2010年10月20日

遠藤保仁とオシム爺さん

 ワールドカップについても語り切れていない事が無数にあるのに、日本代表はさらに見事な試合を積み重ねてくれるは、Jリーグは毎週おもしろいは、ユース代表は何とも言えない試合をしてくれるは、書きたい事ばかりが貯まっていく。(ユース代表の短期的結果は残念だったが、前線の優れたタレントを見た限りには、日本サッカーの将来は明るいと感じた)。さらには、ピッチ上の戦い以外にも、ヴェルディの存続問題、アルディージャの観客数水増し問題など、色々と講釈を垂れたい事が山積みだ。
 で、今日のところは、先日の日韓戦の講釈で最後の数行のみでしか称えられなかった、遠藤保仁の代表100試合出場について、語らせていただこう。

 ワールドカップ直前、私は遠藤の本大会での君臨を期待した文章をまとめた。そして、遠藤は期待通りにすばらしいプレイを見せ、中軸として世界中の人々に日本サッカーの質の高さ見せつけてくれた。そして、今回のアルゼンチン戦、韓国戦、ワールドカップの経験を積み上げた遠藤は、従来以上に質の高いプレイを改めて見せてくれた。
 A代表試合出場100試合、遠藤をここまでの選手になれたのは、何よりも本人の果てしない努力と、奥様、お子さん、ご両親、(サッカー界でも名高い)2人の兄上など周囲の方々の支えの賜物だろう。そして、桜島少年団、同中学校の指導者の方々、鹿児島実業の松澤先生、レシャック氏、エンゲルス氏、フィリップ、清水秀彦氏、加茂周氏と言った遠藤が仕えてきた人々の指導も大きかったのは当然だろう。もちろん、20代半ばから指示を受けている西野氏(しつこいですが、私はこの人嫌い、でも岡田氏、小林伸二氏と並ぶ日本3大監督である事は間違いないな)の影響も格段のものがあった事は間違いない。また、長い時間をかけて溜息の出るような連携を育んできた同世代のチームメートの明神、橋本、二川、ルーカス、加地、山口らの存在も忘れてはいけないだろう。

 それはそれとして。

 私は今日の遠藤の完成に、オシム爺さんが、とてもとても大きな寄与をしたように思えてならないのだ。そして、オシム爺さんが日本で行った最高の仕事の1つが、遠藤の完成だったようにすら思うのだ。

 まずはオシム爺さんの話から。
 我々がオシム爺さんから幾多の事を学び、爺さんが多くのものを残してくれた事は間違いない。
 ところが、オシム爺さんが育成した選手を思い起こすと、少々寂しい気持ちになる。と言うのは、ジェフ時代に爺さんの下でグッと成長した多くの選手が、氏の指導の下から去った後伸び悩んでいる(いた)からだ。具体的に名を挙げてみよう。村井、茶野、佐藤勇人、山岸、さらには若手で将来を嘱望された水本、水野もそうだ。代表の常連だった巻ですら、06年以降は今一歩だった。例外と言えるのは、阿部と羽生くらいではないか(ただし阿部はオシム爺さんと出会う前から、日本屈指の「素材」だったのだが)。今まで挙げてきた選手は皆ジェフ時代の選手だが、代表監督時代に完全な中心選手として抜擢した鈴木啓太も、氏が代表監督を去るとともに往時の冴えがなくなった例の1つに思う。
 「その監督の下のみで光彩を放った選手が多い」
 これは、その監督の指導力が格段である事を示す事は確かだ。けれども、その選手たちの本質的な能力を上げ切れなかったのではないか、と言うよくない評価にもつながりかねない。

