2019年12月31日

2019年10大ニュース

1位 森保監督の迷走
 アジアカップの準優勝は高く評価されるべきだろう。大会前および大会中に、次々と中盤後方の選手に負傷者が相次ぐ不運を乗り越え、リアリズムに徹した采配で着々と勝ち進んだ。またワールドカップ予選も丹念に勝ち点を積み上げたのも大したものだ。冨安健洋、南野拓実、中嶋翔也、堂安律、伊東純也、橋本健斗らを、代表選手として確立したのも褒められてよいだろう。
 しかし、1年を振り返ってみると、2019年は「森保監督により代表ブランドが大きく毀損された」年として、記憶されるのではないか。先日の東アジア選手権韓国戦のように、森保氏の真剣に勝とうとしない姿勢、いや勝とうとしないことを隠さない態度は、将来に渡る痛恨となるかもしれない。
 さらに感心しないのは五輪代表の準備不足。未だチームの骨格は不明確なまま、いたずらに時間が経っている。冨安、堂安、久保建英と言ったレギュラ候補本命が欧州でプレイしており、準備試合への招集が困難。さらに、オーバエージも検討するとなると、通常集められる選手の多くは定位置確保が困難と言うことになってしまう。加えて、五輪代表強化の常となるが、10代後半から20代前半の選手は、いつ伸びてくるか、いつ停滞するかは、非常に読みづらい。しかも、地元開催で予選を有効に強化にも使えない。この東京五輪への準備は相当厄介なのだ。
 厄介なことは自明なのだが、森保氏はテストばかりを繰り返す。おそらく、7月の本番では、我々はぶっつけ本番で未完成のチームを見ることになるのだろう。

 まあ、所詮五輪だ。ワールドカップとは異なる。むしろ、その程度の大会なのだから、準備不足を嘆く必要もないのだけれども。そして、肝心のアジアカップでそこそこの成績を収め、ワールドカップ予選の勝点獲得は完璧。森保氏は、最重要事項は外してないのですね。にも、かかわらず、上記の通り代表ブランドの毀損、五輪代表の準備不足と文句を言われる。いや、文句を言っているのは俺だな。うん、代表監督とはつらい稼業である。
 本件は別に講釈を垂れたいと思います。

2位 若年層選手の欧州流出
 五輪代表の強化が厄介になっているのは、多くの五輪世代の若手が、欧州に流出しているためでもある。冨安、堂安、久保らJ1や日本代表で相応の実績を残した選手たちだけではなく、国内で僅かな実績しかない選手が多く欧州クラブに活躍の場を求めている。
 確かに、世界のトップレベルのメガクラブまで駆け上がろうと言うからには、20代前半でそれに次ぐクラブまでランクアップしておきたいところだ。そうだとすれば、10代のうちに、オランダ、ベルギー、ポルトガルと言った国のリーグ戦で活躍したい、と言う彼らの思いはよく理解できる。
 そう言った若手選手の流出が続いても、Jリーグでは充実したサッカーを楽しめるし、次々と前途有為な若手選手が台頭している。結構な時代だと喜んでよいのだろう。

3位 マリノス久々にJ制覇
 マリノスが久々にJリーグを制覇した。マンチェスターシティとの出資関係がスタートしておよそ5年が経過し、ポステコグルー氏が作り込んだ組織的な攻守が光輝いた。喜田拓也.、仲川輝人、畠中槙之輔と言ったタレントの成長も、氏の指導の賜物だろう。チアゴ・マルチンス、マルコ・ジュニオール、エリキら、外国人選手獲得の巧みさ。リーグ終盤の組織的な攻守は出色のもの、18年度シーズンまでのプレスの第一波をかわして薄い守備ラインを狙われる状況だったのが徐々に改善され、完成したと言えるのだろう。積極的補強に走るこのオフだが、来期のACLでどこまで勝ち進めるか。
 FC東京は長谷川監督が各選手に徹底した守備意識を植え付け、林彰洋、森重真人、橋本健斗を軸にした堅固な守備を軸に、優勝まであと一歩までに迫った。ラグビーワールドカップの影響で長期に渡りホームグラウンドが使えない不運も痛かった。
 優勝候補と目されたアントラーズは中心選手の海外流出を埋め切れず、フロンターレは集め過ぎた選手の交通整理が不調となり、それぞれ終盤失速。勝ちづづけることの難しさを感じるシーズンだった。

4位 女子ワールドカップでの得点力不足
 女子代表は、見事なサッカーを見せながら、結局決勝進出を果たすオランダに極めて不運な敗戦を喫した。
 オランダ戦、同点で迎えた後半、日本はいかにもなでしこジャパンと言う揺さぶりから幾度も決定機をつかみながら、どうしても得点できず、終了間際に食らったPKで敗れ去った。まあ、サッカーなのだから不運は付き物なのだが。あれだけシュートが入らない試合を演じると、なでしこリーグの連続得点王田中美南を高倉監督が選考しなかったことは、批判されるべきに思うのだが。

5位 レッズのACL準優勝と日程問題
 レッズは粘り強くACLを戦い、決勝までたどり着いた。決勝のアル・ヒラルは相当充実した戦闘能力を誇り、一方レッズイレブンには疲弊が目立ち、敗戦はやむなし感が漂った。
 とは言え、今シーズン終盤の日程は気の毒としか言いようがないもの。レッズだけは平日にJを消化する印象すらあった。大槻監督は、ACLにフォーカスした選手起用をしていたが、今のJリーグの戦力均衡も相当だから、ジリジリと順位を下げていただけに、リーグを完全に手抜きするわけにも行かなかったのもつらいところだった。
 結局のところ、ここ10年来日本サッカーの日程が破綻している犠牲者とも言える。来シーズン以降も、ACLで勝ち進んだクラブは、よほど巧みにターンオーバを使わないと、Jリーグを含めて非常に厳しい日程に悩むことになろう。
 毎年毎年指摘していることだが、J1チームの削減、天皇杯2年越し開催など、抜本策を講じる必要があるのだ。年またぎシーズン制など夢にも実現できないことを考えている余裕はないはずだ。

6位 レッズ対ベルマーレ、誤審騒動
 5月17日、J1レッズ対ベルマーレで、ベルマーレの明らかな得点を審判団が見落とすと言う誤審騒動があった。本件そのものは、ベルマーレと審判団には極めて不運な事件だったわけだが、サッカーのルールや考え方が、時代の流れについていけてないことを示すものとなった。観客の多くが手元のスマホで映像確認ができる時代。ある意味で、プレイしている選手たちと審判団のみが真実を確認することなく試合が進んでいるわけだ。
 少なくともこの誤審は、ゴールラインテクノロジが導入されていれば防げていたわけで、私のような年寄りには、中々なじみづらいことになってきたと思う。
 一方でトップレベルの試合では、VAR導入が進んでいる。ところが、コパ・アメリカの日本対ウルグアイでのカバーニのように、それを悪用するダイビングを見せる選手が出てくる。また、判定をVARに任せ副審がオフサイドを認識しても旗を上げないやり方も出てきているため、U20ワールドカップの韓国戦の日本の幻の得点のように、明らかなオフサイドなのに妙なぬか喜びで試合の流れが阻害される事態も生まれている。ゴールラインテクノロジは、審判の目を補完する技術だが、VARはサッカーそのものの魅力を減らすリスクもあるはずだ。FIFAも一度踏みとどまって考えて欲しいのですけれども。

7位 ゙貴裁監督パワハラ問題
 そのベルマーレを長年率いてきだ貴裁監督がパワーハラスメントで処罰をされ、監督退任を余儀なくされた。
 スポーツの世界は、どうしても旧態依然の徒弟制的な閉じた社会が作られがち。そこに透明性や客観性を持ち込む必要がある。類似の事態の再発をいかに防ぐか、日本サッカー協会が力を入れるべきは、このような事件への対応だ。

8位 J1、J2入替戦の制度矛盾
 上記パワハラ問題で、非常に苦しい戦いを余儀なくされたベルマーレは、浮嶋監督の下、苦労を重ねてJ1残留を果たした。
 一方で、ベルマーレが残留を決めた入替戦のレギュレーションが話題となった。4チームでのトーナメントを勝ち抜いたJ2クラブを、J1クラブがホームで待ち構え、引き分けでっ残留する。さすがにJ1クラブが有利すぎると議論となった(ベルマーレは、元々決まっていたレギュレーションで残留を決めのだから、何も恥じる必要がないのは言うまでもない)。
 元々J2クラブの3位から6位までが参画できる制度も、上位クラブの優位が損なわれると言う指摘と、多くのクラブが昇格の可能性を持ちリーグが活性化すると言う反論で、議論の余地がある。
 個人的には流動性の増加(落ちてもすぐ戻れる)が考慮され、下位リーグに落ちてもクラブ経営が安定しない制度が望ましいと思うのだが。

9位 大分トリニータの快進撃
 J1に復帰した大分トリニータが、現代的なパスワークを武器とする美しいサッカーで上位を伺ったのはすばらしい成果だった。片野坂監督の見事な手腕は、大いに称えられるべきだろう。
 トリニータと言うクラブの、2008年の現ルヴァンカップ制覇から翌09年シーズンの事実上の経営破綻に端を発する数奇なドラマ。この10年間にJ1昇格、J3降格を含めた上下動を蹴権。そして、通算3度目のJ1昇格後のこの見事な成績。
 せっかくのすばらしいチームに対して、金満ヴィッセルによるエースストライカの藤本憲明強奪(敢えて下品な表現をとりました)など、見事なドラマに敵役が登場したのも触れておきたい。

10位 梁勇基、ベガルタを離れる
 こちらに思いを書きました。在日コリアンの無名選手が、仙台と言う地方中核都市の、比較的歴史の浅いクラブに加入し、16年の長きに渡りにチームの中核を担う。そして、ACLにチームを導き、祖国代表選手として日本代表にも立ち塞がった。これはこれで、日本サッカーの歴史を彩る美しいドラマである。その梁勇基が、ベガルタを去る。
 ベガルタサポータとして、胸が張り裂けそうな思いにもとらわれるが、梁と共に戦った美しい16年を誇りに思う。
posted by 武藤文雄 at 23:27| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年ベストイレブン

 恒例のベストイレブンです。日本代表については、アジアカップ準優勝の成果があり、またワールドカップ予選は敵地の難しい試合が多いにもかかわらず全勝で終えることができた年でした。しかし、10大ニュースでクドクドと講釈を垂れますが、その後の森保氏の采配振りは、多くの試合で手抜きが目立ち、結果的に日本代表ブランドが毀損された年となった感があります。そんな状況下で選んだベストイレブンです。

GK権田修一
 アジアカップでも上々のプレイ振りだったが、何よりワールドカップ予選、敵地のタジキスタン戦、キルギス戦の前半の、決定的ピンチを落ち着いたプレイでしのいだのは見事だった。中々自クラブでは出場機会に恵まれていないとのこと、何とかこの状況を打開して欲しいところだが。
 
DF酒井宏樹
 ワールドクラスのFWを押さえきる守備能力と、若い頃から格段の右クロス。現在、欧州で最も高い評価を受けている日本人選手ではないか。そして、日本代表でも常に安定したプレイ、22年大会まで中心選手として君臨してくれることを期待したい。

DF森重真人
 FC東京の守備の強さの源泉。元々の読みのよさに加え、周囲の選手の使い方と知的な位置取りが一段と上昇した感がある。パートナの張賢秀が、サウジのアル・ヒラルに移籍した後も、若い渡辺剛と協力なCBを組んだあたりはさすが。

DF冨安健洋
 ボローニャでも、当たり前のようにトップレベルの守備を披露。サイドバックでプレイする映像を幾度か見たが、縦に高速で持ち上がり精度の高いクロスを入れるなど、この初めてのポジションをしっかりこなしているのには恐れ入った。ただ、コパアメリカのウルグアイ戦でヒメネスにヘディングシュートを決められたのは反省してください。

DF丸橋祐介
 若い頃から定評ある攻撃参加に加えて、自領域に進出してくる敵FWを押さえるのが格段にうまくなってきた。元々、90分間戦う姿勢は皆が尊敬するところ。年齢的に日本代表としてはちょっと厳しいかもしれないが、一度見てみたい。

MF喜田拓也.
 J1制覇したマリノスの主将。リーダシップ、精神的な安定度、献身的なプレイ、正に大黒柱と言ってよい活躍だった。優勝後のスピーチも見事でしたけれど。このポジションの選手としては小柄で日本代表としては厳しいかもしれないが、一度見てみたい。

MF橋本拳人
 FC東京の躍進を中盤で支えた立役者。気の利いた位置取りで敵の攻撃を止め、少々常識的だが的確にボールを散らす。180cm超のサイズも魅力的で、日本代表でも定位置をつかみつつある。
 
MF山口蛍
 豊富な運動量と球際の強さは、いつどこでも頼りになる存在。アジアカップも蛍がいれば、もっと何とかなったのではないかと思うのだが。ヴィッセルではいわゆるインサイドMFで前線にも飛び出す戦略的な動きで天皇杯決勝進出にも貢献した。

FW仲川輝人
 自分の間合いでボールを持てば絶品のドリブルに、知的な位置取りでの巧みなボールの受けと、シュートへのボールの置き方が格段に上達。気が付いてみたら、日本最高クラスのFWとなっていた。問題は森保氏が、この異才をうまく活かせるかどうかなのだが。

FW南野拓実
 日本代表では、常に強い意志で攻撃の中核となり、実に頼もしい存在となった。グラウンドコンディションの悪い中央アジアのアウェイゲームでも、冷静かつ強気にチームを引っ張り、22年大会のエースの座を獲得した感もある。リバプールで超強力3トップに挑むことになる。

FW永井謙佑
 最前線に位置取りし、日本人に珍しい10m単位の距離を高速で走ることのできる異能を活かせば、敵DFから見て非常に厄介な存在なのは、7年前のロンドン五輪の時からわかっていたこと。それなのに、サイドで起用されるなど不遇の時代もあったが、ここに来てFC東京でも日本代表でも、得意のポジションで起用され輝いている。
posted by 武藤文雄 at 20:51| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

梁勇基との別離

 ベガルタが、梁勇基との契約の満了を発表、レジェンド中のレジェンドが、我がクラブを去ることとなった。

 いつか別離の日が来るのはわかっていた。そして、その日が少しずつ近づいているのは、最近の梁勇基のプレイを見ていれば、わかっていたことだ。残念ながら、最近の梁のプレイは、明らかに肉体的な衰えを感じさせるものだったのだから。
 今シーズン、ホーム最終戦の大分戦、2対0で迎えた88分、事実上勝利とJ1残留が近づいていた時間帯、梁は約3ヶ月振りに起用された。さらに翌週、J1残留が確定したリーグ最終戦の敵地広島戦、約5か月振りにスタメンで登場した。何かしら、最後の挨拶感が漂っていた。繰り返すが、その日が近づいていることはわかっていたのだ。
 そして、最終戦から3週間後、冒頭の契約満了が発表された。
 どんな特別な選手でも、いつかスパイクを脱ぐか、契約が折り合わなくなる日が来る。
 そして、今回の梁との別離は後者にあたる。「自分は現役としてプロサッカー選手の継続を望み、ベガルタが選手としての契約継続を望まなかった」と梁が明言しているのだ。
ベガルタからはありがたいお話もいただいたのですが、選手としてチャレンジしたいという思いが強く、このような形になりました。
 私は、この別離を素直に受け入れたいと思っている。ベガルタは、必ずしも潤沢とは言えない懐事情のクラブだ。そして、来シーズンの梁については、(格段の実績と貢献はあるものの)高額の年俸の価値がないと判断し、それを明確に伝えたわけだ。その正直な態度こそ、このベガルタ仙台クラブ史上最高のタレントへの誠意と言うものだろう。それに対し、現役続行を望んだのも、いかにも梁らしいと思う。これでよかったのだ。
 これでよかったのだ、と理屈では理解している。けれども、物事は理屈で捉えられるものではない。ユアテックスタジアムで、ベガルタゴールドを身にまとった梁の雄姿を見ることができない。そう考えるだけで、空虚感に胸が張り裂けそうになる。

 梁のことは幾度も書いてきた。例えばこれなのだが。そこで書いた梁の特長を抜粋したい。
梁の武器は、精度の高いプレースキック、豊富な運動量な事はよく知られている。けれども、いわゆるドリブルで敵を抜き去るような、瞬間的な速さは持っていない。だから、攻撃的MFとしての梁のプレイは常にシンプル。まじめに守備をして、マイボールになった時に素早く切り換え、速攻の起点となる。ハーフウェイライン前後でボールを受けてドリブルで前進したり、早々に敵DFの隙を見つけて裏を狙い後方からのロングボールを引き出したり。重要なのは、動きの質のよさと、ボールを受ける際のトラップの大きさと方向の適切さ。大向こう受けをするような派手な技巧はないが、プレイにミスが非常に少ない。これは丹念な反復練習の積み重ねと、しっかりとした集中力の賜物だろう。それが、そのまま、セットプレイの精度にもつながっている。
 ところが今期、特に夏場のチーム全体の不振を抜けた後の梁は、さらに一皮むけてくれた。それは、プレイの選択が実に適切になったのだ。前に飛び出すか、後方に引くべきかの、ボールの受けの位置の選択。ドリブルで前進するか、前線の赤嶺あたりに当てるべきかの選択。同サイドで突破を狙うか、逆サイドを使うかの選択。強引に速攻を狙うか、無理せず散らすべきかの選択。これらの選択が、格段に向上してきた。だから、ベガルタの速攻は(いや遅攻もですが)、格段に精度が向上してきた。言わば、梁は今期半ばあたりから、フィールド全体の俯瞰力が格段に向上してきたように思うのだ。
 豊富に動き、適切に位置取りしてよい体勢でボールを受け、丁寧にボールを扱い、最善の選択をして展開する。また往時には、決してスピードは格段ではないが、得意の間合いのドリブルで左サイドから敵ペナルティエリアに進出し、振りが早くて正確なインサイドキックで流し込むシュートが猛威を振るったのも忘れ難い。もちろん、セットプレイの正確さも言うまでもない、直接FKのみならず、精度の高いCKで、歓喜を幾度味わえたことか。まとめて語れば、サッカーの基本をただただひたすらに、的確に実現するのが梁の真骨頂だった。
 そして、ベガルタはこの全盛期の梁のリードの下、2011、12年と連続して上位進出に成功し、遂には13年シーズンのACLにも歩を進めることができた。当時、梁は29歳から31歳。正に全盛期だった。
 Jリーグの歴史を振り返っても、日本リーグ時代の基盤がほとんどないクラブが、ACLに進出したのは、この13年シーズンのベガルタを除けば、日本屈指のサッカーどころをホームとする清水エスパルスと、豊富なスポンサを抱え潤沢な経営資金を持つFC東京のみ。この時のベガルタの成果が、日本サッカー史においても屈指なものであることは言うまでもない。そして、その偉業の中心が、正に梁勇基だったのだ。

 もう1つ。梁は私たちに素敵な思い出を残してくれた。北朝鮮代表選手として、そう、梁は敵として、我々に恐怖味わわせてくれたのだ。2011年9月2日は、50年近い私のサポータ歴でも忘れ難い日だ。埼玉スタジアムに北朝鮮を迎えたワールドカップ予選、梁は我々の前に立ち塞がった。いつも私に最高の歓喜を提供してくれている梁が、自陣に向けて前進し、ミドルシュートを放ち、CKで蹴り込んでくる。人生最高の恐怖感だったかもしれない。
 いいですか。レッズサポータは福田正博の恐怖を、ガンバサポータは(完成後の)遠藤保仁の恐怖を、フロンターレサポータの皆さんは中村憲剛の恐怖を、それぞれ味わう事はできません。俺たちベガルタサポータだけが、自らの王様が提供する恐怖を感じることができたのだ。

 ベガルタは1994年に、前身の東北電力からプロを指向したクラブに転身した。90年代は、あまり愉快とは言い難い時代が続いたが、清水秀彦氏が監督に就任し見事な丁々発止でJ1に昇格し、02、03年はJ1で戦うことができた。しかし、自転車操業には限界がある、ベガルタは2シーズンしか、J1の地位を保つことができなかった。
 梁はJ2に降格した04年にベガルタに加入した。6年間のJ2生活、ベガルタは紆余曲折を経ながら、梁を軸にしたチームを作りでJ1再昇格を決めた。そして、気が付いてみたら、ベガルタも梁もその後10年間J1でプレイしたことになる。
 この10シーズンの間、ベガルタは手倉森氏と渡邉氏の采配で戦ってきた(短期的にアーノルド氏の時代があったけれど)。サッカーのやり方には、シーズンごとに違いはあるが、よい時のベガルタは、いずれの選手も生真面目に戦い、丁寧にプレイし、位置取りの修正を繰り返し、最後まであきらめない。このような戦い振りは、梁のプレイそのものだ。繰り返そう。25周年を迎えるクラブの歴史の中、梁はその後半16年ベガルタに在籍した。そして、気が付いてみたら、ベガルタと言うクラブの戦い振りそのものが、この梁と言うスタア選手のプレイ振りと一致している。梁はベガルタと共に成長し、ベガルタもまた梁と共に成長したのだ。
 その梁イズムは、ベガルタのトップチームにとどまらない。先日、あと一歩でプレミアリーグ入りを逃したベガルタユースの戦い振りは心打たれるものがあった。先日、全日本U-12選手権でベスト4に進出したベガルタジュニアの戦い振りは堂々たるものだった。いずれも各選手が知性と技巧と献身の限りを尽くして戦ってくれていた。梁がベガルタと共に築き上げてきた梁イズムは、若年層にまで引き継がれているのだ。
 以前、在日コリアンである慎武宏氏の「祖国と母国とフットボール」と言う本の書評を書いたことがある。その中で梁は以下のように述べてくれいた。
「監督、チームメート、サポーター。それに仙台在住の在日の方々も本当によくしてくれてる。(中略)そういう方々の支えがあって、今の自分がある。だから、僕は”大阪の梁勇基”でもなければ、”在日の梁勇基”でもない。”仙台の梁勇基”というのが一番ピンときますね。」
 梁勇基と言うサッカー人と、ベガルタ仙台と言うクラブが出会ったことは、本当に幸せなことだったのだ。そして、私たちは16年と言う月日を、梁勇基と共に、その幸せを味わいながら戦うことができた。今はただ、我々のために見せてくれた幾多の好プレイに感謝するのみ。16年間、どうもありがとうございました。
posted by 武藤文雄 at 14:12| Comment(1) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする