2007年02月28日

ようやく始まったチーム作り

 TVのスポーツニュース。
「収穫は勝った事だけ」
反町氏が試合後語った。
「自分達が練習してきた事が全然活かされていなくて」
平山が試合後語った。
 反町氏の発言には全く納得できなかったが、平山の発言はよく理解できた。

 反町さん、日頃、貴兄には厳しい私だが、今日の試合は評価しているのだ。今日の収穫は非常に大きかった。何故ならば、ここ数ヶ月無駄な作業を繰り返していた貴兄だが、今日の試合の後半から、ようやく北京五輪に向けて正常なチーム作りがスタートできたと思うからだ。

 前半の先制点(カレンの好ドリブルからのスルーパスを平山が決めたやつ)、直後のカレンの突破からポストに当てたシュート。いずれも、カレンの個人能力による好機だった。立ち上がりにマークを押えきれない香港に対して、精力的なFWが見事にその能力を発揮したのだ。
 しかし、香港の守備ラインが機能し始めると、日本は全く好機を作れなくなる。その要因については、合衆国戦で述べた通り。合衆国戦同様、3トップが水野と本田の蓋をして、さらに青山敏と伊野波は引いてきてパスを受けに来る味方がいないので、遠方のチームメートに向けて、(必ずしも得意でない)ロングパスを狙っては敵にボールを渡す。酷い前半だった。これまた合衆国戦同様だが、出来が酷くても最終ラインが非常に強いので、ほとんど敵に決定機を与えないのも、このチームの問題点を顕在化しないのだが。
 その状況が改善されたのは、後半の家長の起用以降。李に代わって起用された家長は、挙動開始点こそ左サイドだったが、時に後方に引き、右サイドに顔を出す。ボールを受けるや、鮮やかな技巧で次々に仕掛ける。流れは一変した。速攻ができない場面、3DFと青山敏は落ち着いてボールを回し、無理なロングパスを仕掛けずに遅攻が利くようになった。家長がよく動くから、本田の前にスペースが出き、そこから好機が作られるようになる。
 さらに増田が起用される。増田の精力的な上下動により、水野も再三右サイド前方への進出が容易になる。2点目に至る水野の執拗な右サイドのえぐりは凄かった。1人で3人を相手にあそこまでやるのだから。
 終盤、青山敏に代わり、上田が起用されたのも納得。元々の3トップが悪かったのだが、そこに不正確なロングパスを連発して敵にボールを渡した青山敏は、この日残念な出来だった。とすれば、ジュビロで実績を挙げている上田の起用、テストは当然だろう。芸術家が多いこのチームだけに、戦える選手がもっと欲しい。

 つまり、この日の後半からは、ようやく真っ当に五輪代表チームがスタートしたと考えられる。本田と家長を共存できる組み合わせの確認。梶山の特長を活かすためにも中盤の人数を増やす事。水野の活かし方。技巧派が多いMFで戦う選手として誰を使うべきか。Jで実績を挙げているタレントの組み合わせ、連動が、ようやく形になろうとしている。今日の後半のような組み合わせを、谷口、枝村(さらには柏木?)ら、Jで実績があるタレントを含め、試していく事が強化につながるはずだ。
 誤解されては困るが、カレンも李もよい選手だ。スタメンからこの日の後半のやり方(家長、増田を起用)をしておいて、終盤タフなカレンや李を起用すれば、相当香港の守備ラインは悩んだ事だろう。要は選手の個人能力を活かすために組み合わせがあると言う事。監督の思いによる組み合わせのために選手の個人能力があるのではない。

 冒頭に戻ろう。この日の収穫は非常に大きかった。不可解な3トップをやめればチームが機能する事が実証されたのだから。そして、チーム作りのコンセプトが狂っていたのだから、練習が有効でなくても仕方がないだろう。平山にとって重要な事は、幾多の優秀なチームメートに対し、「俺のここにボールを出してくれ、ここに出してくれたら、必ず俺が点を取る」」と伝える事につきる。



 ついでに余談。別なTVのスポーツニュースで、北澤氏が「『勝とうとする意思』が足りない。このままでは五輪には出場できない」と酷評し、指摘した終了間際の場面。チーム全体の技巧と発想で、完全に崩しながら最後のフィニッシュで増田のシュートがずれ、敵のハンドで防がれたものの、主審が反則に取らなかった場面だ。確かに審判の判定は拙かったよ。でも、北澤氏の指摘は正しかったと思う。巧く言えないけれど、「勝とうとする意思」が、何か伝わってこない試合だった。
 さて、かつて日本代表の攻撃的MFを北澤氏と争っていた反町氏。この厳しい北澤氏の問いにどう答えるか。
posted by 武藤文雄 at 23:30| Comment(26) | TrackBack(3) | 五輪

2007年02月27日

過去の五輪1次予選

 いよいよ五輪予選が幕を開ける。どうにも反町氏には厳しくなる私だが、20年前ならいざ知らず、香港が相手なのだから、少なくとも明日に関しては何の心配もいらないだろう。せっかくだから、過去の五輪1次予選を振り返ってみる。
 88年のソウル五輪までは、アジアからは五輪にフル代表チームが出る事ができたので、ある意味で全く異なる大会と考える事べきだろう。したがい、議論はバルセロナ五輪を起点にする。
 と言う事でバルセロナ予選。この予選はJSLがプロ化に向かう過渡期に行われた。下川、石川康、永山、名良橋、名塚、藤吉、神野と言ったJSLで活躍しているプロ選手と、澤登、原田、小村、相馬、藤田、名波、永井、文丈と言った大学生チーム所属選手を組み合わせると言う非常に難しい時代だった。しかも主将の澤登が大学チーム所属なのだから。それでも1次予選はインドネシア、台湾、香港とのホーム&アウェイで5勝1敗(1敗がよりによって香港なのですねえ)。2次予選については、書き始めると怒りが止まらなくなりそうなので割愛。
 続くアトランタ予選。Jリーグ開幕以降、初めての五輪予選。豪華絢爛な攻撃ラインに期待は高まった。既にA代表の中核が約束されていた前園。そして小倉と城の2トップ。さらには幻のスーパースター山口貴之。知的なドリブラ森岡茂(彼をウィングバックに起用する発想の貧しさが当時は悲しかった)。1次予選の初戦、当時ドリームチームとまで自称したタイと敵地で戦う事になった。結果は完璧な試合で5−0で完勝。小倉が壊された事を除けば完璧な試合だった。そして、この日またも負傷した小倉は選手生活中ずっと負傷と戦い続ける事になった。この小倉と城が完璧に機能したタイ戦については、また機会を改めて講釈したい。そして、負傷に苦しむ小倉に代わり、このチームに中田英寿が加わるのは約1年後の事である。
 シドニー予選。トルシェ氏は1次予選を完全にテストの場として利用。次々にメンバを入れ替えた。東京ラウンドは、トルシェ氏は山本氏に采配を任せA代表のコパアメリカに行ってしまった。まあ、この1次ラウンドの「テスト」は凄かったが、トルシェ氏は最後にしっかりと結果を出した事が重要だ。この予選で何が悔いが残るかと言うと、小野が壊された事。それもフィリピン選手の極めて悪意あるタックルだったから腹が立つ事この上なかった(予選も終盤になり、フィリピンの選手はリーグ戦を戦い続ける事そのものに疲労していたのだと思う、当時からシード方式があればあの悲劇はなかったのではないかと思うと残念)。
 アテネ予選。ミャンマーとホームで2試合と言う変則的な予選となった。この時は前年のアジア大会で準優勝するなど、既にチームの骨格は出来上がっていた。せっかくの骨格を「テストごっこ」で監督が自ら壊していくのは、この後の話になる。そのような意味では、未だ骨格を作る事ができていない(と言うより自ら放棄している)反町氏は、山本氏より劣る事になるのだが。

 以上振り返ってきたが、過去4回とも何ら1次予選は問題にならなかった。しかも、今回は、総当りリーグ戦で2チーム抜けの方式であり、日本の予選敗退は全く考えられない状態(面白いのはサウジ、豪州のいるグループだけがやたら厳しい事)。ただし香港、マレーシア、シリアと、それなりに抵抗が期待される国との対戦が続く。選手達は、厳しい国際試合で、やや力の落ちる相手から確実に点を決めると言う経験がたっぷりつめるのが、今回の1次予選だ。
 再三講釈を垂れてきたが、日本サッカー界全体が育んできた優秀な選手を適切に競争させながら配置し実力通りに本大会に出場する事。そして本大会では、創意工夫を含めて勝ち進む事。その結果、各選手に経験を積ませて成長させ、1人でも多くのA代表選手を送り出す事。それが反町氏の仕事だ。そのためには、現状では奇策は一切不要なはずだ。
 まず香港戦。豊かな発想と高度な技巧で敵陣を次々に打ち破る試合を期待したい。
posted by 武藤文雄 at 23:15| Comment(3) | TrackBack(0) | 五輪

2007年02月25日

移転記念

 こちらへの移転記念に、幻の名作(笑)を公開します。

 今までも何度か自慢しましたが、「イハラ、イハラ」を歌い始めたのは私です。そのくらい、井原への思い入れは深かったのです。この作品を書いた時、本気で「井原は、2年後のワールドカップに私を連れて行ってくれるのではないか」と思ったものです。残念ながら(?!)その願望は2年後ではなく10年後になりましたが。
 10年後にはなりましたが、その10年後にトゥルーズ、ナント、リヨンで、井原が見せてくれたプレイを堪能できた事、そしてそこに至るまでの井原の道のりを見続ける事ができた事は、本当に幸せだと思っています。

 そのあたりの古い原稿も少しずつ公開して行こうと思っています。
posted by 武藤文雄 at 22:46| Comment(0) | TrackBack(1) | 日本代表

こちらに移転したのですが

 こちらに移転してきたわけですが...

 以前のBLOGはNewsHandlerという無料サービスを利用していました。そちらを利用し始めた2004年の3月より前はいわゆる「日記」を使っていました。ところが「どうもBLOGと言うものに切替えた方がよい」との雰囲気を感たので(当時はエントリ1個ずつにアドレスが振られるメリットとか、RSS発信について全く理解していなかったのです...もっとも今でもよく理解していませんが)、ある雑誌で、無料BLOGの比較か何かをしている特集を読んだところ、NewsHandlerは「俺はテキストだけで勝負すると言う『漢』向け」と書いてあったので、「よし、俺にはこれしかない」と判断したものです。とにかくテキストさえかければよい私にとっては、とても使いやすかったと思います。
 ところが、今年に入ってから多くの方から「極端につながりづらい」とのお話をいただく事が多くなっていました。そこで、別なサービスを色々検討したのですが、どこがよいのかサッパリわかりません。しかし、このままではどうしようもうないので、試しにこのシーサーを試してみたら、とりあえず過去ログも移転できそうなので、こちらに移る事にしたものです。
 ところが、こちらのサービスは機能があまりに多過ぎて、いまだ何が何だかわかりません。けれども、以前のサービスでは、自分でもBLOGを読む事ができない事が頻繁にあるので、まず移ってしまう事にしました。
 何か決定的な問題がない限り、今後はこちらにしか書き込まないつもりです。

 こちらでも、よろしくお願いします。
posted by 武藤文雄 at 17:15| Comment(11) | TrackBack(0) |

パスの角度、それ以上にタイミング

(加藤浩次氏の出身高校を間違えていたので修正しました、コメント欄で指摘いただいた「たいしょう様」どうも、ありがとうございました。修正2007年2月25日)

 スーパーサッカー恒例?加藤浩次氏による久保インタビュー。素晴らしかった。

 もちろん、小学校の時の時制が定かでない作文も、横浜FCに移籍した経緯(高木氏からの電話らしいのだが)も、カズのサイン奪取柵越えも、「ゴッドファーザー見たら『人が死ぬ』からどうも」も、「奥が好き」も、いずれも愉しかった。妻と娘と3人で深夜に大笑いして愉しめる好企画(さすがに坊主は熟睡中)。
 ついでに言えば、映像に出てきた小学校の時のコーチ、あのコーチが久保に「サッカー」を教えてくれたから、我々は久保を堪能できた、いやできるのだ。、このような方こそ、我々が感謝すべき日本サッカーの大貢献者だ。
 しかし、横浜FCに移籍して悩んでいる事に話が及んだ時に、何とも言えない感動を覚えた。まだチームメートの特色を把握できない現状の久保、チームメートの「パスの角度」いやそれ以上に「タイミング」の理解がまだ自分も得られていないし、チームメートも自分を理解してくれていない悩み。この一見豪快そのものに見える天性のストライカが、いかに繊細な駆け引きで得点を決めてきたかがわかるコメントだった。大笑いする好企画の最中に、プロフェッショナルの本質を読み取る事ができる素晴らしいインタビューだった。
 確かに、かつて久保が決めてきたれもが、「久保自身がよいタイミングでボールを受ける事」を基盤にしたものだった。適切にボールを受けた後は、とんでもないシュートが飛び出す久保なのだが、「ボールを受ける」事が全ての基盤となる訳だ。

 加藤浩次氏の久保インタビューは3回目らしい。毎回見事に久保の本音を引き出す対応は、さすがに「ちゃんと若い頃サッカーをやっていた人」兼「ちゃんとしたマスコミ人」。このいずれかの要素が欠けても、「久保の本音」は聞き出せないのだろう。よい企画だった。

 大笑いしながら、インタビューの合間に挟まる過去の久保の美しい得点の映像。娘が私に聞いてきた。「ねえ、お父さん、どうして去年ドイツに久保はいなかったの?」
 娘よ。それを聞いてくれるな、父は悲しいのだから。でも久保には南アフリカがある。
posted by 武藤文雄 at 01:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 日本代表

2007年02月23日

増田忠俊の引退

 引退発表は11月と随分前だったのだが、元アントラーズの増田忠俊の引退について少し述べたい。増田は静岡学園と言う日本最高峰のユース選手育成機関と、鹿島アントラーズと言う日本最高峰のトップ選手成長機関が生んだ、大変素晴らしい選手だった。そして、あの全盛期の負傷さえなければ、日本代表史も異なったものになっていたのではないかと思ったりもする。



 97−98年シーズン天皇杯。アントラーズが見事な優勝を遂げるのだが、この大会での増田のプレイは絶妙だった。若い頃からいかにも静岡学園出身らしいスキルフルなタレントだったが、この天皇杯制覇のあたりから、完全に化けた印象があった。活動量が格段に増えたのみならず、前線に長躯飛び出して敵の厳しいプレッシャにさらされても、正確なシュートが打てるようになってきたのだ。結果的に、周りをよく見る事ができて得点力もある万能型の攻撃的MFに成長しつつあったのだ。この天皇杯決勝でのプレイ振りを見る限り、北澤よりも技巧的で得点力があり、森島よりも中盤に引いたときに構成力のある選手に育ちつつあるように思えたのだ。巧い選手はたくさんいる。巧くて組み立てられる選手もそれなりにいる。巧くて組み立てられて動ける選手となると数少なくなってくる。そして、巧くて組み立てられて動けて点を取れる選手は本当に貴重な存在だ。これは半年後のワールドカップ代表チームで定位置を確保する可能性も高いのではないかと、多いに期待をさせてくれた。

 事実、当時の代表監督岡田氏も増田を代表候補合宿に選考。初戦の豪州代表戦に増田をスタメン起用するなど、幾度かチャンスを提供していた。岡田氏も相当期待をしていたのだと思う。しかし、明確な活躍を上げる事ができず、増田のワールドカップ出場は夢と消える。ある程度固まったチームに、ワールドカップ直前に新しい選手が、割って入るのは決して簡単ではなかったのかもしれない。

 ところが、ワールドカップ直後の8月に、試合中に全治1年以上と言う負傷を負ってしまう。全盛期にこれだけの重傷はあまりに痛かった。復帰後同じポジションに小笠原や本山のような気鋭の若手が育っており、ポジション確保も難しい状態になっていた。そのため、増田はFC東京、ジェフ、レイソル、トリニータとチームを転々。いずこにおいても、そこそこ試合には出場し、存分に存在感を示してはいたが、あの往時の輝きはとうとう戻らなかった。レイソル時代に、一瞬輝きが戻ったかに思えた試合は忘れ難いのだが。



 かつての重傷とは別の持病と言われる腰痛が相当ひどいと言う報道もあり、引退はやむを得ないのだろう。しかし、それでも33歳まで現役を継続した経験は大変貴重なもののはず。指導者としての活躍も期待できるだろう。

 それにしても、あの負傷さえなければ。
posted by 武藤文雄 at 23:10| Comment(3) | TrackBack(0) | Jリーグ

2007年02月22日

何故問題を難しくするのか

 日本のフォーメーション。水本、青山の超大駒に、腕章を巻く伊野波がスイーパとなる3DF。本田拓也と梶山が中盤の底、サイドMFが本田と水野、3トップに平山、カレン、忠成の3トップ。皆よい選手だ。しかし...Jリーグ屈指のウィンガである水野の前に3トップを並べ蓋をする意味があるのだろうか。Jリーグ屈指のゲーム創造者である本田によい体勢でボールを持たせるために周囲に何を期待するのだろうか。試合は、全く危惧どおりの内容となる。

 伊野波が最後尾でフリーになってロングボールの起点となり、大きく左右に散らすのはこのチームの基本。(と言うよりは「伊野波をこのポジションに起用した時のやり方」と言うのが正しい日本語かもしれない、この組み合わせが、「ベスト」なのか判明していないから」)そして、期待通り水野なり本田がボールを受ける。ところが、ここで詰まってしまう。カレンと忠成が敵DFを引き連れて前に走りこんでしまい、2人に蓋をしてしまう(ここでカレンや忠成を責めるのは酷と言うものだろう、彼らは豊富な運動量と「顔出し」を期待されての起用なのだから)。結果的に、本田と水野はアーリークロスを入れるか、中に切れ込むしかなくなる。それでも、水野、本田、梶山の技巧は抜群で、強引に中央を切り崩す攻撃ながら何度か好機を掴む事はできた。中央突破と言う最も難しく窮屈な攻撃方法を成功させるのだから、彼らの技巧は素晴らしい。素晴らしいのだが。

 水野や本田は、前を向いた時に縦に突破すると言う脅しを敵DFにかけるのが仕掛けの基本となる。敵はサイドをえぐられるのが怖いのだから。ところが前に蓋をしてしまうと、その脅しができなくなる。この2人へのサポートは、内側に入り込んでパスコースを増やしたり、外側から追い越す事で縦を押える守備網をぐらつかせる事が必要なはずなのだが。後半カレンに代わり増田が入り、増田が「前ではなく横から」サポートする事で、日本の攻撃がスムーズになったのは偶然ではない。

 さらにこの日は青山が高熱で離脱したのが不運と言えば不運だった。青山の代わりに中盤の底に本田拓が起用された。しかし、本田拓はよく動く選手だが、最初のトラップが少々雑なので、展開は速くない。結果的にボールが巧く回らない。さらに悪い事に本田拓は守備の粘り強さに欠ける部分がある。結果的に梶山の負担を増やす、あるいは梶山、本田拓そろって中盤の守備網を破られる。そして、これは青山が不在あるいは不振の時に、今までの準備試合で過去も繰り返された事である。ベンチに谷口がいるのだが。

 展開が窮屈だから、チーム全体が前掛りになった時にボールを奪われ速攻を許す。合衆国の戦闘能力は高いから、こちらが巧くボールを回せないと中盤でしっかりとビルドアップされてしまう。結果的に幾度となく危ない場面を作られかかる。ところが、3DFの対応能力が見事なためにほとんど崩されない。かくして、中盤の問題点が顕在化しない。

 さらに家長起用の際に本田との交代にはビックリ。反町氏は、本田をチームの大黒柱と考えていないのだろうか。ついでに、終了間際若森島を平山に代えたのは、もう意味不明。「ああそう、無理に勝つ気持はないのね。」

 

 合衆国と言うレベルの高い相手に対して、これだけ窮屈な試合をして、幾度となく好機を掴み、ほとんど危機なく試合を終える。これは、選手達の能力が格段に高いからだ。

 言い換えれば、窮屈な試合をしなければよいのだ。そうすれば、もっと楽に勝てる。

 どうして、中盤のタレントが前後豊富なのにわざわざ3人のFWを並べて、起用できる中盤選手の数を減らすのだ。どうして、水野と本田の前を塞いで窮屈な環境に置くのか。どうして、梶山の負担を減らす選手を起用しないのか。もっと下世話でヤバイ言い方をしようか、Jリーグベスト11の谷口よりも、大学生の本田拓の方が機能すると考えているのか。



 反町氏が今抱えている課題は、「明日ブラジルやアルゼンチンに勝て」と言うものではないのだ。「来年の夏に北京でブラジルやアルゼンチンに勝て」と言うものなのだ。どうして、この時点で問題を難しくするのだろうか。詭計や策略はその時で十分、今は「よい選手を当たり前に並べればよい」のだ。極端な事を言えば、(あくまでも例えばだが)水本、青山、本田、水野、平山の5人が気持よくプレイできるように他の選手を並べればよい。中盤の守備の拙さから幾度となく速攻でピンチを迎えても、水本と青山はハンマーのようにつぶしてくれた。あの水野のポストを叩く一撃までの巧妙な技巧。平山のヘッドがバーを叩いた時の高さ、そしてそこに合わせる本田の妙技。その頻度をどう増やすか。



 さらに毒を吐こう。(アルビレックス関係者には大変失礼だが)アルビレックスでは常に戦闘能力の低い選手達をいかに戦わせるか、その創意工夫が反町氏の仕事だった。だから、敵の良さを小さくする事が反町氏の仕事だった。そして、その結果は実に見事なものだった。

 今の反町氏の仕事は違う。己の良さを最大限に発揮する事なのだ。
posted by 武藤文雄 at 23:41| Comment(22) | TrackBack(1) | 五輪

2007年02月19日

16年前の日本代表

 流通経済大学GK林が代表候補に選考された。アジアユースでの大活躍は記憶に新しく、大柄ながら俊敏、勇気もある逸材だけに、この機会にオシム氏や川口の薫陶を受け、成長への起爆剤として欲しいものだ。

 さて、林の代表招集に関して、JFAより「大学生の選考は16年ぶり」と言うアナウンスがなされた。今日は、このシーズンの日本代表の活動を振り返ってみたい。そうこの91年シーズンは、日本代表史上最悪の監督が就任していた暗黒時代の最後の年だったのだ。



 まずこの年の4月上旬、当時欧州チャンピオンズカップの準決勝のマルセイユ戦を控えていたスパルタク・モスクワが来日(後から知ったが、このチームには若きモストボイなどがいたのだな、なかなか強力なチームだった)、日本代表と当時JSLのトップを走っていた読売クラブと2試合を行った。当時読売所属だった堀池、ラモス、武田、カズなどの代表選手が自クラブの試合に回ったため、日本代表に当時大学生だった礒貝(東海大)、森山(順天堂大)の2人が抜擢された(本論には関係ないが、2人は帝京高の同級生、同期には本田泰人がいる)。ちなみにこの年はバルセロナ五輪の1次予選が行われる年で、生れた月の関係でこの2人は五輪代表の権利がなかった(本田も同じく権利がなかった事は、先日も述べた通り)。彼らとは同学年の高校時代のライバルで大学では磯貝と同チームになった澤登が、五輪代表の主将を務めていた。

 この時の読売はセレソンの監督経験もあるダ・シルバ氏が率い、JSL史上最強とも言われたチーム。読売は見事な攻撃的サッカーを見せ、主審に取り消された疑惑のノーゴールがありながら2−2の引き分け。火曜日に行われた国立でのナイトゲームだったが、非常に興奮させられる試合だった。

 一方の日本代表は、その2日後の昼間に同じ国立で試合を行った。観客に来て欲しくなかったのではないかと勘ぐりたくなるような試合時間。試合内容も、ただよい選手を並べてみたと言う、いかにも当時の代表監督らしいもの。2日前の読売の試合とは対照的に実につまらない試合だった。閑散としたスタジアムに我々の「ヤメロコール」がむなしく響き渡った。もっとも、監督はダメでも選手達は優秀なので、試合をしているうちに、井原、柱谷、阪倉、浅野らの連携がどんどんとよくなっていく守備ラインは面白かったな。そして、この試合のスタメンの2トップは礒貝と森山だった。素質あふれるこの2人だったが、何ら具体的な連携の指示もなかったのだろう。ほとんど印象的なプレイは見せてくれなかった。

 その後6月に行われたキリンカップ、日本代表は、タイ代表、ブラジルのバスコ・ダ・ガマ、イングランドのトットナム・ホットスパーに3連勝して初優勝。特にスパーズに4−0で完勝した試合は、(シーズンオフでやる気もなく体調も悪いとは言え)日本のトッププレイヤが、戦闘能力でイングランドのプロを圧倒したのは嬉しかった。これらの試合にも、礒貝、森山は帯同しているが、読売勢の復帰で出場機会はほとんどなし。余談ながらキリンカップ終了後の記者会見で、当時の日本代表の主将の柱谷哲二は記者会見で「まだ学生の礒貝と森山が我々と同じボーナスを受領できない事は、大きな問題点。」と毅然として語ったと言う。このような場面を思い出すと、柱谷哲二の指導者としての再チャレンジを多いに期待したくなる。

 続いて7月、イビチャ・オシム氏が率いるパルチザン・ベオグラードが来日、日本代表は大宮で引き分け、三ツ沢で惜敗する。パルチザンは、よいチームで、攻撃はスピーディだし守備も実に粘り強い。日本も攻撃は今一歩ではあったが、成り行きで戦っているうちに守備はどんどんよくなってきており、なかなか面白い2試合だった。

 そして、この年の最大の目標である日韓定期戦が、長崎で行われた。この試合については、過去も再三触れた通り、この試合のためにベテラン勢を呼び戻した韓国に、日本の攻撃の担い手であるラモスを徹底的に押えられ、GK松永のチョンボをつかれて後半に1点を奪われ、全く危なげなく逃げ切られてしまった。試合後、戦犯であるラモスが「どうして韓国相手におびえるのだ」とか「東京でやれば勝てたのに」などと可愛らしく吠えたと言う。ちなみにこの試合は、礒貝、森山に加えて、早稲田の原田武男もメンバ入りしていた。一応五輪代表からの昇格と言う名目ではあったが、真実はご当所選手のメンバ入りと捉えるべきだろう。当時はまだFC小嶺とて、代表候補選手をあり余るほど出すには至っていなかったのだ。

 その晩、仲間達と長崎名物卓袱料理を堪能していたら、同じ料亭にその試合で笛を吹いてくれたマレーシア人が、長崎協会の方々に招待されており交流したのもよい思い出だ。もっとも、料理は最高だったが、酒の肴としての試合の思い出は重苦しかった。優秀な選手が登場しながらも勝てない日本。もう未来永劫日本が栄光を掴む事はないのではとすら思える内容の悪さ。この僅か10ヵ月後にハンス・オフト氏が登場し、歴史が完全に切り替わる事など、まだ誰も予想すらできなかったのだ。
posted by 武藤文雄 at 23:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本代表

2007年02月14日

中澤の代表復帰

 中澤は、昨年ワールドカップで敗退後、オシム氏が代表監督に就任した早々に「代表辞退を意思表示した」と報じられ、実際そのままオシム氏の選考から外れていた。

05年は圧倒的な守備能力を発揮し文句無く代表の中核として機能していた中澤。ところが、肝心のワールドカップの年の昨06年に入ると、序盤から明らかに体調維持に苦しみ極度の不振に陥ってしまった。それでも6月のワールドカップには、何とか体調を整えて見事ななプレイを見せてくれた。あのブラジル戦の前半の失点、ロナウドを見失ってしまった中澤だが、それはそれでワールドカップ本大会で史上最高の9番にあそこまでの高度な動きをさせる事になった事は、中澤の能力の高さの現れでもあったのだ。

 その直後の「代表辞退」表明。当時私は「積み重なった疲労を考慮すれば、無理もないのかな」と考えた。そして、中澤は疲労を回復させた後、とうとう帰ってきてくれた。まだ齢28歳、老け込むには早過ぎる。あのロナウドにやられた痛恨の経験を、必ずや南アフリカに向けて発揮してくれるはずだ。



 ともあれ、今回の中澤の招集は、現在の代表チームにとんでもない緊張感を提供する事になる。現在の代表チームのセンタバック、ボランチのレギュラ格の選手は、闘莉王、坪井、阿部、今野、啓太、皆代表でもJでもよいプレイを見せており、やや固定化された感もあった。しかし、中澤がチームに加わった今、彼らのいずれもが、ポジション確定とは言い難い雰囲気になってしまった。闘莉王は高さ、強さ、強引な攻撃参加など多数長所があるが、中澤は高さ強さについては遜色なし、闘莉王ほど下品な攻撃参加はないがセットプレイでの得点力は抜群だし、何より豊富な経験を誇る。もちろん、この2人は並んでもプレイできるだろうが、阿部の展開力と射程の長さ、今野の広範な運動量と攻め上がり、坪井の俊足を活かした粘り強い守備を考えた時に、闘莉王とてポジションが安泰では無い事は間違いない。さらに、守備ラインから阿部なり今野がはみ出た場合、当然彼らを中盤に起用する発想が出てくるから、啓太とてポジション確実ではなくなってしまっている。さらには、阿部や今野はサイドプレイヤとしての起用も考えられようから(阿部はないかな?)、加地や駒野はの刺激まで準備されている。

 もちろん、欧州では中田と稲本が虎視眈々と復帰を狙っているのだし。一方、今回は召集対象外となった五輪組(でも何故林だけは選ばれたのだろうか)の水本と青山にしてみても、A代表のレギュラを獲得するまでに、己がいかに能力を高めなければならないかが、「中澤の選考」1つで一層明確になったはずだ。



 やはり、爺さんは凄いと思う。



 代表チームの守備ラインと言うのは、攻撃ラインと異なり、どうしてもある程度の固定が必要となりがちなもの。しかし、固定されるまでには健全な競争があるべきで、そのような競争の中から、落合弘、加藤久、堀池巧、そして井原正巳らは抜きん出た存在となり(中澤もこのランクに並べてよいだろう)、長期に渡り「彼だけは間違いなく代表のレギュラだ」と語られる選手に成長していったのだ。

 健全な競争の復活を素直に喜ぶものである。
posted by 武藤文雄 at 22:41| Comment(47) | TrackBack(0) | 日本代表

2007年02月13日

五輪予選近づく

 アジアの国際大会の形式は、過去極めていい加減なものだった。ここ数年「これではいけない」と言う事で、非常に組織的な日程立案がなされつつある。具体的には、ワールドカップ予選、アジアカップ予選、アジアチャンピオンズリーグ、そして五輪予選については、ホーム&アウェイで、1年前から確定された日程で国際試合を運営していこうと言うもの。ところが、この日程があまりに杓子定規に決められているために、灼熱の時期の中東の砂漠や、極寒の時期の朝鮮半島などで試合が組まれたり、中2日で韓国とシリアとアウェイ戦をしなければならない国が出るなど、もう滅茶苦茶になっている。

 長い目で見れば、中期的な日程がしっかり固まって、各国のサポータがホーム&アウェイの試合を愉しめる事に越した事はないのだから、方向性は悪くないと思う。大事な事はそこに丁寧な修正を加えて無理を是正する事なのだが、AFCと言う組織には「丁寧な修正」と言う概念を期待するのは無理なのだろうか。このままの状態が続き「エーイ、面倒くさい、昔に戻してしまえ」的な乱暴な意見が出なければよいのだが。



 と言う事で、いささか旧聞になるが、五輪代表の反町監督が、五輪1次予選に向けた準備試合のUSA戦に向けての候補選手を発表した。直後に予選が始まるので、若干のメンバ変更は今後あるだろうが、当面はこのメンバが主体で五輪1次予選を戦う事になるのだろう。

 ところで、この世代の五輪代表は、現状では最前線だけは駒が薄いのが、面白くも悩ましいところ。。

 GKは西川が負傷離脱中だが、松井は西川離脱後の各試合でのプレイ振りはそう悪くなかったし、ユースの林などそれなりに人材はいる。もちろん西川が復帰すれば磐石。

 守備ラインは水本、青山と言う超大駒に、内田、福元、伊野波と言ったJでの実績組がいて粒揃い。この中では、千葉が再度選考されたのは個人的には予想外。千葉は昨年の2つの韓国戦で2試合続けて非常に質の低いなプレイに終始したからだ。よほどアルビレックスでのプレイが冴えているのだろうが。

 中盤は本田圭祐を筆頭に、水野、家長、谷口など既にJのトッププレイヤと言っても過言ではないメンバに加え、青山、梶山、増田らの好素材が揃っており、正に豪華絢爛。シドニーの際の中盤と比較しても、選手の多様性と言う意味では上回るのではないか(もっとも、当時既にセリエAのトッププレイヤになっていた化け物の存在感を、本田や水野に期待するのは時期尚早からもしれないが)。人材が豊富すぎて、枝村が外れると言う事態になってしまっている。昨秋中国、韓国と行った4試合の準備試合のうち、「2軍対応」したソウル韓国戦以外の3試合で、所謂中盤の真ん中3枚は、青山、梶山、増田で固定され、枝村を含むJで活躍しているトッププレイヤ達が起用された時間はごく短かった。別に代表監督は、全ての選手を航平に扱う必要はないし、求められるのは結果なのだから、まあいいけれどね。

 上記したようにFWだけは、(少なくとも現状では)駒不足。カレン以外にJで明確な実績を上げた選手がいない。左右頭いずれでもよいシュートを持つ平山、ドリブルと左足の一撃の前田俊介、加速後の足の速さは格段の苔口と、素質には恵まれた人材が多いのだが、皆伸び悩んでいる。豊富なMFを多数起用し、ワントップを考えるにしても、最も実績のあるカレンはそのようなタイプではない。反町氏も悩んだ上での若森島招集だろうが、彼も非常に愉しみな選手だがJではこれからだし。ここは平山の覚醒(あるいは減量)期待と言う事だろう。以前より私は平山には心底期待している。平山がそれなりに復調すれば、水野、平山、家長の3FWって凄いと思いませんか(と、言いつつ他のFWも皆いいよねえ...)。



 先般、アジア大会で惨敗を喫した際に、私は反町氏を強く非難した。サッカーとは困った協議で、どんなに努力して戦闘能力で上回ろうとも負ける事はある。そして北朝鮮は確かに強かった。また、あのアジア大会はこれから始まる五輪予選と比較すれば明らかに優先度が低い公式大会だった事も確かだ。けれども、あのアジア大会に向けての準備がどう見ても適切なものとは思えなかったのだ。

 日本サッカー界が育んだこれだけ強力な人材を指揮する機会を得たのだ。反町氏には、与えられた環境内で最適な準備を行い、完璧な予選突破を期待したい。
posted by 武藤文雄 at 22:28| Comment(4) | TrackBack(0) | 五輪