2008年12月27日

いかにも「トヨタカップ」らしかった大会

 第1回トヨタカップは81年の2月。79−80年シーズンの欧州チャンピオンのノッティンガム・フォレストと、80年シーズンの南米王者のナショナル・モンテディオが戦った。同年12月に、ジーコのフラメンゴが、世界最強と呼ばれていたリバプールを粉砕した試合が行われた以降は、毎年12月に行われ、今大会で29回目。拡大化されてからは4回目となる。
 80年代は、日程に苦しむ欧州勢に対し、準備万端で臨むウルグアイやアルゼンチンの南米勢が、技巧レベルで上回りながらも見事な組織戦で守り、エースの一撃で勝つ試合が多かった。また、当時は欧州勢、南米勢ともに、11人満遍なく質の高い選手を抱えているとは限らないチームも多く、長所を活かしながら短所をカバーする監督のチーム戦術も見所だった。こう言った一連の試合は地味ながらも、娯楽として一級品だったのみならず、その駆け引きや戦術的な日本中のサッカー観を高めるものだった。
 一方でたまには、能力の高い選手を揃え連動性の高い攻撃サッカーを見せるチームも登場した。上記のジーコフラメンゴ、85年のアルヘンチノス・ジュニアーズとプラティニユベントス(今なお、私はこの試合がトヨタカップ史上最高の試合で、この時のアルヘンチノスが最も興奮するサッカーを見せてくれたと思っている)。F・バレーシが率いファン・バステン、ライカールト、マルディニ、グーリットらの歴史的スターを満載したACミラン。
 このACミランあたりから、欧州トップクラブへの好選手の偏在が進み始める。欧州の外国人選手の上限制限が大幅に緩和され、さらに欧州チャンピオンズ「カップ」が「リーグ」と名前を変え欧州各国の金満クラブの試合数が激増したからだ。南米勢が真っ当に戦闘能力で対抗できたのは、名将テレ・サンターナ氏が老トニーニョ・セレーゾ、若きカフー、レイナウド、ジュニーニョらを率い、クライフバルセロナとACミランを連破したあたりまでだった。以降は、欧州勢の圧倒的戦闘能力に、いかに南米勢が抵抗するかと言う大会になる。
 80年代の「戦闘能力優位のチームが敢えて守る」と、90年代半ば以降の「戦闘能力が劣るチームが工夫として守る」は、決定的に異なる。能動と受動、戦略と対応の相違。
 それでも「拡大化」以降ですら、サンパウロやインテルナショナルが、リバプールやバルセロナを屠るのだからサッカーは面白い。そして、今大会も「真っ当な抵抗そのものが難しいのではないか」と予測されたキトも、実に見事な抵抗を見せた(やや微妙な判定と思えるヴィディッチの退場も大きかったのだが)。いやもちろん、ガンバの抵抗も十分評価に値するものだったが。
 しかし、現実的に「世界選抜」風の欧州トップクラブと、自国の優秀な選手に外国人選手を補強したほか地域のトップクラブとの対戦は、あまりに戦闘能力に差があり過ぎるのもまた確か。ただでさえ差があるスターティングメンバだが、試合が進むに連れて交代選手の質量の厚みで、差がどんどん開いてくるのだから。もちろん、マンソの存在そのものは大変な驚きだったが(おそらく他国関係者には遠藤が驚きだったろうが)。

 などと考えると、今回の拡大トヨタカップは、結構「過去」を思い出させてくれる大会だった。
 決勝戦のユナイテッドの慎重極まりない戦い方。ヴィディッチの退場と言う不運があり後半は一層「慎重」になるのは仕方がない部分もあった。しかし、前半から後方に人数を残し、ほとんど無理をせずに戦うのには驚いた。まあ、C・ロナウドとルーニーとテベスの錯綜する動きだけで結構崩せると言う事もあるだろうが。そして後半1人減った後も、運動量を増やしダイナミックなサッカーで人数をカバーするような無理はせずに、安全重視で戦い、ルーニーの個人技で奪った1点を確実に守って時計を進めた。この「慎重」さには、80年代の南米チームを思い起こしたのだ(全くの余談だが、赤いジャージを来て「マンユ〜」と応援していた人々が、あのような「慎重さ」に終始して1−0でまとめた試合に、不平不満を述べずに歓声を送っていたのは不思議だった、彼らは「物凄く強いスーパーチーム」を見に来たのではないのだろうか、まあ他人事だからどうだっていいけれど)。
 また、ユナイテッドがらみを除く試合は、同レベルの戦い。いずれのチームも、いくばくかの弱点を抱えていた。例えば、ガンバ−パチューカ戦。ガンバのCBが裏を取られる弱点がある事は我々はよく知っているが、一方でパチューカのCBも横への揺さぶりに弱点があった。この試合、両チームはそれぞれボール回しの良さ(それも日本風の人数をかけた回しと、メキシコ風の局地戦とサイドチェンジの組み合わせによる回しは、それぞれ個性があって面白い)を活かしながら、敵の弱点を突く攻撃を狙っていた。揺さぶり切って先制したガンバが逃げ切った試合だったが、とても面白い試合だった。いや、この試合の他でも、長所を前面に出し、短所をカバーする駆け引きがとても愉しめる大会だった。これはこれで、やはり80年代のトヨタカップを思い起こした。
 結局真剣なタイトルマッチの試合って、多くはこうなるのだろうなと。

 拡大トヨタカップが日本を去る。2年間のUAE開催後にまた戻ってくるとの話だが、寂しい話だ。他人事ながらUAEで本当に観客が多数入るのかを含め。
 ただし、「世界クラブ選手権」である以上は一ヶ国独占開催が叶わないのも仕方がない事か。これまでが幸せ過ぎたと言う事だろう。最後の大会も素晴らしかったし、過去の思い出を振り返るだけで、十分に愉しめるのだし。
posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(2) | TrackBack(1) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>全くの余談だが、赤いジャージを来て「マンユ〜」と応援していた人々が、あのような「慎重さ」に終始して1−0でまとめた試合に、不平不満を述べずに歓声を送っていたのは不思議だった、彼らは「物凄く強いスーパーチーム」を見に来たのではないのだろうか、まあ他人事だからどうだっていいけれど

そいつらサッカーの見方知らない人たちだからw
武藤さんにとって「他人」ですよ。
Posted by at 2008年12月31日 01:51
海外サッカーファンにも2層いるのですよ
不平不満を述べている人も相当数います
Posted by at 2008年12月31日 18:14
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