2018年07月15日

決勝戦を前に

 決勝戦はフランス対クロアチア。
 ワールドカップを堪能し始めてから、12回目のロシア大会。決勝戦を直前に控え、過去の大会とは異なる思いを抱いている。それは、参加したと言う当事者意識、言い換えると悔しさと言うか心の重さが、過去の大会以上なのだ。言うまでもなく、今大会の我々は、従来以上純粋に列強の一角として戦うことに成功したからだ。

 10年南アフリカ大会も悪くはなかった。けれども、1次ラウンドで当たった(後に準優勝する)オランダには0対1の完敗、パラグアイの死闘は中々のものだったが、試合内容で他国の方々に決定的な印象を与えることはできなかった。 02年日韓大会では、地元大会ゆえ1次ラウンドの相手に恵まれた感があり(いま、思うとベルギーとロシアと同じグループだったのは、今大会を考えると感慨深いが)、敗退したトルコ戦も、何か消化不良感のある試合だった。
 けれども、今回は違う。戦闘能力差を見せつけられたのは事実だが、ベルギーに対しできる限りの抵抗を行い、日本独自のサッカーは、世界の人に大きな印象を与えたはずだ。だからこそ、準々決勝以降を観戦する際は、常に悔しさを感じながらのテレビ桟敷となった。もちろんね、もしあれ以上の幸運に恵まれ、アザール達に絶望感を味合わせることができたとしても、その後セレソン、レブルーと、新たな高い壁が次々に襲いかかってきたのだけれどもね。
 でも、こんな思いを持ちながら、堪能できる決勝戦は初めてだ。私は素直にその感情を楽しみたいと思っている。

 フランス。
 98年に地元大会で初優勝して以降、3回目の決勝進出。言うまでもないサッカー大国の1つだが、この国は70年代までは、サッカー界で大きな地位は占めていなかった。もっとも、58年大会でコパやフォンティーヌの活躍で準決勝で若きペレがいたブラジルに粉砕されるも、攻撃的なサッカーで3位となっていたと言うが、さすがに映像も何も見たことがないので。
 けれども、78年大会、若きプラティニ将軍を軸に久々に本大会出場(イタリアと地元アルゼンチンに惜敗し1次ラウンド敗退)すると、欧州屈指の強豪となる。そして、84年圧倒的な強さで欧州選手権を制覇、前後の82年、86年ワールドカップは、2回とも準決勝で西ドイツに踏みつぶされ、どうしても決勝に出ることができなかったが、特に86年の準々決勝ブラジル戦(PK戦でフランスが勝利)は、今なお史上最高の試合とも言われている。
 プラティニ以降も、90年代前半には、パパン、カントナとスーパースタアを輩出しながらも、代表はよい成績を収められない。プラティニ監督が率いた92年欧州選手権は大会前本命の一角と言われるも1次ラウンド敗退、94年USAワールドカップ予選は、最後の2試合で勝ち点1を奪えず、出場権獲得を失敗。当時の我々のドーハの悲劇が霞むような、大悲劇を演じる。余談ながら、94年のキリンカップはフランスを招待。世界25位決定戦(当時のワールドカップ出場国は24だった)と盛り上がったらが、パパンとカントナに1対4と粉砕されたのは懐かしい。
 そして98年地元大会では、カントナなどのベテランを外し、テュラム、デザイイ、ブラン、リザラスと言った歴史的な強力4DFの前に、闘将デシャン(現監督を並べる守備ラインが秀逸。その前に、若きジダンを配する布陣。サッカー的には地味で堅実なチームだったが、各種の幸運をしっかり手にして世界チャンピオンに。ただ、このチームは2年後の欧州選手権の方が強かった。98年には最前線でウロウロしているだけだったアンリが、大化けしたからだ。翌01年春先、親善試合で手合わせいただいたところ、重馬場に加え、開始早々の楢崎と松田直樹のミスで、0対5とボロボロにされてしまった。当時はアジアカップを圧倒的に制覇した直後だっただけに、試合前にユーラシア王者決定戦などとはしゃいでいたのが懐かしいな。もっとも、その前後のモロッコでのハッサン2世杯(2対2からPK負け)やコンフェデ決勝(0対1の負けでは、それなりの試合を演じたのだが。
 大会前は優勝候補筆頭とも騒がれた02年はジダンの負傷で早期敗退。、06年は大会当初不振を伝えられていたジダンが、大会途中から輝きを放ち、ブラジル、ポルトガルを撃破して決勝に。ジダン対カンナバーロと言う、サッカー史に残る矛盾対決を演じ、あの延長戦で…
 ジダン以降は若干低落傾向があったが、それは無理なきこと。12年10月にはパリの親善試合で、押されっぱなしながら粘り強く守り、終盤の逆襲から虎の子の1点を奪い勝ち切ったこともあったな。ザッケローニ氏采配が冴え渡っていた頃だ。その後、グリーズマンと言う新しいスタアを軸に、16年の地元開催欧州選手権では準優勝。そこに、エンバペが加わり、バランスのとれた強チームで優勝をねらえるところまできた。実際、ロリス、ヴァラン、ウムティティ、ボクバ、カンテで固める守備、グリースマンの才気に加えてエンバペの個人能力、そしてジルーの献身。00年に欧州を制覇したとき以来の強チームができあがりつつあるようにも思えてくる。
 フランスは強い。
 
 クロアチア。
 98年に我々が初出場した折に、1次ラウンドで同じグループになったとろで、「初出場同士」との少々残念な表現を目にすることがあった。もちろん、クロアチアと言う国で出るのは初めてだったが、この国(と言うか地域)の前身のユーゴスラビアは東欧のサッカー強国だったのは言うまでもない。ただ、いわゆる旧ユーゴスラビアと日本のチームはあまり交流はなかった。ただし、64年東京五輪の準々決勝敗退国同士の大会で対戦、1対6で完敗している。うち2失点を決めたのは、イビチャ・オシムと言う選手だった。
 70年代以降、ユーゴスラビアは常に東欧の強豪と言われ、74年、82年のワールドカップ、76年、84年の欧州選手権それぞれに出場、本大会前に上位進出が予想されながら勝ち切れない位置どころだった。その流れを打ち破ったのが、90年イタリアワールドカップ。イビチャ・オシム監督に率いられたユーゴスラビアは、準々決勝で退場者を出し10人になりながら、再三アルゼンチンゴールを脅かし、最後はPK戦で散る。攻撃の中心は若きピクシー、ストイコビッチ。そして、プロシネツキ、ヤルニ、シュケルと言った、後日クロアチア代表として活躍する選手もメンバに入っていた。そして、92年欧州選手権は優勝候補と言われながら、始まった内戦により出場停止処分。そして、ユーゴスラビアと言う国は、いくつかの小国に分離されていく。
 そして98年フランス。初出場の我々はアルゼンチンに0対1で敗れた後に、クロアチアと対戦する。灼熱のナントで行われた試合は、予想外にクロアチアが守備を固め速攻を狙ってきた。クロアチアは大エースのシュケルにいかに点を取らせるか、一方我々は全盛期を迎えていた井原正巳が最終ラインでいかに敵の攻撃を止めるかが、それぞれテーマのチームだった。この2人を軸にした両国の壮大な対決は、シュケルに軍配が上がる。77分、中盤で中田と山口の軽いプレイからボールを奪われ、その第一波を井原が防ぐもまた拾われ、さらにシュケルをマークしていた中西が敵にアプローチを妨害されたところで、シュケルに反転シュートを決められたのだ。当時レアル・マドリードで試合出場機会を減らしていたシュケルは、この一撃で調子を取り戻し得点王に、そしてクロアチアもベスト4に駆け上がっていく。前半日本は、相馬や中山が決定機をつかむなど、それなりの抵抗はできていたのだが、チームとしての戦闘能力には格段の差があったのも確かだった。
 06年ドイツでも、1次ラウンドで日本はクロアチアと同じグループとなる。両国とも初戦を落としての戦いとなったが、前半主将宮本がブルゾのドリブルに対応しきれずPKを提供するが、スルナのキックを川口が防ぐ。後半、加地の突破から柳沢が決定機をつかむものの決められず、0対0の同点に終わってしまう。その後クロアチアは最終戦で豪州に勝てば2次ラウンド進出だったが、2回リードを奪うも追いつかれ敗退する。最終戦ブラジルに完敗した日本と合わせ、両国とも不完全燃焼気味の敗退劇となった。
 その後世代交代で今一歩の成績だったクロアチアだが、モドリッチ、ラキティッチ、マンジュキッチらが台頭、16年の欧州選手権では上位進出も期待されたが、2次ラウンド1回戦、ポルトガル相手に圧倒的攻勢をとりながら、どうしても1点が奪えない。延長終了間際、勝負どころで猛攻をしかけたところで、クリスティアーノ・ロナウドを起点とする逆襲速攻を許し失点。またも上位進出はならなかった。
 そして、迎えた本大会。正に全盛期、世界最高のMFと言っても過言ではないモドリッチを軸に、戦闘能力では大会屈指であることは、誰もがわかっていたが、勝利の経験に欠ける点のみが不安視されていた。しかし、いきなり1次ラウンドはアルゼンチンへの完勝を含む3連勝。そして、2次ラウンドに入ってからは、毎試合のように前半序盤に失点しながら、モドリッチを軸に慌てずに両翼から攻め込み、驚異的な勝負強さを発揮し、とうとう決勝まで駆け上がってきた。
 クロアチアは粘る。

 この決勝戦。常識的に考えればフランスが優位だろう。フランスは2次ラウンドの3試合をすべて90分で終え、さらに準決勝から中4日。、クロアチアは3試合すべて延長120分を戦い、準決勝からは中3日。クロアチアはモスクワからの移動がなかったところだけは有利だが、コンデイション面ではフランスが有利としか思えない。
 ただし、フランスの最大の強みは、ボクバ、カンテの強力な中盤にあり、アルゼンチンもウルグアイも、そしてアザールを擁するベルギーも、そのプレッシャから円滑に抜け出し、攻撃を組み立てるのに苦労していた。しかし、クロアチアにはモドリッチがいる。モドリッチならば、ボクバやカンテが中盤で寄せてくる前に、左右に展開することが可能にも思える。もちろん両翼から崩されても、ヴァランを軸とする守備はそう簡単に崩れないだろう。しかし、クロアチアは両翼から執拗に攻め込んで最後崩し切って、ここまで来たチーム。グリーズマンを軸とする攻撃が、クロアチアの堅陣を崩せないまま時計が回ると、試合は相当もつれていくことだろう。
 デシャン氏は、そのことがわかっているだろうから、カンテのポジションを前に上げ、モドリッチを止めようとする選択肢もあり得る。けれども、ここまでうまく行ってきたチームのバランスを崩巣と言うリスクを冒そうとするだろうか。デシャン氏にとっては、試合前から優位を伝えられているだけに、難しい試合となりそうだ。
 おもしろい決勝戦を期待したい。

 私は、クロアチアを応援する。理由は簡単、ワールドカップを見始めたころのアイドルだったクライフに、ちょっと風貌が似ているモドリッチが大好きなので。
 冒頭述べた通り、44年間のワールドカップ体験で初めての、悔しい思いを抱きながら臨む決勝戦だ。どのような体験ができるだろうか。
posted by 武藤文雄 at 23:47| Comment(1) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月08日

でも、勝ちたかった

 私は、CKを蹴る本田圭祐のはるか後方2階席にいた。
 本田のキックがやや甘く、ベルギーGKクルトワが飛び出し、パンチングではなく、キャッチしようとする体勢なのがよく見えた。クルトワが捕球する直前、聞こえるわけがないが、私は絶叫した。
「切り替えろ!」
 日本の選手達も同じ考えなのはよくわかった。しかし、赤いユニフォームの切替が、青い我々の戦士よりも、コンマ5秒ほど早いのも、よく見えた。その約10秒後、反対側のゴールで、若い頃からの夢が完全に実現するのを目の当たりにすることになる。そして、このコンマ5秒差こそ、ここ25年間ずっと抱き続けてきた「近づけば近づくほど、具体化されてくる差」そのものだったのだ。

 私のワールドカップリアルタイム?経験(実際には1日半遅れの新聞報道をワクワクして待って行間を夢見る日々だったが)は、クライフとベッケンバウアの西ドイツ大会から。大会終了後、サッカーマガジンとイレブンを暗記するまで読み込んだ折に、「4年前の70年大会はもっとすごかった」との報道を目にした。そこで、図書館に行き、70年当時の各新聞の縮刷版を調べることとした。そこで、知ったのは準決勝のイタリア対西ドイツの死闘。子供心にも思いましたよ。「いつか、このワールドカップに出る日本代表を見たい、そしてこのような死闘を演じるのを見たい」と。
 それから20余年、マラヤ半島の先端ジョホールバルと言う都市で夢は叶った。ただし、日本が、イタリア対西ドイツを演じることは中々難しかった。8年前、南アフリカでのパラグアイ戦は、それに近い戦いだった。ただ、相手が世界のトップと言えるかと言うと少々微妙だった。けれども、今回のベルギーは正に世界のトップレベル、優勝経験こそないが、プレミアリーグのエースクラスがズラリと並び、80年代は欧州でも最強クラスの実績を誇っていた歴史もある。そして、このロストフ・ナ・デヌと言うアゾフ海そばの美しい都市で、私の子供の頃からの夢は叶ったのだ。ワールドカップ本大会で、大会屈指の強国と丁々発止をすると言う夢が。
 本稿では、あの絶望的な最後の10秒間を含めた約95分間の至福の時間を、40余年のサッカー狂人生と共に振り返りたい。なお、ハリルホジッチ氏だったならば論と、西野氏への土下座については、別に書く。本稿は、あくまでも、あの試合への感情を吐露するまで。

 あのコンマ5秒差。これが、戦闘能力差、実力差なのだ。
 試合後、結果を見て、本田はコーナキックをもっとゆっくり蹴って時間を稼ぐべきだったとか、トップスピードでドリブルしてくるデ・ブライネを止められなかった山口蛍を責めるなどの議論があるようだ。
 あの時間帯でゆっくりCKを蹴ろうとすれば、主審がタイムアップの笛を吹くケースは結構ある。大昔だが、78年ワールドカップ1次ラウンドのブラジル対スウェーデンでアディショナルタイムにネリーニョのCKをジーコがヘディングで決めたが、キックの前に主審が試合終了の笛を鳴らしノーゴールとなったことがあった。最近でも、09年の南アフリカ予選、敵地ブリスベンの豪州戦で、当の本田がゴール前の直接狙えるFKに時間をかけ過ぎて蹴らせてもらえなかったことは、どなたもご記憶だろう。
 直前の本田の直接FKはすばらしい弾道を描いたが、クルトワに防がれた(何か、本田の有効な直接FKは、南アフリカデンマーク戦以来8年ぶりではないかとの感慨もあったが)。その直後のCKである。残り時間僅かな中、ベルギーにイヤな印象を与えているこのCKで難敵ベルギーを崩そうと言う考えは実に真っ当なものだ。しかし、「崩そう」からの切り替える早さで、完全にベルギーにやられてしまった。これは上記した通り、戦闘能力差、実力差なのだ、駆け引きの差ではない。日本の選手も、それなりに反応していたのだ。でも、どうしようもない差だった。
 勝負はデ・ブライネが完全に加速した時についていたのだ。あの加速し、さらに3方向にパスコースを持つデ・ブライネを、どうやって蛍に止めろと言うのか。カゼミーロならば、あるいは往年のフォクツや、当時のルールのジェンチーレや、昔年のドゥンガや、全盛期のマスケラーノや、もしかしたら今日のカゼミーロならば対応可能だったかもしれないが。いや、カンナバーロならば確実に止めていたかな。さらに蛍がファウル覚悟で対しても、あの加速は止まらなかったかもしれない。さらに、あそこで蛍が退場になったら10人で残り30分をあのベルギーと戦わなければならない。そして、残念なことに、蛍はマスケラーノでもカゼミーロでもない。できる範囲で、ディレイを試みた蛍は、正しかったのだ。それにしても純正ストライカのルカクがあそこでスルーをするとは。
 今の日本選手は、過去になく多くが欧州五大リーグ、あるいはそれに順ずるリーグの各チームで、中心選手として活躍している。欧州で実績を挙げながら、今回23人に残れなかった選手も多い。過去、ここまで多くの選手が欧州で評価された時代はなかった。それが今大会の好成績につながったのは間違いないだろう。けれども、残念ながら、欧州チャンピオンズリーグの上位常連クラブ(いわゆるメガクラブ)で中心選手となった、いや定位置をつかんだ選手はまだいない。一方、ベルギー代表はプレミア選抜のようなものだから。その差が出たとしか言いようのない10余秒だったのだ。
 ついでに言うと、今の日本選手では、あのような長駆型速攻は難しいようにも思っている。日本では、5から10mのごく短い距離のダッシュが得意な選手は多いが、数10mの距離は必ずしも速くない選手が多いからだ。もちろん、例外はあり、かつての岡野や最近の永井謙祐のようなタレントもいることはいるのだが。
 まったくの余談。韓国には、朴智星、孫興慜と言った日本選手よりもランクの高いクラブで活躍した選手がいる、車範恨、奥寺時代を含め、ちょっと悔しい。もっとも今大会韓国がどうだったのか、もうドイツ人除けば世界中の誰も覚えていないだろうけれども。

 2点差を守れなかったことについて。日本固有の課題もあったし、当方の準備不足もあった。
 少なくとも今の日本代表には、上記した選手の活躍の場の相違と言う「格の差」とは、別な課題がある。それは体格、体幹の差、フィジカルフィットネスの差だ。たとえば、今大会、ロシア、スウェーデン、アイスランドと言った国が、見事な組織守備で強豪と戦った。ロシアがスペインをPKで粉砕する試合は生で観戦する機会を得たし、プレイオフでイタリアがスウェーデンに屈する試合はテレビ桟敷で堪能した。このようなサッカーで、欧州や南米の列強に対抗するのは、今の日本には不可能ではないか。選手のフィジカルが違い過ぎるのだ。前述したロシア対スペイン、7万大観衆のロシアコールの下、疲労困憊したロシアイレブンの奮闘は感動的だったが、私は一方で羨望も感じていた。どの選手も大柄で、プレイイングディスタンスが広いのだ。後方に引いてブロックで守備を固め、ゾーンで網を張るやり方は、失点しないためには有効なやり方だ。けれども、今の日本では、ワールドカップでああ言ったやり方では守り切る事は難しい。疲労してくると、プレイイングディスタンスの限界から、ゾーンの網がほころびてしまうと思うのだ。なので、2点差となった後に、後方に引きこもった守備を行うのは、得策には思えない。
 もちろん、一方で日本は、ごく短い距離の速さや、相手の意表をつくドリブルや短いパスの名手が多く、ロシアやスウェーデンからすれば、我々を羨望するところではあろうが。
 試合後、一部の方々が、「フェライニ投入後に、植田を投入するべきだった」と述べている。しかし、フェライニが投入されたのは、65分だったのだ。残り25分(実際はどの試合もアディショナルタイムがあるので30分)、CBを増やした布陣、つまり前を薄くした布陣で、守り切れるとは思えない。残り5分くらいまで、1点差で行って、ベルギーがえぐるのを諦めて放り込み始めたならば、そのような選択肢もあっただろうが。
 では、どうすればよかったのか。採るべき手段は、ラインをまじめに上げて、コンパクトにして粘り強く戦う、つまり戦い方を変えないことしかなかったと思う。実際、フェライニ(とシャドリ)投入後、ベルギーが無理攻めを開始後は、前半以上に日本にも逆襲のチャンスも出てきた。香川のスルーパスから酒井が抜け出した場面で、もう少し中央との連係がとれていればとも思うではないか。すべてはお互いの攻守のバランスなのだ。
 そこで、今回のチームの準備不足問題に突き当たる。今回の日本代表はすばらしかったけれども、守備面では課題が多かった。過去のワールドカップでの大会別の平均得点と失点を以下まとめた(小数点1位で四捨五入)。
98年 0.3 1.3
02年 1.3 0.8
06年 0.7 2.3
10年 1.0 0.7
14年 0.7 2.0
18年 1.5 1.8
 今大会の得点力が他大会をより優れていたこと、一方で守備については過去と比較して普通だったこと、それぞれがわかる。失点については、2次ラウンド進出に成功した02年、10年はおろか、98年よりも悪くなっているのだ。しかも98年は、戦闘能力では大会随一と言われたアルゼンチンと、最終的にベスト4にたどり着くクロアチアと同じグループ。また、当時の日本人選手の個人能力も、02年以降と比べるとまだまだで(10代の頃からプロフェッショナルになろうと決心した選手が揃うのは、02年以降)、攻撃力はそこそこあるが守備力は怪しい選手も多かったのを、井原正巳の圧倒的個人能力でまとめた守備ラインだった。そして、今大会はそれよりも失点が多かったのだ。
 2点目の失点は現場では、逆側のゴールだったこともあり、何がまずかったのかはよくわからなかった。試合後、しっかり画像分析している方が整理してくれているのを見たが、選手間でラインコントロールでのずれがあったようだ。ある意味、今大会の守備ラインを象徴していると言えるだろう。そう考えると、1点目直前の混乱にしても、ポーランド戦の失点、セネガル戦の1点目など、守備者間の意思疎通がもう少しあれば防げたものも多かった。要は、守備選手同士の連係が不足していた訳である。
 現実的に西野氏に与えられた準備期間の短さを考えると、これはしかたがないようにも思う。この準備期間の短さ問題(つまりハリルホジッチ氏解任問題)については、別にまとめる。ただ、2失点を守れなかったことは、今回の過程で作られたチームの必然だったのかとも思う。
 余談ながら、やり方を変えず、最終ラインの連係が時に崩れたとしても、守備力を強化する手段として、「人を換える」と言う手段があったとは思う。しかし、これまた時間不足で、山口蛍や遠藤航を使った守備強化をする余裕がなかったのだろう。私が思いつくのは、槙野を香川に代えて左DFに投入、長友を左サイドMFに、乾をトップ下に回すくらいだろうか。あとは、一層の切り合いを目指し、香川か原口に代えて武藤を投入し右サイドを走らせるか。いずれにしても、リスクを含む手段であり、メンバを替えずに我慢する方が選択肢としては安全だったように思う。そう考えると、同点にされても80分まで我慢して、原口→本田、柴崎→蛍、と言う交替は、相応に合理的だったと思う。この交替については後述する。
 ここで、まったく無意味なIFを3つ語りたい。サポータの戯言である。もしボール奪取とボール扱いに両立した井手口がクラブ選択を誤らず、昨シーズン同様のプレイを見せてくれていれば。もし西野氏が、中盤前方での守備がうまい倉田秋を選んでいれば。そして、2シーズン前に世界最高の守備的FWとしてプレミアを獲得した岡崎の体調がベストであれば。

 一方で、今大会の日本の攻撃はすばらしかった。
 コロンビア戦。大迫は個人能力で敵DFを打ち破り、香川の一撃と併せ、早々にPKを奪った。本田の正確なCKからの大迫の完璧なヘッド。セネガル戦。柴崎の美しいロングパスを受けた、長友と乾の連係。大迫の妙技によるクロスからの岡崎らしいつぶれ(とつぶし)、本田の冷静さ。
 いずれの得点も、各選手の特長が存分に発揮された美しいもので、それぞれの場面の歓喜を思い起こすだけで、今でも目が潤んでくる。いずれも、日本の強みである、素早い長短のパスによるショートカウンタからのもの。短い準備期間で作られたチームが、次第に完成していくのがよくわかった。しかも、このようなサッカーは、日本中の少年サッカーで、毎週のように行われているものだ。言わば、よい意味での日本サッカーの特長が発揮されつつあったのだ。
 そしてベルギー戦。前半を耐え忍んで迎えた後半序盤の2発。柴崎のパスで抜け出した原口の妙技。香川との連係からの乾の一撃。いずれも、最高レベルのものだった。追いつかれた後も、我慢を重ね速攻をしかける。80分の本田、蛍の投入も、本田の守備面のマイナスを蛍がカバーし、柴崎がいなくなった攻撃力を本田の技巧で補完しようという意図は奏功しかけた。実際、終盤本田と香川の連係を軸にいくつか好機をつかめたのだし。

 一部に02年に互角に近い戦闘能力だったベルギーと、大きな差をつけられたことを悲観する方がいるようだ。けれども、ベルギーは80年代から90年代前半にかけては、ヤン・クールマンス、エレック・ゲレツ、エンリケ・シーフォと言ったスーパースタアを擁し、欧州屈指の強豪だった。そのような古豪が、02年の日本大会以降出場権を得られなかったことを反省し、若年層育成に合理的に取り組み、優秀な選手を多数輩出してきたと言うことだろう。我々の歴史や努力を卑下する必要はないが、先方は先方で大変な歴史の厚みを持っての成果なのだ。焦る必要はない。
 一方で、近づけば近づくほど、具体的になる差。その差を埋めるのは容易ではないことも間違いない。しかし、差が具体的に可視化されれば、たとえその道は遠くても、課題解決に進むことはできる。考え方は2種類ある。長所を伸ばすか、短所を解消していくか。
 今の日本の長所をさらに伸ばし高みを目指す行き方。もっともっと選手の技巧と判断力を高め、敵がどのような布陣を引いてきても、一定時間以上ボールキープができれば対抗は可能になる。ブラジルやアルゼンチンが何が起こっても、どのような相手でも、毅然としたサッカーを演じられるのは、そのためだ。
 ベルギーとの戦いを通じて、長駆型の速攻と後方に引いた守備の難しさを論じた。けれども、原口のように長距離の疾走後にもう一仕事ができるタレントが多数いれば、タッチラインを一気に走る抜ける速攻が可能になれるのではないか。酒井宏樹のように技術と判断力に加え体格にも優れたタレントが揃えば、ブロックを固める守備を世界の列強に対してやれるようになれるのではないか。
 いずれのやり方も、容易な道ではない。いや、「これは無理なんじゃないですか」とも言いたくもなるような話だ。しかし、ベスト8を、さらにその上を目指すと言うのは、そう言うことだろう。まだ我々には学ばなければならないことが無数にあるが、ここまで来られたから、その差が具体的になったのだ。
 焦らず、野心的に、粛々と上を目指し続けることは、楽しいことだ。

 一方で。
 冒頭で述べたように夢は叶った。そして、その叶った夢は、あまりに悲しく絶望的なものだった。
 以前も述べたが、ベスト8に入るためには、ベスト16に残らなければならない。それがいかに難しいことなのかは、我々は十分に経験している。だからこそ、今回のような好機が次にいつ訪れるのか、絶望的になる思いもある。あの不運な1失点目がなければ、本田のFKがもっといやらしく変化していれば、などと、今でも考えずにはいられない。
 しかし、過去も幾度か述べてきたように思えるが、思うようにならないから、サッカーは楽しいのだ。ドーハの悲劇について述べたことがある。誰かが命を落としたわけでも、傷ついたわけでも、多額の資産を失ったわけでもない。それでも、あれだけ悲しい思いを味わうことができるのだ。そして、またも。
 我ながら幸せな人生だと思う。このような経験を積むことができたことに、ただ、ただ感謝したい。ありがとうございました。

 でも、でも、勝ちたかった。
posted by 武藤文雄 at 23:31| Comment(2) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月02日

ベルギー戦を前に

 6回連続出場、3回目の2次ラウンド進出成功。

3度の2次ラウンド進出は、アジア史上初めてのはずで、何とも誇らしい。サッカーに浸り切って40余年、私達はとうとうここまで来たのだ。

だからこそ、このベルギー戦は勝たなければならない。何としてもベスト8に進出すると言う、新たな成功体験を積むのだ。当たり前の話だが、ベスト8に進出するためには、ベスト16にまで到達するのが必要だ。そして、その必要条件を満たすまでが、いかに大変かと言うことを、我々は存分に経験している。そして、今回はその大変なことの実現に成功したのだ。この好機を活かさずしてどうするのだ。


確かにベルギーは強かろう。けれども、1次ラウンドを見た限りでは、各選手が圧倒的な個人能力の高さを誇るが、その連動性は十分にはしあがっていないように思えた。

いつものことだが、各選手が丁寧に位置取りを修正し続け、身体を張り、粘り強く対応することで、敵に提供する好機の数を減らすこと。柴崎に前を向かせる工夫を重ね、大迫が受けやすい状況を作り、乾と長友、原口と酒井宏樹を連動させること。これらをやり続ければ、活路は必ず開けるはずだ。

また、歴史的にベルギーとの相性はよいのだ。記憶頼りだが、敗れたのは昨年が初めてのはず。岡田氏の時はキリンカップで大差で、ザッケローニ氏の時には敵地で、それぞれ勝利している。もちろん、当時とはメンバが随分と異なるが、歴史的に見ても、我々の欧州国との相性は、南米よりは悪くないのだ。


ポーランド戦の終盤の戦い方が議論となっていると言う。これはこれで、けっこうなことだ。我々の論点はただ一つで、「セネガルが同点とするリスクをどう見たか」と言うことのみだ。私は現場にいて、セネガルの試合はスコア以外は何もわからず、西野氏の判断の是非をどうこう言える立場ではなかった。しかし、西野氏はしっかりと結果をつかんだ。現場の責任者が、己のリスクを掛け、その賭けに勝ったのだ。見事なものではないか。

ただ、我々サッカー狂とは異なる方々が、異なる視点でものを語るのは理解できなくはない。彼らは、我々と異なり、サッカー狂ではないのだから、「これでは面白くない」とか「このやり方が公正なのか」など、我々とは異なる視点からの意見もあるのだろう。多様な意見があるからこそ、世の中はおもしろいのだ。そして、ワールドカップと言う世界最高のお祭りは、このような多様なものの見方をする方をたくさん集めることができる。結構なことではないか。

彼らが、この機会にサッカーと言う底なし沼の魅力を持つ娯楽に触れてくれればそれでよい。そのうち何人かは、この底なし沼にはまってくれるかもしれないし。


また、大会直前の監督人事についても触れておこう。

私はあの更迭劇は、何ら合理性はなかったものと考えている。だからと言って、ここまでの西野氏の手腕を否定するのはおかしいだろう。確かに、ポーランド戦終盤、他力本願に追い込まれたのは、残念だった。けれども、いくつかの幸運をしっかりつかみ、不運を丹念にはね返し、西野氏はここまで我々を導いてくれた。これ以上、西野氏に何を望むのか。

以前よりしつこく述べて来たように、私は西野氏が大嫌いだ。だからこそ、この2次ラウンド進出と言う偉業を成し遂げてくれたことに対し、心より土下座し、感謝の念を捧げたいと思っている。この土下座行為については、大会後じっくりと作文したい。


ロストフ・ナ・ドヌと言う都市は、ドン川がアゾフ海に流れ込む河口近くの湿地帯。ロシアと言うよりは、地中海世界を思わす、キラキラした輝きにあふれる都市だ。

この美しい都市で、我々は偉業を達成する。そのスタジアムの片隅にいられることに、興奮を禁じ得ない。私は今から、長谷部とその仲間たちと共に戦い、歴史の一員となる。

posted by 武藤文雄 at 23:24| Comment(9) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする