2008年11月15日

名波浩の全体視野

 98年6月14日フランスはトゥールーズ、我々は掛け値なしのワールドカップ初戦である対アルゼンチン戦を迎えた。直前の強化試合でチェコやユーゴスラビアに相応の戦いができていたものの、どこまで戦えるものなのか、不安は大きかった。
 けれども、試合が始まるやその不安は一層された。井原正巳が固める最終ラインの1つ前で、名波浩が落ち着いた読みを見せアルゼンチンの仕掛けを何とか押える。さらに名波はボールを持つや丹念な技巧で溜めを作って時間を稼ぎ、幾度か中田英寿に前を向いてプレイさせる事にも貢献した。(まだ1次リーグ初戦ゆえフル回転とは言えないアルゼンチンではあったが)とにかく日本は井原と中田と名波を軸に、何とか真っ当な中盤戦に持ち込む事に成功したのだ。
 続くクロアチア戦も、(クロアチアが引いてきた事もあったのだが)日本の中盤は名波を軸に存分に機能。名波のインタセプトを受けた中田のロングパスから中山雅史が抜け出す決定機も生まれた。
 この細身のテクニシャンは世界に通用するプレイを見せてくれたのだ。

 その約2年前、当時の代表監督加茂周氏は、名波、森島寛晃、前園真聖と若く優秀な攻撃的MFを多数抱えていた事もあり、名波をボランチに転向させると言う、誰もが予想しなかったコンバートを行った。清水商高時代から、名波は左足の技巧が抜群の選手として知られていたが、細身で繊細なタイプの選手。必ずしも「頑張る」「粘る」「強い」と言った概念からはほど遠い選手だったため、名波を中盤後方に起用する策は意外に思われたのだ。
 しかし、加茂氏の判断は正しかった。中盤後方に下がった名波は、守備面においても、持ち前の判断力のよさを活かし読みのよさを発揮し、さらには相応に当たりの強さも見せて貢献したのだ。
 もちろん、名波の本領は守備ではなく攻撃。後方に引いた事により、敵プレッシャが減じる事によってその技巧のよさを一層発揮するようになった。元々名波は右前方を向きながら身体を開いて左に出すインサイドキックのパスの速さが抜群だったのだが、この特技が中盤後方での展開の速さに直結し、日本代表の組立が格段に速さを増した。無論、溜めを作るもの巧い選手なだけに、スローテンポに落すのも得意なところ。さらに、精度の高かった左足のパスは、後方に引く事により射程距離が伸びてより効果的になり、特に時折見せるグラウンダでの3,40m級のスルーパスは、上記の振りの速さと合わせ、非常に強力な武器となった。加えて、後方から挙動を開始する事で、ドリブルで前進する際も自分の間合いが取りやすくなったのか、足は速くないもののサイドから押し上げてクロスを上げるタイミングの選択も一層効果的になるなど(時には右サイドにも上がり、左足のラボーナでラストパスを狙うなど)、プレイの幅も広がった。
 余談ながら、加茂氏はこの名波のコンバートの他に、木村和司をウィングFWから攻撃的MFに下げると言うコンバートも成功させている。言わば、日本サッカー史に残る大成功のコンバートを2例成功させている訳で、この点について、この人は日産時代の戦績を含め監督としては疑問符が多いが、やはり何かを持っている人だったと思う。

 そして、その名波の展開能力が世界に存分に通用する事が示されたのが、フランスワールドカップだったのだ。その後、名波は短い期間ながらセリエAのベネチアでプレイ。ここでは、体重の軽さによる当たりの弱さを酷評され、思うように実績を残せなかった。けれども、帰国後にはそのイタリアでの経験を存分に活かし、守備面での粘り強さが増したのみならず、緩急、強弱の変化が一層付けられるようになり、アジア最高峰のMFとして機能するようになった。
 2000年のアジアカップ制覇、あるいは2002年のJリーグ完全優勝(N−BOXなる名波の頭文字を冠するシステムが話題になった)などは、その名波の全盛期の成果と言えるだろう。
 日本サッカー史において、名波ほどピッチの全体視野を確保してプレイできる選手はいなかったのではないか(日本人と言う意味では晩年のラモスも同様の特長を持っていた。しかし、ラモスは全体視野を確保できるようになったのは30を過ぎてから、運動量が格段に落ちてからの事だった)。スタジアム上方から見ている我々にすら、思いつかないような展開の妙を幾度も見せてくれる、正に見ていて愉しい選手だった。

 その名波が遂に引退を決意したと言う。一昨期にはセレッソへ、昨期はヴェルディへそれぞれレンタル移籍し、今期久々にジュビロに戻ったが出場機会が相当減っていた。あれだけの全体視野を持っているだけに、活躍の場を下位リーグに移せばまだまだやれるように思うのだが、仕方がないのだろうか。
 名波は今後指導者を目指すと言う。そして、かほどの全体視野を確保する事ができた選手だからできる指導と言うものがあるのではないかと言う気がしてならないのだ。名波浩の今後を期待して見守っていきたい。
posted by 武藤文雄 at 22:44| Comment(4) | TrackBack(1) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いつも拝読させてもらってます。
サッカーと関係ないですが、非常に危険な法案(犬飼会長の秋春制シーズン以降よりも数倍危険)な法案が、まったく知らされないまま通過しようとしています。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/081115/stt0811150054000-n1.htm

まとめWIKIが現在見れないので、
http://blogs.yahoo.co.jp/takaakimitsuhashi/19961706.html
あたりを参考にしてください。

Posted by ロビー at 2008年11月16日 00:19
名波の身体を見ていた治療院の先生のblogから抜粋です

>僕が持っているカルテを見せたら、スポーツに理解のある人でしたら、全員が涙すると思います。
>もしかしたら、これだけの状況でプロの世界でプレーし続けてきた事を、非難する人が出るかも知れません。

本当に、もう無理だ、というところまでやりきっての引退なんですね。
2000年アジアカップ、ピッチ全体に君臨しつつも中村俊らを生かす裏方の仕事に徹する姿に、本物のリーダーとしての圧倒的な存在感を見ました。
2002年のあのチームでも名波を見たかったなあ。
Posted by at 2008年11月18日 08:59
↑ブログのアドレス教えて下さい。
Posted by at 2008年11月21日 21:43
上の方と同意見です。
2002年のあのチームで名波がゲームを支配していたら、と考えずにはいられません。
2000年アジアカップやハッサン2世杯の頃コンディションを維持できていれば。
たらればですが、夢想してしまいます。
彼の才能は間違いなく日本が生んだ最高峰のものでした。
そして、幾多の早熟の天才達とは違い彼は己の才能を開花させました。
それでも彼が生まれてくるのが5年遅ければ。
世界に出て十二分に活躍してくれたと信じて疑いません。
Posted by at 2008年11月23日 07:01
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Excerpt: サッカーの元日本代表で、Jリーグ1部(J1)磐田のMF名波浩(35)が14日、静岡県磐田市で記者会見し、「やりきったという気持ちが非常に強い。充実した14年間だった」と今季限りでの引退を正式に表明し...
Weblog: しなぷす
Tracked: 2008-11-16 01:47