2008年12月12日

尊敬すべき難敵に対して

 ジュビロの前身のヤマハが本格的にサッカーに取り組んだのは1970年代半ば。三菱(現レッズ)を引退し、故郷の静岡に帰った杉山隆一氏を監督に招聘し、積極的強化に転じた時だった。(今日でもトップリーグへのバイパス的ルートになっている)全国社会人選手権で、監督兼任選手としてプレイしていた大杉山がPK戦でPKを失敗し、短期間でのJSL昇格を逃すなど、ドラマを演じながら1980年にはJSL1部昇格。82年に2部に降格するも、(当時としては極めて珍しい試みである)外国人コーチを招聘するなど先駆的活動を行った。効果はたちまち発揮され、2部在籍ながら82−83年シーズンの天皇杯を制覇したのが、このクラブの最初のビッグタイトルだった。ハンス・オフト氏の日本における最初の大仕事でもあった。
 その後、87−88年シーズンにはJSLを初制覇。ちなみにその初優勝を決めた時の相手はマツダ(現サンフレッチェ)、マツダの監督は何とハンス・オフト氏だった。そして80年代後半から90年代前半にかけて、ヤマハは読売(現ヴェルディ)、日産(現マリノス)に次ぐ強豪として、日本サッカー界を彩る存在だった。
 ところがJリーグ結成時に、ヤマハは参加を許されなかった。この件はこちらに詳しく書いた事があるのでよろしければ、ヤマハのより詳しい歴史もあります。言い換えれば、Jリーグ初年度はジュビロ(ヤマハ)不在だったのだから、国内最強クラブの結集とは言えないリーグ戦だったとも言えるのだ。
 その後、実力どおりにJ参入が認められたジュビロが、中山、名波、ドゥンガのような名選手を揃え、見事な攻撃的サッカーを披露して幾度も国内制覇に成功した事、そしてついにはアジアチャンピオンを奪回してくれた事などの栄光は、皆様ご存知の通り。
 我々が明日戦うクラブは、大変な歴史を誇るクラブなのだ。

 明日は友人達を乗せ、自分の車でヤマハスタジアムに向かう。
 何か懐かしい。昔JSLを観るためによく通ったスタジアムだからだ。以前述べた事があるが、JSL初制覇時はたまたま近隣に在住していた事もあり、幾試合も観戦した。いやそれ以外にも、現在の居住地から2、3時間で到着できるため、子どもができる前はよく休日に試合観戦がてら妻と再三ドライブで向かった競技場でもある。そして、このような愉しい思い出もある。
 そして何より頻繁にヤマハスタジアム(当時は東山競技場)に通っていた頃は、故郷にJのクラブができて、このような状況で戦う機会が訪れるなど思いもしなかった。まして、我がクラブが、中山雅史が「仙台を倒すために頑張る」と絶叫する立場になれるなど。

 考えてみれば、1−1と言うスコアは我々にとって相当よい結果だ。以前も述べたが、オプションをそう持たない我々は、梁を軸に攻撃的に戦うしかないのだから。3点差でもつけていれば別だが、1点差でのリードや0−0よりも、よほど自分たちのサッカーができるのだし。
 この偉大な歴史を持つクラブに4回目の2部リーグでの生活を提供する事こそ、我々が彼らに提供できる最大限の敬意なのだ。
posted by 武藤文雄 at 18:46| Comment(3) | TrackBack(0) | Jリーグ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
いやぁ、剣闘士の戦いを見るローマ市民の気分だじゅ。
Posted by 源五郎 at 2008年12月12日 19:44
いやもう 火曜日あたりから 胃がシクシクと痛んで たまりません (涙&笑)

どんな形でもいいです
最後にピッチ&スタジアムで ベガルタの選手&サポが
勝利の雄叫びを上げていることを 信じています
Posted by とんとん at 2008年12月13日 08:23
共闘!!
伏兵一致団結すればしゃ、
タレント軍団の重装守備ぬも
ほころびが生まれでしゃ、
本丸陥落のゴールも見えで
くるんでねーのすかね。
先ずは、香車駒野ぬ狂犬の一槍
Posted by ベガ弐 at 2008年12月13日 10:22
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