手を大量に入れ替えたが、ドゥンガ、ロマリオ、ベベットらトップ選手を起用してくれた。試合は、後半あのビスマルクに決勝点を許し敗戦。この時点で、次の五輪は若年層の大会になると報道されており、この南米遠征が何の目的で行われたのか、本当に不思議である。と言うか、腹が立ってならない。
 その後も当時の日本代表監督は辞任も退任もせず居座る。そして、90年、91年と低調な活動が続いた後、92年(平成4年)ハンス・オフト氏が代表監督に就任した。以降は平成の歴史である。
 大会前誰も予想していなかった広島のアジアカップ初制覇(92年)。ドーハの悲劇(93年、平成5年)、UAEアジアカップクウェート戦の失態(96年、平成8年)、ジョホールバルの歓喜(97年、平成9年)、フランスでのチケット騒動と堂々たる敗戦(98年、平成10年)、トルシェ氏騒動、日韓ワールドカップのベスト16(02年、平成14年)、ジーコさんのアジアカップとワールドカップ(06年、平成18年)オシム氏を襲った病魔、岡田武史の奮戦(南アフリカは10年、平成22年)、ザッケローニ氏のアジアカップの歓喜とブラジルでの失態(ブラジルは14年、平成26年)、幻のアギーレ氏、そして…

 日本リーグは、平成に入っても充実していた。88-89年、89-90年シーズン、万年優勝候補と言われていた日産が連覇。木村和司、水沼貴史に加え、セレソンの主将経験あるオスカー、柱谷哲司、井原正巳らが機能し、強力なチームを編成した。それに対し、読売はブラジル屈指の名勝、カルロス・アルベルト・ダシルバ氏(1988年ソウル五輪でブラジル代表を指揮)を招聘、「トップクラスの知将は、ここまで知的なチームを作ってくれるのか」と、我々に強い印象を与えてくれた。もっとも、ラモスがダシルバ氏に反旗をひるがえし、氏が僅か1シーズンで日本を去り、読売首脳がラモスを溺愛するペペ氏を招聘したのは、ご愛敬だった。まあ、キングファーザ、納谷宣雄氏の面目躍如と言うところか。
 そしてJリーグが開幕した。
 平成に入り、日本リーグは、地域密着を指向したJリーグに発展的解散。当初10クラブからスタートした、この人工的リーグは、次々に仲間を増やした。
 そして、我が故郷宮城県も、仲間に加わった。当時の東北電力を主体としたチームをプロフェッショナルクラブ化。ブランメル仙台としてスタートしたクラブは、Jリーグ黎明期のバブル的な強化で経営破綻しかけたこともあった。それでも、鬼才清水秀彦氏を監督に招聘、マルコスと言う偉才を獲得したこともあり、2001年(平成13年)J1に昇格。2年でJ2に降格するも、丁寧な強化を継続。梁勇基、菅井直樹と言ったトップスタアの育成にも成功、2010年(平成22年)にJ1に復帰するや、手倉森誠氏の采配よく、2012年(平成24年)シーズンはJ1で2位になり、翌シーズンACLも体験した。私が宮城県でプレイしていた1970から80年代、宮城県にはまともな芝のグラウンドはなかったことを考えると、隔世の感がある。

 平成が終わろうとしている。
 この平成時代、30年間の日本サッカーが放った光芒の鮮やかさを、どう説明したらよいのだろうか。いや、どう理解したらよいのだろうか。
 2018年(平成30年)、7月2日。ロシア、ロストフ・ナ・ドヌ。我々は、アディショナルタイムに失点し、ベルギーに敗れ、ワールドカップベスト8進出に失敗した。繰り返すが、98年本大会に初出場、02年地元大会、10年南アフリカ、それぞれでベスト16に進出成功していたのだが、ここまで欧州の強豪に粘った試合は初めてだった。ベルギーはその後、セレソンを破り、ベスト4に進出した。
 2018年(同じく平成30年)、12月9日。埼玉県、埼玉スタジアム2002。天皇杯決勝。我がベガルタ仙台は、初めての決勝進出を果たし、浦和レッズと対戦した。序盤にセットプレイ崩れから失点したものの、創意工夫を凝らし、幾度もレッズゴールを脅かす。けれども、武運つたなく、どうしてもレッズのゴールネットを揺らすことできず。優勝はできなかった。

 平成元年に戻ろうか。
 私が観ることが叶わなかった、高校サッカー選手権準決勝、決勝は2日順延して行われた。決勝は、三浦文丈、藤田俊哉、山田隆裕らがいた清水商が、野口幸司、小川誠一らがいた市立船橋を破って優勝した。また、準決勝で清水商に敗れた前橋商が米倉誠、服部浩紀、鳥居塚伸人らで演じた攻撃的サッカーは印象深かった。余談ながら、同日決勝する予定だった高校ラグビーの決勝戦は、延期ではなく中止となり、両校優勝となった。
 これらを思い起こすと、繰り返すが、ご自身で退位と言う選択をされた今上陛下には感謝の言葉しかない。30年前は、昭和天皇が9月に体調を崩され(楽しみにされていた大相撲観戦を直前に闘病生活に入った、せめて最後の相撲観戦を楽しまれていればと思ったのは私だけか)、以降は自粛、自粛の重苦しい元号の切替だったのだから。

 日本サッカーにとって、平成は、本当にすてきな時代だった。
 新しい時代を明日から迎える。サッカーと言う究極の娯楽を得た幸せを感じつつ、令和の新時代を生きていきたい。
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2019年04月27日

2019年シーズン、ベガルタ、ようやく楽観できた

 ベガルタは、8試合を終えて、1勝1分6敗、勝ち点4、得失点差マイナス6、17位。何とも冴えない成績に苦しんでいる。
そろそろ「J1残留は大丈夫か?」的な議論も出てくるし、敗戦時の選手たちの重苦しい表情もやりきれない。まあ、このように思うに任せない事態があるから、サポータ稼業は、堪えられないのだが。
 それにしても、一昨シーズンはルヴァンカップベスト4、昨シーズンは、天皇杯準優勝を筆頭に、うまい試合を見せればトップクラスのチームに勝ち切る機会も多かった。当然ながら、今シーズンは、さらなる上積みを期待したいところで、この苦境。いや、最高です。

 と嘆き悲しむ今シーズンだが、先日の敵地アントラーズ戦も、0-1での苦杯。悔しい敗戦だった。けれども、私は安堵したのだ。この試合を見て、私は「今シーズンはもう大丈夫だ、これから反転できる。」と確信を持つことができた。
 理由は明白、攻守両面でようやく合理的な試合を見せてくれた、つまり内容がよかったからだ。言い換えると、ここまでのリーグ戦、ほとんどの試合が負けて当然、ひどい内容だったのだのだが。
 試合内容が改善されたのもよろしかったが、もう一つ嬉しかったことがある。負けが込んでいることに加え、前節のトリニータ戦で、ひどい試合をしてしまい、チームとしては精神的にも追い込まれた状況だったはずだ。それなのに、このアントラーズ戦は、内容を大きく引き上げることができていた。トリニータ戦は、後半半ばから完全に組織崩壊してしまい、よくぞ2点差で食い止めた、と言う内容だったのだから。
 簡単にアントラーズ戦を振り返ろう。敵地の試合で、組織的な守備が機能、何度か好機は許したものの、最終ラインもよく粘り、完全に崩されることはなかった。一方で、幾度も逆襲速攻から好機をつかんだ。後半も同様の展開が続いたものの、セットプレイから失点。その後、分厚く守備を固めるアントラーズに対し、丁寧なパスワークで攻めこむ。そして、両翼から何回か好機をつかみかけたが得点を奪うことはできず、0対1での敗戦となった。
 こう言っては身も蓋もないが、所詮サッカーは運不運。このアントラーズ戦のような、合理的な戦いを続けていれば、よいこと、悪いことは錯綜するだろうが、勝ち点はついてくるはずだ。

 今シーズンのベガルタを見て、感じた大きな課題がある。
 それは、毎試合のように、見ていて信じられないような非組織的なプレスを強引にかけ、スルッと外されて、簡単に数的優位の速攻をされて失点することだ。ミスを引っ掛けられて速攻を許すのは、褒められた事態ではないが、ある意味では仕方がない。しかし、ベガルタの一連の失点はそうではない。自ら、強引に手中守備をねらい、敵に外されて数的優位を許し、アッと言う間に失点を重ねたのだ。このような失点は、マリノス戦、ヴィッセル戦、ベルマーレ戦、トリニータ戦、枚挙に暇ない。しかも、そのような不首尾にかかわる選手が、若い経験不足の選手ではなく、富田晋伍、関口訓充、蜂須賀孝治と言った相当な経験豊富な選手だっただけに、悩みは深かった。
 おそらくだが、渡邉監督は昨シーズン、それなりに好成績を収めたチームをブラッシュアップすることを狙い、集中守備からの速攻を狙ったのではないか。しかし、残念ながら、その組織作りはまだ未成熟。結果的には、上記の通り、幾多の失敗を重ねてしまっている。選手たちに能力以上の要求をしてしまった、と言う事ではなかろうか。
 さらに言えば、開幕から渡邉氏は、相当守備に重きを置いた戦い方をしている。これは昨シーズン終盤、思うようにボールを握れない時間帯に、主に左サイドを執拗に狙われ失点を重ねたことの反省から来ているように思える。そのような守備的なやり方で、一気の速攻を目指す集中守備が、どうしても機能しないと言うことだろう。

