イタリアが来た。
試合前に、「ドイツが17年間イタリアに勝っていない」との前宣伝が流れていたが、私からすれば「重要な試合でドイツがイタリアに勝った姿を見た事がない」としか言いようがない。最近では、2006年の準決勝が印象的だが、82年の決勝や、70年の準決勝など、あの勝負強いドイツが、イタリアには勝てないのだから、本当におもしろいものだ。
終盤、ドイツが攻めようとすればするほど、イタリア守備陣は嬉しそうにはね返す。私は何とも複雑な気持ちになった。
スペインやドイツと我々とでは大きな差がある。しかし、我々が従来どおりに努力を重ね、日本中にサッカーの裾野を広げ、まじめに選手育成をして、エリートの絶対数を増やし、できるだけ多くの人々にサッカーの魅力を伝え、皆で心底サッカーを愉しむ事を続ければ、スペインやドイツに追いつく事は不可能ではないようにも思う。すさまじい時間が必要かもしれないけれど。さらには、そのような環境を作る事ができれば、いつか突然変異のようにメッシのような選手が生えてくるのではないかとも期待したりもする。
けれども、今日のイタリアのサッカーを見ていると、今の延長線上でどんなに努力をしても、イタリアには追いつく事ができないと思ったのだ。もう1つ適切な日本語にならない自分がもどかしいのだが、イタリアの強さには、我々がまだ把握できていない、あるいは適切な日本語に落とし切れていない、何かがある。
今日の試合を一言で語れば「巧みに先制したイタリアが、強力な守備で勝ち切った」となる。こう書いてしまえば、よくある「守り勝ち」となってしまう。けれども、この試合は通常の「守り勝ち」ではなかった。
だいたい「守り勝ち」と言われる試合にも、色々なパタンがある。強いチームが無理をせずに確実に勝つために守りを固めるパタン。同格のチーム同士の戦いで、勝者が守備を充実させて勝ち切るパタン。弱者が必死に守りを固め、隙を突いて奪った得点を守り切るパタン。乱暴に分ければ、この3つのパタンとなるのではないか。
しかし、この日のイタリアは全く違う。特にこの日の試合終盤は、見ていてドイツが点をとれる雰囲気がほとんどなかった。イタリアの守備者達は余裕綽々、実に愉しそうに守っていた。しかし、ドイツとイタリアの戦闘能力を比較すれば、同格、いやドイツの方が上かもしれない。ドイツは2010年に若返りに成功し、優秀なタレントが経験を積み今大会に臨んだ。一方のイタリアは、2010年に若返りに失敗し惨敗したのは記憶に新しい。さらに、大会前の準備も芳しくないと言う報道が、もっぱらだった。
つまり、今日のイタリアの試合ぶりは「弱者が強者をなぶる」ようなものだったのだ。こんな勝ち方ができるのは、イタリア以外考えられない。
そして、繰り返しになるが、我々が、このままいくら努力を重ねても、この日のイタリアのような強さ「弱者が強者をなぶる」は身に着ける事ができないように思うのだ。誤解しないで欲しいが、それはそれで問題はない。サッカーは多様性の競技、全てを身に着けなければ勝てないと言う事ではない。弱点を最小にして、長所を最大にすれば、世界制覇できるのは、昨年澤達が証明してくれたのだから。
ともあれ、そこを目指さない、あるいは目指す事は叶わないにせよ、「イタリアの本質」を考えるのは、我々の将来にとってとても重要でかつ、最高の知的遊戯だ。
もちろん、ピルロ(やっぱり、悔しいけれど、ピルロは遠藤よりも上手かなとも思うし)もバロテッリも最高だが、やはり「イタリアの本質」は、あの守備だろう。上記したが、どうして選手達は、あのように嬉しそうに守れるのだろうか。あれだけ攻め込まれても、点が入る気がしないのだろうか。
これを伝統とかDNAとか言ってしまうとそれで完結してしまう。その伝統、DNAの背景にあるものを何とか見抜きたいのだ。ただ、これが難しいんですよね。本当にこの国は守備が強いのだけれども、過去の守り方が、世界のサッカーの発展とあいまって、どんどん変わっているから。
60年代から70年代にかけては、いわゆるカテナチオ。マンツーマンで各BK(今風に言うと、「マンマークで各DF」と読み替えてください)が敵FWにピタリとついて、スイーパが後方をカバーする。突破されそうになると、情け容赦なくファウルで止める。言わば「上品なギリシャ」みたいな守り方。一方でファケッティが、先端的な攻撃参加を見せてくれたのだが。余談ながら、当時のミランの映像を見ていて、すごい知的なボランチ?がいて感心した事がある、トラパットーニと言う選手だったな。
70年代後半から80年代にかけては、ゾーンとマンマークの併用。最高の成功例が、82年に黄金の4人を打ち破った試合だが、カブリニが左サイドをゾーンで守り、他の選手はマンマーク。ジェンチーレが、今日の審判基準ならば1試合に5回くらいは退場になる手斧士ぶりを見せてジーコをつぶし、あいたスペースをシレアが埋めて守り切った。自分がマークをする選手を止める技術、自分が担当している地域を固める技術、全く異なる守備技術を持った選手の鮮やかな並立。
90年代は、いわゆるゾーンプレス。およそ、2、30年前とは正反対の守備振りになってしまった。最前線から追い込み、中盤の選手は上下動をいとわず、次々に敵の攻撃のコースをせばめる。敵のロングボールは、フランコ・バレーシの知的なラインコントロールによる浅いラインで、無力にしてしまう。94年のブラジルとの決勝戦では、世界サッカー史に残る「おもしろい0対0」を披露してくれたのが忘れ難い。
同じ90年代後半からは、ゾーンによる3DFと言う守り方も登場する。上手で守備能力の高い3人のDFがフラットに並び、前線や中盤の選手がコースを追い込み、3人のいずれかが最後ボールを絡めとる。言わば、古きよきカテナチオの守備ラインを前に出して、3人のスイーパがいるような守り方。そして、ラインが浅いから、ボールを絡めとったら、即速攻が開始される。長年世界最高のサイドバックだったマルディニが、中央左サイドでこの守備方法確立に寄与した。この守備方法を編み出した監督が率いるイタリア代表を見たかったのだが、その期待が叶わなくて本当によかった。今、そのカードは我々の手元にあるのだから。
00年代に入ると、史上最高の守備者、カンナバーロが君臨する。とにかく、最後はカンナバーロのところに敵が迷い込めば必ず止まると言う、実にわかりやすい守備戦術。もちろん、そのわかりやすい目的のためにとる手段は最高級、敵を追い込む残りの9人の動きは格段に先端的で洗練されていた。そして、06年のイタリア優勝は、トッティ、デルピエロの攻撃スタアが大不振だったため、完全にカンナバーロの君臨が引き立ち、一層「守備の勝利」となったのが味わい深かった。
そして、今回の決勝進出。また異なった守備の魔力。今回のチームの特色は、中央に絞り込んで行って絡めとると言う意味では、過去のイタリアとの類似性はあるが、上記したような歴史的な守備者が不在なところが、ひと味異なる。また1次リーグのスペイン戦、中盤を制して圧倒的攻勢をとったイングランド戦など、ドイツ戦とは異なる守備網を引いた試合も多い。
かくも多様な守備ぶりを見せて来た「イタリアの本質」はどこにあるのか。個々に粘り強い守備者を多数集める事ができるのが、イタリアの特色である事は間違いないが、これは他の国でも何とかなる事。90年代後半から00年代序盤にかけてのフランスの守備者達の能力はすごいものがあったし、ウルグアイ、パラグアイなどの南米の守備強国も常に知的で強力な守備タレントを幾人も輩出している。しかし、そう言った他国の強力守備網と、イタリアのそれは、何か決定的に違う。
まあ、こう言った事を考え込んでしまうから、サッカーは愉しいと言う事だな。そうこう考えながら、イタリア対スペインを愉しむ事にするか。
2012年06月30日
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本題と関係なくてすみません。
この文章で興奮して身が震えました。
そうですよね。我らが指揮官ですよね。
今回のEUROのイタリアを見ていると、ザッケローニが目指す
4−2−3−1と3−4−3を両方出来るチームって
目指す価値があるんだななぁって思ったニワカです。
恥ずかしながら70・80年代なんてさっぱり知らないので想像なんですけど、やはり受け継がれてきたものがあるんでしょうねえ。なんか頭で守ってるんじゃなくて感覚が先回りして守ってるのは私も感じました。
ただフェラーリはイタリア人にしか作れないんだろうけどプリウスも日本人でしか作れない車な気がしますね。近づくのも必要かもですけど自分の血脈を大事にすることも必要かと。
個人的にはマツダのロードスターみたいな車をザックさんに作って欲しいですw
はい、ダウト! あんたはレイシスト。
欧米出羽こんなことを言う谷津はオツムの中身が疑われます。
こういう御仁は、バロデッリのゴールを見て「驚異の身体能力!」とか無邪気に叫ぶんだろう。
「試合に勝つ=女を落とす」「女に対してはマメな印象」とかいうイタリア人へのステレオタイプも酷いが。
こんな無自覚を長年放置してきた大ニッポン国サッカー界。
武藤氏もせめて括弧付きにする配慮は欲しいよね。
ユーロを見てると、これが出来てる国はスペインくらいかなと思いました。
日本だとこうしたことを教えたのはザックが最初かなと思います。代表監督就任後、最初に教えたのは体勢向きの取り方や自分の守備範囲の説明、ポジショニングですよね。普通に考えて、これってイタリアのユースが学ぶ内容じゃないかと。
今の日本代表はかなり守備陣系ができるようになっていますけど、苦しい試合だと壊れることも多い。これって、子供の頃からやってなくて、無意識にできるところまでいってないからでしょうね。日本に根付くのは今の代表が指導者層になった頃かもしれません。
イタリア代表の面々は本当に洗練されていてかっこいい。映画スター大集合。そして本当に気が利く。女性をエスコートする姿が容易に想像できる。色気がすごい。
武藤さんの言うとおり、イタリア代表には言葉ではよくつかみきれない何かがありますよね
日本からは遠い何か…
それだけに魅力的に映ります
ぜひ今夜はスペインの洒落臭いへっぴりサッカーを蹴散らしてほしいです
何も主観もなしに揚げ足取りしか脳のないばかよりはましです。
> 今の延長線上でどんなに努力をしても、
> イタリアには追いつく事ができないと思ったのだ。
> もう1つ適切な日本語にならない自分がもどかしいのだが、
> イタリアの強さには、我々がまだ把握できていない、
> あるいは適切な日本語に落とし切れていない、何かがある。
武藤氏は、「適切な日本語」で表現できるまではエントリーを控えたらどうか。
できないなら、無理にやらない方がいい(それよりは改めて五輪OA問題でも講釈したらどうか)。
日本のサッカーファンというのは、武藤氏が垂れ流した「日本から遠い」イメージを、さらに増幅して拡張する基本的に馬鹿な人種だからだ。
後藤健生氏ですら、過去の言動を自己批判しているというのに。
名前でまで主張しないと気が済まないんだ…。
スペインなんかでは勝ってもカペッロは賞賛されない。
あと試合の流れが動いた時に攻めるのか守るのかがハッキリしないイタリアというのはあまり見たことがありません。
一流の選手達が1つのことに集中できるのは強みです。
この「徹底」を文化以外の言葉で説明するとしたら指導者の育成システムでしょうか?
イタリアほど指導者が輸出されている国はブラジルぐらいかと思います。
小難しい顔をしていますがただの自慰行為をどうしてもやめられない単純な子なんです。
コメントは控えたらどうか。pgr
久々に会心の出来でした。桁違いに強い。
4失点は想像外でしたが、イタリアは不運が重なった。
ここで使われている通俗解釈ではなく、きちんとした科学的知見ではヒトとチンパンジーは98%DNAが同じらしい。みんなサルなんだな。
「イタリアに近づくためには」などと思わせぶりに掲げておいて、しかし絶望的な判断を、DNAという、よく考えると非常に問題のある比喩で講釈しちゃったもんだから、ナイーヴな大方のサッカーファンたち(やはり馬鹿呼ばわりはよくない)がさらに真面目に受け取ってしまった。
ようやくジーコの悪夢を払拭し、中田英寿の異様なまでの買被りも過ぎし日の面影になりつつというのに、日本人というのは心のどこかに絶望を抱えていないとサッカーに関われないDNAでもあるのだろうか(笑)
絶望ではなく、例えば羨望で語ることはできなかったのですか。
ところで、フェッラーリのエンツォやフィオラノ、スカリエッティをデザインした元ピニンファリナの奥山清行はイタリア人なのだろうか? モンテディオ山形の本拠地はイタリア共和国の飛び地らしい。結構なことである。
とまれ消化不良でない形でもう一度イタリアサッカーの守備の講釈をお願いしたい。
ソースも貼っておきますので、講釈お願いいたします。
◎関塚監督ら日本男子五輪代表選考理由会見全文
http://london.yahoo.co.jp/column/detail/201207020009-spnavi?page=1
http://london.yahoo.co.jp/column/detail/201207020009-spnavi?page=2
http://london.yahoo.co.jp/column/detail/201207020009-spnavi?page=3
原『海外組の選手だが、日本が7月11日に壮行試合をやるが、拘束権が無いので、クラブと交渉する。海外は練習が始まっていたり、始まったばかりだったりするので、
我々の事情を説明する。
23歳以下の選手に関しては五輪本大会では拘束力はあるが、拘束権は12日、(大会の)2週間前から。
前の方のタレントに関しては、今後をにらんで、日本代表の中心になっていくであろう選手たちを生かす。
後ろがこの年代は弱いので、そこに吉田、徳永の2人を入れて、前の方はこの年代の選手たちが伸び伸びやってくれれば、良さが出る。』
関塚監督『私が最終決定した。』
◎佐々木なでしこ監督らなでしこ五輪代表選考理由会見全文
http://london.yahoo.co.jp/column/detail/201207020012-spnavi
http://london.yahoo.co.jp/column/detail/201207020012-spnavi?page=2
http://london.yahoo.co.jp/column/detail/201207020012-spnavi?page=3
FWが6人というのは前回と比べてかなり多い印象を受けるがどうか
佐々木監督
『FWとMFは非常に微妙なので、皆さんで解釈して下さい。
FWもでき、MFもできるというような解釈をしていただければ。』
ユーロ決勝、Uー23・なでしこメンバー発表と講釈のネタが沢山ありますが、、
とにもかくにも週末のJリーグの首位決戦ベガルタ対サンフレの講釈は是非お願いします。
http://blog.livedoor.jp/gamanda/archives/50926011.html
http://blog.livedoor.jp/gamanda/archives/50911446.html
理系の方がやってらっしゃるサッカーブログで疑似科学がどこまで許容されるかというのも興味がありますね。
W杯優勝経験のある国同士の対戦成績は一番いいのに、
中堅国あたりにはコロリと負ける。
また、プラティニやジダン、マラドーナのように、
リーグで苦手意識を植え付けられてしまうと、
意外なくらい塩らしく負けてしまう。
彼らにも愉しく守れるときと、気が乗らないときがあるのか、それ以上に深い理由があるのか、気になりますね。
ここ以下はいいですよ。
いいコメントとすら思います。
表現に気をつけないと、荒れちゃうんで、よろしくお願いします。
2ちゃん、ではないですからね。
荒れるというのは応酬があってのものだしね。
「決定力がないDNA」
「貧弱な個の力のDNA」
「ゴール前で横にパスしてしまうDNA」
「貧困なるスポーツ文化のDNA」
「そもそもサッカーに不適格なDNA」
こうやられると、現状ではなかなか反駁できない。
安易なDNAレトリックの使用の弊害・陥穽はここにある。
今回それを使ったのは、そもそも武藤氏だ。
武藤氏は「これを伝統とかDNAとか言ってしまうとそれで完結してしまう。その伝統、DNAの背景にあるものを何とか見抜きたいのだ。ただ、これが難しいんですよね。本当にこの国は守備が強いのだけれども、過去の守り方が、世界のサッカーの発展とあいまって、どんどん変わっているから。」と書いてますが、なにも「安易なDNAのレトリック」は使ってませんよ。
どうにかDNAとは違う論理でイタリアの守備について語ろうとしています。今回は力及ばずだけど、こうして「考え込んでしまう」ことが愉しいと言っているのですよ。
きちんと読み解いた上での議論を望みます。
国語力→読解力のことですよね?他に意味を含んでいるならお詫びしますが。
読解力より広義な意味で国語力という言葉もあります。
文科省も使っていますので調べてみてください。
DNAについてのリンクを貼られた方がいますが、
それを見てみるとデオキシリボ核酸云々言っており、
生物学的な意味でDNAの影響有無のみを言っているように
受け取れます。
侮辱されたとお考えなら謝罪します。
失礼しました。
石原慎太郎都知事の「DNA」発言
−差別主義者の面目−
不適切な比喩を最初に使ったのは誰だ? よく考えてみろ。