ここのところ、諸事多忙で書きたい事が無数に溜まっている。五輪の総決算も書きかけだし、ベガルタへのフォローも遅れがちだし、J2の残留争いも愉しそうだし、麻也の相棒について論じたいし、寿人がなぜ代表に呼ばれないか考察したいし、長谷部と細貝と高橋を比較したいし、欧州でみんなボカスカ点をとるし、少年団で毎週末遊んでくれるガキ共も可愛いし、ベストメンバ規定についても吠えたいし、新たに殿堂入りした方々も語りたいし、ブラジルでのエメルソンとの再会も書いてないし、モルンビースタジアム見学ツアーでのエピソードも自慢したいし、いやボルトアルグレ訪問の事も...
まあ、少しずつ、溜めてしまった事を、丹念に吐き出していきたい、じゃなかった、書き出していきたいとは思っています。
実は他人様の親バカ振りをからかう文章を進めていたのだが、どうにもまとまらない。と、言うか、書けば書くほど、独自性が出せず、悩んでいる。あのお父上へのツッコミは簡単ではないなと。
ここは気分を切り替えて、他人様を冷やかすよりも、自らの親バカ振りを語る方がよいかなと。
時々書いた事があるが、拙ブログに時々登場してきた我が息子だが、高校3年生になった。中学校まで律儀にサッカーをやってくれていたのだが、高校に入り「俺、ラグビーをやる」と突然転向。かつての守備的MFは、今ではプロップを務め、花園を目指している。と、言っても、ラグビーと言うのは番狂わせが非常に少ない競技だし、神奈川県のレベルは全国屈指で高いから、公立高校の若者にとっては「全国大会に行ける」と言う錯覚にも浸れないようなのだが。ともあれ、たとえサッカーではなくとも、息子がチームメートと共に、少しでも上を目指してもがいているのを見るのは、親バカ冥利につきると言うものだ。
さて、坊主のクラブ、毎年夏休みは、菅平で合宿を行う。妻が突然「高校最後の合宿なのだから、観に行きたい」と言い始めた。もとより、妻に歯向かえる立場ではないし、親バカとしては坊主の試合も観てみたい。仙台の母まで誘い、長野までラグビー観戦付き温泉一泊旅行を行う事にした。坊主にとっては迷惑な話である。
ところで、菅平と言う場所だが、驚いたは涼しい事だ。落ち着いて考えれば、そのような気候だから、ラグビーやる若者が集まっている訳で当たり前なのだが。さらに、その涼しさを利用した、キャベツ、レタス、白菜、正に高原野菜畑がそこいら中に。いや、高原野菜畑だけではないのだ、あちらこちらに、芝生のグラウンドが無数に準備されている。午前の試合は76番、午後の試合は92番、と言う感じで、100面以上も。齢51歳、これほどのキャベツ畑も芝生のグラウンドも、まとめて見た事はなかった。
もう1つ。これらのグラウンドを利用しているのは、ラガーだけではない。サッカー少年もあちらこちらにいるのだ。夏場涼しくて、芝生のグラウンドが無数にあるのだから、確かにラグビー屋さん達だけに、この界隈を独占されるのはもったいない。とてもよい事だと思った。
さらに感心したのは、多数のラグビーショップが、臨時の出店をしている事。午前中の試合で、敵タックルにより、バンツがスカート化してしまった坊主のために、妻が新しいパンツを買っている。暇つぶしに店を冷やかしていると、黒地のいい感じのポロシャツが売られている。よく見ると、南半球選手権(ラグビーチャンピオンシップと言うのかな、去年までは南ア、NZ、豪州の3カ国の大会でトライネーションと言われていたが、今年からアルゼンチンが加わったので、大会名が変わった)のポロシャツ。4カ国のロゴ入りで、格好よいので、思わず買ってしまった。
私がそれを着ていると、坊主はすごく羨ましそうな顔をする。坊主の幼少時は、欲しいものを買ってやって溺愛するのが愉しかったが、今は欲しがるものを、私が利用して羨ましがらせるのが、最高だ。ああ、何と心の小さい父親なのだろうか。
この南半球選手権だが、ちょうど今が佳境。毎週末、テレビで生中継を愉しむ事ができる。坊主のお相伴をしながら、似非ラグビー講釈師を目指している訳。
NZも、豪州も、南アも、いずれ劣らぬラグビー強国。これらの国同士の試合も、もちろんおもしろい。しかし、私にとっては何と言ってもアルゼンチンだ。この国のラグビースタイルは、サッカーと完全に一緒なのだ。一人一人が攻守両面に渡り、自由奔放に戦う。全く予想外の攻撃を成功させてみたり、押し込まれた時の守備はかなりえげつなかったり。
こう言ったラグビーの国際試合がもっともっと、日本国内で採り上げられれば、もっとメジャーな娯楽の1つになると思うのだが。もちろん、ラグビー日本代表の試合を含めて。
以前も述べた事があるが、アジアの予選をほぼ間違いなく突破できるボールゲームは、ラグビーの他は野球、ソフトボール、そしてサッカーくらいのものだろう。それなのに世界のトップとの差が、中々埋まらないのが悩みのタネのようだ。
だから、代表チームの低迷に切歯扼腕する高校3年生を、毎度毎度観察する事になる。むしょうに懐かしいのだ。ほんの僅か、30数年前。競技は異なるが、全く同じように悩んでいた高校3年生を思い出すから。
2012年09月21日
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横山全日本の時代の「ジャパン」は、そんな立ち位置にいたはずですが、日本サッカーが息を吹き返した南アのあの都市でのあの出来事をきっかけにすっかり落ちぶれてしまいました。
しかし、1980年代はラグビーの方が国内で圧倒的に人気があり、サッカーは勝てないと思っていた。
どうしてこうなったのか。
>>あの出来事をきっかけにすっかり落ちぶれてしまいました。
ブルームフォンテーンですよね。
日本ラグビーの現状を語るときに、
「95年の南アW杯でのNZ戦での歴史的大敗以降…」
という文言を見かけることが多いのですが、
日本サッカーについては、南アW杯以降の
男子代表はもちろん、なでしこだったり昨日の香川のCLだったりと、
風向きが180度変わるきっかけになったのが
初戦のカメルーン戦だったのだとすれば、
その何れもが同じ町の同じスタジアムでの出来事だったというのは、
全く偶然の悪戯とはいえ、不思議な思いに駆られます…。
このへん気になる〜〜〜。