その後、87−88年シーズンにはJSLを初制覇。ちなみにその初優勝を決めた時の相手はマツダ(現サンフレッチェ)、マツダの監督は何とハンス・オフト氏だった。そして80年代後半から90年代前半にかけて、ヤマハは読売(現ヴェルディ)、日産(現マリノス)に次ぐ強豪として、日本サッカー界を彩る存在だった。
ところがJリーグ結成時に、ヤマハは参加を許されなかった。この件はこちらに詳しく書いた事があるのでよろしければ、ヤマハのより詳しい歴史もあります。言い換えれば、Jリーグ初年度はジュビロ(ヤマハ)不在だったのだから、国内最強クラブの結集とは言えないリーグ戦だったとも言えるのだ。
その後、実力どおりにJ参入が認められたジュビロが、中山、名波、ドゥンガのような名選手を揃え、見事な攻撃的サッカーを披露して幾度も国内制覇に成功した事、そしてついにはアジアチャンピオンを奪回してくれた事などの栄光は、皆様ご存知の通り。
我々が明日戦うクラブは、大変な歴史を誇るクラブなのだ。
明日は友人達を乗せ、自分の車でヤマハスタジアムに向かう。
何か懐かしい。昔JSLを観るためによく通ったスタジアムだからだ。以前述べた事があるが、JSL初制覇時はたまたま近隣に在住していた事もあり、幾試合も観戦した。いやそれ以外にも、現在の居住地から2、3時間で到着できるため、子どもができる前はよく休日に試合観戦がてら妻と再三ドライブで向かった競技場でもある。そして、このような愉しい思い出もある。
そして何より頻繁にヤマハスタジアム(当時は東山競技場)に通っていた頃は、故郷にJのクラブができて、このような状況で戦う機会が訪れるなど思いもしなかった。まして、我がクラブが、中山雅史が「仙台を倒すために頑張る」と絶叫する立場になれるなど。
考えてみれば、1−1と言うスコアは我々にとって相当よい結果だ。以前も述べたが、オプションをそう持たない我々は、梁を軸に攻撃的に戦うしかないのだから。3点差でもつけていれば別だが、1点差でのリードや0−0よりも、よほど自分たちのサッカーができるのだし。
この偉大な歴史を持つクラブに4回目の2部リーグでの生活を提供する事こそ、我々が彼らに提供できる最大限の敬意なのだ。
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どんな形でもいいです
最後にピッチ&スタジアムで ベガルタの選手&サポが
勝利の雄叫びを上げていることを 信じています
伏兵一致団結すればしゃ、
タレント軍団の重装守備ぬも
ほころびが生まれでしゃ、
本丸陥落のゴールも見えで
くるんでねーのすかね。
先ずは、香車駒野ぬ狂犬の一槍