2022年09月23日

選手森保一を呼ばない森保一監督

 ワールドカップ前の貴重な準備試合、USA戦を迎える。
 先日、森保氏がセンタフォワードをどうするつもりなのかと講釈を垂れたが、今日は今回選考のメンバを俯瞰しながら、(おそらく皆が最も気にしている)守備的MF選考について講釈を垂れたい。今大会よりメンバ総数が、23人から26人に増えた。森保氏の現状の基本布陣は4-3-3だから、GK3人、DF8人、MF6人、FW6人(これで合計従来の23人)に、あと3人をどう組み合わせるかが、常識的な選考方法となるのだろう。
 一方で今日のお題の守備的MFについて。選手森保一は、運動量が豊富で、敵選手にうまくからんでボールを奪い、落ち着いて味方につなぐのが格段にうまい守備的MFだった。格段にフィジカルが強いようには見えないが、敵攻撃に対する予測力が格段に高く、敵にからんでスッとボールを奪い、攻撃の起点となる。最近の選手ではフレッジや稲垣祥をイメージしてもらえばよいだろうか。本稿では、代表監督としての森保氏が、最も思い入れの深いであろうこのポジションに対して、どこまで深く考えているのかが見えてこないことに対する愚痴を語りたい。
 
 まずGK。ここは権田修一、シュミット・ダニエル、川島永輔、谷晃生の4人が選考。森保氏の信頼厚くここ数年安定した守備を見せている正キーパの権田。フィードの精度が高く権田とは長所の異なるシュミットが第2GK(ベガルタサポータとしては、この欧州遠征で従来以上の高さを見せて欲しいところだが)。第3キーパを大ベテランの川島と若い谷が争う。中東という独特の文化の国、初めて11月開催、試合間隔も短いなど、今大会は未知のことが多いだけに、ここは語学堪能で経験豊富な川島の選考が妥当か。
 DFは、右が酒井宏樹と山根視来、左が長友佑都と中山雄太、中央が吉田麻也、冨安健洋、谷口彰悟、伊東洋輝、そして瀬古歩夢。ブンデスリーガで大活躍していながら直前に負傷した板倉滉が外れた。伊藤は6月シーズンで長時間使われ、貴重な左利きで左DFにも起用可能で再度選考された。瀬古は板倉の代替招集。東京五輪では冨安、板倉らの後塵を拝し出場機会を得られなかったが、CBとのしての才能は疑いない。冨安と板倉の20代半ばのCBコンビを世界中に見せびらかすのは楽しみだだった。しかし、もしこの2人の体調が整わなくても、大ベテランの麻也、先日のA3で韓国相手に格段の存在感を見せた谷口、そして潜在力は疑いない伊藤と瀬古が控える。過去いずれのW杯でもセンタバックの層の薄さに悩んでいたとは思えないタレントの厚み、よい時代になったものだ。
 サイドバック、大ベテランの長友が、先日のブラジル戦で右サイドで「さすが」としか言いようないプレイを見せ状況は格段に好転した。常に選手層の薄さに悩まされていた左サイドは長友、中山、伊藤と3枚タレントがいる。右サイドは酒井、山根、長友に加え、もちろん冨安を回せる。欧州で活躍している菅原由勢や橋岡大樹でさえ、この選手層の厚みから選考外になってしまった。これはこれで、すごい事だと思う。
 報道によれば、板倉は本大会に十分間に合いそう。瀬古は逸材とは言え、準備の合宿で麻也や谷口を凌駕する能力を見せない限り、この欧州遠征で起用されるかすら微妙で、本大会メンバ選考は難しかろう。そして、DFを8人とするか9人とするか、もし8人となると最後の一枠を山根、中山、伊藤が争うのだろうか。贅沢なものだ。

 中盤については、今日の本題なので後述する。

 右FWは、大エースの伊東純也、左足で多くの変化を演出する堂安律、何かしらの潜在力に期待したくなる久保建英。左FWは、最前線のタレントとしては欧州で最も高い評価を受けている南野拓実、予選でも幾度か決定的な仕事をしたヌルヌルドリブラの三笘薫、先日のA3で大活躍した短距離ドリブルの切れ味あふれるドラミ相馬勇紀。これまた3人ずつの選考。もちろん、いずれのタレントも魅力的だが、森保氏はどうやって絞り込むのだろうか。常識的には大エースの伊東純也を最大限に活かすためのタレントをどう選ぶかだと思うのだが。例えば、伊東と堂安を併用するのだろうか、それとも併用せずに試合終盤攻撃の変化をつけるために伊東の代わりに堂安を起用するのだろうか、もしそうならば久保は不要なのではないか、云々。
 さらにCFに至っては、先日散々講釈を垂れたが、このポジションは何も決まっていない。誰が中核なのか、控えをどうするのか、変化をどう付けるのか。今回の欧州遠征では、選考直前に負傷したジャガー浅野拓磨が外れ、前田大然、古橋亨梧、上田綺世に加え、町野修斗の4人が選考された。ここに来て、嬉しい誤算だがJで大迫も復調してきている。改めて断言するが、この欧州遠征に至っても、森保氏は選択(言い換えれば捨てること)を決断していない。しかし、このポジションの枠は最大3枚なのだ。いや、4-3-3にこだわらず、4–2-2-2と言う選択肢をとるならば、南野や堂安や久保や鎌田のトップ下起用の選択肢があるだろうから、CF枠は2枚かもしれない。
 そして、このUSA戦とエクアドル戦は、攻撃の連係を磨くのに最高の機会。選考した前線の選手たちすべてにプレイ機会を与える余裕などないはず。森保氏が、状況ここに至っても選手選考を絞り切れない現状にイヤミを語りつつ、今後の氏の選手選考に注目していきたい。

 そして、今日の本題のMFについて。 
 4-3-3の布陣を基本とするとしたら、3人のMFの主軸は言うまでもなく、遠藤航、田中碧、守田英正。遠藤はシュツットガルトで主将を務め、ブンデスリーガシーズンベスト11にも選考された実績を持ち、格段の体幹の強さを生かしたボール奪取と落ち着いた展開はすばらしい。田中は中盤後方から、視野の広さと正確な技術を活かし、敵の守備を飛ばしたパスと緩急の妙で試合を作る。ファルカン、レドンド、ピルロ、デ・ブライネと言ったタレントを目指して欲しいのですが。守田は切り替えの早さと豊富な運動量を軸に、常識的だが長短のパスも上手、フロンターレ時代の田中との連係も強み。この3人で組む中盤が、ドイツやスペインにどのくらい通用するのかを想像し実感するのは、カタール大会の大きな楽しみの一つとなっている。
 この3人の控えだが、常時予選でも選考されていたのは柴崎岳と原口元気。柴崎については後述する。原口は、ロシア予選から代表の中心選手、森保政権になってからは貴重な控えとして活躍を継続。予選でも試合終盤によく起用され、献身的な上下動と厳しい当たり、さらに若い頃からのドリブルのうまさに加え、最近ではラストパスの妙も見せてくれる。そして先般の6月シーズンには鎌田大地が久々に選考され、ブンデスリーガでも高く評価されている攻撃力の片鱗を見せるのみならず、インサイドMFとして組織的な守備も上々だった。そして、今回の欧州遠征で、旗手怜央が改めて選考された。旗手のセルティックでの活躍はすばらしいし、フロンターレでのサイドMF(あるいはサイドバック)としての、いかにも静岡学園出身らしい技巧と知性に疑いはない。
 さて、誰もが思っているだろうが問題は柴崎だ。まず言及しておく必要があるが、ロシアでの柴崎はすばらしかった。セネガル戦で左サイド長友に通した60mクラスの超ロングパス(その後、長友とのシザースパスでフリーになった乾が得点)、ベルギー戦で右サイド原口のフリーランにピタリと合わせた40mのグラウンダのスルーパス。この2つのプレイだけで、柴崎は日本サッカー史に残る存在となった。もちろん、長谷部誠との連係から落ち着いたボールキープでの試合コントロールも見事だったけれども。
 森保氏は代表監督就任以降、柴崎は常時メンバとして選考し続けている。試合によっては主将も託したこともあった。けれども、柴崎はこの4年間、あのロシア大会のような目の覚めるようなロングパスを見せてはくれていない。それどころか、最終予選の初戦ホームオマーン戦、柴崎は有効な組み立てやチャンスメークをできぬまま時計は進み、試合終盤疲弊したところで敵に決勝点を許してしまう。さらに敵地サウジ戦では、後半、疲労の色が顕著な柴崎は再三ミスパスを連発ピンチを招く。それでも森保氏は柴崎を引っ張り、運命のバックパスミス。日本サッカー史に残る珍場面と言えるだろう。敵地オマーン戦は守田の警告累積出場停止に伴い、柴崎は久々にトレスボランチでスタメン起用されたが、冴えないプレイ。前半で交代させられた。最終予選、柴崎はほとんど活躍できなかったのだ。
 ここで改めてMF勢を並べてみる。レギュラは遠藤、田中、守田。控えに原口、鎌田、柴崎、そして旗手。遠藤や守田のようにボール奪取や敵を潰すのが得意は控え選手は選考されていない。中盤でボール奪取を主眼とする役目の選手は、豊富な運動量が要求され、累積警告による出場停止の可能性も高い。実際、東京五輪では、遠藤航と田中碧を中盤後方に並べる布陣を基本としながら、この2人の控えがおらずほぼフル出場(このポジションのバックアップと目されていた板倉滉がCBにレギュラ起用されたこともあったが)。大会終盤に入り、2人の疲弊もあって、メダル獲得に失敗した。3位決定戦で疲労困憊ながら献身する遠藤の姿は美しかったけれど。また先日の6月強化試合、最後のチュニジア戦でも、遠藤の疲労は顕著でそこが敗因の一つとなった。言い換えれば、森保氏は1年前の東京五輪での失敗経験を、この6月シーズンに活かせなかったのだ。
 では、このポジションにタレントが少ないかと言うとそうでもない。川辺駿、稲垣祥、橋本拳人、岩田智輝と言ったタレントは、森保氏率いる日本代表に選考され、起用されれば充実したプレイを見せてくれた。しかし、今回の欧州遠征では選考されなかった。イヤミな言い方になるが、森保氏就任以降の約4年に渡り、柴崎は彼ら4人より充実したプレイを見せてくれただろうか。
 もちろん、森保氏がしたたかな準備をしている可能性は否定しない。例えば、遠藤と田中は確定として、3MFのもう1人は鎌田か原口を起用し、常に守田をベンチにバックアップとする、あるいは板倉はCBに使わず、常時ベンチに置きバックアップとする、等々。
 グダグダと講釈を垂れてきたが、不思議なことは柴崎を招集し続けることではない。守備的な能力の高いMFを、レギュラーの遠藤と守田しか呼ばないことなのだ。その代わりと言っては何だが、毎回FWの選手はベンチに入りきれないくらい呼んで、特にCFは本大会出場確定という選手がわからないことだ。繰り返すが、森保一のようなタレントをもう1人呼んでおくべきではないのだろうか。

 29年前のドーハ、W杯最終予選。
 サウジ、イラン、北朝鮮、韓国、イラクとの6カ国総当たりで、上位2国がUSA本大会に出場できるレギュレーションだった。最終戦前に2勝1分1敗でトップに立っていた日本だが、最終イラク戦の終了間際にCKから追い付かれ本大会初出場を逃した。
 重要だったのは第3戦の北朝鮮戦、3-0でリードしていた日本だが、終盤森保一はつまらないファウルで警告を食らい、続く韓国戦は出場停止。韓国戦は、森保の位置にラモスを下げ、北澤を起用する布陣が当たり1-0で勝利を収めることができた。しかし、最終イラク戦、韓国戦で運動量を要求されるポジションに起用された33歳のラモスは疲労困憊、2-1と突き放すゴン中山へのアシストは見事だったが、試合終盤まったく動けなくなってしまった。あの同点ゴールとされるCKは、イラクの攻撃を一度森保が止め、ラモスにパス。ラモスは自陣でのボールキープを狙うべきだったが、敵陣への縦パスを選択し、それを奪われた速攻から提供したものだった。
 もし、あの北朝鮮戦の終盤、森保がつまらないファウルを冒さなかったら。あるいは、ハンス・オフト氏が、森保の適正なバックアップ選手を選考できていたら。
 29年後、監督森保一が同じ街で戦う真剣勝負。遠藤と守田に加えて、選手森保一のようなタフな選手を招集すべきに思うのは私だけだろうか。
posted by 武藤文雄 at 01:38| Comment(0) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月07日

原崎監督更迭劇に思う

 本業の11時から始まった重要な会議は結構重苦しい内容、今後の展開のための議論が錯綜したのを何とか整理し、昼休みを迎えた。「さて、ちょっと暑そうだから、外に食べに行くのをやめて社員食堂に行こうかな」など考えながら、何気なくスマフォを叩いたら、ビックリするようなニュースが飛び込んできた次第。
 とにもかくにも、J2降格と言う難しいシーズンに監督を引き受けてくれて、ここまで多くの選手の特長を活かした攻撃サッカーを見せ、上々の成績を挙げてくれた実績。ここまでの原崎前監督の功績を讃え、感謝したいと思う。ありがとうございました。
 そして、今後の氏の指導者生活が成功することも祈りたい。ただし、ベガルタ戦以外でだが。
 フォギーニョと中島のコンビによる強くて前線に精力的に飛び出す中盤。氣田、名倉、加藤、真瀬、内田らサイドプレイヤの精力的な上下動。富樫と中山を軸にした強さとシュートのうまさが際立つ最前線。ベテラン遠藤が見せる魔術。特に氣田や皆川など、昨シーズン手倉森前監督が、あまり機能させられなかった選手が、原崎氏の下でよく化けてくれたのは大いに讃えられるべきだろう。

 半世紀近くとなるサポータ人生、これは自分にとっては、2003年のベガルタ清水秀彦氏更迭と2018年の日本代表ハリルホジッチ氏以上の超ビックリ更迭劇となる。
 清水氏の時は、(少々失礼な言い方になるが)当時のベガルタフロントへの助言者があまり信用できず、「何か妙なことが起こらなければよいが」的な思いがあった。そのため、発表を聞いた時の驚きはそれほどではなかった。
 ハリルホジッチ氏の時は、さすがに驚いた。上記リンク先で延々と講釈を垂れた通り、田島会長の判断がまったく理解できなかったからだ。ただ、当時から会長の言動を見聞きする限りでは、氏にとっては日本代表の好成績以上に何か重要なことがあるのだろうと言う諦念はあった。これはこれで不愉快だが、田島会長はルールにのっとって選考された協会会長だし仕方がない。今日見せてくれている彼なりの努力を、現役の選手時代に発揮して欲しかった思いはあるけれども。1975-76年の高校選手権決勝での、浦和南対静岡工業戦、浦和の大エース選手田島幸三の鮮やかな2得点に憧れたサッカー狂としては。

 けれども、今回の原崎氏更迭は、まったく予想外だった。ここに来ての4連敗、勝点勘定的にも相当厳しくなっているし、チームの沈滞感も相当なものがあるのだろう。しかし、シーズン当初から原崎氏が見せてくれたサッカーは魅力的で、成果も出ていた。原崎氏更迭の判断は、J1復帰と言う短期目標、J1再定着と言う中期目標、国内トップクラスのクラブと言う長期目標、いずれにとってもマイナスにはたらいてしまうのではないかとの不安も大きい。
 確かに、攻撃志向を徹底するためだろうか、守備麺の課題は多かった。自陣から無理せずに抜け出すべきなのに逆襲速攻を無理にねらい、急ぎ過ぎて、逆に敵にボールを奪われてしまうケース。セットプレイでのファーサイドやライン前の守備。両サイドバックを前線に送り込み、押し込んだところで散見される、ミスパスから決定的な逆襲を許す。
 もちろん、これらが解決してくれれば嬉しいが、いずれも選手個々の判断力に起因する課題。各選手の知性のレベルアップは監督にとっても最も難しく時間のかかる仕事。ここまで素敵な攻撃的サッカーを見せてくれた原崎氏に、たとえ時間がかかってもこれらの修正を期待するのは、十分理に叶っている。原崎氏だって、Jを率いるのは初めての経験、この難しい状況を打破してくれれば、我々は格段の監督の入手に成功すると期待していた。
 正直言って、私は今シーズン、いや今後も原崎氏と一緒に戦いたかった。

 一方で。私はベガルタの佐々木社長を信頼している。社長就任以降最大の課題だった債務超過問題を解決の目処を立て、大口を含めたスポンサを丹念に増やし、原崎氏にチームを託し上々の成果を上げてきた。クラブやチームの詳細な内実は、我々サポータには理解できない。クラブ内、チーム内の詳細を検討した上、佐々木社長はこの重い判断を下したのだろう。佐々木氏の判断には敬意を表したい。そして、公認の伊藤彰監督の実績は中々のものがあるのも、また確かだ。

 その上で。
 我々がやれることは簡単。伊藤新監督、そして梁勇基とその仲間達を熱狂的に応援すること。そして、シーズン終了後にJ1復帰に歓喜すること。まずは次節敵地大分戦、難敵が相手だが勝点3獲得を期待したい。
posted by 武藤文雄 at 02:10| Comment(0) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月03日

ベガルタいかに立て直すか

 先日、ベガルタのJ1自動昇格への楽観論をまとめたところ、以降思わぬ3連敗。2位新潟と勝点10差がついたのみならず、岡山にも抜かれ4位に落ちてしまった。私が悪かったのだろうか。ともあれ。ここは正念場。ここからの立て直しを期待し、改めて楽観論の講釈を垂れることにしたい。
 勝点勘定が極めて厳しくなったことは否定しない。しかし、一般論として、残り試合数≒逆転可能勝点と言われている。残り9試合で勝点10差、まだまだ諦める段階ではないことは強調しておきたい。
 加えて3連敗を振り返ると、それぞれの3試合の課題はまったく異なる。言い換えれば、チーム全体が構造的な不振に陥ったわけではなく、個別の課題を一つずつ修正すればよい。また、試合内容を見た限り、それぞれの課題は修正の方向に向かっている。勝負はこれからなのだ。

 まずホーム大宮戦。序盤押し込みながら崩し切れず、大宮にCKを許す。そのCK、しっかり跳ね返したこぼれを、F ・カルドーゾがいかにも彼らしい淡白なヘッド、ゴール前に戻されたボールを決められた。さらにその直後、キックオフからのボールを跳ね返され、慌ててボールを奪いに行きかわされ、逆襲を許し右サイドを簡単に突破され2点差。その後、やや上滑り的に攻めるものの、好機を決め切れない。ひどかったのは守備で、大宮につながれると、強引に奪いに行っては外され、自滅気味に攻め込まれる。3失点目もそう言った形からだった。大宮の集中守備は中々見事だったが、逆サイドを突けば崩せているのだから、何を慌てたのだろうか。あれだけ慌てたのは、大宮へのリスペクト不足としか言いようがなかった。後半、立ち上がりから3人を交代し、遠藤と中島を軸に落ち着いて攻め返し、1点差まで追い上げたがそこまで。さすがに3点差を追いつくのは難しかった。
 もっとも、後半の攻撃は変化あふれ非常によかった、特に2点目は中島の鮮やかなボール扱いと遠藤の知性あふれる位置取りによるもので、美しさは格段だった。
 
 続く敵地群馬戦。群馬の精力的なフォアチェックと、中山と富樫不在のため前線に起点を作れず苦戦。皆川が左右に精力的に開いてボールを受けるが、氣田、名倉が揃って体調不良なのか、フォローが遅く孤立。さらに久々スタメンの金太鉉が決定的ミスを連発。劣勢を挽回しようとするフォギーニョもコンディションが悪そうで、再三自陣でボールを奪われる。それでも、PKを小畑が止めるなどもあり、0-0で前半をしのぐ。しかし、後半序盤に連係ミスから失点すると、いよいよ状態が悪くなる。幾度も群馬の鋭い逆襲に苦しめられ、よくもまあ0-1で試合を終えることができた、と言う内容だった。FWが2人欠場したことと、MF陣の疲弊、守備の中軸金太鉉の絶不調、これだけ悪いことが重なると、ちょっとどうしようもなかった。
 この3連敗、唯一生参戦できたのはこの試合だったが、屋根のない競技場で、雨の中の重苦しい敗戦だった。けれども、身体が利かない中で奮戦する大好きフォギーニョ、サポートが少ない中で単身打開を図る中島、味方の度重なるミスを冷静にカバーする平岡、こう言った選手たちの奮戦を応援できたのだし、悔しい敗戦だったからこそ、現地にいられてよかった。余談ながら、我らが遠藤と群馬の細貝の、中盤での虚々実々の駆け引きも本当におもしろかった。幾多の栄光を掴んだ2人が、30代半ばとなり、故郷のクラブのために知性の限りを尽くして戦っている。

 続く、ホーム千葉線は、中山復帰で前線で拠点ができ、中盤でのしつこさも戻り、各選手の体調もよいようで、前節よりは格段に改善され安心して見ていられた。ただ前半から、ボールを奪うと前に急ぎ過ぎる傾向があり、千葉の戻りの速さから攻め切れず。速攻し切れない時に落ち着いてじっくりボールを回したいところだった。一方で、主審の判定がやや仙台に有利な感もあり、複数回セットプレイの好機があったが崩し切れない。ところが後半序盤、千葉に押し込まれた時間帯に、前半から気になっていた無理な持ち出しで、逆に連続攻撃を許し、そこからのCKで失点。さらに、落ち着いて分厚い攻めを展開していたところでミスから逆襲から決定機を許し、一度しのぐもののロングスローから追加点を許し、そのまま0-2で敗戦。2つの失点は、いずれもニアでフリックされ、ファーの選手をフリーにしてしまったもの。当方が幾度もあったセットプレイを決められず、一方で似た形から2失点してしまっては苦しい。
 ただ、後半から起用されたフォギーニョ、名倉は前週の不振から脱した感があった。また何より、ここ最近まったく昨日していなかったF・カルドーゾも相応に機能した。底は脱しつつあることは実感できた。

 幸いにして、明日(もう今日か)のユアテック水戸戦は、疫病禍後ホーム初めての声出し応援試合。試合内容も底を脱した状況、最高の環境ではないか。己が参戦できない情けなさはさておき、ベガルタにとっては間違いなくよい兆候。仲間達の熱狂的声援の下での歓喜をDAZNごしに楽しめる。
 繰り返すが、勝点勘定が厳しいことは否定しない。しかし、それがどうしたと言うのだ。この程度の苦境は、過去幾度でも体験してきたではないか。今こそ、ベガルタ関係者すべてが、往生際の悪さを発揮し、粘り強く反転すべき時が訪れたのだ。
posted by 武藤文雄 at 01:21| Comment(1) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月01日

仙台育英全国制覇と白河以北一山百文

 深紅の優勝旗が白河の関を越えた。高校野球での東北チームの全国制覇は、小学生時代、太田幸司や磐城の田村の時代からの夢だった。素直に喜んでいる。我々の世代の仙台の小学生は「『白河以北一山百文』を見返せ」と教育受けていたから、歓喜の思いは格段だ。小学校の洟垂れ小僧時代からの親友(お互い仙台育英高校出身ではない)がfacebookで歓喜していたので、お互いfacebookごしに乾杯。このお祭り騒ぎは宮城県関係者だけではなく、東北各地にも展開された模様。福島県や山形県など他県の地方紙も、全国制覇の号外を発行したらしい。
 もっとも、深紅の優勝旗は、20年近く前に白河の関どころか、津軽海峡を飛び越えていたのだけれども。

 物心つき、野球を見るようになったのは半世紀以上も前になる。サッカーよりも前です。父と祖父に教わり、プロ野球と併せて、夏の高校野球を見始めた。プロ野球と異なり、地元のチームを応援できる。小学校3年、八重樫(後にスワローズで独特のバッティングフォームで活躍)がいた仙台商業がベスト8に興奮、加えて太田幸司の三沢商が決勝進出、18回でも決着つかず再試合で散った。宮城県のチームが負けても、東北の他県のチームを応援するのが当然だった。2年後「小さな大投手」田村を軸にした磐城高校が決勝進出するも敗退。当時、東北のチームが甲子園で中々勝てない要因として、厳寒や豪雪により冬期にトレーニングしづらい・遠隔地ゆえ強豪との強化試合が難しい・関西の暑さへの順応の難しさなどが挙げられた。
 その後も、決勝進出は幾度もあった。大越基、ダルビッシュ、菊地雄星、佐藤世那、吉田輝星。どうしても東北勢は全国制覇ができなかった。勝てないことはしかたがないが、段々と不思議にもなってきた。考えてみればもう21世紀。東北の強豪私立高校は冬期練習場もある。東北新幹線があり首都圏はすぐだから遠征で試合経験も積める・昼間の炎天下の甲子園は暑いが宿舎に戻ればエアコンで体調を整えられる。何より、より北方でハンディキャップが大きいはずの駒大苫小牧が、既に全国制覇しているのではないか。また、大学野球では東北福祉大が幾度か全国制覇している。同じ屋外競技のサッカーで青森山田や盛岡商が全国制覇をしている。なぜ東北勢は甲子園制覇をできなかったのか。最後にまた触れる。

 今年の仙台育英。好投手を5人抱える強みを前面に出し、他チームを圧倒した。特に準々決勝以降は盤石、唯一もつれた試合となったは2試合目(3回戦)の明秀日立戦のみ。この試合は明秀監督が凝りすぎた采配で墓穴を掘ったことに救われた。おたがい小刻みに点を取り合い、6回まで2-4でリードされた難しい試合。迎えた7回裏、育英は明秀投手の乱調もあり無死満塁の好機を掴む。ここで明秀監督は、左投げ、右投げ、2人の投手をクルクルと交代させる作戦をとってきた。ワンポイントリリーフならばわかるが、小刻みに投手と右翼を交互にやらせるのはさすがに無理がある。両投手とも制球が定まらなくなり、育英は連続四級と犠牲フライで逆転に成功した。
 準々決勝の愛工大名電に対しては小刻みに加点し、5回までに6-0として悠々と逃げ切る。
 準決勝の聖光学院戦。聖光が疲労気味のエースを温存し第2投手を先発。1点リードされた2回表、第2投手をつかまえ3-1と逆転し、さらに無死二三塁、そこでたまらず聖光がエースを投入。これ以上1点もやれないと言う雰囲気にたたみ込み、気がついてみたら2回に11点を奪うと言う超ビッグイニングで早々に試合を決めた。
 決勝は、お互いに小刻みに点を取り合い6回までに3-1でリード。7回裏育英は追加点を上げ3点差、そこで相手投手が四球を連発し満塁としたところで本塁打で7点差として勝負を決めた。
 もちろん幸運もあった。選抜優勝で甲子園での勝負強さに定評ある大阪桐蔭、好投手山田を擁する近江、強打者浅野が凄かった高松商などの強豪がつぶし合い、そこを勝ち抜いた下関国際の両投手は、決勝戦では相当疲弊していた。また、これらの強豪校や準決勝で大勝した聖光学院と準々決勝以前で戦えば、先方の投手はまだまだ疲弊しておらず、互角の戦いを余儀なくされたことだろう、明秀日立戦のように。
 しかし、どの強豪校が来ても、準決勝・決勝は、よほどの不運がなければ勝てたのではないか。そのくらい、投手5人の物量は圧倒的だった。元気な投手が後から後から出てきて失点が少ないことそのものも強み。加えて、いずれの試合でも、競り合った際に相手投手や監督が「これ以上点はやれない」と言う作戦をとり、逆にそこにつけ込んで点を奪うことができたのも大きかった。
 もちろん、他にも勝因は多数ある。打撃も守備もいずれの選手がよく鍛えられていたこと、須江監督の積極的な采配、スカウティングの適正さなど。例えば名電戦の2回の2点目は2死三塁からの三塁線へのセフティバントによるものだった(試合後のインタビューで、須江監督が「相手三塁手は肩が強いため後方で守備するところを狙った」と語っていたのには、恐れ入った)。また、いずれの試合も第一試合というクジ運のよさも大きかった(勝ち抜き戦の場合、勝ってどのチームが出てくるか待つ方が、精神的に優位なのはいずれの競技でも鉄則、さらに灼熱の甲子園、朝試合ができてエアコン下で身体を休められる方が優位に決まっている)。
 とは言え、投手5人を確保して甲子園に乗り込んだ時点で、序盤戦さえ勝ち抜けば、相当な確率で育英は真紅の優勝旗を獲得することができる戦闘能力だったのだ。これだけ強ければ勝てる。

 話を戻す。今まで、東北勢はなぜ今まで優勝できなかったのか。
 冒頭に「白河以北一山百文」と述べたが、仙台の地方新聞の河北新報の創業者が、この言葉を見返すために社名(新聞名)を決めたのは、よく知られた話。私の世代の人間は、小学生の時からその話を聞き育ってきた。
 甲子園の高校野球と言うお祭りは大昔からよくできている。各地から代表校が出場、日本中が地元や故郷のチームを応援して楽しめる。昔は地域密着を基盤とするJリーグなど影も形もなかった。Bリーグもbjリーグもできたのはつい最近。プロ野球も首都圏(と言うか東京)と関西圏にチームが偏在しており、札幌、仙台、埼玉、千葉にチームが定着したのは比較的最近、長期に渡り福岡にチームがない時期もあった。
 そんな1970年代あたりから、甲子園で東北の高校が決勝に出るたびに、河北新報はもちろん、他の東北各県のマスコミも、「優勝旗が白河の関を越えるか」と大騒ぎしていた訳だ。そして、私も私の親友も、その大騒ぎ(お祭りと言ってもよいだろう)にお相伴していたわけだ。加えて悪いことに、1915年の第1回大会で当時の秋田中(現秋田高)が決勝進出して敗れている。だから、常に「第1回大会以来の東北勢の悲願が」とお祭りが、一層華やかになる。そして、決勝に負けた記憶の蓄積は、新たなチームが決勝進出する度に、お祭りに彩りを添える。
 これが北海道初めて、とか沖縄初めてとなると、単一道県の悲願だから、東北地方全域とは異なり、お祭り騒ぎも極端にでかくならない。また、同一県のマスコミならば予選段階からお付き合いがある言わば関係者。しかし、東北勢が勝ち進むと他県のマスコミが集まってくるのは、若者にとって、楽しむ以上のプレッシャ、微妙なストレスになったのではないか。かくして、河北新報を始めとする東北マスコミや、私や私の親友が、東北の野球エリートの若者達に不要なプレッシャをかけ、贔屓の引き倒しをおこなってきたのではないか。何十年にも渡って。

 その不要なプレッシャに打ち勝つため須江監督が作り上げたのが、多数の投手による圧倒的な戦闘能力のチームだった。これだけ格段の物量を抱えれば、勝負の準決勝・決勝で、戦闘能力で相手を圧倒できる。これだけ圧倒していれば、余計なストレスなど気にせず勝てる。そして、勝った。
 1度壁を破ってさえしまえば。来年以降、東北勢が幾度も優勝してくれることだろう。
 仙台出身の60歳過ぎのサッカー狂の戯言でした。
posted by 武藤文雄 at 01:31| Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする