しかし、まあ44週も戦ってきて、どうしてこうなるのかねえ。もっとも、「あそこでもうちょっと勝ち点積み上げられていれば随分と楽だったのに」と言う思いばかりで、「あそこで奇跡的に勝てたからここまで残れた」と言う思いがしないのが、面白いところだが。きっと他クラブのサポータの皆様も同じ想いなのではないか。今頃、セレッソサポータの方はあの日の長居、ベルマーレサポータの方はあの日の平塚、それぞれのベガルタ戦を思い出し、悔しくて眠れぬ夜を過ごされている事だろう。
「そうだよ、勝負はあそこで決まっていたのだ」
と、大笑いをできずに、最終節前夜を迎える事ができるのが、また味わい深い。
この日の緊張感を味わえないモンテディオやサンフレッチェの寂しさを考えると本当にお気の毒に思う...くそ〜〜〜ぅ。
そして、飲みながら明日にこうやって思いをはせる事ができるのも、「我々がJを所有している」からなのだ。
そう、昔Jはなかったのだ。もちろん、私には日本代表はあった。でも、あくまでも代表は非日常の世界、総合国力の世界だ(これはこれで愉しい)。でも、ベガルタは違う。足りない予算と歴史と知恵、豊富なサポータと負債。これらのアンバランスゾーンを抱えながら、毎週毎週、悲嘆し、絶叫し、絶望し、歓喜する世界なのだ。
以前、野球もサッカーも両方愉しむ友人2人と飲んでいた時、面白い指摘をされた事がある。
「サッカーの人たちって、チームに対して、ものすごい当事者意識を持っているのですよね。」
そう指摘されるまで、あまりに当たり前の事なので考えた事もなかった。でも、そうだよね。ベガルタの選手は皆私の所有物なのだ。きっと他のクラブのサポータの皆様もそうでしょう。そう、我々のクラブは我々そのものなのだ(うん、山本浩だな)。
以前述べた事があるが、今高校生の私の娘にとって、Jリーグは生まれた時から「そこにあった」存在。言い換えれば、若い方々は生まれついて「所有欲」を持ちながら、サッカーを堪能できる訳だ。これはこれで私の知らない世界だ。ある程度年をとってから、この最高の玩具を手にできた私はとても幸せだ。でも、生まれついて、この最高の玩具と共に育まれてきた若者はまた別に幸せなのに違いない。つまり、Jさえあれば、皆幸せなのだけれども。
そして、この幸せをより多くの人々に持ってもらう事が「ブラジル、アルゼンチン超え」を実現する1つの手段となる。そのためには、Jのクラブはまだまだ足りないのだ。
と言う事でベガルタサポータの皆様、明日はよろしく。8日後、場所はどこになるかわかりませんが、狂喜乱舞のドンチャン騒ぎをご一緒に。
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ドーハの時、あちこちから出てきた「負けてよかった」に通じるものを感じる。
「アルゼンチン、ブラジル超え」のためには、こういう風潮も変えていくべきでしょうね。
(明日・明後日が楽しみ!)
仕事の都合がついたので仙台に弾丸帰省中です。
前回の昇格時、たしかにわれわれは2年で出戻る羽目とはなりました。それでも03年11月29日の甘美な絶望が味わえたのも08年12月4日の眠れない晩を味わえたのも、一度J1の舞台を知ってしまったからなのは覚えておこう。
では、戦場へ行ってきます。
今回は、その地でベガルタを応援されている事は嬉しい出来事ですね。
仙台での応援、ありがとうございました。
実家にて気分のよい朝を迎えています。敬太のシュートは決めさせてあげたかったなあ。
静岡在住の私にとって、ヤマハスタジアムへの参戦は余裕綽綽。早速今日十時から発売の「入れ替わり」第二戦のチケットを買わなければ!
チケット難民が多数発生しております。
良い情報がありましたら、武藤さん宛てにご一報くださいませ。
宜しくお願いいたします。
> チケット難民
そうなんですよねえ。私もアウェイ自由は買えず、アウェイ指定を購入しました(ちなみに仙台のファミマです)。今は静岡に戻っていますので地元でのチケット情報を収集してみようかと思います。