2018年04月29日

元日本代表監督石井義信氏逝去

 元日本代表監督石井義信氏が亡くなった。ご冥福をお祈りいたします。。
 石井氏は、86年からから87年にかけて代表監督を務め、当時の目標のソウル五輪出場にあと一歩のところで、中国に破れ、退任した。

 70年代後半に釜本が去った後の日本代表は、とてもではないがワールドカップ予選はおろか、五輪予選を突破できる戦闘能力はなかった。しかし、80年代前半から、日本全国に普及した少年サッカーのおかげで、しっかりとボールを扱える選手が増え、それなりにアジアで勝てるようになっていた。そして、85年のメキシコワールドカップ予選では、森孝慈監督が、加藤久と宮内聡を軸とする堅固な守備から、木村和司の好技を活かす見事なチームを作り、本大会まで後一歩まで迫ったのは、皆様ご存知の通り。そして、敗退後、森氏は自らのプロ契約を日本協会に要望するが、当時の日本協会首脳に拒絶され野に下る。
 その後任として、石井氏が代表監督に就任する。石井氏はフジタ(ベルマーレの前身)の監督として、見事なチームを作った実績があった。特に77-78年シーズンは、平均得点3.6、平均失点0.9とJSL史に残るすばらしいチームだった。今井敬三の守備力、最終ラインから攻め上がる脇裕司、中盤の将軍古前田充の展開、マリーニョ(後に日産で活躍)とカルバリオの得点力、魅力的なチームだった。
 当時の日本代表は、メキシコまであと一歩に迫ったチームだったが、どの選手もまだ20代半ばでこれから全盛期を迎えようとしていた。そして、欧州から奥寺が帰国、さらにはユース年代時代から期待された堀池巧、越後和男、武田修宏などのタレントも登場していた。しかも、ソウル予選には最大の難敵である韓国が不在。久々の五輪出場権獲得に向け、石井氏の手腕への期待は大いに高まっていた。

 しかし、石井氏は予想外の采配を振るう。
 極端な守備的サッカーを目指したのだ。これは、就任後数ヶ月で迎えたアジア大会で、イラン、クウェートに完敗したことも要因だったろう。また、木村和司が体調を崩し、日産で往時ほどの切れ味を見せられなくなったことも、要因だったのかもしれない。
 迎えたソウル予選。1次ラウンドのシンガポール、インドネシアとのH&A総当りは、苦労もあったが全勝で突破。中国、タイ、ネパールのとH&A総当りの最終予選を迎えた。最終予選の基本メンバは、いわゆる5-2-3.GKは経験豊富な森下申一。加藤久、勝矢寿延、中本邦治の3CB。堀池巧、奥寺康彦を両サイドに配し、守備的MFが都並敏史(本来サイドバックなのですが)と西村昭宏、水沼貴史が引き気味で右サイドに開き、原博実と手塚聡の2トップ。加藤を余らせて、後方の6人が厳しいマンマークで後方深く守りを固め、攻撃は水沼を基点として手塚を走らせるか、原にクロスを入れるかと言うやり方だった。石井氏は、戦闘能力的に互角と思われる中国に対してだけでなく、優位に立てそうなタイにも同じ やり方を貫徹した。
 守備力を主体とする選手を多く起用し、失点を最小限に止めようとするのは1つの考え方。しかし、後方の選手が前線に出すボールが、単調で精度を欠くものだったこともあり、その守備的な姿勢は少々極端なものとなった。

 けれども、チームは順調に勝ち点を重ねた。
 国立で行われたタイ戦は、水沼の鮮やかな得点で先制。以降、丁寧に守り、タイの大エースピアポンの強烈なシュートを森下がファインプレイで防ぐ。加藤を軸にした守備の組織力と安定感は、相当な完成度を見せていた。
 そして迎えた敵地広州での中国戦。数十人の好事家と参戦したこの試合は一生忘れられないものとなった。大柄な選手を並べ縦に強引に攻め込んでくる中国に対し、丁寧に守っていた日本は、前半半ばに敵陣右サイド深くゴールライン近くでFKを獲得。水沼が上げたボールに、原が完璧なヘディングシュートを決めた。原は、中国の名DF高升(ガンバの高宇洋のお父上)の厳しいマークを、見事な駆け引きで打ち破ったのだ。その後、中国は強引に攻め込むが攻撃は単調。特に中国自慢の右サイドの朱波を奥寺が完璧に押さえたのが大きかった。しだいに、広州のサポータは、自国の変化に乏しい攻撃に不快感を隠さなくなる。終盤の5分間、数万人の大観衆が沈黙し、我々数十人の「ニッポン、チャ、チャ、チャ」が 、大競技場を制覇したのは、忘れ難い思い出だ。

 後は国立で、引き分ければよかった。
 0対2で敗れた我々はソウルに行かれなかった。

 石井氏に言いたいことはたくさんあった。
 運命の国立中国戦。もう少し、柔軟な采配はできなかったものか。中国は朱波では奥寺を敗れないと見て、逆サイドから攻め込んできた。結果、堀池が引きだされ、水沼が守備に追われ、と日本にとって悪循環が続き、とうとう先制されてしまった。あの悪循環の時間帯、いくらでも対応策はあると思ったのだが、石井氏はその状況を我慢し続けた。たとえば、堀池と水沼の2人はゾーンで守ることを明確化する手段もあった。守備ラインならばどこでもプレイできる西村を、いったん右サイドに置く手段もあったはず。
 もう少し攻撃に変化をつけることも考えてもよかったはず。中国は、あそこまで守備的に戦うべき相手だっただろうか。
 石井氏が、木村和司を招聘しなかったのは、木村の守備力の欠如からだったのだろう(木村が85年当時より調子を落としていたこともあったけれど)。けれども、やはり木村は木村であり、使い方を工夫すれば、間違いなく敵に脅威を与えることはできたはずだ。
 FWの控えとして起用していた松浦敏夫は、2年連続JSLの得点王を獲得したストライカで、190cmの長身だったが、自分のチームNKKでは裏抜けの巧みさで得点を量産していた。それなのに、松浦を起用した際にクロスボールを多用したのは理解できなかった。
 もっと、攻撃面で実効力のあるタレントを選考する手段もあったはずだ。たとえば、JSLで実績を挙げていた、吉田弘(古河)、高橋真一郎(マツダ)、藤代伸也(NKK)、そして戸塚哲也(読売)など。
 かように、あれから30年の月日が経っても、そしてこの30年間当時は夢にすら見なかったすばらしいサッカー経験を積むことができても、敗戦を思い起こし悔しい思いができるのも、サッカーのすばらしいところだ。

 ともあれ、石井氏は、「ソウルへの道」の獲得のために、自ら創意工夫した道筋を明確に作り、その実行を試みた。そして、狙い通りのチームを作り上げ、目標まで、あと一歩、本当にあと一歩までこぎつけてくれたのだ。我々の夢をかなえかけてくれたのだ。
 歴史的には、85年メキシコ予選(木村和司のFK、メキシコの青い空)があまりに光彩を放っており、その直後の石井氏の冒険は、やや忘れられた感がある。しかし、上記つらつら述べてきた通り、その戦いぶりは、しっかりと日本サッカー史の記録されるべきものだ。
 上記の通り、私は石井氏のやり方にいくつか不満を感じていた。しかし、石井氏には明確な意図があり、それを丹念に具現化していく姿を一歩一歩見ることができた。監督の意図を理解しながら、自分の思いとの違いを飲み込み、切歯扼腕、眼光紙背を重ねながら、ともに戦う。この感覚こそ、サポータ冥利。石井監督は、それを2年間、じっくりと味合わせてくれたのだ。

 あれから30余年、7.5ワールドカップが経った。大観衆を圧倒した広州の夜の歓喜。豪雨の国立の敗退劇。水沼と森下に感涙したタイ戦。他にも、たくさんの試合で絶叫、失望、歓喜を味わった。
 石井さん、ありがとうございました。私は忘れません。
posted by 武藤文雄 at 23:27| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月16日

田嶋さん、あなたは何のためにリスクを背負ったのか

 四十余年、サッカーと言う玩具を堪能してきたが、今回のハリルホジッチ氏更迭騒動ほど、理解できない事態は初めてだ。本当に驚いている。

 ここで私が「理解できない」と言うのは、この更迭が「サッカー的に不適切だ」と言う意味にとどまらない。つまり、ワールドカップで勝つために最適なのか、あるいは、将来日本がワールドカップを制覇するステップとして適切なのか、と言う「サッカー的に」重要な視点から、「理解できない」のではない。
 非サッカー的、つまり政治的な思惑とか、スポンサなどサッカー外からの圧力などを考慮しても、田嶋会長の今回の意思決定の理屈、根拠、判断基準が、まったく「理解できない」のだ。サッカー的な妥当性にも理解できないのはのみならず、それ以外の事情を考慮しても理解できず、ただただ愚かしい意思決定に思えてならないのだ。世の中には、色々な事情と言うものが存在し、サッカー的是非だけからは物事は判断できないとか、記者会見では正直にすべてを語れない、と言うことを考慮しても。
 冒頭に明言しておくが、私はハリルホジッチ氏のチーム作りを評価しており、ここまでの日本代表での成果も上々で、氏が率いる日本代表がロシアで相応に好成績を挙げてくれるのではないかと期待していた(詳細は別途まとめたいと思っている)。だから、今回の更迭劇には失望している。けれども、それはそれだ。田嶋会長のの意思決定の背景を理解できない話は別である。

 過去も日本サッカー界には、サッカー的に不適切な意思決定はいくつかあった。ただ、それぞれにおいて、サッカー的に納得はいかず非常に不愉快な思いは相当だったものの、それ以外の事情は推定可能だった。そしてその推定要因が、非常に残念だったからこそ、不愉快だったのだが。
 たとえば、加茂氏留任時の「腐ったミカン」事件、今回と類似の代表監督選択劇だった。これは、当時の意思決定者とネルシーニョ氏の在籍クラブの権益争いを考えると、それなりに背景は想像できた。でも、ネルシーニョ氏が率いる日本代表でフランスを目指したかった事は間違いなかったけれど。
 たとえば、フリューゲルス消滅。これは、当時の意思決定者が、出資企業の暴論との交渉に屈したことによる。いま考えても、あのすばらしいクラブが消滅したことは、ただただ悲しいだけだけれど。
 たとえば、我那覇選手の冤罪事件。これは、当初の誤った判断を、Jリーグ当局がその誤りが明確になったにもかかわらず認めなかったことによる。認めなかった理由は、面子のためなのか、かばいだてのためなのかは不明だが、そのような不公正な判断をする意思決定者が存在することは現実だったのだろう。繰り返すが、とてもとても残念なことであり、今回の代表監督人事以上にひどい話ではあったが。
 このように、過去サッカー的にはとても残念な意思決定はあったが、非サッカー的な基準で意思決定されたと考えると、その背景を理解できないこともなった。しつこく繰り返すが、とても残念だったけれども。
 
 けれども、繰り返すが、今回の代表監督人事については、意思決定者である田嶋会長の判断の背景が理解できないのだ。

 まず、サッカー的見地から考えてみる。上記の通り私はハリルホジッチ氏の手腕は高く評価している。しかし、異なる意見もあるだろう。

 まず、氏と選手たちの溝が大きく修復不能と言う、田嶋会長が記者会見で述べた説明通りのトラブルが発生しており、これにより会長が更迭を決断したと考えてみよう。ところが、落ち着いて整理してみると、この説明は、あまりに説得力が乏しいのだ。
 まず誰か中心選手が、ハリルホジッチ氏と意見が合わず、この人の下では勝てないと主張したとしよう。まあ80年代くらいまでは、クライフ御大を筆頭に「俺はこの監督の下ではプレイしない」と言う方々もいらしたが、ここ最近世界のトップ選手も、金満クラブへの集約が進み、ベンチで待機することにも慣れているから、この手の騒動は、ほとんど聞かなくなったが。
 そして残念ながら、いまの日本にはメッシやネイマール(いやレバンドフスキとかマネでもよいですが)のように、その選手がいるといないとではチームの戦闘能力がまったく違う水準になるようなタレントが、そもそもいない。したがって、もしハリルホジッチ氏と修復不能の関係の選手がいたのならば、その選手を外せば済むことだ。もし、いまの日本代表の誰かがそんなことを発言し、その選手の言い分を聞いて、監督を切ったとしたら、これほど愚かなことはない。
 では集団で選手が「この監督ではやれない」と、考えているとしたらどうか。現実的にはそのような事態が起こったとしたら、マスコミ関係者が必ず前兆を報道するだろうから、現実的には考えづらい。また、そこまで情けない代表チームたちだとも思っていないけれども。とは言え、万が一そのような事態になり修復不能の事態になったと言うならば、、最も責任が重いのは技術委員長だった西野氏と、日本人コーチとして入閣していた手倉森氏である。そして、そこまで事態が混乱していれば、たとえハリルホジッチ氏を更迭したとしても、すべての選手たちがこの2人を信頼していくとは思えない。したがって、西野氏を後任とする人事は、極めて愚かしい選択となる。

 それでは、協会がハリルホジッチ氏の監督としての能力を疑問視し、上記した選手との溝とは別に、「氏では本大会に勝つのは難しい」と判断し、田嶋会長が更迭を決断したとしよう。私は意見が異なるが、現実的に韓国に大敗したり、準備試合で思うような成績を挙げられていないのだから、そう考える人がいても、おかしくはないだろう。
 ただし、そうなると、問題はタイミングだ、
 後任の監督が準備する時間を作るために、更迭は早い方がよいに決まっている。ところが、ここまで引っ張った。そうなると、考えられる一つ目のケースは、ずっと前から、更迭したいと考え、後任を探したが見つからず、ここまで引っ張ってしまい、頼めるのが西野氏だけだったと言うことになる。後任を見つけられない協会会長の責任は限りなく重い。西野氏に任せるならばもっと早く決断できたはずだ。
 次に考えられるケースは、本当にマリ戦、ウクライナ戦で決断し、他の監督を探す時間がなかったと言う状況だ。一部の評論家は「ハリルホジッチ氏でなければ誰でもよい」と語っているようだが、協会としてそのような判断を下すのはないとは言えないのかもしれない。相当珍しい状況とは思うけれど。しかし、それを記者会見で「氏と選手たちの溝」と言う、偽りでしかも後から一層物議をかもすような理由を説明したのだから、これはこれで愚かとしか言いようがなくなる。

 以上、サッカー的な見地から、田嶋会長の決断、発言に合理性は見られないことを整理してきた。
 では、非サッカー的見地から、今回の決断を理解できるだろうか。

 たとえば、最近日本代表のテレビ視聴率が下がっているから視聴率が稼げる監督が必要だと、広告代理店が圧力をかけたとの説がある。しかし、西野氏で視聴率が上がるとはとても思えない。もし、カズなり中田英寿氏、あるいは大技で松木安太郎氏を監督に抜擢すれば、状況は好転するかもしれないが(もちろん、「そうした方がよい」と言っているわけではないので、誤解しないでくださいねw)。

 たとえば、adidas殿が自社と契約している香川を代表に選ばないから圧力をかけたとの説がある。しかし、同社と契約しているのは香川だけではない。必要ならば、ハリルホジッチ氏が選考した選手をプロモートすればすむことだ。現実的にこのような噂が広がることが、香川にとって気の毒な事態であり、西野氏の選択の幅をせばめかねない。何より、多額のキャッシュを提供してくれているスポンサに失礼だよね。余談ながら、私は、ハリルホジッチ氏は香川への期待は相当大きかったと見ている。香川があまりよいプレイを見せなくとも、しつこく香川の起用を継続していた時があったからだ。香川が選考されなくなった以降代表の状態があまりよくないこともあり、ハリルホジッチ氏が留任した方が、香川が選考される可能性は高かったようにすら思っている。

 結局のところ、広告代理店の意図がどうしたとか、スポンサの意図がどうしたとか、皆が色々言うけれど、皆の意向は日本代表が勝つことに尽きるのだ。

 たとえば、田嶋会長が政敵の成果をなくしてしまいたかったとの説がある。具体的には、ハリルホジッチ氏を日本に連れてきたのは、田嶋氏と会長の座を争った原氏、あるいは原氏と近い霜田氏であり、田嶋会長としては、彼らの功績となることを、とにかく消し去りたかったという説だ。しかし、落ち着いて考えれば、ハリルホジッチ氏がワールドカップで好成績を収めれば、田嶋会長は横でニコニコして「本当によくやってくれた」と言ってさえいれば、皆に尊敬されたことだろう。一方、西野氏が不成績に終われば、帰国後重苦しい記者会見でハリルホジッチ氏を更迭した責任を問われる。いや、残りの人生の間、常にロシアワールドカップを滅茶苦茶にした男と呼ばれ続けるのだ。今の田嶋会長がそこまでやる理由にはならない。

 以上、非サッカー的な見地からも、今回の田嶋会長の意思決定の背景が理解できないと述べてきた。さらに言えば、今回の決断で、田嶋氏がトクをすることなど何もないように思うのだ。唯一、西野氏がロシアで見事な成績を収めても、称賛されるのは西野氏だ。「見事な決断」と田嶋会長を評価する向きはあろうが、必ず「ハリルホジッチ氏を留任させても、よかったのではないか」との意見が付随する。
 そう考えると、田嶋会長が、心底サッカー的発想で日本サッカーのために行動する男だと考えても、酸いも甘いも嚙み分けた剛腕の男だと考えても、周りに気を使いながら調整する小心な男だと考えても、合理的な理解ができないのだ。いったい、田嶋さんは何を考えて、ハリルホジッチ氏をこのタイミングで更迭し、西野氏に日本代表を託したのだろうか。

 もちろん、陰謀論を深めれば、いくらでも邪説は考えられる。誰かが田嶋会長を追い落とそうとしているのでないかなどと。
 たとえば、田嶋氏の以前の上司が、最近自分の言うことを聞かなくなったから切ろうとして不適切な助言を行い、田嶋会長はそれと知らず言うことを聞いてしまったとか。たとえば、田嶋会長には、西野氏とは別な意中の人物がいたが、その人は田嶋会長と心中する気はなく、会長がハリルホジッチ氏に更迭を伝達後に代表監督就任を拒絶したとか。たとえば、最近大きな成果を挙げ田嶋会長の次をねらえる人に、会長が乗せられてしまったとか。
 まあ、考え過ぎでしょうが。

 私が選手田嶋幸三を認識したのは、今でも忘れもしない75-76年の高校選手権の決勝戦だ。浦和南の主将田嶋は、静岡工業の石神良訓の執拗なマークをかいくぐり、ビューティフルゴールを2発決めた。久々に登場した技巧も優れた大型ストライカ、近い将来日本代表の中軸になるのではないかと、期待は大きかった。筑波大時代に代表にも選ばれ、名門古河に加入。ところが早々に「自分は指導者を目指す」と引退してしまった。
 その後、指導者として明確な成果を挙げることはできなかったが、日本協会では中枢の立場をとり続け、着々と地位を上げ、満を持して会長に就任した田嶋氏。おそらく、我々には理解しがたい判断基準があるのだろう。
 今となっては、その意思決定が、ロシアと将来の我々の歓喜につながることを、祈るのみである。
posted by 武藤文雄 at 00:45| Comment(8) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする