2018年06月28日

ポーランド戦を前に

 ポーランド戦に向け、ボルゴグラードに向かうバスの中で。


 ポーランドと言えば、74年西ドイツワールドカップだ。

 私がサッカー狂になりかけていた中学2年生、言うまでもなく最大の憧れはヨハン・クライフであり、最大の尊敬はベルディ・フォクツだったわけだが、ポーランド代表も忘れられないチームだった。

 右ウィングのグジェゴシュ・ラトー(大会得点王)と左ウィングのロベルト・ガドハのスピードと突破がすばらしかった。ガドハの高精度CKを、飛び込んだ小柄なラトーがニアポストからヘディングシュートで決める美しさと言ったら。また、同大会で2本のPKを止めた長身GKのトマシェフスキも忘れ難い。

 82年のボニエクのチームもすばらしかったが、やはり私にとってのポーランドは、74年のチームだ。あれから44年、11ワールドカップが経ったのか。

 2002年の大会準備で、トルシェ氏が率いる日本が、高原と中田の得点で完勝したのは、記憶に新しい。当時は「あのポーランドに敵地で勝てるようになったのか」と感動したものだ。


 そして、きょうを迎える。

 先方がグループリーグ敗退が確定しての3戦目と言うのは、少々予想外だったが、レバンドフスキを抱えるチームが弱いわけがない。ここ20年来の日本代表の特長である、中盤での厳しく丁寧な組織守備で戦い切り、2次ラウンド出場権を獲得したいところだ。

 直前の監督交代劇と言う、合理的には説明しづらい人事もあった。

 一方で、元々今回のチームは、いずれのポジションも穴がない。02年はチーム全体の若さ、06年は左サイドと監督、10年は点取り屋、そして14年はCBと、チームとして弱みがあったが、今回はそれがほとんどない。多くの選手が複数年欧州のクラブで実績を積んでいるのも、それを裏付けている。これは、日本の津々浦々で、少年たちにサッカーを教えている我々の勝利とも言えるものだと、自惚れている。

またチーム全体のコンディショニングが上々なのも見事なものだ。特に負傷からの回復が心配されていた酒井宏樹、乾が間に合ったのみまらず、見事なプレイを見せてくれているのが、その典型となる。

今日の試合、ポーランドは、日本の攻撃の起点となっている柴崎をつぶすと共に、長友、酒井宏樹の両翼に人数をかけて押さえに来るだろう。そこを

どのように対処し、自分たちのペースの時間帯を増やすか。これまで、「秘密兵器」として隠していた?、武藤と大島をどのように使うのかも興味深い。特に、「武藤よ、頼むぞ」、私にワールドカップ本大会での、同姓の選手の得点と言う歓喜を味あわせてください。


 現地は猛暑とのこと。

 3試合目の選手たちには、相当厳しい条件となるだろう。けれども、彼らにすれば、今日の試合ほど、自らの誇りを発揮できる機会はないはずだ。我々も灼熱の中、でき得る限りの声援を送ります。

 がんばりましょう。 

posted by 武藤文雄 at 19:47| Comment(1) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月24日

エカテリンブルグに向かう道で

 いきなり初戦で勝ち点3獲得と、理想的に大会をスタートできた。

 相手が10人になってしまったのが幸運だったのは間違いないが、その退場劇を生んだのは大迫の見事な個人技と、香川の落ち着いたシュートの賜物である。日本が適切な攻撃で、コロンビア守備網を破ったから、この幸運が舞い降りたのだ。

 また、後半の戦い方はとてもよかった。10人で後方に引いたコロンビアに対し、素早く左右にボールを回しながら、大迫の格段の引き出しのうまさを活かし、両サイドで数的優位を作り、幾度も好機を生むことができていた。人数が減ったチームに守備を固められて攻めあぐむことがよくあるが(典型例が、ブラジル大会のギリシャ戦)、この日の日本はとてもよかった。各選手の相互理解と体調は上々、よい状態で大会に入れたと言うことを素直に喜びたい。

 前半、中途半端な攻撃を試みてコロンビアの速攻に悩まされたことを非難する向きがあるようだ。確かにあのような状況では、後方でじっくりボールを回し、コロンビアを前に引き出せばよかっただろう。けれども、晴れのワールドカップの初戦で、いきなりPK退場で先制してしまったのだ。我らが代表選手達は機械ではなく人間である。そこまでリアリズムに走れなかったことを、私は否定しようとは思わない。

 また体調不良のハメスを投入した、敵将の失策を指摘する方もいるようだが、私はそうは思わない。あれだけ日本が攻勢をとっていたのだ、あれを放置したら、いつか失点していた可能性は高い。ペケルマン氏が、ネームバリューがある(さらに、日本にとっては4年前のトラウマもある)タレントを前線に起用し、日本が後方により気を使う状況を作ろうとしたことは、1つの考え方だったろう。氏が何もしなければしないでも、あの日本の勢いある攻撃をコロンビアが止め切れたとは思えない。

 ともあれ、日本は幸運をよく活かし(怪しげな判定のFKによる失点と言う不運もあったが)、初戦勝ち点3獲得と言うベストに近い結果を残すことができた。しかも、ほぼ90分間に渡り10人の相手と戦ったため、次戦の相手セネガルは、日本がどのように戦ってくるかの予想が非常に厄介な状況となっている。これらを含め、まずはめでたいことだな。


 昨晩は、エカテリンブルク近郊のチャリビンスクと言う町に泊まり、競技場に向かうバスの中。一本道の左右は、白樺の森か草原が果てしなく広がる。このあたりの白樺は、ロシアでも最も白く美しいことで有名とのこと。


ちょっと豆知識。

セネガル戦が行われるエカテリンブルグは、大昔は流刑地で、ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世一家が惨殺された都市とのこと。と言う事で、モスクワ行きのアエロフロート内で「最後のロシア皇帝(植田樹著)」と言う本を読んだ。絵に描いたような付け焼き刃w

エカテリンブルクはウラル山脈の東で、当時のロシア人からすればシベリアの一角。

 ソビエト革命政府が逮捕していた皇帝一家をエカテリンブルク近傍の地に送る決定をしたとのこと。その背景がすさまじい。帝政ロシア時代、歴代の皇帝により、多くの革命家や進歩的知識人が同地近郊に送られた。ニコライ2世もレーニンを含む多くの革命家をシベリア送りにしていたそうだ。

そして、ロシア革命の成功で、多くの革命家がシベリアから解放され、首都のペテログラードに帰ってきている。逆に、そこにニコライ2世一家を送り込むことそのものが、革命家たちの圧政者への報復だったとのこと。

 ロマノフ朝が滅びた要因の一つに、日露戦争があったことはよく知られている。その最後のツァーリ(皇帝)一家が流され惨殺された都市で、私達がアフリカの強豪とあいまみえる。このような地に、ニコニコと皆が集まり、サッカーと言う究極の娯楽を楽しもうとしている。

 歴史の雄大さと平和の尊さを感じずにはいられない。


 などと考えると、今晩の歓喜が一層のものになるのではないかと。

 いま私にできることは、長谷部とその仲間たちが全力を発揮してくれるべく、声を枯らすのみ。

 がんばりましょう。


posted by 武藤文雄 at 17:17| 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする