2009年09月25日

土井正三氏逝去

 読売巨人軍が9連覇した際の、セカンド、主に2番を務め土井正三氏が亡くなった。67歳だったそうだ。2年前だったろうか、病魔に冒されたために、車いすで東京ドームに登場した姿は衝撃的だったが、思うような回復は果たせなかったと言う事か。
 あの強かった9連覇時の巨人の中核選手が鬼籍に入ったと言うのは、やはり結構な衝撃。そう言う時代になったと言う事なのだろう。

 真剣に野球を見るようになったのは小学校の1、2年生の頃で、ちょうど9連覇の黎明期。したがって「野球と言うものは、巨人が優勝するものだ」と思い込んで見ていた世代と言う事になる。当時の少ない情報量の時代では、当然ながら熟知している野球選手も巨人の選手。したがって、セカンドと言うポジション、2番打者と言う打順は、土井正三のもの、あるいは土井のように小柄で技巧的な選手のものであると言う固定概念を持つ時代であった。もっとも、さすがに投手だけは、巨人のライバルとなる選手達、たとえば江夏豊、平松政次、安仁屋宗八、あるいは日本選手権で戦う足立光宏と言う面々の印象は強烈。もちろん、「恐怖の悪役」と言う立場ではあったが。

 指導者としての土井氏は、イチロー黎明期に一悶着、二悶着あったとの事で、必ずしも評価は高くない。あれだけ、知的に自分のプレイを持っていた人だけに管理者として、「超個性的」スーパースターの取り扱いだけを間違えたと言う事だろうか。あるいは、若い頃から、長嶋と王を見慣れていたので、この2人と比較して、イチローはそこまではすごくないタレント、と思い込んでしまったかのだろうか。しかし、だからと言って、選手土井正三の価値が下がるものではないのは言うまでもない。

 考えてみると、巨人の9連覇時と言うのは、選手の面々と言うのは、ほとんど変わっていない。ほぼ9年間に渡り、同じメンバで戦っていたのだ。捕手は森昌彦、内野は王貞治、土井正三、長嶋茂雄、黒江透修、外野は高田繁、柴田勳、末次利光(初期は国松彰)。だいたい投手陣も、ずっと堀内恒夫と高橋一三が軸だった(初期には城之内邦夫、末期には渡辺秀武も重要だったが)。これほど長期にわたり、固定メンバで戦えるチームと言うのは、やはり相当珍しいのではないかと思う。時代もよかったのだろうが、やはりメンバがすごかったのだと思う。
 だから、私にとっての野球って単純なのだよね。1番の柴田か高田が塁に出る。2番の土井か黒江が細工する。その後、王と長嶋がボカリと打ってたくさん点が入る、以上。
 そのようなつながりの中で、団体競技においては「土井のような選手」がチームをつなぎ、まとめる。と言うのは、自分自身の中での一種の固定概念のようになっているやに思う。だから、きっと私は明神が好きなのだ(あるいは今野でも啓太でも小椋でも、そして米本でもいいが、今野はちょっと派手すぎるかな)。

 ご冥福をお祈りします。
posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(3) | TrackBack(0) | サッカー外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
イチローが大リーグに行く時に通用しないと言っていた評論家、一般人、マスコミたち。
みなそれぞれに”人の見方”というものがあるんですね。
Posted by at 2009年09月28日 11:25
自分が明神を好きな理由も、多分同じような感じです。そして、そういうタイプの選手を高く評価する監督のサッカーが好きですね。
Posted by kettsu at 2009年09月28日 12:44
イチローがそこまで以上にすごい素質を持っていることを見抜いていたからこそ、技術だけではない様々なことを叩き込むために二軍で揉んだ様ですよ。
氏の死に際しての発言からもイチロー自身もそれを理解している様ですし。
Posted by co at 2009年10月12日 22:39
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