2008年11月25日

史上最高の日本代表

 先日の2つエントリの続きです。

 フィリップ・トルシェ氏が率いた200年アジカッ代表チームを「史上最高の日本代表チーム」と評する向きは多いのではないかと思う。丸2年に渡り、長期の強化期間を提供されて、トルシェ氏がじっくりと鍛えた若手選手たちが、シドニー五輪でほぼ1つのチームとしてまとまりつつあった。複数の選手が連動し追い越す動きを軸とした攻撃、前線からのプレスと同期したフラット3の上下動による守備。そこに名波浩の加入により組立の変化が、森島寛晃の加入で敵陣前の変化が、それぞれ加わったのがこのチームだった。そして、その結果日本代表チームには珍しく「得点する事に苦労しない」と言うチームが出来上がった。思うに、カズが97年国立ウズベク戦の大爆発を最後に爆発しなくなって以降、久保が光り輝いた03年末から04年春先までの短い期間を除いて、「得点する事に苦労しない」日本代表はこの時だけだったように思う(いやアルゼンチンやブラジルを除けば、すべからく多くの代表チームが常にこの問題には苦労しているのだろうが)。
 左サイドでの名波と中村俊輔の超高速パス交換、さらにその後方からの服部のサポート。右サイドの森岡と明神の堅実な連動と、そこに飛んでくる名波か俊輔からのサイドチェンジ。敵の対応を見て、自らが中盤最後尾に引き、代わりに稲本を前進させる名波の判断。これらの中盤の変化の総指揮を名波が担っていた訳だ。
 名波率いる中盤の変化についていけない敵チームは、当然中盤戦を放棄して最終ラインを固めようとする。しかし、その敵守備陣の努力を無にするのが森島だった。俊輔の鋭角のクロス、名波の高低自在のスルーパス、松田、森岡、服部の常識的ながら精度の高い縦パス、これらを西澤と高原が身体を張って受ける。そして、最適の時と場所に、森島がすさまじいスピードで飛び込んでくる。これによって敵DF陣は面白いように崩れたのだ。この大会、森島は1点しか取っていないが、日本は森島の存在により、守備を固めようとする敵を面白いように崩す事ができたのだ。

 大会後、トルシェ氏も我々も有頂天だった。「我々は完全にアジアを超えた」と。
 しかも、このチームには中田英寿は参加していなかった(改めて中田英寿選手の代表試合出場選択基準を振り返ると、今日の「彼」の振る舞いを示唆していて感慨深いのだが)。また小野伸二は負傷明けで、僅かに交代出場していたに過ぎなかった。さらにこの2人が加入する事で、一層攻撃力が強化されるのではないかとの期待も大きかった。
 また、この大会日本は案外と失点が多かった。そのいくつかは簡単な連携ミスや個人的なミスによるものであり、比較的若い選手が多いだけに経験を積む事で一層の向上が期待できた。さらに、トルシェ氏は常にフラット3にこだわっていたが、選手の戦術能力が上がれば、敵に合わせて多様な守備戦術を取れるチームへの進歩の可能性があった。
 つまり、「アジアを超えたチーム」には、まだまだ伸び代があるようにも思えたのだ。そして、2年後の地元大会にはどのような魅惑的なチームを愉しむ事ができるか、夢は高まったものだった。

けれども、思惑通りに進まないのがサッカーの常。年明けて、フィリップが自信満々で迎えた母国はサンドゥニスタジアムでの世界チャンピオンのフランス戦、見事に我々の鼻高々はへし折られた。鼻がへし折られる事そのものは、サッカーの快感の1つに過ぎない。しかし、痛かったのは、この惨敗でトルシェ氏の腰がスッカリ引けてしまった事だ。この試合の直接敗因は、言い訳の余地ない楢崎と松田のミス、トルシェ氏の不可解な中盤構成にあった。したがって、アジアカップで素晴らしかったチームをいじり過ぎる必要はないと思われたのだが。
 しかし、母国にチンチンにやられたトルシェ氏の精神的衝撃は大きかったのだろう、以降は欧州の代表チームと戦うために、戸田、波戸、鈴木のようにフィジカルで対抗できる選手を重視し始める。さらに名波は膝の負傷などもあり、次第に氏に呼ばれなくなっていく。かくして、名波を軸とした「史上最高の日本代表」は消え去ってしまった。
 それでも、トルシェ氏はいささか地味に転じたチームを丹念に強化し、相応に強力なチームを作ってくれたのだから、文句を言うべきではないのかもしれないが。

 そして我が故郷で堪能したフィリップ最後の試合。リードを許し頑健に守備を固めた難敵に対し、名波不在の痛手を心底感じる事になった。終了直前、フィリップは最後の抵抗として森島を起用したのだが。
 叶いかけた夢と叶わなかった事実を味わえるのも、1つの歴史である。そして、2人が同時期に引退表明する事そのものが、何かしらの時代の変換点を示すのだろう。
posted by 武藤文雄 at 23:57| Comment(3) | TrackBack(1) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
その時代から,果たして日本代表は進歩しているのだろうか?
 失われた○年ってことになってないのだろうか?

 青メガネは似合わない。
Posted by at 2008年11月26日 00:24
その1
>いやアルゼンチンやブラジルを除けば、
>すべからく多くの代表チームが常に
>この問題には苦労しているのだろうが
まったくもってお説ごもっともですが、
わが国の文脈では日本だけが
「この問題には苦労」する
宿痾を抱えていることにされてしまう。
ちなみに、「すべて」の意味で
「すべからく」は使ってないですよねw

その2
クライフを、銭げばロボット呼ばわりした
バッティ氏のような気骨の持ち主が、
わが国にはやはりいないのだろうか?

その3
「史上最高の日本代表チーム」は、本当は
2006年にできるはずじゃなかったのか?
本人が説いたわけでもないお題目のために
この先何年迷い道クネクネを続けるのか?
ピッチの上のみならず
そこもふくめて批判しないと
真に批評たりえないのではないか?
Posted by at 2008年11月26日 01:59
いつも楽しく拝見しております。
少し意見をしてみたかったのでコメントいたします。
2000年日本代表、確かに強かったと思います。
その後の日本代表の得点力不足に、(特に2006年前後、)森島選手のようなスペースに走り込む選手の起用がみられませんでした。
森島選手の特徴は、ゴール前への出現の仕方と、ゴールの正確さ。
2006年以降、オシム監督は日本代表にスペースに走り込みシュートをうつ選手として羽生選手、山岸選手を投入しました.
しかしながら、2006年当時に比べると、格段に前線のバリエーションは増したと思いますが、決定力という点で若干の疑問が残った気がします。
現岡田代表で、この役割をする選手がやっと出てきたと小生は考えています.すなわち、田中達也選手です。
ウズベギスタン戦とカタール戦との違いは、彼の運動量およびゴール前での危険度が大きく作用したのではないかと考えております。
このままの状態で田中選手が労を惜しまず前線でのプレッシングに参加してくれるならば、日本代表はアジアで相当のチーム状態になるのではないでしょうか。
岡田監督のサッカーは今ひとつ小生には理解できず(多分相手によって戦術を変えている関係とおもいますが、)、もう一つ楽しめないのですが、田中達也選手を継続的に使うことが今後の日本代表にとって以前の森島選手、それ以上の底力になるのではないかとおもいますが、いかがでしょうか。(戦術好きのため、岡田監督の戦術についてもできれば言及お願いいたします。)
もちろん、以前貴ブログに記載があるごとく、名波選手の代わりに成長してきた長谷部選手(タイプは違いますが、)も代表にとって不可欠の存在になりつつある気がします。しかし、動かない(動けない)名波選手よりは現在の動ける長谷部選手の方が日本代表にとっては有用とも思われますが.
(昔は名波選手の華麗なパスが非常に好みだったということを申し添えておきます。)
Posted by yhira at 2008年11月26日 23:48
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