私達は幸せだった。
地方都市の経済規模が小さなクラブに、地元出身の英雄がいたのだから。千葉直樹は、ブランメルのJFL2シーズン目から、いつもそこにいた。いつもそこににいるから、気がつかないのだが、地元出身の英雄が当たり前のように常にクラブを支える存在でいてくれる事は、私達にとって信じ難い幸運な偶然だったのだ。
幾多の名場面が思い起こされる。その中で、私はたった1つの試合が忘れられない。つい最近、昨期の盛夏の試合だ。J1昇格を争いつつも、チームが底の状態だった時の愛媛戦。チーム全体が疲労に沈み、冴えない試合を続けていた折に決めた鮮やかな先制のヘディングシュート。あの一番苦しい時期での、千葉の一撃でベガルタは生き返った。
もちろんそれ以外にも、千葉は幾多の見事なプレイでクラブを支え続けて来たのは言うまでもない。今期にしても中盤戦までは完全なレギュラとして、シーズン半ばからは終盤アンカーとして試合をクローズする役目を、それぞれ見事にこなしてきた。いや、毎期毎期、多くの選手と定位置争いを演じながら、結局最も頻度多く出場するのが千葉だった。どのような監督に仕えても、千葉は、常に堅実に、冷静に、丁寧に、ちょっとミスをまじえながら、時にスーパーなプレイで私達に熱狂的な歓喜を提供してきたのだ。
いや、よいプレイでクラブを引っ張って来ただけではない。本当の意味で、クラブ全体をその人格で支えて来たからこそ(たとえばこれね)、文字通り「精神的支柱」と呼ばれる存在だったのだ。
繰り返すが、私は上記した昨期の千葉の一撃で勝った愛媛戦が忘れられない。その前のシーズン、入替戦で苦杯を喫し、「必ずJ1に上がる」と、サポータを含む全てのクラブ関係者が誓った昨期。しかし、戦いは決して楽ではなく、あの愛媛戦の前節の横浜FC戦などは、最低最悪のプレイ振りだった。その苦しい愛媛戦での、あのヘディングがなければ、以降のベガルタはどんな歴史を描く事になった事だろうか。
引退は噂されていた。いや、そもそも件の入替戦時には引退を決意していたと言う噂もあった。昨期も歓喜の昇格決定時に同様な噂があった。でも、千葉直樹は再びJ1の戦地に登場してくれた。1977年生まれの33歳、まだまだやれるとは思う。ピッチ上の千葉直樹の経験は、何にも代え難いベガルタの宝である事は違いない。しかし、決断はなされたのだ。今はただ、冒頭に語った幸運をかみしめて、過去の幾多の好プレイと発言を反芻し、残り6試合の共闘を誓い、よい結果を受け入れるのみである。
背番号「7」を永久欠番にしようではないか。
クラブの黎明期に、信じ難い幸運で私達が所有する事ができた地元出身の英雄なのだから。いっそ、今期まで私達に提供されている背番号「12」をいずれかの選手に提供し、私達が千葉の背番号を引き継ぐと言うのはいかがだろうか。そう言った提案を、謙虚な千葉直樹自身は辞退するかもしれない。でも、ここまで私達に幸せを提供してくれてきたのだ。もう1つくらい、私達の我がままを聞いて欲しい。
千葉直樹とはあと6試合。残り6試合は、私達にとって、あまりに大切な試合となった。千葉直樹は去る事で、私達に一層の輝きを提供してくれる。
2010年11月02日
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武藤さんの文章を期待して読んでる側にしてみれば、そこでずっこけさせられて台無しって感じ。
しかし、いきなり「永久欠番だ!」と言い出す展開には、やはりついていけないものを感じてしまいますね。
周囲の誰かがきちんと伝えるべきです。
「はっきり言って、あなた変です。」と。
2008年のトラメガ持ってオーラ唄わされたサポやファンは
単なる選手にとどまらないモノを感じたはずです。
「チームの創成期、ファンと選手を強く繋いでくれたレジェンド」
永久欠番に値するという意見に大賛成です。
その議論が無いままに、「永久欠番だぁ〜!」と騒いでみせるのは論理構成的にも「講釈」的にも、あまり適切な行為とは思えません。
客観的に見て千葉直樹が日本サッカー史に名を残す
逸材じゃない事は分かった上で書かれているのですから。
で、私が仙台を熱心に見ていたのは98〜2000年にかけて
なので、直樹には罵声をあびせた記憶しかなかったりして(汗)。
言い訳させて貰うと、当時の直樹は7番を背負うに
値する活躍をしていなかったのは事実でして、地元出身
というだけで若い背番号を与えられた直樹も苦労していたんじゃ
ないかと類推。
#同じ事は10番押し付けられてた中島浩司にも言えますね。
正直言って、「仙台にプロサッカークラブが誕生する」
なんて事がなければプロを夢見ながら平凡なサラリーマンに
なっていた人材だと思います。ブランメルに入った時点じゃ
ホントに大したことなかったものね。他のクラブが食指を
伸ばしたとは思えない。
そんなレベルの選手が努力を積み重ねた結果、仙台のフランチャイズ
プレーヤーにまで成長した。これは、Jリーグの(一部の人にはやり過ぎと
酷評された)拡大が間違いではなかった事を証明した
日本サッカー史においても重要な事件だったのではないかと思います。
決して中央が作る「正史」には載らないかもしれないけどね。
大賛成(笑)
但し、永久欠番にするならサポは千葉選手のことを
(老い先短い武藤さんに代わり)後世に語り継いでいく覚悟がいるかと。
そうでないなら永久欠番にせず、その背番号を引き継ぐ選手が
千葉選手の思いを引き継いでプレーする、もしくわ
千葉選手の系譜(メンタリティー含め)を引き継げる選手に引き継がせる
のいずれかでしょうね。
> ただ、千葉は「そんなに重たいのはいいよ」とやんわりと拒否。
「直樹らしい」の一言につきるんじゃないんですかね。
その「直樹らしい」が分からない人にはこの件について何を言っても仙台サポには響かないですよ。
じゃあ、Jリーグ脱退して地方ローカール専用リーグでも作ってれば?(笑)
田舎者丸出しじゃない。
こういうコンプレックスが嘲笑の的。
そもそも、Jとして永久欠番をどう考えるべきでしょうか。特に、日本人にとって「永久欠番」という概念は野球のケースで多く経験してきているのですから、そこを抜きには考えられないでしょう。
まずJの現状確認。
J1のチームで永久欠番を持つチームはありません。(サポーター番号はちょっと置きましょう)
J2の2チームが持つのみですね。一つはサガン鳥栖の創設者(命日が背番号。サポーター兼用)。もうひとつはザスパ草津の監督け兼選手でありJ昇格の功労者の「 31-奥野僚右 」。
J1では無い、というところがポイントでしょう。
次に野球のケースを見れば、巨人の「長嶋、王、川上、金田」阪神の「村山、藤村、吉田」とまあいわゆる大スターが並んでおります。
つまり、日本人にとって「永久欠番」とは、そのチームへの貢献はもちろんですが、プラスそこに野球界への貢献も入っているものと考えられますね。日本人にとっての永久欠番の概念は、どちらかと言えばこの「チームへの貢献+業界への貢献」が入ったものということができるでしょう。
すると、J1のチームで選手個人に対する永久欠番が未だ無いということも、この日本人の概念によるところのものが大きいと考えられます。
地域のチームが永久欠番を設ける制度は2004年に解禁されているのですから、それを利用するのになんの遠慮がいるものか・・・。
本当にそうですか???
特に、J1のチームであれば、サッカー界に対する責任もそれだけ大きいものがあるはずです。すると、チームが永久欠番を考える場合には、そのチームに対する貢献は当然として、それに加えてサッカー界に対する貢献をも考慮すべきではないか、という主張もありえると考えます。
J1であるという責任も考えてもらいたいものですね。
ミランのバレージがそうだったかもしれないが、やっぱり違和感がある。
そもそも、アメスポの野蛮な風習をなぜサッカーが猿真似しなきゃならんのか。
背番号12欠番も、川淵的偽善を感じる。
英国あたりに「キャップ」制度をしているクラブがあるのかどうか知らないが、サッカーにはサッカーにふさわしい顕彰のやり方があるのではないか。