世界中の普通のおじさん、お兄さんの幼少時代、若者時代のサッカーとの触れ合いをまとめた小編集。エルゴラッソ連載「世界のサッカー風景」に加筆修正を加えたものだ。
エルゴラッソの連載時は、1人1人の間抜け振りをニヤリと愉しむのが常だったこのシリーズ。25人のサッカー狂がまとまって攻撃をしてくる本書における印象は全く異なったものに感じられた。一言で語ろうとすると、世界中のサッカー狂がまとまって、共感を求めてくる印象なのだ。
そう共感。とにかく共感させられる本だ。この本に後から後から登場するオジサンは、みんな俺ではないか。
猛獣がたむろするサバンナをおんぼろバスで敵地に応援に向かう連中。
奥さんが娘さんに「敵」のチームカラーの服を着せると激怒する奴。
ワールドカップのプレイオフで敗れ涙を流しながら四半時黙り込んでしまう男達。
愛するクラブの事ならば何でも知っているじいさん
特別休暇を賭けて猛特訓に励む軍人達
年長の兄と同じチームで戦う事を目指しありとあらゆる抵抗を試みる幼児
ベリーダンスもサッカーも真似をして覚えていくものだと語る親父
雪上サッカーこそ足腰を鍛えるのだと語る研究者
みんな見事なまでのサッカー狂。そして、それぞれが一流の球蹴りを目指しつつも、叶わなかった夢を己のチームに託し、最も愉しかった頃を遠い目で語っている。文化も宗教も教育も経済状況も全く異なる俺達なのに、どうしてみんな似たような振る舞いをするのだろうか。ある意味でサッカーの本質を考え直させてくれる小著だ。
以上はサッカー狂向けの話。
ついでに戯言を。
本業で異国の方々と一緒に仕事をしている度に感じるのだが、インタネットの発達と国際分業の推進により、世界は本当に小さなものになった。
昨今の異様な経済不況も、世界が一体化したが故の事態と解釈できる。再三マスコミをにぎわす「合衆国発の経済危機」くらい事態を見誤らせる表現はないと思っている。この不況の主要因が合衆国であるのは間違いないが、日本も中国も中東諸国も欧州各国も相応に関与してのこの事態なのだ。そして、もはや異国との交流なしに我々の生活は成立しない。誰もがある程度の国際感覚を身につけるべき時代になっていると言うのは言い過ぎだろうか。
本書はそんな時代に格好なの一冊に思える。下手な人文科学者の国際文化論を読むよりも、本書を通して異文化を眺める方が格段に実用的に思うのだが。
2009年01月31日
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何か具体例でもあるのですか?
本書評の文脈を全く理解しようともしないままアラばっかり探してて空しくないですか?www
バカみたい