横浜駅から歩いてすぐのマリノスタウンの駐車場に集合。各位が持ち寄った乾電池、ウエットティッシュ、電池式携帯充電器、紙オムツ、使い捨てカイロ、生理用品(支援物資は、被災地の方々が、現状で必要としているこれらの品物に限定されていた)を仕分け。そして、それらを避難所にダイレクトに持ち込むルートを確保している都内の集積地に、皆で電車で持ち込もうと言う企画だ(短期的なガソリン消費を避ける狙いで、トラックの利用を遠慮したのだろう)。
私がマリノスタウンに着くと、既に2、300人の方々が集まっており、物品の仕分けが開始されていた。それぞれの物品ごとにマリノスサポータの方のリーダが決められていて、次々に段ボールに荷物がまとめられていく。段ボール詰めが一段落すると、支援物資である旨を示す紙を貼付ける。最後に、電車で運べるように各自が持参したキャリアに要領よく段ボールを固定して、出発準備完了。手慣れた方々がほとんどで、私が手伝えた事はほとんどなかった。段ボールをまとめる際に荷物を運んだり、段ボールを積み重ねたくらい。
それにしても、参加者の方々の組織力には驚かされた。上記の作業が、文字通りアッと言う間に進んで行くのだ。マリノスサポータの友人によると、シーズン中に時々行われる紙吹雪の準備などの集団作業と、今回の支援物資の整理は、よく似ているとの事。したがって、今回のような活動は、サポータグループは得意とするところらしい。またエスパルスサポータの方が多かったのだが、東海地震対策で、地震対応に慣れた人が多いのだろうか。
荷物が完成すると、集積地に向けた搬入部隊がいよいよ出発。仕切っていた方の「間違っても電車ジャックじゃないですよ。揃っていても歌っちゃダメですよ」のアナウンスが笑いを誘う。それにしても、段ボールをキャリアで運ぶ100人単位の方々の行進は壮観だった。私は別件もあったので、行進への参加は辞退させていただいた。ごめんなさい。
搬入部隊が出発した直後、1台の車が駐車場に入って来た。運転席には見慣れた顔が。「自主トレに来たのだろうか」と私が問うと、友人が「いや、子供を連れているようですよ」と言う。車から降りた彼は、トランクから支援物資を次々と運び出した。何と、中村俊輔は、このような形で、この活動に参加してくれたのだ。
被災地で苦しんでいる方々にとって、この日の数百人の活動は、ほんの僅かかもしれないが助けにはなった事だろう。上記のマリノスサポータの友人が語っていたが、「これはあくまでも第一弾、長期戦を着実に戦って行きたいのです」と言う言葉には、頭が下がった。私は私で、改めて自分のやれる事を、やって行こうと思った次第。
横浜駅界隈は、通常よりは照明を弱めていたため、薄暗かった。けれども、たくさんの人が出歩き、通常の休日が戻りつつあった。バカマスコミの扇情的な煽りに惑わされず、多くの人が冷静に首都圏は安全と判断し、日常を取り戻そうとしている。首都圏が日常を取り戻さなければ、被災地の復旧はない。大丈夫だ、皆が冷静に判断しているのだから。
仙台の母との電話。「近くのスーパーに午後出かけて行って、15分待ちくらいで入れた。牛乳と卵はまだ手に入らないが、(父の好物)の豆腐は買えたし、他のものもそれなりに大丈夫」との事。東京仙台間のバスが通った事もあり、「荷物担いで行こうか?」と問うと、「仙台に来る分には問題ないが、仙台を出る便は完全売り切れとの事、無理して来てもらってもお互い困るだけ」と豊富な情報から、やんわり断られた。いわゆる津波被災地はさておき、一般の被災地も少しずつ日常を回復しつつある。
一方で宮城県北在住の友人との会話。「食べ物も店にもそれなりに揃っている。ただガソリンは深刻。仙台と異なり、自家用車がなければ、通勤も買い物もままならない。」との事。ガソリンの流通回復は、日常復帰への相当な重要事項なのだろう。
もちろん、今回の惨禍の悲劇を直接こうむり、今なお苦しんでいる方々も多数おられる。彼らへの支援は怠ってはならず、最優先なのは言うまでもない(今回のマリノスサポータ達の活動も、そこに焦点を合わせていた)。その支援のためにも、日常の再獲得の息吹は喜ばしい。