2012年09月17日

イラクはイラク、ジーコはジーコ

 ベガルタの敗戦については、ちょっと思うところがある。ともあれ、結果は残念だったが、先は長い。周囲の騒ぎは置いておき、丹念に戦い続ける事だ。

 で、今日は、イラク代表及びジーコについて、もう少し。
 
 イラクの選手1人1人の個人能力を見るのは、とても愉しかった。アジアで日本とまともな中盤戦を戦い、ある程度互角に戦えるのは、イラクの他は韓国、ウズベク、(最近映像も見ていないのだが)イランくらいではないか。しかし、これら3国が、日本と戦う時は、まず身体を当てて来て(審判のお目こぼしを狙って)、ボールをキープしようとする。しかし、イラクは違う。最初から、身体の向きや、ボールを止める位置を、一人一人が考えている。だから、試合終盤、イラクが疲労困憊状態になった終了間際でも、1度ボールをキープされれば、そこそこ攻め込まれてしまった。もちろん、前線からのプレスが弱まるのに連れ、冷静にラインを深くして対応した麻也と伊野波の冷静さは、さらに上回っていたのだが。
 しかも、この日起用されたイラクの選手達は、ほとんどが五輪代表世代だったっと言う。イラクの国内情勢は、以前に比べればかなり安定しているとは聞いている。けれども、まだまだ外国人が安全に入れる国でもない。そんな中で、次々と若いよい選手が生み出されている。よい土壌のある国からは、よい選手が生えてくると言う事なのだろう。
 若く、技巧的で、野心あふれる選手達。「そこにジーコ」と言うのは、非常によい組み合わせだ。何か、90年代前半の住友金属、アントラーズを思い出すではないか。実際、イラクの若者達の落ち着いたボールキープは、とてもよかった。この若者達が順調に成長すれば、すばらしいチームになるだろう。
 
 「順調に成長すれば」だが。

 報道によると、ジーコ曰く、「マハムード、アクラムらの体調が揃わず、若手をスタメンに並べた」と言う。だからと言って、彼ら経験豊富な選手をスタメンから外すのはいかかがとは思うけれど、去年のアジアカップを思い出すと、「さもありなん」とも思う。一部報道の「ジーコの解釈」では、「湾岸のクラブ所属選手ゆえ、シーズンオフの夏場の試合は難しい」と言う事だが、1年半前の1月のアジアカップでも彼らは90分走り切れなかった。大変残念だけれども、カタールの(少なくとも一部の)トップクラブでは、十分なトレーニングが得られないのだろう(しかし、十分な収入は得られるのだろう)。健全とは言えない状況だ。

 あのドーハの最終戦、後半立ち上がり、我々は中盤戦で完全に圧倒され、井原の個人能力でかろうじて凌いだ。以降、アジアであそこまで、あそこまで中盤を蹂躙された試合は経験していない。そして、あれから19年経った訳だが、やはりこの国には「何か」がある。次々と生えてくる有為な若者が順調に成長してくる環境が整備される事を。

 さて、ジーコ。 
 代表監督ジーコは、最後のドイツでのナニがナニだっただけに、印象が悪過ぎる。
 いや、最後だけではない、過程もあまりに愉し過ぎた。風邪をひいて、高熱の選手を90分間引っ張って、自らのクビを締めた事もあった。Jリーグですばらしい活躍をしていた中澤や久保に定位置を提供せずに、Jで今一歩のパフォーマンスしか見せてない選手や、欧州で出場機会なく体調のよくない選手を重視した時期もあった。スポンサの要望なのか、信念なのか(その信念はイラク代表監督の今、薄れたようだが)知らないが、試合前にスタメンを毎回発表し、敵監督の仕事を楽にし続けていた。重要なワールドカップ前の準備試合なのに、レギュラ選手を花相撲に譲った事もあった。一方で、Jの公式戦があるのに、自らがレギュラと評価していない選手を無理矢理召集した事もあった。
 しかし、残念な監督ではあるし、短期的な被害は大きかったのは確かだが、10年単位で日本サッカー界を振り返ってみると、その被害が日本サッカーにとって何ら致命的なものでない事もよくわかる。

  1960年代:東京五輪強化の目的でクラマー氏招聘、東京五輪ベスト8、メキシコ五輪銅メダルの成果を上げる。
  1970年代:東京、メキシコ両五輪の一部選手強化の反動、選手層の薄さから低迷。ただし、少年サッカーの普及で個人技ある若手選手が出始める
  1980年代:代表はアジアを抜け出すまで後一歩に迫る。古河、読売がアジアチャンピオンズカップを制覇、単独チームのレベルはアジアのトップに到達
  1990年代:92年のアジアカップ制覇など代表もアジアトップレベルに、Jリーグが開幕しプロフェッショナリズムが完全に定着
  2000年代:02年、10年とワールドカップでベスト16、欧州のトップクラブで活躍する日本選手も多数輩出

 こうして、見てみると2006年の失敗が、ほんの小さな事である事がわかる。当時、中田英寿、中村俊輔、小野伸二らが全盛の年齢のワールドカップで、あの残念な試合をした時には確かに凹んだ。でも、あれからたった6年、今の代表チームを見ていると、あの6年前の絶望感が何とも味わい深い。いや、あの絶望感も重要な経験だったとも思えてくる。
 そして、ジーコは90年代のJリーグの大発展にあれだけ貢献し、鹿島アントラーズと言うトップクラブの礎を築いた。いや代表監督としても色々不満もあったが、中村俊輔が魔術を発揮し、奇跡的PK戦を勝ち抜き、鈴木隆行が死ぬ一歩直前まで戦い抜き、アジアカップを制した。ジーコがどこまで貢献したかどうかはさておき、あの川口の仁王立ち、最高だったではないか。久保の神技でネドベド率いるチェコに勝った事もあったし、コンフェデ(公式戦だな、一応)でセレソンと引き分けた事もあったな。
 さらに、「代表監督、適材適所」と言う、一見当たり前に思えるが、失敗経験しないと体感できない真実も、日本サッカー界に残してくれた。この経験は結構重要だよ。だいたい、あのアルゼンチンでさえ、毎回毎回優勝候補戦闘能力最強のチームをワールドカップに準備しながらもどうしても勝てないものだから、前回は冗談みたいな人選をして、粛々と失敗経験を積んだのだから。
 そう言うジーコとワールドカップ予選で対戦できた。イヤミは別にして(いや、イヤミばっかりだな)、日本サッカー初めて、かつての代表監督と手合わせできた歴史に、まずは感謝したい。そして、改めて思う、第2回トヨタカップ、リバプールをチンチンにしたあの試合から31年、ジーコは間違いなく今日の日本サッカー界の発展に大貢献してくれた人物だ。うん、ありがとうジーコ。また来てね日本に、敵の代表監督として。
posted by 武藤文雄 at 01:43| Comment(5) | TrackBack(0) | 日本代表 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
にやにやしながら読んでしまいましたw
面白すぎますw

鹿島の監督として戻ってくる線もアリなんじゃないでしょうか?
ああいえ自分はガンバサポですが…orz
Posted by 77 at 2012年09月17日 02:45
今回は今一つ毒気が足りない。
ジーコ時代の何が間違いだったのか真面目に認識されていない以上、「日本サッカーにとって何ら致命的なものでない」という評価は、きわめて致命的な甘さと言えます。
Posted by そりゃ岡田康宏は中田英信者だからキャラが似た本田▼を贔屓する罠 at 2012年09月17日 08:11
上手い選手を重用するジーコのスタンスは、ずっと変わっていないと思います。
だからJ初期の底上げには多大な貢献をしたと思います。
でも、頑固にその信念を貫く人なので、日本代表を率いて2006年は失敗したわけで。

イラク代表においてはメンバー入れ替え、マンマーク等語られました。しかし、基本は上手い人を起用して、丁寧につなぐサッカーをしたいのだと思います。ジーコの理想のチームは82年ブラジル代表なんだと思います。でも、それでは怖くはないんですよね。ジーコはラフプレーは好まないから試合は荒れないし、ブラジル人ではないからここ一発の圧倒的な天才による崩しも発動しないし。それは日本代表でも発動しなかったわけで。
Posted by at 2012年09月17日 20:31
2006WC惨敗、オシムの亜杯喪失、岡田低迷…と続いた時代は全くそんな気になれなかったし、代表人気も下がり続けてたと思う。
2010WC善戦の岡田とザッケローニと選手たちのおかげで
「ジーコありがとう」って今は心から言えます。
「2006年の失敗が、ほんの小さな事」なのは2010以降の幸運に支えられた結果論だとは思います。
だって2006時点で「10年スパンで考えたら大して問題ないよ」なんて言ってた人なんて居ないし
2010以降の成功が約束されていたわけでもないのだから。
Posted by k9o3s6 at 2012年09月18日 00:39
ドーハの悲劇「負けてよかった」=ドイツで惨敗「ジーコありがとう」
Posted by at 2012年09月21日 00:18
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