突っ込みどころは無数にある。五輪代表は、今回の強化シーズンで最も重要と思える博多ガーナU24戦(おそらく本大会での同グループ、フランス戦へのトライアルの意味もあるのだろう)が5日(土)に予定されている。その2日前(中1日)に(無観客とは言え、全国にTV放映がある環境下)札幌でA代表と試合、翌日日本を縦断するフライトで博多に移動するわけだ。また、既に来日してしまったジャマイカ代表の約半分の選手はどうなるのだろう(12日の五輪代表どうしの試合を含め)。さらに、A代表対五輪代表と言うと、「A代表が胸を貸す」感があるが、五輪代表の後方には吉田麻也、酒井宏樹、遠藤航、そして冨安健洋が控える。さらに田中碧と堂安律がいるのだから、これはA代表の紅白戦とも思えてくる。正直言って、A代表側の選手達にはイヤなプレッシャがかかるだろうな。いや、A代表の国内組、古橋亨梧、坂元達裕、山根視来と言った叩き上げ系のタレントは、五輪代表相手だとすれば、ものすごく気合の入ったプレイを見せるかもしれない。
ともあれ、今回の日本協会の日程再設定を高く評価するものである。疫病禍下、今年後半の代表マッチデーが限られW杯予選のやり方が不明瞭な中、この6月シーズンにできる限り、スポンサ支援の国内試合(地上波TV中継付き)を実施したい。W杯最終予選に向けて、可能な限りのテストを試したい。あれこれ考えると、この札幌ジャマイカ戦のキャンセルは、今後の日程対応に、大きな障害になりかねない。そこで、このA代表対五輪代表。スポンサ対応含め短期間でうまいやり方を考えたものだ。少なくとも、TV視聴率対応を含め、皆が「大迫対冨安!」、「南野対酒井宏樹!」、「山根対三笘!」、「守田対田中碧!」などと盛り上がれるのだし。
Jリーグが開幕し本格プロ化から四半世紀以上が経ち、日本協会事務方にもプロの仕事師が増えていることを素直に喜びたい。
過去振り返ると、このような日本代表対日本その他代表と言う試合は、昔は結構行われていた。
例えば、82年スペインW杯1次予選(香港で集中開催、中国、北朝鮮、香港、マカオ、シンガポール、日本が出場、日本は中国、北朝鮮に敗れ敗退)直前の80年12月、日本代表は「日本代表シニア」と国立競技場で準備試合を行い、2-3で敗れている。当時の日本代表は、W杯出場は目標でなく強化準備の一環、80年モスクワ五輪予選に敗戦後、日本代表は当時26歳だった主将の前田秀樹を除いては、20歳前後の選手で代表チームを構成(中核の加藤久は24歳、金田喜稔は22歳)、大幅な若返りを図り、84年のロサンゼルス五輪を狙う建て付けだった。とは言え、W杯予選、中国や北朝鮮と真剣試合を戦う直前、強化試合として釜本邦茂、今井敬三、藤島信男、小見幸隆、碓井博行と言った経験も実績も格段の選手達で構成される「日本代表シニア」と日本代表が戦ったのだ。これも1つの歴史である。ちなみにこの「シニア」で香港での予選を戦えばよかったのではないかとの…いや、違う、香港での予選、日本は金田、戸塚哲也、風間八宏の3人の技巧的中盤と木村和司の切れ味鋭い突破を、アジアで初めて披露する大会となったのだから。
例えば、88年ソウル五輪予選(最終予選で日本は中国と事実上一騎討ち、敵地広州で守り勝ちし、ホーム国立で引き分ければ五輪出場だったが0-2で完敗し敗退)直前の87年4月、日本代表は「日本リーグ選抜」と国立競技場で準備試合を行い、0-1で敗れている。「日本リーグ選抜」は最終ラインを(代表に選考されなくなっていた)岡田武史が引き締め、中盤は(まだ日本に帰化していなかった)ラモスがリード。さらに「日本リーグ選抜」の最前線は藤代伸也、吉田弘、ガウショ、高橋真一郎と言ったJSLのトップストライカ達。一方、日本代表は経験豊富な原博実はさておき、手塚聡、浅岡朝泰、武田修宏と言った経験と技巧に乏しい選手達。毎週JSLを堪能している日本代表サポータとしては非常に複雑な思いを抱く試合だった。
例えば、98年あのフランスW杯最終予選。初戦のカズ大爆発のウズベク戦の約10日前の97年8月、日本代表は「Jリーグ外国人選抜」と浦和駒場で準備試合を行い0-0で引き分けている。「外国人選抜」の主要メンバは、ジウマール、ブッフバルド、スコルテン、セザル・サンパイオ、バウド、エジウソン、エムボマら。これだけのスタア選手との試合だったが、日本代表の抱えているものが重すぎた。ブッフバルドらも、その重さは理解していたのか、花相撲とはほど遠い重苦しい試合で、0-0で終了した。
この札幌の試合がどのような流れになるのか。各選手によい経験となり、我々サポータが存分に楽しめることを期待したい。いや、それは贅沢かもしれない。まずは、選手達に負傷がないことだけは祈りたい。