2020年03月18日

キャプテン翼を読んだ

 先週の14日の土曜日は、せっかくの休日だったのだが、Jリーグは休止中だし、雨のために少年団の練習はお休み。何をしようかと考えていた折に「キャプテン翼」無料公開と言うのを見つけた。
 と言うことで通読させていただきました。3月20日まで無料公開とのことなので、興味のある方は是非。

 考えてみれば、この名作を、まともに読破したことがなかった。少年ジャンプに連載されていたのは、私が大学生から社会に出て働き始めた時期。さすがに、少年用マンガ雑誌はあまり読まなくなっていた。とは言え、日本屈指の人気雑誌における、日本屈指の人気マンガが、サッカーネタだっただけに、それなりにはフォローしていた。だから、主要登場人物や、よみうりランドでの全日本少年サッカー大会や大宮での全国中学校サッカー大会で七転八倒する流れは、ある程度理解していた。
 ただ、まとまって全編を通しで読むのは、齢59歳で初めての経験。

 いや、おもしろかった。
 中盤で組み立てるとか、サイドで手数をかけるとか、強引に縦に持ち出すとか、オフサイドトラップとか、しっかりしたカバーリングとか、ちゃんとしたサッカーの描写が続く。
 そこで油断しているとw、突然登場する3次元空間、いんや時間差もあるから4次元か、を駆使した1対1のバトル。さらにはゴール前の最終攻防に必ずからむ、すさまじい運動量と読みのよさを発揮する両軍の大エース。加えて、人知を超えた巧緻性による軽業で強力なシュートが発せられ、それに対し神業のような瞬発力を駆使したGKの反応。
 ここにサッカー狂のリアリティを持ち出すのは野暮と言うものだろう。とにかく、おもしろいのだもの。正に、マンガ界の正攻法。単純なバトルに男の子は興奮するのじゃ、たとえ60歳近くなっていても。

 さらに彩りを添えるのは、常に翼君が負傷を抱えベストコンディションでないこと。前途有為な若者が、負傷を抱えている場合、何があっても休ませる必要があるのは言うまでもない。そして、そのように出場を制御しようとするドクターも登場するのだが、そのような長期育成プランは常に否定される。全中決勝で負傷して医務室に下がったドクターと翼君の会話が秀逸だ。
「おまえがブラジルにいってプロのサッカー選手になること、そして日本のワールドカップ優勝、それにくらべたらこんな日本だけのそれも中学生の段階での大会の決勝戦なんてほんのちっぽけなものじゃないか(中略)無理をしてこのひと試合にでたばかりにこの先2度とサッカーができないからだになったとしても本当に後悔しないのか」
とドクターに説教されたのに対し、翼は反論する。
「夢…夢なんです、たとえちっぽけに見えてもこれがおれの夢なんだ。南葛のみんなでこの大会V3をなしたげようとちかった…これはおれたちの夢なんだ!!」
 いや、これがリアルの世界で展開されたら、さすがにいかがかと思うけれど、30数年前の少年マンガ雑誌で展開された物語に文句を言う筋合いはない。
 自らの身体がどうなっても、己の名誉のための勝利を目指す。そして、翼君は最後は明るくチームメートとも相手エースとも肩を抱き合い歓喜するフィニッシュとなるのが、また安心して楽しむことができるものだ。
 余談ながら、翼君よりもよほど身を危険にさらす顔面ブロックを得意技とする石崎君が、いつも上々のコンディションで試合に臨んでいるのは、さすがだ。

 フランスで行われたジュニアユース大会。これはこれで大会そのものの設定がおもしろい。ワールドカップ(ジュール・リメ)、欧州選手権(アンリ・ドロネー)、五輪(ピエール・クーベルタン)のような世界的運動会がいずれも、フランス人の提案によるものであることは、よく知られている。この大会もその系譜に位置するのか、と考えるのは深読みか。
 そう言えば、連載時に大会の組み合わせを見て、イタリア→アルゼンチン→フランス→西ドイツの順番に戦うことになるのを見て、私を含めた西ドイツ嫌いの友人たちと「日本協会の西ドイツ好きの弊害が出た」、「ブラジルが大会に出場していたら、決勝でブラジルに負けるだろうが、西ドイツならば勝てるのだろう」などと語り合ったのを、思い出した。
 ともあれ、西ドイツとの決勝戦。大きなポイントとなるロベルトノートの52ページのくだりが大好きだ。
なぜサッカーは、こんなにも楽しいのだろう
世界中でもっとも愛され親しまれているスポーツ、サッカー
おれが思うに、それはもっとも単純でもっとも自由なスポーツだからじゃなだろうか
グラウンドにたてば監督からのサインなどなにもない
自分で考え自分でプレイする、なににもしばられることなくほかの10人の仲間たちとただひとつのボールをめざし戦うスポーツ、サッカー
 高橋陽一氏のこのメッセージは、サッカー狂には堪えられない。ね、そうでしょ。
 この堪えられないサッカーの魅力、これを翼君たちを通じて描写してくれるのだから、最高ですよね。

 ただ、ジュニアユースで世界制覇した後のワールドユース編やバルセロナ編では、段々と読むのつらくなってきた。
 この手の物語は進めば進むほど新しいより強力な敵が出てくるのは、もうしかたがない。ただ、小学生や中学生が空を飛んだり、ゴールネットを突き破るシュートを打っている分には、夢物語で楽しめるが、後から後から新しい強敵が登場してくると、どうしても飽きが出てくる。バルセロナとかハンブルガーSVとかワールドユース日本代表とか、現実的な世界で行われると、次第に夢の実現の要素が薄れ、軽業の披露合戦としか読めず、感情移入ができなくなってくる。たとえば、若島津健やイタリアの名ゴールキーパが、西ドイツの山奥から出てきた選手と比較して、格段に劣っているかの描写は、いかがと思ってしまうのですよ。
 加えて、物語に強弱をつけるためだろうが、日向の母上が大会中倒れ重体とか、岬君が大会直前に交通事故に会うとか、松山君の恋人が大会中に交通事故で危篤になるとか、立花兄弟が再起不能とか、さすがつらい。
 キャプテン翼をさかのぼる十数年前、左腕が一生使い物にならなくなるまで投げ続ける読売巨人軍の投手とか、燃え尽きてまっ白な灰となってしまうまで戦い続ける世界チャンピオンを目指す 拳闘家とか…まあ、ありましたよ確かに。でも、あれは最終回の主人公だから許される荒技だと思うのだが。
 まあ続編と言うものは、そういうものなのだろう。

 どうしても、飲み込めない描写が2点ある。
 上記した日向小次郎の母上の重体時。日向の境遇とこれまでの心意気を考えれば、重体の報を受けた後、1試合プレイしてからの帰国は考えられず、即帰国のはずだ。小学6年生時代から、約7年間、我々は日向と時を共にしてきた。日向は、不器用な性格で言葉は少ない気立てかもしれないが、人一倍自分を育ててくれた母上には感謝しているし、何より周囲の人々に気をつかい、やさしい人柄だ。その日向が、その母上が重体に至って、「あと1試合したら、帰国する」などと意思決定するわけがないではないか。いや、それ以前に、母上を少しでも楽にするために、高給を提供してくれるJクラブに進んで加入していたはずだ。

 もう1つ。実は、登場人物の中で、一番共感を持ったのは、東邦学園の女性スカウトだ。彼女は私と同じ人種だ。全小の各試合を見ながら、各選手の将来性について、ネチネチと垂れる講釈振りが、我が身を見る思いだった。その内容はさておき、その態度に。
 ただ、納得できないのは、彼女の後の仕事だ。ワールドユース時に日本協会の広報担当、さらに日向がユベントスに移籍した際には日向の代理人なり個人マネージャとなっていた。広報担当や個人マネージャの職務は、それぞれが担当する選手に寄り添い、その選手のプレイをいかに現金化するが責務だ。極めて主観的業務だ。
 一方、チームのスカウトは違う。必要なのは、ひたすら客観的に、その選手を評価し、自部の雇用主に対し、その選手が役に立つかどうかを評価する立場だ。
 サッカー狂の皆さんには、私のイライラ感が理解していただけると思う。サッカーが好きであればあるほど、クラブのスカウトと、広報担当は、まったく異なる「サッカー好き要素」、対称的な位置づけになるはずなのだ。あれだけ、小学生の日向と翼君を冷静に見ていた彼女が、そのような転身ができるはずがないのではないか。

 野暮は言わないと語りながら、野暮ばかりですみません。
 翼君を筆頭に各選手が、時空を舞いながら人間離れした技巧を操り、時に自らの肉体を犠牲にしても、名誉を目指す。その基盤には、サッカーと言う、世界で最も多くの人々が楽しむ玩具がある。おもしろくないわけがない、なるほどこれは名作ですよ。いや、本当におもしろかった。
 80年代、当時の子供達、たとえばこいつ、を熱狂のとりこにしたのも、よく理解できた。そして、翼君にあこがれた多くの少年が、この泥沼のような魅力を誇るサッカーにはまってくれたおかげで、気がついてみたら我が国は世界でも類を見ない右肩上がりの急勾配でサッカー強国に近づくことができたということなのだろう。
 飛躍的に広がったサッカーの底辺を活かして発明されたJリーグは、我が国の文化を変えた。日本中津々浦々にプロフェッショナルのサッカークラブが登場した。それにより、日本中の週末の生活は、格段に彩豊かなものとなったのだ。
 いや、サッカーだけではない。地域に根ざしたクラブの魅力は、プロ野球を再生させ、バスケットボールを実り豊かなものとした。多くの競技で、企業がスポンサとして、各選手を支援する仕組みも、Jの成功があったことが大きい。

 高橋陽一氏は、翼君たちを通じ、当時の子供達に幾多の夢を提供してくれた。その結果として、私たちはJリーグを起点として、日本中でスポーツ観戦と言う娯楽を楽しむことができるようになったのだ。
 高橋さん、本当にありがとうございました。そして、あなたが築き上げてくれた、このステキな日本のスポーツ界を、一緒に楽しんでいきましょう。
posted by 武藤文雄 at 23:27| Comment(1) | サッカー一般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月08日

大野忍引退。


 もう先月の話となるが、大野忍の引退が報道された。
 女子選手では、一番好きな選手だった。男女含めて、日本サッカー界が育んだ最高の知性派選手と呼んでも過言ではないと思っている。

 元々、大野は格段の得点力を誇る純正のストライカだった。技巧も確かだが、何よりすばらしいのは、その狡猾な位置取りと駆け引きの巧みさだった。
 ところが、当時の代表監督佐々木則夫氏は、大野を中盤に起用することが多かった。中盤に起用された大野は、一番肝心な敵ゴール前で息切れし、再三決定機を外すことが多かった。あの2011年初戦でニュージーランドを振り切った試合後に、私は佐々木氏の大野の中盤起用に疑問を呈した。
そう言う意味で鍵を握るのは、大野だと思う。大野は、開始早々敵陣でボールを奪うや、美しいロブのパスで永里の得点をアシストしたのは見事だった。けれども、その後幾度も好機をつかみながら、ことごとくシュートを枠に飛ばすの失敗。これは、小柄で必ずしもフィジカルに恵まれているとは言えない(本来最前線でプレイする)大野が、相当後方から疾走する事で最後のフィニッシュまで体力が残っていないと言う事だと思う。
 しかし、私の視点はあまりに狭く、佐々木氏は正しかった。あの決勝戦の前半、アメリカ合衆国が澤穂希と阪口夢穂のボランチ2人に強烈なブレスをかけてきたことで、日本は完全に押し込まれる。しかし、大野が強引かつコース取りが絶妙なドリブルで、幾度も単身攻め込むことで、日本は苦境を脱した。
ここで苦境を救ったのは大野だった。他の中盤の3人が、合衆国のプレスに押し込まれる中、忠実に守備をこなしつつ、幾度も前進し好機を演出した。判断のよい素早い前進と、正確なファーストタッチと、加速のよいドリブルを駆使して。安藤に通したスルーパスが、もう数10センチ内側に通っていたら、日本は前半に先制できるところだった。もちろん、合衆国の守備陣の網が、その数10センチを許してくれなかったのだが。この大野の奮闘があったからこそ、合衆国の序盤の猛攻は、30分過ぎにとだえた。最も得点が期待できる大野の中盤起用には再三疑問を述べてきたが、佐々木監督の慧眼に脱帽。これはワールドカップの決勝戦、大野のプレイに78年のアルディレス、94年のジーニョを思い出した。
 サッカーの常識では、点をとれる選手に「いかに点をとらせるか」がメインの課題となる。しかも、中盤には澤穂希と宮間あやと言う飛び切りのタレントがいたのだ。しかし、佐々木氏はこの2人を抱えながらも、格段のストライカだった大野の知性と言う格段の能力を、得点以外の機能に活用し、世界一を我々に提供してくれた。それにしても、あの大野の単身ドリブル。今でも目をつぶれば思い出がよみがえってくる。
 こうなってくると、大野の知性を楽しむのは最高だ。例えば、世界制覇直後の皇后杯決勝。この試合の後半、大野が几帳面に味方守備ラインの後方を埋めるのを見ているのだけで、最高だった。

 世界一を獲得したのだ。そして、大野のプレイは見るのは、本当に楽しかったのだ。澤穂希と言う完璧なサッカー選手、宮間あやと言う究極の技巧派、この2人と同時代に、ここまで知性に優れたタレントが出た幸運に、感謝すべきなのだろう。
 冒頭にも述べたが、男子選手を含め、ここまで知性を感じさせてくれる選手は、そうはいない。いや、男子選手の場合は、肉体的な強さ、格段の技巧、屈しない精神力など、別な要素を知性でまとめることとなる。大野のように、その知性が圧倒的に前面に出るタレントが登場することそのものが、女子サッカーの特徴なのかもしれないな。
 でも、ほんのちょっと思うよね。世界のトップレベルとなった日本代表で、ストライカとしての大野忍が丁々発止するのを見たかったかなと。そう言う叶わなかった思いを考えるのがまた楽しい。

 大野は指導者の道を志し、INACの首都圏の育成世代の指導者からキャリアを積んでいくとのことだ。あれだけの知性的なプレイを見せてくれた選手だ。格段の指導者になってくれることを期待したい。それもトップレベルの選手を、さらに高めることのできる指導者になってほしい。たとえば、堂安律や相馬勇紀の域に達した選手を、さらにもう一段、いや二段、三段さらに高めるような指導者に。
 あの知性あふれるプレイを思い起こせば、ついついそのような期待を抱いてしまうのは、私だけだろうか。
posted by 武藤文雄 at 00:30| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月18日

野村克也氏逝去

 野村克也氏が逝去したと言う。ご冥福をお祈りいたします。
 プレイヤとしての実績は数限りない。また、監督としての成果も格段だ。もちろん、気の利いた毒舌の解説者として、我々を楽しませてくれたのも間違いない。また、氏の指導薫陶を直接受けた相当数の選手が、プロ野球の監督を務めている。選手としても、指導者としても、TVでの情報発信と言う意味でも、超一流、いや超々一流の野球人だったのは言うまでもない。
 ただ、私にとっては、野球と言うスポーツについて、我々にわかりやすく言語化してくれたライターとしての印象があまりに強い。81年から数年間、週刊朝日に連載された「野村克也の目」は、日本スポーツ界を大きく変えた著述だと思っている。そして、不肖講釈師が一つの目標として考え続けていたのが、野村氏の文章だった。「ただの、酔っ払いサポータが、何をおこがましいことを語っているのだ」とお叱りを受けるのはわかっているが。
 野村さん、ありがとうございました。

 私が氏を尊敬するのは、野球と言うスポーツを表現する言語化能力の高さと、信じ難い将来予見能力だ。言語化能力については、紹介するまでもないだろう。将来予見能力については、清原和博と言う選手の将来を予測した、以下の一連の文章を読んでいただきたい。清原は、PL学園を卒業し、1986年シーズン、西武ライオンズに加入した。その86年に、清原が鍛錬しているキャンプの視察後と、新人ながら20本以上のホームランを打ち大騒ぎになった頃。それぞれにおける、野村氏の清原評の抜粋である。
 まずキャンプ時の86年4月、開幕直前。
「すばらしいなあ、君は。くらべると、僕の18歳のときなどは、クズみたいなものだったな」(中略)西武キャンプで、私は清原にこういったが、ほんとうにそう思ったからで、お世辞でもなんでもない。
(中略)気にかかかることをもうひとつ。彼の器用さである。守備はそつがないし、バッティングも器用だ。(中略)器用さに流れてしまうことは弱点に通じるといっていい。(中略)思いつくのは、素質と才能のちがい、ということになる。はたの目に見えるのが素質。才能はかくされていて見えない。辞書に、才能とは「訓練によって発揮される能力」とあるが、まさにそのとおりだろう(中略)「清原は一流打者になれるか?」と、よく聞かれる。堪えは「?」である。聞きたいのは人情だろうが、答えることができたらおかしい。才能は見えないからだ。
それから、約5ヶ月後の9月。上記の通り、清原がボカスカとホームランを量産していたころ。
(前略)清原の成績を支えているのは「修正」の能力だ。シーズン前半は手も足も出なかった内閣の厳しい球を、脇をしめたおっつけでこなし、最近はいい当たりのファウルにする。まだフェアにする力は乏しいが、投手をおどかすには十分だ。ホームランを打てる甘い外角を投げてもらえるのは、このためだ。
(中略)だが、私のほんとうの気分は、ここまでみてきた彼の”進歩”がおもしろくない。長い目でみれば、逆にわざわいになる不安すら感じる。かって強打者と呼ばれた選手たちはデビュー時、いずれも内閣に強く、下半身がうまく使え、腕の操作がたくみだった。必然的に「引っぱる」選手だった。清原は流すことで成績をあげている。(中略)流し打ちはしょせん労力が少なくてすむ打法である。
(中略)報道陣やテレビカメラを意識している最近の姿も気になる。プロ1年生なのに門限破りをする(この点はかつての強打者と共通する)ようなクソ度胸のかげに、自己本位の計算高さがチラチラしているような気もする。
 繰り返すが、これは清原の新人時代(結局31本のホームランを打ち、多くの新人記録を塗り替えたシーズン中の文章である。あれから、34年の歳月が経った今、我々は「その後」を知っている。清原は、525本の本塁打を打ち、まぎれもなく日本野球史を彩る存在ではあったが、本塁打王も首位打者も打点王も一度もとることはできなず、時代を代表する野球選手にはなれなかった。野村氏は、それをデビュー当初、マスコミが大騒ぎしている際に、冷静に予測していたのだ。

 ここらへんからは、サッカー狂の戯言です。
 野球界のVIPと言えば、長嶋茂雄と王貞治にとどめをさすと思う。ただ、このONについては、我々サッカー界は、カズと澤穂希と言った、それなりに近づきつつある人材を輩出できているように思う。50過ぎてもプロフェッショナルである現人神と、本人自身も代表チームも世界一を獲得したスーパーヒロイン。
 けれども、野村氏に匹敵するような、いや、たとえられるような人材は、サッカー界では中々思いつかない。

 日本サッカー界の名将と言えば、岡田武史氏、西野朗氏、小林伸二氏、佐々木則夫氏らが挙げられる。みな現役時代に相応の実績を残しているが、野球における三冠王のような実績ではない。 
 故岡野俊一郎氏を筆頭に加茂周氏、最近では戸田和幸のように、テレビ解説を軸にサッカーの言語化にすぐれた解説者はいることはいるが、現役時代の野村氏のような格段の実績を持った方は思い浮かばない。
 サッカー文壇では、そもそもトッププレイヤだった人は、とても少ない。
 いや、セルジオ越後氏はすごい選手だったし、在野でサッカーの拡大への貢献は最高だし、解説は野村氏ばりの毒舌で聞いていておもしろい。しかし、氏は眼前で行われているサッカーの言語化は、致命的なほどつたない。と言うか、ちゃんと試合を見てないw(ちゃんと試合を見てないサッカー解説者やサッカーライターは枚挙にいとまないし、そこがサッカーの楽しさだと思うけれど)。あ、誤解しないで欲しいけど、私はセルジオ越後氏は大好きだし尊敬してますよ。
 もちろん松木安太郎氏の、眼前の試合の言語化能力は格段なことは言うまでもない。選手としても、野村氏ほどの実績はないが、天分の素質を知性と工夫と謀略で最高に伸ばしたことは間違いない。あと、まあ一応Jリーグ初代チャンピオン監督だ。しかし、しかしだが、野村氏の言語化能力と、松木氏のそれは、軸が異なる。どちらも絶対値は大きいが、実数と虚数とでも呼べばよいか(もちろん松木さんが虚数ねw)。
 小見幸隆氏は、選手としての実績が格段だし、本来のポジションでないプレイを望まれたことで代表チームを辞退したと言う「月見草感」がある。さらに気の利いた毒舌含めたサッカー論評は絶妙。レイソルでのフロント実績も中々だ。しかし、監督としての実績に決定的に欠ける。ともあれ、あれだけおもしろい文章を書くことができるのだから、もっとサッカー文壇に登場して欲しいのだが。
 反町康治氏は、すばらしい選手だったし、監督として比較的戦闘能力に乏しいチームをそれなりに勝たせると言う実績が複数回。解説での言語能力も高く、「サッカー界の野村克也」に1番近い存在かもしれない。ただ、選手としては、あれだけ周りが見えて、技巧も優れていたのだから、代表の中核まで行って欲しかった。もっともっと、すばらしい実績を挙げられたのではないか、と思えてならないのだ。まあ時の代表監督もひどかったのだけれと。今から選手生活をやり直していただく訳にはいかないがw、反町氏がもう少し戦闘能力高いチーム率いるのは見てみたい。例えば、氏の監督生活で唯一の汚点とも言えるチームが、現在監督の監督の不首尾で苦労している。反町氏に12年前の復讐戦の機会を提供できればステキなのだけど。まあ、叶わぬ望みかな。

 上記のようなことをTwitterで述べたところ、海外の偉大なサッカー人と喩えてくださった方が何人かいた。
 マリオ・ザガロ、ヨハン・クライフ、ジョゼップ・グアルディオラと言った大巨人達は、選手としても監督としても、圧倒的な成果を誇る。けれども、監督として、彼らが率いたのは、最高の選手が集まり、世界最先端の戦術を採用することが許されるチームだった。そして、彼らは、その対価として圧倒的なサッカーでタイトルをしっかり獲得することを要求され、それを実現した。ただし、この3人が特別偉大なのは、その実現を格段の「美」を伴い実現したことだ。
 しかし、野村氏の監督としての偉大さはまったく異なる。氏が率いたのは、必ずしも経済的に潤沢とは言えない、あるいは過去からの積み上げがうまく機能してない、比較的戦闘能力が乏しいチームだった。そして、そのようなチームを強化するのが、野村氏の妙味だった。まあ、そう考えてみると、氏が強いチームを率いるのを見てみたかった思いも出てくるのだが。野村氏率いる野球の日本代表とか。

 そう言う意味で野村氏への類似性を感じさせるのが、イビチャ・オシム氏だ、と言う指摘はもっともだとは思う。でも、私はこの2人には決定的な相違があると思うのだ。
 確かに。オシム氏はジェフの指揮をとり、ナビスコ(現ルヴァンカップ)を制し、再三J1の優勝争いに参画した。少々表現は微妙になるが、当時のジェフの戦闘能力は格段に高いものではなかったし。また、オシム氏の執拗なサッカー好きと言うか、サッカーオタクと言うか、とにかくサッカーさえあればそれでよし、と言う姿勢。それは、野村氏の野球に対するそれと類似性もある。
 また、奥様に頭が上がらないこと。同じ業界で働くご子息に対し、少々いやかなり脇が甘い態度が見え隠れするところも、似ている。うん、似ている。
 では、私が前述した、この2人の決定的な違いとは何か。それは指導のやり方、考え方だ。
 野村氏は、弱者の方法を執拗に具体的に語り、それを指導で実践した。執拗なボトムアップの継続で、各選手に判断力をつけさせようとするやり方。局面ごとに判断を誤った選手への評価は極めて辛辣だった(人はそれをボヤキと呼んだが)。一つ一つのプレイの目的を語った上での誤りなので、選手はその反省を活かしやすかったことだろう。
 一方、オシム氏は、目指す姿を抽象的にあるいは概念的に語り続けた。ジェフの選手たちも、代表の選手たちも、その目指す姿が中々理解できず、戸惑いの日々もあったと聞く。もっとも、代表においては、氏が監督に就任した時点で、ジェフでの水際立った指導は各選手に浸透していた。なので、「とにかく、このオッサンの言うことは聞くしかない」的な雰囲気があったとも聞くが。しかし、氏の厳しい鍛錬と要求を受け入れ、継続しているうちに、多くの選手のプレイ選択の質が次第次第に高くなる。そして、気が付いてみれば、チーム全体で鋭いサッカーを演じられるようになっていった。結果が出て、かつプレイ中の判断力が高まったことを自覚することで、各選手は氏の指導の的確さを理解し、一層氏の指導が効果的になる。正にポジティブフィードバックを生む包括的なトップダウンとでも言おうか。
 オシム氏の日本代表への挑戦は、氏が病魔におそわれ、中途で終わってしまった。もちろん、ジェフにおいても、強奪事件が起こったので最終形を見ることはできなかった。
 オシム氏最後の采配は、この試合だった。大久保嘉人と言う偉才が、初めて日本代表で輝いた試合だった。すばらしい試合だったが、そこから氏がチームをどのように発展させ、何を目指していたのかは、永遠に氏の頭の中にしかない。そして、氏は退任後もそれを語ってはくれない。それが氏の美意識によるものなのかどうかはわからない。果たして、氏のトップダウン指導の対象の究極であるこの男には、オシム氏の最終到達点見えていたのだろうか。
 ともあれ。野村氏とオシム氏のスタイルの違いを解題するのは、とても楽しいことだ。2人の性格や考え方の違いによるものだったのか。それとも、停止とリセットを繰り返す野球と、常に流動的なサッカー、スポーツの性格の違いだったのか。あるいは、12球団の争いと言うドメスティックな戦いと、地球上のほとんどの国同士で行われる広範な戦い、と言った違いによるものだったのか。
 いま思えば、いずれかの媒体がこの2人の対談を企画すればおもしろかったような気がするが、実際に行ったとしても、あまり噛み合った議論になったとも思えないな。なにせ2人とも、あまりに自分の競技が好きすぎてしまっていたのだから。

 私が野球に興味を持った60年代後半、故郷の仙台で見ることのできる野球中継はジャイアンツがらみのみ。パシフィックリーグとは謎のリーグだった。そのパリーグの最強チームは南海ホークス、そこにはONと並び称される恐ろしい打者がいる。その幻のような噂が、私の最初の野村体験だった。
 その後、ホークスでの選手兼監督としての鮮やかな活躍。公私混同問題での解任。生涯一保守宣言でのプレイ、そして引退。この頃には、いずれの試合も毎日のように「プロ野球ニュース」で紹介されており、老獪な名手を楽しむことはできた。
 引退翌年から「野村克也の目」の連載が開始。上記の通り、私は「スポーツの言語化がここまでおもしろいとは」と、正直感動いたしました。
 改めて感謝いたします。
 野村さん、ありがとうございました。
posted by 武藤文雄 at 22:58| Comment(1) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月10日

32/32@2020

 11年ぶりの少年団県大会。我が少年団は、奮戦むなしく1回戦で砕け散った。相手は昨夏の県大会で準優勝、中盤の真ん中にはナショナルトレセンU12選手がいる強豪。非常に難しい試合となったが、我らが勇士たちは敢然と立ち向かってくれた。完敗は残念だが、本当によくやってくれた。
 選手個々については、こちらを参照ください。

 立ち上がり2分に失点。左サイドから攻めかけてきた相手に対し、当方もしっかり対応するも、ボールは取り切れず。逆サイドに展開されるが、右MFのセパタクローの守備範囲。普段の彼ならばグッと相手に寄せられる距離だが、寄せを躊躇してしまった。結果、相手選手は余裕をもってコントロール、ウェイティングしようとするセパタクローに対しワンフェイントかけて縦突破、強シュートを打たれる。元気GKがすばらしい反応で防ぐが止めきれず、こぼれ球を押し込まれた。「強豪」と言う意識が、安全策の選択を呼び、その選択が裏目に出てしまったのか。
 それでも、子供達は顔をあげて、丁寧につなぎ、素早く押上げ、幾度か好機を作る。特に右サイドのポケットティッシュとセパタクローが深めにロングボールを入れて、不運大柄がからみ畳屋孫息子の突破力を活かす攻めは存分に通用した。また、中盤の選手へのプレッシャはきついが、最終ラインの出足とハイエナには若干余裕があるから、この2人から速いグラウンダのフィードを入れると、不運大柄が何とかキープするからネッツアと畳屋孫息子が飛び出せる。幾度か敵陣に攻め込み、獲得したCK。ネッツアが相手GKの取れない絶妙な地域を狙い、バーに当たったのは惜しかった。もうほんの少し、ピッチ内側に入っていれば。
 そうこうして迎えた14分、ペナルティエリアに分厚く攻め込んだことで、相手DFがかろうじてクリア。ルーズボールとなり、ポケットティッシュがルックアップしながら寄せる。ところが、相手ナショナルトレセンの出足の速さとファーストタッチの精度が格段だった。ナショナルトレセンは、見事な加速で前進し一気に抜け出し、当方出足の追走を振り切り2点目を決める。相手を褒めるしかない失点。
 さらに直後、相手が右オープンに展開してくるも、当方最終ラインの押上がよく、元気GKがタッチ沿いで的確にカバー、タッチ沿いにロングボールを蹴り返す。ところが、それを拾われ、ハーフラインあたりから無人のゴールに蹴り込まれてしまい、0-3に。事実上勝負はついてしまった。さすがに気落ちしたか、プレスがちょっと甘くなったところで、ナショナルトレセンの個人技からもう1点奪われ前半終了。

 後半を迎えるにあたり、監督の畳屋倅は、やり方を変えた。
 ネッツアを最終ラインに下げ、4-2-1のような形にして、中央を固め、出足のボールを取る強さを活かし、速攻に活路を見出そうとしたのだ。かなり変則的なやり方だが、選手達は新しい要求を丹念にこなし、崩される場面はほとんどなくなった。ただ、この配置では押し上げが遅くなると、どうしても中盤に空きが出てしまう。32分、ちょっと押し上げが遅れたところで、フリーのMFに精度高いロングボールを入れられて裏を突かれ0-5にされてしまった。
それでも、選手達は崩れない。散発ながら、不運大柄に収めて、畳屋孫息子と(セパタクローに代わって入った)箱根駅伝がシャドーのように絡み、幾度か敵DFを破りかける。少人数の攻撃ながら、能力高い相手DFに臆せず、幾度か少人数速攻を成功しかけたのだが、どうしてもネットを揺らすことはできなかった。

 0-5の完敗。試合終了後、監督はサポータ席の我々コーチ仲間に「最後の公式戦、前半で事実上敗戦が決まっていたので、無理に1点取りに行くことも考えた。しかし、やり方を変えて、この強敵と互角に戦えた経験を積ませたかった」と語っていた。完敗は残念だったけれども、後半は監督の狙い通り、彼らは「やれた」と言う実感はつかみ、最後の試合を終えた。
 3点目までの各失点、直前の場面の「ほんのちょっと」の判断が的確に行えていれば防げていたかもしれない。そうすれば、もう少し試合をもつれさせることはできたはずだ。けれども、その「ほんのちょっと」が実力なのだ。そして、その「ほんのちょっと」と言った試合を、県大会と言う場で、この強敵相手にできたこと。その「ほんのちょっと」を実感できたこと。それらを誇りに思ってほしい。努力を積み上げても、上には上がいると言う経験は、人生にとってとても貴重なものになるはずだ。

 彼らとの6年間の冒険が終わった。
 私は、月曜から金曜まで、それなりにストレスのある本業をこなし、それで食わせてもらっている。私にとっての土曜と日曜は、身体と精神を休ませる貴重な時間だ。そして、私はサッカーが何より好きだ。そして、子供に遊んでもらうのも好きだ。土日に、バカガキどもに遊んでもらう時間は何より貴重なものなのだ。
 毎年のことなのだが。何というのだろうか、6年生を送り出すときは「みな立派になったなあ」と思うのが常だ。そりゃそうだ。まだ人間と言うよりは猿に近いのではないかと感じるw幼稚園を出たばかりのバカガキが、段々育ってきて、3、4年生くらいからちゃんと会話が成立するようになり、6年目にはちゃんとしたサッカー選手見習いくらいにはなってくれるのだ。
 そして、今年の6年生は、みな本当にサッカーが好きで、よくがんばってくれた。目標とする県大会出場を果たし、その歓喜のお相伴をあずかることができた。何回でも繰り返します。
 君たちとの6年間を満喫させてもらいました。みな、本当にありがとう。
posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(0) | 底辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月08日

名手たちとの別れ@2019-20

 毎年、毎年のことでもあるけれど。このオフにも、ベガルタに貢献してきてくれた幾多の名手たちが仙台を去った。まとめて講釈を垂れ、惜別の辞としたい。


 石原直樹は、2017年シーズンにベガルタに加入した。加入当時既に32歳、前所属のレッズでは負傷のため僅かなプレイにとどまっていたこともあり、どこまで活躍してくれるのか不安もあった。今思えば、そのような不安を感じることそのものが、大変失礼だったと深く反省しています。

 石原は、ベガルタに加わるや否や、完璧なエースストライカとして活躍してくれた。持ち前のボールの受けのよさと、巧みな前進。もちろん、シュートのうまさは往時と変わらない。肝心な場面できっちり敵ゴールネットを揺らしてくれた。

 さらには、豊富な経験からくる老獪な判断も格段になっていた。敵がボールポゼッションしている時間帯、マークする敵DFと駆け引きしながら、したたかに自陣に引き、ボールを奪ったベガルタDFからのフィードを丁寧に受け、着実にマイボールに。ファーストディフェンスの巧みさと併せ、相手がボールを保持している時のプレイが魅力的になっていたのだ。冗談抜きに、1年前のアジアカップ、大迫勇也のバックアップに石原直樹を推薦したい思いがあったくらいだ。

 ブランメル時代を含めたベガルタの歴代のFWを考えてみても、チームへの貢献と言う意味では、石原は最高クラスだったのではないか。あのマルコス、ウイルソン、赤嶺真吾と、同等に評されると言っても過言ではなかろう。

 19年シーズンは負傷がちで出場機会が減ったこともあり、退団を迎えた形。ベガルタから見れば35歳と言う年齢も、長期契約は難しいと判断し、石原側と話がまとまらなかった可能性もあろう。ただ、負傷が癒えた終盤戦、起用されれば当然のように、最前線でいやらしいキープで攻撃に変化をつけ、ベガルタに貢献してくれた。昨シーズンの終盤、幾度か愚痴を語ったこともあるが、渡邉晋前監督には「もう少し大事なところで、石原を使って欲しかったな」との思いもあった。まあ、このあたりの隔靴掻痒が、サポータ冥利に尽きるのですが。

 石原はJデビューを果たした古巣のベルマーレに復帰する。35歳になったとは言え知性あふれるプレイはまだまだ健在。ベガルタから離れることは残念だが、石原のプレイを楽しむ機会が継続することを喜びたい。


 大岩一貴は、4シーズンに渡りベガルタで活躍、18年シーズンからは主将も務め、天皇杯決勝進出の立役者となった。落ち着いたカバーリング、単純にはね返す強さ、リーダシップ、中央もサイドもこなせる多様性、持ち上がりもフィードも上々の攻撃など、頼りになるDFだった。

 ただ、俊敏で加減速のよいFWに対する応対が極端に苦手で、中島翔也、武藤雄樹、仲川輝人などと相対すると、見事なくらい簡単に抜かれるのがご愛敬でもあった。

 19年シーズンは、当然のように中心選手として期待されたが、開幕直後より1対1の弱さが目立つようになり、定位置を失い期待にこたえられず、チームを去ることとなった。

 天皇杯決勝進出に、直接的な貢献したことから、他の金満クラブから強奪の恐れもあるのではないかと危惧し、早々に契約延長が報道され安堵したのは、ほんの1年ちょっと前のことだ。まだ30歳でもあり老け込む年齢でもないはず。新天地のベルマーレで適切なトレーニングを積むことでの再起を期待したい。


 ドイツ、韓国を含む幾多のクラブを転々としてきた阿部拓馬。2シーズンにわたりベガルタに在籍。独特のボールを縦横に大きく動かすドリブルで、貴重な控えFWとして活躍してくれた。特にDFに疲労が出てくる終盤での交代出場は有効だった。

 19年シーズン後期の名古屋戦、1-0の状況下で交代出場、直後にしたたかにPKを獲得してくれた場面は忘れ難い。

 あの天皇杯決勝、「阿部のミドルシュートが、もう少しよいコースに飛んでくれていれば」と、今でも嘆息したくなる。

 19年シーズンは負傷がちで、若手のジャーメインの成長もあり、出場機会が限定され、琉球への移籍が発表された。32歳となったが、負傷さえなければ、J2クラブでは完全な中心選手として活躍できる能力は間違いない。


 何よりあの強烈な左足が魅力のハモン・ロペスは、ベガルタサポータには特別な存在だ。

 来日前の経歴が、少々怪しいのが楽しい。ブラジル国内での活躍は少なく、東欧(ウクライナ、ブルガリア)でプレイし、2014年シーズン途中、唐突に中盤選手として加入した。

 入団当初は、ツボにはまった時の左足の一撃は格段だが、ボールの受けも、位置取りも、戦術的な動きも、ヘディングも、いずれもうまくこなせなかった。しかし、渡邉前監督の指導の賜物か、いずれもどんどん上達し、気がついてみたら、16年シーズンは最前線でポストプレイを巧みにこなす得点力あふれるストライカに成長してしてくれた。

 そのような成長もあり、17年シーズンレイソルに移籍。しかし、翌18年シーズン途中で、レイソルの他外国人選手獲得もあり、早々にクビとなってしまった。

 しかし、同年、西村拓真をシーズン半ばでロシアへの移籍で失ったベガルタは、急遽ハモンと再契約。復帰したハモンは、再びエースとして活躍してくれた。今でも悔しいが、あの天皇杯決勝に、ハモンが起用できていれば歴史は変わったのではないか(レイソルで天皇杯に出場していたため、出場権利がなかった)。

 マークする相手のレベルが高いと沈黙するが、ちょっとレベルが低いと圧倒する能力。J2で比較的経済的に余裕があるクラブに移籍すれば、相当光り輝く可能性があると思っていたのだが。そうか、君はドバイに行くのか。あの左足が見られなくなるのは、ちょっと寂しい。


 永戸勝也は大卒で3シーズンベガルタで戦い、鹿島への移籍を決めた。悔しい思いもあるが、見事なステップアップだ。おそらくそれなりの違約金も残してくれたのだろうから、ここは快く送り出したい。

 言うまでもなく、永戸の最大の武器はその左足の精度。ハモンの「当たれば凄い」とは異なり、それなりの頻度で精度高いキックができるのがw、ありがたかった。そして、その精度はセットプレイでいかんなく発揮された。特に魅力的なのは、振りが非常に速いため、球足が非常に読みづらいこと。例えば、昨シーズン残留を決めた大分戦のCK、通常の高いクロスを予想させるスイングから、グラウンダで低い球足の速いキックを、バイタルで待つ道渕諒平へ通したアシストが、その典型。いや、見事なキックだった。また、切り返しての右足でも振り足の速いキックを持つことから、敵DFへの応対で優位に立てるのも特長となっている。

 19年は、シーズン途中からベガルタが4DFを採用したことで、最も得意な4DFの左バックに完全に定着、課題だった後方から進出してくる選手への応対も上達し、気が付いてみればセットプレイの精度と合わせ、国内屈指の左DFと言われるに至った。

 残る課題は、縦に強引に出ての左足クロスのタイミング、球足の速さは申し分ないのだが、中央の選手へ中々合わない。ベガルタ最前線の中央では、石原直樹や長沢駿と言った合わせの巧みな選手がいたのだから、もう少し流れの中からのアシストが増えてもよかったように思うのだが。

 要は、いつパスを出すかと言うほんの僅かな「タイミング」に課題があるのだ。そこを習熟できるかどうか。これが改善されれば、3バック時のサイドMFも、もっとうまくこなせるようになるだろう。22年のカタール行きは、そこにかかっていると思う。まあ、がんばれ。


 正直言います。このシーズンオフ、梁勇基の退団、そして渡邉晋監督の退任。衝撃が多過ぎました。

 この2人がいなくなることばかりに捉えられ、上記ベガルタに幾多の貢献をしてくれた名手たちへの感謝が、おろそかになっていたと反省しています。

 石原、大岩、アベタク、ハモン、そして永戸。長い間、どうもありがとうございました。そして、新天地でも見事なサッカーを見せてください、とても楽しみにしています、もちろん、ベガルタ戦以外で。

posted by 武藤文雄 at 16:55| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月02日

32/487、我が少年団の歓喜@2020年

 毎年1月に行われる日産カップ、神奈川県少年サッカー選手権大会(全神奈川県のトーナメント)。サッカー少年団にとっては、1年間の総決算の大会となる。神奈川全県の487チームをを十数チームごとの32ブロックに分け、勝ち抜き戦を行う。ブロックで優勝できれば(4試合の勝ち抜きが必要)、ベスト32から始まる県大会に出場できる。
 そして、我が少年団の6年生を主体とした高学年チームが、堂々と勝ち抜き、県大会出場を決めてくれた。この少年団で指導にかかわって、19年となるが、2度目の快挙となる。いや、11年前も嬉しかったけど、今回も最高です。本当に幸せですわ。

 県大会への道は険しい。
 まず同じブロックに、マリノスとかバディとかあざみ野とか、本当の強豪が来たら、絶対に勝ち抜けないw。これらの超強豪と同じブロックにならない確率が50%くらいか。
 そもそも、勝ち抜き戦である。たとえ同じブロックに強豪がおらず、同じレベルの相手と戦うにしても、4チームに対し勝利確率が70%、60%、50%、そして40%だとしたら(これって、結構高い勝利確率なことは、わかる人にはわかりますよね)、4試合勝ち抜ける確率は0.7×0.6×0.5×0.4=0.084。そうするとさっきの50%を考慮して、0.5×0.084=0.042、つまりブロックを勝ち抜き、県大会に出場できる確率は、それなりに強力なチームが作れたとしても、僅か4.2%、20回試みて1回足らず程度なのだ(そう考えると、昔の帝京や国見が当然のように正月高校選手権を勝ち進んだノウハウはとんでもないことがわかるが、まあそれはそれ)。単一小学校をベースにした、父親及び父親OBの酔っ払いが指導する少年団が、19年間に2回と言うのは、堂々たる快挙なのです。うん。

 もちろん、当方がそれなりに強くなければ、さっき述べた70%、60%、50%、40%のような高確率は望めない。言い換えれば、日々の練習はこの確率を僅かずつでも高めるのが目的の一つとなる。まあ、過去も何度も述べたが、少年指導で勝つことは本質ではないと思っているが、勝とうとすることはとても重要だと思っている。そして、勝とうとするためには、サッカーが好きで、常に自分のプレイを反省し工夫して改善を継続する意思がある子供がそろう(『そろえる』が指導者の役割のひとつか)必要がある。これは、言い換えると、知性と戦う気持ちを両立して持つ子供と言うのだろうが。
 加えて、「勝つ」と言う観点からは、ある程度「速さ」なり「強さ」の高い子供も欲しい。こう言うと、身もふたもないが最後敵陣でネットを揺らすためには、足が速く裏が突けるとか、強さで相手DFを吹っ飛ばせるタレントがいれば、ありがたいのだ。今年の6年生は知性と戦う気持ちを持つ素材はそろっているのだが、こう言った、速さや強さを持つタレントがいなかった。結果的に、チャンスは多く作るものの決めきれず、中々勝ち運には恵まれないチームだった。
 もう一つ中々勝ち切れなかった要因があった。隣町の似たような少年団に天才肌のテクニシャン(Jクラブ育成コースのスーパークラスにも選ばれている)がいて、その子と共にプレイしたいと考えた能力の高い子供が多数その団に集まったのだ。結果として、そのチームは「普通の少年団」とは思えないような強豪となり、地域大会でそこにどうにも歯が立たなかった。一方で、そのような強いチームが身近にあったことが、刺激のみならず、直截的な強化に役立ったのもかもしれない。正に物事には表裏両面があると言うことか。
 
 今年の高学年の指導陣は、監督を務める地元のサッカー界で育った畳屋の倅(現郡協会会長、息子は両足が使えるエースストライカ)、父親が私と同い歳と言う元高校球児(息子はの約50年前のギュンタ・ネッツアを思い起こさせる長髪の中盤の将軍)、自然食にこだわりある料理人(息子は5年生でスーパーサブ、料理人とスーパーサブは親子でセパタクローもやっている)、T蔭学園で某前ベガルタ監督と同級生だった非サッカー部員(息子は5年生で来年の守備の要、ちなみに某前監督は授業中に幾度も居眠りして先生にどつかれたとのことだがw、これは皆さん秘密にするように)ら。彼らは粘り強く子供達を指導、歓喜を提供してくれた。いや、ありがとうございました(11年前に歓喜のチームを率いたIT社長と私は今年は低学年担当、低学年もよくがんばったのですが早期敗退、なので2人は今回はサポータなのです)。

 今年のチームの基本布陣は、3-3-1 (8人制)。
 GKはとにかく元気がよくて前向き。守備範囲の広さは抜群で、指示の声もよく出してくれる(もっとも、試合中落ち着いて彼の指示を聞いていると、「出足負けるな!」、「遅らせろ!」の2種類しかないw、うん、彼はサッカーの本質を正確に理解しているな)。
 3DFの右サイドは、時々集中が切れることはあるものの運動能力ではチームトップクラス。この子は、すね当てを忘れてしまったことがあり、どうしても試合に出たいので、ポケットティッシュを両ストッキングに入れ、元高校球児(上記ネッツアの親父ね)にバレて滅茶苦茶叱られた逸話も持つ。中央を固めるのは、とにかく出足の速さが絶品な子。前に出る力が強いので、最前線で使えないかなど、あれこれ試したのだが、出足の鋭さをCBで活かすのが最適と落ち着いた感がある。左サイドは、小柄ながら粘り強い守備対応がハイエナのような子。いつも練習最後に、コーチ対6年生で試合をするのだが、この子の守備はとにかくしつこいので、私は彼にマークされるのが一番嫌だ。
 中盤の真ん中は上記のネッツア。左サイドは、これまた上記の畳屋孫息子。右サイドは、父親が箱根駅伝選手だったと言うテクニシャン、おとなしい子で声が小さいのが欠点と言えば欠点だが、足に吸い付くようなボールコントロールが魅力。最前線は、チームで最も大柄な子だが、今年は多々不運に襲われた。約1年前、遊んでいて崖から落ちて骨折の大ケガ、夏以降復帰して活躍していたのだが、今大会前に犬に噛まれて出場が危ぶまれていたが、何とか間に合ってくれた。

 初戦は、立ち上がりから全員が献身的にプレスをかけ、一気にペースを握る。そして、畳屋孫息子が、見事にハットトリックを演じ、4-0で完勝できた。この畳屋孫息子は、裏抜けやシュートへの持ち出しに優れたタレント。サイドで守備を含め再三上下動する難しい仕事をこなしながらのハットトリックは嬉しかった。
 2回戦は、かなりレベルの高い相手だった。相手のプレスが激しく、最終ラインからつなげない。プレスを怖がり、GKへのバックパスや、逃げのクリアを連発することとなり、ペースがつかめない。そうこうしているうちに、バックパスを受けた元気GKのクリアを相手の中盤選手にダイレクトシュートされ、先制を許す。先制して勢いに乗り、さらに攻めかける相手に対し、最終ラインでギリギリ粘る。特にハイエナが俊足の相手エースをよく止めてくれた。そして迎えた前半終了間際、後方からのフィードを箱根駅伝が、持ち前の技巧を発揮して正確に落とし、ネッツアが鋭いシュートを決めて同点に追いつけた(20分ハーフ)。勢い突いた後半立ち上がり、スーパーサブのセパタクロー息子が、右サイドからスローインを受けて強引に縦に飛び出し、ドリブル突破フリーになって見事なシュートを決め、リードを奪う。直後、相手の大柄なエースストライカが、ポケットティッシュと出足の執拗な守備を振り切り、2-2の同点に。PK戦突入かと思われた終了間際、ネッツアが見事な技巧で相手中盤プレスを抜け出し、美しいシュートを決めて勝ち越し。感動の勝利となった。本当に興奮する試合だった(去年のエカテリンブルグのセネガル戦を勝ち切っていたら、こんな感覚となっていたかもしれない)。
 余談。試合終了後にセパタクロー親父から聞いた話。ネッツアが決勝点を決めた際、ベンチにいたネッツア親父は過呼吸状態で、ことばも発せずに興奮していたとのこと。そりゃ嬉しいでしょうな。さらに余談。ネッツアは4年生時練習中に転倒、涙を流して痛がる息子に対し、親父は「このくらいで泣くな!」と叱責。医者に行ったら、鎖骨が折れていたと言う笑えない笑い話を演じている。この親父まだ30代前半と若いのだが、中々の古典的星一徹なのだ。
 1週間後に行われた準決勝。前日の雨により、片方のエンドのコンディションが極端に悪かったが、結果的にそれが当方にとっての幸運となった。3分、不運大柄が、その悪コンディション下で、DFラインでつなぎ損ねた相手のミスを引っ掛け、そのまま突破しGKまで抜いて先制してくれたのだ。トスで勝ったことで、前半悪いエンドに攻めることを選択したのが成功した形となった。さらにその直後、ネッツアが蹴った鋭いCKを相手DFがかろうじてクリア。そのこぼれ球を、出足がダイレクトで強烈なミドルシュートを決め、2点差に。決めた出足が、一番驚いた表情をしたのが可愛かった。その後もペースを渡さず、2-0で押し切り、ついに決勝進出となった。
 そして、同日に迎えた決勝戦。もう1つの準決勝を見た限り、対戦相手は相当レベルの高いチーム。決勝直前、先週の2回戦立ち上がりが悪かった反省を、畳屋息子監督が厳しく注意した。それがよかったのだろう、立ち上がりから当方プレスがよく決まり、ポゼッションよく攻め込む。そして、幾度かの逸機の後、セパタクローが見事な切り返しで右サイドを突破、グラウンダのクロスを不運大柄が見事なボレーでポストに当てながら決めてくれた。その後、大柄で技巧的な相手中盤エースのドリブルから、幾度か攻め込まれるが、当方は出足を軸に丁寧に守り、1-0で前半終了。後半立ち上がり、相手が強度をかけて攻め込んでくるが、3DFが安定してはね返す。そして前掛かりで来た相手の裏を不運大柄が突き、GKと1対1となり、2点差とする。応援している低学年コーチ仲間同士で「あいつ、犬に噛まれて、かえってシュートが正確になったのではないか」と語り合ったのは秘密だ。勢いに乗った我が軍は、さらに畳屋孫息子が見事なボレーを決め、3点差に突き放す。これで相手が、やや精神的に切れてしまった。当方は控え選手を大量に投入し、ペースを維持。小柄だが得点意欲だけは格段の裏エースが追加点を決め、とうとう4-0で完勝。11年ぶりの歓喜とあいなった。
 準決勝、決勝当日は、久々の県大会出場の絶好機とのこともあり、選手たちの父兄、いつも一緒に練習している5年生たち、そして我々低学年コーチ、総計5万人じゃなかった50人の大観衆が声援を送ったのも、勢いを増すことに寄与できた。やはり、サッカーは応援である。

 いや、まことにめでたい。昼から、コーチ仲間、皆で浴びるほど飲みまくった。改めて、サッカーのすばらしさを堪能した一日だった。
 興奮は続く。例の隣町の強豪も県大会出場を決めた。我が地域から2チームが県大会に出場するのは史上初めての快挙。地域のタウン誌にも、この快挙が報道された。
 そして、県大会初戦は、小田原の強豪チーム。過去、1度も勝ったことの相手だ。難しい戦いになることだろう。しかし、このチームならば、十分に番狂わせを起こす可能性はあるはずだ。子供達は自らの努力で、県大会で戦う権利を獲得し、公式戦での強豪への挑戦権を得た。がんばれ。
 いつも語っていることだが、サッカーと言う人類が発明した最高の玩具で、毎週末子供達に遊んでもらっているだけで、これだけの幸せを味わうことができる。本当に、サッカーとは究極の娯楽だと堪能させていただいた。何と幸せなことだろう。
posted by 武藤文雄 at 21:01| Comment(0) | 底辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月28日

渡邉晋監督の退任

 梁勇基との別離のインパクトがあまりに強かったのだが、渡邉晋監督の退任も、我々ベガルタサポータにとって大事件だったのは言うまでもない。
 まずは、渡邉監督のこの6シーズンに渡る鮮やかな采配に感謝したい。ありがとうございました。

 監督としての渡邉氏の実績はすばらしいものがあった。14年シーズン、豪州人のアーノルド氏の後任として、0勝2分4敗の不信を極めていたチームを引き継ぎ、チームを立て直しつつJ1残留。移籍による補強が不調で、チームは明らかに高齢化しており、非常に難しい戦いとなったが、「よくもまあ残留してくれた」と言うシーズンだった。
 余談ながら、先日のアジアU23選手権、東京五輪出場を決めた豪州を率いたのがアーノルド氏だった。氏が監督として並々ならぬ能力を持っていることが、図らずも示されたわけだ。そう考えると、当時のベガルタフロントの見る目の確かさや、監督とチームの相性の難しさを考えてしまうのだけれども。ついでに言えば、渡邉氏はアーノルド氏より優秀な監督であることは、既に6年前に証明されているw、なので残念な監督に困っているどこかの国の代表チームが…
 話は戻る。以降、チームの若返りを推進、決して経済的に潤沢ではないチームながら、中位を維持してくれた。いや、ベガルタサポータとしてぶっちゃけ言ってしまえば、この6シーズンの間、きっちりJ1の地位を維持してくれただけで感謝の言葉しかない。
 結果のみならず、戦い方、内容も見事だった。16年度シーズン頃から、ボール保持を基盤とする戦い方を定着させた。これにより、17年度にはルヴァンカップで準決勝進出、18年度には天皇杯で決勝進出と言った成果を挙げることができた。
 奥埜博亮、西村拓真、シュミットダニエル、そして永戸勝也と言ったいわゆる自前タレントをJのトッププレイやに育て(より経済的に豊かなクラブへの移籍を含め)、渡部博文、三田啓貴、野津田岳人、松下佳貴、道渕諒平と言った選手たちを移籍加入させ、大きく成長させたのも、渡邉氏の功績と語られるべきだろう。

 これだけの実績を残してくれた監督だけに、留任を望むサポータも多かった。いや、私だってそう思っていた。
 加えて、退任への経緯も何か不透明な印象があった。ホーム最終戦の大分戦後のDAZNインタビュー、およびサポータへの挨拶で、「守備を固め逆襲を狙うやり方は将来性を欠き、時計を戻したような感があり、自分としては不本意」、「クラブは、将来のビジョンを明確化すべきではないか」と言った趣旨の発言を行った(いずれの発言も武藤の意訳ですが)。
 その後、シーズン終了後に、少々唐突感のある発表があり退任が発表された。
 さらに、退任時会見によると、最終的にクラブから氏に対して、20年シーズンの契約を行わない旨の通達が行われたと、渡邉氏が明言している。
「12月7日の広島戦が終わり、仙台に戻りました。戻ってから、クラブから連絡を頂き、クラブの事務所にて話し合いがありました。そこでクラブの決断を通知され、それを私は受け入れるという形になりました。」
 そのため、サポータ界隈からは、「ベガルタは優秀な監督を、わざわざ手放すのか」的な発言も目立った。

 どのようなやり取りが、クラブと渡邉氏の間で行われたのかは、未来永劫闇の中なのは言うまでもない。ただ、私はこの別れは、クラブと氏の間でギリギリの議論が行われた上で、双方納得を得たものと想像している。以降はその想像について、講釈を垂れる。

 まず、渡邉氏が大分戦後に語った「時計の針を戻した」発言。私は、この発言には、相当な違和感を抱いている。必ずしも2019年シーズンにベガルタが見せてくれたサッカーが「時計を戻した」ものとは思えなかったからだ。確かに17年シーズン以降、ベガルタは3DFとボール保持を基軸としたサッカーをするようになった。上述のように18年シーズンに天皇杯決勝に進出できたのも、このやり方が奏功したからだろう。
 それに対して19年シーズンは、奥埜博亮や野津田岳人を放出したこともあり、中盤から気の利いたパスを出したり、個人能力で抜け出す選手が、松下佳貴くらいとなってしまった。また道渕諒平と関口訓充の両翼が充実していたため、そこを起点にした速攻が有効だった。そのためもあったのだろうが、ラインを後方に下げ、敵を引き出して速攻を狙うやり方が増えた。そして、(渡邉氏が不満を述べた)大分戦の2点目のような切れ味鋭い速攻は、これまでのシーズンでは中々見ることができなかったものだ。
 むしろ、14、15年シーズンは、後方に引いて逆襲を狙っても、そのスピードと精度でバランスがとれず得点し切れないところもあった。そのために、ボールを保持するやり方に変え成果を出したわけだ。
 サッカーのやり方はあくまでも手段であり、後方に引き速攻を志向するやり方への切り替えが、必ずしも後退とは言えないのではないか。サッカーは常に相対的なものだと思うのだ。

 以下は、渡邉監督との別れに対する私なりの解釈(あるいは諦め)である。
 まずは契約条件、言い換えればカネである。
 考えてみれば、6シーズンに渡り上々の成績を収めてくれたのだ。毎シーズンごと上々の成績を収めてくれたのだから、渡邉氏のサラリーも毎年毎年上げていかなければならない。例20年シーズンも渡邉氏に采配を託そうとするからには、それなりに年俸を増やす必要がある。長期間成果を出し続けた政権とは、そう言うものだ。例えば、シーズン終了後20%ずつ年俸を上げていけば、6年間で1.2の6乗=3.0、つまり6シーズン前の3倍の年俸が必要となる。
 しかし、残念ながらベガルタは、この6年間で経営規模を大幅に増やすことはできていない。むしろ、他のJ1クラブとの比較においては、マイナス気味の傾向すらある。その状況下で、6シーズン継続して好成績をあげてきた監督のサラリーを増やすのは、クラブとして限界に近づいていたのではないか。
 自分の収入だけではない。1年前、ベガルタ仙台は天皇杯決勝まで進出した。しかし、それだけの成果を挙げながらも、奥埜を引き留めるほどのサラリーを提供できず、セレッソへの流出を許した。他に替え難いユースから育て上げたスタアを留められない経済力しか持たないベガルタに対し、渡邉氏がどう考えたか。

 もう1つ、渡邉氏としても将来のキャリア構築を考えたのではないか
 渡邉氏は、選手時代を含め19年仙台に在籍した。4シーズンの現役生活を終え、引退後の指導者としての経歴を、15年間に渡り仙台のみで築き上げてくれた。
 仙台と言う都市は、新幹線を活用すれば、東京から1時間40分。しかし、首都圏のように人口が集中し、多くのクラブがあり、日本協会もある場所ではない。渡邉氏はそのような都市に、27歳の時に降り立ち、19年間戦ってくれたのだ。
 今後の飛躍を考えると、氏が新たな経歴構築を考えてもおかしくない。氏は桐蔭学園出身と言う人脈はあるものの、指導者としての経歴を地方の単一クラブで立ち上げてきた以上、より幅広い経歴作りを考えても不思議ではない。

 そのような渡邉晋氏に対し、我がベガルタ仙台は、引き留めるだけの条件を提示できなかった。
 新監督の木山隆之氏は、J2で見事な成果を挙げてきた。そして、J1クラブの采配は初めて。並々ならぬ思いで戦ってくれることだろう。このオフの上々の補強と合わせ、よい成果を挙げてくれることを期待したい。楽しみでならない。

 渡邉氏は仙台を去った。
 どんな監督ともいつかは別れが訪れるのが、世の摂理というものだ。そして、どうせ別れるならば美しく別れたいと思うのは山々だが、中々叶わないのもまた真実なのだ。そもそも、これだけの実績を挙げてきた男を、いつまでもつなぎ止められるものではない。
 近い将来、他のクラブを率いる渡邉氏と相まみえることがあることだろう。昨年の天皇杯で、手倉森誠氏にしてやられた痛恨の再現は避けたいところだが。いや、最近同じ兼任監督の不首尾が問題視されている迷彩服のチームが2つあるが、もしかして…
 繰り返そう。渡邉氏の6シーズンに渡る鮮やかな采配に感謝したい。ありがとうございました。
posted by 武藤文雄 at 00:00| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月31日

2019年10大ニュース

1位 森保監督の迷走
 アジアカップの準優勝は高く評価されるべきだろう。大会前および大会中に、次々と中盤後方の選手に負傷者が相次ぐ不運を乗り越え、リアリズムに徹した采配で着々と勝ち進んだ。またワールドカップ予選も丹念に勝ち点を積み上げたのも大したものだ。冨安健洋、南野拓実、中嶋翔也、堂安律、伊東純也、橋本健斗らを、代表選手として確立したのも褒められてよいだろう。
 しかし、1年を振り返ってみると、2019年は「森保監督により代表ブランドが大きく毀損された」年として、記憶されるのではないか。先日の東アジア選手権韓国戦のように、森保氏の真剣に勝とうとしない姿勢、いや勝とうとしないことを隠さない態度は、将来に渡る痛恨となるかもしれない。
 さらに感心しないのは五輪代表の準備不足。未だチームの骨格は不明確なまま、いたずらに時間が経っている。冨安、堂安、久保建英と言ったレギュラ候補本命が欧州でプレイしており、準備試合への招集が困難。さらに、オーバエージも検討するとなると、通常集められる選手の多くは定位置確保が困難と言うことになってしまう。加えて、五輪代表強化の常となるが、10代後半から20代前半の選手は、いつ伸びてくるか、いつ停滞するかは、非常に読みづらい。しかも、地元開催で予選を有効に強化にも使えない。この東京五輪への準備は相当厄介なのだ。
 厄介なことは自明なのだが、森保氏はテストばかりを繰り返す。おそらく、7月の本番では、我々はぶっつけ本番で未完成のチームを見ることになるのだろう。

 まあ、所詮五輪だ。ワールドカップとは異なる。むしろ、その程度の大会なのだから、準備不足を嘆く必要もないのだけれども。そして、肝心のアジアカップでそこそこの成績を収め、ワールドカップ予選の勝点獲得は完璧。森保氏は、最重要事項は外してないのですね。にも、かかわらず、上記の通り代表ブランドの毀損、五輪代表の準備不足と文句を言われる。いや、文句を言っているのは俺だな。うん、代表監督とはつらい稼業である。
 本件は別に講釈を垂れたいと思います。

2位 若年層選手の欧州流出
 五輪代表の強化が厄介になっているのは、多くの五輪世代の若手が、欧州に流出しているためでもある。冨安、堂安、久保らJ1や日本代表で相応の実績を残した選手たちだけではなく、国内で僅かな実績しかない選手が多く欧州クラブに活躍の場を求めている。
 確かに、世界のトップレベルのメガクラブまで駆け上がろうと言うからには、20代前半でそれに次ぐクラブまでランクアップしておきたいところだ。そうだとすれば、10代のうちに、オランダ、ベルギー、ポルトガルと言った国のリーグ戦で活躍したい、と言う彼らの思いはよく理解できる。
 そう言った若手選手の流出が続いても、Jリーグでは充実したサッカーを楽しめるし、次々と前途有為な若手選手が台頭している。結構な時代だと喜んでよいのだろう。

3位 マリノス久々にJ制覇
 マリノスが久々にJリーグを制覇した。マンチェスターシティとの出資関係がスタートしておよそ5年が経過し、ポステコグルー氏が作り込んだ組織的な攻守が光輝いた。喜田拓也.、仲川輝人、畠中槙之輔と言ったタレントの成長も、氏の指導の賜物だろう。チアゴ・マルチンス、マルコ・ジュニオール、エリキら、外国人選手獲得の巧みさ。リーグ終盤の組織的な攻守は出色のもの、18年度シーズンまでのプレスの第一波をかわして薄い守備ラインを狙われる状況だったのが徐々に改善され、完成したと言えるのだろう。積極的補強に走るこのオフだが、来期のACLでどこまで勝ち進めるか。
 FC東京は長谷川監督が各選手に徹底した守備意識を植え付け、林彰洋、森重真人、橋本健斗を軸にした堅固な守備を軸に、優勝まであと一歩までに迫った。ラグビーワールドカップの影響で長期に渡りホームグラウンドが使えない不運も痛かった。
 優勝候補と目されたアントラーズは中心選手の海外流出を埋め切れず、フロンターレは集め過ぎた選手の交通整理が不調となり、それぞれ終盤失速。勝ちづづけることの難しさを感じるシーズンだった。

4位 女子ワールドカップでの得点力不足
 女子代表は、見事なサッカーを見せながら、結局決勝進出を果たすオランダに極めて不運な敗戦を喫した。
 オランダ戦、同点で迎えた後半、日本はいかにもなでしこジャパンと言う揺さぶりから幾度も決定機をつかみながら、どうしても得点できず、終了間際に食らったPKで敗れ去った。まあ、サッカーなのだから不運は付き物なのだが。あれだけシュートが入らない試合を演じると、なでしこリーグの連続得点王田中美南を高倉監督が選考しなかったことは、批判されるべきに思うのだが。

5位 レッズのACL準優勝と日程問題
 レッズは粘り強くACLを戦い、決勝までたどり着いた。決勝のアル・ヒラルは相当充実した戦闘能力を誇り、一方レッズイレブンには疲弊が目立ち、敗戦はやむなし感が漂った。
 とは言え、今シーズン終盤の日程は気の毒としか言いようがないもの。レッズだけは平日にJを消化する印象すらあった。大槻監督は、ACLにフォーカスした選手起用をしていたが、今のJリーグの戦力均衡も相当だから、ジリジリと順位を下げていただけに、リーグを完全に手抜きするわけにも行かなかったのもつらいところだった。
 結局のところ、ここ10年来日本サッカーの日程が破綻している犠牲者とも言える。来シーズン以降も、ACLで勝ち進んだクラブは、よほど巧みにターンオーバを使わないと、Jリーグを含めて非常に厳しい日程に悩むことになろう。
 毎年毎年指摘していることだが、J1チームの削減、天皇杯2年越し開催など、抜本策を講じる必要があるのだ。年またぎシーズン制など夢にも実現できないことを考えている余裕はないはずだ。

6位 レッズ対ベルマーレ、誤審騒動
 5月17日、J1レッズ対ベルマーレで、ベルマーレの明らかな得点を審判団が見落とすと言う誤審騒動があった。本件そのものは、ベルマーレと審判団には極めて不運な事件だったわけだが、サッカーのルールや考え方が、時代の流れについていけてないことを示すものとなった。観客の多くが手元のスマホで映像確認ができる時代。ある意味で、プレイしている選手たちと審判団のみが真実を確認することなく試合が進んでいるわけだ。
 少なくともこの誤審は、ゴールラインテクノロジが導入されていれば防げていたわけで、私のような年寄りには、中々なじみづらいことになってきたと思う。
 一方でトップレベルの試合では、VAR導入が進んでいる。ところが、コパ・アメリカの日本対ウルグアイでのカバーニのように、それを悪用するダイビングを見せる選手が出てくる。また、判定をVARに任せ副審がオフサイドを認識しても旗を上げないやり方も出てきているため、U20ワールドカップの韓国戦の日本の幻の得点のように、明らかなオフサイドなのに妙なぬか喜びで試合の流れが阻害される事態も生まれている。ゴールラインテクノロジは、審判の目を補完する技術だが、VARはサッカーそのものの魅力を減らすリスクもあるはずだ。FIFAも一度踏みとどまって考えて欲しいのですけれども。

7位 ゙貴裁監督パワハラ問題
 そのベルマーレを長年率いてきだ貴裁監督がパワーハラスメントで処罰をされ、監督退任を余儀なくされた。
 スポーツの世界は、どうしても旧態依然の徒弟制的な閉じた社会が作られがち。そこに透明性や客観性を持ち込む必要がある。類似の事態の再発をいかに防ぐか、日本サッカー協会が力を入れるべきは、このような事件への対応だ。

8位 J1、J2入替戦の制度矛盾
 上記パワハラ問題で、非常に苦しい戦いを余儀なくされたベルマーレは、浮嶋監督の下、苦労を重ねてJ1残留を果たした。
 一方で、ベルマーレが残留を決めた入替戦のレギュレーションが話題となった。4チームでのトーナメントを勝ち抜いたJ2クラブを、J1クラブがホームで待ち構え、引き分けでっ残留する。さすがにJ1クラブが有利すぎると議論となった(ベルマーレは、元々決まっていたレギュレーションで残留を決めのだから、何も恥じる必要がないのは言うまでもない)。
 元々J2クラブの3位から6位までが参画できる制度も、上位クラブの優位が損なわれると言う指摘と、多くのクラブが昇格の可能性を持ちリーグが活性化すると言う反論で、議論の余地がある。
 個人的には流動性の増加(落ちてもすぐ戻れる)が考慮され、下位リーグに落ちてもクラブ経営が安定しない制度が望ましいと思うのだが。

9位 大分トリニータの快進撃
 J1に復帰した大分トリニータが、現代的なパスワークを武器とする美しいサッカーで上位を伺ったのはすばらしい成果だった。片野坂監督の見事な手腕は、大いに称えられるべきだろう。
 トリニータと言うクラブの、2008年の現ルヴァンカップ制覇から翌09年シーズンの事実上の経営破綻に端を発する数奇なドラマ。この10年間にJ1昇格、J3降格を含めた上下動を蹴権。そして、通算3度目のJ1昇格後のこの見事な成績。
 せっかくのすばらしいチームに対して、金満ヴィッセルによるエースストライカの藤本憲明強奪(敢えて下品な表現をとりました)など、見事なドラマに敵役が登場したのも触れておきたい。

10位 梁勇基、ベガルタを離れる
 こちらに思いを書きました。在日コリアンの無名選手が、仙台と言う地方中核都市の、比較的歴史の浅いクラブに加入し、16年の長きに渡りにチームの中核を担う。そして、ACLにチームを導き、祖国代表選手として日本代表にも立ち塞がった。これはこれで、日本サッカーの歴史を彩る美しいドラマである。その梁勇基が、ベガルタを去る。
 ベガルタサポータとして、胸が張り裂けそうな思いにもとらわれるが、梁と共に戦った美しい16年を誇りに思う。
posted by 武藤文雄 at 23:27| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年ベストイレブン

 恒例のベストイレブンです。日本代表については、アジアカップ準優勝の成果があり、またワールドカップ予選は敵地の難しい試合が多いにもかかわらず全勝で終えることができた年でした。しかし、10大ニュースでクドクドと講釈を垂れますが、その後の森保氏の采配振りは、多くの試合で手抜きが目立ち、結果的に日本代表ブランドが毀損された年となった感があります。そんな状況下で選んだベストイレブンです。

GK権田修一
 アジアカップでも上々のプレイ振りだったが、何よりワールドカップ予選、敵地のタジキスタン戦、キルギス戦の前半の、決定的ピンチを落ち着いたプレイでしのいだのは見事だった。中々自クラブでは出場機会に恵まれていないとのこと、何とかこの状況を打開して欲しいところだが。
 
DF酒井宏樹
 ワールドクラスのFWを押さえきる守備能力と、若い頃から格段の右クロス。現在、欧州で最も高い評価を受けている日本人選手ではないか。そして、日本代表でも常に安定したプレイ、22年大会まで中心選手として君臨してくれることを期待したい。

DF森重真人
 FC東京の守備の強さの源泉。元々の読みのよさに加え、周囲の選手の使い方と知的な位置取りが一段と上昇した感がある。パートナの張賢秀が、サウジのアル・ヒラルに移籍した後も、若い渡辺剛と協力なCBを組んだあたりはさすが。

DF冨安健洋
 ボローニャでも、当たり前のようにトップレベルの守備を披露。サイドバックでプレイする映像を幾度か見たが、縦に高速で持ち上がり精度の高いクロスを入れるなど、この初めてのポジションをしっかりこなしているのには恐れ入った。ただ、コパアメリカのウルグアイ戦でヒメネスにヘディングシュートを決められたのは反省してください。

DF丸橋祐介
 若い頃から定評ある攻撃参加に加えて、自領域に進出してくる敵FWを押さえるのが格段にうまくなってきた。元々、90分間戦う姿勢は皆が尊敬するところ。年齢的に日本代表としてはちょっと厳しいかもしれないが、一度見てみたい。

MF喜田拓也.
 J1制覇したマリノスの主将。リーダシップ、精神的な安定度、献身的なプレイ、正に大黒柱と言ってよい活躍だった。優勝後のスピーチも見事でしたけれど。このポジションの選手としては小柄で日本代表としては厳しいかもしれないが、一度見てみたい。

MF橋本拳人
 FC東京の躍進を中盤で支えた立役者。気の利いた位置取りで敵の攻撃を止め、少々常識的だが的確にボールを散らす。180cm超のサイズも魅力的で、日本代表でも定位置をつかみつつある。
 
MF山口蛍
 豊富な運動量と球際の強さは、いつどこでも頼りになる存在。アジアカップも蛍がいれば、もっと何とかなったのではないかと思うのだが。ヴィッセルではいわゆるインサイドMFで前線にも飛び出す戦略的な動きで天皇杯決勝進出にも貢献した。

FW仲川輝人
 自分の間合いでボールを持てば絶品のドリブルに、知的な位置取りでの巧みなボールの受けと、シュートへのボールの置き方が格段に上達。気が付いてみたら、日本最高クラスのFWとなっていた。問題は森保氏が、この異才をうまく活かせるかどうかなのだが。

FW南野拓実
 日本代表では、常に強い意志で攻撃の中核となり、実に頼もしい存在となった。グラウンドコンディションの悪い中央アジアのアウェイゲームでも、冷静かつ強気にチームを引っ張り、22年大会のエースの座を獲得した感もある。リバプールで超強力3トップに挑むことになる。

FW永井謙佑
 最前線に位置取りし、日本人に珍しい10m単位の距離を高速で走ることのできる異能を活かせば、敵DFから見て非常に厄介な存在なのは、7年前のロンドン五輪の時からわかっていたこと。それなのに、サイドで起用されるなど不遇の時代もあったが、ここに来てFC東京でも日本代表でも、得意のポジションで起用され輝いている。
posted by 武藤文雄 at 20:51| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

梁勇基との別離

 ベガルタが、梁勇基との契約の満了を発表、レジェンド中のレジェンドが、我がクラブを去ることとなった。

 いつか別離の日が来るのはわかっていた。そして、その日が少しずつ近づいているのは、最近の梁勇基のプレイを見ていれば、わかっていたことだ。残念ながら、最近の梁のプレイは、明らかに肉体的な衰えを感じさせるものだったのだから。
 今シーズン、ホーム最終戦の大分戦、2対0で迎えた88分、事実上勝利とJ1残留が近づいていた時間帯、梁は約3ヶ月振りに起用された。さらに翌週、J1残留が確定したリーグ最終戦の敵地広島戦、約5か月振りにスタメンで登場した。何かしら、最後の挨拶感が漂っていた。繰り返すが、その日が近づいていることはわかっていたのだ。
 そして、最終戦から3週間後、冒頭の契約満了が発表された。
 どんな特別な選手でも、いつかスパイクを脱ぐか、契約が折り合わなくなる日が来る。
 そして、今回の梁との別離は後者にあたる。「自分は現役としてプロサッカー選手の継続を望み、ベガルタが選手としての契約継続を望まなかった」と梁が明言しているのだ。
ベガルタからはありがたいお話もいただいたのですが、選手としてチャレンジしたいという思いが強く、このような形になりました。
 私は、この別離を素直に受け入れたいと思っている。ベガルタは、必ずしも潤沢とは言えない懐事情のクラブだ。そして、来シーズンの梁については、(格段の実績と貢献はあるものの)高額の年俸の価値がないと判断し、それを明確に伝えたわけだ。その正直な態度こそ、このベガルタ仙台クラブ史上最高のタレントへの誠意と言うものだろう。それに対し、現役続行を望んだのも、いかにも梁らしいと思う。これでよかったのだ。
 これでよかったのだ、と理屈では理解している。けれども、物事は理屈で捉えられるものではない。ユアテックスタジアムで、ベガルタゴールドを身にまとった梁の雄姿を見ることができない。そう考えるだけで、空虚感に胸が張り裂けそうになる。

 梁のことは幾度も書いてきた。例えばこれなのだが。そこで書いた梁の特長を抜粋したい。
梁の武器は、精度の高いプレースキック、豊富な運動量な事はよく知られている。けれども、いわゆるドリブルで敵を抜き去るような、瞬間的な速さは持っていない。だから、攻撃的MFとしての梁のプレイは常にシンプル。まじめに守備をして、マイボールになった時に素早く切り換え、速攻の起点となる。ハーフウェイライン前後でボールを受けてドリブルで前進したり、早々に敵DFの隙を見つけて裏を狙い後方からのロングボールを引き出したり。重要なのは、動きの質のよさと、ボールを受ける際のトラップの大きさと方向の適切さ。大向こう受けをするような派手な技巧はないが、プレイにミスが非常に少ない。これは丹念な反復練習の積み重ねと、しっかりとした集中力の賜物だろう。それが、そのまま、セットプレイの精度にもつながっている。
 ところが今期、特に夏場のチーム全体の不振を抜けた後の梁は、さらに一皮むけてくれた。それは、プレイの選択が実に適切になったのだ。前に飛び出すか、後方に引くべきかの、ボールの受けの位置の選択。ドリブルで前進するか、前線の赤嶺あたりに当てるべきかの選択。同サイドで突破を狙うか、逆サイドを使うかの選択。強引に速攻を狙うか、無理せず散らすべきかの選択。これらの選択が、格段に向上してきた。だから、ベガルタの速攻は(いや遅攻もですが)、格段に精度が向上してきた。言わば、梁は今期半ばあたりから、フィールド全体の俯瞰力が格段に向上してきたように思うのだ。
 豊富に動き、適切に位置取りしてよい体勢でボールを受け、丁寧にボールを扱い、最善の選択をして展開する。また往時には、決してスピードは格段ではないが、得意の間合いのドリブルで左サイドから敵ペナルティエリアに進出し、振りが早くて正確なインサイドキックで流し込むシュートが猛威を振るったのも忘れ難い。もちろん、セットプレイの正確さも言うまでもない、直接FKのみならず、精度の高いCKで、歓喜を幾度味わえたことか。まとめて語れば、サッカーの基本をただただひたすらに、的確に実現するのが梁の真骨頂だった。
 そして、ベガルタはこの全盛期の梁のリードの下、2011、12年と連続して上位進出に成功し、遂には13年シーズンのACLにも歩を進めることができた。当時、梁は29歳から31歳。正に全盛期だった。
 Jリーグの歴史を振り返っても、日本リーグ時代の基盤がほとんどないクラブが、ACLに進出したのは、この13年シーズンのベガルタを除けば、日本屈指のサッカーどころをホームとする清水エスパルスと、豊富なスポンサを抱え潤沢な経営資金を持つFC東京のみ。この時のベガルタの成果が、日本サッカー史においても屈指なものであることは言うまでもない。そして、その偉業の中心が、正に梁勇基だったのだ。

 もう1つ。梁は私たちに素敵な思い出を残してくれた。北朝鮮代表選手として、そう、梁は敵として、我々に恐怖味わわせてくれたのだ。2011年9月2日は、50年近い私のサポータ歴でも忘れ難い日だ。埼玉スタジアムに北朝鮮を迎えたワールドカップ予選、梁は我々の前に立ち塞がった。いつも私に最高の歓喜を提供してくれている梁が、自陣に向けて前進し、ミドルシュートを放ち、CKで蹴り込んでくる。人生最高の恐怖感だったかもしれない。
 いいですか。レッズサポータは福田正博の恐怖を、ガンバサポータは(完成後の)遠藤保仁の恐怖を、フロンターレサポータの皆さんは中村憲剛の恐怖を、それぞれ味わう事はできません。俺たちベガルタサポータだけが、自らの王様が提供する恐怖を感じることができたのだ。

 ベガルタは1994年に、前身の東北電力からプロを指向したクラブに転身した。90年代は、あまり愉快とは言い難い時代が続いたが、清水秀彦氏が監督に就任し見事な丁々発止でJ1に昇格し、02、03年はJ1で戦うことができた。しかし、自転車操業には限界がある、ベガルタは2シーズンしか、J1の地位を保つことができなかった。
 梁はJ2に降格した04年にベガルタに加入した。6年間のJ2生活、ベガルタは紆余曲折を経ながら、梁を軸にしたチームを作りでJ1再昇格を決めた。そして、気が付いてみたら、ベガルタも梁もその後10年間J1でプレイしたことになる。
 この10シーズンの間、ベガルタは手倉森氏と渡邉氏の采配で戦ってきた(短期的にアーノルド氏の時代があったけれど)。サッカーのやり方には、シーズンごとに違いはあるが、よい時のベガルタは、いずれの選手も生真面目に戦い、丁寧にプレイし、位置取りの修正を繰り返し、最後まであきらめない。このような戦い振りは、梁のプレイそのものだ。繰り返そう。25周年を迎えるクラブの歴史の中、梁はその後半16年ベガルタに在籍した。そして、気が付いてみたら、ベガルタと言うクラブの戦い振りそのものが、この梁と言うスタア選手のプレイ振りと一致している。梁はベガルタと共に成長し、ベガルタもまた梁と共に成長したのだ。
 その梁イズムは、ベガルタのトップチームにとどまらない。先日、あと一歩でプレミアリーグ入りを逃したベガルタユースの戦い振りは心打たれるものがあった。先日、全日本U-12選手権でベスト4に進出したベガルタジュニアの戦い振りは堂々たるものだった。いずれも各選手が知性と技巧と献身の限りを尽くして戦ってくれていた。梁がベガルタと共に築き上げてきた梁イズムは、若年層にまで引き継がれているのだ。
 以前、在日コリアンである慎武宏氏の「祖国と母国とフットボール」と言う本の書評を書いたことがある。その中で梁は以下のように述べてくれいた。
「監督、チームメート、サポーター。それに仙台在住の在日の方々も本当によくしてくれてる。(中略)そういう方々の支えがあって、今の自分がある。だから、僕は”大阪の梁勇基”でもなければ、”在日の梁勇基”でもない。”仙台の梁勇基”というのが一番ピンときますね。」
 梁勇基と言うサッカー人と、ベガルタ仙台と言うクラブが出会ったことは、本当に幸せなことだったのだ。そして、私たちは16年と言う月日を、梁勇基と共に、その幸せを味わいながら戦うことができた。今はただ、我々のために見せてくれた幾多の好プレイに感謝するのみ。16年間、どうもありがとうございました。
posted by 武藤文雄 at 14:12| Comment(1) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする