2018年09月30日

続シュミット・ダニエルの致命的ミス

 ベガルタは、敵地三ツ沢でマリノスに2対5で完敗。

 試合の流れはわかりやすかった。
 マリノスが最前線から質が高く厳しいプレスをしかけてくる。ベガルタはそれを抜け出せないことが多く、幾度も有効な攻撃を受ける。それでも、そのプレスを抜け出すのに成功すると、マリノスが前に人数をかけている分、後方は薄いから好機を作れる。
 そのような、流れが継続した前半、奥埜のクリアミスを拾った天野の見事なさばきから、山中に超弩級の左足段を食らい失点。その直後、上記の薄い守備をうまく突き人数をかけたパスワークから自殺点で同点に。しかし、ハーフウェイライン付近の争奪戦で前を向かれた仲川のスピードドリブルに富田がついていけず、大岩も軽い対応で股抜きされて、再度リードを奪われる。。
 後半開始早々、山中と天野の絶妙なワンツーからのクロスに、守備陣が完全にボールウォッチャになり、仲川にファーサイドのゴールエリア内に進出されてヘディングを決められ突き放される。ここまでの3失点は、いずれも連続攻撃で振り回されたと言うことではなく、ジワッと押し込まれ続け、守備時の対応にミスが出てのもの。サポータからすれば、いずれの失点も「もうひと踏ん張りしてよ」と言いたくなるものだったが、マリノスの長時間攻勢に当方守備陣が少しずつ疲労し集中を欠いたと言うことだろう。
 その後は、マリノスは後方を厚めにして速攻をしかけ、その第一波をベガルタがしのぐも、すぐに再度プレスをかけられ、得意の人数をかけてパスワークに持ち込めず、崩し切れない時間帯が継続。そうこうしているうちに、バックパスをシュミットが処理ミスをして、ウーゴ・ヴィエイラに奪われ3点差とされ勝負あり。ただ、以降の時間帯、守備ラインの選手達の押上が遅くなり、チームプレイがまったく機能しなくなったのは残念だった。まあ、選手達も機械ではなく人間だから…
 マリノスには、7月に8点とられて殲滅されたことがあったが、流れとしては同じような展開になってしまった。両チームとも、選手の配置、攻守の重点は異なるが、最近の欧州風の数的優位を確保するサッカーを狙っている。ベガルタとしては、、上記したジワッと押し込まれた影響と、山中、天野、仲川、ウーゴと言った選手の個人能力に、やられたこととなる。まあ、天皇杯は俺達が勝ったから、と強がりを言っておくことにしよう。
 ここに来ての2連敗は痛い。しかし、済んだことを嘆いていもしかたない。次節は難敵レッズ。ACLのためにも、何としても勝ち点3が欲しいところ。渡邉監督の修正に期待しよう。

 さて、本題のシュミット・ダニエル。
 上記4点目の失点場面。大岩からのバックパスを受け、プレスに来るウーゴをかわそうとして、ブロックされた上に、置いてきぼりを食らい、無人のゴールに決められてしまった。前節に続いて、言い訳の余地のないミス。ここで問題だったのは、かわそうとし損ねたボールコントロールのミスではなく、その前のプレイ。ウーゴのプレスはあったが、シュミットには十分時間的余裕があったから、前進してパスを受ければ、まったくフリーでボールを扱うことができる状況だった。グラウンダのパスを受けるために、パスコースに向かって進むのは、サッカーの基本中の基本。ところが、シュミットはこの場面、ウーゴのプレスを読み誤り前進を怠った。バックパスだったので、手で扱うことができないボールなので、ペナルティエリアに止まる優位はないのだから、前進しなかったことに言い訳の余地はない。
 余談ながら、DAZN実況の倉敷氏と福田氏が、このブロックを「間違いなくハンド」と言っていたが、ベガルタサポータの私の目から見ても、これはハンドではないと思う。だって、ウーゴは手を胸にしっかりとつけていたところに、シュミットが蹴ったボールが当たったのだから、どう考えてもウーゴは意図的に手を使っていない。この試合、その他の場面でも両氏の審判団批判、それも何かマリノスに有利な判定をしている趣旨の発言が多かった。しかし、完敗したベガルタサポートの目からみても、これらの批判は疑問だった。たとえば、仲川の3点目をオフサイドの可能性を示唆していたが、映像を見た限り、とてもではないがオフサイドには見えなかった。また主審が、中盤戦でベガルタのファウルを取り過ぎる、インテンシティの高いプレイをするためには不適切との発言も目立った。しかし、この日の主審の笛は、接触プレイにやや厳し目だったたが、基準は明確だった。ベガルタは中盤で激しいプレスをかけるやり方をしているだけに、笛への対応に苦慮していたのは確かだが、それはマリノスも同じこと。マリノスと比較して、ベガルタの選手達の判定基準への対応が下手だっただけだ。もちろん、後半右サイド明らかなベガルタボールのスローインを見損ねたこと、最後のベガルタのPK(笑)はミスジャッジだった思うけれど。もしかしたら、主審の笛にうまく順応できず、いらだつベガルタの選手達を見た、我らが黄金のサポータたちのブーイングなどの不平不満に、両氏は引っ張られたのかもしれないな(笑)。
 実は3点目時にも、目立たないが、シュミットはミスをしている。右サイドを、天野と山中のワンツーで崩され、山中がクロスを上げた場面、シュミットは一度そのクロスを取りに行ったが、取れずと判断してゴールラインに戻りながら対応、結果的に仲川のヘッドへのセーブが間に合わなかった。直接的失点要因は、仲川の進出を放置し誰もマークしなかったベガルタDF陣の対応であり、もしシュミットがクロスを取りに出なくとも、決められていた可能性は高い。しかし、ミスはミスである。
 先ほど、解説の福田氏を批判したが、私が「福田氏の言う通り」と同意したこともあった。前半、ベガルタ陣35mくらいの直接FK、山中が直接狙ってきた低い弾道の一撃が、ポストを掠めた場面。シュートは壁に入った富田と阿部(だったと思った)の間を抜けてしまった、壁が役割を果たさなかったのだ。その時に福田氏は、「これはシュミットは怒らなければいけない」と言っていたが、その通りだ。もっと、守備陣とのコミュニケーションを豊かにしてもらわなければ、よい守備網を築けない。
 と、マリノス戦のシュミットには不平不満山積である。そして、2節続けて決定的なミスで失点に絡んでしまったことは重い。

 けれども。
 上記した場面を除くと、シュミットは再三マリノスの鋭いシュートを押さえてくれた。特に先制される前のウーゴのシュートへの反応などすばらしかった。鋭いシュートを確実にキャッチすること、キャッチできないボールをはじく方向など、いわゆるシュートへの対応は、着実に進歩をしている。大柄なゴールキーパにありがちな、低いシュートへの対応への課題は払拭しつつあると見てよいだろう。だからこそ、持ち味の高さと守備範囲の広さを、もっと活かせる段階にきたはずだ。
 先週も述べたが、2022年に、欧州、南米の列強に我々が打ち勝とうとするためには、守備範囲が広くペナルティエリアを完全に制圧し、最後方から正確な組み立てをするゴールキーパが必要だ。その理想像に、シュミットは近い存在の1人であることは間違いない。そして、そのために、シュミットには日々「前進するプレイ、飛び出すプレイ」を成功できる選手となるように、努力を積み上げて欲しいのだ。先日の日本代表選考で、シュミットはそこに向けての意識を持ってくれたのだろう、それが故の前向きのミスが続いていると、信じている。
posted by 武藤文雄 at 15:18| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月23日

シュミット・ダニエルの致命的ミス

 それは79分のことだった。
 ハーフウェイラインからややベガルタ陣に入ったところで、長崎に与えたFK。
 長崎FWファンマに合わせたクロスに、果敢に飛び出した仙台GKシュミット・ダニエル。しかし、ボールに触ることができず、こぼれたボールを長崎澤田に無人のゴールに決められてしまった。
 言い訳のしようがない、シュミットのミス。ここまでの時間帯、丁寧に攻め込み、幾度も決定機をつかみながら、長崎の粘り強い守備をどうしても崩せなかったベガルタとしては、本当に痛い失点となった。その後、梁勇基とハーフナーを投入し、猛攻をしかけるが、逆に攻撃が単調になったきらいもあり、崩し切れず。
 ベガルタにとっては、この敗戦は、歴史的な痛恨となるかもしれない。丁寧に勝ち点を積み上げ、ようやくACL出場権が現実的なものになってきた矢先の勝ち点ゼロだからだ。このシュミットのミスにより、来年のACLを失ったかもしれない。

 ともあれ、ベガルタの試合内容はよかった。
 前半から、ここに来てしっかりとチームの基軸となった速いパスワークから、両翼に基点を作り好機を幾度か作る。そのため、後方を厚くした長崎に対して、最終ラインから精度の高いロングボールを入れることで、長崎の中盤選手を押し下げる。結果、はね返されたボールを、奥埜や富田がきっちり拾い分厚い攻撃を続ける。
 ただ、長崎高木監督は、しっかりベガルタの弱点を狙っていた。ベガルタの攻勢をはね返したボールが、(ベガルタから見て)左サイドに流れると、いずれの選手も板倉の軽い当たりを突き、そこから速攻をしかける。しかし、ここ数試合でベガルタの危機管理は見違えるほど充実している。全選手の帰陣も早く、シュミットの落ち着いた位置取りもあり、しっかりと押さえる。
 そして後半に入り、ベガルタはさらに攻め込む。野津田の展開と、奥埜の押し上げ。中野を関口に替えて投入し、蜂須賀との両翼攻撃が圧力を増す。それでも決められないまま、終盤を迎え、最後の10分でどう崩すかと言う場面での、冒頭の失点…
 シュミットの失態を別にすれば、この試合の反省点はハーフナーの活かし方。空中戦の強さが格段のこのシュータをトップに入れた際の、両翼の崩しや、他の選手の入り方が、まだまだ洗練されていない。ベガルタは、最前線の選手にも、高度な守備判断を求めるサッカーを行っている。そのため、シーズン途中に加入したハーフナーは、どうしてもスタメン起用ではなく、終盤どうしても点を取りたい場面に限定される。ために、ハーフナーの出場時間は限定され、中々連携が成熟してこないのが悩みだ。あと9試合でどこまで、この連携を高めていくか。

 済んだことはしかたがない。冒頭に、敢えて重苦しい表現をとったが、私は悲観していない。
 ここまで質の高いサッカーをできるようになってきたのだ。上記した板倉の軽率さや、ハーフナーの使い方の改善を含め、連携を洗練させ、攻撃に変化を加え、守備の粘り強さを高める。全選手が、いっそうの努力を重ねれば、2度目のACLは自然と我々の手に入るはずだ。

 で、シュミット・ダニエル。
 ベガルタサポータとしては、過去もシュミットのミスを嘆息したこともあった。また、ベガルタには、キーパとしては小柄ながら、堅実に実力を積み重ねてきた関と言うすばらしい選手もおり、毎シーズンシュミットと激しい定位置争いを演じてきた。そして、シュミットは、ここに来てベガルタの定位置を確保し、控えとは言え代表にも選考された。2m近い長躯、左右で蹴ることができる正確なキック、敵FWのプレスをかわせる技巧、シュミットには世界トップレベルのキーパに近づける、いや追いつける、あるいは追い越せる?素質はある。
 シュミットが、2022年ベスト8以上を目指す日本代表の正ゴールキーパを目指そうと言うならば、あのクロスに飛び出し、しっかりはね返せる選手にならなければならない。そして、そう言ったレベルのキーパになるためには、それなりの失敗経験は必要だろう。ベガルタサポータにとしては、この長崎戦の悔しい敗戦は、2022年日本のゴールを守るシュミットを楽しむための、高い授業料だったと理解したい。
 シュミットはこの日のミスをしっかり反省するのは当然だ。しかし、反省して、このクロスに飛び出さなくなったら意味はない。今後も、このようなクロスには飛び出し、確実にはね返すキーパにならなければいけない。ノイヤーや、ロリスや、クルトワのように。そして、2022年の歓喜のために。
posted by 武藤文雄 at 00:13| Comment(1) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月03日

李承佑の才気 −アジア大会2018準優勝−

 延長前半3分のことだった。左サイドから強引に切り込む孫興慜に対し、日本のDF陣は慎重に間を測る。孫興慜がもうワンタッチしようとした直前、突然中央から進出した李承佑が孫興慜からボールをかっさらう形でダイレクトで左足で強シュート。孫の動きに集中していた日本DF陣はブロックすらできず、好セーブを続けていた日本GK小島の反応も遅れ、ボールはネットを揺らした。
 日本のDF陣も、孫興慜がシュートに持ち込もうとするフェイントから、ラストパスを狙うことは予測の1つに入れていたはずだ。しかし、大エースのドリブルを強引に奪って,、別な選手がダイレクトシュートを狙うとは。日本守備陣はもちろん、孫興慜を含めた韓国選手たちも、李承佑を除いては誰もが予測だにしていなかった。正に見事なアイデア、完全にやられてしまった。あんな攻撃をされたら、世界のどのようなチームの守備網でも崩されてしまうだろう。いったい、李承佑はいつどのようなタイミングであのシュートを発想したのだろうか。
 それまでの90分+αを、韓国は個人個人の1対1の強さの差で、日本を押し込んでいた。けれども、フィニッシュが単調なこともあり、日本は粘り強く守っていた。特に、後半半ば以降は、韓国にも攻め疲れが見受けられ、日本も散発的に好機をつかめるようになってきた。たまらず、韓国の金鶴範監督は、この日ベンチに置いていた李承佑を起用するが、チーム全体に疲労感が漂っており効果的な攻撃にはつながらず、試合は延長戦へと進んだ。日本のねらい通りだったのだが。

 毎回のことだが、日本はこの大会に次回五輪用の年齢的にも若いチームで臨んでいる。さらに、シーズン真っ最中と言う悪条件が重なり、各クラブからは1名のみ選考。しかも、直前まで各選手はリーグ戦を戦っているだけに、準備合宿もままならなず、戦いながら、体調も連係も整えていく必要がある。
 1次ラウンドでは、真っ当な連係にほど遠い状態のチームで、どうなることかと思わせた。けれども、2次ラウンドに入り、状況は格段に改善。少しずつ連係も充実。チーム全体として守備をしっかり固め、苦しい場面は我慢を重ね、後半に敵の隙を突きリードを奪い勝ち切る堅実な戦いで、決勝進出に成功した。
 ただ、決勝戦のチームは満身創痍だった。上記延長で先制された時間帯も、フレッシュな交替選手を起用したいところだったが、森保監督はギリギリまで交替に消極的だった。これは、負傷や体調不良で使えない選手もいたのみならず、準決勝まであまり戦術的に機能しない選手もいたためだったようだ。
 優勝できなかったのは残念だが、日本好素材の若者たちが、年齢的に上の韓国に苦杯すると言う、願ってもない失敗経験を積むことができたのだ。いや、単なる失敗経験にはとどまらない。あそこまで粘り抜いたことで、あの李承佑の神業ゴールを呼び込んだのだ。小島も立田も原も板倉も、あの神業をどうやったら防げたか、今後のサッカー人生で悩みぬき、糧としてくれることだろう。これ以上何を望むと言うのだ。
 各選手にもよい経験になった。森保氏も五輪の準備を進めることができた。我々サポータもよい試合を多数楽しめた。と考えると、とてもよい大会だった。めでたし、めだたし。

 などと冷静に考えれらるわけないだろう。
 一両日たった今でも、李承佑に、完璧な才気を見せつけられた悔しさから脱することはできない。この若者は、弱冠20歳と言う。今後も我々を悩ませる厄介な存在になっていくことだろう。
 板倉よ。「李承佑にやられた決勝戦」の悔しさを忘れるな。
posted by 武藤文雄 at 23:16| Comment(0) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月02日

西村拓真CSKAモスクワに移籍

 ベガルタの若き中心選手、西村拓真がCSKAモスクワに移籍した。まずは、3年半の間、我がクラブのために献身的なプレイを継続し、時に大きな歓喜を提供してくれたこの若者に、感謝の言葉をささげたい。ありがとうございました。

 西村不在となる初めての試合、ベガルタは苦労しながら、エスパルスを下し勝ち点3を獲得、暫定順位を5位まで上げ、試合後挨拶をした西村を心地よく送り出すことに成功した。これで、3位までに与えられるACL出場も視野に入ってきたのだから、結構なことだ。
 ただし、試合内容は苦しいものだった。前半から、ここ1か月の間フル回転してきた富田、奥埜の動きに切れがなく、1対1の競り合い(いわゆるデュエル)で後手を踏むことが多い。そのため、チーム全体として、ボールを奪われた後のボール奪取に失敗し、幾度も速攻や連続攻撃を許す苦しい展開が続いた。それでも、復帰初戦となる野津田のCKを大岩が決めて先制に成功。
 しかし、後半も類似の展開が継続、ベガルタ守備陣がはね返したボールを、負傷上がりの阿部が落ち着けられずに許した連続攻撃から、ドゥグラスに打点の高いヘディングで決められてしまう(ここはマークしていた椎橋にもう一工夫欲しいところだったのだが、まああれだけよいボールが来てしまうと仕方がないか)。
 その後、中野を投入し、攻勢をとる。エスパルスは日程の不運もあり、中2日ゆえ、次第に各選手が明らかに消耗しているのが目につき始めるが、ベガルタは崩し切れない。それでも、ベガルタは終盤起用した大ベテランの梁が丁寧なボール回しを継続、そして、アディショナルタイムに、蜂須賀の逆サイド展開を、中野が頭で折り返し、中央飛び込んだ石原のダイビングヘッドで決勝点。美しく感動的な得点だった。
 最近の試合では、流れが悪い時間帯は、西村の単身ドリブルによる前進でペースを取り戻すことが多かったが、その西村が不在となる初めての試合で、ゆっくりした丁寧な展開で、試合終盤に相手を崩し切れたことはとても重要だ。西村に対して、「お前がいなくても、俺たちは問題なくやれるよ」と伝えて、送り出すことができたことになるのだし。

 ともあれ。送り出す方は何とかなるにしても、送り出される方はいかがか。私からすれば、心配山積である。
 CSKAモスクワは、まごうことなき、ロシアの伝統的なトップクラブ。ここでプレイしたと言えば、言うまでもなく本田圭佑であるが、本田はCSKAに移籍した2010年には、既にオランダで相応な実績を上げ、代表でもほぼ定位置を確保していた。日本人選手が現在所属するクラブで、CSKAに一番ランク的に近いのは、長友佑都が所属するトルコのガラタサライあたりに思う。8年前の本田にせよ、今の長友にせよ、西村からすれば、はるかかなた格上の存在なのは言うまでもない。まだ一度のA代表経験も、いや若年層代表の経験すらない若者が、定位置争いに加われるものなのだろうか。
 また、ロシアと言う国には、言葉の問題も大きい。英語が通じる場所が限定的のみならず、キリル文字は読むのも難しい。モスクワのような大都市でも、庶民が通うレストランのメニューのほとんどはキリル文字。プライベートな時間に、西村は食事をとるのも簡単ではない国で、働くことになるのだ。極東の島国からやってくる若い選手に、CSKAがどのような通訳を含めたサポートを提供してくれるのだろうか。
 そもそも、西村が強力なFWとして、Jで評価されるようになったのも今シーズンから。昨シーズンは、ナビスコでニューヒーロー賞を獲得したが、若手期待のFWがようやく常時試合に出るようになったと言う段階。そして、今シーズンは完全に中心選手の座を確保し、継続的な活躍をしてくれるようになった。けれども、まだまだ課題は山積。シュートを打てる場所にいるのに味方へのパスを選択してしまうこともある。ドリブルで完全に抜け出したGKとの1対1でのシュートの精度も改善の余地が多い。また、時々ファーストタッチを雑にしてしまい、味方の速攻の好機を台無しにしてしまうのも散見される。加えて、格段の俊足とか長身とか技巧とか目に見える明確な武器があるわけでもない。このような選手が、ロシアのトップクラブで、すぐに活躍できるのだろうか。

 一方で、西村の何がよいかと言うと、ボールを受ける位置取りのうまさと、長駆した後にもう一仕事できる点だ。
 西村はベガルタでは、トップ、シャドー、インサイドMFのいずれかで起用されてきた。ポジションにより、守備のタスクは異なるが、これら異なるタスクをしっかりとこなした上で、マイボールとなるや否や、いわゆる質の高いオフザボールの動きで、敵DFやMFの間隙で斜め前を向いてボールを受けられる位置にすぐ入る。この攻撃に転じたときの位置取りと身体の向きが非常によいのだ。
 また、今シーズン得点を重ねているのも、ゴール前に入る位置取りのよさがポイントになっている。特にここ2カ月は、チームメートがラストパスを狙うタイミングを計ったかのようなタイミングで、敵DFよりわずかに早く核心的な場所に加速して入るのが、実にうまくなった。なので、センタリングに合わせたダイレクトシュートや、思い切りのよい反転シュートが、再三ネットを揺らすようにになってきたのだ。
 さらに、脚力も魅力的だ。ハーフウェイライン手前あたりで、よい位置取りでボールを受けるや、そのまま高速ドリブルで30m程度の前進後、またぎなどの大きなフェイントから突破をこなせる。長い距離を走った後に、俊敏性を活かすもう一仕事ができるのだ。
 これらを考慮すると、西村と言う選手は、欧州のある程度のレベルのクラブにとっても、使い勝手がよいように思うのだ。与えられた守備のタスクを如才なくこなし、ボールを奪うやよい位置取りが可能、長駆をいとわずボールを運び、ペナルティエリア内で敵が嫌がる場所に進出できる。監督の意図さえ理解できれば、試合出場の機会は比較的早くやってくるのではないか。CSKAのようなレベルのクラブは、選手に対する個人戦術の要求レベルは、それなりに高いはずで、西村の特長はその高い戦術レベル対応できそうなところにある。そのうえで、まだ課題が残っているファーストタッチや、ドリブルシュートや、プレイ選択を、すこしずつ改善していければ。そして、西村は、この3年半、ベガルタでそうやって個人技術を少しずつ磨いて今日の地位をつかんだのだ。いま私が述べた西村の長所に、CSKAが目をつけてくれたのだとしたら、すばらしいのですけれども。
 、欧州の中堅どころのクラブは技巧に優れた選手を確保しづらいので、日本の若い攻撃タレントが、重宝されてすぐに起用されるケースをよく聞く。古くは中田英寿や中村俊輔であり、最近では久保裕也や堂安律がそう言った好例に思う。それに対して、その国のトップチームの場合、比較的タレントを集めやすいこともあり、相当レベルの高い日本人選手でも出場機会を得られないこともある、たとえばバーゼルにおける柿谷曜一朗が、そのような不運と遭遇したと思っている。
 まあ、ベガルタサポータの贔屓目かもしれないけれどもね。

 この西村の移籍劇で、ベガルタサポータの私は、またサッカーの新しい楽しみを得ることができた。
 海外のクラブの映像を丁寧に追いかけたいと言う思いを抱くのは、カズがジェノアに、あるいは中田がペルージャに、それぞれ移籍して以来だろうか。いや、西村がCSKAで定位置を確保し、さらなる上を目指すようになり、現地でベガルタゴールドをまといながら応援できたら、どんなに素敵だろうか。いや、日の丸とヤタガラスを胸にした西村がワールドカップ本大会で躍動する姿を見ることができたら。
 決して簡単な道ではないけれど、愛するクラブの若き選手が、自らの努力で新たな道を開拓してくれた。おめでたいことだ。西村拓真の成功を切に祈るものである。
posted by 武藤文雄 at 17:46| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月15日

決勝戦を前に

 決勝戦はフランス対クロアチア。
 ワールドカップを堪能し始めてから、12回目のロシア大会。決勝戦を直前に控え、過去の大会とは異なる思いを抱いている。それは、参加したと言う当事者意識、言い換えると悔しさと言うか心の重さが、過去の大会以上なのだ。言うまでもなく、今大会の我々は、従来以上純粋に列強の一角として戦うことに成功したからだ。

 10年南アフリカ大会も悪くはなかった。けれども、1次ラウンドで当たった(後に準優勝する)オランダには0対1の完敗、パラグアイの死闘は中々のものだったが、試合内容で他国の方々に決定的な印象を与えることはできなかった。 02年日韓大会では、地元大会ゆえ1次ラウンドの相手に恵まれた感があり(いま、思うとベルギーとロシアと同じグループだったのは、今大会を考えると感慨深いが)、敗退したトルコ戦も、何か消化不良感のある試合だった。
 けれども、今回は違う。戦闘能力差を見せつけられたのは事実だが、ベルギーに対しできる限りの抵抗を行い、日本独自のサッカーは、世界の人に大きな印象を与えたはずだ。だからこそ、準々決勝以降を観戦する際は、常に悔しさを感じながらのテレビ桟敷となった。もちろんね、もしあれ以上の幸運に恵まれ、アザール達に絶望感を味合わせることができたとしても、その後セレソン、レブルーと、新たな高い壁が次々に襲いかかってきたのだけれどもね。
 でも、こんな思いを持ちながら、堪能できる決勝戦は初めてだ。私は素直にその感情を楽しみたいと思っている。

 フランス。
 98年に地元大会で初優勝して以降、3回目の決勝進出。言うまでもないサッカー大国の1つだが、この国は70年代までは、サッカー界で大きな地位は占めていなかった。もっとも、58年大会でコパやフォンティーヌの活躍で準決勝で若きペレがいたブラジルに粉砕されるも、攻撃的なサッカーで3位となっていたと言うが、さすがに映像も何も見たことがないので。
 けれども、78年大会、若きプラティニ将軍を軸に久々に本大会出場(イタリアと地元アルゼンチンに惜敗し1次ラウンド敗退)すると、欧州屈指の強豪となる。そして、84年圧倒的な強さで欧州選手権を制覇、前後の82年、86年ワールドカップは、2回とも準決勝で西ドイツに踏みつぶされ、どうしても決勝に出ることができなかったが、特に86年の準々決勝ブラジル戦(PK戦でフランスが勝利)は、今なお史上最高の試合とも言われている。
 プラティニ以降も、90年代前半には、パパン、カントナとスーパースタアを輩出しながらも、代表はよい成績を収められない。プラティニ監督が率いた92年欧州選手権は大会前本命の一角と言われるも1次ラウンド敗退、94年USAワールドカップ予選は、最後の2試合で勝ち点1を奪えず、出場権獲得を失敗。当時の我々のドーハの悲劇が霞むような、大悲劇を演じる。余談ながら、94年のキリンカップはフランスを招待。世界25位決定戦(当時のワールドカップ出場国は24だった)と盛り上がったらが、パパンとカントナに1対4と粉砕されたのは懐かしい。
 そして98年地元大会では、カントナなどのベテランを外し、テュラム、デザイイ、ブラン、リザラスと言った歴史的な強力4DFの前に、闘将デシャン(現監督を並べる守備ラインが秀逸。その前に、若きジダンを配する布陣。サッカー的には地味で堅実なチームだったが、各種の幸運をしっかり手にして世界チャンピオンに。ただ、このチームは2年後の欧州選手権の方が強かった。98年には最前線でウロウロしているだけだったアンリが、大化けしたからだ。翌01年春先、親善試合で手合わせいただいたところ、重馬場に加え、開始早々の楢崎と松田直樹のミスで、0対5とボロボロにされてしまった。当時はアジアカップを圧倒的に制覇した直後だっただけに、試合前にユーラシア王者決定戦などとはしゃいでいたのが懐かしいな。もっとも、その前後のモロッコでのハッサン2世杯(2対2からPK負け)やコンフェデ決勝(0対1の負けでは、それなりの試合を演じたのだが。
 大会前は優勝候補筆頭とも騒がれた02年はジダンの負傷で早期敗退。、06年は大会当初不振を伝えられていたジダンが、大会途中から輝きを放ち、ブラジル、ポルトガルを撃破して決勝に。ジダン対カンナバーロと言う、サッカー史に残る矛盾対決を演じ、あの延長戦で…
 ジダン以降は若干低落傾向があったが、それは無理なきこと。12年10月にはパリの親善試合で、押されっぱなしながら粘り強く守り、終盤の逆襲から虎の子の1点を奪い勝ち切ったこともあったな。ザッケローニ氏采配が冴え渡っていた頃だ。その後、グリーズマンと言う新しいスタアを軸に、16年の地元開催欧州選手権では準優勝。そこに、エンバペが加わり、バランスのとれた強チームで優勝をねらえるところまできた。実際、ロリス、ヴァラン、ウムティティ、ボクバ、カンテで固める守備、グリースマンの才気に加えてエンバペの個人能力、そしてジルーの献身。00年に欧州を制覇したとき以来の強チームができあがりつつあるようにも思えてくる。
 フランスは強い。
 
 クロアチア。
 98年に我々が初出場した折に、1次ラウンドで同じグループになったとろで、「初出場同士」との少々残念な表現を目にすることがあった。もちろん、クロアチアと言う国で出るのは初めてだったが、この国(と言うか地域)の前身のユーゴスラビアは東欧のサッカー強国だったのは言うまでもない。ただ、いわゆる旧ユーゴスラビアと日本のチームはあまり交流はなかった。ただし、64年東京五輪の準々決勝敗退国同士の大会で対戦、1対6で完敗している。うち2失点を決めたのは、イビチャ・オシムと言う選手だった。
 70年代以降、ユーゴスラビアは常に東欧の強豪と言われ、74年、82年のワールドカップ、76年、84年の欧州選手権それぞれに出場、本大会前に上位進出が予想されながら勝ち切れない位置どころだった。その流れを打ち破ったのが、90年イタリアワールドカップ。イビチャ・オシム監督に率いられたユーゴスラビアは、準々決勝で退場者を出し10人になりながら、再三アルゼンチンゴールを脅かし、最後はPK戦で散る。攻撃の中心は若きピクシー、ストイコビッチ。そして、プロシネツキ、ヤルニ、シュケルと言った、後日クロアチア代表として活躍する選手もメンバに入っていた。そして、92年欧州選手権は優勝候補と言われながら、始まった内戦により出場停止処分。そして、ユーゴスラビアと言う国は、いくつかの小国に分離されていく。
 そして98年フランス。初出場の我々はアルゼンチンに0対1で敗れた後に、クロアチアと対戦する。灼熱のナントで行われた試合は、予想外にクロアチアが守備を固め速攻を狙ってきた。クロアチアは大エースのシュケルにいかに点を取らせるか、一方我々は全盛期を迎えていた井原正巳が最終ラインでいかに敵の攻撃を止めるかが、それぞれテーマのチームだった。この2人を軸にした両国の壮大な対決は、シュケルに軍配が上がる。77分、中盤で中田と山口の軽いプレイからボールを奪われ、その第一波を井原が防ぐもまた拾われ、さらにシュケルをマークしていた中西が敵にアプローチを妨害されたところで、シュケルに反転シュートを決められたのだ。当時レアル・マドリードで試合出場機会を減らしていたシュケルは、この一撃で調子を取り戻し得点王に、そしてクロアチアもベスト4に駆け上がっていく。前半日本は、相馬や中山が決定機をつかむなど、それなりの抵抗はできていたのだが、チームとしての戦闘能力には格段の差があったのも確かだった。
 06年ドイツでも、1次ラウンドで日本はクロアチアと同じグループとなる。両国とも初戦を落としての戦いとなったが、前半主将宮本がブルゾのドリブルに対応しきれずPKを提供するが、スルナのキックを川口が防ぐ。後半、加地の突破から柳沢が決定機をつかむものの決められず、0対0の同点に終わってしまう。その後クロアチアは最終戦で豪州に勝てば2次ラウンド進出だったが、2回リードを奪うも追いつかれ敗退する。最終戦ブラジルに完敗した日本と合わせ、両国とも不完全燃焼気味の敗退劇となった。
 その後世代交代で今一歩の成績だったクロアチアだが、モドリッチ、ラキティッチ、マンジュキッチらが台頭、16年の欧州選手権では上位進出も期待されたが、2次ラウンド1回戦、ポルトガル相手に圧倒的攻勢をとりながら、どうしても1点が奪えない。延長終了間際、勝負どころで猛攻をしかけたところで、クリスティアーノ・ロナウドを起点とする逆襲速攻を許し失点。またも上位進出はならなかった。
 そして、迎えた本大会。正に全盛期、世界最高のMFと言っても過言ではないモドリッチを軸に、戦闘能力では大会屈指であることは、誰もがわかっていたが、勝利の経験に欠ける点のみが不安視されていた。しかし、いきなり1次ラウンドはアルゼンチンへの完勝を含む3連勝。そして、2次ラウンドに入ってからは、毎試合のように前半序盤に失点しながら、モドリッチを軸に慌てずに両翼から攻め込み、驚異的な勝負強さを発揮し、とうとう決勝まで駆け上がってきた。
 クロアチアは粘る。

 この決勝戦。常識的に考えればフランスが優位だろう。フランスは2次ラウンドの3試合をすべて90分で終え、さらに準決勝から中4日。、クロアチアは3試合すべて延長120分を戦い、準決勝からは中3日。クロアチアはモスクワからの移動がなかったところだけは有利だが、コンデイション面ではフランスが有利としか思えない。
 ただし、フランスの最大の強みは、ボクバ、カンテの強力な中盤にあり、アルゼンチンもウルグアイも、そしてアザールを擁するベルギーも、そのプレッシャから円滑に抜け出し、攻撃を組み立てるのに苦労していた。しかし、クロアチアにはモドリッチがいる。モドリッチならば、ボクバやカンテが中盤で寄せてくる前に、左右に展開することが可能にも思える。もちろん両翼から崩されても、ヴァランを軸とする守備はそう簡単に崩れないだろう。しかし、クロアチアは両翼から執拗に攻め込んで最後崩し切って、ここまで来たチーム。グリーズマンを軸とする攻撃が、クロアチアの堅陣を崩せないまま時計が回ると、試合は相当もつれていくことだろう。
 デシャン氏は、そのことがわかっているだろうから、カンテのポジションを前に上げ、モドリッチを止めようとする選択肢もあり得る。けれども、ここまでうまく行ってきたチームのバランスを崩巣と言うリスクを冒そうとするだろうか。デシャン氏にとっては、試合前から優位を伝えられているだけに、難しい試合となりそうだ。
 おもしろい決勝戦を期待したい。

 私は、クロアチアを応援する。理由は簡単、ワールドカップを見始めたころのアイドルだったクライフに、ちょっと風貌が似ているモドリッチが大好きなので。
 冒頭述べた通り、44年間のワールドカップ体験で初めての、悔しい思いを抱きながら臨む決勝戦だ。どのような体験ができるだろうか。
posted by 武藤文雄 at 23:47| Comment(1) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月08日

でも、勝ちたかった

 私は、CKを蹴る本田圭祐のはるか後方2階席にいた。
 本田のキックがやや甘く、ベルギーGKクルトワが飛び出し、パンチングではなく、キャッチしようとする体勢なのがよく見えた。クルトワが捕球する直前、聞こえるわけがないが、私は絶叫した。
「切り替えろ!」
 日本の選手達も同じ考えなのはよくわかった。しかし、赤いユニフォームの切替が、青い我々の戦士よりも、コンマ5秒ほど早いのも、よく見えた。その約10秒後、反対側のゴールで、若い頃からの夢が完全に実現するのを目の当たりにすることになる。そして、このコンマ5秒差こそ、ここ25年間ずっと抱き続けてきた「近づけば近づくほど、具体化されてくる差」そのものだったのだ。

 私のワールドカップリアルタイム?経験(実際には1日半遅れの新聞報道をワクワクして待って行間を夢見る日々だったが)は、クライフとベッケンバウアの西ドイツ大会から。大会終了後、サッカーマガジンとイレブンを暗記するまで読み込んだ折に、「4年前の70年大会はもっとすごかった」との報道を目にした。そこで、図書館に行き、70年当時の各新聞の縮刷版を調べることとした。そこで、知ったのは準決勝のイタリア対西ドイツの死闘。子供心にも思いましたよ。「いつか、このワールドカップに出る日本代表を見たい、そしてこのような死闘を演じるのを見たい」と。
 それから20余年、マラヤ半島の先端ジョホールバルと言う都市で夢は叶った。ただし、日本が、イタリア対西ドイツを演じることは中々難しかった。8年前、南アフリカでのパラグアイ戦は、それに近い戦いだった。ただ、相手が世界のトップと言えるかと言うと少々微妙だった。けれども、今回のベルギーは正に世界のトップレベル、優勝経験こそないが、プレミアリーグのエースクラスがズラリと並び、80年代は欧州でも最強クラスの実績を誇っていた歴史もある。そして、このロストフ・ナ・デヌと言うアゾフ海そばの美しい都市で、私の子供の頃からの夢は叶ったのだ。ワールドカップ本大会で、大会屈指の強国と丁々発止をすると言う夢が。
 本稿では、あの絶望的な最後の10秒間を含めた約95分間の至福の時間を、40余年のサッカー狂人生と共に振り返りたい。なお、ハリルホジッチ氏だったならば論と、西野氏への土下座については、別に書く。本稿は、あくまでも、あの試合への感情を吐露するまで。

 あのコンマ5秒差。これが、戦闘能力差、実力差なのだ。
 試合後、結果を見て、本田はコーナキックをもっとゆっくり蹴って時間を稼ぐべきだったとか、トップスピードでドリブルしてくるデ・ブライネを止められなかった山口蛍を責めるなどの議論があるようだ。
 あの時間帯でゆっくりCKを蹴ろうとすれば、主審がタイムアップの笛を吹くケースは結構ある。大昔だが、78年ワールドカップ1次ラウンドのブラジル対スウェーデンでアディショナルタイムにネリーニョのCKをジーコがヘディングで決めたが、キックの前に主審が試合終了の笛を鳴らしノーゴールとなったことがあった。最近でも、09年の南アフリカ予選、敵地ブリスベンの豪州戦で、当の本田がゴール前の直接狙えるFKに時間をかけ過ぎて蹴らせてもらえなかったことは、どなたもご記憶だろう。
 直前の本田の直接FKはすばらしい弾道を描いたが、クルトワに防がれた(何か、本田の有効な直接FKは、南アフリカデンマーク戦以来8年ぶりではないかとの感慨もあったが)。その直後のCKである。残り時間僅かな中、ベルギーにイヤな印象を与えているこのCKで難敵ベルギーを崩そうと言う考えは実に真っ当なものだ。しかし、「崩そう」からの切り替える早さで、完全にベルギーにやられてしまった。これは上記した通り、戦闘能力差、実力差なのだ、駆け引きの差ではない。日本の選手も、それなりに反応していたのだ。でも、どうしようもない差だった。
 勝負はデ・ブライネが完全に加速した時についていたのだ。あの加速し、さらに3方向にパスコースを持つデ・ブライネを、どうやって蛍に止めろと言うのか。カゼミーロならば、あるいは往年のフォクツや、当時のルールのジェンチーレや、昔年のドゥンガや、全盛期のマスケラーノや、もしかしたら今日のカゼミーロならば対応可能だったかもしれないが。いや、カンナバーロならば確実に止めていたかな。さらに蛍がファウル覚悟で対しても、あの加速は止まらなかったかもしれない。さらに、あそこで蛍が退場になったら10人で残り30分をあのベルギーと戦わなければならない。そして、残念なことに、蛍はマスケラーノでもカゼミーロでもない。できる範囲で、ディレイを試みた蛍は、正しかったのだ。それにしても純正ストライカのルカクがあそこでスルーをするとは。
 今の日本選手は、過去になく多くが欧州五大リーグ、あるいはそれに順ずるリーグの各チームで、中心選手として活躍している。欧州で実績を挙げながら、今回23人に残れなかった選手も多い。過去、ここまで多くの選手が欧州で評価された時代はなかった。それが今大会の好成績につながったのは間違いないだろう。けれども、残念ながら、欧州チャンピオンズリーグの上位常連クラブ(いわゆるメガクラブ)で中心選手となった、いや定位置をつかんだ選手はまだいない。一方、ベルギー代表はプレミア選抜のようなものだから。その差が出たとしか言いようのない10余秒だったのだ。
 ついでに言うと、今の日本選手では、あのような長駆型速攻は難しいようにも思っている。日本では、5から10mのごく短い距離のダッシュが得意な選手は多いが、数10mの距離は必ずしも速くない選手が多いからだ。もちろん、例外はあり、かつての岡野や最近の永井謙祐のようなタレントもいることはいるのだが。
 まったくの余談。韓国には、朴智星、孫興慜と言った日本選手よりもランクの高いクラブで活躍した選手がいる、車範恨、奥寺時代を含め、ちょっと悔しい。もっとも今大会韓国がどうだったのか、もうドイツ人除けば世界中の誰も覚えていないだろうけれども。

 2点差を守れなかったことについて。日本固有の課題もあったし、当方の準備不足もあった。
 少なくとも今の日本代表には、上記した選手の活躍の場の相違と言う「格の差」とは、別な課題がある。それは体格、体幹の差、フィジカルフィットネスの差だ。たとえば、今大会、ロシア、スウェーデン、アイスランドと言った国が、見事な組織守備で強豪と戦った。ロシアがスペインをPKで粉砕する試合は生で観戦する機会を得たし、プレイオフでイタリアがスウェーデンに屈する試合はテレビ桟敷で堪能した。このようなサッカーで、欧州や南米の列強に対抗するのは、今の日本には不可能ではないか。選手のフィジカルが違い過ぎるのだ。前述したロシア対スペイン、7万大観衆のロシアコールの下、疲労困憊したロシアイレブンの奮闘は感動的だったが、私は一方で羨望も感じていた。どの選手も大柄で、プレイイングディスタンスが広いのだ。後方に引いてブロックで守備を固め、ゾーンで網を張るやり方は、失点しないためには有効なやり方だ。けれども、今の日本では、ワールドカップでああ言ったやり方では守り切る事は難しい。疲労してくると、プレイイングディスタンスの限界から、ゾーンの網がほころびてしまうと思うのだ。なので、2点差となった後に、後方に引きこもった守備を行うのは、得策には思えない。
 もちろん、一方で日本は、ごく短い距離の速さや、相手の意表をつくドリブルや短いパスの名手が多く、ロシアやスウェーデンからすれば、我々を羨望するところではあろうが。
 試合後、一部の方々が、「フェライニ投入後に、植田を投入するべきだった」と述べている。しかし、フェライニが投入されたのは、65分だったのだ。残り25分(実際はどの試合もアディショナルタイムがあるので30分)、CBを増やした布陣、つまり前を薄くした布陣で、守り切れるとは思えない。残り5分くらいまで、1点差で行って、ベルギーがえぐるのを諦めて放り込み始めたならば、そのような選択肢もあっただろうが。
 では、どうすればよかったのか。採るべき手段は、ラインをまじめに上げて、コンパクトにして粘り強く戦う、つまり戦い方を変えないことしかなかったと思う。実際、フェライニ(とシャドリ)投入後、ベルギーが無理攻めを開始後は、前半以上に日本にも逆襲のチャンスも出てきた。香川のスルーパスから酒井が抜け出した場面で、もう少し中央との連係がとれていればとも思うではないか。すべてはお互いの攻守のバランスなのだ。
 そこで、今回のチームの準備不足問題に突き当たる。今回の日本代表はすばらしかったけれども、守備面では課題が多かった。過去のワールドカップでの大会別の平均得点と失点を以下まとめた(小数点1位で四捨五入)。
98年 0.3 1.3
02年 1.3 0.8
06年 0.7 2.3
10年 1.0 0.7
14年 0.7 2.0
18年 1.5 1.8
 今大会の得点力が他大会をより優れていたこと、一方で守備については過去と比較して普通だったこと、それぞれがわかる。失点については、2次ラウンド進出に成功した02年、10年はおろか、98年よりも悪くなっているのだ。しかも98年は、戦闘能力では大会随一と言われたアルゼンチンと、最終的にベスト4にたどり着くクロアチアと同じグループ。また、当時の日本人選手の個人能力も、02年以降と比べるとまだまだで(10代の頃からプロフェッショナルになろうと決心した選手が揃うのは、02年以降)、攻撃力はそこそこあるが守備力は怪しい選手も多かったのを、井原正巳の圧倒的個人能力でまとめた守備ラインだった。そして、今大会はそれよりも失点が多かったのだ。
 2点目の失点は現場では、逆側のゴールだったこともあり、何がまずかったのかはよくわからなかった。試合後、しっかり画像分析している方が整理してくれているのを見たが、選手間でラインコントロールでのずれがあったようだ。ある意味、今大会の守備ラインを象徴していると言えるだろう。そう考えると、1点目直前の混乱にしても、ポーランド戦の失点、セネガル戦の1点目など、守備者間の意思疎通がもう少しあれば防げたものも多かった。要は、守備選手同士の連係が不足していた訳である。
 現実的に西野氏に与えられた準備期間の短さを考えると、これはしかたがないようにも思う。この準備期間の短さ問題(つまりハリルホジッチ氏解任問題)については、別にまとめる。ただ、2失点を守れなかったことは、今回の過程で作られたチームの必然だったのかとも思う。
 余談ながら、やり方を変えず、最終ラインの連係が時に崩れたとしても、守備力を強化する手段として、「人を換える」と言う手段があったとは思う。しかし、これまた時間不足で、山口蛍や遠藤航を使った守備強化をする余裕がなかったのだろう。私が思いつくのは、槙野を香川に代えて左DFに投入、長友を左サイドMFに、乾をトップ下に回すくらいだろうか。あとは、一層の切り合いを目指し、香川か原口に代えて武藤を投入し右サイドを走らせるか。いずれにしても、リスクを含む手段であり、メンバを替えずに我慢する方が選択肢としては安全だったように思う。そう考えると、同点にされても80分まで我慢して、原口→本田、柴崎→蛍、と言う交替は、相応に合理的だったと思う。この交替については後述する。
 ここで、まったく無意味なIFを3つ語りたい。サポータの戯言である。もしボール奪取とボール扱いに両立した井手口がクラブ選択を誤らず、昨シーズン同様のプレイを見せてくれていれば。もし西野氏が、中盤前方での守備がうまい倉田秋を選んでいれば。そして、2シーズン前に世界最高の守備的FWとしてプレミアを獲得した岡崎の体調がベストであれば。

 一方で、今大会の日本の攻撃はすばらしかった。
 コロンビア戦。大迫は個人能力で敵DFを打ち破り、香川の一撃と併せ、早々にPKを奪った。本田の正確なCKからの大迫の完璧なヘッド。セネガル戦。柴崎の美しいロングパスを受けた、長友と乾の連係。大迫の妙技によるクロスからの岡崎らしいつぶれ(とつぶし)、本田の冷静さ。
 いずれの得点も、各選手の特長が存分に発揮された美しいもので、それぞれの場面の歓喜を思い起こすだけで、今でも目が潤んでくる。いずれも、日本の強みである、素早い長短のパスによるショートカウンタからのもの。短い準備期間で作られたチームが、次第に完成していくのがよくわかった。しかも、このようなサッカーは、日本中の少年サッカーで、毎週のように行われているものだ。言わば、よい意味での日本サッカーの特長が発揮されつつあったのだ。
 そしてベルギー戦。前半を耐え忍んで迎えた後半序盤の2発。柴崎のパスで抜け出した原口の妙技。香川との連係からの乾の一撃。いずれも、最高レベルのものだった。追いつかれた後も、我慢を重ね速攻をしかける。80分の本田、蛍の投入も、本田の守備面のマイナスを蛍がカバーし、柴崎がいなくなった攻撃力を本田の技巧で補完しようという意図は奏功しかけた。実際、終盤本田と香川の連係を軸にいくつか好機をつかめたのだし。

 一部に02年に互角に近い戦闘能力だったベルギーと、大きな差をつけられたことを悲観する方がいるようだ。けれども、ベルギーは80年代から90年代前半にかけては、ヤン・クールマンス、エレック・ゲレツ、エンリケ・シーフォと言ったスーパースタアを擁し、欧州屈指の強豪だった。そのような古豪が、02年の日本大会以降出場権を得られなかったことを反省し、若年層育成に合理的に取り組み、優秀な選手を多数輩出してきたと言うことだろう。我々の歴史や努力を卑下する必要はないが、先方は先方で大変な歴史の厚みを持っての成果なのだ。焦る必要はない。
 一方で、近づけば近づくほど、具体的になる差。その差を埋めるのは容易ではないことも間違いない。しかし、差が具体的に可視化されれば、たとえその道は遠くても、課題解決に進むことはできる。考え方は2種類ある。長所を伸ばすか、短所を解消していくか。
 今の日本の長所をさらに伸ばし高みを目指す行き方。もっともっと選手の技巧と判断力を高め、敵がどのような布陣を引いてきても、一定時間以上ボールキープができれば対抗は可能になる。ブラジルやアルゼンチンが何が起こっても、どのような相手でも、毅然としたサッカーを演じられるのは、そのためだ。
 ベルギーとの戦いを通じて、長駆型の速攻と後方に引いた守備の難しさを論じた。けれども、原口のように長距離の疾走後にもう一仕事ができるタレントが多数いれば、タッチラインを一気に走る抜ける速攻が可能になれるのではないか。酒井宏樹のように技術と判断力に加え体格にも優れたタレントが揃えば、ブロックを固める守備を世界の列強に対してやれるようになれるのではないか。
 いずれのやり方も、容易な道ではない。いや、「これは無理なんじゃないですか」とも言いたくもなるような話だ。しかし、ベスト8を、さらにその上を目指すと言うのは、そう言うことだろう。まだ我々には学ばなければならないことが無数にあるが、ここまで来られたから、その差が具体的になったのだ。
 焦らず、野心的に、粛々と上を目指し続けることは、楽しいことだ。

 一方で。
 冒頭で述べたように夢は叶った。そして、その叶った夢は、あまりに悲しく絶望的なものだった。
 以前も述べたが、ベスト8に入るためには、ベスト16に残らなければならない。それがいかに難しいことなのかは、我々は十分に経験している。だからこそ、今回のような好機が次にいつ訪れるのか、絶望的になる思いもある。あの不運な1失点目がなければ、本田のFKがもっといやらしく変化していれば、などと、今でも考えずにはいられない。
 しかし、過去も幾度か述べてきたように思えるが、思うようにならないから、サッカーは楽しいのだ。ドーハの悲劇について述べたことがある。誰かが命を落としたわけでも、傷ついたわけでも、多額の資産を失ったわけでもない。それでも、あれだけ悲しい思いを味わうことができるのだ。そして、またも。
 我ながら幸せな人生だと思う。このような経験を積むことができたことに、ただ、ただ感謝したい。ありがとうございました。

 でも、でも、勝ちたかった。
posted by 武藤文雄 at 23:31| Comment(2) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月02日

ベルギー戦を前に

 6回連続出場、3回目の2次ラウンド進出成功。

3度の2次ラウンド進出は、アジア史上初めてのはずで、何とも誇らしい。サッカーに浸り切って40余年、私達はとうとうここまで来たのだ。

だからこそ、このベルギー戦は勝たなければならない。何としてもベスト8に進出すると言う、新たな成功体験を積むのだ。当たり前の話だが、ベスト8に進出するためには、ベスト16にまで到達するのが必要だ。そして、その必要条件を満たすまでが、いかに大変かと言うことを、我々は存分に経験している。そして、今回はその大変なことの実現に成功したのだ。この好機を活かさずしてどうするのだ。


確かにベルギーは強かろう。けれども、1次ラウンドを見た限りでは、各選手が圧倒的な個人能力の高さを誇るが、その連動性は十分にはしあがっていないように思えた。

いつものことだが、各選手が丁寧に位置取りを修正し続け、身体を張り、粘り強く対応することで、敵に提供する好機の数を減らすこと。柴崎に前を向かせる工夫を重ね、大迫が受けやすい状況を作り、乾と長友、原口と酒井宏樹を連動させること。これらをやり続ければ、活路は必ず開けるはずだ。

また、歴史的にベルギーとの相性はよいのだ。記憶頼りだが、敗れたのは昨年が初めてのはず。岡田氏の時はキリンカップで大差で、ザッケローニ氏の時には敵地で、それぞれ勝利している。もちろん、当時とはメンバが随分と異なるが、歴史的に見ても、我々の欧州国との相性は、南米よりは悪くないのだ。


ポーランド戦の終盤の戦い方が議論となっていると言う。これはこれで、けっこうなことだ。我々の論点はただ一つで、「セネガルが同点とするリスクをどう見たか」と言うことのみだ。私は現場にいて、セネガルの試合はスコア以外は何もわからず、西野氏の判断の是非をどうこう言える立場ではなかった。しかし、西野氏はしっかりと結果をつかんだ。現場の責任者が、己のリスクを掛け、その賭けに勝ったのだ。見事なものではないか。

ただ、我々サッカー狂とは異なる方々が、異なる視点でものを語るのは理解できなくはない。彼らは、我々と異なり、サッカー狂ではないのだから、「これでは面白くない」とか「このやり方が公正なのか」など、我々とは異なる視点からの意見もあるのだろう。多様な意見があるからこそ、世の中はおもしろいのだ。そして、ワールドカップと言う世界最高のお祭りは、このような多様なものの見方をする方をたくさん集めることができる。結構なことではないか。

彼らが、この機会にサッカーと言う底なし沼の魅力を持つ娯楽に触れてくれればそれでよい。そのうち何人かは、この底なし沼にはまってくれるかもしれないし。


また、大会直前の監督人事についても触れておこう。

私はあの更迭劇は、何ら合理性はなかったものと考えている。だからと言って、ここまでの西野氏の手腕を否定するのはおかしいだろう。確かに、ポーランド戦終盤、他力本願に追い込まれたのは、残念だった。けれども、いくつかの幸運をしっかりつかみ、不運を丹念にはね返し、西野氏はここまで我々を導いてくれた。これ以上、西野氏に何を望むのか。

以前よりしつこく述べて来たように、私は西野氏が大嫌いだ。だからこそ、この2次ラウンド進出と言う偉業を成し遂げてくれたことに対し、心より土下座し、感謝の念を捧げたいと思っている。この土下座行為については、大会後じっくりと作文したい。


ロストフ・ナ・ドヌと言う都市は、ドン川がアゾフ海に流れ込む河口近くの湿地帯。ロシアと言うよりは、地中海世界を思わす、キラキラした輝きにあふれる都市だ。

この美しい都市で、我々は偉業を達成する。そのスタジアムの片隅にいられることに、興奮を禁じ得ない。私は今から、長谷部とその仲間たちと共に戦い、歴史の一員となる。

posted by 武藤文雄 at 23:24| Comment(9) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月28日

ポーランド戦を前に

 ポーランド戦に向け、ボルゴグラードに向かうバスの中で。


 ポーランドと言えば、74年西ドイツワールドカップだ。

 私がサッカー狂になりかけていた中学2年生、言うまでもなく最大の憧れはヨハン・クライフであり、最大の尊敬はベルディ・フォクツだったわけだが、ポーランド代表も忘れられないチームだった。

 右ウィングのグジェゴシュ・ラトー(大会得点王)と左ウィングのロベルト・ガドハのスピードと突破がすばらしかった。ガドハの高精度CKを、飛び込んだ小柄なラトーがニアポストからヘディングシュートで決める美しさと言ったら。また、同大会で2本のPKを止めた長身GKのトマシェフスキも忘れ難い。

 82年のボニエクのチームもすばらしかったが、やはり私にとってのポーランドは、74年のチームだ。あれから44年、11ワールドカップが経ったのか。

 2002年の大会準備で、トルシェ氏が率いる日本が、高原と中田の得点で完勝したのは、記憶に新しい。当時は「あのポーランドに敵地で勝てるようになったのか」と感動したものだ。


 そして、きょうを迎える。

 先方がグループリーグ敗退が確定しての3戦目と言うのは、少々予想外だったが、レバンドフスキを抱えるチームが弱いわけがない。ここ20年来の日本代表の特長である、中盤での厳しく丁寧な組織守備で戦い切り、2次ラウンド出場権を獲得したいところだ。

 直前の監督交代劇と言う、合理的には説明しづらい人事もあった。

 一方で、元々今回のチームは、いずれのポジションも穴がない。02年はチーム全体の若さ、06年は左サイドと監督、10年は点取り屋、そして14年はCBと、チームとして弱みがあったが、今回はそれがほとんどない。多くの選手が複数年欧州のクラブで実績を積んでいるのも、それを裏付けている。これは、日本の津々浦々で、少年たちにサッカーを教えている我々の勝利とも言えるものだと、自惚れている。

またチーム全体のコンディショニングが上々なのも見事なものだ。特に負傷からの回復が心配されていた酒井宏樹、乾が間に合ったのみまらず、見事なプレイを見せてくれているのが、その典型となる。

今日の試合、ポーランドは、日本の攻撃の起点となっている柴崎をつぶすと共に、長友、酒井宏樹の両翼に人数をかけて押さえに来るだろう。そこを

どのように対処し、自分たちのペースの時間帯を増やすか。これまで、「秘密兵器」として隠していた?、武藤と大島をどのように使うのかも興味深い。特に、「武藤よ、頼むぞ」、私にワールドカップ本大会での、同姓の選手の得点と言う歓喜を味あわせてください。


 現地は猛暑とのこと。

 3試合目の選手たちには、相当厳しい条件となるだろう。けれども、彼らにすれば、今日の試合ほど、自らの誇りを発揮できる機会はないはずだ。我々も灼熱の中、でき得る限りの声援を送ります。

 がんばりましょう。 

posted by 武藤文雄 at 19:47| Comment(1) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月24日

エカテリンブルグに向かう道で

 いきなり初戦で勝ち点3獲得と、理想的に大会をスタートできた。

 相手が10人になってしまったのが幸運だったのは間違いないが、その退場劇を生んだのは大迫の見事な個人技と、香川の落ち着いたシュートの賜物である。日本が適切な攻撃で、コロンビア守備網を破ったから、この幸運が舞い降りたのだ。

 また、後半の戦い方はとてもよかった。10人で後方に引いたコロンビアに対し、素早く左右にボールを回しながら、大迫の格段の引き出しのうまさを活かし、両サイドで数的優位を作り、幾度も好機を生むことができていた。人数が減ったチームに守備を固められて攻めあぐむことがよくあるが(典型例が、ブラジル大会のギリシャ戦)、この日の日本はとてもよかった。各選手の相互理解と体調は上々、よい状態で大会に入れたと言うことを素直に喜びたい。

 前半、中途半端な攻撃を試みてコロンビアの速攻に悩まされたことを非難する向きがあるようだ。確かにあのような状況では、後方でじっくりボールを回し、コロンビアを前に引き出せばよかっただろう。けれども、晴れのワールドカップの初戦で、いきなりPK退場で先制してしまったのだ。我らが代表選手達は機械ではなく人間である。そこまでリアリズムに走れなかったことを、私は否定しようとは思わない。

 また体調不良のハメスを投入した、敵将の失策を指摘する方もいるようだが、私はそうは思わない。あれだけ日本が攻勢をとっていたのだ、あれを放置したら、いつか失点していた可能性は高い。ペケルマン氏が、ネームバリューがある(さらに、日本にとっては4年前のトラウマもある)タレントを前線に起用し、日本が後方により気を使う状況を作ろうとしたことは、1つの考え方だったろう。氏が何もしなければしないでも、あの日本の勢いある攻撃をコロンビアが止め切れたとは思えない。

 ともあれ、日本は幸運をよく活かし(怪しげな判定のFKによる失点と言う不運もあったが)、初戦勝ち点3獲得と言うベストに近い結果を残すことができた。しかも、ほぼ90分間に渡り10人の相手と戦ったため、次戦の相手セネガルは、日本がどのように戦ってくるかの予想が非常に厄介な状況となっている。これらを含め、まずはめでたいことだな。


 昨晩は、エカテリンブルク近郊のチャリビンスクと言う町に泊まり、競技場に向かうバスの中。一本道の左右は、白樺の森か草原が果てしなく広がる。このあたりの白樺は、ロシアでも最も白く美しいことで有名とのこと。


ちょっと豆知識。

セネガル戦が行われるエカテリンブルグは、大昔は流刑地で、ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世一家が惨殺された都市とのこと。と言う事で、モスクワ行きのアエロフロート内で「最後のロシア皇帝(植田樹著)」と言う本を読んだ。絵に描いたような付け焼き刃w

エカテリンブルクはウラル山脈の東で、当時のロシア人からすればシベリアの一角。

 ソビエト革命政府が逮捕していた皇帝一家をエカテリンブルク近傍の地に送る決定をしたとのこと。その背景がすさまじい。帝政ロシア時代、歴代の皇帝により、多くの革命家や進歩的知識人が同地近郊に送られた。ニコライ2世もレーニンを含む多くの革命家をシベリア送りにしていたそうだ。

そして、ロシア革命の成功で、多くの革命家がシベリアから解放され、首都のペテログラードに帰ってきている。逆に、そこにニコライ2世一家を送り込むことそのものが、革命家たちの圧政者への報復だったとのこと。

 ロマノフ朝が滅びた要因の一つに、日露戦争があったことはよく知られている。その最後のツァーリ(皇帝)一家が流され惨殺された都市で、私達がアフリカの強豪とあいまみえる。このような地に、ニコニコと皆が集まり、サッカーと言う究極の娯楽を楽しもうとしている。

 歴史の雄大さと平和の尊さを感じずにはいられない。


 などと考えると、今晩の歓喜が一層のものになるのではないかと。

 いま私にできることは、長谷部とその仲間たちが全力を発揮してくれるべく、声を枯らすのみ。

 がんばりましょう。


posted by 武藤文雄 at 17:17| 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月29日

元日本代表監督石井義信氏逝去

 元日本代表監督石井義信氏が亡くなった。ご冥福をお祈りいたします。。
 石井氏は、86年からから87年にかけて代表監督を務め、当時の目標のソウル五輪出場にあと一歩のところで、中国に破れ、退任した。

 70年代後半に釜本が去った後の日本代表は、とてもではないがワールドカップ予選はおろか、五輪予選を突破できる戦闘能力はなかった。しかし、80年代前半から、日本全国に普及した少年サッカーのおかげで、しっかりとボールを扱える選手が増え、それなりにアジアで勝てるようになっていた。そして、85年のメキシコワールドカップ予選では、森孝慈監督が、加藤久と宮内聡を軸とする堅固な守備から、木村和司の好技を活かす見事なチームを作り、本大会まで後一歩まで迫ったのは、皆様ご存知の通り。そして、敗退後、森氏は自らのプロ契約を日本協会に要望するが、当時の日本協会首脳に拒絶され野に下る。
 その後任として、石井氏が代表監督に就任する。石井氏はフジタ(ベルマーレの前身)の監督として、見事なチームを作った実績があった。特に77-78年シーズンは、平均得点3.6、平均失点0.9とJSL史に残るすばらしいチームだった。今井敬三の守備力、最終ラインから攻め上がる脇裕司、中盤の将軍古前田充の展開、マリーニョ(後に日産で活躍)とカルバリオの得点力、魅力的なチームだった。
 当時の日本代表は、メキシコまであと一歩に迫ったチームだったが、どの選手もまだ20代半ばでこれから全盛期を迎えようとしていた。そして、欧州から奥寺が帰国、さらにはユース年代時代から期待された堀池巧、越後和男、武田修宏などのタレントも登場していた。しかも、ソウル予選には最大の難敵である韓国が不在。久々の五輪出場権獲得に向け、石井氏の手腕への期待は大いに高まっていた。

 しかし、石井氏は予想外の采配を振るう。
 極端な守備的サッカーを目指したのだ。これは、就任後数ヶ月で迎えたアジア大会で、イラン、クウェートに完敗したことも要因だったろう。また、木村和司が体調を崩し、日産で往時ほどの切れ味を見せられなくなったことも、要因だったのかもしれない。
 迎えたソウル予選。1次ラウンドのシンガポール、インドネシアとのH&A総当りは、苦労もあったが全勝で突破。中国、タイ、ネパールのとH&A総当りの最終予選を迎えた。最終予選の基本メンバは、いわゆる5-2-3.GKは経験豊富な森下申一。加藤久、勝矢寿延、中本邦治の3CB。堀池巧、奥寺康彦を両サイドに配し、守備的MFが都並敏史(本来サイドバックなのですが)と西村昭宏、水沼貴史が引き気味で右サイドに開き、原博実と手塚聡の2トップ。加藤を余らせて、後方の6人が厳しいマンマークで後方深く守りを固め、攻撃は水沼を基点として手塚を走らせるか、原にクロスを入れるかと言うやり方だった。石井氏は、戦闘能力的に互角と思われる中国に対してだけでなく、優位に立てそうなタイにも同じ やり方を貫徹した。
 守備力を主体とする選手を多く起用し、失点を最小限に止めようとするのは1つの考え方。しかし、後方の選手が前線に出すボールが、単調で精度を欠くものだったこともあり、その守備的な姿勢は少々極端なものとなった。

 けれども、チームは順調に勝ち点を重ねた。
 国立で行われたタイ戦は、水沼の鮮やかな得点で先制。以降、丁寧に守り、タイの大エースピアポンの強烈なシュートを森下がファインプレイで防ぐ。加藤を軸にした守備の組織力と安定感は、相当な完成度を見せていた。
 そして迎えた敵地広州での中国戦。数十人の好事家と参戦したこの試合は一生忘れられないものとなった。大柄な選手を並べ縦に強引に攻め込んでくる中国に対し、丁寧に守っていた日本は、前半半ばに敵陣右サイド深くゴールライン近くでFKを獲得。水沼が上げたボールに、原が完璧なヘディングシュートを決めた。原は、中国の名DF高升(ガンバの高宇洋のお父上)の厳しいマークを、見事な駆け引きで打ち破ったのだ。その後、中国は強引に攻め込むが攻撃は単調。特に中国自慢の右サイドの朱波を奥寺が完璧に押さえたのが大きかった。しだいに、広州のサポータは、自国の変化に乏しい攻撃に不快感を隠さなくなる。終盤の5分間、数万人の大観衆が沈黙し、我々数十人の「ニッポン、チャ、チャ、チャ」が 、大競技場を制覇したのは、忘れ難い思い出だ。

 後は国立で、引き分ければよかった。
 0対2で敗れた我々はソウルに行かれなかった。

 石井氏に言いたいことはたくさんあった。
 運命の国立中国戦。もう少し、柔軟な采配はできなかったものか。中国は朱波では奥寺を敗れないと見て、逆サイドから攻め込んできた。結果、堀池が引きだされ、水沼が守備に追われ、と日本にとって悪循環が続き、とうとう先制されてしまった。あの悪循環の時間帯、いくらでも対応策はあると思ったのだが、石井氏はその状況を我慢し続けた。たとえば、堀池と水沼の2人はゾーンで守ることを明確化する手段もあった。守備ラインならばどこでもプレイできる西村を、いったん右サイドに置く手段もあったはず。
 もう少し攻撃に変化をつけることも考えてもよかったはず。中国は、あそこまで守備的に戦うべき相手だっただろうか。
 石井氏が、木村和司を招聘しなかったのは、木村の守備力の欠如からだったのだろう(木村が85年当時より調子を落としていたこともあったけれど)。けれども、やはり木村は木村であり、使い方を工夫すれば、間違いなく敵に脅威を与えることはできたはずだ。
 FWの控えとして起用していた松浦敏夫は、2年連続JSLの得点王を獲得したストライカで、190cmの長身だったが、自分のチームNKKでは裏抜けの巧みさで得点を量産していた。それなのに、松浦を起用した際にクロスボールを多用したのは理解できなかった。
 もっと、攻撃面で実効力のあるタレントを選考する手段もあったはずだ。たとえば、JSLで実績を挙げていた、吉田弘(古河)、高橋真一郎(マツダ)、藤代伸也(NKK)、そして戸塚哲也(読売)など。
 かように、あれから30年の月日が経っても、そしてこの30年間当時は夢にすら見なかったすばらしいサッカー経験を積むことができても、敗戦を思い起こし悔しい思いができるのも、サッカーのすばらしいところだ。

 ともあれ、石井氏は、「ソウルへの道」の獲得のために、自ら創意工夫した道筋を明確に作り、その実行を試みた。そして、狙い通りのチームを作り上げ、目標まで、あと一歩、本当にあと一歩までこぎつけてくれたのだ。我々の夢をかなえかけてくれたのだ。
 歴史的には、85年メキシコ予選(木村和司のFK、メキシコの青い空)があまりに光彩を放っており、その直後の石井氏の冒険は、やや忘れられた感がある。しかし、上記つらつら述べてきた通り、その戦いぶりは、しっかりと日本サッカー史の記録されるべきものだ。
 上記の通り、私は石井氏のやり方にいくつか不満を感じていた。しかし、石井氏には明確な意図があり、それを丹念に具現化していく姿を一歩一歩見ることができた。監督の意図を理解しながら、自分の思いとの違いを飲み込み、切歯扼腕、眼光紙背を重ねながら、ともに戦う。この感覚こそ、サポータ冥利。石井監督は、それを2年間、じっくりと味合わせてくれたのだ。

 あれから30余年、7.5ワールドカップが経った。大観衆を圧倒した広州の夜の歓喜。豪雨の国立の敗退劇。水沼と森下に感涙したタイ戦。他にも、たくさんの試合で絶叫、失望、歓喜を味わった。
 石井さん、ありがとうございました。私は忘れません。
posted by 武藤文雄 at 23:27| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする