正直言って、こんな試合を見る機会が来るなんて、若い頃は考えもしなかった(う〜ん、最近この論調が多いな。でも、己の幸せを素直に喜ぼう)。
学生時代(だから約30年前です)、宮城県には公式戦ができる芝生のグラウンドがなかったのだ。だから、天皇杯県代表決定戦も、高校選手権の代表決定戦も、土のグラウンド(宮城野原県営サッカー場、宮城野原陸上競技場の横にあった、今は公園になっている)で行われていた。
在学中に、上記の陸上競技場改修時に芝が張られて、ようやく公式戦が可能な芝グラウンドが宮城県にも完成した。そのお披露目を兼ねて、82年のキリンカップ、フェイエノールト対シンガポール代表が行われたのも懐かしい思い出だ(ただし、フェイエノールトの大ベテラン、74年のクライフの同僚老ファン・ハネヘムは、この試合に欠場しガッカリ、ちなみにシンガポール代表には、後に欧州でプレイするファン・アーマドがいた、鋭い突破後にシュートまで仕事が続くよい選手だった)。
そんな状態だから、当時の宮城県のサッカー少年は、そもそも国内のトップレベルのプレイを見る事すら叶わなかったのだ。毎年のシーズンオフ、宮城県(東北)招待サッカーというイベントがあり、日本リーグのチームと宮城県出身のトップ選手(つまりだ、石井茂己とか、加藤久とか、鈴木淳とか)が対戦するのを観るのが、貴重な機会だった。
芝生問題は宮城県が最悪だったのだろうが、他の東北の県も、試合の質と言う意味では似たりよったりだったろう。いや、他の地方でも状況は似たようなものだっただろう。
考えてみれば、当時日本のサッカー界でトップレベルのプレイが、まともに見られたのは、関東、関西、東海、広島(東洋工業−マツダ)、北九州(新日鉄)くらいだったはず。そう言う時代だったのだ。
時代は変わった。全国津々浦々で、トップを目指すクラブが切磋琢磨する時代になった。それと、ワールドカップの上位を目指せるようになった事は、決して無関係ではないはず。
そして、明日はトップリーグで、モンテディオ対ベガルタを観ることができる。
私にとって、いや両クラブのサポータにとって、いや日本サッカーにとって大事件なのだ。今回のみちのくダービーの実現は、4年前のこの試合に続く快挙と言えるだろう。
余談。地方クラブの雄、東洋工業−マツダ−サンフレッチェは、現状では地域ダービーを戦う相手を所有できずにいる、ただしこのチームは70年代前半に永大産業とダービーマッチを戦っている、これが日本最古の地方でのトップリーグでのダービーマッチとなるのだろう。
未来永劫、トップリーグでの、みちのくダービーを愉しみ続けたい。しかし、現実は厳しい。お互い、J1残留のために、自分たちを除く3クラブの降格が必要。残念ながらお互いに、その3クラブに相方が入るのが、極めて現実的な回答となるのだから。
ともあれ、まだ前期の戦い、残留争いのための微細な勝ち点勘定はまだ不要な段階での対決となる。余計な事は考える必要はない。
勝つのだ。
たとえ、敵地でも勝つのだ。
何があっても勝つのだ。
ダービーとは、そのような試合なのだ。難しいことは何も考えない。目の前の宿敵を殲滅する事。
それが、人生50年近くで生まれて初めて経験できるトップリーグでのダービーマッチに向かう態度と言うものだろう。
繰り返そう。
勝つのだ。
次が宮スタでの対戦というのもなんともいずいというか良い感じはしませんが、倍返しを期待して
おります。