1月20日(つまり、昨日の金曜日)発売のエルゴラッソに掲載されている、(この世代を精力的に取材している事で定評のある)安藤隆人氏による四日市中央工業高の樋口士郎監督のインタビュー。これは、上記の議論への、非常に有効な材料となるものだ。U18強化に興味ある人は一読の価値がある。明日の日曜日までは、コンビニやキオスクでも販売されているだろうから、是非。
見開き2ページに渡るこのインタビュー。最初1/6で今回の高校選手権を振り返り、真ん中の1/2で樋口氏の四日市中央工業高での監督振りを反芻、最後の1/3で氏の高校選手権への想いをまとめている。高校選手権に半生を賭けてきたこの男の発言は、深くて重い(「狭い」と言うツッコミは禁止します)。
若い方々には、樋口氏の経歴はなじみが薄いものだろう。樋口氏が高校生だった時分の、高校選手権を振り返りながら、その経歴を紹介してみる。
ずっと関西で開催されていた高校選手権を、日本テレビ系列が中継にするようになったのが70年代初頭の事。大会を盛り上げたい同局が「政治的手腕」でこの大会を首都圏に移動したのが、76ー77年大会だった。
最後の関西大会を優勝したのは浦和南高。決勝では、エースの田嶋幸三の見事な2得点で、吉田弘、石神良訓がいた静岡工を下した。
そして、翌年の最初の首都圏大会。浦和南が連覇。決勝で5対4で、井田勝通氏が率いた静岡学園を破った激闘が行われたのは、若い方々でもご存知かもしれない。1年生の、浦和南の水沼貴史、田中真二、静岡学園の森下申一らの活躍が話題となった。ちなみに、準決勝で浦和南にPK戦で敗れた帝京の主将は、佐々木則夫と言う男だった。
そして翌年、浦和南の3連覇を阻止したのが、主将の樋口士郎率いる「彗星のように飛び出した」四日市中央工業高だったのだ。国立競技場で行われた準決勝、序盤で1対1となった試合、水沼を軸とした浦和南の猛攻を、長年日立の中核選手として大活躍する吉川亨(この選手は、四日市中央工業高が生んだ史上最高の選手ではなかろうか)、フジタで活躍するGK浜口らが丹念に守る(士郎の2年下の弟、靖洋も相応には活躍していた)。そして、我慢を重ねた四日市は終了間際、大エースの樋口が実に見事なドリブル突破から決勝点を決め、浦和南を突き放したのだ。翌日の決勝戦、準決勝に全てを注ぎ込んだ四日市は、宮内聡、金子久、早稲田一男らが3年生となっていた帝京に0−5で完敗した。しかし、この大会最も鮮烈な印象を残したのが、樋口士郎だったのは間違いない。大会後、あの辛口で定評のある岡野俊一郎氏をして、樋口を「久々に登場した大柄で技巧に富んだストライカ」と,高く評価させたのだから。
当時、多くの高校の優秀選手が大学に進学する中(そして、多くの逸材が大学でその素質を無駄に費やしていた)、樋口は当時JSL2部の本田技研に加入。以降本田でも順調に活躍し、1部昇格にも貢献し、JSLでも好プレイを見せたが、日本代表にまでは至らなかった。選手生活の晩年、プロフェッショナリズムを指向する、浜松をホームタウンとするPJMフューチャーズ(つまり、ある意味でサガン鳥栖の前身とも言えるクラブだ、もちろん、「ある意味では」だけれども)に移籍するなどした以降、母校四日市中央工業高のコーチングスタッフに加わる。
中西永輔、小倉隆史、中田一三を擁して全国制覇した3年後、樋口氏は城先生(今年の決勝戦、にこやかに応援している、元気な城先生の姿を見て、嬉しくなったのは私だけではないと思うのだが)から、指揮権を禅譲されたと言う。そのあたりのいきさつが、上記したこのインタビューの真ん中の1/2の導入部分となる。
そして、何と言っても、その最大の読みどころは、この最後の1/3部分なのだ。一部を抜粋しよう。
ーやはり選手権は特別ですか。
「それはそうです。高円宮杯プレミアリーグにも、プリンスリーグにも、あの雰囲気はないですからね。(後略)」
(中略)
ー選手権自体はもっと大切にしていかなければいけない。
「もちろんです。選手権というものがあるからこそ、選手のメンタルが育つんです。『選手権はW杯と同じだ』と選手には常に言っています。郷土を背負って戦う、試合に出られなかったチームメートの想いを背負って戦う。(中略)日本代表が日の丸を背負って、サポーター、ファン、選ばれなかった選手の想いを背負って、感謝の気持ちを持ってピッチで君が代を聞くのと、国立で校歌を聞くのとは、まったく一緒なんです。選手権というのは、そういうものを教えてくれる場所なんだと思っています。」
ーそれは、ほかのすべての大会にないものですよね。
「絶対にないです。(後略)」
樋口氏の見解を、必ずしも肯定しない。ただ、たとえば南アフリカの代表チームに、川口、遠藤、松井、大久保、俊輔、本田と、22人中6人、高校選手権準決勝以上進出者(国立出場者、高校時代に全国ネットのテレビにでた男)がいた事も確かだとは思う。
だからこそ、繰り返すが、若年層強化に興味がある方々には、このインタビューを読んで欲しいと思う。
また、いずれかの出版社が、樋口氏と比較的近い世代のサッカー人との対談を組んでくれないものかとも思う。たとえば、岡田武史氏、原博実氏、小林伸二氏、戸塚哲也氏、上野山信行氏、山田耕介氏、布啓一郎氏あたり。
錯綜する課題の結論を、単純に述べる事は難しいのだ。
今年の決勝も,名勝負だったとの論評が信じられないくらい,実際には選手達の技術が低く,見ていてイライラした人も多かったのではないでしょうか.
選手権の持つ価値は,今後プロを目指す選手の育成からは切り離されていくのでしょうが,勿体ないですね.クラブチームを引き込む方法を考えている人はいるのでしょうが.
全く異議はありません。
実は、伊藤直司、さらに1年下の熊谷義一を登場させた文章を、1回書き上げたのですが、あまりにマニアックでピントずれたので、整理してアップしたものです。
越後が活躍したのはもう少し後ですね。でも今は指導者だし、靖洋氏はアレだし、小倉・中西・坪井など多士済々をあの田舎(失礼)で育てた城雄士氏の方に興味有りますね。
エルゴラは早いとこインタビューしないとイケマセン!ね。
高校卒業後の3年間で、[日本リーグ優勝][アジアクラブ選手権制覇]を果たした古河電工の主軸としての活躍が、「四中工OBとして、突出した内容と成果だった」のではないかな―――と思いました。