 一方で、昨シーズンオフから議論されていたのが、今シーズンの編成の問題だ。
 開幕から、渡邉監督は、富田(32歳)、関口(33歳)、移籍で獲得した兵藤慎剛(33歳)、そして梁勇基(37歳)を軸に、中盤を組んできた。誤解しないで欲しいが、この4人のプレイが悪いわけではない、いや、皆すばらしいプレイを見せてくれている。富田は相変わらず的確な守備力で中盤の一角を封鎖してくれる。関口は、常にアグレッシブなドリブル、衰えない運動量でチームに貢献する。今シーズン移籍してきた兵藤は、豊富な上下動で攻守に機能、中盤を支えてくれる。先日のサガン戦での得点はその典型例。そして、梁勇基、落ち着いたボールキープは、やはり格段。運動量が落ちてきた終盤、再三梁だけはよく周りを見た位置取りと落ち着いたキープでチームを支えてくれている。けれども、彼らをスタメンに並べるのは、どう考えても得策ではない。4人とも、90分のフル稼働は厳しい年齢になり、特に試合終盤は、いわゆるガス切れ状態となってしまっている。
 こう言った大ベテランに頼る布陣となっている要因の1つは、言うまでもなく、今シーズンの大黒柱と期待された椎橋慧也が、開幕直前に負傷離脱をしたことにある。
 ただ、それだけではなく、このオフ、奥埜博亮、野津田岳人の2人の中盤中央のタレントの放出を余儀なくされたことも関係しているだろう。レンタルでサンフレッチェが保有権を持っていた野津田はさておき、ユース育ちで仙台大、Vファーレンレンタルと、丹念に育成を重ねた奥埜の放出は誤算だったように思える。一方で、庄司悦大、藤村慶太、茂木駿佑と言ったJ2クラブにレンタルしていたタレントを完全移籍で放出し、ユース育ちの至宝である佐々木匠、小島雅也のレンタルを延長している。そして、石原崇兆、飯尾竜太朗、松下佳貴、道渕諒平、そしてシマオ・マテと言った、いかにも実効的なタレントの獲得している。このような補強政策を見ると、必ずしも中心選手を札束で奪われてしまい、オロオロしているようには見えないのだ。
 しかし、こう言った移籍選手へ戦術の徹底をすることに、計画以上の時間がかかってしまったと言うことではないかと思うのだ。なので、渡邉氏は上記のベテランを並べ、当面の試合をしのごうとしたのではないか。けれども、J1は甘くはなく、勝ち点の積み重ねに失敗したと言う事だろう。
 気が付いてみれば、アントラーズ戦では、石原崇と松下がスタメン起用され、相当な活躍を見せてくれた。終盤の勝負どころで道渕も起用され機能した。加えて、ここ最近の試合では、最終ラインに若い常田克人が抜擢され、(トリニータ戦で決定的なミスもあったが)堂々たるプレイを見せている。最前線ではジャーメイン良が、鋭い突破を再三見せている(シュートミスも再三見られるけれども)。そして、椎橋も負傷から回復し、ルヴァンでは活躍してくれている。

 そう、ようやく、反攻する材料がそろったのだ。
 確かに、勝ち点勘定から見れば、苦しい状況なのは間違いない。また、負けが続くと、選手たちも自信を失い、いかにも重苦しい雰囲気となってしまう。
 しかし、元々今シーズン、いわゆるBチームで戦っているルヴァンカップは好調で、早々に次ラウンドへの進出を決めている。そして、当初Bチームでプレイしていた移籍獲得選手や若手選手が、定位置を確保しつつある。
 そして、ここ数シーズンで築き上げた、チームとして基本的な戦い方は、少々の不調があっても消え去るものではない。勝ち点が積めず、難しい状況下でも、選手がしっかりそろってくれば、アントラーズ戦のような合理的なサッカーができるのだ。
 苦しい状況から始まった今シーズンではあるが、終わってみれば、「いやあ、最初は大変だったちゃねや」と笑えると、私は確信している。
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2019年03月24日

まだ、後3年あるのですから

 日本0-1コロンビア
 おもしろい試合だった。

 共に、ワールドカップの上位進出を目指す、けれどもベスト4は厳しいかな、と言う地位。当方はホームだが3年後を見据え、吉田麻也、長友佑都、酒井宏樹、原口元気、大迫勇也と言った中心選手を招集せず。先方は、ほぼベストのメンバのようで、コパアメリカに向けた準備の一環。ただし、監督が変わったばかり、それも新監督があのカルロス・ケイロス氏。
 キリン殿が支援してくれる国内国際試合は、非常に位置づけが難しくなってしまっている。欧州でW杯やユーロの予選以外に公式国際大会を始まったことで欧州の代表チームの招聘が難しくなっていること、遠路はるばる来日する相手国のコンディションで試合内容が左右されること、日本協会の貴重な強化費用獲得の源泉の一つであること、我々サポータが日本代表の試合を楽しむ貴重な機会であることなどが、錯綜しているためだ。
 ともあれ、このコロンビア戦は、戦闘能力が伯仲した、実におもしろい試合となった。先方の真剣度、格段の戦闘能力、ケイロス氏の日本代表への知識、こう言った要素が加わったためだろうか。

 前半、コロンビアが中盤で軽率なミスパスを繰り返したこともあり、日本は再三ショートカウンタから好機をつかんだ。そして、南野拓実、堂安律、中島翔哉が強烈なミドルシュートを放ったものの、崩し切れず。
 後半に入り、コロンビアが選手交替でうまくペースをつかんできて、ほとんどボールをキープできない時間帯を作られ、微妙なPKで先制される。その後、中盤に起用された小林裕希がよくボールを触り、交代で起用した香川真司のキープ力、乾貴士のドリブルなどを加えて攻め返すが、崩し切れず。好機はそれなりに作れたが、決定機の数は明らかにコロンビアが上。また、失点するまでの後半20分間通して相手ペースを打開できなかったのも残念。ホームと言うことを考えれば、完敗と言うしかない展開だった。
 ともあれ、上記した通り、当方にとってはアジアカップを終え、3年半後に向けて、いわゆるラージグループを作る段階。新監督の下、短期的にコパアメリカを目指す先方とは状況が異なる。ホームとは言え、相手は強豪コロンビア。0-1での敗戦と言う結果は悲観するものではないだろう。

