まず何より梁勇基だ。大阪朝鮮高時代にインタハイにも出場、プロ入りを目指し阪南大に進み、ベガルタに加入し、国内屈指のMFに成長し、ついには北朝鮮代表にたどり着いた梁。決して多い分量ではないが、その経歴が要領よく描写されている。
そして、慎氏は梁から、(我々ベガルタサポータとしては)涙が出るようなコメントを引き出している。
「監督、チームメート、サポーター。それに仙台在住の在日の方々も本当によくしてくれてる。(中略)そういう方々の支えがあって、今の自分がある。だから、僕は”大阪の梁勇基”でもなければ、”在日の梁勇基”でもない。”仙台の梁勇基”というのが一番ピンときますね。」本書には多くの在日コリアンサッカー人が登場する。そして、彼らの中で自らのクラブに最も愛情を注いでくれているのは梁なのだ。我がクラブがこのような主将を抱いて戦う事ができる事を、本当に誇りに思う。
梁が採り上げられている部分は本書の僅かな部分でしかないが、上記のコメント周辺だけで、ベガルタサポータの必読書と言えるのではないか。
2番目に、「なぜ在日朝鮮人から、好選手が大量に登場するか?」と言う古くからの命題に対する慎氏なりの答が提示されている点。60年代から80年代にかけて、在日朝鮮蹴球団は「日本リーグのチームよりも強い国内最強の単独チーム」と言う伝説があった。同様に東京朝鮮高校を中心に各地の朝鮮高校もユース世代屈指の強豪と言われていた(いずれのチームも公式戦への道は閉ざされていたのだが)。最近も、鄭大世、安英学、そして梁勇基と言った北朝鮮代表選手ら、多くの国内トップ選手を大量に輩出している。それらの要因を明らかにするために慎氏は、金光浩氏(80年代の在日朝鮮蹴球団の名手、当時北朝鮮代表FWとして、86年メキシコワールドカップ予選では日本とも対戦、サンガの金成勇の父親)をはじめとする多くの在日コリアンサッカー人に取材をしている。そして、当時の精強振りの要因として、在日コリアンサッカー界が在日朝鮮蹴球団をトップにいわばピラミッドのような強化に成功していた事、日本社会に対するプライドから常に勝敗にこだわった事などを挙げている。
そして、慎氏はそれらの過去の栄光を述べた上で、在日コリアンサッカー界の未来の夢を、FCコリア(事実上の在日朝鮮蹴球団の後継チーム、現関東社会人リーグ1部所属)の代表兼監督の李清敬氏から引き出している。李清敬氏曰く
「J1やJ2はともかく、JFLに在日コリアンのチームがあってもおかしくはないでしょ?日本のビルバオになることがFCコリアの究極の目標です。」この在日コリアンサッカー人達の過去の把握や未来への希望は、日本サッカー界の未来を考えるときにも示唆に富む材料に思うのは私だけだろうか。
3つ目。日本国籍を選択した李忠成に関する肯定的な評価。330ページの本書だが、途中列伝的に様々な在日コリアンサッカー人が登場し、中盤以降読み続けながら、少々退屈な思いを抱いていた。ところが、最終章の李忠成のくだりまで到達すると、それら少々退屈に思った内容が本章の伏線となっている事が理解できた。
李忠成の選択について、在日コリアンの先輩たちは「未来への新たな選択」と、非常に前向きに捉えている。90年代に北朝鮮代表で活躍し、ジュビロでもプレイした事がある金鐘成氏の発言を複数引用する。
「いろいろ言われているけれど、チュンソンは”国籍や民族を捨てた”のではなく、”サッカーを選んだ”と思うのだよね。この国でサッカー人として生きていくことを選んだのだと。」さらに李忠成の父李鉄泰氏はこう語っている。
「彼と自分を置き換えたとき、僕はサッカーを選んでいないんだよね。僕は国籍を守り、組織(在日コリアンの社会、カッコ内は武藤注)の中で生きることを選んだ。(後略)。」
「歴史問題や民族の違いゆえに存在する、日本と在日の間の心の削り合いみたいなものはこれからも続くでしょう。でも、その心の削り合いをなくすことはできなくても、和らげることはできる。チュンソンはもちろん、今、Jリーグで活躍している在日の選手たちにはそういう役割を担ってほしいと心の底から思う。彼らがクラブのために頑張れば、それは日本サッカーのためになるし、在日のためになるはずだから。」著者の慎氏は、本書の中で拉致問題や核疑惑など、北朝鮮の政治問題に悩む自分にも言及している。そして慎氏を含めた本書に登場する在日コリアン達は、自分達の在日社会の将来も模索している。李忠成の選択は、彼らにとっても1つの回答なのだろう。
あまり政治的な事を語るつもりはない。けれども、在日コリアン選手のプレイは常に我々を愉しませてくれる。そして、彼らの葛藤を本書によって活字で学ぶ事で、その愉しみが一層奥深いものになるのは間違いない。