 そこで遠藤である。ちょうど遠藤が、オシム爺さんの信頼厚く重要視され始めた頃に、それまでの遠藤の歴史についてこんな文章にまとめた事もある。そして、あの頃以降、遠藤は完全に日本の中心選手として抜群の能力を発揮するようになった。
 オシム爺さんも各種のインタビューなどで、「遠藤はもっと走れば、もっとよくなる」的な発言を繰り返した。そして、氏の薫陶もあったのだろう、それまでは中盤後方で良好な展開に終始する事が多かった遠藤だが、労働量は格段に増え前線にも飛び出すようになりプレイの幅は格段に広がって行った。
 そして、氏が不運な病魔に倒れ代表監督から去った後も、遠藤はガンバでも代表でも従来以上の圧倒的存在感を見せてくれるようになった。遠藤は爺さんの下を去っても、何ら冴えには変わりがなかったのだ。08年のガンバのアジア制覇、同年の拡大トヨタカップ、2年続けての天皇杯決勝での妙技、ついには、あの南アフリカ。そして、先日の代表2連戦。
 まあ1つの仮説に過ぎないが、オシム爺さんの高度極まりない要望を、自分のものとして完全に消化吸収し、さらに発展させるためには、遠藤級のサッカー能力が必要だったと言う事ではないだろうか。
 中盤後方から挙動を開始し、全軍の攻守を仕切る名手。たとえば00年アジアカップの名波は確かにすばらしかったが、トルシェ氏のチーム作りの修正があり、その君臨期間は短いものだった。04年のチェコ戦を究極に、2000年代前半の体調がよい時の小野は確かに見事だった。しかし、負傷も多く全軍の仕切りに成功した試合は案外と少ないまま、輝きを失っていった。中田英寿は「日本で最もよい選手」だった時期は非常に長かったが、個人的なうまさ強さを発揮する事は多くとも、攻守全ての中核、起点と言った活躍はそれほど頻繁には見せてくれなかった(06年で引退せずに、老獪な魅力が加われば、また違ったのかもしれないが)。
 彼らと比較して、遠藤は圧倒的な存在感を、長期に渡り維持している。そして、「ワールドカップで上位進出を賭けてもがく」と言う過酷かつ良好かつ最高の経験をする事で、一層格が上がった選手になった。

 今の遠藤を見るのは、本当に愉しい。
 たとえば、アルゼンチン戦、あのマスケラーノとカンビアッソが、遠藤が縦に差し込むボールを警戒し中盤後方でそれを止めるプレイを必死になって行っていた。さらにそれを見た遠藤は、以降は無理な縦狙いを止め後方でさばく事に専念、それでは攻めが行き詰まると言う事で横にいる長谷部に積極的前進をうながし、自らは強力なアルゼンチン攻撃陣を厳しく見張り、守備を固める策を選択していた。結果日本の攻守は実にうまく機能し、長谷部の強烈なミドルシュートがからんだ得点で、勝利した事は皆様ご記憶の通り。正に世界トップの相手に対し、このような創造的な組み立てができるのだから、恐れ入る。
 今後遠藤の体力は下り坂となり、従来ほどの運動量はなくなっていく事だろう。けれども、過去に最高の指導者の下、運動量を上げる事でプレイの幅を広げる事に成功し、それによってかつてない高みでプレイした経験は衰えるものではない。むしろ、研ぎ澄まされた経験から、格段の仕切りを見せてくれるのではないかと期待も高まる。日本サッカー史上、かつてなかった「中盤仕切り能力」の輝きを、今後どこまで堪能し続けられるのだろうか。アルゼンチン戦と韓国戦を見る限り、従来思っていた以上に長く、その愉しみを継続できるのではないかと。
 まずは中澤佑二と共に、井原正巳の記録を目指す事となる。

 バルカンの老名将と、桜島の名手兄弟の末弟の出会いは、日本サッカー界のみならず、世界のサッカー界にとっても、とても幸せな事だったのではないか。
posted by 武藤文雄 at 23:30| Comment(8) | TrackBack(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
爺ちゃんを敬愛する者の一人ですが、読んでいて涙が溜まっていき、最後の一文で決壊しました。遠藤は当時の合宿に参加しては、学んだとサッカー観が変わったと言ってくれてましたね。本当に“考えるサッカー”を体現していると思います。
感傷は似合わないブログと思いますが、ありがとうございました。
Posted by ワン at 2010年10月21日 02:11
遠藤と憲剛はブラジル大会まで“普通”に中盤を仕切ると思いますよ。
問題は、この2人に続く人材が薄い事ですね。
次世代で前線のタレントは豊富になってきましたが、
展開力ある若手ボランチとなると、なかなか厳しい現実が待ってます。

柏木に期待しますが、もうちょっと・・・という感じしますし。
Posted by やまぐち at 2010年10月21日 09:16
おお! 期待どおりの、期待以上の名講釈!
鹿実〜フリューゲルス入団から遠藤を見てきた者にとって本当に感懐深いコラム、ありがとうございます

オシム氏が代表監督に就任したとき、遠藤はとりあえず呼ぶけどすぐ代表から消えるだろう、的な雰囲気がメディアやネットの言説にあったと思います
でもオシム氏にもっとも信頼され重宝されていたのは遠藤でした
アジアカップ・対ベトナム戦(たぶん)で、遠藤―駒野─遠藤─駒野とサイドでつないで得点したときに、ベンチで大喜びしているオシム氏(これだよこれ!サッカーってこうやるんだよ、とか言っているようでしたね)が忘れられません
Posted by Dortmund06 at 2010年10月21日 10:13
いつも素晴らしい講釈ありがとうございます。
読みながら身震いしました。
サッカーに深い哲学をもった二人だからこその化学反応、そして今のスーパーサイヤ人的『エンドウ』が生まれたのでしょうか。
日本サッカー界としては彼に続く逸材を探し出し、育てることが急務かと思われます。
このような逸材は一朝一夕には育たないですからね。
遠藤も芽が出てここまで進化するのに何年もかかっています。
Posted by カレン at 2010年10月21日 20:51
『小野を中心とした、同世代相互成長促進作用』みたいなものの影響も大きいかと
Posted by 三浦カズ at 2010年10月21日 21:37
代表では遠藤−憲剛−啓太(長谷部)のトライアングルが相性良かったですね。
この四人は良い刺激をお互いに受けあって成長していったと思います。
ACで俊輔の当て馬として使われた遠藤がまさに覚醒という感じで
代表のコアに成長したのは、それまで「僕は守備の選手じゃない、走りたくない。」
と言っていた所から一段上がって、動いた方が面白いじゃん!という感じに
変わっていった所にあると思います。

TVでしか見てない人は相変わらず遠藤が動いていないと思ってるみたいですが
岡田さんに替わるちょっと前からずっと走行距離がチーム1、2位だったと思います。
今は長友がいるのでなかなか1位は取れないでしょがw
天才が走るようになると恐ろしい所を見せつけています。
ポジショニングが抜群に上手いという天分もありますが。

小野や俊輔はあまり走らなかった事でポジショニングが下手で
守備を免除されてきた事で24、5でやらなきゃ、って思っても
厳しく教えてくれる人はもう周りにいなかたのでしょう。
そうなると野球とかゴルフみたいに、個人コーチが必要ですしね。
不遇なときもありましたが、要所要所で良いコーチに
厳しく鍛えられたのが遠藤の幸運かもしれません。
Posted by   at 2010年10月21日 22:52
武藤さんの今回の記事を読んで、タイトルがなんとなく似ていたので以前に読んだ、とあるブロガーさんの記事のことを思い出した。

ガンバサポの方が書いた記事で、武藤さんと同じようにオシムと遠藤の興味深い関係性を分析されてました。

「イビチャ・オシムと遠藤保仁」
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/mimi-ga/article/94

遠藤には、様々な指導者に受けた経験を活かして、将来日本代表監督になってほしい。

ヤットJAPAN!?
Posted by しまうま太郎の息子 at 2010年10月22日 01:36
ここでもオシムの教えを実践する遠藤
「君たちはプロだ。休むのは引退してからで十分だ」http://bit.ly/9shVRm
【遠藤、アジア杯“熱望”】
「休みたい人は休めばいい」 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101023-00000021-spn-socc
Posted by vamo-vamos at 2010年10月23日 18:54
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