ついこの間までは、新幹線で仙台に帰る事は叶わなかったのだが。
地下鉄に乗ると、いつもと同じように黄金色の服が多数いる。赤い方々もそれなりに見かける。八乙女駅を過ぎると、右手にユアテックが見えてくる。南側階段でのんびりしている赤い方々がまず目に入り、その後メイン側に多数の黄金色の服を着た僚友たち。そして、地下鉄は泉中央駅に。
ついこの間までは、地下鉄は台原までしか行ってなかったと言うのだが。
ユアテックで多くの友人たちと再会。いつものように酒盛りをして、キックオフに臨む。皆で歌って踊って試合が始まり、勝利に歓喜する。ただ、これだけ見事なベガルタのサッカーを観る機会はそうなかったかもしれないが。そして、試合後見事な勝利を肴に酔っぱらう。
日常が帰ってきている。あの大震災からちょうど49日だったこの日。少なくとも、Jリーグを戦う事に関しては、私たちは完璧な日常の回復を享受できていた。この回復のために費やされた努力に感服し、その努力を積み重ねた多くの方々に最大限の感謝と敬意を表したい。
けれども。現実の厳しさもまた間違いない。
直接津波の被害を受けた方の話を聞く機会があった。津波は果て無く幾度も襲ってきたとの事だ。「この場所にいて無事なのか、でも動きようがない」と言う恐怖。
その日の宮城県の多くでは、3月には珍しく激しく雪が降っていたと言う。地震そのものの衝撃、停電などの2次災害、ようやく自宅に歩いて帰るしかない人々に、雪は容赦なく襲いかかった。
夜になり晴れたと言う。停電による、過去経験した事のない暗闇。仙台で見た事ない程、星が美しかったそうだ。
津波被災地域のえも言えぬ匂い、水平線がいずこから見えてしまう何もなくなった光景、地盤沈下により満潮時にはかつての生活道路や人が住んでいた土地が海中に没する現況。復興の方策も手段も見えてこない。
友人たちから聞く現実は、あまりに重い。
生き死にの話に比べれば、格段に卑近と批判されるかもしれないが、若者たちのサッカー。
インタハイに向けて準備していた高校生にも話を聞けた。本来であれば4月から各地でリーグ戦形式の予選ラウンドが始まるインタハイ予選。全てはキャンセルされ、おそらく全県一発勝負の勝ち抜き戦を行う事になるらしい(それすら、本当に実現できるのかと言う議論もあるらしい)。積み重ねてきた努力が、たった一発の試合で終わるかもしれない。
いや、津波被災地の高校生は、学年ごとに内陸側の高校に分かれ授業を受けていると言う。部活動そのもの、サッカーそのものが成立しない生活を余儀なくされているという事だ。
この日、あるいは前節の4月23日、私たちは日常のJリーグを取り戻す事はできた。
より長く果てしなく、しかし絶対に最後は逆転勝利を収めなければならない戦い。一方で、この日はその長く果てしない戦いのキックオフなのだろう。