2008年11月12日

当たり前だがオランダから学べる事が大きい事を喜ぶ

 スキポール空港から、車は南に向かう。隣で運転してくれている中田徹氏との付き合いは長い。今を去る事23年前、日本サッカー狂会ワールドカップ香港戦応援バスで隣同士になって以来だ。
 あのバスは2つの意味で歴史的な存在。日本代表チームを応援するために貸し切りバスが出たのはおそらく史上初めての事だったろう。そして、お盆の大渋滞に巻き込まれ、神戸ユニバー競技場に着いた時は既にキックオフ15分後、そしてその15分の間に木村和司と原博実の得点で日本が2−0でリードしていたのだ。入場して電光掲示板を眺めた時の複雑かつ間抜けた気持ちは今でも忘れられない。
 当時、彼は大学1年、私は社会人1年で、共に「若者」と言える年齢だったが、あれから20年以上経ち2人ともすっかりオジサンとなってしまった。彼が欧州に定住した後は、先方の帰国、当方の渡欧など、会えそうな機会が幾度かあったが叶わず、今回の再会は実に11年ぶり、フランスワールドカップ予選以来の事となる。
 そして23年前同様、隣同士でサッカー談義に花を咲かせながら向かったのは、アムステルダムから100kmちょっと南方のティルブルグ市はヴィレムUスタジアムだった。

 23年前と異なり、車は無事キックオフ1時間前に到着。三ツ沢競技場を一回り大きくして屋根を完備したスタジアムはまだガラガラ。既に三々五々集まりつつある地元のサポータは、スタジアムの建屋の一部に作られたパブでビールやコーヒーを愉しみながら談笑している。我々もパブに入り込み、テレビ映像でNEC対PSVの試合を愉しむ事にした。そして、この試合が終了すると、キックオフの20時45分まではあと約15分。さすがにこの時間となると、会場は大入り。スタンドは8割方埋まっていた。
 まず驚いたのは、屋根に強力そうなヒータが付いており、さらにスタンドの作りがうまいためか風がほとんど当たらない事。11月上旬と言う事で、結構肌寒い気候だったのだが、それなりに快適に観戦が可能だった。これがさらに寒い季節になってくると何とも言えないが、このようなインフラの工夫で厳寒期の試合に対応するのは1つのやり方である事が勉強できた。少なくとも関東圏で11月、12月あたりにナイトゲームをしようとするならば、最低このようなインフラが欲しいものだ。ちなみに、本件と昨今国内で末期的症状の暴言を繰り返している人との関連については帰国してから述べたい。
 さて選手入場。ゴール裏から応援が始まり、それがスタンド中に広がっていくのは、いずこの国でも同じ事。ただし、バックスタンドの方々を見る限り、私と同年輩の中年以降の人が多いように思えたが、熱狂振りは中々。どうやら、ほとんどの人々が常連のようだ。実際中田氏によると、特にオランダの場合は、多くのクラブの観客はシーズンチケット保有の固定客との事、パブと言い、ヒーターと言い、しっかりとインフラを揃え、熱狂的な固定客を抑えるのが、こちらの考え方のようだ。
 ちなみに敵地のサポータも少数来ていたが、何と入り口から完全隔離。ちょうど幾人かが入場する場面に遭遇したが、厳重な囲い(非常に細かな金網ごし)に、地元サポータを罵る殺伐とした野次を飛ばしていたし、試合中は発炎筒が投げられたりもした。とても快適だったこの日のスタジアムライフで、僅かに感じたあまりに荒廃した雰囲気の対比の大きさ。Jリーグをこうしてしまっては絶対にいけない。

 ヴィレムUの対戦相手はローダJC。典型的なオランダリーグ中下位の対決だと言う。選手の粒と言う意味では、ローダの方が一枚上との事だが、今期は下位に沈み9節終わったところで18チーム中17位、一方ホームのヴィレムUは11位とそこそこの出来らしい。
 ローダとしてはこの試合に捲土重来を考えていたのか、敵地ながら激しいプレスをかけ序盤から攻勢に出る。ヴィレムUはいわゆる4−1−3−2の形なのだが、オランダ特有のMF同士がマンマークで付く形のため、特に右サイドで常に劣勢になり完全に押し込まれ、幾度か決定機を許す。「このままホームチームが苦戦すると、周囲も重苦しくなるのだろうか」などと考え始めた前半半ば、試合が動く。ヴィレムUのエースストライカのデムージュが中央ペナルティエリア僅か外でクサビを受けたところで、ローダDFのサエスが軽率なファウルでFKを提供。その直接FKを、ヴィレムUの中盤のリーダボタハが左足で直接決めて先制したのだ。
 実はこのFKを獲得した場面で、ヴィレムUは守備が機能しない右サイドMFを交代させていた。明らかに守備を意識した狙いで交代カードを前半半ばに切る事を余儀なくされていた事になる。ところがこの交代劇と同時に、やや幸運に掴んだセットプレイから先制できたのだから、サッカーは面白い。
 ともあれ、これ以降はヴィレムUペースとなった。交代出場で入ったマシセンがカゴとドイスボランチを組み、変則の4−2−2.5−1.5に切替え守備が安定。以降は、デムージュの強引なプレイを軸によくパスが回るようになり、完全に攻勢を取る。後半に入っても、ヴィレムUペースは継続、幾度となく決定機を掴む。一方のローダも、局面により4DFと3DFを切替ながら抵抗するが、うまくいかない。
 後半も半ばに入り、そろそろ追加点が入らないとイヤな雰囲気になるのではないかと思われた時間帯、ヴィレムUは変化あふれるドリブルが武器のスーパーサブのジラーを投入。狙いはズバリ当たり、右から左にうまくボールを回し、ジラーが余裕を持った状態からゴールエリア、ゴールライン沿いまで切れ込んで、中央に低いボールを入れて、全くフリーとなったボタハが余裕を持ってこの日の2点目を決めた。
 以降もヴィレムUペースが続くが、40分過ぎにローダの交代で投入されたFWのユル・マトンドが、ペナルティエリア外から自棄気味?に打った無回転系のシュートが見事に枠を捉え、1点差。終盤、ローダはパワープレイから、ヴィレムUGKアエルツを脅かす場面を作ったものの、そのまま試合終了となった。何か、現状の順位がそのまま出た印象の試合。1万数千の地元サポータの歓喜を背に競技場を去る事となった。

 大昔にテレビでオランダの下位チームの映像を見た際には、割と長いボールで勝負するチームが多かった印象があったのだが、どうしてどうして。オランダ代表チーム同様、両軍とも丁寧にボールをつなぎ組み立てるサッカーだった。
 Jリーグと比較した印象としては、やはりこちらに一日の長があるなと思った事としては
(1)守備ラインに相当きついプレスがかかっても、センタバックが粘って、あまり長いボールに逃げない
(2)スライディングタックルの深さは相当
(3)敵陣タッチ沿いに巧くボールを持ち出すと、(それほどドリブルが得意な選手でなくても)取りあえずは仕掛ける
(4)もし仕掛け損ねても、DFとの間に身体をこじ入れ容易にはボールを奪取されないように工夫する
などが見受けられた。
 一方で、守備ラインの裏を狙うスルーパスを出せる選手や、鋭角に鋭いクロスを蹴る事のできる選手などは見受けられなかった。J1のチームには、必ずこのような変化技を持った選手がいるものなのだが(もちろんこれらの仕事をブラジル人に頼る場合も多いが、日本選手にも変化技を使う選手は結構いるものだ)。これは、オランダリーグではEU以外の選手を雇用する場合は30万ユーロ以上の年俸を払うと言うルールがあるので容易に南米から選手を連れて来られない事、海外を含めたトップクラブにオランダ産の格段な選手が取られてしまうなどの事情があるのだろうが。
 もう1つ。中盤をそれぞれマンツーマン気味に付く事を重視するためか、時々中盤のバランスが崩れ、唐突にフリーの選手ができて守備に穴が空くのには驚いた。これは(J2ではたまに見かけますが)今日のJ1では滅多に見かけない凡ミス。もっとも、勝ちに行かなければならない時にまでバランスを考えてしまう事が多い日本のトップレベル(に限らないような気もするが)と比較して、どちらがよいかは断定しかねるが。

 もちろん試合そのものをタップリと愉しんだのだが、加えて「この名門国から学べる事が無数にある」と言う当たり前の事を体感できた充実した一日だった。
posted by 武藤文雄 at 11:18| Comment(1) | TrackBack(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いやはや、武藤さんのサッカー同志の深さ広さに改めて感慨を覚えると同時に、
世界中にその地のサッカーがあることを改めて認識いたしました。
私なんかが言うのはあれですが、ほんとうに、観るプロでいらっしゃいます。
Posted by まるこう at 2008年11月13日 10:50
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