私の
(一連の五輪代表批判で気になるのは、「戦う姿勢の欠如」とか)「走りが足りない」とか、あまりに精神論に偏った批判が多い事だ。と言う文章(上記の()以降を発言者の方は引用している)に対し、
あのう・・・。と意見をいただいたものだ。これは傾聴に値する意見だ。今日はそのあたりを考えてみたい。
「走り」=精神論,って図式が古すぎるとおもうんですが・・・。
いささか抽象的に過ぎるが、サッカーにおいて勝敗を分ける典型的な要因の1つに「走る事」が挙げられる事に異議を唱える方は少ないだろう。技巧や判断力で勝る相手に対し「走る事」で対抗する策は、古典的だがいつの時代でも有効だ。 そして「走る事」の不足が敗因の場合、「頑張れなかった」と「精神論」で片付けてしまう評価事例が、昔から多かった。
しかし、丁寧に考えてみれば、ご指摘どおり、「走る事」の不足が敗因となったとしても、それを精神論で片付けるのは危険であろう。もちろん、勝利への執念に欠けて走れなかったとか、敵の頑張りに精神的に劣勢になったとか、「精神論」的な要因から「走る事」の不足に至って負ける事による時もあるだろう。しかし、「走る事」の不足の要因には、元々のトレーニング不足、休養などの直前の準備失敗、監督の作戦の失敗など色々な事が考えられる。気候面での外的要因や、前の試合との間隔違いなども重要だな。
本件について、「精神論」と単純に語ってしまった私の文章は、確かに軽率のそしりを免れないように思う。(ただし、私は北京五輪の敗因を「走る事」の不足とは捉えていないので、誤解しないで下さい)。文章を書く時に、安易な思い込みの表現に気をつけなければいけないなと思った次第。今後気をつけたいと思う。改めて、指摘下さった方に多謝。ありがとうございます。
で、改めて日本の現状について。
たとえば、オシム爺さんが「走る事」の重要性を強調する(「考える」事も強調したが)。そして実際にジェフでは、佐藤勇人や羽生の長躯が、美しい得点を次々に生み出した。そして、代表でも、その片鱗を愉しむ事ができた。
現実的に、日本が欧州、南米の列強と伍して戦おうと言うならば、「走る事」の重要性は間違いないだろう。トルシェ氏も、追い越す走りや、後方からのフィードへの対応の走りを強調した。岡田氏も、奪われてから追いかける走りと、後方からの長い走りを強調している。まあ、ジーコ氏はさておき。やはり我々にとって「走る事」は重要なのだ。
でも過密日程だったり、灼熱下の試合だったり、テレビ局の都合だったり、それを阻害する事態が起こる。そう言う時に日本サッカーはどうやって列強に対抗するべきか。
改めて語るが「考える」事なのだと思う。過日の敵地バーレーン戦、中村俊輔と遠藤が考えて考え抜いて走っていたのは、現地でよく理解できた。それでも、終盤まとめ損なうのだ。本当にサッカーと言うのは難しいものだと思う。だから愉しいのだが。
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例えば先日のユーロのロシア代表。
確かスウェーデン戦だったと思うのですが(ロシアが完勝した試合)、スウェーデンの選手よりもロシアの選手の走行距離の方が大幅に短かったというデータが公開されていました。
ヒディンク監督のサッカーといえば、2002年の韓国代表しかり非常に運動量が豊富なサッカーだと目されていると思いますが、実際は相手よりも走っていなかったのです。
正しいポジショニングを取り、正しいフォローをすれば走る量は減らせるのです。
Jリーグに来たある外国人選手も(名前は失念)、日本人は試合に必要な無駄走りではなく本当の意味で無駄なランニングをしているケースが見られる。というようなことを話していました。
こういった世界トップとの差は、普段の練習における監督の指導力の問題が大きいのではないでしょうか。とりわけ若年層の時期からの。
「考える」ことが如何に難しいか。
指導者だけでなくサポートしてる方にもそれが必要なんですよ。
勇人や羽生は短躯です