 ただし、細かい部分では、相変わらず森保氏のやり方には気になる点があった。
 鈴木武蔵のワントップへの抜擢。昨シーズン後半長崎でよく点をとり、今シーズン札幌に移籍し開幕以降よく点をとっている。リーグ戦で調子のよい選手を代表の親善試合で起用するのは、乗っているタレントに活躍を期待する納得できる采配だ。しかし、このタレントの特長である、裏抜けの速さや体躯の強さを活をねらう場面は、あまり見受けられなかった。強いて言えば、カットインした中島翔也のクロスをフリーでヘディングでねらった場面くらい。少なくとも、森保氏が周辺の選手に対し、武蔵の活かし方を、明確に指示していたようには見えなかった。それにしても、武蔵には、あのヘディングをしっかりとミートして欲しかったのだけれども。
 アジアカップ前の北川航也の起用方法を振り返っても、同じ印象がある。直前のベネズエラ戦やキルギス戦、北川は大迫や南野と並べて使われることはほとんどなかった。そして、アジアカップに入って、大迫の体調不良時に突然スタメンで起用され、ほとんど機能しなかった。
 森保氏に対して厳しい言い方をすると、武蔵にしても北川にしても、ぶっつけ本番で使ってみて、うまく結果が出るのを、ただ待っているように見えるのだ。
 
 柴崎岳と中島の使い方も相変わらず微妙なままだった。
 選手入場時に、柴崎が腕章を巻いていたのには少々驚いた。この日のスターティングメンバには、東口順昭、昌子源、山口蛍と、柴崎と同等以上の経験を持つ選手が起用されていた中で、森保氏は柴崎に主将を託したわけだ。いかに、氏の期待が大きいかがわかる。実際、この日の柴崎は、前を向いてボールを受けることができれば、再三鋭いパスを繰り出していた。
 ただし、この日の柴崎もアジアカップ同様に、曖昧な位置取りで、うまく組み立てられない時間帯も少なくなかった。特にコロンビアに圧倒的に押し込まれた後半立ち上がりから20分までの時間帯は、すっかり「消えて」しまっていた。と言って、ここぞと言う場面で、ロシアワールドカップの時のような信じ難いロングパスを通してくれたわけでもない。これは柴崎本人がチーム内でどのように貢献するかと言う意識、森保氏が柴崎の働き場をどのように設定するかと言う役割分担、それぞれが曖昧なままだからに思える。ここは、アジアカップ決勝での苦杯からの改善を見せて欲しかった。中盤後方は、この日堅実なプレイを見せたベテラン蛍、終盤起用されてよくボールに触り攻勢を支えた小林。さらには、大島僚太、遠藤航、三竿健斗、守田英正と、中堅どころによいタレントが多いだけに、森保氏の采配が問われるところだ。
 中島のプレイを見るのは楽しい。コロンビアの屈強なDF2人に囲まれても、切れ味鋭いドリブルで抜け出すことも再三。鋭いミドルシュートや、見事なラストパスも見せてくれた。ただ、相変わらず、周囲との連携は怪しいところがある。中島が敵陣に入ったところでボールを持ったところで、後方から左オープンに佐々木翔が攻め上がったところで、強引に内側に切り返して敵DFにボールを奪われ、2人で置いて行かれる場面があった。また、相手の遅攻時に位置取りの修正が遅れ、佐々木が敵と1対2を作られ、そこから崩されてしまうことが再三あった。一方で、独特のポジションからうまくボールを奪い、一気に速攻を見せる場面もあったのだけれども。
 この選手には、ある程度の自由を提供する方がよいのかもしれない。だったら、周囲の選手に対し、中島を活かすためのプレイを要求すべきだと思うが、森保氏は何か成り行きに任せているように見えてしまうのだ。

 まあ、ワールドカップ本番まではあと3年ある。まだレギュレーションが決まっていないようだが、日本が予選に本格参戦するのも、来年半ば以降だろうから、これにもまだ1年ある。今年は、コパアメリカと言う格好の経験を積む機会もある。あまり、慌てて細かい話を気にする必要もないのかもしれない。
 A代表と五輪代表を同じ監督に任せるやり方を採用するのは、20年振り。20年前と比べると、圧倒的に選手層も厚くなり、経験も積んだ日本サッカー界。当時のトルシェ氏の七転八倒を思い起こしながら、森保氏の強化を楽しむのも悪くないだろう。
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2019年02月04日

アジア王者でないことには、耐えられないのだけれども

 まずは想いを語らせていただく。
 92年の地元大会で初戴冠して以降、2度も続けてアジア王者になり損ねる事態など、想定もしていなかった。我々は常にアジア最強であるし、あるべきだと確信している。それだけに、8年間の長きにわたり、アジア王者の地位から外れることへの衝撃は大きい。
 一方で、私はサッカーを心底愛している。そして、愛しているが故に、サッカーは常に理不尽さがつきまとい、「常に」がいかに難しいかは理解しているつもりだ。いや、この理不尽さがあるが故に、愛しているのだろうとも思う。
 そして、カタールに苦杯し、アジア王者を逸した悔しさは、7ヶ月前にロストフ・ナ・ドヌで味わったそれとは、また別なものだ。様々な悔しさに切歯扼腕できるのだから、サポータはやめられない。

 さて、決勝のカタール戦。序盤にエース、アリに見事なオーバヘッドシュートを決められ、開始早々から難しい試合となった。そして、この日の勝負の最大のポイントは、その後の時間帯、日本が漫然と攻めに出ていき、カタールの見事な速攻から2点差とされたことにあった。
 後半、2点差がついたこともあり、最終ラインを5DFで固めるカタール。それに対し、両翼を押し上げて猛攻をしかける。カタールの最終ラインが堅牢だったこと、2点差の焦りからかゴールラインから離れた場所からの単調なクロスが多かったこともあり、中々崩し切れない。しかし、大迫と南野の技術は格段で、狭いスペースでもターンできる。そのため、少しずつ日本の圧力が奏功し、カタールのラインが崩れ始める。そして62分に武藤を投入し圧力を高め、とうとう69分に南野が決め、1点差に。
 さらに日本は圧力を高め、残り時間での逆転も可能とすら思え始めた。しかし、カタールの速攻から与えたCKから、麻也が少々不運なハンド(敵のヘディングシュートが麻也の手に当たって方向が変わったのだから、これはハンドと判定されてもやむなし)。PKからまた2点差とされてしまった。
 ここで森保氏は、塩谷に代えて伊東を投入。この采配は完全な誤りだった。中盤でボールをよく拾っていた塩谷がいなくなり、カタールにボールキープを許すことになったからだ。伊東を投入するとしたら、堂安と代えるべきだったのではないか。突き放され苦しくなったのは確かだったが、それまでの時間帯は圧倒的に押し込んでいたのだから。さらに、準決勝からのインタバルが短かった影響もあっただろうが、カタールの中盤選手の足は止まりかけていた。前線に重心を置いた布陣は、結果的に日本の攻撃力を弱めてしまった。それでも日本選手たちはあきらめず、攻撃をしかけたが、そのまま2点差でのタイムアップとなった。

 上記したが、この日何より悔やまれるのは、先制を許した後、必ずしも前線からの守備が機能せず、思うような崩しができない状況で、漫然と前に出ていき、早々に2点差とされてしまったこと。思うように、ボールを奪えていない状況だったのだし、いっそ無理せず引いてしまって後方を固めるのも一手段だったはず。
 この大会、準決勝までの日本は、前半はもたつき気味の試合が多かった。前半に先制したのは、オマーン戦とサウジ戦のみ。他の試合では、前半は丁寧に守り、後半序盤にギアを入れてリードするのが基本のやり方だった。特に、準々決勝のベトナム戦、準決勝のイラン戦は、このやり方が非常にうまく行き、危ない場面は最終ラインでの連係ミスくらいだった。見世物としてのおもしろさはさておき、引いて守った際の日本の最終ラインの強さは相当なものだったのだ。
 W杯終了後、ほとんど強化の時間もなく、さらに国内選手がオフで行われる大会。森保氏には同情するところが多数ある。しかも、ロシア大会は、直前に意味不明の監督更迭劇が行われ、極めて短期的なチーム作りが行われた。したがって、今大会のようにイランやサウジのように、W杯に出場したチームで、そのままアジアカップに臨むことは難しかった。なので、森保氏は麻也、長友、酒井、原口、大迫と言った経験豊富な選手に、冨安、遠藤航、南野、堂安、(結果的に大会直前に離脱したが)中島と言った比較的経験の浅い選手を組み合わせたチームで、大会に臨んだ。そして、各選手の個人能力の高さで丁寧に守備を固め、勝負どころで各選手の個人技やアイデアで得点を決める。ライバル国の報道で「アジアの西ドイツ」と、お褒めの言葉をいただいたとの噂も聞いた。
 だから、このカタール戦も、先制されてしまったのは仕方がないが、前半は我慢すべきだった。カタールは、この大会に合わせて長期の準備を行ってきたわけだし、チームとしての連係が充実していることはこれまでの戦いぶりを見ていれば明らか。一方で、日程は中3日で当方が有利だったし、何より両国の国際実績は格段に勝っている。たとえリードを許したとしても、我慢してプレッシャをかけ続ければ、先方を精神的に追い込むことはできたはず。そして、90分間で追いつき、120分間で勝ち切ることを考えればよかったと思うのだが。実際、後半はあそこまで押しこむことができたのだし。
 同様に、上記の通り、1対3と突き放された時に、まだ10分も時間が残っているのに、塩谷に代えて伊東を起用し、中盤を薄くして無理攻めに出たのも疑問だった。

 この決勝戦、試合前から判明していた最大の問題は、中盤後方の選手の控えがいなかったことだ。元々、昨シーズン終盤に三竿が負傷、そして大会直前に守田が負傷で離脱。この時点で日本はオフになっており、Jリーガを呼ぶのは非常に難しく、UAEでプレイする塩谷を招集。さらにウズベク戦で青山が負傷し帰国。そして、準決勝のイラン戦では遠藤航が負傷し、とうとうこのポジションには、柴崎と塩谷の2人だけになってしまった。残念なことに、他のポジションの選手で、ここに起用できそうなのは冨安くらい(実際、遠藤航の体調が整っていなかった初戦のトルクメ戦で冨安が中盤でプレイしていたわけだが)。しかし、大会が進むにつれて、冨安はCBでチームの柱になってしまい、中盤での起用は考えづらくなっていた。
 もしかしたら、森保氏にも、選手たちにも、ここに控えがいないことから、120分間での勝負を避けたい思いが、潜在的にあったのかもしれない。

 唐突であるが、この負けっぷりで、ロシアの準々決勝、ブラジル対ベルギーを思い出したのは、傲慢と言うものか。あの試合、ブラジルは前半のベルギーの見事な組織攻撃に2失点。後半、圧倒的に押し込み、創意工夫を重ねたものの、どうしても追いつくことはできなかった(ネイマールがもう少し倒れなければ状況はずいぶん違ったかもしれないがw)。
 森保氏は限られた準備期間でよくやったと思う。やはり、この大事なアジアのタイトルマッチが、W杯の半年後、それも東アジア諸国の貴重なオフに行われることそのものを改革しないと、どうしようもない。これは日本協会首脳の仕事である。それでも、この悪環境下、上記の通り、若い選手に経験を積ませつつ、上位に進出、決勝でも、采配の拙さは感じられたものの、一時はカタールをサンドバック状態には追い詰めかけたのだから。
 ただ、氏が自ら状況を悪くしたこともいくつかあったのではないか。例えば交代の遅さ。多くの試合での交代は75分以降。フレッシュな選手不在なこともあり、スタメンから戦っている各選手の消耗を倍加させた印象が強い。大迫、遠藤航、そして離脱した青山についても、交代策をうまく使って消耗を減らしていれば、活躍の時間は増えたのではないかと、言いたくなる。
 また、直前の準備試合での北川の使い方のまずさも小言を唱えたくなる。特にベネズエラ戦やキルギス戦で、大迫や南野と一緒にプレイする時間を増やしておけば、もう少し連係も向上していたのではないか。
 決勝で堂安と心中したのも議論が分かれそう。私は、堂安が大好きで、欧州チャンピオンズリーグの常連クラブの中心選手になって欲しい、そしてその可能性は十分にあると思っている。なので、最後まで堂安に拘泥し、経験を積ませたことに賛同する。ただ、森保氏が五輪代表監督を兼任している以上、アジアカップより五輪を重視したのではないかと言われても仕方がない。

 カタールは中々のチームだったし、UAE、サウジと言ったアラブ諸国も、しっかりボールを保持し速攻に頼らないサッカーを見せた。ベトナムやタイも、伝統的な引き技を主体としたボールコントロールを、局地戦からビッチ全体に拡げることに成功していた。イラクの映像は見られなかったが、ウズベクは相変わらず技巧的な選手を多数輩出していた。もちろん、イランも韓国も豪州も、相当な戦闘能力を持っていた。
 中国を除いて、アジアのレベルが上がったものだと感心する。そして、我々がW杯を制覇するためには、アジアのレベルアップは必須なのだから、大いに結構なことだ。そのアジアの列強たちの中で、我々の存在感は相当なものだった。勝てなかったのは、悔しくて仕方がないが、上記の通りアジアカップの日程そのものが間違えているのだ。真の勝負は2022年の本大会での上位進出なのだし。

 以上、単なる負け惜しみでした。くそぅ。
posted by 武藤文雄 at 00:01| Comment(3) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月06日

そこに菅井直樹がいた

 菅井直樹が引退を発表した。
 ベガルタのレジェンド、そしてJリーグを代表する得点力あふれるサイドバックは、ベガルタゴールド以外を身にまとうことなく、プロ生活を終えた。今までの色鮮やかなプレイに、ただただ感謝の言葉を捧げるのみである。ありがとうございました。

 そう、色鮮やかだったのだ。菅井のプレイは。
 その神出鬼没の右サイドからの得点に、幾度歓喜させられたことだろうか。特に、逆サイドの左バックに朴柱成がいた頃は、朴の無骨な前進からの独特のクロスが上がる度に、いずこから現れたのかはわからない菅井の飛び出しに胸を躍らせたものだった。いや、もちろん朴柱成だけではなかった。梁勇基も、関口訓充も、ウイルソンも、蜂須賀孝治も、そして奥埜博亮も、右サイドからいつの間にかゴール前に飛び出してくる菅井へのラストパスを、常にねらっていた。
 攻撃がうまいサイドバックはたくさんいる。しかし、菅井はただ攻撃がうまいのではなく、得点をとるのがうまいサイドバックだったのだ。
 いわゆる嗅覚に優れた、鼻が利くと言われるストライカがいる。古くは、ゲルト・ミュラー、パオロ・ロッシ、そしてフィリッポ・インザーギ。日本では、佐藤寿人や大黒将志がその系譜に連なる点取り屋だ。ここで言う得点機の匂いとは何か。敵守備陣と味方攻撃陣相互の全体的相対位置関係、自分を注視する相手DFとの駆け引き、チームメートの持ち出し、これら全体を把握し続ける。その上で、マーカと自分の相対能力差を考慮し、己のどこでシュートをすればネットを揺らし得るかの判断。嗅覚に優れたストライカ達は、この判断力が格段なのだ。
 そして、菅井もこれらのストライカ同様、その判断力が格段の選手だった。ただし菅井はフォワードではなくディフェンダだった。ディフェンダなのだから、守備が甘いのは論外だ。そして、重要なことは、菅井は格段の得点力を誇りながら、守備能力も高かったこと。より正確に言えば、攻撃参加の隙を突かれてピンチを招くことが、とても少なかったことだ。これは、菅井が得点をとるための判断力のみならず、チーム全体のバランスを考慮した判断力にも優れていたことの証左となる。もちろん、そのための正確なボール扱い、長短のパスを繰り出せる右足の精度、とっさに足を出せる瞬発力、上下動をいとわないスタミナ、それぞれいずれもすばらしかった。けれども、菅井が最も優れていたのは、攻守それぞれにおける判断力だった。
 40余年サッカーに浸り続けた私だが、得点をとるのが巧みなディフェンダとしての菅井の能力は、ジャチント・ファケッティ、ダニエル・パサレラ、マティアス・ザマーに、匹敵するものがあったのではないかと思っている。まあ、ちょっとした戯言として。
 とにかく、菅井のプレイを見るのは楽しかった。普段はしっかりと自軍の右サイドを抑えている菅井。その菅井が、ピッチの上から俯瞰する私たちでさえ意表を突かれるような前進を行い、得点と言う最大の歓喜を提供してくれたからだ。それも幾度も幾度も。これを、色鮮やかと言わずして、何と言おうか。

 2003年シーズン、菅井は山形中央高校からベガルタに加入した。同期には中原貴之がいた。90年代後半には事実上経営破綻の状況にあった我がクラブが、このレベルの若者を獲得できるようになった感慨は忘れられない。ただし、その年ベガルタは清水監督の自転車操業の努力むなしく、J2に陥落してしまった。
 2005年シーズン終盤、菅井は、当時の大黒柱シルビーニョと中盤後方でコンビを組むことで定位置をつかんだ。さらに、翌2006年シーズン、当時の監督ジョエル・サンタナ氏は、菅井を右サイドバックにコンバートする。あまり愉快な思い出のないこの監督だったが、我々に何ともすてきなお土産を残してくれたわけだ。そして、2006年を含む4シーズン、J2屈指の右サイドバック菅井は、他クラブからのオファーに動じずベガルタに残留し、2010年にはとうとうJ1に復帰する。
 そして、以降菅井はJ1屈指の右サイドバックとなり、我々に色鮮やかなプレイを見せ続けてくれた。菅井のリーグ戦出場記録を見直すと、J2は186試合、J1は203試合、あの永遠に続くのかと思ったJ2時代は、はるかかなた昔のこととなったのだ。ここ数シーズン、菅井は負傷の多さもあり、試合出場の機会が少しずつ減ってきていた。しかし、菅井は他クラブへ移る選択肢はとらず、ベガルタで現役生活を全うしてくれた。
 たった一つ残念だったことは、日本代表の声がかからなかったこと。同じポジションに、より若い内田篤人と言う格段のタレントがいたのが不運だったか。その結果、プロになった以降、とうとう菅井は公式には黄金色のユニフォーム以外は、まとわなかった事になる。
 それにしても、引退の言はすてき過ぎはしませんか。「心残りはエンブレムの上に星を付けることができなかったこと、今後、実現できても選手ではないことです。」とか「選手としてオーバーヒートするまで走り切りました。」なんて。

 引退については、覚悟はしていた。
 そうでなければ、こんな文章は書かない。ただ、いくら何でも発表されるならば、年内だろうと思い込んでおり、ここまで発表がないから「大丈夫だろう」と思い込んでいた。こちらはこちらで、油断していたのだ。
 昨日、散々と奥埜の去就について愚痴を垂れたが、菅井への惜別の情は、やはり奥埜へのそれとは、かなり違う。
 もちろん、寂しさも大きい。もっと、菅井を楽しみたかった。けれども、それは贅沢と言うものなのだろう。これだけの期間、あの色鮮やかな菅井直樹のプレイを心底楽しむことができたのだから。そして、それを歓喜と共に、味わい尽くせたのだから。改めて、菅井直樹の色鮮やかなプレイに感謝したい。繰り返します、ありがとうございました。

 そこに菅井直樹がいた。改めて、ベガルタサポータでよかった。
posted by 武藤文雄 at 22:21| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月05日

奥埜博亮との別れ

 昨年末より噂となっていた奥埜博亮のセレッソへの移籍が発表された。
 奥埜は、24年に渡るベガルタ仙台の歴史においては特別な選手だ。と言うのは、ベガルタユースから、J1のトップクラスのプレイヤと紛れもなく呼べるまでに成長させることができた、初めてかつ(現状では)唯一、と言ってよいタレントだからだ(他のクラブのサポータからは、「お前ら、それしか成功例がないのかよ?」と笑われるかもしれませんが、事実は事実なのです)。しかも、ユース卒団時にはトップ加入は時期尚早として、提携していた仙台大でプレイさせ、同大を卒業後に入団させた選手。さらにその後、Vファーレンにレンタル移籍させて経験を積ませて、とうとうトップの選手として確立した選手だ。この奥埜の育成方法は、素材的にレベルが高いが高卒段階ではトップには達していないタレントへの対応としては、実に適格なものだったと思う。そのような経歴のタレントなので、ベガルタサポータからすると格段に思い入れがある。
 ボールを保持しながらのターンが速く、瞬間的な加速にも優れているので、中盤の小さなスペースで相手を抜き去ることができる。(少々常識的だが)丁寧なパス出しでゲームを作り、粘り強い守備で敵攻撃の第一波を防ぐのもうまいし、スリムな体躯ながら腰を低くした当たりからのボール奪取も中々のものだ。シュートの精度に若干の改善の余地はあるが、ベガルタの中盤の中核として、奥埜は、とても頼りになる存在だった。
 正直言って、奥埜が今シーズンオフに他クラブに移ることはないと思い込んでいた(油断していた)。と言うのは、奥埜は89年8月生まれで、2019年シーズンには30歳になる。もうベテランと言ってよい選手なので、経済的に豊かな他クラブの獲得興味対象にはならないと考えていたのだ。奥埜が定位置を確保した15年シーズン以降は、オフになる度に「20台半ばの働き盛りの奥埜が他のクラブから買われたらどうしよう」とオロオロしていたのは確かだが、奥埜は毎シーズンオフにベガルタと契約を継続してくれた。これだけのタレントなので、過去非公式でも他クラブからの打診がなかったとは思えない。しかし、奥埜はベガルタでのプレイを選択し続けてくれた。これは、ベガルタが奥埜にそれなりの誠意(この世界で誠意とは現金以外ない)を見せていたからだろう。そして、30歳を迎えようとする奥埜には、ベガルタを凌駕する誠意を見せるクラブが出てくるとは思っていなかったのだ。
 そうこう考えれば、今回のセレッソは奥埜に対して最高級の誠意を提示してくれたのは間違いない。とすれば、違約金を含めてベガルタにもそれなりの実入りはあったはずだし、ユースからの自前育成選手が、この年齢にもかかわらず、経済的に豊かなクラブに購入いただけたのだから、まことめでたいと言う事になる。まずは、素直に喜びを…などと言えるわけないではないか。残念だ、とにかく残念だ。

 毎シーズンオフ、選手の他クラブへの流出を懸念して、何とも言えない日々を送るのが常なのだが、上記の通り、奥埜については完全に油断していた。このオフについては大岩一貴、シュミット・ダニエル、椎橋彗也の3人については、本当に心配していた。特に椎橋については、素質がある選手であれば後先なく買い集めるような金満クラブに目をつけられたらどうしようと不安だったのだ。奥埜と異なり、ベガルタがまだ若い椎橋に、他を圧する誠意を見せていたとは思えないし。
 奥埜の他も他クラブに場を求めた選手は少なくない。特にこのオフは中盤選手の移籍が目立つ。ベガルタ加入後その潜在能力を発揮するようになった野津田岳人が保有権を持つサンフレッチェに、個性的なドリブラの中野嘉大がコンサドーレに、サイドアタックのスペシャリスト古林将太がベルマーレに、高精度パスが期待された庄司悦大がレンタル先のサンガに、そしてベガルタユース出身で強いキックが持ち味の茂木駿佑がやはりレンタル先のホーリーホックに、それぞれ移籍した。正直言って中盤の核だった奥埜と野津田が2人チームを離れたのは戦闘能力的に大きな痛手かもしれない。ただ、上記の通り、将来性を含め中盤で最も重要な椎橋は確保し、新たに中盤には松下佳貴、石原崇兆、飯尾竜太朗と働き盛りで実力は折り紙付きの中盤選手を3枚補強できたわけだし、痛手は思ったよりは少ないかもしれない。まずは、2019年シーズンの編成の最終確定を待ちたい。

 ともあれ、タレントの流出については、悪いのは移籍先のクラブではなく、ベガルタなのだ。奥埜にセレッソ以上の誠意を提供できない経済力しかないベガルタがいけないのだ。天を恨んで人を恨まず、残念なことは極まりないが、快く奥埜を送り出したい。セレッソの新監督のロティーナ氏のヴェルディ時代の采配を見た限りでは、奥埜は氏好みのタレントだと思うし。 
 奥埜よ、今までのすばらしいプレイをありがとう。君が定位置を確保した2015年シーズン以降、ベガルタは、早々にJ1残留を決め中位を確保、17年シーズンはルヴァンのベスト4、そして昨18年シーズンは天皇杯決勝進出、これらの好成績は君抜きでは、なし得なかった。新しいクラブで頑張ってくれ、ただしベガルタ戦以外で。
posted by 武藤文雄 at 19:03| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする