2018年01月22日

水沼宏太への期待

 少々旧聞になるが、天皇杯決勝、そして決勝点を決めた水沼宏太について。
 決勝戦のヒーローとなった水沼宏太と、御父上の水沼貴史氏が、史上初めての親子で天皇杯を制したことは結構な話題ともなった。その周辺のことをきっちり講釈を垂れておきたいな、と考えた次第。

 セレッソ対マリノスの決勝戦と言うと、83-84年シーズンの決勝戦以来、34年振り。当時はもちろん、ヤンマー対日産でしたが。そして、この34年前の決勝戦は、以下2つの意味で、日本サッカー史にとって非常に重要な試合だったのだ。
 まず、この試合は、釜本邦茂が出場した最後の公式戦である。監督兼任だった釜本は、この試合0対2とリードを許した状況で、ピッチに登場。右サイド最前線でプレイをして、巧みなボールの引き出しや突破の妙を見せてはくれたが、中盤から有効なボールがほとんど出ず、有終の美を飾ることはできなかった。
 試合はそのまま2対0で日産の完勝、初めてのタイトル獲得となる。日産は70年代から強化を開始した比較的新興のチームだったが、この数年前から、金田喜稔、木村和司と言った日本代表に定着していた大学生選手を精力的に獲得していた。これは、優秀な選手に好条件を提示し、他のチームに先駆けて事実上のプロ化を進めていたことによる。そして、この83-84年シーズンは、柱谷幸一、越田剛史、そして水沼貴史らの有力選手を大量に獲得し、チーム力は格段に向上。JSLでは2位に獲得し、ついに天皇杯を制し初タイトルを獲得することとなった。以降、日産は、同シーズンにJSLを制覇した読売と共に日本サッカー界を牽引することとなる。敗れたヤンマーは釜本を軸に70年代を席捲してきたチーム、まさに時代の変化を感じさせる試合だった。

 以降、日産は水沼貴史と共に多数のタイトルを獲得する。
 そして、ご子息の水沼宏太は、父がプレイ活躍していたマリノス(日産)の若年層組織で成長、幾度も若年層日本代表にも選考され、2008年マリノスでプロ契約を行う。しかし、中々定位置をつかむことができず、栃木SCへのレンタルなどもはさみながら、サガン鳥栖で定位置を確保。16年シーズンにはFC東京に移籍するものの、出場機会が限定されたこともあり、17年シーズンよりセレッソにレンタルされ、今日に至った。
 水沼親子は、最も得意なポジションは、ともに右サイドの攻撃的MF。しかしながら、そのプレイスタイルは異なる。親父殿は、正確なボール扱いと独特の抑揚のドリブルを軸に、サイドを巧みに突破したり、スルーパスを通すのを得意としていた。一方、倅殿は長駆を繰り返すことのできる豊富な運動量が持ち味。親父殿はいわやる主役タイプだったのに対し、倅殿はチームを支える立場なのも異なる。余談ながら、顔つきにしても、個別のパーツは似ているものの、優男だった親父殿と比べ、倅殿は相当精悍な顔つきである。
 ただし、よく似ていることもある。2人とも、動いているボールをとらえるのが、格段にうまいことだ。89年イタリアワールドカップ予選のホーム北朝鮮戦で親父殿が決めたスーパーボレーシュートは、30年近い歳月が経った今でも記憶によみがえる一撃だった。そして、この天皇杯準決勝、アディショナルタイムにに失点し苦境に追い込まれていたセレッソを救った、倅殿のボレーシュートの際の、何とも言えないミートのうまさに、親父殿を思い出したのは私だけだったろうか。
 そして、この決勝戦を見て、もう1つ「親父殿に似てきたな」と思ったことがある。それは、何とも言えない勝負強さだ。マリノスに先制を許し、老獪な中澤を軸とするしつこい守備の前に、なかなか有効な攻撃を見せられなかったセレッソ。その沈滞ムードを破った同点弾のきっかけは、倅殿が意表を突いて放った強烈なミドルシュートだった。そして、決勝点、マリノスGKのポジションミスを冷静に見て取り、無人のゴールにヘディングシュートを流し込む冷静さ。85年のメキシコワールドカップ予選のホーム香港戦のとどめの3点目、親父殿のクールなボールタッチを思い出した。

 親子選手を応援できると言うのは、サポータにとっては、きっと素敵な経験となのだろう。日産時代からのマリノスサポータの方々はその快感を味わったことになる。ただし、上記のとおり、水沼宏太はマリノスの若年層組織で育ったものの、マリノス結果的には芽が出きらず、他クラブでトッププレイヤとなった。そして、よりによって、このマリノスと戦ったビッグゲームで、マリノスに引導を渡すことになったのだから、上記古手のマリノスサポータの方々には何とも複雑な思いがあったに違いない。こんなほろ苦さを味わえるなんて、羨望としか言いようがないではないか。
 私も何十年も日本代表を応援してきた身として、一度でよいから、親子選手を応援したいものだと思っている。マルディニとかヴェロンとか、うらやましいではないですか。そして、水沼宏太は、苦労に苦労を重ね、セレッソと言う日本のトップクラブの中心選手まで駆け上がってきた。とうとう、A代表まで、あと一息のところに到達したのだ。しかし、もう27歳、正直言ってその可能性はもう決して高くはないかもしれない、でもこの準決勝と決勝の色鮮やかな活躍を見ると、オールドファンとして、あきらめずに期待を寄せてもバチは当たらないと思うのだ。
posted by 武藤文雄 at 23:24| Comment(1) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする