準々決勝で日本は、イラクとの美しい攻め合いを制し、世界大会出場を決めた。イラクは日本と並び、アジアでは最もボールを大事にして丁寧なサッカーをする国(07年アジアカップやアテネ五輪のように1カ所集中開催の大会だと抜群の強さを発揮するが、H&Aでは中々勝てないのは、現在の「国情」のためなのだろう、この国が安定した強さを発揮してくれれば、アジアのレベルは格段に上がると期待しているのだが)。その特長のかぶるイラクに真っ向勝負で勝ち切ったのだから価値があった。
一方続く準決勝。序盤の入りの悪さから2失点、前半は北朝鮮の運動量と的確な位置取りに、ほとんど有効な攻めを発揮できなかった。しかし、後半は日本の短いパスを軸にした揺さぶりが効果を発揮、トップに差し込むように入れる低くて強いパスを軸に、再三決定機をつかむ。1点差とする攻撃はその典型だった。その後も猛攻を仕掛けるも、とうとう追いつけず敗戦となった。終盤敵GKが負傷で足を引きずっていただけに、短いパスにこだわらず、クロス主体の攻撃に切り替えてもおもしろいと思ったのだが、選手たちは後半序盤にうまく機能した短い高速パスを回す攻撃に拘泥したのが、ちょっと残念だった。
ここからが、今日の本題です。
実は試合後に上記の感想をtwitterでつぶやいたところ、サポティスタ主宰の岡田さんより実に興味深い反論を受領したのだ。以下、岡田さんとのやりとりを掲載させていただく。
hsyf610muto何とも愉しいやりとりをさせていただいた訳だが、この議論は「若年層選手がいかほど『駆け引き』を使いこなすべきなのか」と言う、古くから議論されてきた、典型的なサッカー界の酒の肴と言える。もちろん、イラク戦の歓喜や、北朝鮮戦の悔悟が、プレイしていた選手(あるいは選抜にもれながら「次回」を期している同世代の若者達を含むか)にとって、格好の経験となり、それが彼らの「駆け引き」能力を向上させる事だけは間違いない。しかし、それはそれとしても、この「駆け引き」の議論は、もっと色々な面から考察できるものだと思う。以下は、本件に関する切り口の羅列である。
「前半、入りの悪さから連続失点し北朝鮮の出足のよさに苦戦。後半に入り、しっかりとボールを回し、低くて速いボールを縦にいれる崩しが奏功。得点場面を含めた速いパス回しは見事だった。ただ、終盤双方が疲れ、さらに敵GKが壊れているにもかかわらず、同じテンポの攻めを続けてしまったのは残念。入りの悪さも、終盤の単調さも、若さがゆえと考えれば、しかたがないのかなと思う。少なくとも、この年代の若者に『駆け引きで勝って欲しい』とも思えないから。そう言う意味では、(グラウンドが悪かったけれど)もっとスキルを上げてくれ、と言う事なのかな。」
supportista
「本当にこの世代は駆け引きで勝たなくてもいいのかな?駆け引きもこの世代から鍛えておかないと間に合わないのでは。」
hsyf610muto
「そう言う考え方もありかも。ただ、鍛えるものではないでしょう。そう言う発想のある素材を見つける必要ありと言う事ですかねえ。」
supportista
「最終的には自分で考えられるようにならないとダメだけど、発想のヒントというか考え方自体は教えることができると思うんですよね。でも難しいのかな。」
hsyf610muto
「少なくとも、代表チームでやる事ではないと思います。ただ、今日の選手に『終盤の攻撃がよかったか』と反省させるのは、とても重要だと思うけど。まあ、永遠の議論ですよね。選手の知性が培われるのはいつか?幼少時か、中高校生の頃か、20歳くらいか、もっとトシをとってからか、たぶん人それぞれだと思う。ただし、ペレやマラドーナになるには、10代半ばの完成が必要、と言う事でしょうか。」
supportista
「確かに。体の成長以上に個人差大きいですもんね。」
まず「駆け引き」と私は、一言で語っているが、「駆け引き」には多くの構成要素がある。たとえば、「敵を崩すためのアイデア」、「敵の意図の読みとり」、「敵を当方の意図通り動かす」など比較的王道的なものもある。一方で、「勝っている時の時間稼ぎ」さらには「審判を欺くトリック」など人によっては眉をひそめるものもあろう。これらのうち、ある程度若年層のうちに身につけておくべき事(あるいは身についていなければならない事)もあるだろうし、ある程度大人になってから学べるものもあるだろう。
あるいは、上記でお互いが指摘しているが、個人差、それも年齢とは別の成熟度の問題もある。「駆け引き」がどの年齢で培われるのかは議論百出。そして、「駆け引き」ができるには、ある程度の知性的成熟が必要。10代半ばと言うのは、正に成長過程だから、その分野の個人差が大きかろう。しかも、この段階での知的成熟度合いが、伸び代があるのか、伸び切っているのか、と言う切り口があるのも言うまでもない。
もちろん、「駆け引き」は教えられるのか、自然に身に付くものなのか、と言う議論もある。「『駆け引き』は遊びやストリートサッカーから生まれる」と言う説は根強いものがある。けれども、南米諸国ならばさておき、今日の欧州のトッププレイヤの多く、日本同様いわゆる「育成プログラム」育ちの選手は多いとの事だ。さらにはイニエスタやシャビのような選手の「駆け引き」が天性なのか、遊びの中で生まれたのか、バルセロナカンテラでの指導の成果なのか、議論は尽きない。
言うまでもなく、年代別代表チームの選抜基準の問題もある。「この年齢で最もよい選手を選ぶべきなのか」あるいは「将来性のある選手を選ぶべきなのか」と言う議論だ。もっとも、後者に関しては「どうやって将来性を見抜くのか」と言う問題が継続するのだが。いや前者についても先日のユ(以下略)。それはさておき、これらは「今『駆け引き』がうまい選手が将来性があるのか」と言う議論にも発展していく。
また「駆け引き」を発揮するために、まず技術が必要と言う要素もある。古くから言われ続けている話だが、ボール扱いを苦にしなくなれば、それだけ考える余裕ができるのは確か。だからある程度の年齢までは、ボール扱いを重視し、持ち過ぎくらいの方がよいと発言する人もいる。当然、ボールを持ち過ぎることと「駆け引き」は背反するものがある。そして、どの年齢あたりまで、持ち過ぎが許されるのか(これまた個人差もあるだろうが)、議論が分かれるのだが。
さらには、「監督の指示を守る」のと「その時、その時の自分の判断」のバランスと言う問題もある。たとえば、この試合の後半に日本がペースを取り戻せたのは、上記した低く速く性格なトップへのパスを多用した事がある。これは明らかに、吉武監督の指示の下、全員が共通認識で戦った賜物だろう。あれだけ全員が意思統一したいやらしいボールを回しと縦グサリは非常に有効だった。しかし、贅沢な要求かもしれないが、終盤は「違う発想」をして欲しかったのだ。このあたりの「監督意向の適切な無視」については、前代表監督の方の岡田氏が南アフリカ後にさんざん自慢話をしているのだが。
繰り返しになるが、ペレやディエゴの域に達するには「駆け引き」の10代での完成が必要なのかもしれない。けれども、こう言った「神の域」とは別な選手であれば、遠藤保仁のように30歳での完成してくれれば、との思いもある。。一方で、遠藤保仁が20代前半で、今日の「駆け引き」を身につけていたならば、歴史は変っていたのだろうとの欲目も...いや、30歳の「駆け引き」遠藤も、十二分に歴史を作ってくれたのだが。
何にしても、上記クドクドと講釈を垂れた「駆け引き」の完成についての議論は尽きないし、永遠の酒の肴であろう。まずは、このような思考実験の機会を与えてくれた、岡田さん、吉武監督以下のスタッフの方々、そして何より早川史哉とその仲間達に多謝。そして、まずはメキシコ本大会に向けて、彼らの世代の優秀な選手の激しい切磋琢磨を期待するものである。
そこを明確にしないままでは、永遠に「酒の肴」で、そんな指導者に指導されてはいかに小学生といえども迷惑でしょう。
そこでまず「試合の流れを読む能力」という項目に限定すれば、これは個人差が大きい。過去の経験でも、いかにサッカー歴が長い人でも、この能力に欠ける人は多いものです。
具体的には前代表監督などはその最たるもの。とんでもない時間に、とんでもない選手交代をやらかして批判を浴びていたのは、まだ記憶に新しいでしょう。W杯では遠藤選手から言われて初めてフォーメーションを元に戻すという醜態を見せていますね。
しかし、この例からもわかるように(監督が無能力であっても)試合の流れを読む能力がある選手,リーダー(発言力が大きいという意味です)が一人いれば、チームに状況を認識されることができます。
次に、チームが状況を認識したとして、どう戦うかの事前の準備が必要です。(例:1点ビハインドの攻撃方法と時間の関係)
その準備もなく、「最初から最後まで走りとおすのだ」なんてお馬鹿な戦略を掲げる監督などは願い下げです。
「カメレオンのような動き。相手に応じて試合中でも戦い方を変えていく柔軟性こそ、勝利の道」と日本代表ザッケローニ監督が就任会見で語っているそうですね。
前任者との違いを、まざまざと見せつけています。
パワープレーをすべきならば、事前にその準備、選手交代を行い、選手に徹底させ、試合中にはそのスイッチを入れるだけにしておくこと。
「最後まで走り続ける体力が・・・」なんてお馬鹿なレベルで代表監督をやって欲しくはありませんよね。(笑) そうそう、大事な選手をハエに例えるような人格者も指導者として(以下略)。
これが野球ならば、シチュエーションはアウト数と出塁状況の掛け算として3×8=24に点差と回表裏で事前にフォーメーションが組め、それぞれの練習をするのと同じですね。サッカーではそのシチュエーションを理解できる能力を持つ者と持たざる者がいることを、しっかりと認識させるべきです。
そのような能力が存在するを明示していれば、選手は自分でその能力の有無について判断できるようになっていきます。
能力のあるものはそのことを自覚すると共に、他人にはなぜ理解できないのかといぶかるようになるのです。もっと言えば、他人が馬鹿に見えてきます。(笑)
まあ、それが理解できない指導者に、選手が何を言っても無駄なのですが・・・。
>「少なくとも、代表チームでやる事ではないと思います。
『日本代表に足りないものに関して聞かれると「カメレオンのような動き。相手に応じて試合中でも戦い方を変えていく柔軟性こそ、勝利の道」と説いた。 (ザッケローニ監督)』
これが見える人間と、見えない人間の違い。w
天才ならば、そのような状態でも答えを導き出すことが出来るのかもしれませんが、そんなことが出来る選手は、ほとんど居ないような・・・。
南米の選手はストリートサッカー等から来る実体験の豊富さからも来るのでしょうが、年長者からの伝聞や試合観戦、トップ選手と身近に接する事ができる練習環境も関係しているのではないでしょうか?(ヴェルディのようにすべての年代が同じ場所で、近しい環境で練習できるというのは、育成環境としては優れているように思います。)
育成年代では、明確な答えを教える必要はないと思いますが、問題を解決するための公式やヒント、それを活用するための基礎学力の育成をしても良いのでは?
ですので、私は岡田さんの考えに賛成です。
イニエスタやプジョルは子供のころから負けず嫌いで
負けてる試合なら倒れるまで走り回ったというし
メッシも自分がゴールを決めるまで勝っていても
決して満足しなかったそうです。
国際試合では特に強い気持ちが大事で
様子見で試合に入ったら絶対つけこまれます。
A代表でもオシムがスイス戦で2点取られた時
それで激怒してましたね。
後半は監督がハーフタイムに怒って気持ちが前に行きましたが手遅れでした。
ゲームの入り方の悪さは日本全体の課題なので
子供の頃に直さないと。
ひき氏の意見に同意します。
若年層は技術を教える、の「技術」が、対人を前提とした(ゲームの中で使用される)技術が必要ですね。
パスコースを探してウロウロする間に、簡単にボールを失う「自称ファンタジスタ」や、すぐにヘナヘナと崩れ落ちるFKの名手が量産されても、日本のためにはなりません。
高い技術があってはじめて高いレベルでの「駆け引き」が可能ですし、相手との「駆け引き」に勝つために、高い技術の必要性を痛感するでしょう。
例えば、ブンデスで活躍中の香川のトラップ能力も一瞬の「駆け引き」の為の技術ですね。
彼の能力を高めるためには、さらに高いレベルに自分の身を置かなくてはならないでしょう。
要はどちらか片方だけを鍛えることは無理だということ。
ストリートサッカーだろうが、地区大会だろうが、「自分にとっての」緊迫した試合でのみ、「駆け引き」を自ら学ぶことができる。
>「駆け引き」は教えられるのか
「駆け引き」そのものを教えることは出来ないが、学べる舞台を与えることは出来るかもしれないし、様々なテーマを常に持たせて、練習、試合に臨ませることは可能でしょう。
>年代別代表チームの選抜基準
もちろん、その年齢の最も良い選手を選ぶべき。
強化試合や合宿は別として、代表チームとはそういうもの。
宝石を磨くのは代表チームではない。
将来性のある人材を見抜いて抜擢するのはクラブチームの役目。
>持ち過ぎるくらいの方がよい
幼少期はボールを持って考えることは大事でしょうが、ボールを持つ時間は考える時間なので、年齢によってレベルによって、徐々に短縮されるべきと思われます。
また、若年層のサッカーでは、小学生クラスはサッカー(スポーツ)の楽しさを教え、
高校サッカー年代ではサッカーの道に進まないほとんどの生徒のためにも、フィジカルを鍛えることで精神力を、チームワークを鍛えることで協調性を向上させるという工夫も必要でしょう。
いなごさんの意見に大賛成です。
むしろ、サッカーのおもしろさを教えないでどうするのか、という感じです。