まずは、渡邉監督のこの6シーズンに渡る鮮やかな采配に感謝したい。ありがとうございました。
監督としての渡邉氏の実績はすばらしいものがあった。14年シーズン、豪州人のアーノルド氏の後任として、0勝2分4敗の不信を極めていたチームを引き継ぎ、チームを立て直しつつJ1残留。移籍による補強が不調で、チームは明らかに高齢化しており、非常に難しい戦いとなったが、「よくもまあ残留してくれた」と言うシーズンだった。
余談ながら、先日のアジアU23選手権、東京五輪出場を決めた豪州を率いたのがアーノルド氏だった。氏が監督として並々ならぬ能力を持っていることが、図らずも示されたわけだ。そう考えると、当時のベガルタフロントの見る目の確かさや、監督とチームの相性の難しさを考えてしまうのだけれども。ついでに言えば、渡邉氏はアーノルド氏より優秀な監督であることは、既に6年前に証明されているw、なので残念な監督に困っているどこかの国の代表チームが…
話は戻る。以降、チームの若返りを推進、決して経済的に潤沢ではないチームながら、中位を維持してくれた。いや、ベガルタサポータとしてぶっちゃけ言ってしまえば、この6シーズンの間、きっちりJ1の地位を維持してくれただけで感謝の言葉しかない。
結果のみならず、戦い方、内容も見事だった。16年度シーズン頃から、ボール保持を基盤とする戦い方を定着させた。これにより、17年度にはルヴァンカップで準決勝進出、18年度には天皇杯で決勝進出と言った成果を挙げることができた。
奥埜博亮、西村拓真、シュミットダニエル、そして永戸勝也と言ったいわゆる自前タレントをJのトッププレイやに育て(より経済的に豊かなクラブへの移籍を含め)、渡部博文、三田啓貴、野津田岳人、松下佳貴、道渕諒平と言った選手たちを移籍加入させ、大きく成長させたのも、渡邉氏の功績と語られるべきだろう。
これだけの実績を残してくれた監督だけに、留任を望むサポータも多かった。いや、私だってそう思っていた。
加えて、退任への経緯も何か不透明な印象があった。ホーム最終戦の大分戦後のDAZNインタビュー、およびサポータへの挨拶で、「守備を固め逆襲を狙うやり方は将来性を欠き、時計を戻したような感があり、自分としては不本意」、「クラブは、将来のビジョンを明確化すべきではないか」と言った趣旨の発言を行った(いずれの発言も武藤の意訳ですが)。
その後、シーズン終了後に、少々唐突感のある発表があり退任が発表された。
さらに、退任時の会見によると、最終的にクラブから氏に対して、20年シーズンの契約を行わない旨の通達が行われたと、渡邉氏が明言している。
「12月7日の広島戦が終わり、仙台に戻りました。戻ってから、クラブから連絡を頂き、クラブの事務所にて話し合いがありました。そこでクラブの決断を通知され、それを私は受け入れるという形になりました。」そのため、サポータ界隈からは、「ベガルタは優秀な監督を、わざわざ手放すのか」的な発言も目立った。
どのようなやり取りが、クラブと渡邉氏の間で行われたのかは、未来永劫闇の中なのは言うまでもない。ただ、私はこの別れは、クラブと氏の間でギリギリの議論が行われた上で、双方納得を得たものと想像している。以降はその想像について、講釈を垂れる。
まず、渡邉氏が大分戦後に語った「時計の針を戻した」発言。私は、この発言には、相当な違和感を抱いている。必ずしも2019年シーズンにベガルタが見せてくれたサッカーが「時計を戻した」ものとは思えなかったからだ。確かに17年シーズン以降、ベガルタは3DFとボール保持を基軸としたサッカーをするようになった。上述のように18年シーズンに天皇杯決勝に進出できたのも、このやり方が奏功したからだろう。
それに対して19年シーズンは、奥埜博亮や野津田岳人を放出したこともあり、中盤から気の利いたパスを出したり、個人能力で抜け出す選手が、松下佳貴くらいとなってしまった。また道渕諒平と関口訓充の両翼が充実していたため、そこを起点にした速攻が有効だった。そのためもあったのだろうが、ラインを後方に下げ、敵を引き出して速攻を狙うやり方が増えた。そして、(渡邉氏が不満を述べた)大分戦の2点目のような切れ味鋭い速攻は、これまでのシーズンでは中々見ることができなかったものだ。
むしろ、14、15年シーズンは、後方に引いて逆襲を狙っても、そのスピードと精度でバランスがとれず得点し切れないところもあった。そのために、ボールを保持するやり方に変え成果を出したわけだ。
サッカーのやり方はあくまでも手段であり、後方に引き速攻を志向するやり方への切り替えが、必ずしも後退とは言えないのではないか。サッカーは常に相対的なものだと思うのだ。
以下は、渡邉監督との別れに対する私なりの解釈(あるいは諦め)である。
まずは契約条件、言い換えればカネである。
考えてみれば、6シーズンに渡り上々の成績を収めてくれたのだ。毎シーズンごと上々の成績を収めてくれたのだから、渡邉氏のサラリーも毎年毎年上げていかなければならない。例20年シーズンも渡邉氏に采配を託そうとするからには、それなりに年俸を増やす必要がある。長期間成果を出し続けた政権とは、そう言うものだ。例えば、シーズン終了後20%ずつ年俸を上げていけば、6年間で1.2の6乗=3.0、つまり6シーズン前の3倍の年俸が必要となる。
しかし、残念ながらベガルタは、この6年間で経営規模を大幅に増やすことはできていない。むしろ、他のJ1クラブとの比較においては、マイナス気味の傾向すらある。その状況下で、6シーズン継続して好成績をあげてきた監督のサラリーを増やすのは、クラブとして限界に近づいていたのではないか。
自分の収入だけではない。1年前、ベガルタ仙台は天皇杯決勝まで進出した。しかし、それだけの成果を挙げながらも、奥埜を引き留めるほどのサラリーを提供できず、セレッソへの流出を許した。他に替え難いユースから育て上げたスタアを留められない経済力しか持たないベガルタに対し、渡邉氏がどう考えたか。
もう1つ、渡邉氏としても将来のキャリア構築を考えたのではないか
渡邉氏は、選手時代を含め19年仙台に在籍した。4シーズンの現役生活を終え、引退後の指導者としての経歴を、15年間に渡り仙台のみで築き上げてくれた。
仙台と言う都市は、新幹線を活用すれば、東京から1時間40分。しかし、首都圏のように人口が集中し、多くのクラブがあり、日本協会もある場所ではない。渡邉氏はそのような都市に、27歳の時に降り立ち、19年間戦ってくれたのだ。
今後の飛躍を考えると、氏が新たな経歴構築を考えてもおかしくない。氏は桐蔭学園出身と言う人脈はあるものの、指導者としての経歴を地方の単一クラブで立ち上げてきた以上、より幅広い経歴作りを考えても不思議ではない。
そのような渡邉晋氏に対し、我がベガルタ仙台は、引き留めるだけの条件を提示できなかった。
新監督の木山隆之氏は、J2で見事な成果を挙げてきた。そして、J1クラブの采配は初めて。並々ならぬ思いで戦ってくれることだろう。このオフの上々の補強と合わせ、よい成果を挙げてくれることを期待したい。楽しみでならない。
渡邉氏は仙台を去った。
どんな監督ともいつかは別れが訪れるのが、世の摂理というものだ。そして、どうせ別れるならば美しく別れたいと思うのは山々だが、中々叶わないのもまた真実なのだ。そもそも、これだけの実績を挙げてきた男を、いつまでもつなぎ止められるものではない。
近い将来、他のクラブを率いる渡邉氏と相まみえることがあることだろう。昨年の天皇杯で、手倉森誠氏にしてやられた痛恨の再現は避けたいところだが。いや、最近同じ兼任監督の不首尾が問題視されている迷彩服のチームが2つあるが、もしかして…
繰り返そう。渡邉氏の6シーズンに渡る鮮やかな采配に感謝したい。ありがとうございました。