2006年12月06日

戸塚哲也

エルゴラッソに2006年12月に書いた戸塚哲也の想い出です。この後、戸塚氏は岐阜をJ2に昇格させるのに成功。さらに翌年はびわこ、翌々年は町田を、それぞれJ2に昇格させる事になります。現役時代の戸塚氏は、技巧に優れたMFとしてデビューしたのですが、いわゆるCFとしても活躍。最前線の選手にはスピードや強さも大事ですが、技術も重要だと言う事を示す選手でした。
(2010年1月18日)



 多くのサポータに支えられ東海リーグから近い将来のJリーグ入りを狙うFC岐阜。地域リーグ決勝大会で2位に入り、JFL本田ロックとの入替戦に臨む事になった。その岐阜を率いる戸塚哲也監督は、80年代の日本サッカーをリードした読売クラブの攻撃の中核として幾多の好プレイを見せてくれた技巧的ストライカだった。
 84−85年シーズン天皇杯決勝は、読売対古河の対決となった。JSLを制覇し戦前優位が伝えられた読売だが、岡田武史と宮内聡を軸にした古河の守備をどうしても破れず、逆に古河の逆襲に悩まされる。そして迎えた後半半ば過ぎ、中盤後方に引いた川勝良一のロングパスを受けた戸塚は、吉田幌に厳しくマークされながらも、正確な技巧を活かした見事なターンで振り向くや否や強烈なシュートを叩き込み勝負を決めた。天皇杯の歴史に語り継がれるべきビューティフルゴールだった。
 戸塚は、同年齢のチームメート都並敏史と共に、読売ランドでジョージ与那城らの技巧を身近に見て育ったと言う。後に幾多の名手を生む読売ユース出身のはしり的な存在でJSLデビューは17歳の若さ。この頃の戸塚は、緩急に富んだドリブルから巧妙なスルーパスを通すのが巧い攻撃的MFだった。
 国際試合にデビューしたのは、80年に行われたスペインW杯予選。当時の川淵三郎代表監督は、中盤に技巧的な戸塚、金田喜稔、風間八宏の3人を並べ、従来はロングボールで俊足のFWを走らせる戦術が多かった日本代表とは一風異なるチームを作った。戸塚は川淵氏の後任の森孝慈監督からも中心選手として期待されるが、ロサンゼルス五輪予選を前に代表を辞退、他の中心選手とのサッカー観の違いが原因だったと言われた。
 一方で読売でのプレイは充実していた。与那城、ラモスとのコンビネーションが抜群で、この3人の高速パスワークによる中央突破がJSLを席巻。攻撃的MFから所謂センタフォワードにポジションを移したのも有効だった。細身で決して大柄ではない体躯だったが、敵ストッパに厳しくマークされても、正確にボールが扱えるため、中央突破のポストプレイヤとして非常に有効。そして、ボール扱いが良くて周囲がよく見えるため、敵の一瞬の隙をついての正確なシュートも冴え渡った。84年にはJSLの得点王にも輝いている。
 一方、日本代表は85年にメキシコW杯予選を戦っていた。そして森監督は最終予選の韓国戦を前に、戸塚を呼び戻す。さらに、この年早々に日本国籍を取得していた与那城も同時に代表に初召集された。木村の個人技、水沼の突破、原のヘディングと言った日本の攻撃に、与那城と戸塚のコンビプレイが加わる事が期待された。
 国立での第1戦戸塚はスタメン起用される。しかし日本は、守備の僅かなミスに付け込まれ、41分までに0−2とリードを許す。その直後、戸塚は敵ペナルティエリア近傍でいやらしいドリブルで韓国DFのファウルを誘う。木村の伝説的フリーキックを呼んだのは戸塚だったのだ。後半も好プレイを見せた戸塚だったが、日本は韓国の堅陣を破れない。終盤与那城が起用された時は、戸塚は俊足ウィングの平川弘と交代しもうフィールドにはいなかった。短い時間でよいから、この2人が同時に起用されていれば、と試合後再三語られたものだった。
 ソウルでの第2戦は、敵地ながら2点以上奪っての勝利が必要になった日本は、スタメンから与那城と木村が中盤に並び、戸塚、原、柱谷の3トップを組むと言う攻撃的布陣で臨んだ。しかし、守備的MFの西村昭宏を外した事で、かえってチームのバランスが崩れ、日本は完敗する。与那城、戸塚コンビも、韓国の落ち着いた守りの前に沈黙した。そして、この試合が戸塚の最後の代表戦となる。
 戸塚はその後も読売で活躍。90−91年シーズンには2度目の得点王に輝いている。両翼に武田、カズと言った若手のFWが配され、戸塚が後方に引いてできたスペースを用いて彼らが崩し、最後にゴール前に再進出した戸塚が得点を重ねた。さらに91−92年シーズン以降は、すっかり肉体が強くなり優
秀なストライカに化けてきたカズを巧みにフォロー。Jリーグの最初の公式戦となった92年ナビスコカップの決勝の清水戦、戸塚は自らが引いてできたスペースに走りこんだカズに見事なスルーパスを通し決勝点を演出した。その後は、V川崎での出場機会が減り、柏に移籍しMFとして老獪なプレイで活躍した後、選手生活を終えた。
 往時の戸塚のプレイを思い出す度に、FWの得点力不足が課題と言う日本において、敵の厳しいチェックに技術で対抗できる選手をMFでなくFWで試してみるのは、案外と意味のある事にも思うのだが。
posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 旧作 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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