2011年02月12日

(書評) サッカー「真」常識 (後藤健生著、学研)

 ご承知の方も多いと思うが、後藤氏と私は日本サッカー狂会で知り合った友人。友人と言うには失礼で、先方が大先輩で、氏は私のサッカー観戦の師匠にあたる。また「お前もちゃんと観る語るだけではなく、サッカーの文章を書け」と叱咤してくれた方でもある。お気づきの方もいらっしゃると思うが、時々拙ブログにも氏には登場いただいているし。まあ、人の事は言えないが、後藤氏こそ、私を凌駕する典型的な病膏肓に入った御仁。その後藤氏の書き下ろし新著が本書である。

 正直言って、その内容の濃さには圧倒される。氏の著作と言うと、サッカー観戦のおもしろさを並べた「サッカーの世紀」(サッカー分析系)、フランス予選の死闘の従軍記とも呼ぶべき「アジア・サッカー戦記」(観戦記系)、徹底した資料調査に基づいた「日本サッカー史」(歴史系)などが挙げられる。本書はサッカー分析系の典型であり、氏としては「サッカーの世紀」以来の会心の作とも言えるのではないか。「サッカーの世紀」発刊後15年、約4ワールドカップの氏の経験を織り込んだ、サッカー観戦の愉しさ、深さを論じた一冊とも言える。

 各章で述べられている主題をいくつか要約する。
  シュートがパスより難しいのは何故か。そのシュートを打つために必要な「スペース」を確保するための「戦術」の数々。
  「手を使えない」と言うルールが生んだサッカーの特殊性と、それが故のターンオーバの妙味。そしてオフサイドの存在意義。
  ビエルサチリとオシム爺さんの「攻撃的守備」、ヒディンクとモウリーニョとサベージャ(エスツィアンデス)の「バルサへの抵抗」比較。
  「引き分け狙い」「アウェイゴールルール」「2-0の安全性」などにおける、メンタルゲームとしてのサッカーの妙味。
 書き始めるとキリがないので、このくらいにするが、拙ブログを愉しんれくれるような方々には、何とも魅力的な題材に思える事だろう。これらについて、豊富な観戦経験から切り出される実例を用いた、独特の後藤節での丹念な語りが愉しい。病膏肓型の友人がいるならば、お互いに本書を読み合った上で議論すれば、いくらでも酒の肴が出てくるので、愉しい事この上ないだろう。
 ただ不安もある。いわゆるサッカーに関する初心者の方が、何気なく本書を購入しても、何を書いているか理解できないのではないか。氏は極力わかりやすいように、説明図を準備したり、登場するサッカー人について丁寧な説明をしているが、それが初心者にどこまで通用するのか。まあ、いいや、それが本質的でない事は言うまでもない。

 ついでと言っては何だが、本書の序章の一部を抜粋しておこう。氏の本書に対する意気込みが感じられるだろう。
 「戦術」と言う言葉は非常に広い意味を持つ。
 だが、日本代表のカメルーン戦での得点シーンのように、相手のストロングポイント(エトーやアエスコットの攻撃力)を消し、相手のウィークポイント(カメルーン守備陣の混乱や守備の弱いアエスコット)を突くための作戦。それこそが、本来的な意味での「戦術」なのではないだろうか。
(中略)
 もっとも、11人の選手の役割とその相互関係をすべて理解したり、すべてについて論じたりするのは不可能だから、11人の選手のそれぞれの動きの中で、どの選手のどういう動きがゲームの流れを決める上で重要だったかのかを見極め、そこの部分を取り上げて論じなくてはならない。はっきり言って、なかなか難しい作業だ。
 その点、「戦術」と称して選手の並びの話だけをしておけば、そうした難しい議論をしなくても済むことになる。たとえば「スリーバックがいか、フォーバックがいいか」といったようにである。つまり、サッカーについての一応の基礎知識さえあれば、「システム」論はすぐに論じられるようになるし、そこには数字や専門用語いろいろ出てくるので、自分が難しい戦術の話をしているような気分にもなれるというわけだ。
 「システム」論だけを切り離して、それを「戦術」論として論じてしまうというのは、つまり書き手にとっても、読み手にとってもとても便利で、また楽な作業なのである。それが、最近の日本で『戦術論』と言う名の下で「システム」の話をするのが大流行している原因なのだろう。
 だが、それでは単なる自己満足に過ぎない。本当の意味でサッカーを語ったことにならない。第一、複雑で多面的な面白さを持ったサッカーというゲームを『戦術論』だけで語ってしまうのは、あまりにもったいない。


 実は、私がブログで後藤氏の著作を採り上げるのは初めて。と、言うのは、拙ブログを読んで下さる方々ならば、氏の著作をフォローするのは当然だろうと思っていたから。ところが、本書はやや違う。この正月休みに書店を冷やかしていて本書を発見したのだが、本書は昨年11月に発刊したものだった。私が不勉強だったせいかもしれないが、本書の発刊そのものを知らなかったのだ。複数の友人に尋ねたのだが、本書の存在を知っていた人間は非常に少なかった。と言う事で、採り上げる事にした次第。学研はもっと、ちゃんと宣伝した方がいいんじゃないかね。
 本書の帯部には「サッカージャーナリストの草分け後藤健生、サッカー取材人生の集大成」とキャッチが打たれている。最初書店で本書を見つけた時は、このキャッチを読み、「何とオーバーな」と思ったが、読んでみるとそうオーバでもない気になってくるような作品なのだ。
 そうなると、四六判の並装、税抜き1400円と言う本書の企画が疑問にも思えてくる。どうせだったら、ハードカバーで2000円くらいで「新サッカーの世紀」とか「サッカー観戦学」とか「サッカーの常識」と言った強気の題名にして販売した方が、もっと売れるのではないかと思うのだが。まあ、値段が安い事に文句を言ってはいけないね。

posted by 武藤文雄 at 23:30| Comment(5) | TrackBack(0) | 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
勢いとはいえ選手をゴミ呼ばわりするする人を、このブログを見ている人皆が支持するとは限りませんよ
Posted by at 2011年02月13日 14:00
※1
気持ちはわかるけど何も一番乗りで言う事ではないわな…
Posted by at 2011年02月13日 20:09
後藤健生が強烈な古河電工サポだったことを知らない御仁が増えてしまった(嘆)
そのくせセルジオ越後には日本サッカーへの愛情を感じるとかいうお人好しが多いのが日本のサッカーファンの生態である(嘆)
Posted by >Posted by at 2011年02月13日 14:00 at 2011年02月14日 20:32
>「新サッカーの世紀」・・・と言った強気の題名にして販売した方が、もっと売れるのではないかと・・・

1995年の事実上の処女作(ということはry)『サッカーの世紀』と、弱い15年を経た、2010年の『サッカーの真常識』の日本サッカーへの評価の違いを読み比べるのは、なかなか愉しい。
Posted by 五反田西口 at 2011年03月02日 00:55
> ご承知の方も多いと思うが、後藤氏と私は日本サッカー狂会で知り合った友人。

狂会???
ふつうこんな誤変換するかね?FEPの特性からすると普段使ってるということか。
びっくりした。
Posted by at 2013年01月06日 17:09
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