2010年10月28日

終盤のクローズ

 今日は今日で日本サッカーにとっては、忘れ難い日だ。まあ、身も蓋もない事を言ってしまえば、10月から11月にかけては、日程的に重要な国際試合が行われる年が多いからと言う事になるのだけれども。
 17年前のあの試合については、「終盤のクローズを誤った」典型例として語られる事が多い。今日は、その「終盤のクローズ」に関して講釈を垂れたい。

 まず、あの場面を改めて振り返りたい。右サイドでフリーになった武田修宏が、中央に入れた低いセンタリングがイラクDFにカットされ、逆襲を許しかける。しかし、それを森保一が見事に止め、横のラモスに。そのラモスが送った縦パスがカットされ、逆襲を許しCKとなったもの。したがって、巷に言われるように、武田が第一戦犯と言われるのは気の毒なのは、過去にも幾度か述べた。
 ともあれ、あの試合の終盤のクローズの仕方には、交代選手の選定を含め幾多の問題があったのは間違いない。そして、日本サッカー界は、あの試合を「強烈な教訓」として学んだのだ。
 そう考えて、あの日以降を振り返ると、以降の日本代表はよくやっているやに思う。重要な試合で日本がクローズをし損ねたのは、フランス予選の敵地カザフスタン戦くらいではなかろうか。他にも終盤追いつかれた試合はない訳ではないが、同じフランス予選の国立韓国戦はクローズ以前の誤りだったし、シドニー五輪の合衆国戦については、誤審による悲劇と見るのが妥当だろう。
 ただ、一部に散見される「あの試合前に、日本サッカー界には、試合クローズの駆け引きはなかった」と言う説には賛同しかねる。はるか30年以上前の私の学生時代の県レベルの試合でさえも、しっかりとボールを回して、時間稼ぎをしてクローズするのがうまいチームは多々あった。一般のチームでもそうだったのだ。まして、(レベルは大違いだが)言うまでもなくJSLの強豪には、そのようなクローズがうまいチームも多かった。そして、ラモスと言う選手は国内の試合で、そう言った駆け引きは非常に巧い選手だった。
 ただ、あの試合は過去日本が経験した事もないくらい重い重い試合だったのだ。だから、あのラモスでさえ、あの場面では常軌を逸しと言う事だろう。

 実際問題として、終盤のクローズを誤るチームは、当時の日本に限らず枚挙にいとまない。同じアメリカ予選でのフランスのブルガリアに対する負け方の間抜けさは日本の比ではなかった。02年大会の韓国ーイタリアは、まあ人災の極致とも言えるが、「あのイタリアでさえまとめ損なう」事例だろう(同じ審判要因でも、上記のシドニー五輪とは、だいぶ背景は異なるな)。最近では、2年前の欧州選手権のクロアチアートルコのような極端な例もある。要はどんな一流のチームでも、終盤のクローズと言うのは難しいのだ。
 代表チームのタイトルマッチでなくても、終盤のクローズし損ねの試合を見る事は幾度でもある。そして、そのような試合を見る度に、何とも言えない快感とも言うべきあの呆然とした17年前を思い出す。そして、その難しさを、あのような状況で味わう事ができたのだから、まあ今思えば幸せだったと言えるのだろうな。悲しかったけれど。
posted by 武藤文雄 at 23:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。
実は、これも現地で生だったのです。
ラモスの縦パスが…。ま、その前に武田じゃなくて中盤いれろよ、とみな言っていましたが。
まあ、これがあるから、2010のBest16もあるのかな、と思ったりもします。
Posted by sociton at 2010年10月29日 11:32
クローズの失敗には、ドイツW杯のオーストラリア戦というこれまた強烈なのがありますね
Posted by at 2010年10月29日 20:20
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