2009年02月07日

「個」と言う単語の使い方

 昨年末に10大ニュースをまとめた。複数の友人から、そのうちの
3.ワールドユース出場失敗
 大変残念。しかし、ここまでの連続出場そのものが見事だったのであり、負けた事は仕方がない。ワールドカップ予選に負けた訳でもないのだし。重要な事はいかに反省し次に備えるかであろう。
 心配なのは、日本協会の強化筋から「強烈な反省」が聞こえてこない事。たまたま昨日の読売新聞に布氏の発言が掲載されていた(高校サッカー展望を兼ねて)が、相変わらず「日本は個が弱い」と言う抽象的内容。だいたい、A代表を見ていても、他のアジア諸国に中澤、遠藤、中村俊輔より「個」が優れた選手には、ほとんどお目にかかれないのだが、具体的に「日本選手の何が『個』で劣っているのか」語ってくれないものか。
について、「『個』の議論について、もう少し詳しく語れ」と突っ込まれた。今日はそのあたりの講釈を。
 以降は布氏に対するイヤミの羅列になる。ただし誤解されては困るが、私は布氏を尊敬しているし、過去の業績は素晴らしいものがあると評価しているし、今後も氏は日本サッカー強化に相当な貢献をしてくれると予想し期待している。ただ、新聞の小さなインタビューだが、日本の若年層指導のトップの発言が、「個」と言う単語を不適切に用い誤解を招きかねない事への危惧からのイヤミと理解していただきたい。
 まず布氏が語った原本は、こちら。さらに「個」を語ったところをそっくりと引用させていただく。
 ――11月のU―19(19歳以下)アジア選手権で、日本はU―20W杯の出場権を8大会ぶりに逃した
 これまでもギリギリの戦いだったが、敗退で日本全体が抱える課題が明らかになった。組織力を長所としてきたが、北朝鮮、韓国、中国などは同等の組織力がある。中堅も確実にレベルアップした。もう組織力は日本の強みではない。
 これからは「個」を伸ばさないと対抗できない。ボールを持った「オン」の動き、「オフ」の両方が必要。「利き足は上手でも、逆の足は駄目」「攻撃は好きでも守備はできない」など片面だけでは通用しない。
 ――「個」を伸ばすために必要な試みとは
 小学生年代からの積み上げだ。小学生で身のこなしと技術、中学年代でボールを使いながらの持久力。高校年代では技術のスピードや質を磨く。特にスピードの爆発力を高めることが大切だ。地域を巻き込んで中学年代から一貫指導することもテーマになる。

 「『個』が劣る」事について、上記の布氏の発言を素直に理解するのは難しい。文章をそのまま読むと
(1)日本は元々北朝鮮、中国、韓国より元々「個」が劣っていた。
(2)しかし、「組織力」でそれをカバーしていた。
(3)上記3国は、「組織力」が向上し日本に追いついたから、日本は負けた
と言わんばかりの論理攻勢である。
 大体韓国と言う日本、豪州、サウジ、イランらと並ぶアジア最強国と、中国、北朝鮮を同列に議論している乱暴さが無茶苦茶だ。両国とも、アジアのトップとはとてもではないが言えない国だ。韓国人の方がこれを読んだら「失礼な」と激怒するか、「しめしめ日本の若年層指導者はサッカーを理解していないな」と思う事だろう。
 実際、中国、北朝鮮と比べ、選手の「個人能力」で劣った試合など、少なくとも私はいずれの年齢層でもここ15年間見た事がない。もちろん、両国の選手が(特に若年層の大会で)肉体能力面で日本の選手よりも優れていた事はある(それでも、判断力や技巧では常に当方が圧倒していた)。さらに、大人になり当方の選手がフィジカルでも負けなくなると、両国を圧倒するのが常だった(ただし最近北朝鮮は、在日挑戦人選手を含め判断のよいタレントが結構出てきており苦戦をする事例はあるが)。
 さらに言えば今回敗北したユースチームは、ワールドジュニアユースに出場した年代であり、当時の予選、本戦での奮闘振りを見る限り、その時点で格段に「個人能力」が劣っていたとは思えない。
 あくまでも想像だが、布氏は、「個」と言う単語を「肉体能力(フィジカル面)」と「欠点の無さ」と言う意味で使っているのではないか。これならば、氏の話は非常に論理的に理解できる。つまり「アジアの若年層の大会で、従来フィジカル面で劣勢だったが、組織力で他国を圧する事ができた。他国がその面で追いついてきたから負けた。」「その対策のためには、できるだけ多くの選手を一環指導で育成し、早い段階で肉体的にも他国に負けず、欠点の少ない選手を育成すべき。」と言いたいのではないか。これならば、理屈が通った分析になる(それが的を射ているかどうかにも異論はあるが、それは今日の本題ではない)。ね、そうですよね、布さん、某国のように、「でかくて足が速くて、ボールではなくて相手を蹴る選手」を理想にしている訳ではないですよね。

 しかし、一般の日本人にとって「個」とはそのような意味で使われる単語だろうか。私にはそうは思えない。一般的にはサッカー選手としての「個人能力」、具体的には技巧や判断力などを含めた総合能力(もちろん「肉体能力」も「欠点の無さ」も含まれるだろうが)を指すのではないか。さらには、他の選手より秀でた特長と言う意味が加わるだろうか。たとえば、「マンチェスター・ユナイテッドの選手とガンバの選手では『個』に差があった」ならばしっくりくるけれども。影響力の大きい人だけに、言葉の選択には慎重になって欲しい。
 いや、サッカーで薀蓄を垂れる私のような野次馬も、言葉の選択には神経を使うべきだな、自戒として。

 もっとも、布氏は「個」と言う単語を特殊に用いているだけでまだ罪は少ないように思う。氏の上司は別な大会の総括で、おそらく私と同じ意味で「個」と言う単語を用いていた。このような分析にもなっていない言い訳は見苦しいだけだが。
posted by 武藤文雄 at 23:50| Comment(8) | TrackBack(0) | 若年層 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「個」は、おそらくトルシエが代表監督になったころからサッカー用語の中に入って来て、そして「一人歩き」し始めた言葉じゃないでしょうか。
トルシエは日本代表の監督になって、その「個」がブルキナファソや南アフリカの「個」と違うことを強く意識したと言いますが、それを伝え聞いた日本人がそこから想像した「個」はおそらくトルシエの意識の中にある「個」とは違ったものだったと思います。
トルシエの中にあった「個」とジーコの中にイメージとしてあった「個」はまたちがうものだと思いますし、オシムが日本を日本化すると宣言した時イメージしていた「個」も、また違うものかもしれませんが、それでもその「個」はヨーロッパの文脈のなかの「個」であって、それが何かは、それを肌で感じている一部の海外組の選手か、日本で育ちながらも生まれながらに「個」を持った選手にしか共感できなかっただろうと思います。

おそらく、「個」を布氏のように理解し、また使っている人は多いと思います。また、田島氏がそうかどうかは短い飛ばし記事だけではわからないにしても、「個」を集団を構成する粒子のように単純化してそれ以上考えないようにしている人も多いような気がします。共産主義の北朝鮮や中国に「個」なんかない、と言う人もいるでしょうし、「我」と「個」がどこまでかぶる概念なのかたいして意識もせずに使っている人も多いでしょう。
現状では「個」ということばは、日本的な文脈にひっぱられてなんのことやらわからなくなっているような気がします。
「個」が文脈によっていろいろな使われ方をすること自体はかまわないと思いますが、ここらで「サッカーにとって個とは何か」にはコンセンサスをつくる必要がありますね。
武藤さんの「個」の定義は何ですか?
Posted by 神社米価 at 2009年02月08日 09:53
U19はどう見ても監督のチーム作りに問題があったので
選手の責任にしようとしてるのが見え見えなんだけれども
U17世代も入ったメンバーであの糞サッカーは無いわw

今回ばかりは選手のせいじゃなくて監督の責任が大きかったですね。
五輪も監督が迷走したのが大きな原因だし、川淵が変な前例作ったから
その子飼いも真似して批判される場そのものから逃げるなんて
馬鹿な事を平気でやるようになってしまった。

布さんのU16チームはメンタルが弱かったとか言い訳してましたが
相手の体格をどうかわしていくかの対策は取れてなかったし
監督の能力を査定しないで選手を責めるのはいいがげん止めて欲しい。
まともなパスワークもできないチームがクラブユースにありますかね?
これもよくコンディションのせいにされてますがw
Posted by at 2009年02月08日 21:00
十数年前のサッカーダイジェストに当時のU-17代表監督が大会終了後の総括を語り下ろした記事が載っていた事を思い出しました。
曰く「このチームの選手達は個人能力ではアジアの中でも中位ぐらい」だそうで。
後に黄金世代と呼ばれた選手達なんですけどね。
若年層指導者の方達には私のような素人には読み取れない個人能力の尺度があるんでしょうか。
Posted by fs at 2009年02月08日 21:28
重箱っぽくでまことにすみませんが、言葉の問題なので。「論理攻勢」→「論理構成」、「在日挑戦人」→「在日朝鮮人」かと思います。
Posted by sonodam at 2009年02月09日 02:31
「日本人の解説者、指導者は最初に「個」という言葉を使いたがるようです。
真実は、日本のサッカーが弱かったから負けたのであって、
個が負けたかどうかはその次のことでしょう。
いろいろな方々のブログ、コラムを読ませていただいて思うのですが、集団スポーツのサッカーをその方もまず個から見ていいこうとする傾向が強いと思います。
また
組織力は同等になったから個の力の差が出たという論理は元々おかしいと思います。
組織力には無限の成長が可能でしょう。
日本はもう上限いっぱいの組織力になっていたとでもおごっているのでしょうか。
そう思っているとしたら、指導者として適性があるのでしょうか。
Posted by ゲルトが好き at 2009年02月09日 09:25
実は「個の力」を指摘した指導者は他にもいます。
アテネ五輪時の女子代表監督だった上田さん。
退任時に「今の日本の選手の力じゃこれ以上は無理だから、
一人ひとりの選手をレベルアップしなきゃ駄目ですよ」
といった類のことを仰っています。今の女子代表は
上田さんが敷いたレールの上をひた走っていて、
その上で仕上がったのが北京五輪の女子代表チームです。
個人的にも一番変わったのは個々の選手が持つ力の
部分だと思います。

アテネと北京の女子代表チームを比較すれば、協会の
指導者達が描いている「個」のイメージは推測できるのでは
ないかと。協会内では強化の道筋にある程度合意が出来ていて、
だからこそ山本昌邦さんが「これだよ!日本はこれが
やりたいんだよ!」という感じで興奮していたのでしょう。
#興奮してないで現場で選手鍛えろよ昌邦…という突っ込みは置いといて。

おそらく、協会内のイメージと武藤さんのイメージには
相違ないと思いますよ。
Posted by masuda at 2009年02月09日 13:51
ちょっと視線はずれますが、今回のU-19がアジア予選を突破できなかったことに対して、皆様の意見が厳しすぎることに少々危惧を感じています。もう少しおおらかな目で選手達を見ていないと、彼らは本当につぶれてしまうのでは・・・
予選リーグでの彼らの戦いは本当に立派でした。ただ、運の悪いことに、ユース世代で最も相性の悪い韓国と準々決勝で当たったことが全てだったと・・・予選リーグでかなりの体力を使い果たした上で天敵との対戦。確かに完敗だったけど、それは結果論であって、個々の潜在能力は他の世代に比べても引けをとらないのは疑う余地がない。それに対して、外から危機感を煽ることによって彼らが自信をなくすのが最も怖いことだと思います。

サッカーの勝敗には運が絡むことは皆さん承知の上、それでも結果だけを見ての批評には、最近少々辟易しています。

もっとも、先のフィンランド戦の様に、重箱の隅をつついてもなにかもの申すというのが、日本の典型的なサッカー通気質なのかもしれませんが・・・

駄文失礼しました。
Posted by 九州男児 at 2009年02月09日 20:52
個がどうとか言ってる奴が監督やって大丈夫か?
次のU-20
Posted by at 2009年02月12日 23:51
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