2010年11月15日

友の涙

 我が少年団、今年の6年生は例年よりタレントに恵まれず、苦戦が続いていた。
 彼らの学年が主体となる最初の公式戦(3年生の3月だったから、もう2年半前になる)では、近隣の少年団に0ー20で負けた事もある(20分ハーフの試合での0ー20です)。
 けれども、サッカーに対する取り組みは真面目な子も多く、能力の高い主将とエースを中心に、皆が熱心に練習に取り組んできた。努力は報われるもので、全員が少しずつ力をつけてきた。4年生の時はダントツでビリ(地域の少年団は5チームある)だったが、5年生になって少しずつだが勝てるようにもなってきた。一方で現実が厳しいのもまた確か。足の遅い子は、いくら真面目に練習しても、簡単に足が速くなる訳ではない。敏捷性に欠ける子は、やはりどうやっても反転に時間がかかる。
 逆によい事もある。例年だと中心格の子は往々にして、あまりうまくないチームメートをバカにしたり、ミスに対して露骨にイヤな顔をする事がある。ところが、上記の主将とエースは、そんな余裕すらない。ボール扱いが思うに任せないチームメートをどなる事すらなく、常に励まし皆に声をかけ、とてもチームワークのよいチームとなってきた。
 今年に入ると、いずれのチームとも相応に戦えるようになってきた。5チーム中3位くらいになる事は珍しい事ではなくなってきたのだ。

 今年のチームの監督は、元JSL選手でジーコとも公式戦を戦った事がある男。サッカーどころ出身で名門高校出の彼からすれば、上記の子供たちの能力の低さは、見た事のないものだったと思う。しかし、彼は驚くべき辛抱強さで、皆を指導してきた。
 一方で彼の夏場の指導は厳しかった。この猛暑の中だが、ずいぶんと厳しい要求もした(熱射病にならないようなケアもとても重要だったのだが)。また、上記の主将とエースに対しては、さすがの経験から高みに立った指導で、彼らの自覚と成長を促してきた(まあ補佐役の私は、横でニコニコしながら子供たちを激励するくらいだな)。

 秋になり、リーグ戦は2勝2敗で終了、そしてこの週末5チームで行われる地域での最後のカップ戦を迎えた。抽選で残り4チームのうち2チームと対戦、全チームが2試合を戦った勝ち点数上位2チームが決勝に進出するレギュレーションである。
 ところが抽選が悪かった。秋のリーグ戦で2敗したチームとの対戦となったのだ。地域で最強(今年はこの地域で1度も負けていない)チームと、2年半前に0ー20でやられたチームとの対戦となってしまった。
 まあ、監督ともう1人のコーチ(以前も登場した元ラガーね)とは、「どうせ最後だから、強いところとしっかりした試合をやって欲しい」と言う会話もしていたのだが。
 
 初戦は既に他チームに1勝している「0ー20」との対戦。ただし、戦闘能力差は2年半前とは全く異なる。ここ1年の対戦成績は、ほぼ互角だったし。そして、序盤からよく動いてペースを握った当方、開始早々に5年生の左サイドバックが見事なミドルシュートを決めて先制に成功。以降は、落ち着いてよく守った。
 後半に入っても、やや押され気味だが、丁寧によく守りペースを渡さない。しかし、自陣ゴールキックを拾われた攻撃から、ミドルシュートを許し同点に追いつかれてしまった。この場面までは、ゴールキックはキーパではなくボランチのキック力のある子が蹴っていたのだが、何故か魔が差したようにキーパが蹴ってしまった。子供の試合は、たまにこのような事があるものだ。
 それでも、気を取り直し、終盤は攻勢に立ち、エースと主将を軸に幾度か攻め込んだものの崩しきれず1ー1の同点で試合終了。結果として、決勝進出のためには、やはり既に1勝している「最強」に勝たなければならなくなった。

 「最強」は両ウィングが俊足で運動量が多く、よく頑張る。さらにトップ下の子が夏を過ぎてよく周りが見えるようになり、それを支える中盤の2人も強くてうまい。センタバックも俊足で、GKも安定していて隙がない。春先にやや幸運に引き分けた事はあったものの、どう考えても相当厳しい戦いが予想された。
 案の定両翼から再三攻め込まれ、幾度か危ない場面を作られるが、全員がよく粘り守る。特にサイドをやられるとCBがどうしても逆サイドのケアがしきれなくなる悪癖が、この日は相当に改善されたのが大きかった。このような戦術的能力の成長を見るのは本当に嬉しい事だ。そうこうしながら、何とか前半は0ー0でしのぐ事に成功した。
 ハーフタイム、元JSLは「勝たなければ、決勝進出はない、点が取れると思ったら、勇気を持って上がれ」と指示をした。そして後半立ち上がり、指示通りに人数をかけて攻め込み、主将が巧みなボレーシュートを決めて先制に成功した。
 以降の時計の進みの遅い事。幾度と無く危ない場面を作られる。
 けれども、彼らは本当によく頑張った。足が遅い事、反転に時間がかかる事は、容易に埋まらない。けれども、攻撃から守備への切り替えを早くする事、より足が速い相手に肩を寄せて粘る事、シュートが打たれそうな時に身体を張る事、これらならば誰でもできる。ただし、戦う気持ちを持っている男達だけになのだが。
 異様に進みの遅い時計だが、どうやら進んでくれた。そして歓喜へと。彼らにとっては、初めての決勝戦だ。

 当方は決勝戦まで、僅か10分の休憩、当方は疲労困憊。そして決勝の相手の「0−20」は我々との試合後、丸々2試合分休養していた。
 圧倒的に押し込まれるのを粘る展開。それでも、前半に敵の小柄なエースの巧妙な動きにしてやられ先制される。後半立ち上がり、死力を振り絞って、押し込み好機を作るが攻め切れず。ここまでだった。以降敵の猛攻を止め切れず、終わって見れば0−4の完敗。
 悔しかった。勝たせてやりたかった、いやこれでは不遜過ぎる。勝って欲しかった。
 試合後、全員がボロボロと涙をこぼしていた。もちろん、過去も幾度か彼らの涙を見た事はあった。けれども、今日の涙は違うのだ。何か、心の底から皆泣いていたのだ。ここまでこれた、ここまでこれたからこそ、心の底から泣く事ができたのだろう。

 毎週末、自転車でグラウンドに行って、子供達に遊んでもらう。それだけで、共にここまで悔しい思いを共有できる。俺たちにしかわからない悔しさ。だから、少年団の指導はやめられない。
posted by 武藤文雄 at 22:33| Comment(15) | TrackBack(0) | 底辺 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
小学生にも「駆け引き」は必要です。
そこで耳にしたことは、中学生になって体感し、覚醒するのです。

イタイイタイ攻撃を教える必要はありませんが、そのような戦法があることは知る必要はあります。
足が遅く、反転も遅いならば、なおさらですよ。

教えてもらえない小学生が可哀そう・・・。
Posted by at 2010年11月16日 00:08
コメント1さんせっかくのいい話が台無しですなあw
Posted by いやはや at 2010年11月16日 00:29
上手い子に見下されると萎縮してしまうタイプだった事もあって
この少年団は本当にいいチームだったんだなとしみじみ思いました。

それにしても
読者よりブログ主の武藤さんの方が余程迷惑されてるとは分かっているのですが
最近はひどい(しかもしつこい)内容のコメントが多いですね・・・。
Posted by どらんめる at 2010年11月16日 09:06
0−20を強調しすぎて話がボヤけてます。
試合ごとの経由がよくわかんないです。
0−20と3連戦してるみたい。
Posted by    at 2010年11月16日 09:16
>0−20と3連戦してるみたい。

文盲?
Posted by at 2010年11月16日 10:58
足の遅い子やテクニックに劣る子の方が、却って自分の欠点を補うべく、相手との間合いや動き出しのタイミングなど、気を遣ったクレバーなプレーをしてくれたりします。
スーパープレーヤーを育てるのとはまた一味違う少年サッカーの楽しみです。


>>1
どのような指導をするにしても、その子が理解して将来に生かせなくては意味がないわけで、そういった指導をすべきかどうか、当事者の子供を見ないで一律に教えていないことを批判するのは的外れではないでしょうか。
どこかの指導要領など高所からの意見かもしれませんが、上達度にばらつきのある地域のクラブでは一律な指導は難しく、子供一人一人に併せることこそが重要と思います。
Posted by at 2010年11月16日 12:36
supportista
「本当にこの世代は駆け引きで勝たなくてもいいのかな?駆け引きもこの世代から鍛えておかないと間に合わないのでは。」
hsyf610muto
「そう言う考え方もありかも。ただ、鍛えるものではないでしょう。そう言う発想のある素材を見つける必要ありと言う事ですかねえ。」


私は鍛えるものだと思います。
Posted by at 2010年11月16日 15:48
最近、読者になりました。
自分は関東在住のベガルタサポです。

少年サッカーの話し、興味深く拝見させていただきました。

自分が20年前に少年団でプレーしてた事が懐かしく思いだしました。

多忙でしょうが、頑張ってください。
Posted by ぎょう at 2010年11月16日 18:50
いつも拝読してます。

私はバスケ経験者ですが、学生の頃に年の離れた弟にサッカー指導をしたことがあります。

それまで自分が無意識にやってきた事でも教える、伝えるというのはこうも難しいものかと四苦八苦したのを思い出しました。

子供の成長を目の当たりに出来ることはこの上ない娯楽ですよね。素敵なチームと過ごす武藤さんの時間を羨ましく思いました。

サッカーに限らず、僕もいつかどこかでチームのお手伝いをしてみたいものです。
Posted by BSE at 2010年11月16日 20:01
>当事者の子供を見ないで一律に教えていないことを批判するのは的外れではないでしょうか。

「一律に」「教えて」「いない」ことは充分に批判され得ることですね。

いくら小学生といえども、つまんないでしょ。
耳学問でいくらでも伸びますよ。

Posted by at 2010年11月17日 01:17
するーするーと思いながらコメント書かせていただきます
一律の指導は小学校や塾の授業でもうー、十分です
武藤さんが子どもと同じ目線で「かけがえのない一日」を
追体験されておられることを
本当にうらやましく思います
そして、そういう「大人」に我が子を預けたいと
切に思います。
「現実は本当に厳しい」
そのことを、親から説明されるよりは
友だちとわかちあってほしい
そうですよね、やっぱり
Posted by 小学3年生の父 at 2010年11月20日 22:41
お近くに住んでいながら中々対戦して、自己紹介できる機会が叶わず残念に思っております。今回のエントリーを読んで思ったのは、「さすが武藤さん、少年サッカーの楽しみが、わかってらっしゃる」って事です(笑)。我がチームも低学年時代は市内のリーグ戦、トーナメント戦、いずれも二桁失点でやられることも多いのですが、6年生になると何故か、そこそこやると、言われております。それこそ指導者としての醍醐味ですよね?
Posted by 湘南蹴鞠屋 at 2010年11月21日 18:58
駆け引きが「鍛えるものではない」という武藤氏のような考えでは、子供たちにそれを「教える」ことはできませんよね。

要は、教える本人が駆け引きを理解していないか、理解できないレベルにいれば「鍛える」ことなぞできないでしょう。教えられる指導者ならばそれを教え、そうでない指導者ならば自分ができること(理解していること)を教える。それしかできないでしょう現実は。

しかし、子供に「自分にその能力がある」と気付かせることはできるはずです。自分ができなくても、そのような能力が「存在する」ことを「理解」している指導者ならばそれができるでしょう。

しかし、往々にしてそのような能力を持たない指導者は、その価値についても認識が低い場合が多いようです。

酒のつまみになるようなレベルではなく、教えるという方向であることは明白なんですが・・・。
Posted by at 2010年11月22日 01:31
>> 01:31氏は、なぜ武藤氏が子供たちに「それを一切教えていない」と断言されるのでしょうか。

そもそも「駆け引き」、「鍛える」の両方の言葉の意味があいまいで議論に適さないとも感じます。
(であればこそ「酒のつまみ」なんですが。)

私の感想ですが、01:31氏の言うところの
> 子供に「自分にその能力がある」と気付かせる
ことこそが武藤氏のやられている指導そのものではないでしょうか。
鍛えるものではなく、本人が気付く、または気付く手伝いをするものだ。と武藤氏は主張しておられるように感じます。

「駆け引き」がどのようなレベルの駆け引きを差しているのか解りませんが、むしろ本文の武藤氏のクラブが「駆け引き」を一切教えずに、本文のような結果、強豪と互角に戦えるチームにまでなったのなら、却って賞賛に値すると思いますが。
Posted by at 2010年11月22日 12:17
>12:17氏
>01:31氏は、なぜ武藤氏が子供たちに「それを一切教えていない」と断言されるのでしょうか。

あれ?そんなこと書いてありますか?
「一切教えていない」なんてどこにも書いてないですよね??? 「武藤氏が子供たちにそれを一切教えていない」というのは、あなただけの、あなたが勝手に作りだした主張ですよ。(笑)

別に武藤氏がどうのこうの言っても、このチーム、(ご本人が自身が「補佐役」と言っているように)元JSLさんがきちんと戦術も駆け引きも指示していますから良いのでは?

元JSLさんが試合の開始前にきちんと「チームの現在の立ち位置」を把握し、「それに基づく戦術」をたて、それを指示し、そのとおりにチームがプレイして勝ったと書かれているではないですか。子供たちは、「ああ、この場合攻めていいんだ」「いつものとおりじゃなくて前に人数をかけていいんだ」と理解したことでしょう。
ああ、元代表監督にこの能力があったら・・・。選手を「だったら出てけ、帰れ」なんて言うのが監督だと自慢している姿を見て、改めて元代表監督が「アホのパワハラ」と確信しました。(笑)

◆言葉の定義がいい加減であることは同意します。

まず、そこを定義するのが最初ですね。そうすればこのような混乱はそもそも起きない。永久欠番の話しでもそうでした。
一般論として、感情に訴えて見せたり、騒いでいるポーズを見せたりするような場合には定義を意図的に曖昧にするのが便利ですけど・・・。(あっ、講釈師かw)

言葉の定義が明確にされてないことによる混乱はつまりませんね。
Posted by at 2010年11月22日 13:23
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