多くの読者はもうご存知だろうが、ベガルタ特集、と言うか「地震に負けるな!」と言う日本中のサッカー人からのメッセージ集だ。不肖講釈師もコラムを書かせていただき、末席を汚させていただいている。このような企画を早急に組んでくれた同誌に多謝。
1面と最終面に渡るぶちぬきのゴール裏写真と、自らも被災した板垣晴朗氏のコラム。2、3面の各クラブサポータの方々の声、第2次大戦の戦災や阪神大震災を生き抜いてこられた賀川浩氏からの重厚な励まし。ライバルモンテディオの番記者佐藤円氏の激励。4、5面には、カズを筆頭にJリーガ、監督達からのコメント。ブラジル在住下薗昌記氏による、ワシントン、ジーコらブラジルサッカー人の言葉。あと、拙稿。6、7面は海外からのメッセージ、8、9面は各Jクラブの現況紹介。11面には、「サッカー仲間ができる事」活動の紹介。また、川端編集長は2つのコラムで、この苦境に対してサッカーが何ができるを論じてくれている。そして最終面はとうこく節。
行き帰りの超満員電車(電力制限のせいで、昨日に続き、通勤電車は尋常でない混み方だったのだ)で、これらを読んだのだが失敗した。よい歳になり、ますます涙腺が弱まっていてねえ。
一方、今晩は同じく被害にあった在仙のサッカーライター小林健志氏(首都圏の実家に避難中)と電話で会話する事ができた。ベガルタの実情は相当厳しいらしい。各種報道にもある通り、ユアテックスタジアムの被害は相当の模様。またクラブハウスも相当な損害を受けているらしい。たとえ、仙台市内の状況が好転しても、果たしてまともにトレーニングを再開できるかどうかすら疑問との事だった。
けれども、選手達、スタッフ達は皆無事だったとの事。この悪夢のような災害を考えると、それだけで大変幸せの事のように思える(唯一ユース選手1名との連絡がつかないらしい、無事との不確定情報はあるらしいが)。
正直、現地の惨状を聞くにつれ、ベガルタがどうなってしまうのか、気が遠くなってくる。
でも、とうこくワールドで、ディーオ君が、ベガッ太に語ってくれた事が全てなのだろう(すみません、編集部の方々、とうこくさんの15面もPDFにしてください)。
そうやって、ちょっとずつこさえたもんは大丈夫なの。外っ側さ壊れでも、ちゃーんと残ってんの!そうだ.ブランメル時代から合わせて15年、それを長いと見るか短いと見るかは別として、正に少しずつ我々は「こさえてきた」のだ。それは、たとえ日本一のスタジアムに大きな被害があったとしても、崩れ去るものではないはずだ。
板垣氏のことばの一部を抜粋させていただく。
時として、フットボールの力も、それを伝えるペンの力も、自然の力の前では無力になることもある。決して現実の厳しさから目をそらすつもりはない。まだ何ら楽観的な事を語れる状況ではない事もわかっている。そして何より、まだサッカーの事を語る時期ではないのかもしれない。
だが、災害で傷ついた方々の勇気を呼び起こす力もまた、フットボールは持っている。どこのチームでプレーしていても、どこのチームをサポートしていても、その人にはフットボールを通して守られる笑顔があり、フットボールを通して湧いてくる力がある。
世界中で勝利を求めて戦うフットボーラーが、そしてフットボールを通じて仲間となったすべての人々が、震災と戦うあなたへと力を送っている。そのことを、忘れないでほしい。
でも、仙台にはベガルタがある。私達が、少しずつ、こさえてきたベガルタが。
>決して現実の厳しさから目をそらすつもりはない。まだ何ら楽観的な事を語れる状況ではない事もわかっている。そして何より、まだサッカーの事を語る時期ではないのかもしれない。
とのお言葉だが、本当に不謹慎なのは一生懸命な人々に向かってそれを嘲るような者のことではあるまいか。
サッカーを愛するこころでは武藤様にかなわないけど、バカだけは負けない自信があるので、この場を拝借して、ひと言文句を言わせていただく。
「サッカーはエンターテインメント。( 中略 ) 所詮は娯楽。何のかんのと言っても、絶対になくてはならないものではありません。サッカーがなくても人間は生きることができます。」 by 杉山某氏
みたいなコメントが巷で幅を利かせるのも、理解は、できる。
サッカーがなくても人類が生きられるのは当然のことで、一見、とても理にかなっている言動にも感じられるのかもしれない。
しかし本当にそれでいいのか?
確かに、サッカーがなくても人類が生きられるのは当然だけど、それは何もサッカーを含むエンタメに限ったことではないだろ。車がなくても電気がなくても人類は生きていけるのではあるまいか。
極端な話をすれば、食欲と睡眠欲さえ充たされれば生きてはいけるのだ。
しかし本当にそれだけでいいのか?
それだけでよいのなら人類は何ら他の動物たちと変わらないということになるし、我々を人類たらしめているのは、芸術とスポーツを包括するところでの文化であるのではなかろうか。
こんな時だからエンタメは自重しろなどとのたまえる御方のこころの貧しさが、かえって個人的にはひどく嘆かわしい。
職業選択の自由とは、我が日本国憲法で定められている基本的人権であり、あらゆる職業は差別されるべきではないと私は認識しているのだがどうだろう。
こんな時だからこそ、我々は昨日にも増して日々を必死に生きなければならないし、全力で働いて全力で遊ぶ義務があると思うのだ。
職業サッカー選手もパチンコ屋の店員もえーぶい女優も会社員も、誰ひとりその職業によって蔑まれてはならないと思うし、職業サッカー選手はサッカーをすることが仕事なのだから誰が何と言おうと堂々と胸を張ってピッチで闘えばそれでよし、ではなかろうか。
無論、被災地および計画停電のエリアで試合を組むのは謹んでいただきたいし、「被災地の方々に勇気を」みたいな美辞麗句な宣伝文句も自重してほしいが、どんどん闘って、その中からわずかでも義援金を捻出していただければそれに越したことはないと考える。
二百年に一度の未曾有の大洪水を想定してスーパー堤防を造ろうとした石原氏と、非現実的と一笑に付した蓮舫氏の、かのやりとりをちょっと思いだしてしまうのだが、たかだか400年ほどの未来を杞憂できない人間にやはり私は国の未来など任せる気持ちにはとてもなれないのだ。
頭上に輝く太陽さえ、永遠ではなくいずれは消滅する。気の遠くなるような遠い未来を憂いて然るべき将来のために、放射線の飛びかう宇宙に向かって危険を顧みず我々の子孫が辿り着くべき新たな故郷を求めて移住可能な惑星を探すプロジェクトの方がむしろ人類の本質ではあるまいか。
我々人類だけは、幸か不幸か現在この地球上で唯一、それが出来る存在なのだから。
きょうを一生懸命生きることは大切だ。が、同時に未来を創ることの意義も決して蔑ろにしてはいけない。
こんな時に不謹慎だと言いたい方はいくらでものたまえばよろしいが、そんな不謹慎なお歴々に諂う必要は断じて、ない、と個人的には思う。
サッカーだけを殊更庇護する気持ちはないが、堂々と誇りをもって、その職務をまっとうしてほしいと強く望む。
1気圧上なら水の沸点は摂氏100℃だが、218気圧を超える海底では、その存在を超臨界水として変貌させ脱水縮合を可能たらしめる。
私をいまこの世界に存在せしめてくれた、生命の奇跡に感謝を。
【 You'll never walk alone. 】
そして誰も読まない(笑)
ア然としますわ…。