(一部わかりづらい部分を修正しました 2008年5月3日)
最初から最後まで、何ともがっかりする話だ。「死ね」発言があったと言う話にも、日本協会の収拾策にも。
「犬が人を噛んでもニュースにはならないが、人が犬を噛むとニュースになる」と言うけれど、そのような類の話と言えるのだろうか。選手が審判に暴言を吐いて「ハイ、サヨナラ」は、それはそれで残念だが、しばしば見受けられる場面である。しかし、審判が選手に暴言と言うのは...
学生時代の事だから25年くらい前になるだろうか、社会人の相当レベルの高いチームに練習試合をしてもらった事があり、先方のチームから主審が出た。チームメートがハンドと判定されPKを取られたので、主審にしつこく文句を言った。すると、その主審は「うるせえ、ガキは黙ってろ!」とフィールド中に響き渡る大声で恫喝?してきた。若い学生に色々言われたので、単に腹が立ったのだろうが。横から見ている限りでは、直後のチームメートの腰の引け方が面白くて笑いをこらえるのに苦労したのだが。まあ、しょせん田舎の練習試合ならば、このように愉しい思い出になるのだが、今回はJリーグの主審だからねえ...
しかし、本当に「死ね」と言ったのだろうか。私の感覚からすれば、「死ね」と言う表現は、1対1で口論になり相手を罵る場合にはあまり使わない気がする。この表現が取られるのは、殺し屋が人を殺そうとする瞬間が典型に思えるのだが(つまり発言者が殺人行為をする場合)。自分が直接手を下さずに相手の死を望む場合は、普通「死んでしまえ」と言うように思う。もっとも、この表現はインタネットが普及して、ポピュラに使われるようになったのかもしれないから、私が古いのだろうか。それとも西村氏は、インタネットの巨大掲示板を愛好しているのだろうか。
大体、「死ね」と言われた選手は主審の指示にしたがわなかったのだが、それはそれで警告されないのかと心配したりして。
と、バカを言っている場合ではないな。
本件については、日本協会もすぐに動き、
正式なリリースを発表した。田嶋氏によると
「西村主審は、抗議した選手に対して『うるさい。黙ってプレーして』と注意を促したが、『死ね』とは言っていないと否定している。映像や調査からも、主審がそう発言するほどの状況だったとは思えない。
との事である。
日本協会としては、(性善説から評して)証拠不十分な告発は無罪としか判断しようがないだろうし、(性悪説から評して)証拠不十分な告発なので臭いものには蓋をしたいのだろうし、ある意味で予想された処理である。実際に確かめようもない事だし、上記に述べた小理屈で「死ね」と言う発言には不自然なものを感じる事も否定はしない。ただし、是非、田嶋氏にはテレビの前で「うるさい。黙ってプレーして」を代演いただき、「死ね」と視聴者が聞き違えるかどうか実験する事を期待したい。
しかし、状況把握が決定的にずれている。
問題は「死ね」と言ったか、言わなかったかではないだろう。
主審が「死ね」と言うのは論外だ。しかし、「うるさい」と言うのだって十分問題ではないか。「うるさい」と言う日本語は親しい者同士に使われる分にはそれほど失礼な表現ではないし、冷静な会話内でも使われる。しかし、それほど親しい間柄ではない者同士に使われる場合は、主に恫喝的に使われるのが普通だ。西村主審と当該選手がある程度以上に親しいならば、元々今回のようなトラブルにはなっていないだろう。そう考えれば「うるさい」と恫喝したとしか思えず、西村主審はその時点で相当興奮していたとしか推定できないではないか。
本質的な問題は、西村主審が試合中に相当興奮していた事にあるのだ。 サッカーの試合中に、選手が興奮し冷静さを欠く状況になるのは、誉められた事ではないが、仕方がない事だ。サッカーとはそのような競技なのだ。その興奮した選手を諌めるのは、チームメートであり、ベンチであり、審判であるはずだ。そして、サッカーと言う競技は、どのような混乱があっても、その最終決定は「審判、それも主審が行う」と言う約束で行われているのだ。だからこそ、審判は冷静である必要がある。
それでも審判だって人間である。何かしら不運があって、ついつい感情的になってしまう事あるかもしれない。それは褒められた事ではないが、人間である以上はそのようなミスが起こる可能性は常にある。だからこそ、そのような感情的な状態になってしまったら、審判として「不出来であった」と猛省してもらわなければ困る。そのために、日本協会は「不出来の審判」に対して、厳しい態度で臨む必要があるのだ。そして、「うるさい。黙ってプレーして」と言った主審は極端に不出来だったのだ。不出来だった以上は何がしかの叱責が必要になるのではないか。
ただし繰り返すが、人間なのだから完璧は望めないと言う事。1試合出来が悪かったと言って、審判に致命的な厳罰を処するのは違う。スター選手だって不出来の試合があるのと同じだ。不出来な試合があったから、「スペシャルレフェリーをクビにしろ」とか「J1の笛を金輪際吹かすな」は飛躍に過ぎる。もちろん、あまりに1人の審判が、そのような大トラブルを重ねたるならば、その審判の素材的な能力を問われる事になるけれど(そして、そう指摘したくなる主審がいる事が悩ましいのだが、それはそれとして)。
だからこそ、日本協会は「審判の不出来」を議論するのを避けるべきではない。そしてこれだけ、メディアが発達しているのだから、それは内部の議論に留めるのではなく、オープンな議論をすべきである。「審判はミスをしない」とか「何があっても審判が正しい」と後知恵で語れる時代ではない事を理解していないのではないか。
簡単な話だ。「西村主審は『死ね』と発言ていない模様」で留めてはいけないのだ。「ただし、西村氏はいささか神経質だった。改善を期待したい。」と添えて反省を促した事を公開すればよい。同様に相当の問題があった時や、問題を起こす頻度が高い審判に対して、審判する事を休ませる措置をを公開するのも躊躇すべきではなかろう。
先日私はアルビレックス−サンガ戦の佐藤隆治主審の不出来を
酷評した。当該エントリでUZ氏が「佐藤氏がよい笛を吹いた
試合もある」と指摘してくれた(このようなコメントは本当にありがたい)。また、佐藤氏の前節のマリノスージェフ戦での笛がよかったと複数の友人から聞いている。
西村氏だって、
この時のように「これ以上難しい試合はない」程の試合を巧く吹いた実績もある。
日本協会は「臭いものに蓋をする」措置を継続する事で、日々努力している審判諸兄への不信感を自ら高めている事に気がついて欲しい。