2017年02月25日

まずは開幕勝利

 2017年シーズン開幕。ベガルタは、コンサドーレをユアテックに迎え、1対0の勝利。

 ベガルタは、三田を中心に丁寧にボールを回し、前後半を通じ、攻勢をとっていた。しかし、コンサドーレは、最終ラインを分厚く固め、一方攻撃から守備への切り替えも速い。時に、都倉とジュニーニョの個人能力による逆襲がいやらしい。結果、80分過ぎまで崩し切れずイヤな展開。
 そうして迎えた84分。交替出場して前線で再三コンサドーレに脅威を与えていた西村(昨年と比べ、上半身が格段にたくましくなっていたのが嬉しい)がうまい持ち出しで前進、後方から進出したフリーの三田につなぐ。三田の強烈なミドルシュートを、GKがファンブル、詰めていた石原直樹が落ち着いて流し込んで、ようやく決勝点を奪えた。
 石原はいわゆる2シャドーの前のワントップでの起用。左右両翼に開きつつ前線での引き出し、落ち着いた最前線でのキープ、最前線での激しいプレス、さらに時には敵DFの前線進出にもからむ、と鮮やかな活躍ぶりだった。そして、あと10分を切ったところで、渡邉監督は石原に代えて一発のある平山の起用を準備していた。そして、平山がタッチラインにスタンバイしていたその時、石原が決勝弾を決めたのだ。負傷もありレッズで活躍の機会が得られず苦しんでいた石原直樹が復活した瞬間だった。
 その後、渡邉監督は、平山の交代を中止。CB増島を起用、右から蜂須賀、大岩、増島、平岡、石川と、頑健なDFを5枚並べ、しっかりと逃げ切った(考えてみると、増島と平山が、我が愛するクラブで再会するなんて素敵だよね。そう考えると、水野も残っていて欲しかったなと)。

 正直言います。ここ2シーズン、レッズでほとんど活躍の機会を得ていなかった石原が、どこまで活躍できるか疑問視していました。ごめんなさい、石原さん。そして、ありがとう。丹念にコンディションを上げていき、シーズンフル出場をねらってください。でも平山も頼むぞ。

 コンサドーレ関係者には失礼な言い方になるが、ベガルタにとってコンサドーレは、J1で戦闘能力上互角以下と考えられる数少ないライバル。そのコンサドーレとのホームゲームは、是が非でも勝ち点3を獲得したい試合だった。その大事な試合が、十分にコンディションが揃っていない開幕戦に当たったのは、少々イヤな印象があった。
 この難しい試合に、ベガルタは新しいフォーメーション、3-4-3で臨み、上記した通り、三田を軸にした丁寧なボール回しでペースをつかんだ。コンサドーレの前線でのプレスをうまくかわし、中盤まで丁寧に持ち出すことができたのは、この新フォーメーションが奏功したと見る。まずは、スタートは上々と考えるべきだろう。他チームのスカウティングが充実してくる数節後、どのように対応するのかを待ちたい。
 さらに、スタメン出場した35歳の梁勇基と32歳の菅井直樹が元気だったのがまた嬉しかった。さすがに、勝ち切る必要があったこの試合、2人は途中交替を余儀なくされたのだが。まあ、ここは、2人の体調と言うよりは、チーム全体のフィジカルコンディションの問題と捉えるべきだろう。実際、チームとしては、体調のピーキングは随分と先に合わせているはず、厳しい鍛錬を通じ、慌てず調子を上げて行ってほしいものだ。

 もちろん、新人永戸の大活躍が嬉しかったのは言うまでもない。「左足のクロスがよい」とは聞いていたが、しつこいディフェンス、位置取りの適切さ、敵の対面マセードを完全に押し込んだ前進意欲、ロングスロー、さらには右足で狙った無回転シュート。いずれも上々だった。敵のスカウティングが充実してくると、まずは壁にぶつかるだろうが、伸び伸びと活躍して欲しいものだ。

 ただし、このやり方で、勝ち切る試合を増やすためには、もっともっと攻撃の変化が必要。この日は、終始攻勢をとることができたこともあり、80分以降に明らかな疲労から、コンサドーレの守備が甘くなった。交替出場した西村がその隙を突き、三田の前線進出をうながしたことが、この日の勝因となった。
 しかし、より強力なチームと戦う際は、三田が前線に進出するのは、そう簡単ではなくなる。となると、いわゆるバイタルエリアで、技術なり判断で変化をつけることが必要となる。そのためには、茂木や佐々木匠のような、技術的に優れた若いタレントに期待したくなる。頼むぞ。

  ともあれ、開幕戦で、苦労を重ねて勝ち点3を奪えた。いや、本当によかった。なかなか、現地に行くことが叶わない不良サポータ。DAZNには、心底苦しめられそうだが負けません。
posted by 武藤文雄 at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ベガルタ2017年シーズン展望

 Jリーグが開幕する。

 先日、平山相太への怪しげな期待について、講釈を垂れた。では、肝心のベガルタ仙台の今シーズンはどうなるのか。以下、おめでたいサポータの楽観的な展望を。

 どうやら今期は、基本的な布陣を3-4-2-1とするらしい。選手の配置は必ずしも本質ではないけれど、ベガルタにとっては大きな変化点となる。。
 何のかの言って、2007年に望月達也氏が監督に就任以降、2008年から2013年までの手倉森政権、それを引き継いだ渡邊氏時代、基本的には、フラットな4-4-2の布陣で戦ってきた。2013年のACL長戦時に、手倉森氏が4-3-3にトライしたり、手倉森氏の後を引き継いだアーノルド氏が独自の守備方式を試みたことはあったけれど。(余談ながら、アーノルド氏の暗黒時代を、渡邉氏が引き継いだときの七転八倒は忘れ難い思い出ですな)。
 正直言って、布陣変更、それも本腰を入れた変更の報道を目にするまで、今シーズンの編成には不安があった。サイドバック、特に左サイドバックの層が非常に薄かったことだ。昨シーズン定位置を確保していた石川は、明らかにスピードに衰えが見られ、そろそろCBでプレイするべきに思えていた。その場合、左サイドバックは、負傷の多い蜂須賀と、新人の永戸のみになってしまう。
 なるほど、3DFで行くならば、ここに中野を持ってくるのは有効(この選手の獲得はヒットだ、レンタル獲得と言うところはちょっと気に入らないけれど)、あるいは茂木、藤村、佐々木匠などを使った変則布陣も可能となる。もっとも、この新布陣が効果を発揮したらの話ですがね。

 そして、今シーズンのベガルタの鍵は、若手の成長が握っている。具体的には、高卒3年目の茂木、西村、2年目の佐々木匠、小島、常田、椎橋、この6人が、どのくらいスタメンにからんでくるか(と言うか、匠と小島は、ワールドユースねらわなければいかんのだが)。
 もちろん、上記、平山に関するブログでも述べたとおり、ベガルタはトレードで受け入れた選手を、上手に鍛え直して戦力化して(言い換えると、やりくりして)成果を発揮してきた。これはこれで、誇るべきことだ。一方で、自前の若手選手が中々育ち切らないことが大きな悩みだった。
 しかし、奥埜(ベガルタユース → 仙台大、指定選手で継続育成 → ベガルタ加入、Vファーレンにレンタル → ベガルタで中核選手に)の育成成功は、我々の大きな自信となった。昨シーズン、高卒5年目の藤村が活躍したのも、明るい話題だ。だからこそ、彼らに続く、20代そこそこの6人の活躍は、とても重要なのだ。
 もちろん、上記した藤村に加え、シュミット(何かすごくワクワクするよね)、差波、中野、パブロ、クリスランと言った20代半ばのタレント達の活躍は当然として。

 渡邊監督も、4シーズン目を迎える。勝負の年となる。
 最初のシーズンは、スタメンのほとんどが30代と言うすごい試合を経験するなど、ACL戦士の老齢化に悩む日々だった。幾度も語ったが、連戦連敗のアーノルド氏のチームを引き継ぎ、J1残留を果たした手腕は、驚異的だった。2年目は新しい選手を大量に獲得し、己の意図を伝えることでそこそこの成果を挙げた。そして、昨シーズンは、チーム全体を相当攻撃的にシフトチェンジした、一方で敵速攻への対応は解決しきれなかったが。
 そして、4シーズン目。チームは上記の通り、新たなフォーメーションに挑戦し、また優秀な若手選手をたくさん抱えている、他クラブと比較して潤沢な戦闘能力とはとても呼べない。しかし、4年目を迎える渡邊氏の手腕、大いに期待している。決して裕福とは言えないクラブだからこそ、若いこれからの監督に長期政権を託すことが重要なのだ。
 
 Jリーグが開幕する。
 毎週末の絶望、悲嘆、嘆息、失望、そしてたまに訪れる絶対的な歓喜。少しずつの積み上げ、僅かな失態からの崩壊。
 1試合が終わり、それを反芻していると、すぐに次の試合が訪れる。
 幾度も幾度も語ってきたが、こんな素敵な玩具を手にできるなんて、若い頃は想像すらできなかった。うん。
 
 そして、ベガルタサポータにとっては、4年の歳月をかけて、じっくりと育ててきた監督の手腕を堪能するシーズンとなる。最高だ。
posted by 武藤文雄 at 01:50| Comment(1) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月19日

平山相太と戦える喜び

 ベガルタサポータとして、平山相太と戦うことができるシーズンの開幕が近づいてきた。何かとても素敵なシーズンになりそうな予感がしている。

 私は、平山相太と言う選手が大好きだ。そして、若い頃から、その将来性を大いに期待していた。
 一方で、10年以上前、平山が若い頃から、周囲の指導者が、「平山の特長を誤って捉え、成長を阻害しているのではないか」と、憂う文章を随分書いたものだ(もっと読みたい方は、検索ウィンドウに「平山」と入力ください。そして、8年ほど前に、FC東京で中心選手として定着し始めた頃にも、「そのプレイスタイルは相変わらず平山の潜在力と一致していない」と、文句をつけたこともある。そして、翌年の平山A代表でのハットトリックには、随分興奮したものだ。
 しかし、残念ながら平山は、代表はおろか、FC東京の主軸にすら定着はできなかった。けれども、その得点能力は決して錆びついていない。FC東京での最終戦となった昨年末の天皇杯準々決勝フロンターレ戦の終了間際の一撃など、実に見事だった(もっとも、その一撃が遅すぎて、自軍の勝利につながらないあたりも、いかにも平山らしいのだが)。
 そして、平山はFC東京から、我らがベガルタ仙台に移籍してきた。

 平山は31歳。ここまで、平山が、大成しきれなかった要因はいくつかあるだろう。
 最大の要因は、負傷の多さだろう。2011年、12年、14年と骨折による長期離脱は、あまりに不運だった。また、上記したように、この選手の特長を見誤った使われ方が続いたのも、残念だった。もちろん、オランダ時代からよく取沙汰されるように、いわゆる「戦う気持ち」に課題があったのかもしれない。しかし、これらは皆過去のことだ。
 そして、上記したフロンターレ戦の一撃を見れば、平山はまだまだ存分な輝きを見せる能力を保持しているはずだ。いや、かつてないほどの輝きを見せてくれる可能性もあるように思うのは私だけか。
 もちろん、そのために解決すべき課題は無数にある。厳しい鍛錬により、コンディション調整をしっかりと行うこと。チームメートが、平山の特長をよく理解し、平山に点を取らせるサッカーを行うこと。そして何より、平山が己の特長を理解し、チームメートに適切な要求を行い、それに平山が応え、信頼を獲得すること。それらは、決して簡単な道ではないだろう。
 ただ、若くして格段の才能を発揮しながら、活躍しきれなかった選手が、ベガルタ仙台に加入し光彩を放った事例が無数にあるのだ。たとえば岩本輝雄、たとえば財前宣之、たとえば角田誠。もちろん、朴柱成もその系譜に加えてよいかもしれない。

 などと考えると、冒頭述べたように、「素敵なシーズン」と語りたくなる気持ちを、理解いただけるのではないか。うん、楽しみだ。
posted by 武藤文雄 at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

岡野俊一郎氏逝去

 岡野俊一郎氏が亡くなった。享年85歳。
 ここまで私たちを導いてくれて、我が国を世界屈指とまでは行かないけれど、相当なサッカー国に導いてくれた恩師。
 ご冥福をお祈りいたします。今まで本当にありがとうございました。

 岡野氏の貢献を簡単に振り返ってみる。

 メキシコ五輪銅メダル。
 コーチとしての長沼健監督の参謀としての活躍。釜本を代表する多くの選手が苦しみつつも感謝した言う、厳しい直接指導、特別コーチのクラマー氏の通訳、そして最大の成功要因と言われる周到なコンディショニング準備。
 長沼氏の後を継ぎ、代表監督に就任し、ミュンヘン五輪出場に失敗した以降、現場指揮をとることはなかったが、それはそれでちょっともったいない気がしてならない。

 著作や翻訳。
 今日と異なり、欧州のサッカー書籍を翻訳できる人はほとんどいなかった70〜80年代。トレーニングの方策に模索する私たちにとって、岡野氏の翻訳書籍は、最高の教材だった。
 サッカーマガジンやイレブンに記載された、岡野氏の観戦記、指導方法への提言、日本サッカーの構造的問題への啓示。これらにより、私たちのサッカー感が、いかに研ぎ澄まされたことか。
 例えば、メキシコ五輪直後に「日本サッカーのトップレベル選手の技術は低い、南米や欧州はもちろん、アジア諸国より劣っている」と明言したこと。確かに映像を見ればその通りだった。「だからこそ、小学校時代から子供達に技術を教えなければならない」と、岡野氏は強調した。氏の発言を受けて、70年代初頭より日本中のサッカー屋が少年指導に専心したのが、今日の栄華を生むことになった。

 テレビ解説。
 ダイヤモンドサッカーにおける、金子アナウンサとの、幾多の丁々発止。ご自身が直接観戦されたワールドカップの名勝負にしても、初見の欧州のリーグ戦、ごくたまに映される南米の映像。いずれも、その文化背景を補足する鮮やかな解発の数々。
 日本代表戦やJSLの幾多の辛口解説。「もう少し褒めた方が、盛り上がりませんか」との思いもあったけれど。ただ、岡野氏のリアルタイムのリアリズムあふれる解説は大好きだった。特に、攻め込んでいるチームが点を取り切れないと、「守備のリズムが出て来ている。これは、押し込まれているチームのペースだ」と言うコメント通りになる展開。このような、試合の流れの説明は本当に勉強になった。

 幾度か、直接話をうかがう機会を得た。
 下心ばかりの凡人である不肖講釈師は、大昔の著書にサインをねだって機嫌をとってから、貴重な短い時間に臨んだ。当方の質問や意見をすっと聞いて、鋭く切り返す言葉。中でも忘れ難いのは、Jリーグ黎明期の話。曰く「日本のスポーツ用語は野球界のそれを使う傾向があり、本質的な意味を伝えられないきらいがある。だから『チェアマン』なり『プレシーズンマッチ』と言う言葉を使うよう指導した。今でも悔いが残るのは、『フロント』と言う言葉を使うのを許したことだ。結果的に、クラブの経営の重要さが矮小化されてしまった」とのこと。

 JOC委員なり、IOC委員での功績は、別に任せたい。

 もちろん、その業績のすべてをポジティブに語るつもりはない。
 ほぼタイミングを同じくして逝去された木之元興三氏らがはたらきかけるまで、日本サッカー界へのプロフェッショナリズム導入に消極的だった(あるいは無理をしなかった)のが、適切だったのかどうか。もちろん、「あのタイミングまで待った」からこそ、今日の繁栄があったとの解釈も成立するのだが。
 80年代後半から90年代前半にかけて。プロフェッショナリズム導入に積極的だった森孝慈氏を、強化体制に斬新な手を打とうとした加藤久氏を、それそれ「切った」ことを、どう評価すべきか。この2人が在野に去ったことは、日本協会の弱体化につながったのではないか。

 そうこう語りながら。
 私は岡野氏の最大の功績(と言う表現はあまりに不遜なのだが)は、上記のような具体的なものではないと思っている。
 岡野氏は、格段に先行している欧州のサッカー文化、いや生活文化とその背景を正確に理解していた(もちろん、北米スポーツ界の特殊性や、欧州と比較的類似した南米の制度も)。そして、それを我々に的確な日本語で説明してくれたのは、上記講釈を垂れた内容から理解いただけるだろう。
 そして、岡野氏の偉大さは、それらの理解に基づき、日本サッカー協会の運営を、将来に向けて矛盾がないように行っていたことにある。70年代半ばには、選手登録は、学校単位の登録から、年齢別登録に切り替わっていた。天皇杯は全国の小さなクラブにも開放されており、実力に恵まれて勝ち抜くことができれば、元日の決勝戦にまで残れる道筋があった。同じく小さなクラブでも、常識的な時間をかければ、JSLにも駆け上がれる道筋も準備されていた。国体と言う日本独特の運動会を利用したり、サッカー界独自のトレセン制度から、日本中から素質豊かな若手選手を吸い上げる仕組みも準備されていた。
 繰り返すが、このような制度設計が、70年代半ばには準備されていたのだ。その他の競技が、今なお学校体育や企業スポーツの既得権を脱することに苦労していることと比較して、サッカー界は何十年も進んだ運営が行われていたのだ。
 だから、我々は今、Jリーグと言う最高級の玩具を、じっくり楽しむことができるのだ。

 そのような基礎を構築してくれたこと、その構築のための本質的な理解。それこそが、岡野さんが、我々に残してくれたものだ。

 改めて。
 岡野さんから学んだ我々は、もっともっと素敵なサッカー界を、あるいはスポーツ界を、この国に作っていきたい。そこを目指すことが、岡野さんへのお礼となるはずだ。
 繰り返します。ありがとうございました。 
posted by 武藤文雄 at 01:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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