また今年もこの日がやってきた。そして、あれから12年経った事になる。サッカー界における時間単位は4年(便宜的にその単位を「ワールドカップ」と呼ぶ事にしようか)なので、「あれから3ワールドカップ経った」事になる。
3ワールドカップ経てば、時代は流れる。
楢崎正剛は代表引退を表明した。遠藤保仁はワールドカップ最高峰のプレイを見せてくれた。鹿児島実業高校を卒業したばかりの遠藤を抜擢したレシャック氏は、南アフリカでの遠藤のプレイを見て、どのような思いを抱いてくれたのだろうか(どなたか、スペイン系の取材を得意としている方がいたら、是非お願いします、取材前に連絡いただければご機嫌をとるネタくらい提供しますよ、何せクライフの家来だったのですから)。
3ワールドカップ前に、あの悲劇について書いた文章は、今でも正鵠を射ていたと思っている。フリューゲルスは極めて理不尽に悲劇的に消えて行ったのだ。そして時間が経った今でも、あの理不尽さへの怒りを押さえる事ができない自分がいる。それについては、昨年書いたエントリを参照いただきたい。
その怒りをいかに継続すべきなのか。
今年、私は友人(である、とうこくりえ氏)から格好のメッセージを受領した。こちらである。そのメッセージは、おそらく本書を購入しなければ受信できない。とにかく、本書を購入し、丁寧になめ回して欲しい。そうすれば、フリューゲルスの悲劇に関するとうこく氏の「メッセージ」を見つける事ができるはずだ。
私はこのメッセージを見つけた際に、改めて彼女のサッカー描写力に嫉妬し、尊敬した。私にはできない。
また、彼女のメッセージを既に見つけた方、私の駄文をキッカケに気がついた方にお願いしたい。コメント欄でネタバレはしないでいただきたい。おそらく、彼女のメッセージは、自分で見つける事によって、明確に伝わるから。
フリューゲルスと言うクラブはもうない。でも、執拗に繰り返すが、なくなった悲劇を忘れては行けない。
2010年10月29日
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名古屋から他へは移籍しないと決意していたらしいですが、
フリューゲルスの消滅は今でも多くのサッカー人に禍根を残してますよね。
ヴェルディというチームを今回必死にJリーグが残したのは
あの苦い経験があるからなのかなぁと思いました。いろいろ揶揄する人もいますがGJだと思いました。
私自身、ずっと臥薪嘗胆して生きてきたわけではなく、その後はそれなりに幸せなサッカー人生を送っているわけで、随分と過去の話になったものだなあ、と感じる。
ただ、やはり思い出し始めると腹が立つものだ。
1万歩譲って過去におきてしまったことをとやかく言うのはやめよう。
腹立たしいのは過去に蓋をするだけで一向に清算しようとしないFマリノスだ。
(半ば八つ当たりに近い気もするが、残念なことに著作権的にフリューゲルスの後継団体なのだ)
楢崎がいつの日か引退するときには、ちゃんとフリューゲルスの名が表に出てくることを切に願う。
フリューゲルスの名にこだわるあまり、一番大好きな選手の引退試合が開催されなかった、というのは私にとって新たな大きな遺恨になっている。
見た目があれでは無理ですねw
山口が監督になって戻ったら、何かの決着というか
帰ってきた感じを味わえそうな気がします。
フリューゲルスの選手たちも、最後の入団選手たちの遠藤、大島が円熟期を迎えています
そのほかJ1で活躍しているのは、楢崎、波戸くらいでしょうか
(楢崎にはぜひ初優勝を!でも遠藤ガンバがグランパスを一泡吹かせるところも見たい)
最後のフリューゲルスユースの田中隼磨、坂田にもトップにギリギリで入れなかった選手として思い入れがありますが(グランパスの阿部もFのユース出身ですね)
かれらが一線を退いたときにフリューゲルスの1つの時代が終るのだと思っています。ただ、12年前の事件がそれでなくなってしまうわけではないですし、「F」の名称問題1つとってもずっとフォローし続けなければならないと思っています
ヨ・シ・ダ! を忘れてはいけない
フリューゲルス最後の得点者
今年通算300試合出場達成だそうです。おめでとう!
まったくの余談ながら…。
五輪だと「オリンピアード」という単位があるが、
サッカーW杯で何かいい呼称はないものですかね。