2011年07月21日

究極の贅沢に乾杯

 決勝前。
 日本も合衆国も、組織的な攻守が売りで、精神的にも粘り強く、攻撃に切り札を持っている。最前線のタレントの体幹の強さ、平均体重と身長、世界での優勝経験などの差から、先方の戦闘能力が上な事は間違いないけれど。
 日本のやり方は試合前から決まっていた。最前線からチェイシングを行い、敵の中盤から容易にパスを出させず、最終ラインで丁寧に受け渡しをして粘り強く守る。攻撃は中盤でボールを奪ってのショートカウンタ、サイドバックが上がってのサイドアタック、それにセットプレイ。無論、スカウティングによる合衆国各選手の特長、欠点に対する対応はあるにしても、チームとしてのやり方はそうは変わらない。
 一方、合衆国にはいくつかの選択肢があった。そして、ドイツ戦とスウェーデン戦は、彼女達にとって、格好のスカウティング材料となった。
 ドイツのやり方は、最前線から日本の守備陣に徹底してプレスをかける事だった。これにより、日本のパス回しを封じる事には成功した。しかし、攻撃はゴールに急ぎ過ぎ、浅い位置からのクロスが多くやや単調になり攻め切れず。北京五輪までの日本は角度の浅い位置からのクロスが弱点だった。しかし、この試合ではドイツの強引な攻撃を、全員の適切な連携と、岩清水の冷徹な指揮で防ぎ切った。さらに、あれだけ日本の最終ラインにプレスをかけたためだろう、終盤は特にドイツ前線の選手のスタミナ切れが顕著だった。
 スウェーデンのやり方は、最終ラインを固め、日本に攻めさせて、長いボールの逆襲を狙うものだった。これは、北京五輪で日本に対し、合衆国やドイツがとって成功したやり方。日本の攻撃を最終ラインで止めて、攻め疲れを突いた。ところが、この準決勝、スウェーデンは、澤のミスパスから先制点を奪い優位な体勢に立ちながら、引いた事で自由にボールを受ける事ができた大野と宮間に粉砕された。

 北京五輪と比較し、攻守両面で明らかに向上している日本に対し、合衆国はこのドイツとスウェーデンの失敗を的確に分析した策をとってきた。まず守備面では、澤と阪口に強烈なプレスをかけてきたのだ。この2人からパスが出なければ、日本の攻撃は寸断される。ただし、日本のDFまでは深いチェイスをしない。これによりドイツほど最前線の選手は疲弊しない。
 さらに、単純なクロスは上げず、サイドチェンジを使い、逆サイドに人数をかけた突破をねらってきた。日本の両サイドバックの近賀と鮫島は足はかなり速いが、合衆国のサイドチェンジのタイミングの早さと射程距離の長さは相当で、どうしてもサイドで数的優位を作られ、幾度も突破されてしまった。
 戦闘能力がより高い相手と決勝で戦う難しさは、敵が用意周到に勝つ確率を高めてくる事にある。この手の大会はどんなチームでも決勝にたどり着く前にカードを出し切ってしまうからだ。それでも、日本は岩清水を軸にしつこく守り、阪口がこぼれ球に適切に反応し、合衆国のシュートミスにも助けられ(日本が粘ったからシュートが外れると言う見方もある)、前半を無失点でしのぐ事に成功した。
 阪口と澤が押さえられているのだから、比較的プレッシャがかかっていない岩清水が前線につなぐ事で(ドイツ戦の決勝点も、スウェーデン戦の先制点も、岩清水の正確で速いパスから生まれたものだった)、活路を開きたいところだったが、あれだけ猛攻されるとさすがに岩清水もそこまでの余力はないようだった。
 ここで苦境を救ったのは大野だった。他の中盤の3人が、合衆国のプレスに押し込まれる中、忠実に守備をこなしつつ、幾度も前進し好機を演出した。判断のよい素早い前進と、正確なファーストタッチと、加速のよいドリブルを駆使して。安藤に通したスルーパスが、もう数10センチ内側に通っていたら、日本は前半に先制できるところだった。もちろん、合衆国の守備陣の網が、その数10センチを許してくれなかったのだが。この大野の奮闘があったからこそ、合衆国の序盤の猛攻は、30分過ぎにとだえた。最も得点が期待できる大野の中盤起用には再三疑問を述べてきたが、佐々木監督の慧眼に脱帽。これはワールドカップの決勝戦、大野のプレイに78年のアルディレス、94年のジーニョを思い出した。

 後半も序盤押し込まれるが、徐々に合衆国のプレスも緩くなり、阪口が展開できるようになってくる。そして20分過ぎ、佐々木監督は永里と丸山を、大野、安藤に代え同時投入。2人の前線選手の同時投入は、チーム全体に「ここまで我慢してきたが攻めるぞ」と言うメッセージになる。丸山と永里は強さに魅力がある。これまでの安藤の質のよい動き出しと、大野の切れのより技巧による攻撃からの変化に、明らかに敵守備陣が混乱する。ベンチに実績のあるFWを2枚置いておけた事そのものが、このチームの充実を示すものだ。
 けれども、ここから試合は予想外の展開となっていく。丸山との少人数攻撃から、永里が強引にシュートに持ち込もうとするも、敵CBと見事な速さで戻ってきた敵MFに囲まれてボールを奪われる。そのボールを奪ったラピノーが、高精度なロングフィード。見事な動き出しを見せたモーガンに、この日見事な守備ぶりを見せていた熊谷が振り切られ、ついに失点してしまった。
 昨年の欧州チャンピオンズリーグ決勝で、モウリーニョインテルが、バイエルンを仕留めた速攻を思い出した。どうやって、これを防ぐと言うのか?永里が無理をすべきではなかった?永里はあそこで無理をして得点を狙うために起用されているのだ。阪口なり澤の押し上げが遅かった?あれは合衆国の中盤選手の戻りを誉めるべきだろう。熊谷のマークが緩慢だった?そうかもしれない、でもあの精度のパスに合わせて事前に前を向いて全力疾走するモーガンをどう押さえるべきか。ここはラピノーとモーガンに脱帽するしかない。
 しかし、序盤に日本を悩ませた合衆国のプレスはもうない。全体のラインをコンパクトにして、阪口を起点に、澤と宮間の前進が顕著に。
 川澄がボールを奪った時、宮間は相当後方にいた。永里の前進時に手を上げてファーに走り込むのが映ったが、実に見事な長駆。そして敵陣前の錯綜。合衆国DFがクリアしたボールを、とっさに腿でコントロール。ここまで来れば、宮間にとってブロックするGKの逆を突いて流し込むのは何も問題がない。それにしても、あの腿のトラップは、長駆直後の偶然とも言える場面で見せた、信じ難い技巧の冴えだった。
 敵陣でボールを奪ってのショートカウンタは、常にこのチームが狙っている攻撃。川澄のパスを受けた永里の見事な切り返しからの低いボールに飛び込んだ丸山。皆が己の仕事を貫徹したから、ボールは宮間の前にこぼれたのだ。

 ワンバックの一撃。日本のサイドを切り裂いたモーガンのドリブル。そして、ここまで見事にワンバックを押さえていた熊谷が、モーガンを注視した瞬間、ワンバックは熊谷の視野から消えた。2006年のブラジル戦、前半終了間際にロナウドを見失った中澤を思い出した。熊谷はワンバックの高さには負けなかった。けれども、ワンバックとの駆け引きに敗れたのだ。
 日本も幾度も好機を掴む。澤の抜群の視野の広さから、近賀がこれまた驚異的な長駆で抜け出すが、合衆国DFも信じ難い粘り。近賀のシュートはDFにあたり運命のCK獲得。GKソロが味方と交錯し負傷。相当痛そうだ。97年ジョホールバル、これまで痛んだフリばかりしていたアベドザデが本当に痛んだのを思い出した。
 澤のシュートはどこで蹴ったのだろう?これについては別途講釈を垂れたい。ただ、澤の存在感と宮間の精度。それがあの場面で出るのだから、恐れ入る。
 ワールドカップの決勝で、PK戦突入直前に退場し、残った仲間が勝利を提供してくれるって、世界中の守備者の夢ではなかろうか。岩清水のあの瞬間の「滑るしかない」と言う判断の的確さ。あの疲弊した時間帯に、なおあのスピードで前進できるモーガンの見事な縦前進能力。元々「得点機会阻止」と言う反則と赤紙、黄紙の義務づけが適切かどうかと言う現行ルールへの疑問。そして、あの残り時間少ない時間帯では、退場しても懲罰的意味合いが全くないと言う事実。サッカー的にも実に深い議論ができる退場劇だった。

 PK戦については、佐々木氏の笑顔と、海堀が1本目を足で止めた場面が全てだろう。あの海堀の足の動きを見る限り「PK時に読みが外れて中央付近にボールが飛んだのを、いかに足で止めるか」を想定しての鍛練を相当積んでいたのではないか。そう考えると、この海堀の勝利は、そのまま山郷のぞみの勝利とも言える。

 合衆国の対応は完璧だった。上記した通り、十分なスカウティングから、適切な作戦をとり、日本は完全に追いつめられた。
 この合衆国の内容の攻撃の鋭さに感心し、一方でそれに全く伍して戦った、我が女子代表にもまた感心させられた。確かに平均身長体重の差はあり、接触プレイで飛ばされる事も多かった。けれども、見ていてかつての女子代表の悲壮感など、みじんも感じないほど、各員が鍛え抜かれていた。体格差、特に体重差はあったものの、それが致命的になるほどの差ではなかったのだ。実際、日本が奪われた2得点はいずれも、高さや強さと言ったフィジカルではなく、技巧と駆け引きと速さにやられたものだった。つまり、サッカー的な能力差を発揮されて失点したのだ。
 一方で、合衆国の守備もよく、日本は得意の高速パス回しも思うに任せなかった。それでも、粘り強く戦い、ここぞと言うところで、宮間と澤と言う名手中の名手が、あり得ないような個人能力を発揮して追いついてくれた。諦めない精神力は見事だったが、これは合衆国もまた同じだったし、世界中サッカーの強いチームは「諦めない」のは当然の事だ。日本が見事だったのは、合衆国の隙を突き、世界最高の攻撃創造主の宮間と、世界最高の名手の澤が、その技巧と判断力をフルに発揮して得点を奪った事なのだ。
 あまりに重いタイトルがかかったこの試合で、合衆国が主に攻撃で、日本が主に守備で、それぞれ最高レベルの知性と連携を発揮し、ついには両軍の攻撃のスーパースタアが、それぞれ存分に個人能力の粋を出した得点を決めた事。それにより、この試合に、本当の意味で興奮し、感動させられたのだ。何と贅沢な試合だった事か。そして、その贅沢を、自国の選手が見せてくれると言う、究極の贅沢。それも世界一を争う舞台で。

 今はただ、両軍の選手達、チームスタッフ、そしてサッカーそのものに感謝するのみ。
 そして、こんな鮮やかな試合を見せてくれた上に、澤と仲間達には、世界タイトル獲得と言う、最高の歓喜を提供してもらえたのだから。乾杯。
posted by 武藤文雄 at 23:50| Comment(18) | TrackBack(0) | 女子 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
澤はもちろんですけど、宮間にも脱帽です。
彼女はサッカー以外の道を選んでいても、要職について高いパフォーマンスを発揮したことでしょう。
よくぞサッカーを選んでくれた!とつくづく思います。
人生の機微、面白さを実感しますね。
Posted by たろうの尻尾 at 2011年07月22日 02:57
あの試合が眼前に蘇ってくるような熱い文章でした。
Posted by とめ at 2011年07月22日 04:58
その「最高に贅沢な試合」を、本業都合のドイツ出張に乗じてヴァルトシュタディオンで見ることができました。

人生の手段と目的の逆転には私も常々悩んでいるところですが、今回ばかりはまあ悪くない手段で生きているなぁ、と思ったところです。

しかし、私の目の黒いうちに、しかもこの目で我が代表がワールドカップを天に掲げる瞬間を目撃して、もう涙が止まりませんでした。。。
Posted by Ja at 2011年07月22日 06:51
98年フランス大会、クロアチア戦、中田のパスを受けた中山の完璧なトラップもまた腿だったように思います。宮間のトラップからの連想です。
Posted by hisa at 2011年07月22日 07:37
熱い考察で読むサッカーの醍醐味を味あわせていただきました
脱帽です
宮間と澤がCKの前に打ち合わせていた通りでしたがあれがゴールマウスに吸い込まれていくなんてサッカーの神はいるんだなあと感動しました
ちっちゃな娘っ子達の未来に乾杯しました
Posted by ロベルトヤマ at 2011年07月22日 10:31
この文章で、また泣いてしまいました。

無心だった日本に対して、アメリカは何か見えないものとも戦っていたように思います。
なによりもフェアプレー賞も受賞しての優勝というのが素晴らしい!
Posted by pon at 2011年07月22日 10:53
あの素晴らしい決勝戦について、サッカーに関する膨大な記憶の蓄積を紐解きながらの講釈、堪能させていただきました。こうやって後から何度でも楽しめるんだから、本当に贅沢なことです。
Posted by kev at 2011年07月22日 11:08
「女子」カテゴリの記事を読み返していました。
彼女たちが素晴らしい試合をしながらも高い壁に屈する姿を見る度に、世界と戦うにはフィジカルをなんとかしなければならないと思い込んでいました。
あくまでも彼女たちの知性と技巧を信じ続けた武藤氏はさすがですね。
なでしこの花が咲く過程をリアルタイムで体験することができた幸運に感謝です。
Posted by (−(ェ)−) at 2011年07月22日 13:14
自分としてはドイツ戦前の武藤さんの講釈につきますね。倒れそうになっていた体を起こしてくれた事に感謝。応援し続ける強い気持ちを維持するというのは以外に難しい。この気持ちを忘れないようにしたい。あと、俺も倒れそうな人がいたら起こせるようになりたいと思いました。

ありがとうございました!カンパイ!
Posted by coffee at 2011年07月23日 00:54
前線2人の同時交代と傷んだ相手GKを見て「武藤師なら『ジョホールバルを思い出す』って書きそうだなあ」と思っていたら、期待にたがわず書いて下さってありがとうございます(笑)。
Posted by katz at 2011年07月23日 01:57
>でもあの精度のパスに合わせて事前に前を向いて全力疾走するモーガンをどう押さえるべきか。

いやいや、次は何とかすると思いますよ。その為にドイツに行くんだし。
大体、モーガンとはこの先10年は戦い続けるんですから、
やられっぱなしじゃ終われんでしょう。

しかし、熊谷がこんなにいい選手だとは思わなかった。
妙な事に巻き込まれちゃったけど、CBは経験を積むのも
修行ということにして(←それで済ますのもいかがなものか)
更なる成長を。
Posted by masuda at 2011年07月23日 06:11
「とにかくクロアチアに勝つのだ」とはまた違った意味で、講釈史に残る名文ですね。
Posted by yosueh at 2011年07月23日 13:24
過去に読ませていただいた中でも有数の名講釈かも。
そして、Jaさんのコメントが、まことに羨ましいと同時に、同じく人生の手段と目的の逆転に悩む者としては、かくありたいと思った次第。

そういえば、昨夜放映していたBS1の番組で、VTRでコメントしていた唯一の現役選手が今野泰幸で(この人選自体がシブいが)、しかも彼が岩清水の最後のディフェンスを彼らしい言葉で讃えていたのが素晴らしいと思いました。
Posted by p at 2011年07月23日 17:33
読んでいて試合の熱が見事によみがえってきました。
また自分も「とにかくクロアチアに勝つのだ」を思い出しました。
数々の講釈の中で、歴代TOP5に入るのではないでしょうか?
(南アフリカW杯後の講釈で、W杯ベストメンバーを選んだコラムもよかったです

W杯優勝し、次の五輪で金メダルを取ったチームは未だないとのこと。
非常にチャレンジ甲斐のある目標ですよね。

明日、なでしこリーグを見に行ってきます。
Posted by むさきち at 2011年07月23日 22:16
ありがとうございます!

年寄りになったら「そうじゃ、あの女子W杯優勝のときには、ひとりの名講釈師がおってのう〜」などと、孫に講釈でも垂れさせていただきますー(微笑)

Posted by Dortmund06 at 2011年07月26日 11:39
こんなに早く日本人からバロンドール受賞者が出るとは、夢にも思わなかったです。
世界一の選手とチームを持てる国になったんですねえ。
Posted by カレン at 2011年07月26日 13:57
いやはや、まさしくもう、究極の贅沢でしたね。
こんな贅沢を生きている内に味わえるとは...

やっと感動の余韻が抜けてきて、あらためて思うのは、ワールドカップの決勝戦がゲームとして面白かったのは、今回が初めてではないでしょうか。

私が日本人で、日本チームが出ているので特別に感情移入できたことを差し引いても、フットボールの魅力満点の試合だったように思うのですが、やっぱり身贔屓ですかね。

Posted by ハムダルマ at 2011年07月28日 20:28
てんこ盛り。おもしろい。
阪口の評価、宮間の膝トラップの解説は秀逸。
只、アルディレスのクレバーさは、
阪口×宮間÷2のような感じ。
Posted by at 2011年08月06日 16:53
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/216018201

この記事へのトラックバック