私が小野伸二を初めて見たのは1998年Jリーグ第2節、フリューゲルス−レッズ戦だった。清水商業高時代から「大変な素材」との噂は聞いていたが、どうしても生で観る機会がなく、初めて観るのがプロ入り後の2試合目だったと言う事。そして、その時の衝撃は今でも忘れられない。
フィールド全域を視野に入れ、ゆっくりとしたボールキープから、振りの速いサイドキックで前線に高精度のスルーパスを次々に繰り出す。攻撃が詰まると、ドリブルで溜めを作ったりもする。中盤で一緒にペトロビッチとペギリスタインがプレイしていたのだが、この2人が完全に小野を信頼し、ラストパスやサイドチェンジのような高難度のパスは小野に任せるのだ。さらに、この2人が不用意に前進した後をカバーし、全体のバランスまで取ってしまう。そして、守備に回った時の読みもボール奪取能力も相当なものがある。そのまま3ヵ月後のフランスワールドカップでのプレイが期待できるのではないかとすら思った。
その後、小野は紆余曲折を経ながらも、多くの活躍をしてくれた。フェイエノールトの中核としてUEFAカップを制したり、地元ワールドカップの初戦でベルギーにリードされた苦しい時間帯に鈴木に芸術的なパスを通したり、チェコとの親善試合でネドベドと対等に戦い勝利を収めたり。けれども、年齢的にピークを迎えるはずだったドイツワールドカップをほとんど活躍の機会なく終え、オシム爺さんが代表監督に就任以降は代表に呼ばれる事もなく、レッズでも凡庸なプレイの連続で控えに回り、何か逃避するように再び海外クラブに移籍してしまった。移籍したボーフムでも明確な活躍をしたとの報道がないまま、何か消え去りそうな雰囲気すら感じられた。
そのような意味で、今回のウルグアイ戦に小野が招集されたのは、いささか驚きだった。岡田氏が上記デビューの頃の小野の素質をどうしても試したかったと好意的に見る事も可能だし、(最近の日本協会新会長の軽率な発言を見るにつけ)スポンサ筋からの圧力と悪意をもって見る事も可能に思えた。
そして試合。ほぼベストメンバのウルグアイに対して、岡田氏は徹底したテストを試みる。根幹に従来のレギュラ選手を起用した上で、新しい選手を巧みに組み合わせるのは、岡田氏は実に巧い。負傷の闘莉王に代わり初代表の高木を中澤と組ませる、駒野の逆サイドはの左サイドバックは阿部、青木を長谷部と並ばせてボランチに、小野を攻撃的MFとして憲剛と併用、そして達也を玉田と並べる。
前半。達也は、テストと言うのが失礼な選手だが、全く問題ない出来。大久保出場停止のバーレーン戦は、達也を軸にする事がほぼ決定。高木は格段によい出来とはいえないが、まあ無難な出来(CBの2トップのバックアップは結構悩ましい、高木にしても寺田にしても悪くはないが格段とは言い難い、阿部をここに充てるのか、それとも水本や森重や吉田や青山直の若手を起用していくのか。青木は長いパスの好配球を見せた時間帯もあったが、もう一歩目立たない。
そして、最大の問題点はやはり小野だった。左サイドの攻撃的MFだったのだが、とにかく守備があまりに淡白。おかげで、阿部が常に1対2の局面に対応する事になってしまった。上記したように、若い頃、と言うかつい最近までの小野は個人的な守備能力の高さも相当だったに、あの読みのよい位置取りと的確な守備対応はどこに行ってしまったのか。おかげで阿部は四苦八苦の左サイドバックとなってしまった。
それでも、中澤が見事なプレイを再三見せて、とにかく前半を無失点で終える事に成功。
後半、岡田氏はさすがに修正はするが、執拗に小野に拘わる。青木に代えて長友を投入し左サイドバックへ。阿部をいわゆるディフェンススクリーンに置き、長谷部を1つ前に上げ小野と憲剛に並べる。後半立ち上がりは、阿部の展開を軸に全員がよく走り一気に攻勢に出て、憲剛が自殺点を誘引する。
ところが、その後中盤でのもたつきと、カバーのミスから失点し同点。それでも、再度攻勢を取り幾度か敵陣に攻め込むが攻め切れない。特に玉田の出来は悲惨としか言いようのないもの。この男は、自チームが勝つ事よりも、自チームが点を取る事よりも、自分が点を取る事よりも、自分がよい体勢でドリブルする事が重要なようだ。6月シーズンで公式戦にこの選手を使い続けた岡田氏の判断は完全に間違えていたと言う事だろう。さすがに岡田氏も玉田に代えて大黒を投入する。
強敵と終盤まで1対1でもつれ込む試合、玉田はいなくなったのだし、しっかりとチームを落ち着け勝ちに行く事が重要と思われたが、岡田氏は勝負を度外視した采配を継続した。あと15分のところで、相変わらず機能しない小野をピッチに残し、憲剛をベンチに下げたのだ。さらに、前半から精力的に動いていた達也も交代。以降、日本の抵抗力は一気に減衰した。
小野は、この岡田氏の期待に一切応える事なく、相変わらず凡庸なプレイを継続。憲剛がいない日本の中盤は、簡単にボールを失いウルグアイの逆襲速攻を許し、失点を重ねた。
試合後小野は「もっと走らないと」」と語っていたらしい。
そうだろうか?もちろん、走った方がよいに決まっている。しかし、日本代表が小野に要求している事はそれではないのではないか。ボールにたくさん触って試合を作るのは憲剛が担当できる。単調になりがちな日本の攻撃に一拍置くのは(体調が戻れば)遠藤が担当できる。バランスを取りつつも敵DFの後方を技巧で突くのは松井が担当できる。敵陣を切り裂くようなラストパスは俊輔が担当できる。
日本代表が小野を求めるのは、「小野しかできないプレイ」だ。それは全軍を指揮する事ではなかろうか。マスケラーノとメッシを抱えるアルゼンチンは何故リケルメを主将に抱くのか。それは、この2人ではできない事をリケルメならばできるからだ。小野の存在価値も同じであるはず。バチスタ氏は「走るリケルメ」など期待していないだろうが、「仕切るリケルメ」を期待するからこそ、代表に呼んだのだ。
しかし、この日の小野は(全盛期にそうだったように)日本代表を仕切る事、仕切ろうとした事はなかった。ただ、一介の攻撃的MFとして、たまたまボールが流れてきたら前を向き、技巧を発揮するのみだった。全軍のテンポを変化させたり、前に急ぐチームメートを落ち着けたり、強引に仕掛けたりする事は全くなかった。さらに言えば、チームメートを鼓舞させるようなプレイは、ほとんど見せてくれなかった。
小野伸二の最後の代表試合を生で見る機会を逸した事を悔いるものである。
2008年08月22日
この記事へのトラックバック
代表FWの事を考えながら、浦和-東京Vを観る
Excerpt: J1リーグ第23節 浦和レッズ-東京ヴェルディ バーレーンとのワールドカップ予選を前にした日本代表が、追加招集の選手を発表。 内田、妥当。...
Weblog: サッカーへ
Tracked: 2008-08-30 02:54
さようならは酷くないですかね?
ずっと体育会育ちでコレを言われ続けた僕はこの論調に異を唱えたい反面、
今回の北京での男子と女子の対比とかまぁ何かにつけて当てはまるんですよね・・・
そして僕は小野を筆頭に79年組みにこそこの「気持ち」の部分を大いに叫びたいですね。
小野、高原、稲本の「最有望株」、そして遠藤、加地、本山、永井、中田浩・・・
彼らの口をついて出てくる言葉はいつも
「ガンガン声を出して引っ張る選手ってのは絶対必要。あっ、でも自分はそういうタイプじゃないんで(笑)」・・・・・・
彼らが今ひとつ伸びきれずに30歳を迎えようとしている大きな原因はここにあると僕は考えます。
一番そういう部分を足りないと暴力フランス人に指摘されながら今一番それをやっているのは小笠原で彼がなかなか代表に返り咲けないというのは皮肉ですね。
彼らの変な「上手ければそんなの必要ない」という意識は見事市川、大黒、玉田という80年生まれ、そしてアテネに伝染していたように感じます。
(闘莉男はそういう「空気」の外側からきた選手)
しかし槙野、安田、本田圭?という声張り上げタイプが少しずつ日本サッカーの中枢へと上り詰めてきてくれたことに安堵しています。
とは言っても僕は小野をまだ完全には諦めてませんよ。
10年までにはもしかしたら・・・
そしてここで武藤さんが今日の講釈を詫びる日が来るかも・・・
と、期待しています。
そうですね、守備力があれば今回はボランチで使ったんでしょう。
リケルメになれない事はずいぶん前から証明されてるので
2列目じゃ使えないですよ。
18歳の時の小野に必要なのはテクニックじゃなくて
ポジショニングや戦術眼だったのにそれを教える人がいなかったと。
今18歳だったらまた違った選手になったでしょう。
WY99世代はそろってトップレベルの戦術眼が足りないのは
指導者の目がそこまでいってなかったという事ですね。
最近メディアでもポジショニングや戦術眼について言われるようになってきて
日本もレベルアップしてきたんだなーと実感しました。
U17代表はその辺が教育されてるので、速いパス回しも可能だったのだと思います。
小野のような天才が次に生まれてくるのはいつになるか分かりませんが
地蔵に育つ事はないでしょう。
天才は扱いが難しいだけに、育成もたいへんでしょうね。
見ていて気持ち悪い。
見ていて気持ち悪い。
最終予選が間近に迫ったこの時期に、貴重な貴重なテストマッチを小野と心中で潰したわけですが…
U-23にしてもA代表にしても、日本の力ってこんなもんなんですかねぇ。
なんか監督でだいぶ損してる気がします。
損してるかっていうとそうでもないような
凡庸なチームが凡庸な指揮官に率いられてる
だけなのでは
代表ばかりではなく、Jでの玉田もよくご覧になってから発言してはいかがですか?
でも、FWじゃなくてOMFになるべきだった。
「見ていて気持ち悪い」んならわざわざ読みに来るなよ
他所のブログ主に向かって「止めたら?」ってバカジャネーノw
しかも二重投稿wwwwwww
世界での勝ち方を知らない日本人監督に任せて世界で勝てるはずがない。
オシムさん戻ってこないかな…
あなた、本当に人を愛した事、あります?
これで次も呼ばれたらさすがに監督についても言及する必要があるのでは?
なので自分は小野の見極めのための試合(=徹底したテスト)だったと思って納得しましたけど。
アノ頃の小野を知っている人間には、今の小野を見るのは辛い。
一気に劣化した「前園」とは違い、小野は負傷するたび劣化していった。
小野にリケルメをもとめるなら、守備を求めてはいけない。
その「特権」を岡田が認めない限り小野は代表には不用である。
玉田については、もうFWではない。
しかし、寿人や高原や巻の酷さに比べれば50歩100歩だと思う。
だが、ポストタイプのFWがいない現状では、
岡田監督が玉田にたよるのもいたし方がないと思う。
しかし、シュートが打てないFWも「情けない」の一言で終了。
でも、PK貰うのが得意技だからなぁ・・・・。
はたして、このメンバー、この監督で南アに連れて行ってもらえるのだろうか。
90年代初頭までは日本の少年チームからW杯優勝チームまで全てに「王様」がいました。
彼らは走らないし守備しないし競らない。
でも1試合で5,6回くらい決定的な仕事をする。
それで許される。
まさに「特権階級」。
小野は正に日本中の王様を集めた中の王様でした。
でも90年代後半から徐々に王様は姿を消していって今ではリケルメくらいなのでは?
俊輔なんかは上手いこと時代とともに変貌していきましたよね。
彼が言ったように02W杯に選ばれなくて良かったのかもしれません。
http://www5.nikkansports.com/soccer/sergio/66084.html
越後さんは王様が好きなんですね〜
自分は「さようなら」とまでは思わなかったけど、まあどちらかというと武藤さん寄りの感想かな。
というわけで、期待は失ってないんだけど、ボフムでも(少なくとも昨シーズン後半は)王様っぽい役割なんだよな...
コンディションも考慮するとまずまずでしょう。ジーコ時代はほぼ一貫してボランチだし、攻撃的な位置で小野を機能させるには、SB含めて後方から飛び出せる受け手が決定的に不足していました。憲剛や長谷部は前を追い越せますが、やはり出し手であり、2トップが両方飛び出しタイプだからといって中盤にすべて出し手を配置したテストの失敗と見たほうがいいですね。
ドイツでのポジションを考慮しての前目起用だと思いますが、現状のシステムでは俊輔との併用は厳しいだけに、あくまで不在時のバックアッパーでしょう。ドイツでのパフォーマンス次第で、再びチャンスは与えられそうですね。
寿人は酷くないですよ。
巻も最近はなかなか良いです。
FWは、周りとの協力がないと厳しいです。
代表に定着するとJのようなパフォーマンスが見られるのではないかと思います。
だいたい最初からこのミエミエの組み合わせを画策すること自体、FIFAの日本に対する並々ならぬ“期待”があることが強烈に実証されているでしょ。
ここまでやるんだから、当然それ以外の対策だってちゃんと練ってあるって。
FIFA、いや電通をナメるんじゃねえよ。
確かに寿人はJ2では活躍されていますね。
でも、J2で活躍した新居もロペスもJ1では
殆ど活躍できていません。
当然、チームの環境差はあるのでしょうが・・・。
J1とJ2はサッカーが違うし、アジアと欧州・南米ともサッカーが違う。
相手と相性の良いFWが良い選手なのでしょうが・・・。
巻についても、今の千葉の順位を考えるとたいしてJ1で活躍しているとは思えません。
しかし、玉田については、名古屋では殆ど「点」を取っていませんが
得点の起点にはなっている為、チームではそこそこの存在感はあります。
でも、代表では、50歩100歩ですね。
オレは名古屋ファンなのですが、個人的には玉田を代表に呼んでほしくはありません。
何故なら、呼ばれるたび「劣化」していくような気がするからです。
個人的には、選手は代表で活躍するよりクラブで活躍してもらいたいと思っています。
代表に呼ばれて「怪我」して「劣化→引退」したモンレフティモンスター小倉が不憫でならない。
「小倉」があの時、代表で「怪我」をしなかったら
名古屋はとうの昔に「優勝」していたのだから・・・・・。
今年春頃の小野特集の雑誌では、インタビューで小野本人が、「もうアイディアが昔のようにわかない。足が思うように動かない」と告白していましたし、「フェイエ晩年や浦和復帰後も一度もサッカーを楽しめなくなった自分がいる」といっていた。
天才と日本のマスコミはむやみに言い続けてるが、それは遠い昔のこと。明らかに劣化してしまった現実を見るべきだろう。
なぜあれほどマスコミがちやほや持ち合えるのかわからない。
小野が今回「近代サッカーは走らなければいけない」と今更きづいたのは遅すぎるし、あれは犬飼会長がその前に男子サッカーの走ることの意義についてコメントしてるのを受けて、コビ売ろうとしただけに思う。
リケルメを目指すというのは実にわかりやすいが、小野が目指してるのはいわゆる”メッシ”のように前線で目立ること。小野のインタビューを聞くと勘違いしてるのがよくわかる。
地味にゲームをコントロールするよりも、前線でワンプレーでもいいからコネくりまわし、曲芸を披露したい。ところがメッシほどのテクもなく、自分で打開する力もない。日本にメッシはいない。小野は走らなくていいとは思わないし、
走れない小野は不要だと思う。
私も小野選手には幾度と無く感動させられました。大好きな選手でした。
そして近年の衰え様(内面的にも)を目にすることはそれ以上に辛いものでした。
原因を論じてどうなるでもないですが、度重なる怪我が最大の不運だったと思います。
「さようなら」は悲しい言葉なので、「ありがとう」と言いたいです。
あのときの横浜フリューゲルスはカルロス・レシャックを迎えて、むりやりとってつけたような3‐4‐3を展開していましたね。(前年まではマンツーマンベースの超泥臭い3‐5‐2ないしは3‐6‐1だったのに…)
勝手がわからずポジションチェンジに乏しい横浜F陣3‐4‐3のスカスカした中盤で、高卒ルーキーの小野伸二が、実に生き生きとやりたい放題のプレーを見せていたのが印象に残っています。
その横浜F側で同じく高卒ルーキーとして先発していたのが遠藤保仁でした。その年、レシャックは成績不振により辞任するまで、遠藤を使い続けました。遠藤はレシャックによりパスサッカーの面白さに目覚めたと今でも言います。レシャックが日本に残した唯一の置き土産という感じですね。
そのときの小野と遠藤、そして10年後の今の小野と遠藤を比べるといろいろな感慨があります。確かに選手人生のピークは人それぞれでしょうが、小野選手はケガもあり大変残念な現状です。ただ、10年前ああだったわけで5年後どうなっているかもわかりません。どんなかたちでもいいのでまた僕らを楽しませてほしいです。
小野なんてプレッシャーかけられたら何も出来ない、世界的にみれば平凡な選手なのに
持ち上げられすぎたのが原因だろうね。
小手先のテク以外に、何が自分に足りないのか、
何を強化すべきなのか自分自身を見れなかったから成長できなかったんだろ。
フェイエで同僚だった選手達はビッグクラブに
引き抜かれて成功したのに、小野はなぜできなかったのか。
結婚後も小野は合コン、キャバクラ、泥酔事件と
大事な試合前に夜な夜な出歩いてるのが目撃されているけど、そんなんだからだめになったんだろ。
いつまでもケガを理由にしてかなり過去の美化された栄光にすがっているファンも現実を見るべきだと思う。小野を甘やかしてきた結果がこれなんだから。
小野が召集されて犬飼会長枠だと、ちまたで揶揄されてるのに、あのザマだと余計みっともない。