2007年01月30日

15番の思い出

 森本がセリエAで初得点を決めた。

 カターニャと言うあまりなじみのないクラブに加入し、まだユースでプレイしているのかと思っていたのだが、トップにデビューしいきなり初得点を決めたようだ。さっそく各種情報が要領よくまとめられたこちらは便利だな。この選手はJリーグでのデビューでいきなりジュビロの山西をまたぐフェイントで悩ませ、初得点を決めた時は位置取りの駆け引きで(当時)ジェフの茶野を出し抜いた。僅か15歳でJにデビューした事そのものも凄かったが、もっと感心させられたのは、そのあくなき前進意欲。常に前に行こうとする意欲、それも単にゴリ押しではなく、技巧を活かしながら強引に前に行こうとする意欲が素晴らしかった。さらに、敵陣に入るあたりで、しっかりと駆け引きできる冷静さにも感心させられた。

 その若者が早々にイタリアに飛んだ。その判断、意思決定が妥当かどうかは結果が決める事。ただし、10代半ばで「本場」に飛び、ワールドカップ出場を除く全ての栄光を掴み尊敬を集める男が日本にはいるのだよね。そう考えると、「その意気やよし」なのかなとは思っていた。

 で、その初得点。映像を見るやに興奮した。これはストライカだ。あの右サイドからクロスを上げた選手がどこまでの意図を持っていたのかはよくわからない。とにかく、あのクロスが上がったスペースに、少しタメを作っておいてトップスピードで入ってきてDFを振り切ったところからスタート。斜め後方からの浮き球と言う難しいボールを、とにもかくにもしっかりとコントロールしたのがまず素晴らしい。次にシュートを阻止しようと身体を寄せてくるDFを、腰までしっかり入れて肩でブロックして吹き飛ばしたのには感慨。その上でそのような外乱を防いだ後、利き足の右で強いボールを蹴る事ができる場所にボールを置き直す(この「置き直し」が、この見事な得点でもっとも重要にも思える)。そして、その2つ前のプレイで着実にトラップしたボールを、悠然とインステップキックで強烈に蹴り込んだ。

 何とまあ、あざやかな得点である事か。この森本と言う若者が、並々ならぬストライカの素質を持っている事は間違いない。まだ「素質」と言うしかないのだけれども。



 そして、何より嬉しかった事は、この若者の背番号が「15番」だった事。今を去る事、30数年前だろうか。とにかく得点を取る事のみを考えていたあの偉大なストライカは、日本代表に入ると、いつも「15番」を付けていたなと。
posted by 武藤文雄 at 23:04| Comment(2) | TrackBack(1) | 若年層

2007年01月29日

前回のエントリについて

 多くの方に感想を述べていただき、御礼申し上げます。また不愉快に思われた方も相当いらしたようで申し訳ありませんでした。

 多くの方のコメントを読んだ後で、改めて当該会見のサイトを読んだのですが、確かに私の読み取り方は、「置いてきた」と言う表現にこだわりが強過ぎて、やや偏っていたかもしれません。このあたりは、少々思い込みを含め、頭が固すぎたかなと(トシのせいかもしれませんが)も思います。実際、「置いてきた」について、全く逆の解釈をされた方もいらっしゃるようですし。



 ただ、そう思って読み直してみても、今でも「置いてきた」の部分は、どうにも飲み込めない自分がいます。少なくとも、私はベガルタの選手が他のクラブに移籍し、そのような発言をしたら相当残念に思うでしょう。



 以前からも述べている通り、私の見解に否定的な意見を含め、感想をいただけるのは大変ありがたいと思っています。今後も暴言を吐き続けるとは思いますが、お付き合いいただければ幸いです。



(以下加筆)

 上記の文章以降も様々なご感想をいただき嬉しく思います。ただ、1つだけ誤解をされては困るので、私自身の周辺について。 

 私は、エルゴラッソ及びその他の媒体で、サッカーに関する文章を書く機会をいただいてはおります。したがい、「私の事を『サポータ』なのか『ジャーナリスト』なのか線引きが曖昧ではないか」と言うご指摘は理解できます。私はサポータのつもりですけれども。

 また、私は「記者会見」と言うものには出席した事は滅多にありませんし(たとえば「記者」のコントロールがいい加減だったJSL時代や国外の国際試合で、記者会見にもぐりこんだ事はありますが)、サッカーを講釈するにあたり自ら出席する必要性も感じた事はありません。さらに、「取材章」を利用して観戦した事もありません。

 「だからどうだ」と言われても困りますが、とりあえずお伝えしておきます。
posted by 武藤文雄 at 02:21| Comment(16) | TrackBack(0) |

2007年01月25日

不愉快な選手

 月曜の朝の事だった。隔日の出勤の友であるエルゴラッソ。見開きの2ページにJ2の上位4クラブ(と言っても上位3クラブはJ1から降格組だったが)の戦力検討が載っていた。「おお、よい企画だ」と思って、私のベガルタを探す。しかし、ない。載っているのは、アビスパ、セレッソ、サンガ、そしてサガン。しばらく悩んだ後、ハタと気が付いた。「そうだ、去年はサガンに抜かれて5位だったのだ。」と当たり前の事を思い出した。悔しい。

 確かにサガンの昨シーズンの躍進は凄かったなと。横浜FCの見事さにやや消された感はあったが、優秀な経営者を迎え、観客動員も順調に増加中。ピッチ上で展開されるサッカーの質も攻守のバランスがよく取れて見事なもの。しかも何が悔しいと言えば、他クラブと比較された際に、唯一ベガルタサポータが誇り得るスタジアムについても、サガンは最も強力なライバルと言える。様々に思いをはせると、「サガンって厄介なライバルになってきたなあ」と感心し、「でも予算規模は当方の方がずっと大きなはずなのに」と悔しさを再確認した。



 その日の帰宅後、インタネットを冷やかしていたら、サガンに所属していたシュナイダー潤之介が、ベガルタに移籍したとの由を発見。高桑を解雇した後のGKの補強だ。さっそく、入団記者会見をのぞきに行った。正直言って、まず違和感、そして不快感を感じた。

 まず違和感から。一言で語れば、同じJ2クラブ同士の移籍なのに、本人があたかあもステップアップしたかのような言い草なのだ。そりゃ私はベガルタのサポータだから「今シーズンはサガンとの試合は最悪でも2勝2敗ペース」と思っているよ。だからと言って、我がベガルタはサガンと比較して、そこまで偉そうな態度を取る事ができるクラブなのだろうか。ちょうど、この日の朝にエルゴラを読んで、悔しい思いをした後だったから、一層そのような思いを感じたのかもしれないが。



 そして不快感。不快感を感じた部分を転載する。
「『シュナ潤』と呼ばれていたとも聞きましたが。」「それは鳥栖に置いてきました。できれば誰か、いい呼び名をつけて下さい。募集しています。」
 今まで「シュナ潤」と呼び、サポートしてきてくれたサガンのサポータ達が、この発言を聞いた時にどう感じるか、この男は何もわかっていないのだ。何たる想像力の欠如か。

 私もよい年で、長い間ビジネスの世界で生きてきた男だ。そして、最も信用できないビジネスパーソンの典型の1つを述べたい。お互い業界で競合関係にあるA社とB社を担当している営業担当者がいたとする。その営業担当者が、A社に対して「私はB社さんよりもA社さんが大事です。」と語ったとしよう。しかし、A社の購買担当者が優秀ならば、その営業担当者の発言を全く喜ばない。何故ならば、A社に対してそのような発言をする人間は、間違いなくB社に対しても「私はA社さんよりB社さんが大事です。」と発言するに決まっているからだ。

 まあ、これは本業が染み付いているビジネスパーソンとしての不快感だな。



 しかし、もっと不快に感じたのはサッカー人としての不快感。

 このセリフは、9年前にカズがしぼり出したあのあまりに重いセリフの、下手なパロディのつもりだろうか。シュナイダー選手が、友人と居酒屋で飲んでいる時に、この重いセリフをパロディにして愉しむのは何ら問題はない。しかし、公的な場で言うか?!!!カズと岡田氏と言う日本屈指のサッカー人を愚弄する態度ではないか。



 もっとも...

 愛するクラブに嫌いな選手がいるのは悪い事ではない。よいプレイを見せてくれて、ベガルタサポータの友人達がニヤニヤと「シュナイダーが活躍しましたよね。」と私をからかう事を祈念するものである。
posted by 武藤文雄 at 23:25| Comment(70) | TrackBack(0) | Jリーグ

2007年01月22日

今西和男氏引退

 マツダ、サンフレッチェを通じて、所謂GMとして獅子奮迅の活躍をし、実績を残してきた今西和男氏が、とうとうサンフレッチェを退社すると言う。もっとも、03年からは顧問に就任し最前線からは退いていたのだが、おそらく今回の人事で完全にサンフレッチェ(そして東洋工業、マツダ)から、完全に去ると言う事なのだろう。もっとも、大学教授としてのポストを確保されており、各方面からサッカー界の重鎮として引き合いは絶えないだろうから、まだまだお元気に日本サッカー界には貢献いただけるのだろうから、「引退」と言う表題は妥当ではないかもしれないが。



 選手今西は、JSL黎明期黄金時代を築いた東洋工業のディフェンダ。さすがに私はプレイ面での記憶は一切ない。私が「今西」と言う単語を知るのは80年代に入ってからだった。

 83年、60年代栄華を誇り、サッカーどころとして幾多の名選手を生んだ広島にホームを持つ、マツダ(旧名、東洋工業)がとうとうJSL2部に陥落した。いささか、ショッキングではあったが、当時のマツダの戦闘能力を考慮すれば仕方が無いかなとも思える事態だった。一方で、当時日本代表の中核を担っていた金田喜稔や木村和司が広島出身でありながら、マツダには加入しなかった事は、プロフェッショナリズムが導入されつつあった当時の日本サッカー界の1つの断面と呼んでも過言ではなかった。Jリーグが始まる10年近く前から、事実上「カネがないクラブは勝てない」構造ができあがりつつあったのだ。

 もっとも、その2部落ちしたマツダの監督に就任した今西氏の噂がすこぶるよかったのだ。論理的な思考力に加え、実行力もある御仁だとして。当時から今西氏は、明確に強いチームを作るための方法論を具体的に述べていた。そして、その持論をマツダで着実に実現していたのだ。

 86−87年シーズンに久々に1部に復帰したマツダの主要メンバは、今なお日本サッカー史上最高のゴールキーパをセレッソのジウマールと争うのではないかと思わせるディド・ハーフナー。その他、信藤克義、高橋真一郎、小林伸二、松田浩、望月一瀬と、今日の日本サッカー界を支えている人材が多数。そして、彼らを率いていたのはハンス・オフト氏だったのだ。今西氏は現場をオフト氏に任せ、総監督(所謂ジェネラルマネージャ)に就任していた。しかもその間天皇杯ではかなり成果を上げている、85−86年シーズンはベスト4、86−87年シーズンには決勝進出を果たしている。

 その後も今西氏の手腕は冴え渡る。JSLがJリーグに発展的解消を遂げる最中に、バクスター氏のような名伯楽の招聘に成功、加えて風間八宏、高木琢也のようなトッププレイヤを巧みに移籍で獲得する。さらに次々と無名の好素材をトッププレイヤに育て上げていく。森保一、前川和也、森山佳朗、柳本啓成、片野坂知宏、上村健一などである。そして、94年のJリーグでは、当時猛威を振るっていた高木を中軸に前期リーグ制覇。これは、必ずしも予算規模に恵まれない、この地方クラブとしてみれば大変な快挙だった。そして、高木や森保のような当時の選手達が、早くもトップレベルの指導者として活躍しているのだから、恐れ入る。

 さらに、サンフレッチェユースの充実した強化については言うまでもあるまい。完全に日本代表に定着した駒野を筆頭に、幾多の名選手が輩出されている。最近のユース代表チームの中心選手には、常にサンフレッチェユースのタレントが挙げられるのだから凄い。1つの高校にユースの選手を所属させるやり方には賛否両論あるだろうが、地方クラブの利点を活かす1つの発想である事は間違いない。



 今西氏は、これらのサンフレッチェのサッカーシステムを作り上げた。システムのみならず、人材も育て上げた。大変な人物である。その今西氏が、サンフレッチェを去る事に感慨を禁じ得ない。



 今西氏のあまりに見事な実績を汚すようで申し訳ないが、一言言いたい。昨年、日本協会会長が居座った際に、その居座りを擁護する不可思議な理論があった。「では、他に誰がいるのだ?」と。

 今西氏の経歴を振り返れば、そのような理論は全くもって、通用しない屁理屈である事がわかるだろう。



 今西さん、お疲れ様でした。でも、大変申し訳ないのですが、日本サッカーはまだまだ貴兄を必要としています。もう少し、働いていただけますか。
posted by 武藤文雄 at 23:17| Comment(7) | TrackBack(1) | Jリーグ

2007年01月18日

久保と大久保

 今シーズンオフは「大物」の移籍が多い。先日講釈を垂れた阿部の移籍が発表された前後に、久保と大久保の移籍も発表された。小柄な方に「大」と言う字がつくのがややこしいが、いずれも潜在能力からすれば日本最高クラスと思われるFWで、ここのところ思うような活躍ができていないところに共通点がある。もっとも、不振の要因については微妙に異なる。久保は度重なる負傷と本人の再発への恐怖症?のため、ベストフォームを崩してしまった。ワールドカップ代表に残れなかった事が尾を引いたのか、マリノスでも出場時間も少なく残念なプレイ振りだった。一方、大久保はスペインへの移籍がどうも水に合わなかった模様で、すっかり試合勘がなくしてしまったようだ。結果的にセレッソに復帰後も、思うような活躍ができなかった。

 この2人は、03年の東アジア選手権で2トップを組んだ。特には、タイプの違う2人が仕掛ける攻撃で、中国を子ども扱いし、久保の2得点で快勝した(もっとも、中国を子ども扱いする事そのものは、この試合に限った事ではないが)。

 久保はトルシェ氏の最初の采配となった98年のエジプト戦で代表デビュー、幾度と無くチャンスをもらうもどうしても代表で点を取る事ができなかった。しかし、件の中国戦で鮮やかな2得点を決めた以降、すっかりと代表での働き場を見出し、あの埼玉オマーン戦の決勝弾、チェコ戦の衝撃的一発を含め、面白いように点を取った。もっとも、04年半ばのアジアカップ前に負傷で代表を離脱した以降は、ほとんど活躍できなくなってしまうのだが。考えてみれば、この選手は代表ではこの3年前の約半年間で猛威を振るった以外は、全く点を取っていない。しかし、その間の猛威だけで「歴史的な記憶」に残るストライカになってしまったのだ。

 一方の大久保。04年に入り、主体の活動が五輪代表に移った。UAEラウンドではメンバから外れた大久保だったが、国内待機していていたために「謎の大量下痢事件」の影響を受けず、東京ラウンドでは大活躍。その後、五輪本大会でも猫の目メンバで惨敗した日本だったが、大久保は2得点するなど、存分に活躍。セレッソでもよく点を取り、スペインに向かった。

 この2人の2トップは上記中国戦で見事に機能。「個の力」で点を取ってしまうFWが組み合わされたと言う意味では、釜本、杉山以来ではないかとの雰囲気もあった。しかし、このコンビは結局この東アジア選手権の3試合で実現したのみで、しかも3試合目の韓国戦は大久保が定番の退場劇を演じてしまった。その後、2人が連携を見せたのは、サッカー場ではなく、鹿島のキャバクラのみだったのは誠に残念な事だった。



 この2人が共にクラブを変えた。「出る」事になった経緯は色々だろうが、復活のためには河岸を変えるのは有効な考えではあろう。そして、偶然にも2人が選んだのはJ2から昇格を決めたクラブ。復活を目指す2人としては、非常によい選択に思える。他クラブと比較して、決して戦闘能力に恵まれてはいないため、「この2人に点を取らせる」と言う狙いを持ったチーム作りになる事が期待されるからだ。

 オシム氏が選んでいるFW達は皆とても良い選手だし、ドイツでは高原が活躍している。だからと言って、久保と大久保への期待が低くなる訳ではない。
posted by 武藤文雄 at 23:41| Comment(5) | TrackBack(0) | Jリーグ

2007年01月16日

歴史は繰り返す

 ベッカムが「来シーズンに合衆国MLSのロサンゼルス・ギャラクシーに加入する事が決まった」と報道されている。5年契約で総額2億5千万ドルと言う、およそ我々の常識からは程遠い金額で。

 案の定、レアル監督カペロ氏は「ケッ、そんな話が決まったらやってられるかよ、もうベッカムは飼い殺しにしてやる(意訳はもちろん武藤です)。」と発言。英国の大衆紙が「引退興行」と揶揄するなど、もうボロクソに言われてるらしい。



 ベッカムと言う選手は本当に不思議な選手だ。紛れも無いイングランドサッカー史に残る名手。デビュー当時から、悪魔のように曲がる右足クロスは注目されてきた。98年フランスにおけるアルゼンチン戦の退場劇、99年マンチェスターユナイテッドのチャンピオンズリーグ決勝での奇跡の大逆転劇の2本のコーナキック。02年大会の出場を決めた予選のギリシャ戦の鮮やかなFK。02年本大会での、4年前の悔しさを果たすかのような「強い」PK。ベッカムに加え、ジェラード、ランパードを揃え強力そのもののMF陣で臨んだ06年にしても、イングランドがベスト8に至るまでに刻んだ得点の多くはベッカムを起点にしたものだった。

 イングランドが本腰でワールドカップを戦うようになった60年代以降を振り返っても、ボビー・ムーア、ボビー・チャールトン、ゴードン・バンクスの優勝時の偉大な3人、さらにはケビン・キーガン、ガリー・リネカーと並ぶスーパースターと呼ばれるべきであろう。

 が、どうにもこの選手を素直に飲み込む事はできない。ベッカムの存在そのものに、どうにも違和感を感じるのだ。ベッカムがレアル・マドリーに移籍した頃から、この違和感がどんどん大きくなっていった。結局、歌手だった美人の夫人と共に、サッカー以外の露出があまりに多過ぎたと言う事だろうか。ベッカム周辺の大騒ぎを見ると、日本国内のスター偏重問題など、足元にも及ばない(もっとも、ベッカム自身の実力も日本の「スター」よりも格段に高いのだけれども)。

 90年代半ば以降、欧州のサッカーシーンに大量のキャッシュが流れ込み、サッカー界の様相は一転した。現状が未来永劫続くのかどうかはよくわからない。しかし、将来この時代のサッカーを振り返った時に、ベッカムが「キャッシュ流入時代の象徴」と語られる事だけは間違いなかろう。



 しかし、2億5千万ドル/5年は凄いね。これまで、あれだけ稼ぎ続けて、さらにこれだけの収入。これを払う合衆国の金回りがまず凄い。先日の野球の松坂の移籍に払われた金額にもビックリしたが、今回のベッカムはそれを軽く凌駕している。ロスアンゼルス・ギャラクシーが、いかなる回収作戦を考えているからは、私などには想像できない。さらに、それ以上に「ベッカムサイドはこれだけ稼いで一体何に使うのだろうか」と言う気になってくる。



 もっとも、今回の騒動で一番笑ったのは、ベッカムの「報酬が魅力で行くのではない。米国のサッカーを発展させるために決断した」と言うコメント。これは約30年前、1度ブラジルはサントスを引退したペレが、事業の失敗による借金を返すために、当時のNASL(North American Soccer League)のニューヨーク・コスモスに移籍する事が決まった時のセリフと完全に一致している。確か当時のペレに対する契約金が、当時の日本円換算で20億円くらいだったと記憶している(当時のレートはよくわからないが、1ドル=200円くらいとすると(70年代半ばのドル、円換算はそんなもの)1千万ドル相当になるか。ベッカムのコストが、いくら時代が異なるとは言え、ペレのそれと比較して20倍以上と言うのだから凄い。

 ともあれ、合衆国に行くスターが語るコメントは皆そうなのだろうなと。もっとも、住金に移籍するジーコや、グランパスに来訪したリネカーも、きっと同じセリフを吐いたのだろうなと思うと、複雑な気持になるけれど。
posted by 武藤文雄 at 23:23| Comment(5) | TrackBack(0) | 海外

2007年01月14日

欧州クラブ日本人選手

 欧州のクラブで活躍する日本人選手の多くが好調だ。

 最も派手な活躍を演じている中村は言うまでもない。一時負傷のためスタメンを外れていた松井だが、先日の試合で2得点し、体調さえ整えば相当なレベルにある事を示してくれた。1度も映像を見ていないのだが中田浩二はセンタバックとして相当活躍しているらしい(射程の長さと展開力が武器だったこの選手が、欧州でセンタバックとして確立している事は、日本代表にとって非常に重要に思える)。そして、ここ数年今一歩の(と言うより今十歩くらいか)の出来だった高原と稲本も、それぞれレギュラとして大活躍している。高原はよく点を取っており、渡独直前にJリーグで得点王になった時のよいプレイを思い出したかのよう。稲本も名門クラブで中心選手として活躍、早期敗退したもののチャンピオンズリーグでも堂々とプレイしていた(ジーコ時代に、さっぱり自クラブで機能しないこの2人が代表に優先的に選ばれる事に毒を吐き続けたのは懐かしい思い出だ)。小笠原と大黒は、思うような活躍ができていないようだが、2人とも今期からの加入と言う事もあるので、仕方がない部分もあるかもしれない。

 昨シーズンは、中村と松井の2人はほぼフルレギュラとして活躍したが、それ以外の日本人選手は中田を含めてほとんどがレギュラとは言えない状態だった。それに比べると今シーズンは見事なものだ。2010年に向けて明るい話題であるのみならず、長期的にも彼らの経験は日本サッカー界にとって財産になるだろう。



 これだけ多数の欧州クラブ在籍選手が今シーズン活躍しているのは、やはり彼らがワールドカップ以降1度も日本代表に召集されなかった事が大きいとしか言いようがないだろう。何のかの言って、欧州と日本は遠い。我々凡人が出張や観光で飛行機で行き来をするだけでも相当疲労する。週末に試合をして消耗した選手が、(いくらファーストクラスを利用しようとも)すぐに日本に飛んで試合をし再び疲労し、とんぼ返りに欧州に戻る。これで体調を維持するのは相当厳しい。少なくとも今シーズンに関しては、この召集がなくなった事が各位の体調維持に大きくプラスにはたらき、好調につながっているのだろう。

 思えば、中田がフランスワールドカップ後にペルージャに移籍した以降、毎シーズン欧州クラブ在籍選手は、公式戦でなくとも、しばしば代表の強化試合のために帰国してきた(あるいは対戦国に出向いてきた)。この移動で体調を崩した選手はかなり多い。04年シーズンの中田のグロインペイン(当時の中田のフル稼動は凄かった)は、明らかに再三の代表召集の影響があっただろう。00年シーズン、城が神戸の中国戦で膝を負傷したのも忘れ難い嫌な思い出だ(この負傷で城は早期の引退を余儀なくされたと言う)。高原の2度目のエコノミー症候群も遠距離移動による悲劇だった。体調不良とは違うが、中村がレッジーナ時代に周囲から度々帰国する事を非難された事、小野がワールドカップ予選のインド戦に出場するのに対し当時のフェイエノールト監督グーリット氏が「日本がインドに勝つために小野が必要なのか」と語った事なども、欧州クラブ所属選手の代表招集における問題点と言えよう。



 オシム氏は代表監督就任以降、アジアカップ予選突破と言う結果を残すのみならず、札幌サウジ戦では内容的にも見事な美しいサッカーを見せてくれた。しかも、国内の選手だけで代表を結成した上での成果である。準備期間の少なさと異様な過密日程にも関わらずだから恐れ入る。見事な成果と言ってもよいだろう。加えて、欧州クラブ在籍選手を「呼ばない」と言う行為を通して、皆活躍させた事も大したものだと言わざるを得ない。リヤドサウジ戦など、中村のFKに頼りたくなるのが普通だと思うのだが。



 とは言え、ここまで「代表に召集しない欧州クラブ在籍選手が活躍する」と、結構困った問題が出来する。

 まず第1に、今後の日本代表強化はいよいよ監督に高度なマネージメント能力が必須となる事。先ほど「2010年に向けて明るい話題」と軽々しく語ったが、現場の運営は深刻だ。「代表監督が欧州クラブ在籍選手を代表に呼ぶと調子が落ちる」と言っているようなものだからだ。これは完全な矛盾現象。代表に呼べば調子が落ち、呼ばなければ連携が取れない。ジーコのように何も考えない監督ならば悩まなかったのだろうが、オシム爺さんが、この微妙なサジ加減をいかにさばくのか。結構愉しみと言えば愉しみ。

 第2の問題はもっと深刻。こう考えると、今後ますます日本国内の代表試合で欧州クラブ在籍選手を愉しめない事になる。大事なタイトルマッチを応援に海外に行く事はやぶさかではないが、それとは別にたまには国内で中村や松井や中田浩二を加えた「ベストメンバ」の代表戦を堪能したい。定期的に「ベストメンバ」の日本代表を国内で愉しむ事は、もはや簡単には望めない贅沢なのだろうか。
posted by 武藤文雄 at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本代表

2007年01月13日

さらば友よ2

 今日は朝6時起きで少年団の大会。朝から会場準備、審判、コーチなどで慌しく過ごした。このような大会は年に数回あるので、特別な事ではない。しかし、今日の大会は私にとっては特別だった。何故ならば1年生の時からずっと指導を継続してきた坊主の同級生たちは早くも6年生、そしてその連中が小学生として戦う、最後の公式戦だったのだから。



 大会のレギュレーションの詳細はややこしいので省略するが、出場各チームが2試合を戦い勝ち点がよい上位2チームが決勝に進出する。初戦、我がクラブは常にライバルとして戦ってきた隣の学区のクラブと対戦。前半に、こぼれ球を拾われミドルシュートを決められ先制を許す。前半のうちに同点に追いつき、後半中盤を制覇して圧倒的に押し込み、幾度と無く決定機を掴むが、どうしても勝ち越し弾を決められない。逆に終了間際に、敵に決定機を許すなど冷や汗をかく場面もあり、1−1の引き分けに終わる。



 結果として、次の2試合目は何があっても勝たなければ決勝に出られない事になった。相手は隣町のスキルフルな選手を多数抱えるクラブ、これまた何度も戦った事のある敵だった。入場する彼らの後姿を見ながら何とも言えない思いにふけった。もしかしたら、この試合が彼らを指導する最後の試合になるかもしれない。最後にしたくはないのは当然だけれども、むしょうに寂しさがこみあげてきた。

 けれども、子ども達はコーチの不安を簡単に一掃してくれた。「勝たなければならない」我がクラブは、全員が厳しい状況をよく認識し、開始早々から全員がよく動き前線からプレスをかけて、ボールを奪うやひたむきに攻め込む。レベルは果てしないほど異なるが、その攻撃姿勢と意欲は78年のアルゼンチン代表チームを思い起こさせてくれる程だった。そして、開始5分で速攻から左右に揺さぶる分厚い攻めから先制。さらに10分には、FW2人が巧くパスをつなぎ敵DFを引きつけ、ボランチから長躯した坊主が完全に抜け出す。が、坊主は親譲りのボールコントロールの悪さから、シュート直前にボールを長く出し過ぎる。「ああ、決定機を逃した」とベンチでがっかりしていたら、敵DFが焦ったのだろうか、直後に坊主を後方から押し倒しPK。ラッキー。2−0で早々にリードし、そのまま押し切って決勝進出を決めた。



 そして決勝戦。今度は本当に彼らが戦ってくれる最後の公式戦。色々経緯は錯綜するが、敵の戦闘能力は今日の3試合では一番落ちる相手となった。この相手ならば、落ち着いて戦えばよほどの不運がなければやられない。この決勝戦での選手入場は、先程とは異なる思いを感じられた。ここまで残ってくれれば、寂しさではなく、何とも言えない喜びにふける事ができたのだ。「ああ、この子たちと6年間愉しく遊んで来られたのだな」と。

 試合前に子ども達は3つの事を伝えた。(1)相手より一歩でも早くボールに触れ(2)(いつも言っている事だが)急いで蹴らずに落ち着いてつなげ(3)敵陣に向かう体勢でボールをもらったならば自分がシュートを打つイメージを持て。

 子ども達は、この3つの指示をよく理解してくれて戦った。前半から圧倒的攻勢に立つものの、敵GKの好セーブをなかなか破れない。ここで坊主が再び機能する。ハーフウェイライン近傍からドリブルをスタート、2度ほどパスを出す振りをして敵DFを撹乱しそのまま強引に前進、敵DFは動き回る我がFWに引きずられ結果的に坊主の前にスペースが開く。坊主はそのまま前進し、落ち着いてボールを持ちかえシュート、が、そのシュートは完全に当たり損ねる。ところが、その当たり損ねが逆に幸いしてボールは敵ゴールに転々。勝てば官軍だな。以降も圧倒的に押し込む我がクラブ。後半に入り、分厚い攻めからから2点目。この得点を決めたのが、最近よく練習を頑張って頻繁に試合に出られるようになってきた5年生の公式戦初得点だっただけに、これまた本当に嬉しかった。この2点目で勝負あり。その後2点を追加し完勝した。



 決勝終了以降、喜びに湧く子ども達を見て、改めて何とも言えない感慨に浸ることができた。坊主が少年団に加入し、結果的に少年団のコーチを務める事になって6年間が経過した。そして、この子ども達と6年間、毎週末ボールを蹴って遊んできたのだ。

 私は、サッカーを講釈する事と応援する事に関しては世界中のどこの誰にも負けないつもりだ。しかし、サッカーを教える事については、まあ門前の小僧だな。でも、この6年間、拙いながらにも自分の全てを君達に伝授したつもりだ。そして、君達は皆成長し、ただのバカ餓鬼が、サッカー選手見習までにはなってくれた。、俺が君達にサッカーと言う麻薬の魅力のほんの1%しか教えられなかった事はよくわかっている。でも、君達はこの麻薬の魅力から離れられなくなりつつあるようだ。

 君達を直接指導する事ができる時間はもう後ほんの僅かだ。これからも、この世界最高の玩具を堪能して欲しい。そして、何年か経ち、一緒に酒精を飲めるようになった時、サッカー談義をしようではないか。今よりずっと大人になった君達に、俺は本当のサッカーの魅力と魔力を語る事ができるのだから。



 86年のキリンカップ。優勝したベルダー・ブレーメン。試合終了後、この日腕章を巻いていた奥寺康彦と監督のオットー・レーハーゲル氏の抱擁。試合後、レーハーゲル氏は語った。「奥寺とは5年間共に戦った。5年と言う月日は人生にとって、非常に長い年月だ。この長期間、奥寺と共に戦った事を誇りに思う」と。

 私も彼らに言いたい。「6年間と言う月日は人生にとって、非常に長い年月だ。この長期間、君達と毎週末ボールを蹴って遊んだ事を誇りに思う。」
posted by 武藤文雄 at 22:14| Comment(2) | TrackBack(0) | 底辺

2007年01月11日

阿部勇樹移籍問題

 毎シーズンオフの常であるが、選手の移籍に関する騒動が喧しい。宮本とアレックスの海外同クラブ移籍にもビックリしたし(これはこれで後日述べます)、大量の選手を解雇したマリノスからは久保の離脱も噂されている(これまた興味深い話題だが)。そんな中で、最大の注目は、阿部勇樹の去就であろう。一部の報道によると、レッズへの移籍が決定的との事だが、FC東京やグランパスも相当な好条件を出して勧誘していると言うし、祖母外氏が移ったグルノーブルからの話もあるらしく、さらに当然ながらジェフも何とか慰留してるだろうから、最終的結論はまだわからない。



 阿部と言う選手は非常に面白い選手で、日本には珍しく高いレベルで汎用性の高い選手だ。展開力、長いボールの精度、身体の強さ、空中戦、守備でのしつこさ、いずれもトップレベル。基本的には守備的MFが適任だが、DFもできるし、局面によっては前でも使える選手だ。阿部にとって不運だったのは、得意とする守備的MFのポジションに、やや年上に豊富なタレントがおり、中々代表での出場機会が回ってこなかった事。それでも、一昨年のアンゴラ戦や昨年のUSA戦では、後半から起用されるや抜群の展開力でチームの流れを変えるなど、見事な存在感を見せていた。

 オシム氏就任以降は、完全に代表でもレギュラに定着した阿部だが、主に最終ラインを務める事が多い。現在の日本代表で一番目立つのは闘莉王かもしれないが、まあ闘莉王はアレだから、事実上のチームリーダは今後阿部と今野が務める事になる可能性が高い(このあたりは異論も多かろうと思いますが)。

 そう考えると、もし阿部が国内の他チームへの移籍するとしたら、現役バリバリの代表チームの中心選手の移籍と言う事になり、ここ最近ない戦力移動になる。これはJSL末期チーム再編時代の堀池や柱谷哲二の移籍以来の大事となるかもしれない。その事自体は、欧州南米の先進国同様、強クラブが移籍による補強を重視するようになったと解釈すればよかろうが。



 では阿部はどうすべきなのだろうか。そのあたりの余計なお世話を考察するのが、今日の講釈の目的である。

 まあ一言で語れば、今の阿部ならばどのクラブでも相当な活躍をするに決まっている。むしろ、問題は阿部の加入によってはじかれる選手になるのではないか。

 例えばレッズ。闘莉王、坪井、啓太、長谷部と代表選手が並び、さらに小野も山田もいるこのクラブに、阿部が加わる事を考える。確かにアジアチャンピオンズリーグを戦い抜くためには、相当な選手層が必要だろう。しかし、レッズが抱えている選手は、本当の意味で日本のトッププレイヤ。これは補強と言うよりは、破綻に近い現象となるのではないか。

 FC東京でも問題は同様だ。今野は別格としても、茂庭、伊野波、徳永、さらには梶山と、阿部とはスタイルが異なるがポジションがかぶりそうなタレントが多数いる。間違いなく阿部の加入は補強になろうが、チームは混乱するだろうと思う。

 グランパスならば、すっきり収まりそうだ。昨年はやや冴えなかったが中村直もいるし、老獪な藤田との連携も面白そう。隠れ代表候補の杉本が阿部のロングボールで抜け出したり、ヨンセンが阿部のクロスを決めるのを見るのは愉しそうだ。ただし、それならばジェフで君臨を継続するのとそうは変わらないようにも思えるのだが。

 そう考えてくると、今シーズン阿部がどこのクラブでプレイしようが、阿部にとっては変わらないような気がする。むしろ、大事な事は、早々にそのクラブで地位を確立し君臨し、代表で中核として活躍してアジアチャンピオンを目指す事だろう。つまり、悩んでいる(らしい)本人には失礼だが、今の阿部の能力ならば、(海外に出るというなら別だが)国内ならばどのクラブでも問題はなく、環境の選択は彼にとって本質的な問題ではないのではないと思う。



 私の意見は、こちらのレッズサポータの方に一番近い事になる。

 表現を変えれば、一番カネを積んでくれるクラブに行くべきではないか。阿部クラスの選手にとっては、オファーしてくるクラブの誠意はカネであるはず。そして、もしそのカネに差がないならば、ジェフに残留しリーグタイトルを目指すのが一番よいと思う。環境が変わらなければ、一番活躍しやすいはずなのだ。



 阿部が目指すべきはアジア最高の名手なのだから。
posted by 武藤文雄 at 23:49| Comment(7) | TrackBack(1) | Jリーグ

2007年01月10日

高校選手権の将来

 高円宮杯が非常に充実した大会になり、各地域でユース年代のサッカーでリーグ戦が定着している現状で、正月の風物詩でもある高校サッカー選手権はどうあるべきか。もちろんサッカー界の都合だけで事は運ばず、日本テレビや高体連の思惑もあるのだが、いくつか考えてみた。



 まず誰でも考える事は、連戦を無くし、45分ハーフ、延長戦ありに変更する事だろう。

 連戦を無くすのは、各高校が冬休みに入った26日あたりから大会を始めれば何とかなるし、TV局が毎日試合が無いと困るならば、1日ずらしで大会を進行させる手もある。数年前にやったように決勝戦を1週ずらした1月中旬にする手段もとれる。

 45分ハーフにするのは、放映枠との絡みが出てくるが、延長戦よりは導入しやすいので、サッカー協会は早々にでも主張をすべきだろう。

 問題は延長戦だ。日本テレビに納得させるよい知恵が浮かばない。録画による時差中継にしても、延長に入る試合だけ後半から放送が始めるようなバレーボールみたいな見え見えの放送をする訳にもいかないし難しいところ。毎日の試合後に、高校サッカーダイジェストみたいな枠を準備してもらえればよいのだが、そう考えると新たなスポンサ開拓が必要になるような大騒動になりかねない。このような問題にこそ、日本協会会長に頑張って欲しいのだが(以下略)。



 次にトーナメントでよいのかと言う話。各県1校が本大会に登場する事は必須なのだから、長期に渡るリーグ戦にするのは難しい。この件については、友人がユニークな4チームのグループリーグ案を提示しているので紹介しておく。確かに大会期間は伸びるが、各チームが3試合できるのは、各地方局にとっても悪くないので、TV局の賛同も得やすいのではないか。大会日程の長期化対応は、上記の連戦を無くす方案で解消可能と考える。真剣に検討するに値する方案だと思う。



 さらにはクラブチームを参加させられないかと言う件。

 一方で「高校生活最後の1月のこの時期に高円宮杯を持ってこられないか」と言う正論が多い。しかし、私はそうは思わない。高円宮杯はエリート選手達が覇を競う、言わばユース世代のJリーグ。一方、高校選手権は多くの選手、チームが決勝大会にまで進出可能な、言わばユース世代の天皇杯だ。ユース世代は高校だろうがクラブだろうが、日本の学校制度の関係で3月で1つの切れ目を迎える。その切れ目にできるだけ近い正月に、多くのユース世代選手の夢がつながる大会を置いておきたい。これは約30年前に、その夢(正確には錯覚と言うべきかもしれないが)目指して、毎日グラウンドで走り回り削り合っていた元サッカー少年のノスタルジーかもしれないけれど。

 したがって、むしろ私はこの高校選手権を本当の意味でも「天皇杯」化するために、クラブチーム(ちなみにクラブチームと言うのはJのユースクラブだけではない)にも参加の道を開いて欲しい。

 TV局からすれば「朝練のために早朝起きて弁当を作るお母さん」がいればよいし(これは高校の部活だろうが、クラブユースだろうが同じ)、「苦節何十年の高校の先生」の代わりは「負傷に悩まされたかつての名選手だったユース監督」が使えるので、クラブユースを参加させる事にそれほど文句は言わないだろう。むしろ、「ユース代表だ」、「来期からはJ入りだ」とアナウンサが絶叫しやすくなるし、同じ高校に所属する選手が高校チームとクラブに分かれて戦うなどは格好のネタになるから、賛同は得られやすいのではないか。唯一問題は「負けている試合終盤に涙を流す美少女」の確保だが、Jクラブのユースならば、サポータが大挙して応援に来るだろうからそこから探していただこう。ただし「美少女」ではなく「美女」になるかもしれないが。

 もっとも、真面目な話、クラブチームの高校選手権出場実現は大変障害のある構想なのだ。高校サイドからはクラブユースとの選手勧誘合戦に「高校選手権の存在」が貴重な要素になっている部分もあるので強烈な反論が相当出てくるだろう。また、予選にしても、クラブチームを地域予選から加えるとなると、Jクラブがいる県の高校からは相当の反論が渦巻くのは間違いない。一方で、クラブチームを別枠で高校選手権本大会に出場させるとなると、「別な意味での不公平感」も高まり、これはこれで反論を生むだろう。しかし、サッカー界は常にこの事を考え、ユースサッカー界の発展を考えて行く必要があると思う。



 最後に全く視点を変えた話。これだけ多くのチームに優秀な選手が多数いるのだから凄い。そして、ここまで日本全体の選手層が厚くなった以上は、この裾野の広さをもっと有効に活かしたい。Jリーグのスカウトのお眼鏡に叶わずとも、優秀な素材は多数いるはずだ。さらに言えば選手権に出場できたタレントすら、氷山の一角と言ってもよいだろう。意欲ある優秀な選手がユース世代以降も(高校卒業後も)真剣にサッカーを続け、潜在力を磨ける環境を作っていきたいところだ。今年高校を卒業する無名選手の中に、かつての中澤や中村憲剛と同等の素質を持った若者が多数いるかもしれないではないか。

 この時点でJクラブから声がかからなかった若者の多くは大学で自らの限界に挑戦していくのだろう。これも有力なキャリアパスである事は間違いない。しかし、それ以外にもJFLや地域リーグの強チームで、有為な若者が力を蓄えられる機会が増えるのならばそれに越した事もない。重要な事は、トップへの夢をあきらめない若者が生計を立てながら球を蹴る事のできる環境が多様にある事なのだ。このような多様な環境を準備するための制度設計こそ、日本協会が真剣に考えるべきことのはずだ。以前にもも述べた事があるが、今の日本協会の財力があれば、そのような制度設計を検討する人材を雇用する事は可能なはず。その構想を、各地域協会やJクラブを通じて実現するだけの社会的なパワーも、今のサッカー界にはあるあはずだ。

 毎回毎回陳腐な事を述べていると言われようが、福島に中学生を集めるよりも、もっと重要で高邁な事を今の日本協会ならばやれると思うのだが。
posted by 武藤文雄 at 23:59| Comment(5) | TrackBack(0) | 若年層