そして、あの終盤の猛攻時の、運動量と技巧の素晴らしさ。エスパルスDFがかろうじてクリアしたボールをセレッソが拾うと、すぐに森島がそのパスを受けられる位置に入り、猛攻を再開。しかも、ボールを受けた後の森島の展開は多岐に渡る。ボールが尹晶煥に届けば鋭いスルーパス、大久保に渡れば強引なドリブル、後方につなげば制空権を握った岡山への好クロス。そして、それらを経由したラストパスを受けるべく、ここしかないスペースに飛び込む森島。エスパルスのDFたちは、かろうじてクリアし、それが拾われて森島が受ける度に戦慄を覚えた事だろう。このシーズン半ばに、森島自身がオーバトレーニング症候群で倒れ、チームも不振に悩みJ2降格が決まっていた。その重苦しい雰囲気のチームが、堂々と決勝進出したのだった。エースの復活と共に。
そして、この小さな巨人の復活は、半年後の地元開催のワールドカップを控える我々にとって、とても大切な事だった。そして、この男は当然のように我々の期待に応えてくれたのは言うまでもない。上記引用のエントリで6ヶ月前にその活躍を言い当てた事は、今でも私の小さな自慢である。
チュニジア戦の後半20分、1億2千万国民の期待を一身に集め、森島がタッチライン際に立つ。横で口泡を飛ばすトルシェ氏。必ずや、我らが日本の宝は、期待に応えてくれるに違いない。もっとも、フィリップの方が20分ほど、私より気が早かったのだが。
1995年、当時JFLに所属していたセレッソ大阪が、Jリーグに昇格すると共に元日の天皇杯でも堂々の決勝進出を果たした。超強力な国産ストライカと共に70年代日本サッカーを席捲した関西の名門チームが鮮やかにトップリーグへ復活した訳だ。そして、このチームは20年前と同様に抜群のストライカを保有していた。サイズは格段に小さかったのだが。当時のセレッソ監督のパウロ・エミリオ氏は彼の事を「森島はセレッソの宝、日本の宝」と最高級に絶賛していた。
この時点で、森島の能力は格段のものがあった。ボールをもらう前のちょっとした動きの変化、正確に自分の得意足に持ち出すトラップ、その後の1歩目から使える深い切り返し、これらのプレイを支える抜群の運動量、そして日本の選手には珍しいシュートの巧さ。
当然のように、Jに昇格したシーズン、当時の代表監督加茂氏は森島を代表に選考した。もちろん、森島は代表デビュー早々から国際試合に通用した。ただし、その小柄で軽量な身体は、屈強な欧米のDFと戦う際にどうしてもハンディキャップとなった。ために、加茂氏は森島をMFで起用する事が多かった。ただし、これはこれで別な問題があった。挙動開始点がより後方になった分、敵陣に飛び込むために一層の長駆が必要になり、どうしても最後のシュートの精度に課題が残ったのだ。
もちろん、それでも代表でもセレッソでも森島の活躍は素晴らしかった。中でも私が忘れ難いのは、96年10月神戸ユニバー競技場で行われたチュニジア戦。森島は、前園真聖と共にボックス型の4−4−2の攻撃的MFに起用された。前半15分過ぎ、それまで両翼に開いていた森島と前園はスルスルと相互の距離を詰めペナルティエリアくらいの幅になったところで、パス交換を始めた。パススピード、角度、パス後の飛び出しの速さ、2人の能力は圧倒的で、森島がGKを引き付け右に開く前園にラストパスを出した時、前園は全くのフリーでゴールラインまで2,3m、そのままドリブルで得点してしまった。つまり、敵が12人いや13人いても、この2人のパス交換で得点できたのではないかと思わせるビューティフルゴールだったのだ。そして、この2人はこれからどんなにたくさんの歓喜を我々に提供してくれるのだろうか、と思わせてくれた。残念ながら相方が消えてしまいその思いは叶わなかったのだけれども。さらに言えば、6年後に同じ相手に森島がもっと凄い仕事を演じてくれるなど、当時は思いもしなかったのだが。
その格段の能力を持った森島だが、代表においては上記の課題を存分に解決できたとは言えず定位置を確保したとは言い難かった。特に98年フランス大会予選では、北澤豪や中田英寿の後塵を配し、出場機会は限定されていた。そして本大会でもクロアチア戦の勝負どころで交代起用されようとしたが、起用直前に日本がシュケルに先制点を許した事もあり存分な活躍はできなかった。
そのような森島が完全に「化けた」のは2000年J1前期の事だった。森島は上記の課題を解決したのだ。「抜群の運動量で敵を振り切る」と言う解で。豊富な運動量でボールを受ける時点でフリーになる事で最後のフィニッシュへの余力を残せるようになったのだ。冒頭の01−02年天皇杯決勝での活躍のように、その抜群の運動量が機能し始めるや、森島は全く止められない存在となった。
森島に率いられたセレッソは見事な戦い振りを見せ快進撃。前期制覇をほぼ手中にしたかに見えたのだが。
この活躍により、6月のフランス戦での活躍を皮切りにトルシェジャパンに定着した森島は、10月のアジアカップでは大活躍、超アジアレベルの活躍で優勝に貢献。そして、冒頭に述べたように01年の苦境を乗り越え、02年地元大会で我々に未曾有の歓喜を提供してくれた
もう何も言う事のない最高クラスの実績を残した森島だったのだが、唯一欠けていたのは国内タイトル。94−95年、01−02年、03−04年の天皇杯、00年上期と05年のJリーグ。5度もビッグタイトルを掴みかけながら、後一歩で涙を飲み続けたのだ。
しかし、これも前向きに考えたい。監督としてこれらのタイトルを獲得してくれればよいのだ。その厳しい道を選択しようとする森島に、改めて感謝の意を伝えたい。
ありがとう。
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後継者がなかなか現れないですね。
増田忠俊がモリシの更に上の段階に行くのではないか、と個人的には思っていたのですが・・・。
モリシが嫌いなサッカー好きはほとんどいないように思えます。これはかなり珍しい。まさしく「日本の宝」なのでしょう。
> モリシが嫌いなサッカー好きはほとんどいないように思えます
そうなんです。他サポが嫌悪しつつ、一目を置き、最後は好きにならずにはいられない存在でした。
寂しい、悲しい、です。
その気持ちを込めた、素人のアホな文章です。読み捨てで結構!上記アドレスをご覧ください。
本当に、本当に、失礼しました。
失礼しました。名前をポチッしてください。
人のブログに勝手におじゃまして、恥知らずでスミマセン。
97年のソウル韓国戦、翌日の金浦空港のゲート前でポツリと一人たたずむモリシを発見。誰もまったく気がつかず。これが彼のいいところ?
ストイコビッチのパスをダイレクトボレーで
決めたモリシ、震えました。
確かストイコビッチも、思い出に残るアシストだと言っていたと思うけれども、決めたモリシも本当にすごかった。お祭りといっても、私がみた日本人最高のプレーでした。
寂しい限りです。
真後ろからのボールをボレーで決める・・・
こないだの柳沢も凄かったですね
Jオールスター2000 PIXYアシスト・森島のダイレクトボレー
http://jp.youtube.com/watch?v=mF1Xjncc6xY
雨降りしきる中三ツ沢で観戦したFマリノスVSセレッソ戦での森島の活躍。
それを武藤さんに「森島は日本の宝」
と評されてとても嬉しかったです。
96年の対メキシコ戦で0-2から森島の大車輪の
活躍で3-2で逆転勝ちした日も忘れられません。
もう1つ記憶に残して欲しいのが
オールスター戦でストイコビッチがライン際から
センタリング。
DFブッフバルトの頭を越えて森島のヘディングシュート。
もうあの獅子奮迅の活躍が見れなくなるのが
とても寂しいです。