T2を最初に認識したのは小学校3年生の時だった。パルマの7番のユニフォームを着た姿を見てビックリした。(当時中学2年になっていた)坊主の同級生のT1の数年前と、姿かたちがソックリだったから。「おい、お前T1の弟か?」と問う私に「うん、T1はお兄ちゃんだよ」と答えてくれた。
T1は運動神経もよく、まじめに練習に取り組む子だった。しかし、気持ちがやさしいと言うのだろうか、いわゆる1対1でちょっと腰が引けてしまうタイプで、どうしても試合では決定的な活躍はできないでいた。それでも5年生くらいまで熱心に活動してくれたのだが、結局少年団をやめてしまった。あれだけ熱心に取り組んでくれたのに、うまく成長させる事ができなかったので、自分としては申し訳なさもあった。
T1は中学に入り卓球部の主将として活躍、高校でも卓球を熱心にやっていると聞く。もしかしたら、T1のような子は、接触がない競技に適正があったのかもしれない。ただ、他の競技に転向したとしても、幼少時にボールを蹴った経験は、アスリートとしての基盤作りには、少しは役に立ったのかもしれないとは、自惚れているのだが。
その弟が、同じ少年団に加入してくれたのだから、嬉しかった。「T1はやめてしまったけれど、きっと相応に少年団生活も愉しんでくれたのだろう」と思えたから。
そして、T2は、兄同様運動神経もよかった。さらには、負けず嫌いが全面に出る子で、3年生ながら低学年チーム(3,4年で構成)で定位置を確保。その後もずっと中心選手として活躍してくれた。T2のおかげもあり、昨シーズンは我がチームは上々の成績を収める事もできた。ただ、ベンチから騒ぐ際に「いいぞ!T1!」とついつい兄の名前を叫ぶ癖はとうとう直らなかったが。だって、顔つき身体つきのみならず、ボールの止め方や身体の寄せ方もそっくりだったのだもの。すまん、T2。
早いもので、そのT2を送り出すことになった。T2は中学校のサッカー部でもエースを務めてくれるだろう、いや高校に行っても。
Mは我が少年団に私が関与しはじめて最初に送り出す女の子だ。
Mの入団も、お兄ちゃんの影響。兄のFは坊主の1年下、いわゆるサッカーセンスと言うのだろうか、パスを出すタイミングに魅力のある選手だった。そして、Mも兄同様のセンスを引き継いでいた。
ただ、M及びそのチームメートへの指導はちょっと悩んだ。サッカーは勝ち負けを争う競技だが、小学校のうちは結果はどうでもよい事だ。けれども、勝ちを目指して工夫する事、勝ったら本当にうれしい事、負けたら本当に悔しい事、それぞれに真剣に取り組む事はとても重要だ。とすらば、試合直前、あるいはハーフタイムに選手を励ます時には、ついつい「腰を引くな、身体を張れ、お前、男だろう!」くらい言いたくなる。でも、Mがいる時は、異なる表現をとらなければいかんのだよね。こうやって、自分も成長できた。
ワールドカップ予選の翌日、子供たちから問われる。「武藤さん、昨日試合観に行ったんでしょ、誰がよかった?俺は遠藤がよかったと思う。」私が答える前にMが言った。「遠藤もいいけど、宮間もいいよね。」そうだ、宮間は最高だよ、M。
ある日の試合会場。試合と試合の合間。サブのユニフォームはチーム管理、大きな箱に入れる事になっている。何やら、Mがゴソゴソやっている。何をやっているのかと思ったら、ひとつひとつのユニフォームを丁寧にたたみ直してくれていた。
地元の中学校には女子サッカー部はない。でも、Mは近隣の女の子が集まるサッカークラブでサッカーを続ける。
毎年、毎年、新しい子供との出会いがある。お母さん達とも新たな交流がはじまる。
T2のお母さん、Mのお母さんは、坊主の友達のお母さんだ。先方から見れば、私はご子息の友達の親父だ。だから、お二人とは、何かしら対等の立場で会話ができた。この2人が卒団すると、もうそのようなお母さんはいない。皆、世代が下がったお母さん達となり、何となく私は目上の存在になってしまう。今後、お母さんと対等に会話する機会は来ないのだろう。
こうやって、年をとっていくのだな。
当たり前だが、子供たちは育っていく。ただの鼻たれ小僧が、私よりも大柄になり、立派な青年になっていく。見違えるほど立派になった若者に、突然声をかけられた時の嬉しさは格段だ。
サッカーと言う人類が創り上げた最高の玩具を通して、他人様の子供の成長に関与できるのだから、こんなありがたい遊びはない。
感謝します。
しかし心揺さぶられました。また格別でした。ありがとうございました。
自分の指導した子が、サッカーを、スポーツを通じて幸せになってくれる。また自分も豊かな出会いの中で幸せになれる。拝読するうちに多くの人々の顔を思い出し、年取ったこともあるのでしょうが、本当に涙腺が弱くなりました。
私自身は、今は学校から少し離れたポジションにあり、直接子どもとサッカーに係われておりませんが、いずれ(退職したら)地域のオヤジとして地元のクラブに関わりたいとあらためて強く思いました。
日本中にこんな人間がもっと増える先に、Wカップの優勝や、Jクラブの有無に関わらず日常の生活にサッカーが当たり前のように漂う地域がそこかしこに生まれるのだろうと思った次第です。
ありがとうございました。
次回の講釈、心から楽しみにしております。
ご自愛ください。