2021年08月20日

ありがとう島尾摩天

 ベガルタの島尾摩天(シマオ・マテ)の退団が発表された。2019年シーズンに加入したモザンビーク代表の屈強のセンタバック。主将も務めるなどリーダシップやサポータへの発信力も格段だった。まずはエウゼビオを産んだ国から来てくれたこのすばらしい守備者に大いなる感謝の言葉を捧げたい。ありがとうございました。
 ただ、今シーズンは、体調が上がらず出場機会を失っており、復調が待たれるところでの退団発表。帰国の検討、他のJクラブへの移籍希望など報報が錯綜しているが、定位置を失った現状を鑑み、新たな道を求めたと言うことだろう。
 もちろん、私たちベガルタサポータにとって格段の思い出を残してくれた選手だった。特に絶頂だった19年シーズンは、他クラブのサポータにも相当な印象を残したのではないか。そのくらい格段の守備能力を見せてくれたから。

 そう絶頂時の島尾は最高の守備者だった。
 敵フォワードに対し、自分の間合いに入るや否や、体重が乗った激しいスタンディングタックルでボールを奪う(もちろん、ボールにのみ当たるフェアなタックル)。あるいは、フォワードとボールの間に強引に身体を入れボールキープしてしまう。
 鍛え抜かれたフィジカルが島尾の武器だったのは、皆さんご存知の通り。しかし、肉体的に強いセンタバックの多くとは一線を画した強みを誇っていた。普通の強靭なセンタバックは前線に差し込まれたボールのはね返しや敵フォワードを振り向かさないプレイを得意とする。絶頂時の島尾は、もちろんはね返し力も、振り向かさない守備も見事だった。しかし、島尾の武器は、そこにとどまるものではなく、自ゴールに向かってくるフォワードからのボール奪取が格段にうまかった。足がそれほど速いとは言えないだけに、その奪取力の鮮やかさは光った。そして、島尾のその長所は「よし取れる、よしマイボールにできる」との判断、選択、決心の適切さにあった。決断力に富む守備能力とでも言おうか。言い換えると、速くはないが早い守備者だったとでも言おうか。

 日本サッカー界にとっても、島尾のプレイは示唆に富むものだった。島尾のようなボールを奪取し自分のものにする能力に特化したセンタバックは、最近中々出てこないように思うのは私だけか。Jリーグ黎明期には薩川了洋、大森征之のように敵FWを止めるのが滅法うまいセンタバックが結構いたのだが。ただでさえ、最近のサッカー界はセンタバックに期待される能力は複雑化、多岐化しているので、対人守備能力に特化した選手は出てきづらいのかもしれない。
 いずれにせよ、島尾は古典的な対人守備能力に特化したセンタバックだった。もっとも、ベガルタ加入直後は少々怪しかったラインコントロールも最終ラインからのつなぎも、着実に上達してくれたけど。

 今シーズン、島尾の体調は中々上がらなかった。そうなると、格段の決断力も裏目となり、簡単に逆をとられたり、ファウルから決定的な失点にからむことも増えてくる。
 その典型が4月のヴィッセル神戸戦だった。ベガルタが中盤でボールを失うや否や、守備ラインの裏に飛び出す古橋亨梧。島尾は気鋭のこのストライカへ後手を踏み。敢えなく裏をとられ開始早々に失点してしまう。さらにコーナキックから売り出し中の神戸センタバック菊池流帆に完全に振り切られ追加点を許した。島尾本人にとっても屈辱的な失点だったと思う。このあたりから、島尾はスタメン落ち、ベンチに入ることも少なくなっていた。冒頭に述べたように、島尾本人が異なる道を考えることにしたのだろう。

 改めて、ベガルタへの貢献に感謝。ありがとうございました。カニマンボ。
 次の活躍の場所と機会が早々に見つかることを期待したい。そして、あの鮮やかなボール奪取を、私は絶対に忘れない。
posted by 武藤文雄 at 00:35| Comment(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月18日

爆撃機は永遠に ーゲルト・ミュラー逝去ー

 西ドイツの名ストライカ、ゲルト・ミュラーが亡くなったとのこと。享年75歳だったとのこと。ご冥福をお祈りします。

 私がサッカーを楽しみ始めたのは1970年代初頭、映像すら満足に入手できない当時、中学生のバカガキにとって、ミュラーは正にあこがれの存在だった。70年ワールドカップメキシコ大会で得点王となり、74年地元大会で決勝戦の決勝点を含め、とにかく点をとる選手。ペレやクライフやベッケンバウアは、何があっても目指すことができない。でも、ゲルト・ミュラーとベルディ・フォクツは目指せるような気がした。そんな錯覚を抱かせてくれたスーパースターだったのだ。
 あれから半世紀が経った。ミュラーよりサッカーがうまい選手、攻撃を創造するのが巧みな選手はいくらでも見てきた。しかし、ミュラーより得点を決めるのが上手な選手は見たことがない。
 もちろん、センタフォワードと言う特殊なポジションには幾多の名手がいた。釜本邦茂、ルーケ、ロッシ、原博実、ファン・バステン、ロマーリオ、バティステュータ、マルコス、ロナウド、久保竜彦、フォルラン、佐藤寿人、レバンドフスキ、幾多のストライカを楽しんできたが、やはり一番好きなセンタフォワードはミュラーだ。

 ミュラーの点の取り方は、とてもわかりやすい。サイドからのクロスをペナルティエリア内で頭でも足でも最適の方法で合わせる。後方から足元に入るパスをターンして突っつきネットを揺らす、ゴール前にこぼれたボールを身体のどこかに当ててゴールラインを越させる。自らドリブルで持ち込むとか、ロングシュートをねらうとか、スルーパスから抜け出すとか、そのような得点はほとんどない。 
 中でも究極は1974年大会の決勝、オランダ戦の決勝点だろう。右ウィングのグラボウスキーが中盤に下がり、右オープンにスペースを作る。そこに中盤後方からボンホフが入り込み、グラボウスキーからのパスを受け右サイドをえぐる。ミュラーをマークしていたオランダのCBレイスベルゲンがカバーに入るが、サイドバックのクロルがしっかりミュラーをマークしている。ボンホフはミュラーをねらったプルバック。ただし、クロルのマークは厳しい。
 そこでミュラーは自分の後方に向けてトラップ。1mほど後方に流れたボールに対し、ミュラーは一歩下がりながら、信じられない反転力でインステップでミート。クロルはまったくのノーチャンスだった。コロコロとボールはサイドネットに向かうが、オランダGKヨングブルッドはタイミングを外されまったくセービングに入れず、呆然とネットを揺らすボールを見送るばかりだった。
 どんなレベルでも、得点を決めるコツは、シュートの打ち手がボールを強く蹴ることできるポイントに正確にボールを置き、狙い澄ましたシュートを打つこと。自分が一番蹴りやすいポイントにボールを置けるかどうか、マークするDFとの駆け引きを含め、勝負の妙味である。
 しかし、ミュラーの得点は異なる。ボールを正確にサイドネットに向かわせることは強く意識しているが、強く蹴る意識はない。ただただ、ゴールキーパに自分が蹴るタイミングを読ませないことを意識している。
 繰り返そう。ゴールキーパのタイミングを外し、正確にボールを突っつくこと。ミュラーはそれだけを考え、ベッケンバウアーの、オヴェラートの、ネッツアの、ボンホフの、ウリ・へーネスの、グラボウスキーの、ヘルツェンバインの、パスを待っていたのだ。

 久保建英に格好の教材を提供したい。強引に行くばかりではなく、どうやったら点が取れるかが、ここにある。
 正に爆撃機、幾多のコロコロシュートを思い起こしながら、ご冥福をお祈りします。
 そして、サッカーと言う汲めども尽きぬ麻薬に私をいざなってくれてありがとうございました。あなたの幾多の得点、忘れません。
posted by 武藤文雄 at 00:58| Comment(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月17日

東京五輪メダル獲得失敗

 準決勝敗戦。この試合後の喪失感は、中々経験したことのないものだった。115分アセンシオに決められ、その後の攻撃をスペインにいなされ敗退が決まった瞬間。「また勝てなかったか、今回こそはと思ったのに」と言う強烈な悔しさ。加えて、吉田麻也と仲間たちには「本当によく戦ってくれた」との感謝の念も大きかった。
 ただし、その悔しさは、2010年南アフリカでのパラグアイ戦、2018年ロシアでのベルギー戦直後と比較すると、何か決定的に違った。この2つのワールドカップでは、その時の日本の戦闘能力手一杯まで戦い、刀折れ矢尽きた感があった。しかし、今回は采配を工夫すれば、もっとよい試合ができたのではないか、よい結果が望めたのではないかと思えたのだ。
 強いて言えば、一番近い感覚は93年ドーハかもしれない。もちろんあの時失ったあの時失ったものをもっと大きかったけれども。一方であれからたった28年でここまで来られたってのは大したことのようにも思えてくる。
 そう言ったことが頭の中をグルグル回り、何とも言えない失望、落胆を抱えながら2日を過ごし、メキシコとの3位決定戦。結果も内容も寂しい試合だったが、改めて選手達の凄まじいほどの疲労蓄積を実感し、感謝の思いを強くした。
 今回のチームが上々の成績を収めることができた要因、一方でメダルをとれなかった要因それぞれは、以下のようにかなり単純に整理することができると思う。本稿では、それらを整理しながら、東京五輪を振り返ることとする。
1. うまくいったこと
(1) オーバエージの選手選考が適切だった。
(2) U24によい選手がたくさんいた(1年の延期が日本に幸いした)。
(3) フィジカルで負けることがほとんどなかった。
2. うまくいかなかったこと
(1) スペインと比較して選手の個人能力差があった。
(2) 中盤後方の遠藤航と田中碧の控えを選んでいなかった。
(3) 攻撃が堂安と久保の個人技頼りであまりに強引だった。


1. うまくいったこと
(1) オーバエージ選考が適切だった
 オーバエージ選考の成功は、今さら言うまでもないだろう。吉田麻也、酒井宏樹、遠藤航、3人の経験豊富な選手達のリーダシップと経験は見事なものだった。まず、この適切な選考については、森保氏を高く評価するものである。またこの3人を軸に堅牢な粘り強い守備網を築いたことも、森保氏の成果なのは言うまでもない。
 今回は地元開催と言うことで、厳選されたA代表の中核で経験豊富な3人を選考した。今後もこの考え方を継続すべきではないか。アジアのサッカー界は、アジアカップがワールドカップ直後に行われると言う不可解なレギュレーションが続いている。これが是正されない限り、ワールドカップの隔年に行われる五輪は、ワールドカップの準備と言う意味で日本にとって貴重なタイトルマッチだ。特殊な若年層大会であるがため、若手が経験を積むと言う意味でも。
 ただ、頭が痛いのは、そのようなA代表の中心選手は欧州でプレイしているから、シーズンオフの休養時間を奪ってしまうこと。今回の3人にしても、今後日本でプレイする酒井宏樹はさておき、吉田麻也と遠藤航が年間を通して適切な休養をとることができるだろうか。そして事態は楽観できない。欧州のシーズンは始まろうとしているし、9月上旬からはワールドカップ予選が始まり、2人は欧州とアジアを往復する過酷なシーズンを迎えようとしている。
 今回の成功を再現できるかどうか、日本協会強化部門の手腕が問われるところだが。
 
(2) U24によい選手がたくさんいた(1年の延期が日本に幸いした)
 冨安や堂安を筆頭に、今回のU24に人材が揃っていたのは間違いない。ただし、COVID-19による1年の延期が、日本にとって不幸中の幸いとなったのは、大会前に講釈を垂れた通り。この1年で、五輪世代の多くの選手がJでも欧州でも活躍した。フロンターレの田中碧、三笘薫、旗手怜央の3人は、高い技巧で自クラブのJ制覇に貢献、また上田綺世、瀬古歩夢、林大地、前田大然、橋岡大輝らの成長も耳目を集めた。同様に欧州でも板倉滉、中山雄太が活躍し経験を積んでいる。
 ちなみに「1年の延期は他国にとっても同じ条件ではないか」と考える向きもあるかもしれない。しかし、私が見るところ日本のサッカー界は10代半ばから20歳前後の選手の成長に、構造的な課題がある。ユースレベルのチーム(Jユースでも強豪高校でも)、J1のトップレベルと実力差が相当ある。そのため、ユース代表クラスのタレントが、J1のトップクラブに加入しても、思うような試合経験を積むことができず、すぐに大人の選手として伸びてこないケースが多いのだ。
 これは、Jユースの他に本格強化を行っている高校が多く選手が分散すること、ユースレベルチーム間での移籍が難しいことがなど錯綜する要因がある。せめて、優秀な素材はユース段階(高校時代)から、J2なりJ3で経験を積むことができれば事態は改善すると思うのだが、ユース世代の移籍、プロ契約、高校通学、栄養確保した生活など、多くの微妙な問題があり、実現は非常に厄介なのだ。
 また、三笘、旗手、上田は大学経由。大学がユース段階で伸び切れなかった選手や晩熟系の素材の多くを成長させているのは間違いない。しかし、大学サッカーの致命的欠点は高校を卒業してない選手を受け入れてくれないことだw。Jユースでも静岡学園でも青森山田でも中心選手をまだ高校生のうちに大学サッカー部が受け入れてくれれば、事態は随分改善するのだが。
 日本協会が、今回の1年延期による各選手の成長を振り返り、10代半ばから20歳前後の選手の契約制度、強化体制の改善検討を継続することを期待したい。

(3) フィジカルで負けることがほとんどなかった
 過去世界大会に置いて過去日本代表はどうしても、体格と言うかフィジカル面で劣勢になるケースが多かった。そのため、身体の当て合いを避けて素早いボール回しを狙うことも多かった。ところが、今大会はそのようなリスクはまったく感じられなかった。強さを具備していることから選考されたオーバエージの3人、元々強さも期待されて選考された板倉、冨安、中山らが、フィジカル面でなんら遜色ないどころか局面によってスペインやメキシコのタレント達を圧倒した。加えて、技巧を武器とする田中碧、比較的小柄な堂安、久保、相馬にせよ、攻守に渡り身体の当て合いでは負けていなかった。
 国際試合でフィジカルやデュエルが弱点となる時代は終わりつつあるのかもしれない。これは一重に、ユースのトップレベルの指導者たちが、科学的トレーニングを導入し教え子たちを適切に指導してくれている賜物に違いない。

 ちなみに、日本のトップレベル選手の個々のフィジカルと言うと、ハリルホジッチ氏が「デュエル、デュエル」と念仏のように唱えていたのが懐かしい。以前講釈を垂れたように、デュエルとは必ずしもフィジカルだけの話ではない。「相手に負けない」と言う執着心を含めた1対1における創意工夫、とでも言い換えればよいか。もちろん、精神力やフィジカルにとどまらず、判断力と技巧も必須となるのだが。
 なお、過去のワールドカップを振り返る限り、日本がいわゆるフィジカルの弱さでやられた場面が案外少なかったことも強調しておきたい。2006年の豪州戦や2014年のコートジボワール戦、ギリシャ戦のように明らかにコンディショニングに失敗した時は別として。2002年にしても2010年にしても、強さにやられた場面はほとんどなく、勝てなかった要因は、先方の組織的守備を当方の選手が判断力や技術で上回れず、点をとれなかったことにある。
 そんな中で、2018年のロシア大会は過去のワールドカップと比べると異色の大会となった。いわゆるフィジカル差による失点が目立ったのだ。特にセネガル戦の2失点目は、柴崎と乾が軽量を突かれ敵にデュエル負けをしたことによる。またベルギー戦では単純なロビング攻撃をはね返し切れなかった。ただし、柴崎の精度とタイミングが完璧な射程の長いロングパスや、切れ味鋭い乾のドリブルとシュートは格段で、敵ゴールネットを再三揺らしてくれた。大会直前に急遽起用された西野氏は、時間がまったくない中で、少々守備は怪しいがベルギーからも複数得点奪える攻撃的なチームを披露してくれたわけだ。
 そう考えると、あれからたったの3年で、フィジカルも遜色なく攻撃力も相応のチームを作れるようになったのだから大変嬉しいことだ(もちろん特殊な若年層大会だったことは割り引かなければならないだろうが)。だからこそ、メダル取得にすら至らなかったことが悔しくてしかたがないのですけれども。
 余談ながら、フットボールの兄弟分と言ってもよいラグビーは、2015年、2019年と少数の代表選手のフィジカルを集中強化で鍛え抜くやり方で好成績を収めている。集中強化が難しい我々とは状況が異なるが、フットボールは肉体接触が必須なのだから、フィジカルも重要なことは間違いない(もちろん、それ以上に判断力や技巧でいかに他国を上回るかが重要なのは言うまでもないが)。
 いずれにしても、今大会は我々にとってよい意味での分岐点になると期待したい。日本代表の監督が金輪際「フィジカルで負けました」的な情けない言い訳をしなくなる分岐点として。

2. うまくいかなかったこと
(1) スペインと比較して選手の個人能力差があった
 スペイン戦、ここまで均衡した試合を経験すれば、その差は過去になく具体化できる。2010年にオランダのスナイデルに、2018年にベルギーのデ・ブライネにやられた時は、あのようなスーパースターをいかに準備するかで悩むことになった。しかし、今大会は違う。先方の名手が格段だったことは確かだが、当方も少なくとも比較するタレントは確保していた。そして、悔しいかな先方の個人能力が当方のそれを上回っていたのだが。

 パウ・トーレスと冨安。冨安が、トーレスのように常にボールを持つや前線への高速高精度の展開をもっとねらってくれれば随分異なる展開になったはず。ニュージーランド戦の終盤も同様。冨安がそのような意識でプレイしてくれれば、もっと堂安や久保は効果的に働けたのではないか。また、ニュージーランド戦の軽率な反則でスペイン戦を出場停止になったのは論外。「自分がこの国で一番優秀な選手で、攻守ともに勝利への要となるのだ」と言う意識をもっと持ってもらえないものか。この大会で、最も残念だったのは冨安健洋だったことは強調しておきたい。

 ペドリと田中碧。もっとペドリのように中盤から前線に鋭いパスを繰り出せなかったものか。この2人では市場価格が違い過ぎるかもしれないがw、私はとても気になった、
 今回の五輪代表は、守備をかなり重視したやり方だったことで田中碧は相当後方からの挙動開始を余儀なくされた。それでも、田中碧は相手のプレスを回避できれば、クサビや敵のプレスを飛ばすパスを繰り出し攻撃の起点となった。さらには、堂安と久保に田中碧がもっとからみ、ゆっくりとした攻撃ができれば、好機はずっと増えたはずだ。
 準備試合の段階で、田中碧は己が全軍指揮官を務めなければならないことは自覚していはず。たとえ、森保氏の指示が守備重視でも、オーバエージの選手達が精神的にチームをリードしてくれたとしても、堂安や久保がイケイケ過ぎたとしても、もうひと踏ん張りしてほしかったのだが。

 そしてアセンシオと久保。これは言うまでもないだろう。あの思い出すも忌々しい115分、オヤルサバルの好パスを受けたアセンシオは落ち着いてターン、板倉と遠藤航のアプローチにも慌てず、インフロントキックで丁寧なシュートを打ち込んできた。今さら書くのも陳腐だが、ゴールは強引さからだけでは生まれない。
 もっとも、これは大会前からわかっていたこと。スペインリーグでも、五輪代表の準備試合でも、久保はボールをもらうや強引なドリブル突破から自ら得点することばかり狙っている。自分が詰まると、格段の個人技を活かし味方へパスするが、追い込まれた後なので精度やタイミングを欠く。セットプレイでは高精度のキックができるのだから、もう少しゆっくりプレイすれば事態は随分改善するはずだが。
 バルセロナの若年層チーム出身と言う経歴、技術の冴えから来る飛び級選抜、冷静な周囲観察から来る堂々とした発言。得点への意欲とよい意味での自己顕示欲。マスコミ的には格好の存在なのだろう。しかし、久保はまだ若い、このチームでも最年少だった。経験を積み適切な判断力が具備された時、我々は天下無敵のストライカを入手することになるのだろう。アセンシオをはるかに超えたストライカを。

(2) 中盤後方の遠藤航と田中碧の控えを選んでいなかった
 これまた、大会前に講釈を垂れた通り、中盤後方の控えの選手層の薄さが、遠藤航と田中碧の酷使につながり致命傷となってしまった。

 3位決定戦の遠藤航のパフォーマンスは忘れ難い。立ち上がりに与えたPK、FKからの2失点目、後半のCKからの3失点目、いずれも遠藤が出足で負けてしまったことによるもの。これをはっきり指摘しないのは、プロフェッショナルに対し失礼と言うものだろう。
 しかし、それでもこの試合、攻撃面では遠藤は利いていた。開始早々のミドルシュート、前半林のヒールキックを受けて抜け出しフリーになりかけた逸機。後半序盤にはこぼれ球を拾って左足でまったくフリーの堂安にピタリと合わせるクロスを上げた。
 失点場面を考えると、相手の動きへの対応にことごとく後手を踏んでいるわけで肉体的に疲労困憊だったことがわかる。一方で自分のペースで能動的に動ける時は、高い質のプレイを見せている。つまり、肉体的には相当厳しい状況にあったが、知性と技術は冴えており、そこでは見事なプレイを見せてくれたわけだ。それを支えた精神力には感服するしかない。けれども、そこまで中心選手を疲弊させてしまったことは、森保氏の責任が問われるべきだろう。

 一方で田中碧。ニュージーランド戦の後半消耗は明らかで、延長戦に入るところで板倉と交代しベンチに下がった。その後、日本は攻めあぐんでしまった。三笘と三好が両翼に開き待機するが、そこに精度あるパスが入らない。
 森保氏も反省したのだろう、スペイン戦は延長まで田中碧を引っ張った。さすがにスペインの中盤プレスの厳しさもなくなり、ようやく田中碧が前進しトップ下の三好にクサビを入れるなどパスを繰り出せる状況になり、日本が猛攻をしかける時間帯もあった。しかし、遠藤が疲れ切っており、碧のサポートをするまでエネルギーが残っていなかった。田中碧も疲労は顕著で、特に守備に回った際の対応は後手を踏んでいた。あの痛恨の失点時、オヤルサバルへの対応が僅かに遅れ、アセンシオにラストパスを通されてしまった。
 このチームの編成では、クサビや敵のプレスを飛ばすパスなど、決定機を作る一つ前の仕事の多くは田中碧の担当。したがって、田中碧の消耗をいかに防ぎ、ギリギリまで活躍してもらうのが重要だと誰もが考えていたと思う。森保氏を除いて。

 改めて今大会の22人のメンバ選考をおさらいしておく。比較的消耗の少ないセンタバックは2人の定位置枠に対し麻也、冨安、町田、瀬古の4人(加えて板倉)。対して運動量を要求され消耗の激しい守備的MFが2人枠に対し遠藤碧に加え板倉の僅か3人。状況によっては中山と旗手は中盤後方でも使えるが、この2人で左サイドバック要員。以上考えると、守備的MFの選手層が極端に薄く不安材料なのは上記講釈で文句を言った通りだ。
 そもそも6月の強化試合で最終選考メンバに残っていた中盤後方の選手は皆最終メンバ入りしている。つまり、このポジションの他の選手はこの時点で、森保氏の選考外になっていたことになる。言い換えると、(最終メンバ18人と言う前提では)森保氏は、6月の時点で中盤後方は今回の選手達で回すと既に決断していたのだ。
 18人決定と同時に発表されたバックアップの後方のフィールドプレイヤはCBの瀬古と町田、ポジションが重なる2人だった。大会直前にレギュレーションが変更となり、選手数が18人から22人に増えたところで、森保氏はバックアップのCB2人をそのままメンバ入りさせた。しかし、この時点でメンバ編成を再考し、中盤後方を厚くする手段はとれたはず。例えば、3月のアルゼンチン戦には、渡辺皓太と田中駿汰が選ばれていた。上記レギュレーション変更時に、町田か瀬古のいずれかの代わりに、渡辺か田中を選んでいれば、随分やりくりは楽になっていたと思う。
 邪推にすぎないが、冨安に契約上の何か縛りがあるなりして、出場試合数が限定されていたのかもしれない。あるいは冨安の負傷がそれなりに重かったとか(6月の準備試合でも欠場が目立っていた)。それらを含め、森保氏はCBを厚めに選考した可能性はある。
 さらに状況を難しくしたのは、冨安不在時のCBとして板倉を起用したこと。板倉はCBとして、すばらしいプレイを見せてくれたが、いよいよ結果的に中盤後方のバックアップが手薄となり、遠藤航と田中碧はフル稼働を余儀なくされた。22人へのレギュレーション変更時に、既に森保氏が、CBとして板倉の能力が瀬古と町田のそれを凌駕すると判断していたのだとしたら、なおさら代わりの中盤後方のタレントを選考しておくべきだったろう。加えて、スペイン戦では中山も旗手もスタメン。森保氏は、中盤後方の交代要員ゼロで最大の難敵と戦うイバラの道を自ら選択したのだ。
 また既に講釈を垂れたが、1次ラウンドのリードした南アフリカ戦やメキシコ戦での、森保氏のクローズのまずさも忘れ難い。結果的にほとんどの選手が休めず90分フル稼働を強いられた。またメキシコ戦の稚拙な失点によりフランス戦ターンオーバを行えなかったのも痛かった(しかし、序盤で2-0でリードした時点で、遠藤航や田中碧を休ませる選択肢はあったと思うのだが)。

 もっとも、今大会で我々は板倉という強力なCBを入手した。カタールに向けて、それで十分なのかもしれない。東京五輪の金メダルより、カタールのベスト8以上の方がずっとずっと嬉しいのだし。
 もう1つ、森保氏が町田、瀬古の2人の将来性に多大な期待を寄せており、どうしてもこの麻也たちとの冒険に同行させたかった可能性もある。森保氏にとってその方が金メダルより重要だったのかもしれない。

(3) 攻撃が堂安と久保の個人技頼りであまりに強引だった
 ニュージーランド戦やスペイン戦、私は妙な感動を覚えていた。堂安と久保の単身突破に興奮していたのだ。「日本人選手が個人能力で30m近く単身で前進しシュートまで持ち込んでいる」と。
 過去、国際試合でこのようなドリブル突破からシュートまで持ち込める日本人選手がいただろうか。強いて言えば、若い頃の釜本邦茂と福田正博くらいだろうか。後はおよそ長駆はしなかったが、シュートレンジが人間離れしていた全盛期の久保竜彦くらいか。そう言えば、ブラジルワールドカップで、本田圭佑がそうやって強引な突破をねらっては幾度も相手にボールを渡していたことを思い出したりもした。ただ、堂安と久保建英の突破は、これら日本人としては格段にフィジカル的素質に恵まれていた諸先輩とは、本質的に異なる。2人とも肉体は鍛えぬいているが、技巧とタイミングの冴えで相手DFを置き去りにした上でスクリーンしてトップスピードで前進していくのだ。足の速さではなく技巧を前面に出した前進。
 しかしね。上記したようにあまりに強引過ぎた。たまに強引な突破はいいですよ。例えば、スペイン戦の後半アディショナルタイム、堂安が強引なドリブルで突破直後な突破直後、久保がそのボールを拾いさらに抜け出しかけた瞬間、主審がファウルをとってしまい延長突入した場面。時間もなかったし、あの強引な突破の選択はありだったと思う。しかし、毎回毎回強引な突破をねらったのはいかがだったか。どうして、1次ラウンドの時のように、田中碧のクサビや飛ばすパス、あるいは遠藤航や酒井の押し上げを受けて、最後の20mのところで最大のエネルギーを発揮することを考えなかったのだろうか。
 いつもいつも前に行くよりは、落ち着いてボールキープすることで全軍が休むこともできたはずだ。またちょっと溜めることで、ずっと変化を生むこともできたはずだ。
 まあ、上記したように久保はしかたがないと思う。しかし、どうして堂安まで久保と一緒になって、強引に「前へ、前へ」と行ってしまったのだろうか。堂安はもう23歳、20歳になったばかりの久保より3歳年上、多くの経験も積んでいる。大会前の親善試合では、ずっと落ち着いたプレイを見せてくれていたのに。

 気になるのは、これらの堂安と久保の「前へ前へ」を、森保氏が放置したことだ。サポータの私は確かに興奮したけど、監督はそれを喜んでいてはいけないでしょう。しかし、森保氏がこの2人の個人技による攻撃以上のものをねらっていたようには見えなかったのだ。
 バックアップメンバから抜擢され、最前線で動き回った林。あの前線でのがんばりは岡崎慎司を思い出した。そして、技術的には岡崎より上かもしれない、もっとも岡崎ほど点が取れるようになるかはこれから、実際シュートをねらう際に肩に力が入り過ぎ、どうしても枠に飛ばなかった。長駆した後、さらに加速することができる相馬は、幾度も左サイドをえぐり好機を演出した。1次ラウンドメキシコ戦でのPK奪取は見事だった。この2人は現時点での個人能力を存分に発揮した感がある。この2人の使い方には、森保氏の意図は感じた。
 しかし、他の前線のタレントたちはいかがだったか。三好も前田も上田も三笘も、ほとんど有効に機能しなかった。前田は2列目のバックアップに使われ、あの傍若無人なスプリントを活かす場面はほとんどなかった。ニュージーランド戦延長後半、三笘と三好が両翼に立ったが2人が機能する有効なパスはほとんど来なかった。2次ラウンドに入り、上田はほとんどの時間前線で孤立していた。上田が幾度か機能しかけたのが3位決定戦、ようやく自分の間合いでボールを持つことができた三笘が機能した時間帯、しかしその連係が生まれた時既にスコアは0対3となっていた。Jであれだけ猛威を奮っている三笘も上田も、森保氏は機能させることができなかった。
 いや前線のタレントの活用だけではない。両翼でボールを受けた後、複数の選手の連係での崩しもあまり見受けられなかった。酒井と相馬の縦、堂安と久保の横、いずれも個人能力頼りの突破ねらい。組織的なオーバラップもインナーラップも見受けられなかった。 
 森保氏は攻撃については、堂安と久保の格段の個人技で何とかすると言うところまでしか、やろうとしなかった。「やれなかった」ならばしかたがないが、そうではない。「やろうとしなかった」のだ。

3. まとめに代えて
 楽しかった東京五輪が終わり、Jが再開した(もっとも、ACL出場チームの試合は五輪中にも行われていたが)。欧州でも新しいシーズンが始まろうとしてる。さらには来月からワールドカップ最終予選も始まる。

 本稿では、散々森保氏への嫌味を述べてきた。
 ただ、最終予選を前に、改めて今のA代表を見直してみると、陳腐な言い方になるが、最終予選前のチームは史上最強感が濃厚に漂っている。南アフリカ大会のチームは前線のタレントが薄かった。ブラジル大会のチームは後方の人材が不足していた。そしてロシア大会のチームは若返りが遅れていた。今回のチームは、ややGKと左DFに手薄感があるものの、いずれのポジションにも人材が揃っている。欧州で実績を上げている選手が過去になく多いのは言うまでもない。
 そして、このA代表の充実振りに、東京五輪代表が大きく寄与したのは言うまでもない。そう、そうやって整理すると、森保氏の成果を認めないわけにもいかないのだ。
 と言うことで、予選展望と森保氏への評価、意見は別に述べる。

 落ち着いて振り返ってみると、この世代の2巨頭の堂安と冨安が能力通りに機能してくれなかった大会とも言えるのかもしれない。ただ、しつこいが繰り返したい。采配を工夫すれば、もっとよい試合ができたのではないか。何とも悔しいのだ。
posted by 武藤文雄 at 00:26| Comment(0) | 五輪 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする