2015年07月29日

結果は悩ましいが、内容は悪くない、このままでよい

 ベガルタはユアテックで、レイソルに痛恨の敗戦。ホームグラウンドで3連敗、折り返し以降獲得した勝ち点は僅かに1。何とも悩ましい。
 とは言え、この敗戦は、年に1回あるかどうかと言う不運が訪れたものだった。それなりの時間帯で攻勢をとり、少ないながらも好機の数で上回り、0対0で試合を進めながら、87分にCKから失点したのだから。確かに、このような敗戦はつらいものだ。しかし、内容は悪くなかった。こう言う時こそ、ブレずに良質な内容を継続する努力を積むことが肝要だ。
 試合間隔が1週あいた事もあり、前節のヴィッセル戦とは異なり、運動量も相応に復活し、前線からの組織守備もよく機能した。よい準備が行われれば、今のベガルタはよいサッカーをする事ができる。前半は良好な中盤守備で攻勢をとり、セットプレイを軸に幾度か好機をつかむ。後半の序盤こそレイソル大谷の気の利いたキープから劣勢を余儀なくされた。けれども、後半半ば過ぎからはレイソルの中盤が疲労した事もあり、再度攻勢を取り返した。しかし、どうにも崩し切れぬまま終盤となり、上記87分を迎える事となった。まあ、こういう試合もある。

 両サイドバックが代わったも大きかった。左サイドは石川が負傷癒えて復活。右には久々に多々良が起用された。石川はチームの大黒柱で、野沢や富田との的確な連係で好機を演出すると共に、守備ラインの安定をもたらした。多々良も久々の起用だったが、己の地域を丁寧に守ると共に、前線に上がれば的確な判断で攻撃を組み立て、上々のプレイだった。
 前節までの蜂須賀、二見は、それぞれ大卒3、2年目。共に昨シーズン大きな負傷から復活し、近い将来のベガルタを支えて行く事を期待されている選手達だ。2人とも、日本のサイドバックとしては大柄で、体幹の強さも上々、前進しながら 角度のあるクロスを蹴る事ができる。しかも二見はロングスロー、蜂須賀は両足での強く角度のあるキック、とそれぞれ他にはない長所も持っている。ただ、2人とも判断力に課題がある。守備面では時々強く前に行き過ぎてあっけなく敵に外されてしまう事があるし、攻撃面でも敵がしっかり守備を固めてきた時に落ち着いて回し直せばよいのに焦りから軽率なミスパスでボールを失う事が再三。この2人に切歯扼腕し、成長を期待するのも今シーズンの大きな愉しみの1つだが、このレイソル戦に関しては、石川と多々良の好プレイを素直に喜ぶ事としよう。

 確かに、セットプレイでいくつか掴んだ好機を当方がしっかり活かせていれば勝てていた事だろう。一方で、それなりに攻勢をとりながらも、思うように好機を作れなかった。レイソルの守備がよかったが、当方の攻撃には、まだまだ変化が足りないのだ。

 ここから渡邉氏はどう積上げて行くか。
 1つは攻撃の人数を増やす事。これについては、菅井がベストコンディションを取り戻せば一瞬で解決する。しかし、菅井もそれなりの年齢になった。となれば、やはり金眠泰に期待したい。このスケールの大きな、(しかし少々オッチョコチョイの)タレントには、菅井に学び、もっともっと大胆に飛び出す時は飛び出して欲しい。あるいは、渡邉氏はもっともっと金に、そのような指示を与えて欲しい。金眠泰と言う上下動を苦にしない中盤後方の逸材が、菅井と言う飛び出す事に格段の才を持つ天才と、同じチームで戦う機会を得た事、そしてその場が私のクラブである事を素直に喜びたい。
 野沢の使い勝手の悪さも悩みの1つだ(あるいは最高の思考実験だ)。前節のヴィッセル戦のCKなど、セットプレイの駆け引きや精度は、今なお日本屈指。さらに時折見せる、独特のタイミングで敵の隙を突くパスは、精度といいタイミングといい絶妙だ。レイソル戦の前半、石川と見せた左サイドでの組み立てなど、ほれぼれする物だった。しかしながら、この選手は短い時間で爆発的に能力を発揮するタイプではなく、プレイを継続しながら突然ヒラメくところに妙味がある。したがって、スタミナに課題がある事がわかりながらも、できるだけ長い時間ピッチに置いておきたいので、スタメン起用するのが有効と言う事になる。終盤の勝負どころでこの鬼才を、「切り札」として使えれば、これほど嬉しい事はない。渡邉氏はこの課題にも取り組んで欲しいのだが。
 終盤、ハモン・ロペスや金久保を起用して、崩し切る事を狙うのは、渡邉氏が好む終盤の戦い方だ。ただ、2人とも真面目に前に前に行こうとし過ぎる。そのため、終盤の攻めが単調となっている。前の方にフレッシュな選手を使うのもよいが、中盤後方の活性化も必要なのだ。先日も述べたが、梁と富田に拘泥し過ぎるのはいかがだろうか。ここには、ベテランで色々な使い方ができる武井も、後方からいやらしいキープや変化技を使える若い藤村もいる。当然ながら、梁も富田も我々の宝だ。だからと言って、彼らにすべての無理を負わせるのはいかがなものか。特に梁は、今シーズン前のオフ、アジアカップに出場していた事もあり、十分な休養をとり、鍛錬を積み切れていないはずだ。梁を大事に使い、シーズンを通してフル出場してもらう事、いやそれよりも少しでも長くユアテックに君臨してもらう事、それぞれはベガルタと言う小さなクラブにとって、そして我々サポータの歓喜にとって、とてもとても大切な事なのだから。
 一方で、奥埜については限界まで挑戦して欲しい。渡邉氏は、動き回り消耗気味の奥埜を、終盤交替するのがお好みのようだ。確かに、試合終盤の奥埜の疲労感は中々ののものがある。それでも、どんなに疲労していても、奥埜は常に引出し、ボールを受けるや有効に戦ってくれる。そう、交替させる意味はない。そして、まだ20代半ばの奥埜だ、梁や富田のように休養も考慮する必要はない。渡邉氏が奥埜に、タフで厳しい戦いを強要すればするほど、奥埜にロシアが近づくのだから。

 など考えながら、明日の敵地FC東京戦に思いをはせるのは愉しい。ただ、問題は本業都合で、明日味の素に行く時間を獲得できそうにもない事なのだが。相変わらず、人生の目的と手段を取り違えた情けない男だ。
posted by 武藤文雄 at 00:49| Comment(0) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月20日

杓子定規まで師匠に似とる

 ベガルタはホームユアテックでヴィッセルに1対2で完敗した。不可解なPKを奪われた事もあり、一見不運な逆転負けに見えたが、内実は完敗。連戦の疲労、高温多湿を何ら考慮せず、漫然と試合に臨んだ渡邉監督の責任は重い。

 前半から酷い内容。各選手の動き出しは遅いわ、運動量は少ないわで、後方から苦し紛れの縦パスばかりの攻撃で、全く形にならない。たまに奥埜の粘りで形になりかけるが、後方からのサポートがないため、単発に終わる。金園もよく頑張るが、明らかに切れがない。
 それでも、前半を0対0に終える事ができたのは、ヴィッセルがベガルタのひどさに合わせてくれたかのような単調な攻撃に終始したから。鄭又栄、三原が反応鈍いベガルタMFを出足で圧倒、結果ベガルタDFは遊弋する森岡を捕まえられない。そして、両翼の高橋と相馬がタッチ沿いで再三フリーとなる。しかしながら、マルキーニョスとレアンドロの2トップの運動量が少なく、高橋と相馬も単調なクロスを上げるのみ。おかげで、ベガルタは前半を無失点で終える事ができた。相当な高温多湿の悪環境、相手の出来が悪過ぎたため、ヴィッセル選手にもその悪さが伝染してしまったのだろう。

 後半、ベガルタは先制に成功する。野沢がCKを2本連続でニア狙いを続け、3発目をGK前に蹴り、飛び込んだベガルタ選手がすらしたボールを金眠泰が押し込んだのだ。このあたりのセットプレイの野沢の巧みさはすばらしい。
 おもしろいもので、先制を許した事でヴィッセル選手の反応がガクッと落ち、ベガルタが中盤を制せるようになる。そこで、ネルシーニョ氏は小川と渡邉千真を2枚替えで起用。スピードあふれる小川が再三ベガルタDFラインの裏を突いてくる。ただし、小川のプレイに疲労した他選手が呼応できず、ベガルタDFは何とか守り切る。
 ここで渡邉氏は不思議な采配を行う。リードして、ヴィッセルの選手も疲労気味、しかし小川に裏を突かれてイヤな時間帯。常識的には守備を強化する策をとるべきだっただろう。けれども、最前線で奮戦する奥埜に代えてハモン、先制弾の演出以外ほとんど消えていた野沢に代えて金久保。ハモンも金久保も意欲満々攻撃を仕掛けるが、後方からのサポートが足りず、空回りを続ける。
 そして、中盤で鄭又栄を捕まえ損ね、小川にまたも裏を突かれる。「やられた」と思った瞬間、渡部が見事にスライディングタックルで防ぎ「やれやれ」と安堵したら、東城主審はペナルティスポットを指さした。まあ、このようなミスジャッジはたまにある事だし仕方がない。裏を突かれたベガルタが悪いのだ。
 さらにその直後、CK崩れから速攻を許し、高橋の一撃で逆転される。これはレアンドロ、小川、高橋の連係が見事でちょっと防ぎようがなかった。
 残念だったのはその後。もう富田も梁も消耗しきっており、攻めを焦る金園、ハモン、金久保に有効なボールを提供できず。好機すら作る事ができなかった。終了間際に、金眠泰に代えて山本を起用したが、ボールが出ない状況の改善には全くつながらず。せめて、中盤に藤村を起用して展開を改善する発想はないものか。

 結果的には、ミスジャッジによるPK込みの逆転負け。何となく不運に思えるが、落ち着いて考えると、高温多湿の連戦に特別な対処をしなかったが故の完敗だった。敗因は渡邉氏の采配そのものだったのだ。
 ベガルタの強みは、運動量を活かした組織的な攻守にある。そして、それはスタメンも交代選手も固定化されては、この高温多湿下では実現できないのだ。
 この連戦、菅井の負傷、二見の回復があり、サイドバックだけは菅井、二見、蜂須賀が2試合ずつの起用。しかし、それ以外のスタメンは完全固定。富田、梁、金園は一切交代なし。元々運動量に課題ある野沢と、若い奥埜と金眠泰に代えてハモン、金久保、山本が機械的に投入される交代劇。前線にいくらフレッシュな選手を投入しても、そこにボールが配球されなければ意味はない。上記したが、藤村なり(ようやく控えに入った)石川直樹を投入するなりすれば、状況は改善された可能性はあったと思うのだが。
 私は渡邉氏の監督としての素質を高く評価してきた。けれども、ここまで杓子定規に教条的な采配をされてしまうと、さすがにつらい。

 と、こう書いてきて、何かしら既視感が。たとえば、この試合。疲労困憊の千葉直樹と、今日の富田、梁に、何かしら共通点を感じたのは私だけだろうか。
 己の思い通りにしか試合が展開しないと杓子定規に考えるところまで、師匠を真似る必要はないと思うのだけれども。まあ、よい監督を獲得するためには、相応に失敗経験を積んでもらう必要があると言う事かな。
posted by 武藤文雄 at 00:55| Comment(2) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月19日

3大会連続世界大会決勝進出を称えて

 早いもので、女子ワールドカップ終了から、2週間が経過した。決勝戦およびその後について雑感を。

 まずは偉業を称える。
 五輪を含め、3大会連続での世界大会決勝進出である。言葉にするのも難しい偉業だ。
 男のサッカーに比較すればマイナー競技かもしれないが、女子サッカーを本格強化している国は少なくない。西欧、北欧、北米、大洋州、東アジア、少なくとも10国を超える。その中での快挙だ。
 重要な指摘。北京五倫では、日本はかろうじて2次ラウンドに進出、何とかベスト4に滑り込んだ印象だった。あの大会を観た限りでは、選手達には失礼だが、このメンバで世界のトップに到達するのは容易ないと思ったものだった。けれども、私は間違っていた。ほぼ同じメンバ(戦力的には、熊谷と川澄が加わったくらい)で、3大会連続の決勝進出。これは、各選手達の努力が生半可なものでなかった事を示している。
 実際、この3大会を振り返ってみると、1つ1つの試合の勝ち抜きぶりの鮮やかさには恐れ入る。大会終盤を目指して的確に体調を整え、大会が進むに連れ連係の精度が増していく。正に本当のプロフェッショナルだけが演じられる戦い振りを見せてくれた。 
 もちろん、宮間と仲間たちは優勝しか考えていなかっただろうから、今大会の最終結果は大いに不満だった事だろう。けれども、サポータの我々からすれば、ここまで鮮やか結果を残してくれた彼女たちに、感謝の言葉しかない。
 本当にありがとうございました。

 ともあれ、何とも重苦しい決勝戦だった。
 サッカーの神は(女神かもしれないが)、時にこのような気まぐれを起こす。昨年のドイツ対ブラジルのように。しかし、この日の女子代表にとっては、この苦闘は昨年のブラジル以上に厳しいものだった。それは、その失点劇の直接要因が、選手の個人的ミスによるものだったからだ。最初の3点の岩清水、残り2点の海堀のプレイは、かばいようのない個人的ミス。もちろん、合衆国の攻撃は見事だったし、3、4点目はボールの奪われ方が、あり得ない軽率なものだった等、2人以外にも失点要因はあったのも確かだ。けれども、5失点とも2人が判断を過たなければ防げたものだった。それをあいまいに記述するのは、かえって2人に失礼と言うものだろう。、
 けれども、この2人がいなければ、決勝まで来る事ができなかったのは言うまでもない。いや、ここ数年間の女子代表の好成績はなかった。何とも残酷な現実ではあったが、胸を張って欲しい。
 それでも、宮間達は崩壊せずに堂々と90分間を戦い抜いた。崩壊し切ったまま、3位決定戦を終えた昨年のセレソンとは異なり。見事なものだ。

 決勝で合衆国にしてやられたのは確かだ。しかし、大会終了後の「合衆国が強かった。恐れ入りました」報道には違和感を感じる。
 開始早々のトリックプレイ以降、序盤に失点を重ねてしまったが故の完敗だった。この試合に関しては、相手が強いとか、こちらが弱いとかを感じる前にやられてしまったのだ。。
 4年前のドイツ、3年前のロンドン、正直言っていずれも戦闘能力は合衆国が上回っていた。今回もそうだった、と思う。「思う」と書いたのは、それを確認する前に勝負がついてしまったからだ。4対2に追い上げた以降を含め、好機の数は合衆国の方が格段に多かったのだし。けれども、今回に関しては、敵に感心する事なく敗れてしまったのも確か。戦闘能力差を云々する前に失点を重ね、勝負をつけられてしまったのだ。
 だから、「合衆国にひれ伏す」的な報道に違和感を感じるののだは、私だけだろうか。

 大会終了後、宮間が「女子サッカーをブームではなく文化にする」と見事な発言をした。それを面白おかしく採り上げるマスコミは論外としても、実に重い問題提起なのは間違いない。
 宮間が潤沢なキャッシュを望んでの発言なのはよく理解している。けれども、身も蓋もない言い方になるが、「文化」にすると言う事は、彼女たちに潤沢なキャッシュを提供できる環境を作る事と等価と言わざるを得ない。そして、過去も女子代表が鮮やかな戦いを見せてくれる度に語ってきたが、どうやったら彼女達に豊かなキャッシュを提供できる環境を作れるのだろうか。
 いつもいつも語っているが、なでしこリーグの最大競合は、Jリーグなのだ。冷めた目で語れば、なでしこリーグが定期的に万単位の観客を集める事は不可能に近い。Jリーグでさえ、スポンサを集めるのに四苦八苦している中で、どうやって、彼女たちにキャッシュを落とせるか。
 日本協会が、女子のトッププレイヤを積極的に欧州に送り出す対応を行ったのは、今大会の成功につながったのは間違いない。また、各Jクラブに女子チームを持つように行政指導?をしているのも悪くない。我がベガルタも、レディーズを持たせていただいたし。このような1つ1つを丁寧に実施し、女子サッカーに落ちるキャッシュを増やしていくしかないのだろう。
 このような努力は、この10年来丹念に続けられてきた。それにもかかわらず、女子の好成績と比較して、男の代表チームを揶揄し、偉そうに「カネを女子に回せ」と言う輩が後から後から出てくるは悲しい事だ。それも、通常サッカーの仕事をしていない人ならさておき、日々サッカーで食っている人間にもそう言うのがいるから残念なのだが。

 それはそれとして。「わたしもボールを蹴りたい」と言う、小学生の女の子が増える事が「文化」には重要な事も間違いない。しかしながら、我が少年団には、宮間達の颯爽といた戦いに感銘し「私も蹴りたい」と言う女の子は、今のところ登場していない。
 もし、そのような女の子を増やすノウハウがあるのならば、どなたか教えてください。

 ともあれ。宮間とその仲間たちの颯爽としたプレイ振りに乾杯。
posted by 武藤文雄 at 00:11| Comment(4) | TrackBack(0) | 女子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月18日

新国立競技場について

 昨今話題となっている新国立競技場問題について。

 40年以上サッカーに浸りきっているが、競技場の事はよくわからない。そりゃ、陸上トラックが無い方がよいとか、傾斜のきついスタンドの方が見やすいとか、屋根があれば濡れなくてよいとか、そう言う意見はあるよ。一方で、屋根があまり大きいと芝の育成の妨げになるとか、どのような構造にすれば入退場がしやすいとか、そのあたりはさっぱりわからない。言うまでもなく、シロートゆえ、何百億円なら妥当だとかの値頃感は、もちろんない。それに加え、どのような外観の競技場がよろしいかなどについての意見もないのだ。

 個人的に外観を見て感動したのは唯一サンシーロスタジアム。90年イタリアワールドカップで、ミラノの街で体感したこの競技場は美しかった。あの四隅を構成する美しい螺旋階段。あの螺旋階段のピッチ側がそのままスタンドの入り口となっているために、階段を一周する度にスタンドの声援が聞こえてくる高揚感。「そうか、競技場と言うものは、こんな素敵な建造物足り得るのだ。」と素直に感動した。この街で堪能した「最後の晩餐」と「ドゥモ」と、そしてこの競技場の感動は、人生の宝物の1つだ。もちろん、そこで演じられたドラマ、バルデラマの妙技、ブレーメの知性、ファン・バステンの絶望なども。
 一方で、後日この競技場がその構造物が故に、芝の生育の問題があると聞いた。こうなると、競技場のあるべき姿の検討は、シロートには荷が重い。したがい、競技場のあるべき姿については、あまり考えなくなった。
 そうなると、話は簡単。私にとって最高の競技場は言うまでもなくユアテックであり、忘れ難い3大競技場は、広島ビッグアーチ(初のアジア王者)、ジョホールバルラーキンスタジアム(言うまでないですね)、そしてスタジアム・ミュニシパル・ドゥ・トゥールーズ(最初のワールドカップアルゼンチン戦)、と言う事になる。
 こう言う人間ゆえ、競技場のハードウェアについては何の意見もない。サッカーさえ見る事ができれば、それでよいのだ。

 もっとも。却下された現行プランがダメなのはシロートでも理解できる。
 このプロジェクトはダメだ。当初予算の1300億円を超過しているのも論外だが、要件が確定せず上限金額が確定していないからだ。あれこれの要件が確定し、施工側が安全サイドの見積もりを提示し、それが高過ぎるならば、問題はあるが仕方がない。
 けれども、本件は違う。最終要件が決まらず、現状の見積もり金額が最上限とは確定していないからだ。屋根やらスタンドやら、不確定要素が多すぎる。再三、「2520億円」と言う金額が報道されているが、シロートから見ても、これが上限金額ではない事が明らかだ。このようなプロジェクトは間違いなく破綻する。
 したがって、現行プランが中止となり、「やれやれ」とは思うが、だからと言って「2520億円」が前提となり、「それ以下の金額なら上々」と言う世論には気をつけたいとは思うけれど。

 一方で、私はしがないサッカー狂だ。五輪など、どうでもよいと思っているのが正直なところ。
 「どうせならば、ラグビーワールドカップに合わせ、球技専用競技場ができればシメシメ」と思っていたのも否定しない。だから、今回の「ラグビーワールドカップに間に合わないのはやむなし」には、少々複雑な思いもある。まして、ラグビー好きの方々の気持ちは考えると、何とも言えない。
 もっとも「シメシメ」は、五倫招致成功時点で諦めざるを得なかったのだろう。五輪の競技場なので、開会式や陸上競技をする必要があるから、陸上トラックは必須だからだ。そうなると「シメシメ」を修正して、「東京五輪のドサクサで、立派な新国立競技場が完成し、できれば五輪後に陸上トラックをなくす改装が行われて球技専用競技場が入手できればシメシメ」くらいは考えていたは確かですが。
 それよりは税金を有用に使うべきだと、考える程度の思考力はあるつもり。だから、「シメシメ」が実現しなくても仕方がない。よい五輪用競技場が完成するのを期待したい。 

 だけれども、あの都心の超一等地、それも幾多の思い出がある伝統的なあの場所の競技場。どのような競技場を作るのが一番よいのか、真剣に考えるべきだとは思う。
 サッカー狂の戯言と言われるかもしれないが、定期的に数万人以上の観衆を集める事が可能な競技は、サッカーあるいはラグビーしか考えられない。その場合、陸上トラックがあるだけで競技場の利用率は下がってしまう。だから、競技場として考えるならば、冗談抜きに将来は球技専用競技場への改造を考慮すべきだろう。
 一方で、巷言われるようにコンサート会場として有用ならば、そう決断すべきだろう。それならば五倫での仮利用の後は、そのようなイベント会場と割り切るのも一案だ。全天候用屋根をつけて、芝生の事など何もも考えず、球技競技場への転用は捨ててしまう。
 ウルトラCとして、日本で最も観客動員が期待できる野球場への転用もあり得る選択肢かもしれない。そうなると、神宮をつぶしてコンパクトな球技専用競技場とか言いたくなるが。
 さらに言わせてもらえば、五輪は味の素スタジアムなり、日産スタジアムに任せ、更地になったあの土地は、いったんそのままにすると言う選択肢も…

 よい機会だと思う。皆でどうすればよいのか、真剣に考える機会なのではないかなと。
posted by 武藤文雄 at 00:39| Comment(4) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月02日

サッカーの母国の歴史的悲劇

 何歳になっても、何試合経験しても、サッカーの奥深さは尽きない。新たな感動と発見を体験させてくれた両国の選手達に感謝の意を表するしかない。
 講釈の垂れようがない結末だった事は確かだ。また日本の選手達、関係者の方々のきめ細かな努力が歓喜を生んだのも間違いない。しかし、ここは敢えて、あの場面およびその直前について執拗に語る事が、自分なりのローラ・バセットへの最大級の敬意ではないかと考えた。

 そもそも。サッカーの言語において、この自殺点は「ミス」と語るべきではないだろう。バセットがボールに触れなければ、至近距離から大儀見がシュートを放つ事ができたのだ。悲劇は悲劇だったが、バセットはボールに触るしかなかったし、川澄のクロスを誉めるしかない。あのような位置関係で、川澄があのボールを入れた時点で、バセットがやれる事は限られており、バセットは的確にそれを行った。それだけの事だ。これは「ミス」ではない。あのような選手の配置関係を作り出し、川澄がタイミングと精度が適切なボールを入れた瞬間に、日本はバセットの悲劇の準備をすべて終えていたと言う事だ。
 もちろん、細かな事を言えば、いくらでも指摘できる事はある。極力自殺点となるリスクを下げるために、ボールを浮かしたり外に出すために、足首のスナップを使えばよかったとか。直前の大儀見との位置取りの駆け引きを工夫すればよかったとか。しかし、そんな詳細まで語り始めたら、サッカーの論評は成立しない。むしろ、バセットは工夫してクリアを浮かそうとしたからこそ、ボールはネットを揺らさずバーを叩いたのかもしれない。いずれにしても、バセットが何か判断を誤った訳でも、技術的な失敗をした訳でもない。オランダ戦の終盤の海堀のプレイとは異なるのだ。
 
 だから、あの自殺点は「ミス」ではない。

 一方、これはイングランドにとっても「悲劇」ではあったが、決して「不運」ではない。日本は能動的にあの状況を作り、日本の攻撃がイングランドの守備を上回ったから、得点となったのだ。イングランドは日本に得点を奪われる状況を作ってしまったのだ。それを「不運」と呼ぶのは、すばらしい戦いを演じたイングランドに対しても失礼と言うものだろう。
 ただし、日本にとっては「幸運」だった。なぜならば、サッカーで最も厄介な「シュート」と言う要素を自ら行う事なく、得点となったからだ。

 さらに、この場面を作り上げたのが、我らが主将の宮間の明らかな「ミス」だった。
 直前の場面を思い起こそう。イングランドが攻め込みを日本DFがはね返し、宮間はほとんどフリーでボールを持ち出す。「よし、速攻につなげられる。」と思った瞬間、信じ難い事に、宮間がボールを大きく出し過ぎ、敵MFにカットされてしまった。速攻をしようとした日本としては恐ろしい瞬間(逆速攻を受けるリスクがあった)だったが、イングランドもボール扱いに手間取り、そこから速攻をされ直す事はなかった。そして、紆余曲折の末、日本DFがほぼフリーでターンできる状態の川澄にボールを出す事になる。
 敵にボールを奪われ速攻を許しそうな場面が訪れた直後に、逆にボールを奪えると、自軍がよりよく速攻を狙える可能性が高い。宮間のミスの瞬間のイングランドは正にそのような状況を迎えていた。ところが、そこでボールを確保し切れなかった。結果として、イングランドの後方の選手の意識にズレが生まれ、結果川澄の持ち出しにつながった。
 その意識のズレそのものは、イングランドのチーム全体の「ミス」だったが、防ぐ事が非常に難しい「ミス」だったのは言うまでもない。あの終盤の難しい時間帯に、確実なマイボールを確認するまで安全をとるか(安全をとり過ぎると、逆にラインが間延びするリスクともなり得る)、勝負どころと見て前進するか(あの時間帯に上がり過ぎるのは非常に危険でもある)、11人全員が極めて高級な判断を余儀なくされる状況だったから。そして、その難しい状況の起因となったのが、日本の大黒柱のずっと単純な「ミス」からだったのだから、サッカーの無常さを感じずにはいられない。

 この「悲劇」は、長らくイングランドの方々に歴史的悲劇として、語り継がれる事だろう。そのような試合をサッカーの母国と戦う事ができた事を、誇りに思う。 
posted by 武藤文雄 at 23:34| Comment(5) | TrackBack(0) | 女子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする