しかし、今日の昼休みにもっとビックリした。昼食をとりながら、スマフォをいじったのだが、これだけの緊急事態なのに、それを騒いでいるマスコミやサッカーライターが見受けられないのだ。
様々な媒体で、日本代表人気の落ち込みが報道されている。しかし、この緊急事態についての報道がほとんど見つからないのは、量の問題ではないだろう。単純に質の問題に尽きる。試合前に何が起こっているのか、練習を見たり、選手や監督を取材せずともわかるこの状況が報道されていない。しかも、森保監督は直前の五輪で中盤後方の選手の消耗を放置したことで敗退しているのだ。五輪での反省欠如どころか、不測の事態の放置。いかにも森保氏らしいと、おもしろがるか悲観するかはさておき、この試合の最大の注目点をほとんどのマスコミが気にしていない。Jリーグが開幕して約30年、7ワールドカップの年月が経った。多様なサッカー記事を楽しむことができている。しかし、今回は衝撃だった。当たり前のことを、当たり前に書く書き手が日本にほとんどいないことに。
ピッチ上には無数に優秀な選手がいて、多くの個性的な指導者がいて、毎週楽しいトップリーグを楽しむことができる。我々のサッカー界は世界的にもトップに近い環境を獲得できたと思っていたのだが。もちろん、優秀なライターがJリーグの定期取材に回ってしまい、代表取材に回っていないなどの付帯状況には注意が必要だとは思うけれども。
そして、この後方選手の層の薄さが直接的敗因となった。
0-1で負けたことはしかたがない。しかし、あまりに負け方が不甲斐なかった。
オマーンは1ヶ月合宿で調整していたと言うが各選手の体調はかなりよさそうだった。かつてイランを指導していたイヴァンコビッチ氏は、よく組織的なサッカーを叩き込んでおり、単純に選手の個人能力では突破できそうもなかった。また雨でかなり重馬場になったため、速いパスを回して敵を振り回して疲労を誘うのも簡単ではなかった。その結果、遠藤航も柴崎も後方に位置取り、まず守備の安定を図らざるを得なくなった。
さらに悪いことに、つまらないミスが多い。オマーンは稠密な守備網を敷いている。そのため、軽いパスでは引っかけられてしまう、しかもオマーン各選手の意思統一は中々で、ボールを奪われた直後の動きが素早く、速攻に結びつけられるケースが多い。だから、各選手ともゆっくりでよいから丁寧にプレイをして、いつも慌てた速攻を狙うべきではなかった。むしろ、このようなチームはしっかりとキープすれば、食いついてくるので裏をねらえる機会も増えてくる。
しかし、何か各選手にフワフワ感があり、ミスパスも減らず、決定機を演出する頻度もほとんどなく時計は進む。考えてみれば当たり前だ、次々と離脱する選手が出ているのに、監督は選手を補充しようとしない。監督のいい加減な試合に臨む姿勢が選手に伝播したのだ。
そうこうして苦戦しているうちに、柴崎、酒井、長友の消耗が明らかになってきた。両サイドバックは大ベテランだし、柴崎は守備に相当振り回されていた。しかも上述のように柴崎の交代要員は不在。しかし、酒井と長友には山根、室屋、中山ら強力な交代選手がいたのだが、森保氏は動かない。
前線の交代選手も機能しない。スコットランドで猛威をふるう古橋は前線でなく左サイドで孤立、堂安と久保は運動量が少なく、オマーンの集中守備を破れない。そして、彼らに有効なパスを出せる選手は、皆消耗している。
失点時の左サイドの守備も残念だったが、クロスが上げられた瞬間に植田が出し抜かれてしまった。植田を攻めるのは酷と言うものだろう。元々空中戦の強さから、終盤の守備固めや、ここぞと言う時のセットプレイの強さを期待して選抜されている選手。離脱者が相次ぎ急遽先発起用されて、疲労した終盤のできごとだった。
森保氏のこれまでの貢献に感謝したい。
用兵面では多々不満の残る監督だったが、粘り強く選手を試し、史上最強感が漂う選手層のチームを作ってくれたのだから。
けれども、選手が思うように集められないのに、何も手を打たなかったのはあり得ない。今日の重要な試合への真剣さが欠けていたのだ。結果として、そのいい加減な態度は、選手達にも伝播してしまった。
とりあえず、ドーハでの中国戦は、反町技術委員長が務めればよいだろう。選手の能力は疑いないのだから、立て直しは容易だ。
疫病禍のためとは言え、森保一氏最後の代表監督試合を生観戦できなかったことを、悔いるものである。