たまにはサッカー以外の本。シーズンオフなので野球の本を語るのもおもしろいと思っていたのだが、グズグズしているうちに、シーズン開幕が近づいて来て、慌てて紹介する次第。
本書は、1936年に日本職業野球連盟が発足した以降の、日本のプロ野球のベスト9を選ぼうと言う野心的な試みを述べたもの。1番打者から順番に、その打順に要求される能力を満足する選手を選び、下位打線には残ったポジションの選手を当てはめている。指名打者制を採用して野手を9人選考し、投手は10年刻みのいわゆるdecadeごとに1人ずつ選んでいる。
選考の仕方は様々なデータを駆使した上で、最後は「野球が好きでたまらない」と言う風情の著者の主観で決定されるのだが、この主観による決定がおもしろい。データ面では、たとえば1番は最高の得点を稼ぐ打者と言う事で、「通算得点」、「10試合当たりの得点」、「出塁率+生還率(出塁後にホームに帰ってくる比率)」などを比較。2番はつなぎの能力と言う事で、「犠打+盗塁+塁打+四死球」で評価。等と打順ごとに要求される仕様を変えている。
誰もが予想する通り、議論の余地なく選んでいるのが、3番ファースト王貞治と8番キャッチャー野村克也(野村自身は8番と言う事で文句を言うかもしれないが)。中でも、王の評価は、様々な側面からのデータで圧倒される。言うまでもなく、世界最高の本塁打王、打点もアーロン、ルースに次ぐ世界3位。しかし、筆者は王を、それらの目立つ記録のみならず、他のデータ面からも高く評価している。
その王に続く4番の選考がまたおもしろい。筆者は4番に対する期待は「どれだけ打点を稼いでくれるか。ただその1点に尽きるでしょう」と断定する。そして、通算打点最高記録保持者の王よりも、別な視点で打点を最も稼いだ選手を4番に選考している。このあたりのデータと、筆者主観の並立が、この本を魅力的にしている。そして、ネタバレになってしまうが、その4番は長嶋茂雄ではない。そして、「何ゆえ長嶋が史上最高の4番足り得る程打点を稼げなかったか」の解題が、中々の傑作。
また、基本的には打撃、走塁の攻撃能力での選考となっているが、守備面での貢献も考慮に加えられている。その守備面の評価だが、「守備率」では守備範囲の狭い選手に有利になるので、「守備機会(捕殺+刺殺+失策)」での比較を重視している。興味深いのは、この守備機会で評価すると、今売り出し中の若手スタアが極めて高い評価となる事。この若手選手はまだまだ、史上最強のベストナインに入る程の実績はないのだが、この守備面の評価からだけでも(バッティングでも評価されている選手なのだが)、歴史的名手となる可能性があるのだと再認識した。
投手編は上記した通り、decadeごとの選考。50年代に関しては議論の余地なく稲尾和久な訳だが、その稲尾が右肩を痛めてからの分析がおもしろい。そして、その分析は以降の年代でも、極めて重要になってくる。同様に「権藤、権藤、雨、権藤」に対する新解釈と、90年代以降のローテーション制の比較も示唆に富む。70年代のベスト投手選考としての、江夏豊、鈴木啓示、山田久志の比較も実に愉しい。そして、00年代最高と評価される現役の若手大エースが、より多くの実績を持つ大リーグで活躍する先輩よりも高い評価なのも、説得力がある。
もちろん、この手の本に付き物の疑問が多い。日本史に残る安打製造機を2人比較しながら曖昧な評価で終えてしまっている事。ショートストップの選考は「いくら何でも違うだろう」と突っ込みたくなる人選。そして、無理に「抑えのエース」を選ぼうとして(当然ながら抑え投手の記録が充実しているのは、つい最近)、ベストナインに「う〜ん」と言う最近の選手が並んでしまっている事(皆、立派な選手なのですが、他のレジェンドと比べるとねえ)。これによって、上記した00年代のエースとして選考されたスーパースタアの価値が下がってしまった。
で、問題は、サッカーでこのような本が望めるかどうかと言う事。サッカーと野球の相違は2つ。
1つ目は、80年代までと、それ以降で、日本サッカー界の世界における相対位置があまりに違い過ぎるために、過去の名手をベストイレブンに入れ込むのが中々難しい事。たとえば、釜本邦茂は別格としても、落合弘や前田秀樹や加藤久を、現在の日本代表選手達とどのように比較すべきなのか。このような選考は遊びだからこそ、説得力ある遊びをいかに行うか、難しいところだ。
2つ目は、野球と異なり、データで語り切れない事が多過ぎる事。たとえば、同じ高校出身の同じポジションの堀池巧と内田篤人の比較をデータで行えるものなのか。ただ、この分野は、まだまだ開拓の余地もあるようにも思う。たとえば、野球における「守備機会」的な評価を、サッカーでも発案できないだろうか。
などと他人事のように語ってはいけないな。自分で努力して書けばよいのだ。
2011年02月28日
2011年02月27日
ゼロックスに見た両軍の進歩と悩み
まあ、「楢崎が凄い」と言う試合だったな。PKをビシバシ止めたのみならず、見事なセービングでアントラーズの前に立ち塞がった。そして、両軍の色々な選手の「小さな進歩」と「僅かな悩み」を愉しめた試合だった。
興梠と大迫の2トップの成長が嬉しい。興梠の狡猾な動きは増々洗練されてきており、動き出しの早さは抜群。大迫は天皇杯決勝で見せた左右に開いてしっかりとボールを保持する能力がすっかり定着。前線からの守備も効果的で、幾度も前線でボールを奪いショートカウンタの起点となった。しかも、左右に開いた後、強引に中に割って入りシュートが枠を襲う。ただ、この1戦を見る限り、大変残念ながら、2人とも肝心のシュートがどうにも入らなかったのだが。ただし、興梠は元々長駆の後でもボールを捉える能力には定評があり、あと少しでボカスカ点を取ってくれるのではないかと言う雰囲気がある。大迫も左から力強く切れ込んで強襲した一撃が楢崎に触られバーを叩いた場面を筆頭に、いよいよその才能が花開いて来た感がある。この2人には期待したいのだ。今期新加入した新ストライカのカルロンは、ポルトガルリーグで活躍した実績もあり、190cmの長身と言う事もあるのか、話題になっている。しかし、私は興梠と大迫の成長こそ、このクラブの今期を左右するのではないかと思うのだが。
共にアジアカップで貴重な貢献をした伊野波と岩政のCBコンビ。2人それぞれの成長もよく見て取れた。伊野波は、いよいよ読みと寄せが冴え、グランパスの速攻を再三鮮やかに押さえていた。ただ、失点場面だが、10cm以上上背のある増川に完全にしてやられた。ワールドカップで上位に進出するためには、170cm代のセンタバックでは、やはり苦しいのだろうか。一方の岩政は、ケネディと火の出るような空中戦を展開しながら、少しずつ足下の弱点も克服しつつある。前半、玉田のパスから金崎が抜け出しかけた場面に、実に巧みに寄せて止めた場面は見事だった。アジアカップで、相応に使われて、自信をつけたのだろうか。大柄な選手は往々にして30歳近くになってグッと上昇する事があるが、大いに期待したい。
小笠原らの世代に重い負担がかかり、老齢化が心配されていたアントラーズだが、大胆な補強で気がついてみたら、しっかりと世代交代の準備が進んでいる。レンタルバックの田代、増田、移籍で獲得した本田拓也と西。これで、興梠と大迫が化ければ、しばらくは安泰ではないかと思わせる。こう言う当たりはフロントが強いのだろうなと。
一方のグランパス。ダニルソンの負傷離脱のため、中村と小川が変則のドイスボランチ。この2人に移籍加入した藤本の3人で組む中盤が、予想以上におもしろかった。とらえどころがないと言うか、あちらこちらから火がつく印象。これに田中隼磨の上下動と、阿部の悠然としたサイドチェンジがからむ。アントラーズは昨期グランパスに3連勝していたが、この日はこの「あちらこちら」には、相当苦労していた。この「あちらこちら」と、闘莉王、ケネディと言う核弾頭との相性はとてもよさそう。特に、中村と小川は成熟度が上がったと言うのだろうか、元々知的な選手だったのだが、幾多の経験を積むうちに位置取りが、実に巧みになってきた。さらに、このポジションにはこの日も後半から登場した吉村がおり、変化もつけられる。ダニルソン不在は痛いが、それでも戦闘能力はかなり高い。
しかし、最大の悩みは、連戦に伴う疲労だろう。中村も小川も吉村も、「あちらこちら」を実現するためには、相当な運動量が必要だ。そして、いきなり開幕前後から始まるACLとJの両立で、彼らがその運動量を維持できるかどうか。ダニルソンの存在は、その圧倒的な運動能力で、各選手の運動量が落ちても、「何とか中盤で止める」と言う部分で貴重だった。まずは、ACLの1次ラウンドをどうしのいで、上位進出できるかどうか。
それを左右するのは、金崎と永井の五輪世代の最前線2人だと思う。この2人が、それなりに爆発し、大量点を獲得できれば、少々中盤の運動量が落ち、苦しい状況になっても、勝ち点を積み上げて行く事になるだろう。昨期も、追い込まれて苦しい状況になっても、ケネディ、闘莉王らの一発で着実に勝ち点を積み上げて来たこのクラブ。そこに、この2人の若者の爆発が加われば、相当強いと思うのだが。
Jが開幕すると言うだけで、何かしらワクワクしてくる。そして、この1戦は、シーズン開幕前のお祭りとしては、大変愉しい試合だった。さらに、何のかの言っても、この両軍が今期のJを引っ張るだろう事も推定できる試合だった。うん、来週が本当に愉しみだ。
興梠と大迫の2トップの成長が嬉しい。興梠の狡猾な動きは増々洗練されてきており、動き出しの早さは抜群。大迫は天皇杯決勝で見せた左右に開いてしっかりとボールを保持する能力がすっかり定着。前線からの守備も効果的で、幾度も前線でボールを奪いショートカウンタの起点となった。しかも、左右に開いた後、強引に中に割って入りシュートが枠を襲う。ただ、この1戦を見る限り、大変残念ながら、2人とも肝心のシュートがどうにも入らなかったのだが。ただし、興梠は元々長駆の後でもボールを捉える能力には定評があり、あと少しでボカスカ点を取ってくれるのではないかと言う雰囲気がある。大迫も左から力強く切れ込んで強襲した一撃が楢崎に触られバーを叩いた場面を筆頭に、いよいよその才能が花開いて来た感がある。この2人には期待したいのだ。今期新加入した新ストライカのカルロンは、ポルトガルリーグで活躍した実績もあり、190cmの長身と言う事もあるのか、話題になっている。しかし、私は興梠と大迫の成長こそ、このクラブの今期を左右するのではないかと思うのだが。
共にアジアカップで貴重な貢献をした伊野波と岩政のCBコンビ。2人それぞれの成長もよく見て取れた。伊野波は、いよいよ読みと寄せが冴え、グランパスの速攻を再三鮮やかに押さえていた。ただ、失点場面だが、10cm以上上背のある増川に完全にしてやられた。ワールドカップで上位に進出するためには、170cm代のセンタバックでは、やはり苦しいのだろうか。一方の岩政は、ケネディと火の出るような空中戦を展開しながら、少しずつ足下の弱点も克服しつつある。前半、玉田のパスから金崎が抜け出しかけた場面に、実に巧みに寄せて止めた場面は見事だった。アジアカップで、相応に使われて、自信をつけたのだろうか。大柄な選手は往々にして30歳近くになってグッと上昇する事があるが、大いに期待したい。
小笠原らの世代に重い負担がかかり、老齢化が心配されていたアントラーズだが、大胆な補強で気がついてみたら、しっかりと世代交代の準備が進んでいる。レンタルバックの田代、増田、移籍で獲得した本田拓也と西。これで、興梠と大迫が化ければ、しばらくは安泰ではないかと思わせる。こう言う当たりはフロントが強いのだろうなと。
一方のグランパス。ダニルソンの負傷離脱のため、中村と小川が変則のドイスボランチ。この2人に移籍加入した藤本の3人で組む中盤が、予想以上におもしろかった。とらえどころがないと言うか、あちらこちらから火がつく印象。これに田中隼磨の上下動と、阿部の悠然としたサイドチェンジがからむ。アントラーズは昨期グランパスに3連勝していたが、この日はこの「あちらこちら」には、相当苦労していた。この「あちらこちら」と、闘莉王、ケネディと言う核弾頭との相性はとてもよさそう。特に、中村と小川は成熟度が上がったと言うのだろうか、元々知的な選手だったのだが、幾多の経験を積むうちに位置取りが、実に巧みになってきた。さらに、このポジションにはこの日も後半から登場した吉村がおり、変化もつけられる。ダニルソン不在は痛いが、それでも戦闘能力はかなり高い。
しかし、最大の悩みは、連戦に伴う疲労だろう。中村も小川も吉村も、「あちらこちら」を実現するためには、相当な運動量が必要だ。そして、いきなり開幕前後から始まるACLとJの両立で、彼らがその運動量を維持できるかどうか。ダニルソンの存在は、その圧倒的な運動能力で、各選手の運動量が落ちても、「何とか中盤で止める」と言う部分で貴重だった。まずは、ACLの1次ラウンドをどうしのいで、上位進出できるかどうか。
それを左右するのは、金崎と永井の五輪世代の最前線2人だと思う。この2人が、それなりに爆発し、大量点を獲得できれば、少々中盤の運動量が落ち、苦しい状況になっても、勝ち点を積み上げて行く事になるだろう。昨期も、追い込まれて苦しい状況になっても、ケネディ、闘莉王らの一発で着実に勝ち点を積み上げて来たこのクラブ。そこに、この2人の若者の爆発が加われば、相当強いと思うのだが。
Jが開幕すると言うだけで、何かしらワクワクしてくる。そして、この1戦は、シーズン開幕前のお祭りとしては、大変愉しい試合だった。さらに、何のかの言っても、この両軍が今期のJを引っ張るだろう事も推定できる試合だった。うん、来週が本当に愉しみだ。
2011年02月26日
先日のフィンケ氏に関するエントリについて
多くの方々から、様々なご意見をいただけて多謝。人それぞれ、色々な見方があるのが当然だが、フィンケ氏が多くのレッズサポータの方々から愛され期待されていたのがわかり、大変勉強になった。また、同様に多くのレッズサポータの方々が、現状のフロントに相当不満を抱いているのを知り、非常に複雑な気持ちになった。さらに、多くの方々が発展的な議論をして下さった事にも感謝。ありがとうございました。
氏が大変優秀な監督である事は間違いない。フライブルグでの格段な実績。昨年エルゴラッソで、友人の板垣晴朗氏が行ったドイツ代表の再生などを軸にしたインタビューには感銘を受けた。また、フィンケ氏が山田直輝の素質を開花させ、細貝萌を化けさせたのも、歴然たる事実だ。
別な「場」なり「時」に日本に登場していたら、全く異なる展開となった可能性はあったのかもしれない。
しかし、私はレッズにおけるフィンケ氏を評価する気にはなれない。確かにボールはよく回るサッカーを見せてくれたとは思う。けれども、残念ながら敵が組織的な守備を固めてくると、それを崩し切るサッカーを見せてくれた事はあまりなかった。その度に長口上で、「相手陣まで攻め込んでいたのだが」、「好機は作ったが決められなかった」と冷静に嘆くのを読むのは愉しかったのだが。
もちろん、チーム作りの過程でそのような停滞と言うのは付き物。たとえば、オシム爺さんのアジアカップのサウジ戦、韓国戦は、典型的なボール回しが目的化してしまった試合だった。しかし、その後に爺さんは、スイス戦やエジプト戦でアジアカップのボール保持を基盤により早くて速い攻撃を見せてくれた(だから、その直後に病魔に倒れた事を呪うのだが)。フィンケ氏は2年間で、そのような「発展」を見せてくれなかったのが不満なのだ。
たとえば、一昨シーズンの最終戦。レッズ対アントラーズ。アントラーズに負けたら、このライバルクラブにホームグラウンドで優勝を許す試合。この試合、堅実な守備、巧妙な逆襲速攻を武器にするアントラーズに対し、レッズはまともに攻めに出た。確かにボールは回っていた。しかし、最後の崩しには至らず。そして、後半半ば、プレッシャが弱くなった所で、内田と興梠の連携から崩され苦杯。オリヴェイラ氏の高笑いが聞こえてくるような試合。
たとえば、昨シーズン終盤のレッズ対モンテディオ。レッズは柏木と細貝を軸に猛攻を仕掛けた。しかし、小林伸二氏に鍛え抜かれたモンテディオ守備陣は執拗にエジミウソンを押さえ、後方から進出するレッズ選手を見事な受け渡しで押さえていた。レッズが得点を奪うためには「格段の変化」が必要に思えたが、フィンケ氏もレッズイレブンも、それを作り出す事ができなかった。そして、終盤モンテディオがセットプレイからワンチャンスで得点し、1−0で逃げ切った。絵に描いたような、我慢していたチームの勝利だった。正に小林伸二氏の台本通りに進んだ試合。
この2試合だけではない。多くの試合でレッズはよくボールを回すが崩し切れず、を繰り返していた。ボール保持は、質の高いサッカーのためには、非常に重要な手段だ。しかし、失礼な言い方かもしれないが、レッズにおけるフィンケ氏のサッカーはその手段が目的化しているように思えたのだ。あるいは、フィンケ氏には2年と言う期間は短か過ぎたのだろうか。
レッズがJで中位を基本として、数年に1度ACLを目指すようなクラブならば、フィンケ氏が見せてくれたサッカーは適切だったようにも思う。安定したボール保持は、堅実な成績を約束する可能性が高い。しかし、Jを制覇する、ACLを獲得する、と言う目標に対しては、安定したボール保持に加え、そこから守備を固めた敵を崩し切る「何か」が必要ではないのか。フィンケ氏の指向の延長に、再びアジアを制覇し、さらには拡大トヨタカップで欧州のクラブに一泡吹かせる事があったようには、私には思えなかった。
だから、私は出会いの齟齬を残念に思ったのだ。
氏が大変優秀な監督である事は間違いない。フライブルグでの格段な実績。昨年エルゴラッソで、友人の板垣晴朗氏が行ったドイツ代表の再生などを軸にしたインタビューには感銘を受けた。また、フィンケ氏が山田直輝の素質を開花させ、細貝萌を化けさせたのも、歴然たる事実だ。
別な「場」なり「時」に日本に登場していたら、全く異なる展開となった可能性はあったのかもしれない。
しかし、私はレッズにおけるフィンケ氏を評価する気にはなれない。確かにボールはよく回るサッカーを見せてくれたとは思う。けれども、残念ながら敵が組織的な守備を固めてくると、それを崩し切るサッカーを見せてくれた事はあまりなかった。その度に長口上で、「相手陣まで攻め込んでいたのだが」、「好機は作ったが決められなかった」と冷静に嘆くのを読むのは愉しかったのだが。
もちろん、チーム作りの過程でそのような停滞と言うのは付き物。たとえば、オシム爺さんのアジアカップのサウジ戦、韓国戦は、典型的なボール回しが目的化してしまった試合だった。しかし、その後に爺さんは、スイス戦やエジプト戦でアジアカップのボール保持を基盤により早くて速い攻撃を見せてくれた(だから、その直後に病魔に倒れた事を呪うのだが)。フィンケ氏は2年間で、そのような「発展」を見せてくれなかったのが不満なのだ。
たとえば、一昨シーズンの最終戦。レッズ対アントラーズ。アントラーズに負けたら、このライバルクラブにホームグラウンドで優勝を許す試合。この試合、堅実な守備、巧妙な逆襲速攻を武器にするアントラーズに対し、レッズはまともに攻めに出た。確かにボールは回っていた。しかし、最後の崩しには至らず。そして、後半半ば、プレッシャが弱くなった所で、内田と興梠の連携から崩され苦杯。オリヴェイラ氏の高笑いが聞こえてくるような試合。
たとえば、昨シーズン終盤のレッズ対モンテディオ。レッズは柏木と細貝を軸に猛攻を仕掛けた。しかし、小林伸二氏に鍛え抜かれたモンテディオ守備陣は執拗にエジミウソンを押さえ、後方から進出するレッズ選手を見事な受け渡しで押さえていた。レッズが得点を奪うためには「格段の変化」が必要に思えたが、フィンケ氏もレッズイレブンも、それを作り出す事ができなかった。そして、終盤モンテディオがセットプレイからワンチャンスで得点し、1−0で逃げ切った。絵に描いたような、我慢していたチームの勝利だった。正に小林伸二氏の台本通りに進んだ試合。
この2試合だけではない。多くの試合でレッズはよくボールを回すが崩し切れず、を繰り返していた。ボール保持は、質の高いサッカーのためには、非常に重要な手段だ。しかし、失礼な言い方かもしれないが、レッズにおけるフィンケ氏のサッカーはその手段が目的化しているように思えたのだ。あるいは、フィンケ氏には2年と言う期間は短か過ぎたのだろうか。
レッズがJで中位を基本として、数年に1度ACLを目指すようなクラブならば、フィンケ氏が見せてくれたサッカーは適切だったようにも思う。安定したボール保持は、堅実な成績を約束する可能性が高い。しかし、Jを制覇する、ACLを獲得する、と言う目標に対しては、安定したボール保持に加え、そこから守備を固めた敵を崩し切る「何か」が必要ではないのか。フィンケ氏の指向の延長に、再びアジアを制覇し、さらには拡大トヨタカップで欧州のクラブに一泡吹かせる事があったようには、私には思えなかった。
だから、私は出会いの齟齬を残念に思ったのだ。
2011年02月22日
フィンケ氏とは何だったのか
昨期末から「書きたい、書きたい」と思いながら、なかなか時間が取れなかった事の1つに、レッズを去ったフィンケ氏の事がある。
常に黒系の服を着て、細身で神経質そうな表情。ドイツの小クラブで残した確固たる実績。代表強化にも貢献したと言う理論派らしい発言の数々。レッズの試合終了後、WEBサイトに論理的な長口上が載る。この長口上が論理的で愉しい。私はこの長口上を読むのが大好きだった。
これで、見せてくれるサッカーが鮮やかだったならば、監督としても大いに評価できた。けれども、大変残念ながら、2年間じっくりと待ったが、質の高いサッカーを見せてくれた頻度は少なかった。確かに好調時のフィンケ氏率いるレッズの、短いパスを素早く回し敵を巧みに揺さぶるサッカーは美しかった。けれども、一度リズムを崩すとボールを回す事が目的化してしまい、冴えないサッカーが目立ち、「あれだけの選手を抱えているのに」と言う思いに終始する事が多かった。
しかも、残念な事にこの2年間でレッズは世代交代に成功したとは言えない。確かに代表にも抜擢された山田直輝の負傷離脱は不運だった。けれども、同様に氏に抜擢された原口元気、高橋峻希、岡本拓也と言った若手選手は、確かに皆よい選手だが、未だレッズで確固たる地位を獲得している訳ではなく、いずれもチームの中核として期待されるレベルに到達していない。たとえば、他クラブにおける同世代の米本拓司、宇佐美貴史、酒井高徳のような存在には、まだなっていないのだ(もちろん、原口らが近い将来、グッと大成長し、「その基盤を作り上げたのがフィンケ氏だった」と語られる日が来れば、大変美しいのだが)。
発売中のNUMBER772(アジアカップ制覇景気で久々に重版になったとの事)に、木崎伸也氏によるフィンケ氏インタビューが掲載されている(相変わらず玉石混合が愉しい雑誌だが)。これが興味深い。ここまでフィンケ氏に対して悪意あるインタビューを掲載して構わないのだろうかと心配になるくらいだ。木崎氏は、淡々と、フィンケ氏が語ったレッズと日本サッカーへの不満を4ページにまとめている。乱暴にその4ページに渡る愚痴を抜粋してみる。「就任時には、一部の主力が老齢化、世代交代と優勝を狙うのは矛盾している」、「藤口社長がクビになるし、不要なスタッフは多く、選手補強にカネが使えない」、「モダンなチームを作るにはリーダーシップを持った選手が複数必要だが不在、闘莉王はチームの改革を拒絶したからクビで当然、ただクビにした責任は私にはないが」、「新聞各社の担当は他競技との人事異動が多く、専門性に欠ける」。フィンケ氏も日本を去った事で、やや隙が出たのかもしれないが、ただただ「周囲の環境が悪かった」と愚痴を述べられると、読んでいる方がつらくなってくる。
確かにフィンケ氏の指摘はいずれもある程度は正しいのだろう。中でも、氏と契約したフロントの藤口前社長が更迭されたのは、非常にやりづらかったと思う。また、上記の山田直輝、田中達也と中心選手の負傷が続き(選手の負傷が多かったのみならず、回復も遅かった事に対して、フィンケ氏はレッズの医療体制への不満も述べている)、さらには阿部勇樹がワールドカップ後に離脱したのは痛かっただろう。
けれども、では「氏が自在なチーム作りができなかった」とは、とても思えない。上記したが、闘莉王がクラブを去った事と、氏のやり方(あるいは氏がフロントとやろうとしていた「改革」)には、結構密接な関係があったはず、氏には結果的に闘莉王を追い出した責任の一端はあるはずだ(さらに言うと、昨年闘莉王はグランパスのリーグ制覇にも、代表チームの南アフリカでの激闘にも大いに貢献した)。昨期にしても、柏木に加え、フィンケ氏が望んだスピラノビッチやサヌが補強されている。要は自分の好みでない選手を放出し、好みの選手を獲得しているのだ。さらに言うと、多くのサポータは、フィンケ氏を否定しなかったと言う。それは、彼らが「真に強いクラブを所有したい」と言う切望を持っていたからだろう。バカマスコミはグジャグジャ語ったかもしれないが、一番肝心なところでは、フィンケ氏は否定されていなかったはずだ。フィンケ氏からすれば、おもしろくない事ばかりだったのかもしれないが、全てがフィンケ氏に逆風だったとはとても思えないではないか。
さらには、同国人のオジェク氏やブッフバルド氏は、同じクラブで堂々たる成果を挙げたのだ。レッズがアジアチャンピオンになりミランと激闘を演じた07年シーズンから、急速にレッズのフロントのレベルが下がったと言いたいのだろうか。フィンケ氏がいくら文句を言おうが、フィンケ氏が契約したのはそのようなクラブであり、監督の責務は雇用側を批判する事ではなく、雇用側がナニでも成果を挙げる事だったはずだ。
そして、フィンケ氏就任中、レッズはリーグで順位も上げられず、確固とした若手も育成できず、さらには観客動員も大幅に下げてしまった(観客動員について、フィンケ氏の責任かどうかは議論が分かれようが)。
ところで。
かなりの人々が、フィンケ氏が「日本のサッカーを見下している、バカにしている」と批判している。木崎氏のインタビューにも、再三そのような発言が出てくる。しかし、そのような姿勢の監督でも、堂々とした成果を挙げる事ができるのは、フィリップが証明している。それはそれで問題だったかもしれないが、致命的ではなかったはずだ。
結局、相性だったのだと思う。
フィンケ氏のドイツでの格段の実績はすばらしい。そして、当時のレッズフロントは、そのフィンケ氏にチーム改革を託し、抜本的な強化を図りたかったのだろう。しかしながら、浦和レッズと言うクラブは、ゼロベースで短期的な成果を度外視して抜本的な改革を行うのは非常に難しいクラブだった。たとえば、フィンケ氏就任前の08年シーズンの7位と言う地位は、サポータを含む関係者には最低の成績だったのではないか。ところが、あろう事かフィンケ氏は09年シーズン序盤に思うように勝てない時に「我々は昨期7位のクラブなのだ」と言い訳にもならない事を語ったと言う。フィンケ氏の実績は、予算規模が小さいクラブが、高邁な理想や他クラブにない創意工夫で成果を収めるところに妙味があった。しかし、レッズは潤沢な予算を使う事ができて、周囲もそれを期待するクラブだった。
レッズとフィンケ氏の出会いは、そう言う縁だったのだ。もし、もう少し経済的に余裕のないクラブがフィンケ氏と出会っていれば(ただ、そこではフィンケ氏が納得できるサラリーや補強費を提供できたかどうかは不明だが)、あるいはレッズのような資金力のあるクラブが監督ではなく強化の全責任をフィンケ氏に任せていれば(ただ、日本サッカーのよい意味にもなり悪い意味にもなる特殊性を、強情な外国時の強化責任者が飲み込めたかどうかは不明だが)、また異なった展開があったかもしれない。
クラブと監督の出会いと言うのは、本当に難しいものだと思う。
でも、フィンケ氏は少なくとも1つだけは、我々に歓喜を提供してくれた。「何か、これで十分のような気がする。」って思っちゃいけないのだよね。
常に黒系の服を着て、細身で神経質そうな表情。ドイツの小クラブで残した確固たる実績。代表強化にも貢献したと言う理論派らしい発言の数々。レッズの試合終了後、WEBサイトに論理的な長口上が載る。この長口上が論理的で愉しい。私はこの長口上を読むのが大好きだった。
これで、見せてくれるサッカーが鮮やかだったならば、監督としても大いに評価できた。けれども、大変残念ながら、2年間じっくりと待ったが、質の高いサッカーを見せてくれた頻度は少なかった。確かに好調時のフィンケ氏率いるレッズの、短いパスを素早く回し敵を巧みに揺さぶるサッカーは美しかった。けれども、一度リズムを崩すとボールを回す事が目的化してしまい、冴えないサッカーが目立ち、「あれだけの選手を抱えているのに」と言う思いに終始する事が多かった。
しかも、残念な事にこの2年間でレッズは世代交代に成功したとは言えない。確かに代表にも抜擢された山田直輝の負傷離脱は不運だった。けれども、同様に氏に抜擢された原口元気、高橋峻希、岡本拓也と言った若手選手は、確かに皆よい選手だが、未だレッズで確固たる地位を獲得している訳ではなく、いずれもチームの中核として期待されるレベルに到達していない。たとえば、他クラブにおける同世代の米本拓司、宇佐美貴史、酒井高徳のような存在には、まだなっていないのだ(もちろん、原口らが近い将来、グッと大成長し、「その基盤を作り上げたのがフィンケ氏だった」と語られる日が来れば、大変美しいのだが)。
発売中のNUMBER772(アジアカップ制覇景気で久々に重版になったとの事)に、木崎伸也氏によるフィンケ氏インタビューが掲載されている(相変わらず玉石混合が愉しい雑誌だが)。これが興味深い。ここまでフィンケ氏に対して悪意あるインタビューを掲載して構わないのだろうかと心配になるくらいだ。木崎氏は、淡々と、フィンケ氏が語ったレッズと日本サッカーへの不満を4ページにまとめている。乱暴にその4ページに渡る愚痴を抜粋してみる。「就任時には、一部の主力が老齢化、世代交代と優勝を狙うのは矛盾している」、「藤口社長がクビになるし、不要なスタッフは多く、選手補強にカネが使えない」、「モダンなチームを作るにはリーダーシップを持った選手が複数必要だが不在、闘莉王はチームの改革を拒絶したからクビで当然、ただクビにした責任は私にはないが」、「新聞各社の担当は他競技との人事異動が多く、専門性に欠ける」。フィンケ氏も日本を去った事で、やや隙が出たのかもしれないが、ただただ「周囲の環境が悪かった」と愚痴を述べられると、読んでいる方がつらくなってくる。
確かにフィンケ氏の指摘はいずれもある程度は正しいのだろう。中でも、氏と契約したフロントの藤口前社長が更迭されたのは、非常にやりづらかったと思う。また、上記の山田直輝、田中達也と中心選手の負傷が続き(選手の負傷が多かったのみならず、回復も遅かった事に対して、フィンケ氏はレッズの医療体制への不満も述べている)、さらには阿部勇樹がワールドカップ後に離脱したのは痛かっただろう。
けれども、では「氏が自在なチーム作りができなかった」とは、とても思えない。上記したが、闘莉王がクラブを去った事と、氏のやり方(あるいは氏がフロントとやろうとしていた「改革」)には、結構密接な関係があったはず、氏には結果的に闘莉王を追い出した責任の一端はあるはずだ(さらに言うと、昨年闘莉王はグランパスのリーグ制覇にも、代表チームの南アフリカでの激闘にも大いに貢献した)。昨期にしても、柏木に加え、フィンケ氏が望んだスピラノビッチやサヌが補強されている。要は自分の好みでない選手を放出し、好みの選手を獲得しているのだ。さらに言うと、多くのサポータは、フィンケ氏を否定しなかったと言う。それは、彼らが「真に強いクラブを所有したい」と言う切望を持っていたからだろう。バカマスコミはグジャグジャ語ったかもしれないが、一番肝心なところでは、フィンケ氏は否定されていなかったはずだ。フィンケ氏からすれば、おもしろくない事ばかりだったのかもしれないが、全てがフィンケ氏に逆風だったとはとても思えないではないか。
さらには、同国人のオジェク氏やブッフバルド氏は、同じクラブで堂々たる成果を挙げたのだ。レッズがアジアチャンピオンになりミランと激闘を演じた07年シーズンから、急速にレッズのフロントのレベルが下がったと言いたいのだろうか。フィンケ氏がいくら文句を言おうが、フィンケ氏が契約したのはそのようなクラブであり、監督の責務は雇用側を批判する事ではなく、雇用側がナニでも成果を挙げる事だったはずだ。
そして、フィンケ氏就任中、レッズはリーグで順位も上げられず、確固とした若手も育成できず、さらには観客動員も大幅に下げてしまった(観客動員について、フィンケ氏の責任かどうかは議論が分かれようが)。
ところで。
かなりの人々が、フィンケ氏が「日本のサッカーを見下している、バカにしている」と批判している。木崎氏のインタビューにも、再三そのような発言が出てくる。しかし、そのような姿勢の監督でも、堂々とした成果を挙げる事ができるのは、フィリップが証明している。それはそれで問題だったかもしれないが、致命的ではなかったはずだ。
結局、相性だったのだと思う。
フィンケ氏のドイツでの格段の実績はすばらしい。そして、当時のレッズフロントは、そのフィンケ氏にチーム改革を託し、抜本的な強化を図りたかったのだろう。しかしながら、浦和レッズと言うクラブは、ゼロベースで短期的な成果を度外視して抜本的な改革を行うのは非常に難しいクラブだった。たとえば、フィンケ氏就任前の08年シーズンの7位と言う地位は、サポータを含む関係者には最低の成績だったのではないか。ところが、あろう事かフィンケ氏は09年シーズン序盤に思うように勝てない時に「我々は昨期7位のクラブなのだ」と言い訳にもならない事を語ったと言う。フィンケ氏の実績は、予算規模が小さいクラブが、高邁な理想や他クラブにない創意工夫で成果を収めるところに妙味があった。しかし、レッズは潤沢な予算を使う事ができて、周囲もそれを期待するクラブだった。
レッズとフィンケ氏の出会いは、そう言う縁だったのだ。もし、もう少し経済的に余裕のないクラブがフィンケ氏と出会っていれば(ただ、そこではフィンケ氏が納得できるサラリーや補強費を提供できたかどうかは不明だが)、あるいはレッズのような資金力のあるクラブが監督ではなく強化の全責任をフィンケ氏に任せていれば(ただ、日本サッカーのよい意味にもなり悪い意味にもなる特殊性を、強情な外国時の強化責任者が飲み込めたかどうかは不明だが)、また異なった展開があったかもしれない。
クラブと監督の出会いと言うのは、本当に難しいものだと思う。
でも、フィンケ氏は少なくとも1つだけは、我々に歓喜を提供してくれた。「何か、これで十分のような気がする。」って思っちゃいけないのだよね。
2011年02月17日
(書評)千葉直樹引退読本 サッカーキング2011年3月号
ここ数日話題になっている、このコラムは、本誌の特集の言わば「締め」の1ページを飾るものとなっている。
本書は、精力的にJリーグを掘り下げる月刊誌が、巻頭から半分近くのページを費やして、ベガルタのシンボルとして活躍し、このオフに引退を決意した千葉直樹を特集したもの。
本特集の多くを執筆したのは、友人の板垣晴朗氏。氏はエルゴラッソのベガルタ番記者。元々は(もちろん、今もですが)語学堪能な碩学。昨夏には、エルゴラッソ誌上でドイツ滞在時代にも接点があったフィンケ氏に、ドイツ代表の改革などを含めた見事なインタビューを行い話題にもなった。自分が映像未見のベガルタ試合でも、氏の記事を読めば、おおむねチーム状況を確実に把握できると言う意味でも、非常に信頼できるライターだ。
私が本書を知ったのは、板垣氏からのメールだった。正直、実物を手に取るまで、何かの冗談だと思ったのは秘密だ。同誌が、単独クラブの特集を指向しているのは知っていたし、昨年もベガルタ特集を組んでくれたりはしていた。また、オフの出版だけに、引退選手に注目を集めるのも理解できなくはない。けれども、だからと言って千葉直樹にフォーカスする全国系の雑誌があってよいものなのかと。
私が仙台サポータだから、割り引いて読んでいただきたいのだが(そう、ことわらなくとも、皆さん割り引いてお読みになるだろうが)、この特集は雑誌のサッカー雑誌(あるいはスポーツ雑誌)の従来なかった可能性を広げ得るものだと思う。本誌のような月刊誌に限らず、サッカーマガジンやダイジェストのような週刊誌も、ナンバーのような2週間ごと発刊誌?も、サッカー批評のような季刊誌も、基本的には各号でフォーカスする特集を組んでくる。ただし、その特集のネタは、代表チームであったり、Jで特別な活躍をしているクラブであったり、圧倒的な能力を持つ選手であったり。
しかし、ベガルタ仙台と言う地方の小さなクラブ(小さいのは現時点だ、いつか大きくなってやる、と言う気持ちは置いておいてだが)一筋で戦って来た英雄の引退を、雑誌の特集として採り上げ、完全に読み物として成立させる事ができるとは、正直思ってもみなかった。実際、読んでもらいたいのだが、面白いのだよ、これが。
この選手は、仙台と言う都市に生まれ育ち、かつ他のサッカー少年よりも格段に運動能力に優れ、さらに自分を律して努力すると言う才能に恵まれた少年だった。そして、本人にとっては当たり前の努力を積み(その本人にとっての「当たり前」は、他者にとっては物凄い努力なのだが)、ユース世代時点で順調に優秀な選手に成長した。その時点で、その仙台に、たまたまプロフェッショナリズム化を推進する、やや人工的に作られたクラブがあり、普通に勧誘されてその一員となる。そして、その後のブランメル仙台、あるいはベガルタ仙台の、紆余曲折、七転八倒、艱難辛苦、絶望歓喜、弐萬熱狂、残留安堵、諸行無常の全てを、ピッチから経験する。そして、気がついてみたら、引退時にベガルタ仙台の象徴のみならず、日本サッカーにおいても貴重な人材になっていたと言う事だろう。
そのような「貴重な人材」の経歴をA4版、37ページで「これでもか、これでもか」と紹介する記事が続く。これが、おもしろくない訳がない。改めて千葉直樹の偉大さを再認識できると共に、上記したようなこの選手の「着実な成長」記録を堪能できる仕掛けとなっている。
ベガルタ仙台の我々にとって、唯一無二の存在である千葉直樹の「これでもか、これでもか」は、他クラブのサポータにも、日本代表のサポータにも、その他のスポーツ好きにも、間違いなく愉しめるコンテンツ足り得るはずだ。そして、我々にとって唯一無二の千葉直樹だが、皆さんにとって唯一無二の存在は、それぞれ存在するはず。サッカーを深く愉しむために、本特集のように、それぞれの唯一無二をじっくりと堪能できる機会があれば嬉しいではないか。サッカー雑誌にはまだまだ無限の可能性がありそうに思う。
できれば、千葉直樹が日本中のサッカー狂にとっての唯一無二であって欲しい気持ちもあるが、やはりそれは違う。千葉直樹は俺たちだけの唯一無二なのだ。
ついでに宣伝。ベガルタ仙台の市民後援会が毎シーズンオフに発行する、各期の総決算誌です。私も1ページコラムを書いています。ご興味があれば。
本書は、精力的にJリーグを掘り下げる月刊誌が、巻頭から半分近くのページを費やして、ベガルタのシンボルとして活躍し、このオフに引退を決意した千葉直樹を特集したもの。
本特集の多くを執筆したのは、友人の板垣晴朗氏。氏はエルゴラッソのベガルタ番記者。元々は(もちろん、今もですが)語学堪能な碩学。昨夏には、エルゴラッソ誌上でドイツ滞在時代にも接点があったフィンケ氏に、ドイツ代表の改革などを含めた見事なインタビューを行い話題にもなった。自分が映像未見のベガルタ試合でも、氏の記事を読めば、おおむねチーム状況を確実に把握できると言う意味でも、非常に信頼できるライターだ。
私が本書を知ったのは、板垣氏からのメールだった。正直、実物を手に取るまで、何かの冗談だと思ったのは秘密だ。同誌が、単独クラブの特集を指向しているのは知っていたし、昨年もベガルタ特集を組んでくれたりはしていた。また、オフの出版だけに、引退選手に注目を集めるのも理解できなくはない。けれども、だからと言って千葉直樹にフォーカスする全国系の雑誌があってよいものなのかと。
私が仙台サポータだから、割り引いて読んでいただきたいのだが(そう、ことわらなくとも、皆さん割り引いてお読みになるだろうが)、この特集は雑誌のサッカー雑誌(あるいはスポーツ雑誌)の従来なかった可能性を広げ得るものだと思う。本誌のような月刊誌に限らず、サッカーマガジンやダイジェストのような週刊誌も、ナンバーのような2週間ごと発刊誌?も、サッカー批評のような季刊誌も、基本的には各号でフォーカスする特集を組んでくる。ただし、その特集のネタは、代表チームであったり、Jで特別な活躍をしているクラブであったり、圧倒的な能力を持つ選手であったり。
しかし、ベガルタ仙台と言う地方の小さなクラブ(小さいのは現時点だ、いつか大きくなってやる、と言う気持ちは置いておいてだが)一筋で戦って来た英雄の引退を、雑誌の特集として採り上げ、完全に読み物として成立させる事ができるとは、正直思ってもみなかった。実際、読んでもらいたいのだが、面白いのだよ、これが。
この選手は、仙台と言う都市に生まれ育ち、かつ他のサッカー少年よりも格段に運動能力に優れ、さらに自分を律して努力すると言う才能に恵まれた少年だった。そして、本人にとっては当たり前の努力を積み(その本人にとっての「当たり前」は、他者にとっては物凄い努力なのだが)、ユース世代時点で順調に優秀な選手に成長した。その時点で、その仙台に、たまたまプロフェッショナリズム化を推進する、やや人工的に作られたクラブがあり、普通に勧誘されてその一員となる。そして、その後のブランメル仙台、あるいはベガルタ仙台の、紆余曲折、七転八倒、艱難辛苦、絶望歓喜、弐萬熱狂、残留安堵、諸行無常の全てを、ピッチから経験する。そして、気がついてみたら、引退時にベガルタ仙台の象徴のみならず、日本サッカーにおいても貴重な人材になっていたと言う事だろう。
そのような「貴重な人材」の経歴をA4版、37ページで「これでもか、これでもか」と紹介する記事が続く。これが、おもしろくない訳がない。改めて千葉直樹の偉大さを再認識できると共に、上記したようなこの選手の「着実な成長」記録を堪能できる仕掛けとなっている。
ベガルタ仙台の我々にとって、唯一無二の存在である千葉直樹の「これでもか、これでもか」は、他クラブのサポータにも、日本代表のサポータにも、その他のスポーツ好きにも、間違いなく愉しめるコンテンツ足り得るはずだ。そして、我々にとって唯一無二の千葉直樹だが、皆さんにとって唯一無二の存在は、それぞれ存在するはず。サッカーを深く愉しむために、本特集のように、それぞれの唯一無二をじっくりと堪能できる機会があれば嬉しいではないか。サッカー雑誌にはまだまだ無限の可能性がありそうに思う。
できれば、千葉直樹が日本中のサッカー狂にとっての唯一無二であって欲しい気持ちもあるが、やはりそれは違う。千葉直樹は俺たちだけの唯一無二なのだ。
ついでに宣伝。ベガルタ仙台の市民後援会が毎シーズンオフに発行する、各期の総決算誌です。私も1ページコラムを書いています。ご興味があれば。
2011年02月15日
若者に過剰な期待は自粛すべき...なのだが
宮市亮がフェイエノールトでデビュー。初戦のプレイも中々見事だったが、2戦目となるホームゲームでは見事な得点を決めた。右サイドからのセンタリングをフリーで受けた位置取りのうまさ、そのボールを正確に止めた技術、状況を見て冷静に敵をかわし左側に持ち出した判断、そして振りが速く正確なグラウンダのシュート。この得点は、最大の長所と言われる格段のスピードのみならず、他の能力もすばらしい事を証明するものとなった。
もちろん、これからである。
西欧のリーグでこれだけ派手なデビューを飾った日本のユース選手は前代未聞なだけに、一層の注目を浴びる事となっているのは確か。しかし、高等学校あるいはユースクラブ出身で、Jにデビューし、いきなり劇的な活躍をする若者は、過去にも多数いたではないか。そして、彼らの勝負は、その活躍を継続して続けられるかだったのは、皆さんご記憶の通り。
敵のマークも激しくなるだろう。長所短所が明らかになれば、オランダのプロフェッショナル達も、容易に俊足を活かす空間は許してくれなくなる。そう言う中で、いかに事前に周りを見て、事前に適切に判断し、一瞬で僅かの空間で適切にボールを操り、最大武器のスプリント力を発揮するか。近い将来、厳しい壁にぶち当たるだろうが、どのくらい早く克服できるか。
まして、慣れない異国でのプレイで体調を整え続けるのも大変な事。いや、そもそも、まだ高等学校在籍のこの若者にとっては、毎週毎週プロフェッショナルとしての試合を継続する事すら初めての経験なのだから。
おそらく、この2試合の水準のプレイができない事も、今後多々あるだろう。フェイエノールト首脳が長い目で見守ってくれる事を期待したい。
この世代には既にJで実績を残している優秀な最前線のタレントが多い。宇佐美貴史、小野裕二、小川慶治朗、永井龍、Jではなくスペインで爪を磨いでいる指宿洋史もいる(それでもワールドユースに出損ねたのだから、考えてみると、それはそれですごい事だな)。
そう言ったライバル達の中で、宮市は実に派手な活躍で実績を挙げた。さすが、アルセーヌ・ベンゲル氏が惚れ込んだだけのタレントだ。そして、それだけの付加価値が認められ、この若者はJではなく、より世界最高峰に近い(ここでの「近い」は、レベルと言うよりは、実際の移動距離を示している)オランダリーグで、デビューする機会を得たと言う事だ。焦らず、慌てずによい結果を期待したい。
などと言いながら、「先頃引退を発表した史上最高の9番も、10代でオランダリーグでプレイする事で、西欧での経歴をスタートさせたな」などと、考えちゃう。無責任な野次馬の特権なのですが。
もちろん、これからである。
西欧のリーグでこれだけ派手なデビューを飾った日本のユース選手は前代未聞なだけに、一層の注目を浴びる事となっているのは確か。しかし、高等学校あるいはユースクラブ出身で、Jにデビューし、いきなり劇的な活躍をする若者は、過去にも多数いたではないか。そして、彼らの勝負は、その活躍を継続して続けられるかだったのは、皆さんご記憶の通り。
敵のマークも激しくなるだろう。長所短所が明らかになれば、オランダのプロフェッショナル達も、容易に俊足を活かす空間は許してくれなくなる。そう言う中で、いかに事前に周りを見て、事前に適切に判断し、一瞬で僅かの空間で適切にボールを操り、最大武器のスプリント力を発揮するか。近い将来、厳しい壁にぶち当たるだろうが、どのくらい早く克服できるか。
まして、慣れない異国でのプレイで体調を整え続けるのも大変な事。いや、そもそも、まだ高等学校在籍のこの若者にとっては、毎週毎週プロフェッショナルとしての試合を継続する事すら初めての経験なのだから。
おそらく、この2試合の水準のプレイができない事も、今後多々あるだろう。フェイエノールト首脳が長い目で見守ってくれる事を期待したい。
この世代には既にJで実績を残している優秀な最前線のタレントが多い。宇佐美貴史、小野裕二、小川慶治朗、永井龍、Jではなくスペインで爪を磨いでいる指宿洋史もいる(それでもワールドユースに出損ねたのだから、考えてみると、それはそれですごい事だな)。
そう言ったライバル達の中で、宮市は実に派手な活躍で実績を挙げた。さすが、アルセーヌ・ベンゲル氏が惚れ込んだだけのタレントだ。そして、それだけの付加価値が認められ、この若者はJではなく、より世界最高峰に近い(ここでの「近い」は、レベルと言うよりは、実際の移動距離を示している)オランダリーグで、デビューする機会を得たと言う事だ。焦らず、慌てずによい結果を期待したい。
などと言いながら、「先頃引退を発表した史上最高の9番も、10代でオランダリーグでプレイする事で、西欧での経歴をスタートさせたな」などと、考えちゃう。無責任な野次馬の特権なのですが。
2011年02月13日
岡崎移籍問題とゼロ円移籍とJリーグの究極目標
岡崎慎司の移籍問題がもめている。経緯はこう言う事らしい。問題点は、エスパルスの契約が1月31日まで残っていて、かつ欧州の移籍期限が1月31日なので、シュツットガルト入りするためには、エスパルス契約期間内に契約を締結する必要があるから、若干額だが違約金が必要だと言う事だ。これに対しては、慣例で違約金不要とか、時差の関係で日本の契約が切れた後でドイツで契約すれば大丈夫とかの説があるようだが、そうなってくるとFIFAの裁定を仰ぐしかないだろう。
元々本件は「シュツットガルト入り有力」と報道された1月の時点から噂されており、1月末にアジアカップから直接渡独した岡崎のシュツットガルト移籍発表直後も、こちらのような報道があった。しかし、昨日(2月12日)のニュルンベルグ戦でベンチ入り(あるいはスタメン)との情報が、あちらこちらに出ていた事もあり、ウヤムヤのうちに(?!)「丸く収まったのだろうか」と思っていた。そう思っていたら、昨日の試合直前に「書類不備で登録できず」と言う報道(たとえば「これ」)が流れ、敢えなく岡崎はベンチ外になってしまった。
本件については、今日(2月13日)にエスパルスがニュースリリースを発行し、見解を明示した。シュツットガルトサイドの言い分については、昨日以降の英語WEB記事が発見できなかったためにわからないが、エスパルスが契約を基盤に権利を主張する事はまったく正当な事。ただ、「どうせ主張するならばもっと早く」、「日本語のみならず英語、ドイツ語で」と言う思いもある。アジアカップで岡崎が奮闘している事もあって騒ぎを起こすのを自粛したと言う説もあるが、それならばそれでシュツットガルトが岡崎入団発表した直後に、正式に抗議をすべきだったのではないか。実利を取るためにはアクションは早い方がよかったし、世界に直接訴えるべきと思うのだが。
本件自体は、代理人のヘマだろう。こう言うトラブルを避けるために、代理人が存在するのだと思うのだけれども、なぜか日本の代理人はかえっ(以下略)。
しかし、岡崎自身に甘さがあった感も否めない。一連の問題は1月時点で報道されており、岡崎自身も帰国時にこのようなコメントを述べている事から、ある程度の事態は理解していたはず。「交渉は代理人に任せる」のは問題ないが、事は己の進退の問題なのだ。子供ではないのだし、行動に責任を持つ必要がある。岡崎には日本代表の中核として、今後長く活躍してもらわなければならないので、敢えて苦言を呈したい。
いずれにしても、本件については早期に事態が収拾し、岡崎が欧州を席巻するのを期待するところだ。
ところで。
本件を含め、日本サッカー界の移籍規定を世界対応に合わせたタイミングで、多くの日本選手がタダあるいはタダ同然で欧州に移籍する事を嘆く向きが多い。しかし、これは仕方がない事なのだ。6年前の中田浩二のマルセイユ移籍時に、選手サイドが「海外に行きたい」と切望すれば、Jサイドは防ぎようがない事はわかっていた事。当時私は、本件について何とも牧歌的な甘さで誤解していた事があるのだが。これへの対策は、複数年契約を結び、契約期間中に違約金込みで売るしかない(もちろん、複数年契約を拒絶されれば、契約期間中「干す」と言う、非常に難しい選択肢しか残らないのだが)。
つまり、Jリーグ各クラブが中心選手をタダ同然で欧州クラブに取られているのは、日本が移籍規定を世界標準に合わせた事が要因ではない。欧州各クラブが日本選手の良さを再発見したからなのだ。中村俊輔のみが欧州で相当の活躍をしていたものの、中田英寿と小野伸二が(おそらく負傷の影響で)20代後半から自クラブでの活躍が叶わなくなったあたりから、日本人スタアの欧州の市場価値は落ちっ放しだった。しかし、長谷部誠、松井大輔、本田圭佑らの奮戦と、南アフリカでの好成績から、事態が転換。長友佑都、香川真司、内田篤人らが、堂々と欧州トップリーグの定位置を確保するどころか、中心選手として活躍するに至り、多くの欧州クラブが「タダ同然」の日本人選手に目を付けたと言う事だろう(「『タダです』と言う代理人の売り込みに耳を貸すようになった」と言うのがより正確かな)。もちろん、今期に関して「契約切れ」選手が多く、タダ同然が多いのは、日本の移籍制度が変った過渡期だからだろうが。
大体、多くの人が誤解しているが、「取られる」クラブからすれば、「取る」クラブが欧州だろうがJリーグだろうが、同じ事のはずだ。エスパルスは岡崎に対し複数年契約を納得させられなかったのだから、もしシュツットガルトに「取られ」なければ、他のJクラブに「取られる」可能性が高い。上記の契約期間に対するFIFA裁定次第だが、シュツットガルトに「取られる」方が、僅かかもしれないが「違約金」を取れるならば、まだマシと言う事になる。繰り返すが、それに対する対策は複数年契約しかない。
毎シーズンオフごとに、関口訓充との別れが来るのかヤキモキするベガルタサポータからすれば、関口がベルギーのクラブに行こうが、Jのトップクラブに行こうか、どちらも「別れ」と言う事では全く同じ事なのだ。「別れずに、来期も共に戦えるかどうか」それ以外何がある?そして、関口が長期離脱するような負傷のリスクを覚悟で、自己の付加価値を最大限に高めるために単年度契約を望むのも、それはそれでその意気やよしである。
また、インテルが払う大枚の多くが、FC東京ではなく、チェゼーナに行く事が、おもしろくない方も多いと思う。これまた、仕方がない。長友が日本代表とFC東京で、どんなにすばらしいプレイを見せても、インテルは食指を動かさなかっただろう。チェゼーナであれだけのプレイを見せたからがゆえ、インテルは取りに行ったのだ。11年前にローマが中田英寿を獲得したのも、日本代表で活躍したからではなく、ペルージャで活躍したからだ(そう考えると、奥寺康彦の偉大さに感心するのだが、まあそれはそれ)。
しかし、この事態は近い将来大きく変る可能性がある。現在欧州で活躍する我らの英雄達が、今以上のプレイを継続すれば、欧州のトップクラブは中堅クラブのバッファ抜きに、Jから選手をダイレクトで獲得しようとしに来るはずだ。そして、それはそう遠い先ではない。その時までに、Jの各クラブは若手の精鋭を、しっかりと長期契約で押さえる事ができていれば、多額の違約金を獲得できるではないか。選手達ができるだけ身軽に欧州に飛び出そうとするのは当然の事、クラブはいかにそれらの選手と折り合いを付けて成長の付加価値を享受できるようにすべきか。日本サッカーのレベルが上がり、Jリーグの存在意義が世界でも重要になる時代になったからこそ、嬉しい悩みが増えて来たと言う事だろう。
そして、それらを繰り返しながら、Jのレベルを上げて行き、いつかサッカーの戦闘力で西欧のトップクラブに追いつく事。かつてのジャパンマネーによって世界のスーパースタアを集めた時代とは全く異なる意味で、Jリーグに世界のスーパースタアを集め、拡大トヨタカップを制覇する事。それはワールドカップを獲得する事とは別な意味での我々の目標となる。
元々本件は「シュツットガルト入り有力」と報道された1月の時点から噂されており、1月末にアジアカップから直接渡独した岡崎のシュツットガルト移籍発表直後も、こちらのような報道があった。しかし、昨日(2月12日)のニュルンベルグ戦でベンチ入り(あるいはスタメン)との情報が、あちらこちらに出ていた事もあり、ウヤムヤのうちに(?!)「丸く収まったのだろうか」と思っていた。そう思っていたら、昨日の試合直前に「書類不備で登録できず」と言う報道(たとえば「これ」)が流れ、敢えなく岡崎はベンチ外になってしまった。
本件については、今日(2月13日)にエスパルスがニュースリリースを発行し、見解を明示した。シュツットガルトサイドの言い分については、昨日以降の英語WEB記事が発見できなかったためにわからないが、エスパルスが契約を基盤に権利を主張する事はまったく正当な事。ただ、「どうせ主張するならばもっと早く」、「日本語のみならず英語、ドイツ語で」と言う思いもある。アジアカップで岡崎が奮闘している事もあって騒ぎを起こすのを自粛したと言う説もあるが、それならばそれでシュツットガルトが岡崎入団発表した直後に、正式に抗議をすべきだったのではないか。実利を取るためにはアクションは早い方がよかったし、世界に直接訴えるべきと思うのだが。
本件自体は、代理人のヘマだろう。こう言うトラブルを避けるために、代理人が存在するのだと思うのだけれども、なぜか日本の代理人はかえっ(以下略)。
しかし、岡崎自身に甘さがあった感も否めない。一連の問題は1月時点で報道されており、岡崎自身も帰国時にこのようなコメントを述べている事から、ある程度の事態は理解していたはず。「交渉は代理人に任せる」のは問題ないが、事は己の進退の問題なのだ。子供ではないのだし、行動に責任を持つ必要がある。岡崎には日本代表の中核として、今後長く活躍してもらわなければならないので、敢えて苦言を呈したい。
いずれにしても、本件については早期に事態が収拾し、岡崎が欧州を席巻するのを期待するところだ。
ところで。
本件を含め、日本サッカー界の移籍規定を世界対応に合わせたタイミングで、多くの日本選手がタダあるいはタダ同然で欧州に移籍する事を嘆く向きが多い。しかし、これは仕方がない事なのだ。6年前の中田浩二のマルセイユ移籍時に、選手サイドが「海外に行きたい」と切望すれば、Jサイドは防ぎようがない事はわかっていた事。当時私は、本件について何とも牧歌的な甘さで誤解していた事があるのだが。これへの対策は、複数年契約を結び、契約期間中に違約金込みで売るしかない(もちろん、複数年契約を拒絶されれば、契約期間中「干す」と言う、非常に難しい選択肢しか残らないのだが)。
つまり、Jリーグ各クラブが中心選手をタダ同然で欧州クラブに取られているのは、日本が移籍規定を世界標準に合わせた事が要因ではない。欧州各クラブが日本選手の良さを再発見したからなのだ。中村俊輔のみが欧州で相当の活躍をしていたものの、中田英寿と小野伸二が(おそらく負傷の影響で)20代後半から自クラブでの活躍が叶わなくなったあたりから、日本人スタアの欧州の市場価値は落ちっ放しだった。しかし、長谷部誠、松井大輔、本田圭佑らの奮戦と、南アフリカでの好成績から、事態が転換。長友佑都、香川真司、内田篤人らが、堂々と欧州トップリーグの定位置を確保するどころか、中心選手として活躍するに至り、多くの欧州クラブが「タダ同然」の日本人選手に目を付けたと言う事だろう(「『タダです』と言う代理人の売り込みに耳を貸すようになった」と言うのがより正確かな)。もちろん、今期に関して「契約切れ」選手が多く、タダ同然が多いのは、日本の移籍制度が変った過渡期だからだろうが。
大体、多くの人が誤解しているが、「取られる」クラブからすれば、「取る」クラブが欧州だろうがJリーグだろうが、同じ事のはずだ。エスパルスは岡崎に対し複数年契約を納得させられなかったのだから、もしシュツットガルトに「取られ」なければ、他のJクラブに「取られる」可能性が高い。上記の契約期間に対するFIFA裁定次第だが、シュツットガルトに「取られる」方が、僅かかもしれないが「違約金」を取れるならば、まだマシと言う事になる。繰り返すが、それに対する対策は複数年契約しかない。
毎シーズンオフごとに、関口訓充との別れが来るのかヤキモキするベガルタサポータからすれば、関口がベルギーのクラブに行こうが、Jのトップクラブに行こうか、どちらも「別れ」と言う事では全く同じ事なのだ。「別れずに、来期も共に戦えるかどうか」それ以外何がある?そして、関口が長期離脱するような負傷のリスクを覚悟で、自己の付加価値を最大限に高めるために単年度契約を望むのも、それはそれでその意気やよしである。
また、インテルが払う大枚の多くが、FC東京ではなく、チェゼーナに行く事が、おもしろくない方も多いと思う。これまた、仕方がない。長友が日本代表とFC東京で、どんなにすばらしいプレイを見せても、インテルは食指を動かさなかっただろう。チェゼーナであれだけのプレイを見せたからがゆえ、インテルは取りに行ったのだ。11年前にローマが中田英寿を獲得したのも、日本代表で活躍したからではなく、ペルージャで活躍したからだ(そう考えると、奥寺康彦の偉大さに感心するのだが、まあそれはそれ)。
しかし、この事態は近い将来大きく変る可能性がある。現在欧州で活躍する我らの英雄達が、今以上のプレイを継続すれば、欧州のトップクラブは中堅クラブのバッファ抜きに、Jから選手をダイレクトで獲得しようとしに来るはずだ。そして、それはそう遠い先ではない。その時までに、Jの各クラブは若手の精鋭を、しっかりと長期契約で押さえる事ができていれば、多額の違約金を獲得できるではないか。選手達ができるだけ身軽に欧州に飛び出そうとするのは当然の事、クラブはいかにそれらの選手と折り合いを付けて成長の付加価値を享受できるようにすべきか。日本サッカーのレベルが上がり、Jリーグの存在意義が世界でも重要になる時代になったからこそ、嬉しい悩みが増えて来たと言う事だろう。
そして、それらを繰り返しながら、Jのレベルを上げて行き、いつかサッカーの戦闘力で西欧のトップクラブに追いつく事。かつてのジャパンマネーによって世界のスーパースタアを集めた時代とは全く異なる意味で、Jリーグに世界のスーパースタアを集め、拡大トヨタカップを制覇する事。それはワールドカップを獲得する事とは別な意味での我々の目標となる。
2011年02月12日
(書評) サッカー「真」常識 (後藤健生著、学研)
ご承知の方も多いと思うが、後藤氏と私は日本サッカー狂会で知り合った友人。友人と言うには失礼で、先方が大先輩で、氏は私のサッカー観戦の師匠にあたる。また「お前もちゃんと観る語るだけではなく、サッカーの文章を書け」と叱咤してくれた方でもある。お気づきの方もいらっしゃると思うが、時々拙ブログにも氏には登場いただいているし。まあ、人の事は言えないが、後藤氏こそ、私を凌駕する典型的な病膏肓に入った御仁。その後藤氏の書き下ろし新著が本書である。
正直言って、その内容の濃さには圧倒される。氏の著作と言うと、サッカー観戦のおもしろさを並べた「サッカーの世紀」(サッカー分析系)、フランス予選の死闘の従軍記とも呼ぶべき「アジア・サッカー戦記」(観戦記系)、徹底した資料調査に基づいた「日本サッカー史」(歴史系)などが挙げられる。本書はサッカー分析系の典型であり、氏としては「サッカーの世紀」以来の会心の作とも言えるのではないか。「サッカーの世紀」発刊後15年、約4ワールドカップの氏の経験を織り込んだ、サッカー観戦の愉しさ、深さを論じた一冊とも言える。
各章で述べられている主題をいくつか要約する。
ただ不安もある。いわゆるサッカーに関する初心者の方が、何気なく本書を購入しても、何を書いているか理解できないのではないか。氏は極力わかりやすいように、説明図を準備したり、登場するサッカー人について丁寧な説明をしているが、それが初心者にどこまで通用するのか。まあ、いいや、それが本質的でない事は言うまでもない。
ついでと言っては何だが、本書の序章の一部を抜粋しておこう。氏の本書に対する意気込みが感じられるだろう。
実は、私がブログで後藤氏の著作を採り上げるのは初めて。と、言うのは、拙ブログを読んで下さる方々ならば、氏の著作をフォローするのは当然だろうと思っていたから。ところが、本書はやや違う。この正月休みに書店を冷やかしていて本書を発見したのだが、本書は昨年11月に発刊したものだった。私が不勉強だったせいかもしれないが、本書の発刊そのものを知らなかったのだ。複数の友人に尋ねたのだが、本書の存在を知っていた人間は非常に少なかった。と言う事で、採り上げる事にした次第。学研はもっと、ちゃんと宣伝した方がいいんじゃないかね。
本書の帯部には「サッカージャーナリストの草分け後藤健生、サッカー取材人生の集大成」とキャッチが打たれている。最初書店で本書を見つけた時は、このキャッチを読み、「何とオーバーな」と思ったが、読んでみるとそうオーバでもない気になってくるような作品なのだ。
そうなると、四六判の並装、税抜き1400円と言う本書の企画が疑問にも思えてくる。どうせだったら、ハードカバーで2000円くらいで「新サッカーの世紀」とか「サッカー観戦学」とか「サッカーの常識」と言った強気の題名にして販売した方が、もっと売れるのではないかと思うのだが。まあ、値段が安い事に文句を言ってはいけないね。
正直言って、その内容の濃さには圧倒される。氏の著作と言うと、サッカー観戦のおもしろさを並べた「サッカーの世紀」(サッカー分析系)、フランス予選の死闘の従軍記とも呼ぶべき「アジア・サッカー戦記」(観戦記系)、徹底した資料調査に基づいた「日本サッカー史」(歴史系)などが挙げられる。本書はサッカー分析系の典型であり、氏としては「サッカーの世紀」以来の会心の作とも言えるのではないか。「サッカーの世紀」発刊後15年、約4ワールドカップの氏の経験を織り込んだ、サッカー観戦の愉しさ、深さを論じた一冊とも言える。
各章で述べられている主題をいくつか要約する。
シュートがパスより難しいのは何故か。そのシュートを打つために必要な「スペース」を確保するための「戦術」の数々。書き始めるとキリがないので、このくらいにするが、拙ブログを愉しんれくれるような方々には、何とも魅力的な題材に思える事だろう。これらについて、豊富な観戦経験から切り出される実例を用いた、独特の後藤節での丹念な語りが愉しい。病膏肓型の友人がいるならば、お互いに本書を読み合った上で議論すれば、いくらでも酒の肴が出てくるので、愉しい事この上ないだろう。
「手を使えない」と言うルールが生んだサッカーの特殊性と、それが故のターンオーバの妙味。そしてオフサイドの存在意義。
ビエルサチリとオシム爺さんの「攻撃的守備」、ヒディンクとモウリーニョとサベージャ(エスツィアンデス)の「バルサへの抵抗」比較。
「引き分け狙い」「アウェイゴールルール」「2-0の安全性」などにおける、メンタルゲームとしてのサッカーの妙味。
ただ不安もある。いわゆるサッカーに関する初心者の方が、何気なく本書を購入しても、何を書いているか理解できないのではないか。氏は極力わかりやすいように、説明図を準備したり、登場するサッカー人について丁寧な説明をしているが、それが初心者にどこまで通用するのか。まあ、いいや、それが本質的でない事は言うまでもない。
ついでと言っては何だが、本書の序章の一部を抜粋しておこう。氏の本書に対する意気込みが感じられるだろう。
「戦術」と言う言葉は非常に広い意味を持つ。
だが、日本代表のカメルーン戦での得点シーンのように、相手のストロングポイント(エトーやアエスコットの攻撃力)を消し、相手のウィークポイント(カメルーン守備陣の混乱や守備の弱いアエスコット)を突くための作戦。それこそが、本来的な意味での「戦術」なのではないだろうか。
(中略)
もっとも、11人の選手の役割とその相互関係をすべて理解したり、すべてについて論じたりするのは不可能だから、11人の選手のそれぞれの動きの中で、どの選手のどういう動きがゲームの流れを決める上で重要だったかのかを見極め、そこの部分を取り上げて論じなくてはならない。はっきり言って、なかなか難しい作業だ。
その点、「戦術」と称して選手の並びの話だけをしておけば、そうした難しい議論をしなくても済むことになる。たとえば「スリーバックがいか、フォーバックがいいか」といったようにである。つまり、サッカーについての一応の基礎知識さえあれば、「システム」論はすぐに論じられるようになるし、そこには数字や専門用語いろいろ出てくるので、自分が難しい戦術の話をしているような気分にもなれるというわけだ。
「システム」論だけを切り離して、それを「戦術」論として論じてしまうというのは、つまり書き手にとっても、読み手にとってもとても便利で、また楽な作業なのである。それが、最近の日本で『戦術論』と言う名の下で「システム」の話をするのが大流行している原因なのだろう。
だが、それでは単なる自己満足に過ぎない。本当の意味でサッカーを語ったことにならない。第一、複雑で多面的な面白さを持ったサッカーというゲームを『戦術論』だけで語ってしまうのは、あまりにもったいない。
実は、私がブログで後藤氏の著作を採り上げるのは初めて。と、言うのは、拙ブログを読んで下さる方々ならば、氏の著作をフォローするのは当然だろうと思っていたから。ところが、本書はやや違う。この正月休みに書店を冷やかしていて本書を発見したのだが、本書は昨年11月に発刊したものだった。私が不勉強だったせいかもしれないが、本書の発刊そのものを知らなかったのだ。複数の友人に尋ねたのだが、本書の存在を知っていた人間は非常に少なかった。と言う事で、採り上げる事にした次第。学研はもっと、ちゃんと宣伝した方がいいんじゃないかね。
本書の帯部には「サッカージャーナリストの草分け後藤健生、サッカー取材人生の集大成」とキャッチが打たれている。最初書店で本書を見つけた時は、このキャッチを読み、「何とオーバーな」と思ったが、読んでみるとそうオーバでもない気になってくるような作品なのだ。
そうなると、四六判の並装、税抜き1400円と言う本書の企画が疑問にも思えてくる。どうせだったら、ハードカバーで2000円くらいで「新サッカーの世紀」とか「サッカー観戦学」とか「サッカーの常識」と言った強気の題名にして販売した方が、もっと売れるのではないかと思うのだが。まあ、値段が安い事に文句を言ってはいけないね。
2011年02月11日
槙野智章が1FCケルンに移籍したと言う意味
1FCケルンと言うクラブは、私達の世代には他の欧州のクラブとは全く異なる意味を持つ重要なクラブである。言うまでもなく、奥寺康彦が最初に活躍し、欧州チャンピオンズカップで準決勝まで進むなど大活躍したクラブだったから。
70年代の1FCケルンは、西ドイツ代表で66年からベッケンバウアーのチームメートだったウォルフガング・オヴェラートと言う左利きの中盤の将軍タイプの選手がいて、常に上位を伺うチームだった(全くの余談、西ドイツは70年代まで、ベッケンバウアー、オヴェラート、後述するネッツアなど、創造的な中盤選手を次々に生み出したが、80年代以降そのような名手は一切登場しなかった。メスト・エジルは、正に40年振りにドイツが生んだ真の中盤創造主たるタレントである)。そこに、ボルシアMGで幾度も栄光を掴んだ名将へネス・バイスバイラー氏が76年に監督に就任、奥寺も定位置を確保して活躍した77−78年シーズンにブンデスリーガを制覇。翌78−79年シーズンには、チャンピオンズカップで準決勝に進出し、ノッティンガム・フォレストに敗れ欧州制覇を逸する。
バイスバイラー氏は、地方の小クラブだったボルシアMGでギュンタ・ネッツア(オヴェラートが頻繁にボールに触り短いパスで組み立てるのに対し、高精度でカーブがかかったロングパスをFWの足下に通す名手だった)、ベルティ・フォクツ、ユップ・ハインケス、アラン・シモンセン、ライナー・ボンホフらを育て、ベッケンバウアーやゲルト・ミュラーがいたバイエルンを幾度か押さえて複数回ブンデスリーガを制覇した名将中の名将だった。75−76年シーズン、クライフを擁するバルセロナが高額で氏を招聘したが、バルセロナフロントを除く世界中の人々の予想通り、選手クライフとバイスバイラー氏は大ゲンカ。わずか1シーズンでバイスバイラー氏はカタルーニャを去り、ケルンに登場した次第だった。
76年から77年にかけて日本代表監督を務めた二宮寛氏(出身は三菱)は、当時の三菱重工の西ドイツ事務所ルートから、バイスバイラー氏と親密になり、三菱の選手を再三ボルシアMGやケルンに留学させるなど交流を深めていた。たとえば後にレッズ社長も務める藤口光紀は、ケルンに短期留学し大きく成長した。
そして、77年夏に日本代表は、ケルン、ボルシアMGに選手を分散して強化すると言うユニークな欧州遠征を実施した。二宮氏とバイスバイラー氏の関係により実現した試みだった。そこでバイスバイラー氏は当時、日本代表のエースストライカになりかけていた奥寺を発見、ケルンに引っ張った。当時古河電工の一介のサラリーマンだった奥寺は、1度はこの勧誘を断ったと言うが、バイスバイラー氏は諦めず複数回声をかけ、ついに奥寺もケルン入りを決断する。
そして、上記した通り奥寺はブンデスリーガ制覇、チャンピオンズカップの準決勝進出に直接貢献、再三重要な場面で得点を決めた極東の無名国の選手は高く評価された。当時の西ドイツ選手(たとえばカールハインツ・ルンメニゲ)は、サッカーマガジンやイレブンの取材に対し、「これは外交辞令ではないよ」と語った後、奥寺を絶賛したものだった。バイスバイラー氏が去った後、奥寺はヘルタ・ベルリン、ブレーメンでプレイ。当時のブレーメンの監督がオットー・レーハーゲル氏だったのは、皆さんご存知の通り。
1FCケルンと言うのは、そう言うクラブなのだ。
今では1部と2部を行ったり来たりするクラブとなってしまっている。若い方々にとっては、「槙野はそのようなエレベータクラブに加入し、以降のステップアップを狙っている」くらいにしか思わないだろう。また、現状のケルンを考えれば、それは正しいと思う。槙野がケルンでよいプレイを見せ、さらにステップアップを期待したいのは、私も同じだ。
しかし、やはり1FCケルンと言うクラブは、日本サッカー界にとって特別なクラブである事には変わりないのだ。
槙野は日本の次代を担うセンタバックになり得る人材である。プレイから伝わってくる向上心、プロフェッショナルとしてのよい意味でのプライド。
ただ、例のPK騒動など、長所がやや空回りしている感も無くはない。昨年のナビスコ決勝での大活躍時にも、ちょっと苦言を呈したが、あれこれ愉しい余技を考えるのもよいが、まずは「守備の確立」に専心して欲しい。そして、その「守備の確立」が、この日本サッカー界にとって特別なクラブで実現するとしたら、2014年のブラジルに向けて、これほど嬉しい事はない。
70年代の1FCケルンは、西ドイツ代表で66年からベッケンバウアーのチームメートだったウォルフガング・オヴェラートと言う左利きの中盤の将軍タイプの選手がいて、常に上位を伺うチームだった(全くの余談、西ドイツは70年代まで、ベッケンバウアー、オヴェラート、後述するネッツアなど、創造的な中盤選手を次々に生み出したが、80年代以降そのような名手は一切登場しなかった。メスト・エジルは、正に40年振りにドイツが生んだ真の中盤創造主たるタレントである)。そこに、ボルシアMGで幾度も栄光を掴んだ名将へネス・バイスバイラー氏が76年に監督に就任、奥寺も定位置を確保して活躍した77−78年シーズンにブンデスリーガを制覇。翌78−79年シーズンには、チャンピオンズカップで準決勝に進出し、ノッティンガム・フォレストに敗れ欧州制覇を逸する。
バイスバイラー氏は、地方の小クラブだったボルシアMGでギュンタ・ネッツア(オヴェラートが頻繁にボールに触り短いパスで組み立てるのに対し、高精度でカーブがかかったロングパスをFWの足下に通す名手だった)、ベルティ・フォクツ、ユップ・ハインケス、アラン・シモンセン、ライナー・ボンホフらを育て、ベッケンバウアーやゲルト・ミュラーがいたバイエルンを幾度か押さえて複数回ブンデスリーガを制覇した名将中の名将だった。75−76年シーズン、クライフを擁するバルセロナが高額で氏を招聘したが、バルセロナフロントを除く世界中の人々の予想通り、選手クライフとバイスバイラー氏は大ゲンカ。わずか1シーズンでバイスバイラー氏はカタルーニャを去り、ケルンに登場した次第だった。
76年から77年にかけて日本代表監督を務めた二宮寛氏(出身は三菱)は、当時の三菱重工の西ドイツ事務所ルートから、バイスバイラー氏と親密になり、三菱の選手を再三ボルシアMGやケルンに留学させるなど交流を深めていた。たとえば後にレッズ社長も務める藤口光紀は、ケルンに短期留学し大きく成長した。
そして、77年夏に日本代表は、ケルン、ボルシアMGに選手を分散して強化すると言うユニークな欧州遠征を実施した。二宮氏とバイスバイラー氏の関係により実現した試みだった。そこでバイスバイラー氏は当時、日本代表のエースストライカになりかけていた奥寺を発見、ケルンに引っ張った。当時古河電工の一介のサラリーマンだった奥寺は、1度はこの勧誘を断ったと言うが、バイスバイラー氏は諦めず複数回声をかけ、ついに奥寺もケルン入りを決断する。
そして、上記した通り奥寺はブンデスリーガ制覇、チャンピオンズカップの準決勝進出に直接貢献、再三重要な場面で得点を決めた極東の無名国の選手は高く評価された。当時の西ドイツ選手(たとえばカールハインツ・ルンメニゲ)は、サッカーマガジンやイレブンの取材に対し、「これは外交辞令ではないよ」と語った後、奥寺を絶賛したものだった。バイスバイラー氏が去った後、奥寺はヘルタ・ベルリン、ブレーメンでプレイ。当時のブレーメンの監督がオットー・レーハーゲル氏だったのは、皆さんご存知の通り。
1FCケルンと言うのは、そう言うクラブなのだ。
今では1部と2部を行ったり来たりするクラブとなってしまっている。若い方々にとっては、「槙野はそのようなエレベータクラブに加入し、以降のステップアップを狙っている」くらいにしか思わないだろう。また、現状のケルンを考えれば、それは正しいと思う。槙野がケルンでよいプレイを見せ、さらにステップアップを期待したいのは、私も同じだ。
しかし、やはり1FCケルンと言うクラブは、日本サッカー界にとって特別なクラブである事には変わりないのだ。
槙野は日本の次代を担うセンタバックになり得る人材である。プレイから伝わってくる向上心、プロフェッショナルとしてのよい意味でのプライド。
ただ、例のPK騒動など、長所がやや空回りしている感も無くはない。昨年のナビスコ決勝での大活躍時にも、ちょっと苦言を呈したが、あれこれ愉しい余技を考えるのもよいが、まずは「守備の確立」に専心して欲しい。そして、その「守備の確立」が、この日本サッカー界にとって特別なクラブで実現するとしたら、2014年のブラジルに向けて、これほど嬉しい事はない。
2011年02月10日
代表のストロングポイント
アジアカップにおける日本の最大のストロングポイントと言えば、誰もが遠藤保仁と長谷部誠で組むドイスボランチと答えるのではないか。実際この2人のそれぞれの技巧、判断力、精神的な粘り、そしてリーダシップ、いずれも他国のボランチのそれを凌駕していた。この2人は(他の選手もだが)南アフリカと言う究極の経験をした事により、格段にレベルの高い選手に成長したと言う事だろう。
この2人の能力が他を圧していたからこそ、フィジカルコンディションが揃わなかったチームが、CBに課題を抱えつつ、審判の愉しい判定に苦しみながらも、優勝できたのだ(あ、もちろん他の選手も、ザッケローニ氏も、すばらしかったですよ)。
今大会目立った他国のボランチをおさらいしておこう。イランのネクナムの強さは中々だったが展開力はもう1つで攻撃に変化がつけられなかった、イラクのアクラムの技巧的で気の利いた組み立ては魅力的だったし、ムニールのボール奪取は目を見張ったが、2人ともスタミナが不足しており終盤のプレイには不満があった。奇誠庸は日本戦やイラン戦で押し込まれると思うような組み立てができず、さらにはプレイ外の愚行で若さを露呈した。他のポジションはさておき、ここの2枚だけは遠藤と長谷部が、他国を凌駕していたのだ。
一方で、ここまで2人の能力が卓越していると、逆に将来が心配になってくる。遠藤は若くはないし(決勝直後に語ったように「これから」の遠藤の活躍は愉しみ極まりないが)、もし長谷部が負傷などで離脱した場合にあのキャプテンシーが不在でチームは、あそこまで精神力を発揮できるのか。と、うまく行けば行く程、心配過多になるのが、またサポータ冥利と言うものなのだが。
と言う事で、この2人を脅かし得るライバルについて俯瞰するのが今日のお題。
この2人には同年代のライバルが3人いる。
今野泰幸、阿部勇樹、中村憲剛である。今野は今大会も、最近FC東京においても、センタバックとして見事なプレイを見せているが、本来はやはり中盤で「刈り取る」のが魅力の選手。決勝戦の最中に「中盤でプレイするのは無理」と、ザッケローニ氏とやりとりしたのが話題となったが(デンマーク戦の遠藤と岡田氏の議論、この場面の今野とザッケローニ氏のやりとり、いずれも日本選手の格段なる成熟の証左と言えよう)、あの「刈り取り」を代表で見せてくれる日は再来するのだろうか。
阿部はイングランド2部で堅実に活躍中と聞く。おそらくイングランドの2部と言うからには、プレミアとは異なり、昔からのイングランド風のサッカーが展開されているのだろうが、そこでの経験は阿部をさらに堅実にしてくれる事だろう。さらには、ボール奪取にも展開にも妙味を発揮できるタレントだけに、30前後になってから味が出てくるはずだ。あの射程の長さに老獪さが加わわるとすれば、代表から忘れてよいタレントではない。
そして、憲剛。もし、今大会優勝を逃す事になっていたとしたら、憲剛不在が相当な議論となっていた事だろう。しかし、ザッケローニ氏は賭けに勝ち、優勝するのみならず柏木陽介のデビューにも成功した。憲剛はこのオフに欧州行きが噂されたが、結局フロンターレに残留。あの「パッと見えた瞬間、ザクリと出す」能力は欧州のトップでも十分に通用すると思っていただけに残念にも思うし、その恐怖をJでまた味わえるのに安堵感もあるし。昨秋の横浜パラグアイ戦では、自身の代表史上最高とも言えるプレイを見せ、香川へ鮮やかなアシストを通したのは、ザッケローニ氏も忘れ難いはず。優秀な若手が登場しているとは言え、やはりこの男は代表には必要不可欠だと思うのだが。
その憲剛不在に登場したのが柏木だった。サウジ戦にシンプルにボールを散らしてゲームを作った柏木は上々の代表デビュー。遠藤の後継者として名乗りを挙げた。本田や香川のような派手なタレントが多い日本の中盤にあって、運動量があり、正確な短いパスでペースを作れる柏木はピッタリの存在のはず。ただ、準々決勝以降全く声がかからなかったのは、ザッケローニ氏の信頼がまだまだと言う事なのだろう(いずれの試合も非常に采配が難しい展開になった事を割り引いても)。
同じように遠藤の後継候補と言うと、スペインに行った家長昭博。元々はウィングタイプのプレイが多かったが、トリニータ時代にポポビッチ氏にボランチに起用されて、その位置での才能を発揮しだした。セレッソではボランチにマルチネスがいるため、前目で使われる事が多かった。しかし、マルチネス不在時での中盤後方でのプレイを見ると、やはりここで才能を発揮して欲しいタレントだ。マジョルカではまず試合に出る事が全てなのだが、過去中々日本選手が安定して活躍できなかったスペインリーグで、どこまでやってくれるか。
今大会、第3のボランチとして度々起用され、日韓戦では見事なPK後の詰めを見せてくれた細貝萌(あの詰め以降、我が少年団の子供達はPK時に一斉に萌詰めを試みるようになった、おそらく日本中でそうなっているのだろう)。既に準レギュラとしての地位は確保していると言えるタレントだ。昨期レッズでは鈴木啓太から定位置を奪うのみならず、豊富な運動量で活躍。ACL制覇、拡大トヨタカップ、北京五輪、そして今回のアジアカップ制覇と、国内屈指の豊富な経験を持つ細貝。労をいとわないタレントだけに、ドイツでも高く評価されるのではないか。
日韓戦の延長ロスタイムに残念なプレイを見せてしまった本田拓也。幸いにあのミスが致命的にならなかっただけに、格好の失敗経験となった。とは言え、あのミスは彼の成長のためにも、厳しく糾弾され続けるべきだろうが。もっとも、昨期のエスパルスでのプレイ振りは、アントラーズが違約金を支払いながらも獲得しただけの事はあった。天皇杯決勝でも1人でエスパルスの中盤を支えたプレイは記憶に新しい。今期こそアジア制覇を狙うアントラーズで、一気にレベルアップする事を期待したい。
もちろん、米本拓司がいる。まだ20歳ながら、格段のボール奪取力と落ち着いて展開できる能力は格段。長期の負傷離脱からの復帰後、すぐに好プレイを見せたものの、リーグ終盤で今一歩のプレイ振り。天皇杯準決勝では軽率なプレイで退場になるなど、苦い思いで昨期を終えたはず。まずは五輪代表の中核を担う事になるのだろうが(どうでもいいが、どうして中東遠征に行っていないのでしょうか)、「素材感」は最高のものがあるだけに、期待は大きい。
と、まああれこれ考えると、相応にタレントは豊富だな。
ベテラン勢はそれぞれワールドカップを経験する事で、格段にレベルを上げているだけに、若手にとっては厳しい挑戦となる。しかし、一方で従来とは異なるレベルとなった代表で遠藤や長谷部と共に戦う事で、疑似体験を積めるはず。海外でプレイする選手も、Jで戦う選手も、高い意識を持って2014年を目指して欲しいものだ。
この2人の能力が他を圧していたからこそ、フィジカルコンディションが揃わなかったチームが、CBに課題を抱えつつ、審判の愉しい判定に苦しみながらも、優勝できたのだ(あ、もちろん他の選手も、ザッケローニ氏も、すばらしかったですよ)。
今大会目立った他国のボランチをおさらいしておこう。イランのネクナムの強さは中々だったが展開力はもう1つで攻撃に変化がつけられなかった、イラクのアクラムの技巧的で気の利いた組み立ては魅力的だったし、ムニールのボール奪取は目を見張ったが、2人ともスタミナが不足しており終盤のプレイには不満があった。奇誠庸は日本戦やイラン戦で押し込まれると思うような組み立てができず、さらにはプレイ外の愚行で若さを露呈した。他のポジションはさておき、ここの2枚だけは遠藤と長谷部が、他国を凌駕していたのだ。
一方で、ここまで2人の能力が卓越していると、逆に将来が心配になってくる。遠藤は若くはないし(決勝直後に語ったように「これから」の遠藤の活躍は愉しみ極まりないが)、もし長谷部が負傷などで離脱した場合にあのキャプテンシーが不在でチームは、あそこまで精神力を発揮できるのか。と、うまく行けば行く程、心配過多になるのが、またサポータ冥利と言うものなのだが。
と言う事で、この2人を脅かし得るライバルについて俯瞰するのが今日のお題。
この2人には同年代のライバルが3人いる。
今野泰幸、阿部勇樹、中村憲剛である。今野は今大会も、最近FC東京においても、センタバックとして見事なプレイを見せているが、本来はやはり中盤で「刈り取る」のが魅力の選手。決勝戦の最中に「中盤でプレイするのは無理」と、ザッケローニ氏とやりとりしたのが話題となったが(デンマーク戦の遠藤と岡田氏の議論、この場面の今野とザッケローニ氏のやりとり、いずれも日本選手の格段なる成熟の証左と言えよう)、あの「刈り取り」を代表で見せてくれる日は再来するのだろうか。
阿部はイングランド2部で堅実に活躍中と聞く。おそらくイングランドの2部と言うからには、プレミアとは異なり、昔からのイングランド風のサッカーが展開されているのだろうが、そこでの経験は阿部をさらに堅実にしてくれる事だろう。さらには、ボール奪取にも展開にも妙味を発揮できるタレントだけに、30前後になってから味が出てくるはずだ。あの射程の長さに老獪さが加わわるとすれば、代表から忘れてよいタレントではない。
そして、憲剛。もし、今大会優勝を逃す事になっていたとしたら、憲剛不在が相当な議論となっていた事だろう。しかし、ザッケローニ氏は賭けに勝ち、優勝するのみならず柏木陽介のデビューにも成功した。憲剛はこのオフに欧州行きが噂されたが、結局フロンターレに残留。あの「パッと見えた瞬間、ザクリと出す」能力は欧州のトップでも十分に通用すると思っていただけに残念にも思うし、その恐怖をJでまた味わえるのに安堵感もあるし。昨秋の横浜パラグアイ戦では、自身の代表史上最高とも言えるプレイを見せ、香川へ鮮やかなアシストを通したのは、ザッケローニ氏も忘れ難いはず。優秀な若手が登場しているとは言え、やはりこの男は代表には必要不可欠だと思うのだが。
その憲剛不在に登場したのが柏木だった。サウジ戦にシンプルにボールを散らしてゲームを作った柏木は上々の代表デビュー。遠藤の後継者として名乗りを挙げた。本田や香川のような派手なタレントが多い日本の中盤にあって、運動量があり、正確な短いパスでペースを作れる柏木はピッタリの存在のはず。ただ、準々決勝以降全く声がかからなかったのは、ザッケローニ氏の信頼がまだまだと言う事なのだろう(いずれの試合も非常に采配が難しい展開になった事を割り引いても)。
同じように遠藤の後継候補と言うと、スペインに行った家長昭博。元々はウィングタイプのプレイが多かったが、トリニータ時代にポポビッチ氏にボランチに起用されて、その位置での才能を発揮しだした。セレッソではボランチにマルチネスがいるため、前目で使われる事が多かった。しかし、マルチネス不在時での中盤後方でのプレイを見ると、やはりここで才能を発揮して欲しいタレントだ。マジョルカではまず試合に出る事が全てなのだが、過去中々日本選手が安定して活躍できなかったスペインリーグで、どこまでやってくれるか。
今大会、第3のボランチとして度々起用され、日韓戦では見事なPK後の詰めを見せてくれた細貝萌(あの詰め以降、我が少年団の子供達はPK時に一斉に萌詰めを試みるようになった、おそらく日本中でそうなっているのだろう)。既に準レギュラとしての地位は確保していると言えるタレントだ。昨期レッズでは鈴木啓太から定位置を奪うのみならず、豊富な運動量で活躍。ACL制覇、拡大トヨタカップ、北京五輪、そして今回のアジアカップ制覇と、国内屈指の豊富な経験を持つ細貝。労をいとわないタレントだけに、ドイツでも高く評価されるのではないか。
日韓戦の延長ロスタイムに残念なプレイを見せてしまった本田拓也。幸いにあのミスが致命的にならなかっただけに、格好の失敗経験となった。とは言え、あのミスは彼の成長のためにも、厳しく糾弾され続けるべきだろうが。もっとも、昨期のエスパルスでのプレイ振りは、アントラーズが違約金を支払いながらも獲得しただけの事はあった。天皇杯決勝でも1人でエスパルスの中盤を支えたプレイは記憶に新しい。今期こそアジア制覇を狙うアントラーズで、一気にレベルアップする事を期待したい。
もちろん、米本拓司がいる。まだ20歳ながら、格段のボール奪取力と落ち着いて展開できる能力は格段。長期の負傷離脱からの復帰後、すぐに好プレイを見せたものの、リーグ終盤で今一歩のプレイ振り。天皇杯準決勝では軽率なプレイで退場になるなど、苦い思いで昨期を終えたはず。まずは五輪代表の中核を担う事になるのだろうが(どうでもいいが、どうして中東遠征に行っていないのでしょうか)、「素材感」は最高のものがあるだけに、期待は大きい。
と、まああれこれ考えると、相応にタレントは豊富だな。
ベテラン勢はそれぞれワールドカップを経験する事で、格段にレベルを上げているだけに、若手にとっては厳しい挑戦となる。しかし、一方で従来とは異なるレベルとなった代表で遠藤や長谷部と共に戦う事で、疑似体験を積めるはず。海外でプレイする選手も、Jで戦う選手も、高い意識を持って2014年を目指して欲しいものだ。