2011年03月31日

コパアメリカをどうするか

 震災で中止になっていた期間のJリーグを、当初コパアメリカ出場のために空けていた期間に実施する方向で調整が進んでいる模様だ。そこで、じわじわと、せっかく招待されたコパアメリカを辞退すべきか否かと言う議論が始まっている。

 最初に私の見解を述べておく。
 コパアメリカには出たい、それも遠藤を含むベストメンバで。しかし、健全な国内リーグの継続は、それよりも重要だ。コパアメリカに、遠藤を含めたJのトッププレイヤを連れて行くならば、Jを中断するしかない。そして、中断できないならば、コパアメリカを辞退するか、Jのトッププレイヤ抜きでコパアメリカに臨むしかない。そして、Jの中断ができないのは、日程的に間違いない。優先すべきはJなのだ。
 理由は明白。いつか、我々がワールドカップに優勝するためには、短期的な代表チームの強化よりも、長期的にリーグを繁栄させる事が重要だから。トップリーグの最中に、トッププレイヤが不在となっては、リーグ戦の権威が損なわれてしまう。
 過去、唯一の例外は、97年のワールドカップ予選だった。あの時は、まだ日本がワールドカップに出た事もなく、(個人的には日本でやろうがやるまいがどうでもよかったが)02年大会の韓国との共催が決まっていると言う怪しげな状況。全てを打ち捨てて、本大会初出場を狙うべき、と言う理屈に賛同する人は多かった(まあ、まだ2部落ちもなかったのだが)。
 しかし、現状は全く異なる。コパアメリカに出場すれば、代表は多くの経験を積む事ができて、ブラジル大会でよりよい成績が期待できるだろう。けれども、長い目で見れば、それはカンフル剤に過ぎない。日本のサッカー力を本質的に高めて行くのは、充実した国内リーグを継続し、後から後から優秀な人材を輩出できる環境を作り上げるのが最も重要なはず。どちらを優先するかと言えば、Jの健全な継続を優先すべきなのだ。
 逃げの手段がない訳ではない。J開催中に、コパアメリカにもJのトップ選手を出す。しかし、今期に限りJ2落ちを無くすと言う手段だ。この手段は、Jの充実と言う意味では問題だが、J1の各クラブを納得させる事はできるかもしれない。しかし、これはダメだ。J2のクラブがこれをよしとはしないだろう。さらに、超法規的措置で、来期のJ1のクラブ数を増やすと言うウルトラCもあるが、これは別な意味で現実的ではない。過去幾度も述べて来たように、既に18チームがJ1にいるだけで、日程が破綻しているのだ。J1のクラブ数はこれ以上増やす事はできない。
 繰り返すが、Jが中断できない以上は、コパアメリカを辞退するか、Jのトッププレイヤ抜きでコパアメリカに臨むしかない。

 では、Jのトッププレイヤ抜きで、コパアメリカに臨めるのか。
 この手の議論は、つい個別の方法論にはまりがちである。曰く「外国クラブ選手+αで編成すれば大丈夫」とか、「Jの各クラブから一人ずつの選抜を」(これがダメなのは上記した通り)とか、「FC東京からたくさん選ぼうぜ(笑)」(意見は色々あろうが、J2のクラブは日本代表と日程がバッティングするのは前提となっているから、これは問題ないと言う考え方はあるかも)とか。これらは、方法論としては、それなりに現実的(もっとも、ゲスト招待されているコパアメリカで、欧州各クラブが出場を諾としてくれるかと言う議論は別として)ではある。しかし、これらのように方法を先に述べると(たとえ、その方法の筋が悪くなくとも)、目的あるいは本質から、段々ずれていく。
 代表チームのメンバを決めるのは、ザッケローニ氏なのだ。小倉氏でも、大東氏でも、原氏でも、あなたでも、私でもない。何より重要な事は、「J1の選手は一切連れて行けない。それでも、コパアメリカやれるか」と言う判断を、ザッケローニ氏にしてもらう事なのだ。原氏が、そうやってザッケローニ氏の説得に成功すれば、外国クラブ所属選手+J2+学生で、A代表を編成し、コパアメリカに挑戦する。氏が「それじゃダメ」と言ったら、潔く辞退。それが、一番CONMEBOLにも迷惑をかけない。今回は、状況が状況なのだ、わかってもらえるさ。
 さらに言えば、結果がどちらになっても、今年の後半からはワールドカップ予選が始まる。この苦しい日程下で、できる限りの準備をすればよい。それはそれで、やれるはず。

 もう1つ。この震災の苦しい時期だから、「コパアメリカで皆に勇気を」と言う考えについて。
 気持ちは理解できる。でも、「皆に勇気を」与えられるのは、代表だけではない。各クラブが、Jを充実させて「皆に勇気を」与える事の方が大事ではないか。いつもいつも、代表に頼るのはいかがか。もう、1月のドーハと、先日の森島スタジアムで、彼らに頼るのは十分ではないか。
posted by 武藤文雄 at 23:30| Comment(30) | TrackBack(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月30日

バウンドするボールを枠に叩き込む

 何を語ろうとしても、最後のカズの舞いにかき消されてしまう試合だった。
 
 いくつか備忘として。

 前半の代表は、真剣に戦っていた。元々このチームは、南アフリカでベスト16に入ったチームを基盤にして、ザッケローニ氏が上積みし、さらに20代半ばの選手が着実に成長して、アジアカップを制している。「チームとしての完成度」は相当なレベルにある。選手の走り始める早さ、走り切る距離の長さ、これらチームとしての完成度が高く、相互の信頼のレベルが高いからこそ、発揮される要素で、代表はJ選抜を圧倒した。
 中澤、闘莉王、憲剛と言った、代表選手より格上とも言える選手を含めているとは言え、急造のJ選抜では、とても歯が立たなかった。しかも、J選抜はいわゆる守備的MFと言う選手が不在。このあたり、いかにもピクシーらしい選抜と言えばそれまでだが、「高名なスタアを集める」と言うならば、せめて稲本、中田浩二、鈴木啓太あたりを呼んでおけばよかったと思うのだが。その代わりに、若手の有力最前線タレントを1人外しても、バチは当たらんと思ったのだが。まあ、来期のグランパスの補強候補を、1度生で見ておきたかったから、と邪推したりして。
 代表では、遠藤の鬼気迫るプレイがすごかった。これまた邪推だが(こう言う試合で、こう言う事を言ってはいかんような気もするが)、ナイジェリアワールドユースのチームメートだった、小野や小笠原が敵にいた事が、遠藤の意欲を沸き立たせたのでは、なかろうか。「俺がナンバーワンだ」と。
 再三、取沙汰されていた3−4−3の初披露となった訳だが、伊野波、今野、吉田麻也と、フィードの質の高い選手を並べ、長友と内田が長駆上下動する守備ラインは、上々のでき。このような独特の試合にもかかわらず、オプションを増やす事ができたのはよかった。
 岡崎の動き出しに駒野がつかざるを得ないので、長友の前進の多くを梁が見張る事になったのは、正に災難。そんな中で、梁はよく動いて、長友を見張りながら、ボールをさばいていた。これはこれで、梁にとってとてもよい経験になったはず(よい年齢の梁だが、学習能力の高い男ゆえ、この森島スタジアムの経験を、きっともっと活かしてくれるだろう)。

 後半に入り、代表も大幅にメンバを代え、すっかり親善ムードに。
 ただ、感心したのは中村俊輔。落ち着いたボールキープを軸に、精度の高いサイドチェンジが機能した。なるほど、この男は長年に渡り欧州のトッププロで活躍したのだな、と当たり前の事を再認識。腕章も巻いていたが(今期はマリノスの主将を務めるようだが)、腕章を巻く事そのものを嫌がっていた時代を思い出したりして愉しい。老獪な俊輔は、今期のJの愉しみの1つとなりそうだ。
 代表は、あれだけメンバが代ってしまったので、どうこう言う事もないのだが、結構レギュラと控えの差が大きくなっているのは気になるところ。もちろん、ウズベキスタンに行っている五輪代表候補たち、今回はJ選抜に回ったスタア達もおり、悲観する事はないのだが。そう言う中で、ザッケローニ氏が今回阿部勇樹を呼んだのは、ちょっと興味深かった。このオッサンのこう言うあたり、とても好きです。

 それにしても、あのハーフボレーの巧さが全盛期そのものだった事、と言うかあのようなバウンドするボールをしっかりと枠に叩き込む技術については、紛れもなく世界サッカー史でも屈指だったのだな、いや屈指なのだなと。92年のアジアカップのイラン戦。井原のカーブをかけたラストパスがバウンドして、それを...あの日、あの瞬間、カズはキングになったのだ。そして、以降「得点を取る事については、何も心配いらない」代表チームを所有できた幸せ。
 直前に、関口がシュートを枠に飛ばせなかった事との対比。関口にとっても非常に重要な学習、経験になったはず。あのようなシュートをしっかりと枠に飛ばすためには、目的意識を持った執拗な反復練習に尽きる。あのイラン戦。その時カズは25歳と8ヶ月だった。関口はまだ25歳と3ヶ月。真摯に努力を積み、この日の経験を活かし、超大化けをして欲しい。

 このタイミングで、日本中のサッカー人が気持ちを1つにできる試合を見る事ができた事にとにかく多謝。
 でも、復興への戦いはまだ始まったばかり、この試合はせいぜいキックオフに過ぎない。粘り強く、サッカー人として誇りを持って戦っていきたい。
posted by 武藤文雄 at 23:30| Comment(10) | TrackBack(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月28日

カズと言う奇跡

 明日は、日本代表対Jリーグ選抜のチャリティマッチ。
 重苦しい日々が続く中で、長谷部や長友らが帰って来てくれて、有料試合を観られる事を素直に喜びたい。両軍の選手達それぞれに、多くの想いがあるだろう。観戦するサポータ達にも、複雑な想いがあるだろう。私にも、仙台出身のサッカー狂として、何とも言えない想いがある。
 ただ、とにかく、私は華やかなスタア達の競演が観られればそれで十分だと思う。

 ちょっと視点を変えて、改めてカズについて考えてみた。カズがアジア最優秀選手になったのは93年のドーハの悲劇の年。あれから、なんと18年の月日が経った。あの年に生まれた子供が、普通にJリーガなのだ。そして、今なお元気にプレイをして、さらに今回のチャリティマッチでも、主役の1人として君臨している。いったい、この男は何なのだろうか。
 カズについて5年前にこんな事を書いた。これは自分なりにカズの記録としては決定版?なのではないかと自負していた。あの時も、「すごい男だな」と呆れていたのだが、あれから5年経ち、今なおカズが現役選手として光彩を放っている。

 先日、ある方が「外国人にカズを説明するのには?カズのようにワールドカップに出た事はないが、その国のサッカーの象徴となっている選手は誰か?」と言う問いをしてくれた。
 たとえば、ライアン・ギグス、ヤン・リトマネン、ジョージ・ウェア、釜本邦茂のように、格段の能力を誇った選手でも、その国がワールドカップに出る事ができない場合がある。
 ベルント・シュスター、ラモン・ディアス(ディアスは1回出ているのだが、全盛期には出場できなかった)のように、ご本人の意思とか、チーム編成の都合で、出場しない場合もある。
 エリック・カントナは確かにワールドカップに出られなかった。ただし、出られなかった事の責任の一端は本人にもあるのだし、何より彼は偉大な存在だが、プラティニとジダンと比べて、フランスの象徴かどうかとなると、やや疑問が残る。もっともユナイテッドの象徴ではあるかもしれないが。
 しいて言えば、ジョージ・ベストかもしれない。82年大会、久々に本大会に出場し、地元スペイン、スタア軍団ユーゴスラビアと同じと言う難しいグループに入りながら、ベテランGKパット・ジェニングスを軸に2次ラウンドまで進出した北アイルランド。ジェニングスと同世代のベストが、「あの場にいてくれれば」と世界中の誰もが想った。しかし、言うまでもなく、外国の方々に、ストイックの固まりで長期に渡りプレイを続けているカズを、自堕落極まりなく全盛期があまりに短かったベストに喩えて説明すると、混乱は大きいかもしれない。共通点は、ドリブルが巧みで、得点力が抜群で、格好よくて、抜群に女にもてて、その国のサッカーの象徴である事くらいだから(同世代の北アイルランド人と飲んだ時、そいつは目を潤ませながら、極東のサッカー狂にベストの自慢話をしてたから、カズ同様男達からも尊敬されていたのだろうが)。
 
 カズは、苦労して、苦労して、日本代表を引っぱり、ようやくワールドカップにたどり着いたが、出られなかった。
 重要な事は、90年代カズの全盛期の日本サッカー界ほど、物凄い右肩上がりでその質を上昇させた国は、他に思いつかない事だ(同時に井原正巳、福田正博と言う、カズとは別な意味で超スーパーなスタアがいたのも幸いしたのだが)。そして、その右肩上がり以降も、日本は世界の強豪の片隅の地位をしっかりと確保している。その急激な上昇と、以降の安定に、カズが格段な貢献をした事は言うまでもない。
 けれども、それでもカズはワールドカップに出られなかった。
 以前より述べているが、岡田氏贔屓の私でさえ、その事は飲み込めずにいる。もっとも、岡田武史と言う人を現役時代からずっと観ていて、ブラジルから帰国以降のカズもずっと観ていて、その後の2人の活躍も反芻すると、あの時の岡田氏の決断とカズの悲劇は、生半可には書けない想いもある。

 カズよりも、偉大でワールドカップに出る事が叶わなかった国民的象徴は他国にいない。カズは世界レベルから見ても、唯一無二の存在なのだ。
posted by 武藤文雄 at 23:43| Comment(13) | TrackBack(2) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月24日

藤澤恭史朗に代表合宿帯同権を

 重苦しい報せばかりの昨今、ベガルタが発表したニュースリリースには、多くの人が勇気をもらう事ができたはず。藤澤恭史朗、正にあっぱれとしか語りようのない男の中の男である。
 しかし、藤澤はサッカー選手としては、まだまだ見習の立場にしか過ぎない。その立場の選手が、マスコミ的な話題にさらされるのは、決して望ましい事ではない。それでも、ベガルタが公式発表したのは、あまりに藤澤の活躍が水際立っており、いつか話題になるのは間違いないための対策なのだろう。

 とは言え、これだけの活躍をした若者を、可能な限り最大限に称える事は考えてよいとも思う。そこで、私が提案したいのは、3月29日に森島スタジアムで行われるチャリティゲームの準備として行われる代表合宿に、藤澤を帯同させる事だ。1人ではさすがに辛かろうから、チームメートも同行させよう。
 そして、そこで長谷部や遠藤や長友や岡崎や本田圭佑が、いかほどのレベルにあるのか、いかほどの節制をしているのか、いかほどの努力をしているのか、いかほどサッカーを突き詰めているのか、それらを直接見る機会を提供するのだ。
 プロフェッショナル見習いの若者にとって、この経験はどんなに実り豊かなものになるだろうか。藤澤は、ベガルタのプロフェッショナル達と触れ合う機会は、過去もあっただろうし、これからもあるだろう。そして、私はベガルタサポータとして、我々の選手達のプロフェッショナリズムは、相当レベルが高い事はよくわかっているつもりだ。しかし、それらのプロフェッショナルの中で選ばれた超エリートが、どのようにサッカーに取り組んでいるか、そして彼らが揃った時のトレーニングのレベルがいかに高いか。
 それに参加する権利を、希有な経験、社会貢献をした若者に与える。そして、以降は一切採り上げない。まして、大観衆前での表彰などは一切不要。あとは、藤澤がプロ選手になった時に「美しいエピソード」と語られる事を期待するのみである。
posted by 武藤文雄 at 23:45| Comment(13) | TrackBack(1) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月23日

Jリーグ4月再開日程確定

 Jリーグの4月23日からの再開が決定したと言う。適切な決定だと思う。
 今回の自然災害の直接被害を被った方々への支援は最優先事項なのは間違いないが、再三繰り返しているように日常の回帰は必須であり、それによる経済活性の回帰がなければ、被災地の復興もない。そして、サッカーは「人々に元気を与える」以前に、「多くの人を食わせる立派な一大産業」なのだ。その一大産業がしっかりと機能し、多くのキャッシュを生み出し、たくさんの人がそれで生計を成り立たせる事は、「人々に元気を与える」のとは全く異なる次元で、被災地復興の重要な礎となる。
 Jの公式戦が行えずとも、各クラブのキャッシュフローは、スポンサ料(支払いタイミングは契約次第だが)や、年間チケットの前払分で、当面は何とかなるかもしれない。けれども、試合をしなければ、追加のキャッシュは入って来ない。いつかキャッシュは尽きる(金融機関とか親会社がカネを貸してくれればつながりますが)。そうなれば、選手への(もちろんスタッフへの)給料が払えなくなる。また、Jリーグを周辺で支えるスタジアム内外のビジネス(駐車場、周囲の居酒屋、各種交通網等々)も、試合がなければ、キャッシュインはない。試合がなければ、各マスコミ媒体も売れ行きは伸びず、出版社のみならずライターの方々の収入も伸びない。放映権を持つスカイパーフェクトも、つらいところだろう。以上のように、試合が行えなければ、多くのサッカー人にとって深刻な事態になっていく。早期の再開は必須なのだ。
 だから、あるポイントを決めて、Jの再開を目指すの全面的に正しい。被災地はもちろんだが、首都圏の鉄道網もまだガタガタから完全に抜け切らず、たまに余震などもある現状を考えると、再開を1ヶ月後に設定したのは、現実的な対応だと思う。さらに「これ以上後ろ倒しにすると、夏期にナイトゲームを多数実施しなければならず」と言うのも、切迫した理由だったのだろう(これについては、正式にチェアマンも言及している模様)。
 もう1つの手段として、東北、関東を除く地域で、より早く再開する方策もあったと思うが、そうなるとかえって日程調整が難しくなる。何とか、日程を揃えて消化していく方が、やりやすいと言う判断だろう。

 もちろん、付帯的に非常に厳しい日程となる今期をどうこなすかは、正に知恵の出しどころだ。Jリーグはもちろんだが、コパアメリカ、五輪予選、拡大トヨタカップ、天皇杯、ナビスコ、そして何より10月より始まるワールドカップ予選。これらをいかに、巧みにこなすか、ただでさえ破綻している日程がさらに苦しくなった今、正に皆の知恵が試されるところだ(具体的提案は別途述べたいと思う)。

 再開日程が確定した以上、ベガルタは再び立ち上がらなければならない。
 準備が整わない場合、ベガルタ(アントラーズもホーリーホックも)日程を後ろ倒しにする選択肢もあり、との報道だが、できれば再開に間に合わせたい所だ。再開の後ろ倒しは、結局終盤に厳しい日程となるだけだ。もちろん、そのためには再開までのトレーニング場所の選定や、滞在費などの問題もあるのだが。ただでさえ、収入の少ないクラブが、今回の災害でこうむった金銭被害は小さいものではなく、さらに今期の見込み収入源を考えると頭の痛いところだ。でも、解決しなければならないのだ。
 また、「ベガルタが早期のユアテックでの再開を目指している」旨の報道も見受けられた。けれども難しいのではないか。震災の被害状況を見る限り、ユアテックの修理の優先順位は、とても高くなるとは思えないからだ。したがい、残念ながら、他地域を含めた別会場でのホームゲームを検討するのが、現実的と思う。
 しかし、何がどうあれ、現実に織り合いを付け、準備をしなければならない。戦える喜びは、何よりも大きいのだから。
posted by 武藤文雄 at 01:51| Comment(2) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月21日

Jサポータの支援活動に参加して

 マリノスサポータを中心に、エスパルス、ジュビロ、ゼルビアサポータの方々も集まり、大がかりな被災地への支援活動が行われた。不肖講釈師も参加させていただいた次第。
 横浜駅から歩いてすぐのマリノスタウンの駐車場に集合。各位が持ち寄った乾電池、ウエットティッシュ、電池式携帯充電器、紙オムツ、使い捨てカイロ、生理用品(支援物資は、被災地の方々が、現状で必要としているこれらの品物に限定されていた)を仕分け。そして、それらを避難所にダイレクトに持ち込むルートを確保している都内の集積地に、皆で電車で持ち込もうと言う企画だ(短期的なガソリン消費を避ける狙いで、トラックの利用を遠慮したのだろう)。
 私がマリノスタウンに着くと、既に2、300人の方々が集まっており、物品の仕分けが開始されていた。それぞれの物品ごとにマリノスサポータの方のリーダが決められていて、次々に段ボールに荷物がまとめられていく。段ボール詰めが一段落すると、支援物資である旨を示す紙を貼付ける。最後に、電車で運べるように各自が持参したキャリアに要領よく段ボールを固定して、出発準備完了。手慣れた方々がほとんどで、私が手伝えた事はほとんどなかった。段ボールをまとめる際に荷物を運んだり、段ボールを積み重ねたくらい。
 それにしても、参加者の方々の組織力には驚かされた。上記の作業が、文字通りアッと言う間に進んで行くのだ。マリノスサポータの友人によると、シーズン中に時々行われる紙吹雪の準備などの集団作業と、今回の支援物資の整理は、よく似ているとの事。したがって、今回のような活動は、サポータグループは得意とするところらしい。またエスパルスサポータの方が多かったのだが、東海地震対策で、地震対応に慣れた人が多いのだろうか。

 荷物が完成すると、集積地に向けた搬入部隊がいよいよ出発。仕切っていた方の「間違っても電車ジャックじゃないですよ。揃っていても歌っちゃダメですよ」のアナウンスが笑いを誘う。それにしても、段ボールをキャリアで運ぶ100人単位の方々の行進は壮観だった。私は別件もあったので、行進への参加は辞退させていただいた。ごめんなさい。
 搬入部隊が出発した直後、1台の車が駐車場に入って来た。運転席には見慣れた顔が。「自主トレに来たのだろうか」と私が問うと、友人が「いや、子供を連れているようですよ」と言う。車から降りた彼は、トランクから支援物資を次々と運び出した。何と、中村俊輔は、このような形で、この活動に参加してくれたのだ。

 被災地で苦しんでいる方々にとって、この日の数百人の活動は、ほんの僅かかもしれないが助けにはなった事だろう。上記のマリノスサポータの友人が語っていたが、「これはあくまでも第一弾、長期戦を着実に戦って行きたいのです」と言う言葉には、頭が下がった。私は私で、改めて自分のやれる事を、やって行こうと思った次第。

 横浜駅界隈は、通常よりは照明を弱めていたため、薄暗かった。けれども、たくさんの人が出歩き、通常の休日が戻りつつあった。バカマスコミの扇情的な煽りに惑わされず、多くの人が冷静に首都圏は安全と判断し、日常を取り戻そうとしている。首都圏が日常を取り戻さなければ、被災地の復旧はない。大丈夫だ、皆が冷静に判断しているのだから。
 仙台の母との電話。「近くのスーパーに午後出かけて行って、15分待ちくらいで入れた。牛乳と卵はまだ手に入らないが、(父の好物)の豆腐は買えたし、他のものもそれなりに大丈夫」との事。東京仙台間のバスが通った事もあり、「荷物担いで行こうか?」と問うと、「仙台に来る分には問題ないが、仙台を出る便は完全売り切れとの事、無理して来てもらってもお互い困るだけ」と豊富な情報から、やんわり断られた。いわゆる津波被災地はさておき、一般の被災地も少しずつ日常を回復しつつある。
 一方で宮城県北在住の友人との会話。「食べ物も店にもそれなりに揃っている。ただガソリンは深刻。仙台と異なり、自家用車がなければ、通勤も買い物もままならない。」との事。ガソリンの流通回復は、日常復帰への相当な重要事項なのだろう。
 もちろん、今回の惨禍の悲劇を直接こうむり、今なお苦しんでいる方々も多数おられる。彼らへの支援は怠ってはならず、最優先なのは言うまでもない(今回のマリノスサポータ達の活動も、そこに焦点を合わせていた)。その支援のためにも、日常の再獲得の息吹は喜ばしい。
posted by 武藤文雄 at 00:28| Comment(3) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月20日

日常の幸せ

 先週末は、所要と地震直後の混乱で、少年団には行かれなかった。今日は、自分にとって2週間振りの、しかもあの災禍後初めての練習だった。
 正直言おう。サッカーはいい。バカなガキ共と、全く屈託ない会話ができるのがまずいい。理屈でサッカーを説明すれば、わかってくれるのが愉しい。説明した事を理解してくれて、次のプレイで改善されたのを見ると、本当に嬉しい。そして、そのプレイが実戦で完全に定着しているのを見るのは、もう最高の歓喜だ。

 さらに今日は中学校の卒業生追い出し試合。多くのOB(高校生以上)も、中学校に集結。はな垂れ小僧だったバカガキ共、いずれも私よりも格段に大柄になり、筋骨隆々な堂々とした体躯の若者に成長してくれた。そいつらが、中学校に集まり、愉しそうにボールを蹴っているのを眺める。もちろん、彼らの後に送り出した中学生達のプレイを観察するのもいい。ほんの2ヶ月会ってないだけで、随分と上背が伸びた子が従来よりも格段に広いプレイディスタンスを見せてくれるのを堪能できる。
 冗談抜きで、近くの酒屋から酒精を買って来て、飲みながら彼らの試合を見る事ができれば、最高の酒の肴だっただろう。皆、「俺が育てた」のだから(笑)。

 この「日常の幸せ」。この幸せが、いかに光り輝いたものである事が再認識できた。再認識なんか、したくなかった。この輝きに気がつかないまま、毎週堪能し続けたかった。
posted by 武藤文雄 at 00:15| Comment(1) | TrackBack(0) | 底辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月19日

電力使用平滑化とJリーグ

 今週早々から始まった関東地方の計画停電から考えた事です。自分自身この1週間落ち着かない日々が続きながらも、今後に向けて色々な事を考えているのですが、どうにもまとまりません。
 また、今まず短期的な危機を脱する必要なこの時期に、今後のJリーグの事を心配するのも、いかがとも思うのですが。不愉快に思われる方がいたら、申し訳ありません。

 生産活動のためには、現状の3時間刻みの計画停電は相当に問題がある。時間単位から、日単位などに切り換える事は必須だろう。これは工場などの工業生産においては言うまでもないが、間接部門の業務だって、昼間の3時間を断ち切られてしまっては効率が悪くて仕方がない。15年前ならばさておき、パソコンが動かせなければ仕事にならないのだから。
 また、いまだ100%回復しない鉄道網の維持は重要。これらは、経済活性の必要条件。世界一正確な電車が早朝から深夜まで走っている事が、安心して仕事ができる事、安心して飲み続けられる事、安心してサッカーを観に行ける事などに、つながるはずだ。

 と、威勢良くいうのは簡単だが、どうやら我々は、少なくても当面、少ない電力で生活し、経済活性を図って行く運命を受け入れなければならないようだ。今の季節はまだよい。一番電力が必要となる夏場はどうなるのだろうか。この蒸し暑い日本の盛夏、エアコンなしで仕事が真っ当にこなせるとは思えない。それとも、東京電力が奇跡的豪腕で、今からたった4、5ヶ月で、例年どおりの夏期電力量を準備できるだろうか。少なくとも現時点で、そのような発表はない。
 そこで、視点を変えてみる。電力量と言うものは、単位時間の総出力が問題になる。そこでカギになるのは電力消費の「平滑化」のはずだ。

 例を挙げよう。我々の一般生活については、この程度の計画停電は、工夫で乗り切れる事態に思うのだ。
 拙宅は、今日はじめて夜間停電(18:20〜22:00)の日だった。安全を見て最寄り駅に18時には帰り着きたいので、16時には会社を出る事にした。ただ、前もってわかっていれば、このような対応はある程度は可能で、業務を平滑化しておけばよい。正直言って、今日は早く帰る事で、2件だけ、地方工場と東南アジアの事務所の同僚に、それぞれ不義理をしてしまった。しかし、携帯に電話がなかった事を考えると、送ったメール+来週開けのフォローで納得してもらえているようだ。やりようはある。
 帰宅後は、ローソクの火で食事をして、読書も愉しめた。あるいは、今回の計画停電の地域割りは猫の目のようだから、近隣の電気が来ているところに外食に行ってもよい。仕事の時間が足りなければ、早起きすればよいのだし。一般生活においては、電力使用が集中せずに平滑化する工夫は、色々考えられるはずだ。それは生活の豊かさを放棄するものではない。
 そう言う意味では、冒頭に述べた生産活動も、やりようが出てくる。実際の生産現場については、上記の通り、日単位の計画停電にする必要があるだろう。それも、皆が揃って土日に休む事を切り換えれば、必要最大電力量は平滑化され、低く押さえられる。
 まして、間接部門のデスクワークならば(本日の私の実例を上記したが)、このコンピュータネットワークの時代だ。在宅勤務や、サテライトオフィスなどの工夫を織り込めば、さらに社会全体で電力消費を平滑化する事ができるだろう。
 鉄道本数も、出勤退勤のタイミングをずらす事ができれば改善できる。現状の朝7時から9時の超ピーク集中が平滑化されれば、ダイヤ編成が楽になり配車も余裕が出てくる。

 そして、Jリーグだ。
 ただでさえ破綻し切っている日本サッカー界のトップの日程。今回の大災害で、貴重な3月に試合ができなかった。もし、4月のどこかで再開しても、当初予定通りの試合を全て消化するためには、夏場に相当試合を詰め込む必要が出てくる。しかも、この電力事情。果たして、盛夏期に大量にナイトゲームを行う電力量が再確保されるだろうか。私は決して簡単ではないと思う(私の予測が外れれば嬉しいが)。
 ではどうするか。もしかしたら、我々は早朝6時キックオフで(いや5時でもいいですが)、Jを行わなければならなくなるかもしれない。「何をバカな事を言っているのだ」と叱られるかもしれないが、現実的にそのような判断を余儀なくされるかもしれないではないか。そこに交通問題、騒音問題など、次々に問題が派生してくる。それら1つ1つを丁寧に工夫して解決して行く必要も出てくる。もちろん、過去から散々指摘してきた通り、日程を仕組み面から見直す活動も必須だろう。

 まとまりがつかない文章で申し訳ない。私だって、これらの指摘が杞憂に終わればよいと思っている。
 しかし、今回の大震災により、(たとえ一時的かもしれないが)我々が多くの電力を失ったのは間違いない(電力を失った事など、失った人命に比べれば小さな事なのだが)。そしてその結果、日本と言う国は、生活や経済活動の時間割を、抜本的に見直す必要が出てきたのではないかと言いたいのだ。そして、我々サッカー人は、その先鞭をサッカー的な創意工夫で乗り切る必要があるのではないか。
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2011年03月17日

ベガッ太へ

 遠く関東にいる私と異なり、君も直接大変な想いをしている事だろう。君の周囲に無事ライフラインも届いていないのかもしれない。それでも、君が無事な事を信じている。

 ベガルタの活動は当面凍結せざるを得ないのだろう。選手達は皆それぞれの故郷に帰り、骨を休める事を余儀なくされていると言う。適切な判断だと思う。いつ彼らが仙台に帰って来られるかは、全くわからない。ベガルタの活動が再開しても、しばらくは帰って来られないかもしれない。伝え聞く現状を聞くと、我らの英雄達が県内で試合をできるようになるには、相当な時間がかかりそうだから。
 それでも、梁勇基や関口や菅井達には、その時までにじっくりと準備をしてもらわなければならない。彼らも辛かろうが、彼らはプロフェッショナルだ。今は我慢してもらおう。

 でも、ベガルタには、そろそろ何かをして欲しい。
 だから君だ。そろそろ、出て来てくれないかい。時期尚早と言う意見もあるかもしれない。
 でも、もう1週間が経った。多くの人は本当に疲れ始めているはずだ。君の登場は、多くの人を勇気づけるはずだ。もちろん、梁達の出番が来るまで、全てを君に託そうなどとは思っていない。
 でも、君が登場すれば、多くの人が一層の勇気を取り戻すはずだ。
 君はベガルタなのだ。いや、今は君がベガルタなのだ。
posted by 武藤文雄 at 23:41| Comment(2) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

仙台にはベガルタがある

 本日発売のエルゴラッソ2011年3月16日発売号
 多くの読者はもうご存知だろうが、ベガルタ特集、と言うか「地震に負けるな!」と言う日本中のサッカー人からのメッセージ集だ。不肖講釈師もコラムを書かせていただき、末席を汚させていただいている。このような企画を早急に組んでくれた同誌に多謝。
 1面と最終面に渡るぶちぬきのゴール裏写真と、自らも被災した板垣晴朗氏のコラム。2、3面の各クラブサポータの方々の声、第2次大戦の戦災や阪神大震災を生き抜いてこられた賀川浩氏からの重厚な励まし。ライバルモンテディオの番記者佐藤円氏の激励。4、5面には、カズを筆頭にJリーガ、監督達からのコメント。ブラジル在住下薗昌記氏による、ワシントン、ジーコらブラジルサッカー人の言葉。あと、拙稿。6、7面は海外からのメッセージ、8、9面は各Jクラブの現況紹介。11面には、「サッカー仲間ができる事」活動の紹介。また、川端編集長は2つのコラムで、この苦境に対してサッカーが何ができるを論じてくれている。そして最終面はとうこく節。
 行き帰りの超満員電車(電力制限のせいで、昨日に続き、通勤電車は尋常でない混み方だったのだ)で、これらを読んだのだが失敗した。よい歳になり、ますます涙腺が弱まっていてねえ。

 一方、今晩は同じく被害にあった在仙のサッカーライター小林健志氏(首都圏の実家に避難中)と電話で会話する事ができた。ベガルタの実情は相当厳しいらしい。各種報道にもある通り、ユアテックスタジアムの被害は相当の模様。またクラブハウスも相当な損害を受けているらしい。たとえ、仙台市内の状況が好転しても、果たしてまともにトレーニングを再開できるかどうかすら疑問との事だった。
 けれども、選手達、スタッフ達は皆無事だったとの事。この悪夢のような災害を考えると、それだけで大変幸せの事のように思える(唯一ユース選手1名との連絡がつかないらしい、無事との不確定情報はあるらしいが)。
 正直、現地の惨状を聞くにつれ、ベガルタがどうなってしまうのか、気が遠くなってくる。

 でも、とうこくワールドで、ディーオ君が、ベガッ太に語ってくれた事が全てなのだろう(すみません、編集部の方々、とうこくさんの15面もPDFにしてください)。
そうやって、ちょっとずつこさえたもんは大丈夫なの。外っ側さ壊れでも、ちゃーんと残ってんの!
 そうだ.ブランメル時代から合わせて15年、それを長いと見るか短いと見るかは別として、正に少しずつ我々は「こさえてきた」のだ。それは、たとえ日本一のスタジアムに大きな被害があったとしても、崩れ去るものではないはずだ。

 板垣氏のことばの一部を抜粋させていただく。
 時として、フットボールの力も、それを伝えるペンの力も、自然の力の前では無力になることもある。
 だが、災害で傷ついた方々の勇気を呼び起こす力もまた、フットボールは持っている。どこのチームでプレーしていても、どこのチームをサポートしていても、その人にはフットボールを通して守られる笑顔があり、フットボールを通して湧いてくる力がある。
 世界中で勝利を求めて戦うフットボーラーが、そしてフットボールを通じて仲間となったすべての人々が、震災と戦うあなたへと力を送っている。そのことを、忘れないでほしい。
 決して現実の厳しさから目をそらすつもりはない。まだ何ら楽観的な事を語れる状況ではない事もわかっている。そして何より、まだサッカーの事を語る時期ではないのかもしれない。
 でも、仙台にはベガルタがある。私達が、少しずつ、こさえてきたベガルタが。
posted by 武藤文雄 at 00:37| Comment(5) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする