ああ、正にカンビアッソのプレイ。狙いどころの的確さと、勝負どころでの思い切りのよい飛び出し、間髪いれない前線へのラストパス。この一連のプレイを見ただけで、旅の疲れがすべて癒された。
2012年5月26日、ジャカルタ、セナヤンスタジアム。10万人収容のアジア屈指のこの競技場には、ぜひ1度訪ねたいと思っていた。齢51にして、その機会に恵まれた。それもサネッティ付きで。
この週末は、たまたまジャカルタに滞在する事になり、熱狂性で名高いインドネシア国内リーグを観戦したいと考えた。現地の同僚にその希望を伝えたところ、何と今週はリーグ戦はなしとの事で、あろう事か、インテルミラノ、インドネシアツアー、インドネシア代表戦に案内されてしまった。正直言って、国内リーグの真剣勝負の方がずっと好みなのだが。
まあ、これも縁と言うものなのだろう。考えてみれば、生マイコンは初めてなのだし。
競技場のぐるりは公園になっており、体育館なども併設されている。そして、驚いたのは、公園をウロウロしている観衆のほとんどがインテルのユニフォームを着ている事。正直ちょっとショックだった。この日、コルドバとその仲間たちと相対するは、あなた達の代表チームなのですよ。それなのに、どうして皆が敵の装束を身に着けるのでしょうか。
余談ながら、私はこの青黒縦縞には独特の思い出がある。実は高校時代のユニフォームがこの青黒だった事があるから。当時わが母校のユニフォームは極めていい加減。毎年、上級生が好きな色柄を決めるやり方だった。つまり、毎年チームカラーが変わるのだ(笑)。そして、私の5代上の先輩たちが、この青黒縦縞を選定していた訳。私が引き継いだ時は、色あせていて青と灰色の縦縞になっていたが。まあ、そんな訳でインテルと言うクラブには、何の想いもないが、このユニフォームだけはちょっと特別な想いがある。だから、私にとってこのクラブのサイドバックは、長友でもサネッティでもマイコンでもブレーメでもベルゴミでもなく、やはりファケッティなのだ。
入場して、さらにショックは深まった。立錐の余地なく埋まったゴール裏の1階席もまた皆青黒装束、そして、声を張り上げ息が揃ったインテルの応援をしているのだ。それもただのチャントだけではない。歌あり、ジャンプあり、選手コールあり、発煙筒あり。さらに貼られている弾幕もすべてイタリア語。スタジアムは陸上トラックのスペースががあるので湾曲しているから間違う事はないが、遠景で見る限り一瞬ここはサンシーロなのかと錯覚しそうな雰囲気だった。
オーロラビジョンにバスの映像が映り、ガムを噛んだサムエルが降りてくる。それだけで、場内はすごい熱狂となる。インテルのスタッフがピッチに登場するだけで、場内は大声援に包まれる。
正直言ってイヤだった。確かにこの試合の目的は、ミリート達スタア選手を眺める事なのかもしれない。インドネシア代表は、そのスパーリングパートナに過ぎないのかもしれない。でも、あなた達の代表チームだろう。我々よりも、60年も前に本大会に出場した代表チームだろう。それなのに、どうして...
インドネシア代表がアップのために入場してきた。
突然、今までインテルコールをしている人たちを含め、全員が総立ちになる。
そして「インド!ネシア!インド!ネシア!」の大音響が鳴り響いた。
懐かしかった。
ああ、そうなのだ。彼らは30年前の私なのだ。
学生時代、東北新幹線はまだ開通していなかった。そして、数千円出すと東京フリーキップとか言う名前(違っていたかも知らん)のキップが買えて、仙台東京往復の急行乗車と山手線エリア(もうちょっと範囲は広かったかもしれない)の自由往来が可能となっていた。たとえばたとえばクライフ率いるワシントンディプロマッツが、たとえばディエゴ率いるボカジュニアーズが、たとえばソクラテス率いるコリンチャンズが、それぞれ来日するたびに私はその切符を買って5時間余かけて東京に行き、高校時代の友人のアパートに泊まり、スーパースタアを堪能しに行った。そして、(今思うと「花相撲」と呼ばざるを得ないのだが)そう言った試合が、当時の日本サッカー界にとって、年に何回かある「ハレ」の舞台であり、同時に代表チームの強化イベントだった。
日本代表の試合だった。当然私は必死に代表を応援していた。けれども、一方で私は崇め奉っていた。クライフの視野の広さを、ディエゴの加速の凄みを、ソクラテスの一泊の間合いを。当時の彼らは、車範恨や許丁茂ではなかった。
彼らも同じなのだ。彼らはインテルのスーパースタアを、彼らなりのスタンスで堪能しながら、自国の英雄たちを声援していたのだ。当時とは時代が異なる。彼らはネットで、多チャンネル化したテレビで、インテルを知っている。したがい、彼らは現代風にインテルを歓迎したのだろう。それが、疑似サンシーロなのだった。
さて試合。インテルのスタメン4DF。右からマイコン、コルドバ、サムエル、サネッティ。「まるで世界のベスト11みたいだな」と一瞬思った。いや違う。ボランチを含めた後方6人、マイコン、コルドバ、サネッティ、カンビアッソ、サムエル、そして長友。これが世界のベスト11だ。などと、ノンビリした想いを抱きながらの観戦となった。
インドネシアは、9人でペナルティエリア前方にブロックを作り、丁寧に守る。前方の選手は皆俊足。うまくボールを奪うと、よく息の合った速攻で、インテルを脅かす。また、ボランチの主将サクティの知的な位置取りとボール回しは見事だった(後から聞いたら38歳だとの事、なるほどね、60分過ぎに交代したのは体力的な問題だったのかもしれない)。インテルのコウチーニョの先制弾直後の左サイドからの逆襲速攻、左サイドのマニアーニの大胆なえぐりからのクロスのこぼれ球を、引き気味のストライカのワンガイがペナルティエリア外から見事なミドルシュートで決め、1度は同点に追いついた。
ただ、守備がどうにもいけない。せっかくブロックを作り、稠密に人数を揃えているのだが、お互いの距離をとるのが精一杯なのか、いわゆる3人目の動きについていけないのだ。だから、後方から進出する選手をつかまえられずに、失点を重ねた。インテルも、その弱点を冷静に見極め、無理に運動量を増やす事なく、中盤後方ではフィジカルの強さを活かして落ち着いてキープ。前線の選手がダミーとなり、2列目の選手の前進に合わせる攻撃を執拗に狙った。これならば、高温多湿でも、運動量を増やさずに戦える。
だからこそ、冒頭に述べたカンビアッソ製のパッツィーニの得点は嬉しかった、あの得点だけは「リアル・カンビアッソ」を堪能できたから。
この得点で3対1と2点差にしたインテルは余裕綽々のプレイ。パッツィーニがもう1点を決め、終盤がんばったインドネシアが1点を追加、4対2でインテルが快勝した試合だった。
一度ボールをキープして前を向く事ができれば、インドネシアの攻撃はなるほど鋭かった。けれども90分間のほとんどの時間、そのような場面は作れず、大観衆にインテルのスーパースタア達の個人技を堪能させる試合になってしまった。
ともあれ、「フェスタ」としては最高だったと思う。熱狂的なゴール裏。鮮やかな個人技による得点の数々。上記カンビアッソのアシスト以降は、ゴール裏がインテル選手の名前をコール、選手も両手を上げてコールに答え、大観衆が一層熱狂する。これの繰り返しだった。
不満はない。冒頭のカンビアッソで、私はお腹一杯だった。そして、皆がこの日の「フェスタ」を愉しんでいた。これはこれで悪くない。
改めて己の幸せに感謝したい。
サネッティもカンビアッソもサムエルもコルドバもマイコンも、私は尊敬している。でも、彼らを崇め奉りはしない。今の私にとって彼らは、ワールドカップ本大会で打ち破らなければならない難敵中の難敵なのだ。
そうやってのんびりしている間にも、ベガルタは怪我人だらけ、五輪代表はやっぱりダメダメ、A代表は微妙な勝利、ACLは惨敗、西野氏は復帰っするは淳はクビになるわ、講釈しどころ満載ではないかっ!
にしても、青黒ジャージ、懐かしいね。某ライバルチームはドイツだったな。
インテルとかガンバ見ても、そこまでの想像が全くつきませんでしたが、確かにそうですし、本当に懐かしいですね。
ちなみに、青黒ユニを使ったのは我々の代が最後だったんです。
どこに行っちゃったかな。
東南アジア諸国もサッカー熱は高いですからねえ。日本の先達として、ライバルとして、お互い欧州に負けない誇りと強豪への敬意を育てたいところ。